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おちくぼのあかね姫 9
披露宴に当たる「ところあらわし」の宴で友雅でないことがばれ、叩き出されたついでに盗み出してきたのだ。
「へ、イノリと頼久に鍛えられてるからよ、妹一人盗んでくるくらい、どおってことないさ。」
みなに手柄をほめられた天真は照れくさそうに笑った。
隠れていた方がよさそうだというので、天真と蘭は郊外の、永泉がいる屋敷にいることにした。
鷹通も、中納言邸に用事が無くなった。あかねがいなくなったので、上手に縫える縫い手がいなくなった中納言邸では、上等の装束が手に入らなくなったのだ。
「もうそろそろ、陰体から出られても良さそうなものだが。」
「……。」
友雅が話しかけても、あかねは何に屈託しているのか、返事もしない。
「どうしたの、ご機嫌が悪いね。」
友雅はあかねを抱き寄せると、柔らかな唇に口づけた。あかねは抱かれることに抵抗はしなかったが、かわりに涙がつうっと一筋頬を伝った。
どういう意味の涙だろう……。友雅にはあかねの気持ちがはかりかねた。うれしい涙にしては、表情が沈んでいる。何か、あったのだろうか……。
「姫、私は何か、ご機嫌を損じるようなことをしたのだろうか?」
あかねは返事をしない。涙で頬をぬらすばかりだ。友雅はいよいよ訳がわからなくなった。
あかねとこうなって以来、夜歩きなど一度も行っていない。誰かと文のやりとりをしたこともない。おそば付きの女房にも声をかけたことがなく、話すのはあかねと藤姫だけ。
「まあ、友雅殿、すこぶる真面目になられたこと。これなら神子様もご安心ですわね。」
と、太鼓判をもらったほどの優等ぶりなのである。なにが不満で泣いているのだろう?
「ねえ、あかね、私にはちっとも心当たりがないのだが、何がいけなかったのだい?」
あかねがぽそっとつぶやいた。
「皆が言ってるの……。」
「皆って誰。」
「女房さん達が。少将様には、今度、北の方がおできになるそうですって……」
誰のことだ? 友雅の頭はさらに混乱した。
「君のことではないの? 私に北の方なんて、私にはあかねがいるのに……」
「……噂をお耳に入れたものがおりましたの。」
藤姫が来ていた。
「私、最近の友雅殿を見ていて、そんなはずはございませんって、神子様に申し上げたんですけど……。」
「困った人だ。まだ、私を信じられないのかい?」
「だって、友雅さんは……。乳母さんが、言うんですもの……」
ここはまだ陰体のなかだった! 友雅は舌打ちした。あの乳母は、シリンの回し者か?
「私が中納言殿で縫い物をするお針女だったから……身分が低い女だから、あなたにはふさわしくないって……だから、権門の姫君と結婚していただいて、もっと幸せになっていただくのだから、いたければここにいればいいけど、たまに帰ってくるだけだって……」
「私は断じてそんなことはしない!」
友雅は声を荒げて叫んだ。はじめて聞く声だった。出した本人も狼狽するほどの……。自分のどこにこんな情熱が潜んでいたろう……。友雅は自分で自分に驚きながら、あかねを抱きしめて言った。
「私には君がいればいいのだよ。それだけは信じてほしい。今までこんな気持ちになったことはない、自分でもおかしいほど君に夢中だ。どうしたら君にわかってもらえるのか……」
あかねの涙は止まらなかった。確かに、周囲がすべてつくってしまったなら、のっぴきならず通わざるを得なくなるかもしれない。噂の出所をとめなければ……。友雅は、頼久を呼んだ。
右近の少将の結婚話は無しになった。
「黙らせてきましたよ。やはり、シリンが乳母に言わせていました。」
頼久が手柄顔に報告にやってきた。
「これで私を信じられる? あかね……」
あかねは困った顔をして……首を振った。
「まだ、許してもらえないのかい? 私はそんなに信用されない男だったのだろうか?」
「だって、あり得なくなさそうなんだもの。」
友雅は大きく嘆息して空を見上げた、そのとき。
空が大きく開いて。
あかねと八葉たちは藤姫の土御門の屋敷に戻っていた。
シリンが仕掛けた罠をあかねたちがうまくクリアできたから、術の力が弱まって、泰明がうまく祓うことができたのだ。
「……よらないでください、友雅さん! 私に馴れ馴れしくしないで!」
あかねも以前のあかねに戻っていた。
「……私の妻になったのではないのかね? 三日夜の餅を一緒に食べた仲じゃないか。」
友雅は少々困惑ぎみだった。あの記憶は生々しいのに、これは一体??
「泰明殿、まさか……?」
泰明はふっと笑うと、あっさりと言った。
「……問題ない。神子の心の迷いも一緒に祓った。」
「迷い」と祓われてしまった橘少将が、また以前と同じアンニュイな生活に戻ったのは言うまでもない。が、一時にせよ、あかねに本気になった友雅は、物語の夢を忘れただろうか……?
4枚のお札を無事集め終わり、アクラムとも決着をつけて京を解放した次の日、友雅はあかねを外出に誘った。
二人の思い出の地を次々と回りながら、友雅は、あかねにどうしても聞きたいことを聞く機会をはかっていた。
八葉の全員があかねに惹かれている今、あかねの心は誰にあるのか? 一抜けた、と思っていたのは、思い上がりだったのだろうか。
あかねの様子は、物語に取り込まれる前と変わらない。あかねが特定の誰かに惹かれていれば、宝珠がそれを知らせるだろう。それが今感じられないというのは、あかねの心が自分にあるか、あるいは誰のことも特別ではないということか。
神泉苑に着いた。
ここに、あかねが元の世界に戻る通路があいている。
あかねは、この穴をくぐってもどってしまうのか、それとも……?
「友雅さん。」
あかねが口を開いた。
あかねも、本当のところ、自分の心を決めかねていた。
神子の使命を果たしたから、もう、次元の通路はあいている。ここをくぐって、元の世界に帰るのか? でも、そうしたら、もう、八葉の誰とも会えない。おそらく、二度とこちらの世界には来られないのだろう。
あかねの心の中でも、友雅の存在は大きかった。
天真の気持ちも知っている。鷹通も、頼久も、永泉も……誰か一人を選べば、自分はみんなを傷つける。あかねにはそれが耐えられなかった。
物語の中にいたときは、進行上の都合でしかたなく……いや、あれは、「遠慮なく」が適当だったのかな……。
「友雅さん、私のこと、好きですか?」
聞いてみて、どうするというのだろう。でも、あかねにはわかっていた。自分が友雅に踏み切れないのは、今までの友雅の生活態度に理由があるのだ。こちらに残ることにするなら、もう、元の世界に戻れなくなるのだろう。もし、友雅が今までの多くの姫君同様、自分にも飽きて捨てたなら? 考えたくもなかった。
「私のことだけ、好きですか? あのときみたいに誓えるほど?」
友雅は、あかねの顔をすくいあげ、その目をじっと見つめた。
迷いのない、まっすぐな視線。「あなたのことを信じる」と言い切ったときと同じ目……。今なら、きっと信じてもらえよう。自分がどれほど本気なのか、どれほど深く愛しているか。
「愛しているよ、あかね。君だけを、これからも守りたい。
こちらの世界に残ってもらえまいか、私のために。君がいると思えばこそ、京をも本気で守れたのだよ。何かに懸命になる心地よさを、私ははじめて知った。君のおかげだ。だから、これからも、私がなげやりにならぬよう、支えてほしい……。」
あかねは、こっくりとうなずいた。友雅はあかねを強く抱きしめた。あかねの頬を幸せなあたたかい涙が伝った……。 (完)
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