★宇都宮のシニア日本語教師★

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★学生時代の思い出★

★大学紛争★


私が、大学へ入学したのは1967年です。
 大学紛争が一番、激しかった頃です。
 私自身は、まったく政治問題に
 関心がなく、当時は「ノンポリ」と
 言われてました。
 考えてみれば、失礼な言葉です。
 当時、全共闘とか言って
 学生運動をいた連中のほとんどは
 会社や官庁にちゃんと入って
 今ごろは「体制側」の代表に
 なっている人も多いでしょう。

 今も、「革命」の意識を
 持っているのは「よど号」関係の
 人たちだけでは・・・・

 まあ、とにかくとして
 大学へ入学はしましたが、
 大学封鎖で半年が休みという事態です。
 当時は「こりゃラッキー!!」と
 思いましたが、今考えると
 「頭に来る!!」
 他に手がなかったのかな・・・
 大学側は・・・

 そのせいで(そうでないかも・・)
 学校に行かなくなり、半年後正常に
 なっても学校へも行かず、留年
 してしまいました。

 まあ、大学時代は軽音楽部に
 入っていたので、その中では
 留年はあたりまえ・・・
 先輩は、今年で8年目という人もいました。

 あの「大学紛争」はなんだったんだろう。
 今もよくわかりません。
 戦後20年が過ぎ、高度成長時代
 の真中で、就職先はいっぱいあり
 生活レベルも年々向上しているなかで
 何を変えたかったんだろう。
 それも、頭がいいと言われた
 人たちが・・・・

 若さのエネルギーをぶつける
 ためだけだったような気がします。
 これらの人達の中に大蔵官僚や
 銀行のトップになった人達がいて、
 その人たちがマネーゲームをして、
 「バブルの崩壊」をさせ
 そのつけを
 我々「ノンボリ」が現在はらわされている
 ような気がしてならないのは
 被害者意識が過剰なんだろうか・・・


★音楽との出会い★


 私が、音楽に興味をもったのは
 中学生のころでした。
 ちょうどビートルズがすごい人気に
 なり、プレスリーも非常に人気が
 ありました。
 ビートルズのレコードを買って
 擦り切れるぐらい何回も聞き
 歌詞を覚えてしまいました。
 今もその曲の歌詞は覚えています。

 そういう中、ラジオでは「9500万人の
 ポピュラー・リクエスト」なる番組が
 あり、毎週投票で順位を競う番組でした。
 私は、毎週ランク表を作っていて
 一生懸命ラジオを聞き取るために
 努力した思い出があります。

 この番組では、アメリカのビルボードの
 ヒット・チャートの発表もあり
 それもいっしょにランク表を
 作ったものです。

 私が、当時好きだったのは、フォーク
 ソングで、ジョーン・バエズや
 ブラザーズフォーの曲を
 宝物のように聞いたものです。

 フォークソングが好きで
 ギターを始めました。
 当時、ギターを買うと最初に
 弾き覚えるのが、「禁じられた遊び」
 と決まっていたようです。
 当然、楽譜が読めませんから
 この曲を弾ける人が、次の人に
 教え、そして次の人というように
 教え続けたものです。

 フォークをギターで弾くためには
 「コード」を覚える必要があり、
 それは、当時「本」で一つ一つ
 覚えて行きました。

 そういう人たちの中から、特に
 音楽的才能がある人たちが
 グループを作り、日本でも
 和製フォークなるものが
 生まれてきました。

 私は、大学へ入りフォークソングを
 したいと思っていたので
 すぐに、軽音楽部に入部しました。
 しかし、その大学の軽音楽部
 には、フォークバンドがなく、
 先輩が「今はないけど、しばらくすると
 できるから、とりあえずカントリーバンド
 に入っておいてくれ」ということで
 カントリーバンドに入っていましたが
 卒業するまで、フォークバンドは
 できませんでした。

 学生時代は、そういうわけで
 音楽といえばポピュラミュージック
 ・ジャズで、流行歌というものを
 とても軽蔑しておりました。

 私も40歳を超える頃には
 美空ひばりの歌がとても
 よくなりましたが、
 大学生時代には、美空ひばりを
 一番軽蔑していました。


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