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2022年9月10日、久しぶりに新宿に行きました。古本屋に行った後、タワーレコード新宿店で河合奈保子さんの棚を必ず見ます。「マスターピース・コレクション~フィーメル・シティポップ名作選(10タイトル同時発売)」のコーナーが設置されてあり、CDを眺めると、とても懐かしかったです。パンフレットに次のメッセージがありました。「世界標準となった日本のシティポップ。桜田淳子、白石まるみ、田中好子、伊藤つかさ、石野真子、荻野目洋子、松本伊代、萬田久子、鷲尾いさ子、高橋ひとみのアルバムの中から、シティポップ作品として評価の高い10作品をピックアップ」ーーーーーーーーーー2022年9月10日東京・タワーレコード新宿店。↓ 河合奈保子さんのCD棚。↓ 河合奈保子さんのDVD棚。ーーーーーーーーーーーーーー「マスターピース・コレクション~フィーメル・シティポップ名作選(10タイトル同時発売)」「世界標準となった日本のシティポップ。桜田淳子、白石まるみ、田中好子、伊藤つかさ、石野真子、荻野目洋子、松本伊代、萬田久子、鷲尾いさ子、高橋ひとみのアルバムの中から、シティポップ作品として評価の高い10作品をピックアップ」ーーーーーーーーーーーー↓ 山下達郎さん。↓ 竹内まりやさん。ーーーーーーーーーーー↓ タワーレコード新宿店。↓ JR新宿駅。
2022.09.22
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河合奈保子さんは、アグネス・チャンさんの「恋の迷い子」を歌ったことがあります。アグネスさんの「恋の迷い子 (歌詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:馬飼野俊一)」は、1974年12月にリリースされました。ーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ アグネス・チャンのものまねで、「愛の迷い子」を歌う奈保子さん。
2022.09.20
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河合奈保子さんは、アグネス・チャンさんの「星に願いを」を歌ったことがあります。アグネスさんの「星に願いを (歌詞:安いかずみ、作曲:平尾正晃、編曲:馬飼野俊一)」は1974年2月に発売されました。ーーーーーーーーー↓ アグネス・チャンさんの「星に願いを」↓ 河合奈保子さんが「星に願いを」を歌う。
2022.09.19
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「あのねのね」が司会をされるヤンヤン歌うスタジオで、「オリビアを聴きながら」に関する河合奈保子さんのコントVTRがありました。河合奈保子さんは西城秀樹の弟・妹コンテストに応募するため、杏里さんの「オリビアを聴きながら」をピアノを弾きながら歌い、カセットテープを募集先に送りました。コントでは、制服を着た奈保子さんが、「デビューするなら、一番大切なあなたと別れないといけない」と言って、後ろ髪をひかれながらも、ケーキやお菓子と別れるという話でした。ーーーーーーーーーーーーヤンヤン歌うスタジオ。あのねのねと河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーー↓ 「オリビアを聴きながら」のコントVTR。↓ 河合奈保子さん。↓ 「オリビアを聴きながら」のカセットテープ。↓ デビューすると、一番大切なあなたと別れなければならないと言う奈保子さん。↓ さようならと言う奈保子さん。↓ 別れることになったケーキやお菓子。↓ 振り返る奈保子さん。↓ 前を向く。↓ 芸能界の門。↓ 芸能界の門を乗り越えて行った奈保子さん。
2022.09.18
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1987年の夜のヒットスタジオで、杏里さんと河合奈保子さんが共演し、2人で「オリビアを聴きながら」を歌いました。当時、お二人の楽しそうに歌う姿を拝見し、とても幸せな気持ちになったのを覚えています。お二人の声は、とても聴きやすいです。河合奈保子さんが芸能界入りのきっかけとなったのが、杏里さんの「オリビアを聴きながら」を奈保子さんがピアノを弾いて歌い、それをテープに吹き込んで、西城秀樹の弟・妹コンテストに申し込んだことでした。私は杏里さんの曲をウォークマンに入れて、奈保子さんの曲と合わせて、毎日聴いています。私が一番好きな杏里さんの歌は、「SURF & TEARS :サーフ・アンド・ティア」です。この曲を聴くと、絶対に戻ってこない青春時代を思い出して、とても懐かしくなります。ーーーーーーーーーーーー↓ 杏里さん。↓ 河合奈保子さん。↓ 杏里さんと河合奈保子さんが「オリビアを聴きながら」を歌う。
2022.09.17
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河合奈保子さんが西城秀樹の妹募集で、ピアノを弾きながら杏里さんの「オリビアを聴きながら」を歌い、テープに録音したものを、募集先に送りました。奈保子さんがその時に送ったテープが、アグネス・チャンさんの「アグネスの音楽に乾杯!」で紹介されましたが、それ以外に、1987年に夜のヒットスタジオでも紹介されました。夜のヒットスタジオで古館伊知郎さんと芳村真理さんが、杏里さんと河合奈保子さんを囲みます。奈保子さんはピアノの椅子に座っています。「オリビアを聴きながら」について古館さんが「(奈保子さんの)大変想い出深い曲でしてね。これは初めてオーディションテープを送った時に、この歌のテープを送ったんだね」と振ると、奈保子さんは「はい、この曲を」と答えます。すると、奈保子さんの応募テープが流れました。それを聴きながら古館さんが「いくつのときだったっけ?」と聞き、奈保子さんは「16歳です」と言いました。「16歳の時、このオーディションテープがきっかけになって、芸能界入りです。その16歳のときの写真が映っています」と古館さんが言うと、画面に初々しい16歳の奈保子さんの写真が映りました。奈保子さんが「やだーっ!」と言うものの、古館さんは「あどけないじゃないですか、可愛いじゃないですか」と褒めていました。芳村さんが「この曲はもちろんのこと、杏里さんの大ファンだったの?」と聞くと、奈保子さんは「この前も武道館のコンサートに行き」と言い、芳村さんが「まるでファンのノリ。で、楽屋まで訪ねちゃったりする」と話すと、杏里さんが「打ち上げも一緒に行きました。でも(奈保子さんは夜)12時前には帰りました」と笑顔で話しました。古館さんは「奇しくも、杏里も16歳でこの歌を受け取って、17歳でデビューした?」と聞き、杏里さんは「そうです」と答えました。古館さんが「いまもう10年近く経っていますけど、この歌」と言うと、杏里さんが「年季入ってますね、この曲」と笑っていました。古館さんが「歌い方も若干変わってくるんじゃない?」と聞くと、杏里さんは「そうですね、ライブのアレンジが少し変わりました」と答えました。古館さんが「これはね、それぞれ絶対青春とともにこの歌を聴いていると思いますよ。僕なんかもね、『ジャスミンティーは眠り誘う薬』とあるが、ガブガブ飲んでどんどん目がさえてしまう事があります。これは覚えがあると思います」と言って、皆の笑いを誘っていました。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 夜のヒットスタジオ。古館伊知郎さん、芳村真理さん、杏里さん、河合奈保子さん。(1987年)↑ 「オリビアを聴きながら」について古館さんが「(奈保子さんの)大変想い出深い曲でしてね。これは初めてオーディションテープを送った時に、この歌のテープを送ったんだね」という。↑ 「はい、この曲を」と答える奈保子さん。↑ 奈保子さんの応募テープが流れた。↑ 思わず笑う奈保子さん。古館さんが「いくつのときだったっけ?」と聞き、奈保子さんは「16歳です」と答えた。↑ 「16歳の時、このオーディションテープがきっかけになって、芸能界入りです。その16歳のときの写真が映っています」と古館さん。奈保子さんは「ヤダーッ!」と叫んだ。古館さんは「あどけないじゃないですか、可愛いじゃないですか」と褒めていた。↑ 芳村さんが「この曲はもちろんのこと、杏里さんの大ファンだったの?」と聞く。奈保子さんは「この前も武道館のコンサートに行き(ました)」と言った。↑ 杏里さんが「打ち上げも一緒に行きました。でも(奈保子さんは夜)12時前には帰りました」と笑顔で話しました。↑ 古館さんは「奇しくも、杏里も16歳でこの歌を受け取って、17歳でデビューした?」と聞き、杏里さんは「そうです」と答えた。↑ 古館さん「これはね、それぞれ絶対青春とともにこの歌を聴いていると思いますよ」↑ 古館さん:僕なんかもね、『ジャスミンティーは眠り誘う薬』とあるが、ガブガブ飲んでどんどん目がさえてしまう事があります。これは覚えがあると思います」
2022.09.16
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有名な話ですが、河合奈保子さんがデビューしたのは、西城秀樹の弟・妹コンテストに応募したことがきっかけです。この時の話は、「夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より/著者:河合奈保子/ワニブックス」の「第一章 奈保子を変えた日」に記載がありますので、一部を紹介します。(P17~18)あれは、おととし(1979年)の12月、最初の日曜日でした。妹とふたりで『ヒデキとこず恵の楽しいデート』を聞いていました。いつもと同じ日曜日の朝で、その番組をたまたま聞いていたんです。そうしたら、”秀樹の弟・妹”を募集しているということ、くわしくは月刊明星と週刊セブンティーンに載っているということでした。すぐに本屋さんに行って、月刊明星を買い、その記事が載っているページをさがしました。まえまえから、歌が好きで歌手を夢見ていたので応募してみようという気になったのです。もちろん、その時は歌手になろうということではなく、試してみようかなっていうくらいの気持ちでした。すぐ、その日のうちにピアノの弾き語りで『オリビアを聴きながら』をテープに入れました。いつも妹とふたりでピアノを弾きながら歌って、それをテープに吹き込んだりしていたので、家の人たちも-またやってるなーぐらいにしか思っていなかったでしょう。今、思えば、月刊明星を読んだのが12月9日で締切が10日だったんです。だから、すぐに吹き込んで送る気になったのかもしれない・・・・、あれが何日も余裕があったら、明日にでもと、のびのびになって、応募してみようという気持ちがなくなっていたかもしれません。書類審査に合格して、大阪地区予選の通知が届いたときは、やっぱりうれしくて・・・・・。ーーーーーーーーーーーーーー「アグネスの音楽に乾杯!」で、河合奈保子さんがデビューのきっかけは、秀樹の妹コンテストで「オリビアを聴きながら」をテープに吹き込んで応募したことと話すと、アグネス・チャンさんが奈保子さんに対して、「じゃあ、その時の声を聞いてみましょう! テープを探してきたんです」と言いました。「エーッ、ホントに?」と奈保子さんは驚き、テープで奈保子さんが当時ピアノを弾く部分が流れると、「キャー、エーッ、恥ずかしい。もうここでいいです!ハイ、ストップ!」と照れていました。そして「オリビアを聴きながら」の歌詞の部分に入ると、当時16歳の奈保子さんの高い歌声が流れてきました。奈保子さんは「どこにあったんですか?このテープ。当時吹き込んでから、初めて聴きました」と言い、「私、小鳥を飼っていたんですね。ベランダにセキセイインコを。多い時は20~30羽いたことがあるんです。よくテープに吹き込んでるときに、ピピピピと(鳥のさえずりが)入ることがありました」と付け加えていました。「親には内緒で(テープを)送ったんです。写真もアルバムを見て、一番きれいに写っていると思うものを、これがいいかなと思って。その頃の(奈保子さんは当時高校1年生だった)写真を送ってくださいと書いてあったんですけど、その頃の写真が一枚も無くて、多分中学校くらいの写真だったと思うんですけど、それを同封して、履歴書も何を書いていいのか分からなかったんで、好きな物などを簡単に付箋に書いて送りました」と奈保子さん。アグネスさんが「でも、どうしてこの曲(オリビアを聴きながら)? あの時色んな曲がいっぱいあったでしょう?」と聞くと、奈保子さんは「そうですね。色んな曲がありましたけど、(「オリビアを弾きながら」が)一番ピアノを弾きながら歌うので好きな曲だったという事もあるし、一番(この曲が)好きだったというのもあります」と答えました。番組ではその後、奈保子さんがピアノを弾きながら、「オリビアを聴きながら」を歌いました。ーーーーーーーーーー↓「夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より/著者:河合奈保子/ワニブックス」ーーーーーーーーーーーーー↓「アグネスの音楽に乾杯!」で河合奈保子さんが出演。↓ アグネス・チャンさんが河合奈保子さんに対して、「じゃあ、その時の声を聞いてみましょう! テープを探してきたんです」と言うと、びっくりの奈保子さん。↓ 「キャーッ」と大騒ぎ。↓「キャー、エーッ、恥ずかしい。もうここでいいです!ハイ、ストップ!」という奈保子さん。↓ ピアノで演奏しながら「オリビアを聴きながら」を歌う奈保子さん。
2022.09.15
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アグネス・チャンさんの番組「アグネスの音楽に乾杯!」で河合奈保子さんが出演しました。番組の途中で、尾崎亜美さんが作り、杏里さんが歌った「オリビアを聴きながら」が流れました。アグネスさんが「これが、奈保子ちゃんの思い出の曲『オリビアを聴きながら』。なんで思い出の曲なんですか?」と聞くと、奈保子さんは「私が歌手になるきっかけとなった曲でもあるんですけど、ラジオを聴いてて、西城秀樹さんの弟と妹を募集するコンテストがあったんですね。それを受けるときにテープ審査があって、その時に吹き込んでいたのが、この『オリビアを聴きながら』だったんです」「じゃあ、自分で伴奏して吹き込んで送ったわけですね」とアグネスさんが聞くと、奈保子さんは「よく家でテープに吹き込んだりして遊んでいたんですけどね。それでそれっぽくね(吹き込んだんです)」と答えました。ーーーーーーーーーーーーーーーー奈保子さんがテープに吹き込んだ「オリビアを聴きながら」ですが、尾崎亜美さんが杏里さんのために作った曲で、1978年11月から杏里さんが歌いました。曲を作るにあたり杏里さんが尾崎さんの家を訪問して話をしたとき、杏里さんがオリビア・ニュートン・ジョンさんのファンだという話が出て、それで「オリビアを聴きながら」という歌になったという有名な話があります。「オリビアを聴きながら」の歌詞のなかで、「Making good things better:メイキング・グッド・シングス・ベター」という言葉がでますが、1977年にオリビアが歌った「Making a Good Think Better」から来ていると思います。ーーーーーーーーーーーーーーー杏里さんと奈保子さんは、番組で共演し、「オリビアを聴きながら」を歌ったことがあります。私は学生の事、杏里さんのレコードをよく聴いていました。今、私の手元にあるのは、杏里さんのレコード「オリビアを聴きながら」、CD「MY FAVORITE SONGS」、「MY FAVORITE SONGS 2」です。素晴らしい曲が目白押しですが、個人的には「SURF & TEARS」と「INNOCENT TIME」がお気に入りです。聴くと、青春の甘酸っぱい思い出が溢れてくる感じです。ーーーーーーーーーーーーーーー奈保子さんは、1985年12月にアルバム「ナイン・ハーフ:NINE HALF」を発表します。この中のA面4曲目の「ファインディン・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」は、デビッド・フォースターさんが作り、奈保子さんはTOTOのスティーブ・ルカサーさんとデュエットしました。その後、この奈保子さんのパートを、奈保子さんが憧れていたオリビア・ニュートン・ジョンさんが吹き込み、そのテープが奈保子さんにプレゼントされました。ーーーーーーーーーーーーーーー尾崎亜美さんは、奈保子さんのために3曲提供しています。「微風のメロディー」、「プリズム・ムーン」、「Birthday Night :バースデー・ナイト」です。「微風のメロディー」は1984年3月に発売されました。「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」には、尾崎亜美さんの事が書かれています。「作詞・作曲は尾崎亜美さん。奈保子がずっとあこがれていたシンガーソングライターなので、歌を提供されて、いちばん喜んでいる奈保子。『ハッピーにハッピーに歌います!』って、とてもはりきっています」「奈保子から新曲についてのメッセージ」「詩と曲が私の大好きな尾崎亜美さん! もう嬉しくて!前にLPに書いていただいたことがあるんですが(曲:Birthday Night)、まさかシングルで歌えるとは思っていなかったので、私自身も大はりきり!(笑)前から亜美さんの『オリビアを聴きながら』や『地中海ドリーム』は大好きだったので、『微風のメロディー』もとまどうことなくレコーディングすることができました。レコーディングと言えば、スタジオに亜美さんが来てくださって、嬉しかったなー! そのとき亜美さん仔犬を2匹連れてきたんです。ともすれば緊張感あふれるスタジオも、亜美さんと仔犬のおかげで、とても明るい雰囲気の中でレコーディングすることができました。だからレコード聴いていただくとわかると思いますが、私自身、すごくハッピーに歌っているでしょう?春一番の新曲、よろしくお願い致します!」雑誌の切り抜きにも「微風のメロディー」の記載がありました。「出だしの部分が難しいんです。作家の尾崎亜美さんが3回も立ち会ってくださって、親切に歌唱指導をしてくださいました。大ファンだったので、うれしさいっぱいです」ーーーーーーーーーーーーーーーー「ディスク・コレクション 日本の女性シンガー・ソングライター/監修:長井英治/シンコーミュージック・エンタテイメント/2013年4月16日初版発行」には、尾崎亜美さん、杏里さん、河合奈保子さんがぞれぞれシンガー・ソングライターとして詳しく紹介されています。私は、尾崎さん、杏里さん、奈保子さん、そしてオリビア・ニュートン・ジョンさんがつながっている事が、とても嬉しいです。ーーーーーーーーーー↓ アグネス・チャンさんの番組「アグネスの音楽に乾杯!」で河合奈保子さんが出演。↓ 番組で、杏里さんの歌う「オリビアを聴きながら」が流れる。↑「私が歌手になるきっかけとなった曲でもあるんですけど、ラジオを聴いてて、西城秀樹さんの弟と妹を募集するコンテストがあったんですね。それを受けるときにテープ審査があって、その時に吹き込んでいたのが、この『オリビアを聴きながら』だったんです」↑「じゃあ、自分で伴奏して吹き込んだわけですね」↑「よく家でテープに吹き込んだりして遊んでいたんですけどね。それでそれっぽくね(吹き込んだんです)」ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 私が持っている、尾崎亜美さんのCD。「POINTS」、 「POINTS 2」。「POINTS 2」には、奈保子さんに提供した「微風のメロディー」のセルフカバーが入っている。ーーーーーーーーーーーーーー私が持っている、杏里さんのレコード「オリビアを聴きながら」、CD「MY FAVORITE SONGS」、「MY FAVORITE SONGS 2」。↓ 杏里さんのレコード「オリビアを聴きながら」↓ CD「MY FAVORITE SONGS」、「MY FAVORITE SONGS 2」。↓ CD「MY FAVORITE SONGS」↓ 杏里さん「オリビアを聴きながら」ーーーーーーーーーーーーーーーーー1984年3月に発売された、河合奈保子さんの16枚目のシングルレコード。①A面「微風のメロディー 作詞、作曲:尾崎亜美、編曲大村雅朗」②B面「プリズムムーン 作詞、作曲:尾崎亜美、大村雅朗」↓ 1983年7月に、奈保子さんの20歳の誕生日を記念して発売されたアルバム「ビューティフル・デイ↓ 1曲目「Birthday Night 作詞・作曲:尾崎亜美、編曲:鷺巣詩郎」ーーーーーーーーーーーーーーー↓「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↓ 微風のメロディーの紹介。↓ 雑誌の切り抜きから。「微風のメロディー」の紹介。ーーーーーーーーーー↓「ディスク・コレクション 日本の女性シンガー・ソングライター/監修:長井英治/シンコーミュージック・エンタテイメント/2013年4月16日初版発行」↓ 索引に杏里さん、尾崎亜美さん、河合奈保子さんの紹介ページの記載がある。↓尾崎亜美さんがアイドルに提供した曲の紹介がある。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ オリビア・ニュートン・ジョンさん。sann
2022.09.14
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アグネス・チャンさんの番組「アグネスの音楽に乾杯!」で河合奈保子さんが出演し、オルガン、ピアノの話になりました。アグネスさんが「小さい時から音楽は好きだったの?」と聞くと、奈保子さんは「そうですね。とにかく音の出る物というか、楽器が好きで、何でも音の出る物に興味を持ったらしいんですね。一番最初に興味を持ったのがオルガンで、家に古い小さいオルガンがあって、母はあまり歌が上手じゃないからと言って歌わないんですけど、うちの父は結構好きなんですよね。小さい頃は古い懐メロのある本を自分で買ってきて、弾けなんて言っちゃって。私が伴奏して、お父さんが歌ったりとかね」と話しましした。アグネスさんが「どんなレパートリーなんですか?」と質問し、「当時私が全然知らない歌で、例えばフランク長井さんの曲とか」と答えていました。「オルガンじゃ、小さいでしょ」とアグネスさんが振ると、奈保子さんが「段々弾いていると、大きなものが欲しくなってきて、小学校の時に、欲しいな欲しいなと、それとなく言っていたと思うんですよね。すると、小学校1年生の時のクリスマスに、両親から私と妹の二人のためにという形で」と言いました。アグネスさんが「ピアノを買ってもらった。すごい!」と言い、奈保子さんも「もう、すごく嬉しくてね」と笑顔で話していました。ーーーーーーーーーーー「別冊近代映画 河合奈保子特集号/近代映画社/昭和56年(1981年)1月15日発行」には、奈保子さんが大阪の実家に帰った時の写真があります。その中に、部屋に置いてあるピアノと奈保子さんが写っています。また、p66からは「河合奈保子生い立ちマンガストーリー/構成:中西カズ/画:レイ・ナ」の漫画があり、オルガンとピアノのコマがありました。p68「もしかしたら音楽の才能があるかもしれないと感じた両親は、奈保子が3才のときにオルガンを買い与えた。彼女はテレビで覚えたメロディーを片端から弾き、そして大声でうたった」p71「両親からのすばらしい贈り物(ピアノ)にがぜんハッスルした奈保子は、幼稚園から習っている子達を追い抜き、わずか10ヶ月ほどでバイエルを卒業するほどの進歩ぶりを示した」ーーーーーーーーーーーーーー↓ 「別冊近代映画 河合奈保子特集号/近代映画社/昭和56年(1981年)1月15日発行」奈保子さんが大阪の実家に帰った時の写真。↓p66「河合奈保子生い立ちマンガストーリー/構成:中西カズ/画:レイ・ナ」の漫画。↓ p68「もしかしたら音楽の才能があるかもしれないと感じた両親は、奈保子が3才のときにオルガンを買い与えた。彼女はテレビで覚えたメロディーを片端から弾き、そして大声でうたった」↓ p71「両親からのすばらしい贈り物(ピアノ)にがぜんハッスルした奈保子は、幼稚園から習っている子達を追い抜き、わずか10ヶ月ほどでバイエルを卒業するほどの進歩ぶりを示した」↓ 「別冊近代映画 河合奈保子特集号/近代映画社/昭和56年(1981年)1月15日発行」ーーーーーーーーーーーーー↓ アグネス・チャンさんと河合奈保子さん。↑ 一番最初に興味を持ったのがオルガンで、家に古い小さいオルガンがあって、母はあまり歌が上手じゃないからと言って歌わないんですけど、うちの父は結構好きなんですよね。小さい頃は古い懐メロのある本を自分で買ってきて、弾けなんて言っちゃって。私が伴奏して、お父さんが歌ったりとかね。↑ 話を聞いて笑うアグネス・チャンさん。↑ アグネスさんが「オルガンじゃ、小さいでしょ」と言う。↑「段々弾いていると、大きなものが欲しくなってきて、小学校の時に、(ピアノを)欲しいな欲しいなと、それとなく言っていたと思うんですよね。すると、小学校1年生の時のクリスマスに、両親から私と妹の二人のためにという形で」と言った。↑ アグネスさんが「ピアノを買ってもらった。すごい!」と言い、奈保子さんも「もう、すごく嬉しくてね」と笑顔で話していた。
2022.09.13
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アグネス・チャンさんの番組「アグネスの音楽に乾杯!」で、河合奈保子さんがゲストとして出演し、テロップで、次の紹介文が流れました。「河合奈保子さん・・・大阪生まれ。22歳。1955年『大きな森の小さなお家』でデビューし、レコード大賞新人賞など受賞。以後、多くのヒット曲に恵まれ、幅広いファンを獲得。(1986年)4月には新曲『涙のハリウッド』をリリース」番組では、奈保子さんが高校1年のクラブで練習していたマンドリンの話になりました。アグネスさんが「マンドリンをやってた」と振ると、奈保子さんが「そうです。高校1年生の時に1年間クラブでやってました」と話しました。アグネスさんが「あの学校は、マンドリンで有名だったんでしょ」と言うと、奈保子さんが「そうですね、それもあったんですけど、マンドリンの音色がとても好きで、やってみたいなと思っていて。私は1年生だったので、3年生、2年生、1年生と並び、その一番隅っこの方で、マンドリンをジリジリと弾いていました」と話しました。奈保子さんが少しマンドリンを弾いた後、「一人で弾くと、暗いイメージがあるんですけど、何十人も何百人も集まってやると、ものすごい、感動ものです」と説明していました。ーーーーーーーーーーーー↓ アグネス・チャンさんと河合奈保子さん。↑ 奈保子さんの手には、マンドリン。↑ テロップで、奈保子さんの紹介文が流れる。↑ 「マンドリンの音色がとても好きで、やってみたいなと思っていて。私は1年生だったので、3年生、2年生、1年生と並び、その一番隅っこの方で、マンドリンをジリジリと弾いていました」↑ 「一人で弾くと、暗いイメージがあるんですけど、何十人も何百人も集まってやると、ものすごい、感動ものです」と奈保子さん。
2022.09.12
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1986年4月、「アグネスの音楽に乾杯」で、河合奈保子さんが出演されました。アグネス・チャンさんが奈保子さんを紹介するとき、「今年7年目と聞いてびっくりしました。つい最近デビューした、あの可愛い子だったんだけど、本当に7年経つんですかという感じなんですけど。とても可愛い方です。どうぞ。河合奈保子さんです」と言いました。番組でアグネスさんが「私はデビューして14年目ですから」と言うと、奈保子さんは「私が小学校の事、アグネスさんが大好きで。私は大阪なんですけどね、PLランドっていうところがあって、(アグネス・チャンさんを)見に行ったこともあります」と話しました。アグネスさんは、「こんなにちっちゃい時ですね。でも嬉しいですね。こんなちっちゃい可愛い子が、こんなに大きい可愛い子になりました」と笑顔で言いました。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ アグネス・チャンさん。↓ アグネス 音楽に乾杯。↑「今年7年目と聞いてびっくりしました。つい最近デビューした、あの可愛い子だったんだけど、本当に7年経つんですかという感じなんですけど」と話すアグネスさん。↑ 河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さんの新曲「涙のハリウッド (作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、作曲:萩田光雄)」が流れる。↑ アグネス・チャンさんと河合奈保子さん。↑「私が小学校の事、アグネスさんが大好きで」と話す奈保子さん。↑ 嬉しそうなアグネスさん。↑ 「私は大阪なんですけどね、PLランドっていうところがあって、(アグネスさんを)見に行ったこともあります」と話す奈保子さん。↑ 恥ずかしがるアグネスさん。
2022.09.11
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アグネス・チャンさんは、1972年に「ひなげしの花 (作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一)」でデビューしました。そして、翌年には「草原の輝き(作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:馬飼野俊一)」が発売され、日本レコード大賞・新人賞を受賞します。当時、私は小学2年生でしたが、テレビで「ひなげしの花」を歌うアグネス・チャンさんの初々しさ、そして香港から日本に来て、日本語の曲を歌う姿に驚きました。河合奈保子さんは、1980年6月に「大きな森の小さなお家 (作詞:三浦徳子、作曲・編曲:馬飼野康二)」でデビューしました。同年6月30日に夜のヒットスタジオで、奈保子さんは「大きな森の小さなお家」を歌いました。その姿、笑顔、歌い方がとても初々しく、心に深く残りました。私にとって、1972年のアグネス・チャンさん、そして1980年の河合奈保子さんのデビュー当時の姿が、重なって見えます。ーーーーーーーーー「昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人/平尾昌晃/廣済堂新書」p172~175に、平尾昌晃さんがアグネス・チャンさんの事を詳しく書かれていますので、一部を紹介します。(p172)あれは、いつだったか。香港・台湾洋上セミナーというイベントに招待され、総勢16人で香港に着いた時のことだ。「さあ、香港だ。うまい料理でも食べようか」と下船したら、「平尾さん、お客様がお待ちです」と言う。誰だと思ったら、アイリーンだった。アイリーン(アグネス・チャンさんのお姉さん)という子は、一時期、日本でレコードを何枚も出した香港の美人女優兼歌手で、素敵なスターだった。(そうか、そう言えば、今度、香港に行くって、彼女に話したっけ)彼女はそれを覚えていて、僕を迎えにきたのだ。「平尾さん、妹が待っています。会ってください」~(p137)僕がアイリーンに連れていかれたのは、小さなスタジオだった。そこで「アグネス・ワールド」というテレビ番組をやっていた妹に会った。それがまだ14歳のアグネス・チャンだった。DJの真似事かと思ったのは、彼女のラジオ番組だった。当時、アグネスは香港で歌手デビューを果たした人気アイドルだった。しかし、僕はそれも知らなかった。アグネスは「いま、日本から平尾昌晃さんがスタジオに来てくれました。ちょっとお話をうかがいましょう」などと言い、僕を出演させた。そんなこと、聞いていないと思いつつ、はじめてアグネスと言葉を交わした。まだ、14歳なのに、素晴らしいタレント性だった。~(p174)僕は驚いた。なんという高音の伸びなのだろう。しかも発音も素晴らしく、いつの間にか、まだ少女の彼女に魅せられてしまっていた。なみなみならぬタレント性を僕は長年のカンで感じとったのだ。番組の収録が終わり、アイリーンとアグネスと食事をした。そして彼女の屈託ない笑顔を見た時、「この子は、日本でもきっとアイドルになる」と確信した。そうして彼女は来日をした。ーーーーーーーーーーーー「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 PART2 GS、中3トリオ、新御三家からピンク・レディーまで!/近代映画社/平成12年1月10日発行」(P74) アグネス・チャンさんの紹介があります。香港生まれ。1969年に母国で歌手デビュー。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。「草原の輝き」「ポケットいっぱいの秘密」などのヒット曲でアイドルになる。1978年トロント大学に入学し芸能活動を中止したが、卒業後は日本でテレビレポーター、司会などで活躍。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ ひなげしの花を歌う、初々しいアグネス・チャンさん。ーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 1980年6月30日、夜のヒットスタジオで「大きな森の小さなお家」を歌う、初々しい河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーー「昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人/平尾昌晃/廣済堂新書」p172~175にアグネス・チャンさんの事が書かれている。ーーーーーーーーーーーーー「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 PART2 GS、中3トリオ、新御三家からピンク・レディーまで!/近代映画社/平成12年1月10日発行」P74にアグネス・チャンさんの紹介がある。
2022.09.10
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河合奈保子さんのレコード「Naoko in Consert :奈保子・イン・コンサート」(カナリーコンサート Part 2 日本青年館ホール 1982年1月6日ライブ音源」が、1982年2月25日に発売されました。このレコードの3曲目は、オリビア・ニュートン・ジョンの曲「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow:ハブ・ユー・ネバー・ビーン・メロウ)」で、奈保子さんが歌いました。奈保子さんのCDコレクション(JEWEL BOX 2 :ジュエルボックス2)に、このレコードの解説があるので、次に紹介します。「1982年の新春カナリー・コンサートの模様を録音した2作目のLIVEアルバム。本作は、前年10月に起きた転落事故での2ヵ月におよぶ入院およびリハビリ後の活動ということもあって、ファンの声援も奈保子のMCも歌唱も物凄く力がこもっている。それでも『鳥の詩』の大陸系の民謡のようなメロディーを持ち歌のように丁寧に歌ったり、『そよ風の誘惑』では自身の録音物では初めてであろうファルセットを多用したりと、LIVEならではの選曲で新たな発見もある。シングル曲で親衛隊が絶叫するのも聴きどころだが、圧巻は『愛の二人の腕の中で』。歌い始めは、サビの部分でも奈保子コールが少なかったが、クライマックスに向けてどんどんエスカレートしていて、男女問わず奈保子ファンの熱い想いがひしひしと伝わってくる。これを聴くと、彼女が異例の早さで復帰できたのは、単なる音楽ビジネスへの周囲の思惑というよりも、彼女自身が本当に復帰して歌いたいという強い願いがあったからだと納得できる。オリコン最高位7位、TOP10内1週チャートイン」ーーーーーーーーー「オリビア・ニュートン・ジョン自伝 信じることをやめないで D'ont Stop Believin' /著者:オリビア・ニュートン・ジョン/翻訳:中川泉/シンコーミュージックエンタテイメント/2022年6月7日初版発行」に、「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow」について記載があり、一部を紹介します。p94「1974年までには、パットとジョンのファーラー(John Farrar)夫妻がロサンゼルスへと引っ越してきていたから、親友がすぐ近くにいることを、私はとても喜んだ。そんなある日、ジョンが電話をしてきて、私に曲を書いたという。それが『そよ風の誘惑』で、素晴らしい曲だった。これは、1975年にアメリカでMCAレコードからリリースされる私のニューアルバムのタイトルにもなった。くつろいだ気分になったことはないの?自分の中に安らぎを見いだそうとしたことはないの?好きな曲を耳にするだけで幸せを感じたことはないの?誰かを励まそうとしたことも?この曲はチャートのトップまで駆け上がり、またもやゴールドディスクに認定された。アルバムも100万枚以上を売り上げてゴールドになった」ーーーーーーーーー奈保子さんのコンサートレコードにある「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow:ハブ・ユー・ネバー・ビーン・メロウ)」ですが、作:ジョン・ファーラー(John Farrar)、訳詞:小谷野和雄、編曲:神林早人です。訳詞は、原曲の詩と比較すると全く内容が違っており、とても興味深いです。完全に奈保子さんのために作詞された感じです。サビの部分を比較します。①原曲の詩Have you never been mellowHave you never tried to find a comfort from insideHave you never been happy just to hear your songHave you never let someone else be strong.② 中川泉さん訳詩 (オリビア・ニュートン・ジョン自伝 翻訳者)くつろいだ気分になったことはないの?自分の中に安らぎを見いだそうとしたことはないの?好きな曲を耳にするだけで幸せを感じたことはないの?誰かを励まそうとしたことも?③ 小谷野和雄さん訳詩 (奈保子・イン・コンサート レコード)あなたへの愛を 大事に育てる大切な人よ白いドレス着て 愛の夢結ぶその日がくるのを待つわーーーーーーーーーーーーーーーーーレコード「Naoko in Consert :奈保子・イン・コンサート」(カナリーコンサート Part 2 日本青年館ホール 1982年1月6日ライブ音源」1982年2月25日発売より。↓ レコード「Naoko in Consert :奈保子・イン・コンサート」(カナリーコンサート Part 2 日本青年館ホール 1982年1月6日ライブ音源」1982年2月25日発売より。↓ レコードA面3曲目はオリビア・ニュートン・ジョンの曲「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow:ハブ・ユー・エバー・ビーン・メロウ)」で、奈保子さんが歌った。↓ レコードの付録。奈保子さんのカラーポスター。 裏側も、奈保子さんの写真がいっぱい。↓ レコードにあった、奈保子さんのメッセージ。↓ 3曲目がオリビアの「そよ風の誘惑」↓ 奈保子さんのコンサート用の歌詞。オリビアの原曲詩とは内容が違っており、初々しい愛を歌っている。ーーーーーーーーーーーーー「オリビア・ニュートン・ジョン自伝 信じることをやめないで D'ont Stop Believin' /著者:オリビア・ニュートン・ジョン/翻訳:中川泉/シンコーミュージックエンタテイメント/2022年6月7日初版発行」ーーーーーーーーーーーー↓ オリビア・ニュートン・ジョンのコンサート。↓ オリビアが、「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow 」を作ったジョン・ファーラー(John Farrar)を紹介した。↓ ジョン・ファーラー(John Farrar)↓ オリビア・ニュートン・ジョンとジョン・ファーラー↓ オリビアが「そよ風の誘惑:Have You Never Been Mellow 」を歌った。
2022.09.09
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河合奈保子さんは1982年10月17日、東京・芝・郵便貯金ホールでコンサートを行い、その音源が入ったレコード「BRILLIANT :ブリリアント」が、1982年11月に発売されました。A面2曲目は、オリビア・ニュートン・ジョンの曲「Xanado :ザナドゥ」(作詞・作曲:Jeff Lynne、訳詞:小谷野宣子、編曲:服部克久、神林早人)で、奈保子さんが歌っています。↓ 河合奈保子さん。↓ オリビア・ニュートン・ジョン。↓河合奈保子さんは1982年10月17日、東京・芝・郵便貯金ホールでコンサートを行い、その音源が入ったレコード「BRILLIANT :ブリリアント」が、1982年11月に発売された。↓ A面2曲目は、オリビア・ニュートン・ジョンの曲「Xanado :ザナドゥ」(作詞・作曲:Jeff Lynne、訳詞:小谷野宣子、編曲:服部克久、神林早人)で、奈保子さんが歌っている。↓2曲目:「Xanado :ザナドゥ」(作詞・作曲:Jeff Lynne、訳詞:小谷野宣子、編曲:服部克久、神林早人)↓ 「ブリリアント」は、服部克久さん、神林早人さんが音楽担当をされた。
2022.09.08
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1980年に映画「ザナドゥ」が公開されました。オリビア・ニュートン・ジョンやジーン・ケリーが出演したミュージカル映画です。中国元皇帝の初代皇帝フビライ・ハンが設けた夏の都「ザナドゥ」にちなみ、音楽の殿堂「ザナドゥ」が作られます。その場所で皆がローラースケートで会場を回り、歌い、踊ります。そしてミューズ役のオリビアが現れる有名な場面があります。オリビアの歌う「ザナドゥ」が流れました。1981年4月、NHK「レッツゴーヤング」で、松田聖子さんと河合奈保子さんが、ザナドゥを歌いました。途中から2人の立っている舞台が上がっていきます。そしてその周りをダンサーたちが飛びならが走ります。映画「ザナドゥ」で、大俳優ジーン・ケリー達が、ローラースケートで走り回るシーンがありますが、それをイメージした動きではないかと思います。松田聖子さんと河合奈保子さんの歌う「ザナドゥ」は、聴いていてとても気持ち良く、笑顔や仕草が初々しくて、楽しい気持ちになります。ーーーーーーーーーレッツゴーヤング。「ザナドゥ」↓ 松田聖子さん。↓ 河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんと松田聖子さん。↓ 河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんと松田聖子さんの場所のステージが上がっていく。ダンサーが飛んで走って行く。映画「ザナドゥ」の中で、ジーン・ケリーとダンサーたちが、ローラースケートで走るシーンに似ている。ーーーーーーーーーーーーー↓ 映画「ザナドゥ」のオリビア・ニュートン・ジョン。↓ 映画「ザナドゥ」で俳優ジーン・ケリーやダンサーたちが、ローラースケートで音楽の殿堂「ザナドゥ」の会場を走り回るシーン。
2022.09.07
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河合奈保子さんの楽しいエピソードは沢山ありますが、私が特に気に入っているのは、奈保子さんが憧れるオリビア・ニュートン・ジョンが、奈保子さんの曲を歌い、そのテープが奈保子さんにプレゼントされた話です。奈保子さんはアメリカ・ロサンゼルスにて2回目のレコーディングを行い、1985年12月にアルバム「ナイン・ハーフ:NINE HALF」を発表しました。このA面4曲目は「ファインディング・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」で、詩、曲、編曲はデビッド・フォースターが担当し、奈保子さんとTOTOのスティーブ・ルカサーがデュエットをしています。この奈保子さんのパートを、奈保子さんが憧れていたオリビア・ニュートン・ジョンが歌い、そのテープが、奈保子さんにプレゼントされました。夜のヒットスタジオで古館伊知郎さんと芳村真理さんが司会をされていた時、奈保子さんが出演し、この話題になりました。古館さんが「奈保子ちゃんがこの頃、宝物にしている事があると聞いたんですけれど」と切り出すと、奈保子さんが「はい。カセットテープです。この前ロサンゼルスでレコーディングをしてきたんですけれども、そのアルバムの中に入っている1曲で、スティーブ・ルカサーさんとのデュエット曲があるんですね。そのデモテープを、憧れのオリビア・ニュートン・ジョンが歌って下さったんです」と話しました。古館さんが「奈保子ちゃんの代わりに、オリビア・ニュートン・ジョンが!」と言うと、奈保子さんの曲「ファインディング・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」で、奈保子さんのパートをオリビア・ニュートン・ジョンが歌っているテープが流れ始めました。テープの曲を聴きながら、古館さんが「オリビアを聞きながら。まさしく。テープを送ってくれた」と言い、芳村さんが「もう、宝物ね、奈保子ちゃんのために」と話すと、奈保子さんが「はい。宝物です」と笑顔いっぱいでした。奈保子さんはその後、番組で「スルー・ザ・ウィンドウ:THROUGH THE WINDOW」を歌いました。ーーーーーーーーーーーーー夜のヒットスタジオに出演した河合奈保子さん。↓ 司会の古館伊知郎さん、芳村真理さん、そして河合奈保子さん。↓ 古館さんが「奈保子ちゃんがこの頃、宝物にしている事があると聞いたんですけれど」と切り出す。↓「はい。カセットテープです。この前ロサンゼルスでレコーディングをしてきたんですけれども」↓「そのアルバムの中に入っている1曲で、スティーブ・ルカサーさんとのデュエット曲があるんですね」↓「そのデモテープを、憧れのオリビア・ニュートン・ジョンが歌って下さったんです」↓ 古館さんが「奈保子ちゃんの代わりに、オリビア・ニュートン・ジョンが!」と言うと、会場にテープの歌が流れた。↓ オリビアの声を聴きながら、うれしそうな奈保子さん。↓芳村さんが「もう、宝物ね、奈保子ちゃんのために」と話す。↓「はい。宝物です」と答える奈保子さん。ーーーーーーーーーーー1985年12月に発売された、奈保子さんのアルバム「ナイン・ハーフ:NINE HALF」。↓ A面4曲目が「ファインディング・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」で、詩、曲、編曲はデビッド・フォースター、そして奈保子さんとTOTOのスティーブ・ルカサーがデュエットをしている。ーーーーーーーーー↓ デビッド・フォースターと奈保子さん。↓ TOTOのスティーブ・ルカサー。↓ オリビア・ニュートン・ジョン。
2022.09.06
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河合奈保子さんのアルバム「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」は、奈保子さんが初めてロサンゼルスで制作した作品で、1984年8月に発売されました。当時私は大学1年生で、夏休みは自動車教習所に通っていました。免許の取得後に奈保子さんのアルバム「デイドリーム・コースト」を購入し、カセットテープにダビングし、車を運転しながらずっとカセットを聞いていました。とにかく、それまでのアルバムと全く違う、アメリカの音楽がそこにありました。車で運転しながら聴くと、まるで自分もアメリカ西海岸のハイウェーをドライブしているような気持になり、爽快感いっぱいでした。アルバムの参加者を見ると、デビッド・フォースター、ジェフ・ポーカロ、マイク・ポーカロ、ビル・チャンプリン、ピーター・セテラ、パウリーニョ・ダ・コスタ、ラルフ・ジョンソンなど、有名どころがいっぱいで、驚くとともに、奈保子さんが曲の世界に自然に溶け込んでおり、全く違和感なく、奈保子さんの歌声を楽しむことができます。アルバム「DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)のB面2曲目「LOVE ASSISTANT:ラブ・アシスタント」ですが、河合奈保子さんと「シカゴ」のピータ・セテラがデュエットをしています。初めて聴いた瞬間、この曲が大好きになりました。私が描いていた西海岸のイメージそのままの歌です。個人的には、私が選んだ奈保子さんのベスト3の2番目の曲です。ピーター・セテラは、アメリカのロックバンド「シカゴ」のメンバーです。1982年にデビッド・フォースターが楽曲監督として「シカゴ」に参加し、人気が上がります。ピーター・セテラとデビッド・フォースターが作った「素直になれなくて:Hard to say I'm sorry」は全米1位になり、大ブレイクしました。ところが、激務で家族との時間が取れないなどの理由で、1985年にピーターは「シカゴ」と脱退しました。その後、ピーターは、1987年に市川崑監督作品「竹取物語」の主題歌「ステイ・ウィズ・ミー:STAY WITH ME」を歌い、オリコン1位になりました。ちなみに、アルバム「DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)のA面3曲目「LIVE INSIDE YOUR LOVE:リブ・インサイド・ユア・ラブ」ですが、河合奈保子さんとデビッド・フォースターがデュエットをしています。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんのアルバム「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)↓ アルバム「DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)のB面2曲目「LOVE ASSISTANT:ラブ・アシスタント」ですが、河合奈保子さんと「シカゴ」のピータ・セテラがデュエットをしています。↓ アルバム「DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)のA面3曲目「LIVE INSIDE YOUR LOVE:リブ・インサイド・ユア・ラブ」ですが、河合奈保子さんとデビッド・フォースターがデュエットをしています。ーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんとデビッド・フォースター。ーーーーーーーーーー↓ デビッド・フォースター。↓ デビッド・フォースターとピーター・セテラ。↓ ピアノを弾くデビッド・フォースターと、歌を歌うピーター・セテラ。↓ ピーター・セテラ。↓ デビッド・フォースターとピーター・セテラ。
2022.09.05
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1987年9月、東映映画・市川崑監督作品「竹取物語」が封切られたので、映画館で見ました。主人公のかぐや姫は、女優の沢口靖子さんが演じました。十二単を着た沢口靖子さんは、本当に美しかったです。映画の役者の衣装代は、2億5千万円したそうです。この映画の主題歌は、ピーター・セテラの「ステイ・ウィズ・ミー:STAY WITH ME」です。サビが耳に残り、当時は何度も聴きました。ピーターセテラは、アメリカのロックバンド「シカゴ」のメインボーカルを務めたことがあります。デビッド・フォースターが「シカゴ」のプロデューサーとして参加した後に大ブレイクし、1982年には「素直になれなくて:Hard to say I'm sorry」が、全米シングルチャート1位になります。その後、1985年にピーターはシカゴを脱退します。1987年10月には、日本で「STAY WITH ME」がオリコン1位となりました。ーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんは、ピーター・セテラ、デビッド・フォースター、そしてスティーブ・ルカサー、オリビア・ニュートン・ジョンと接点があります。河合奈保子さんがロサンゼルスで初めて制作したアルバム「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)ですが、B面2曲目で私のお気に入りの「LOVE ASSISTANT :ラブ・アシスタント」は、奈保子さんとピーター・セテラがデュエットしています。また、A面3曲目の「LIVE INSIDE YOUR LOVE : リブ・インサイド・ユア・ラブ」は、奈保子さんがデビッド・フォースターとデュエットしています。デビッド・フォースターは複数の歌の編曲もしています。奈保子さんがロスで2回目に制作したアルバム「ナイン・ハーフ:NINE HALF」(1985年12月発売)ですが、A面4曲目の「ファインディング・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」は、デビッド・フォースターが作詞・作曲・編曲を行い、 TOTOのスティーブルカサーと奈保子さんがデュエットしています。そして、この曲の奈保子さんのパートを、オリビア・ニュートン・ジョンが歌い、そのテープが奈保子さんにプレゼントされました。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 沢口靖子さん。1987年9月 映画「竹取物語」より↓ ピーター・セテラさん。「竹取物語」のテーマ曲「STAY WITH ME」を歌った。↓ 映画館で購入した「竹取物語」のパンフレット。↓ 竹取物語の沢口靖子さん。ーーーーーーーーーー総衣装代が2億5千万円。↑ 沢口靖子さん。かぐや姫の役。十二単の美しい姿。↑ 石坂浩二さん。帝の役。↑ 三船敏郎さん。 竹取の造の役。↑ 若尾文子さん。 竹取の造の妻。↑ 円盤で月に戻るかぐや姫。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。河合奈保子さんがロサンゼルスで初めて制作したアルバム「デイドリーム・コースト:DAYDREAM COAST」(1984年8月発売)ですが、B面2曲目で私のお気に入りの「LOVE ASSISTANT :ラブ・アシスタント」は、奈保子さんとピーター・セテラがデュエットしています。また、A面3曲目の「LIVE INSIDE YOUR LOVE : リブ・インサイド・ユア・ラブ」は、奈保子さんがデビッド・フォースターとデュエットしています。デビッド・フォースターは複数の歌の編曲もしています。↓ 河合奈保子さん。奈保子さんがロスで2回目に制作したアルバム「ナイン・ハーフ:NINE HALF」(1985年12月発売)ですが、A面4曲目の「ファインディング・イーチ・アザー:FINDING EACH OTHER」は、デビッド・フォースターが作詞・作曲・編曲を行い、 TOTOのスティーブルカサーと奈保子さんがデュエットしています。そして、この曲の奈保子さんのパートを、オリビア・ニュートン・ジョンが歌い、そのテープが奈保子さんにプレゼントされました。
2022.09.04
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2022年9月2日、テレビ朝日のMステ(ミュージック・ステーション)で、「平成生まれ1000人に聞いた! 今聴くべき! 80年代女性アイドルソング BEST15」が放送されました。番組の予告を見た時、河合奈保子さんの映像が全くなかったので、奈保子さんの紹介はないだろうと思っていましたが、妻が番組を見始めたので、私もつられて見ました。結論としては、アイドルベスト15の中に、河合奈保子さんの映像はありませんでした。しかし、番組の中で流れた映像の中に、奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」、「ムーン・ライト・キッス」のレコードが置いてあったり、レコード店の店員さんの後ろに、奈保子さんの「夏のヒロイン」のレコードが飾ってあるのに気が付きました。また、ベスト15の曲で、次の歌を紹介するときに、河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」のイントロ部分が毎回流れていたと思いました。番組を録画していないので検証できないのですが、多分「スマイル・フォー・ミー」のイントロだと思います。(もし間違っていたら、すみません)ーーーーーーーーーーーーーー2022年9月2日、テレビ朝日のMステ(ミュージック・ステーション)「平成生まれ1000人に聞いた! 今聴くべき! 80年代女性アイドルソング BEST15」画面右上は、工藤静香さん。↓ 新宿ディスクユニオン昭和歌謡館での、若者へのインタビュー。画面右下「コレクションの一部」に、河合奈保子さんのレコードが見える。↓ 河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」、「ムーン・ライト・キッス」のレコード。ーーーーーー↓ 私が持っている、河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」シングルレコード。↓ 私が持っている、河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」シングルレコード。↓ 新宿ディスクユニオン昭和歌謡館。店員さんの後ろに、河合奈保子さんの「夏のヒロイン」のシングルレコードがある。↓ 河合奈保子さんの「夏のヒロイン」シングルレコード・髪型と輪郭で、すぐに奈保子さんだと分かった。↓ 私が持っている河合奈保子さんの「夏のヒロイン」シングルレコード。ーーーーーーーーーーーー「平成生まれ1000人に聞いた! 今聴くべき! 80年代女性アイドルソング BEST15」一部を紹介します。↓ 原田知世さん。↓ 森高千里さん。↓ 上白石萌音さん。↓ 松田聖子さん。↓ 小泉今日子さん。↓ 松本伊代さん。↓ 浅草のマルベル堂。ブロマイドの聖地。↓ 斉藤由貴さん。↓ 斉藤由貴さんと太田裕美さん。↓ 斉藤由貴さん。↓ 太田裕美さん。↓ 松田聖子さん。↓ 小泉今日子さん。↓ 中森明菜さん。↓ Wink↓ 荻野目洋子さん。↓ 松田聖子さん。
2022.09.02
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2022年8月27日(土)、テレビ朝日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」で、「昭和の伝説的アイドルベスト20 2時間半スペシャル」が放送されました。平均15歳の博士ちゃんたちが選んだ、昭和のアイドルベスト20の中で、河合奈保子さんが16位として紹介されていました。清純派歌手とされた河合奈保子さんですが、1972年に歌った「けんかをやめて」の歌詞が、今までとギャップがありすぎて、激ヤバという紹介でした。博士ちゃんのアイドル企画番組としては、前回に引き続いて今回も河合奈保子さんが紹介されており、とても感謝しています。
2022.09.01
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7月24日は河合奈保子さんの誕生日です。河合奈保子さんは、1980年6月1日に16歳でデビューしました。すぐに7月24日で17歳になりますが、その時の誕生パーティーについては、「夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より/河合奈保子/ワニブックス」p77に記載があるので紹介します。p77【17歳】前々から”セブンティーン”に憧れていました。17歳になったら、あれもしたい、これもしたい、女の子らしいことをいっぱいしてみたいと思っていました。たとえば、お料理とか手芸とか、お洋服も変えてみてとか・・・。でも、いざ17才になってみて、16歳の時とどこが変わったかというと、何も変わっていないんです。今だに、何も変わっていない感じです。奈保子思うんですけど、17歳の女の子らしく、毎日過ごせれば・・・、それだけで素晴らしいことでしょう?というわけで、私のお誕生日は7月24日。でも、スケジュールのつごうで、お誕生日よりだいぶ前、ちょうど大阪に行った時に、あるホテルの一室を借りてパーティーを開いていただきました。その時は、お友達やクラブの先輩やみんな集まってくれて、すごくすごく楽しい、うれしいお誕生日でした。ーーーーーーーーーーーーー↓「夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より/河合奈保子/ワニブックス」↓ p76 河合奈保子さん。
2022.07.24
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1983年6月に河合奈保子さんのアルバム「SKY PARK :スカイパーク」が発売されました。A面5曲目は「まどろみスケッチ」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)です。来生えつこさんが作詞をされており、スローテンポの曲ですが、私はサビの歌詞とメロディラインが気に入っています。1番のサビは「遠くテニスボール 打ち合う音が、 夢さそう メトロノームのよう」という歌詞で、曲を聴くと、学生時代にテニスをした思い出や、富士山麓のテニスコートを思い出します。2番のサビは「今 砂丘を駆けだす私、あなたの足に 追いつけなくて」という歌詞です。私は1988年春に、初めて鳥取砂丘に行きました。白い砂丘と青い海を見ると、無意識のうちに「ワーッ」と叫びながら砂丘を駆けだしていました。奈保子さんの「まどろみスケッチ」2番を聴くと、あの日の鳥取砂丘の景色、砂の感触、潮風の香り、日の光が、頭にはっきりと浮かびます。奈保子さんの歌はそれぞれ、私の青春の出来事と繋がっており、聴けば一瞬で、当時の思い出がよみがえってきます。ーーーーーーーーーーーー河合奈保子さん。「SKY PARK :スカイパーク」 1983年6月。↑ 「SKY PARK スカイパーク A面5曲目「まどろみスケッチ」「まどろみスケッチ」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーーーーーー1988年の春。鳥取砂丘で撮った私の写真。↓ 写真を並べてパノラマ写真にしてみた。
2022.07.22
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作詞家の来生えつこさんですが、河合奈保子さんだけでなく、多くの歌手の曲に作詞をされています。その中のほんの一部になりますが、手元にレコード、CD、資料がある作品を紹介します。河合奈保子さん、大橋純子さん、中森明菜さん、岡村孝子さん、南野陽子さん、薬師丸ひろ子さん、西村知美さん、それからテレビアニメ「めぞん一刻」ED、「ふしぎの海のナディア」OPです。大橋純子さんのCDは妻が持っていたはずですが、探してもなかったので、河合奈保子さんがコンサートで歌った時の情報を載せます。西村知美さんは映画「ドン松五郎の生活」に出演され、来生姉弟作品の主題歌「夢色のメッセージ」を歌われました。映画館でこの映画を鑑賞しましたが、西村知美さんが、予想以上に幼顔だったのでびっくりした記憶があります。映画のパンフレットはまだ手元に持っています。ーーーーーーーーーーーーーーー【河合奈保子さん】↓ シングルレコード「ストロー・タッチの恋/若草色のこころで」「ストロー・タッチの恋」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)「若草色のこころで」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)↓ シングルレコード「疑問符/冷たいからヒーロー」「疑問符」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「冷たいからヒーロー」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)↓ 奈保子さんのアルバム「あるばむ」。「浅い夢」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「ささやかなイマジネーション」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「惑いの風景」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「オレンジ通り5番街(振り向いてアベニュー」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「恋ならば少し」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)↓ 奈保子さんのアルバム「ビューティフル・デイ」「薔薇窓」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:鷲巣詩郎)↓ 奈保子さんのカセットテープ「愛・奈保子の若草色の旅」「春雷の彼方から」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)「若草色のこころで」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)「浅い夢」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「疑問符」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「車窓」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)↓ 奈保子さんのアルバム「サマー・デリカシー:SUMMER DELICACY」「メビウスのためいき」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「気をつけて夏」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「潮風の約束」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「疑問符」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)「涼しい影」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)↓ 奈保子さんのアルバム「スカイ・パーク:SKY PARK」「ちょっぴりパッショネイト」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)「まどろみスケッチ」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーーーーー【大橋純子さん】大橋純子さんのCDを探したが、見つからなかったので、河合奈保子さんが大橋純子の「シルエット・ロマンス」を歌った情報を載せます。↓ 奈保子さんのコンサートレコード「ブリリアント:BRILLIANT」「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:服部克久)ーーーーーーーーーーーーーーーー【中森明菜さん】↓ 「中森明菜 オールタイム・ベストーオリジナルー」「スローモーション」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:船山基紀)「セカンドラブ」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:萩田光雄)「サザン・ウインド」(作詞:来生えつこ、作曲:玉置浩二、編曲:瀬尾一三)ーーーーーーーーーーーーーー【岡村孝子さん】↓ 「スーパーベスト2000 岡村孝子ベスト」「はぐれそうな天使」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:船山基紀)ーーーーーーーーーーー【南野陽子さん】↓ GELATO /ジェラート 南野陽子「悲しみモニュメント」(作詞:来生えつこ、作曲:鈴木キサブロー、編曲:新川博)「さよならのめまい」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:萩田光雄)ーーーーーーーーーーーーーー【薬師丸ひろ子さん】↓ 歌物語 薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:星勝)「語りつぐ愛に」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:武部聰志)ーーーーーーーーーーーーーーー【西村知美さん」↑ 映画「ドン松五郎の生活」1986年公開。 (手元にあるパンフレット)↑ 西村知美さん。 「夢色のメッセージ」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:萩田光雄)ーーーーーーーーーーーーーテレビアニメ「めぞん一刻」エンディングテーマ「あした晴れるか」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:星勝、歌:来生たかお)ーーーーーーーーーーーーーテレビアニメ「ふしぎの海のナディア」「ブルーウォーター」(作詞:来生えつこ、作曲:井上ヨシマサ、編曲:ジョー・リノイエ、歌:森川美穂)
2022.07.21
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作詞家の来生えつこさんですが、弟で作曲家の来生たかおさんとコンビで曲を作られ、河合奈保子さんにも提供されています。来生えつこさんの作詞で奈保子さんが歌った曲は、次の18曲になると思います。ーーーーーーーーーーー1)「ストロー・タッチの恋」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)2)「若草色のこころで」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)3)「疑問符」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)4)「冷たいからヒーロー」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)5)「浅い夢」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)6)「ささやかなイマジネーション」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)7)「惑いの風景」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)8)「オレンジ通り5番街(振り向いてアベニュー)」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)9)「恋ならば少し」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)10)「薔薇窓」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:鷲巣詩郎)11)「春雷の彼方から」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)12)「車窓」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)13)「メビウスのためいき」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)14)「気をつけて夏」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)15)「潮風の約束」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)16)「涼しい影」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)17)「ちょっぴりパッショネイト」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)18)「まどろみスケッチ」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーー「浅い夢」、「オレンジ通り5番街」、「車窓」、「涼しい影」は、来生たかおさんが歌われており、奈保子さんに提供されました。比較して聴くと楽しいです。1983年1月に発売された、河合奈保子さんのアルバム「あるばむ」は、オリコンチャートで1位になりました。アルバムのA面は竹内まりやさん、B面は来生えつこさん、来生たかおさんコンビで曲が提供されています。レコードの歌詞紹介で、「恋ならば少し」の歌詞は、来生えつこさんが手書きで書かれたものが印刷されています。「For 河合奈保子さん (曲・たかお)」とあり、最後には「(注)曲の構成はこのままでしょうか?少し短めの気もしますが、甘くしっとりめに唄って下さい。よろしく。来生えつこ」と書かれています。また、来生えつこさんのメッセージも印刷されているので、紹介します。「奈保子さんの声は、とてものびがあって、ツヤがある。そのツヤというのは、若さのまっただ中のツヤ。いわゆる艶っぽいというのではなく、若さだけが持つ、張りのあるツヤです。とても正統派の歌手の声だと思う。アイドル歌手でデビューしたかわいいだけの人は、よく、途中からドラマに出たり、タレントになっちゃったりするけど、奈保子さんの場合は、ずっと歌い続ける正統派の歌手になれる実力があると思う。かわい子ちゃん歌手というのは、よく、どんなせつない内容の詞でも、ニコニコ笑ってハッピーソングみたいな雰囲気で唄ったりするけど、奈保子さんは、最近、とても情感をこめて、しっかり唄っている。これからは娘から女へと移りかわる、微妙な時期だけと、そのへんの情感を、時にはしっとり、時にはのびやかに、唄い上げてほしい。あまり小細工などせずに、素直なままで。期待してます。来生えつこ」↓ 河合奈保子さん。 アルバム「あるばむ」(1983年1月)より。↓ 来生えつこさんのメッセージ。↓ 河合奈保子さんのアルバム「あるばむ」(1983年1月)。↓ 奈保子さんのアルバム「あるばむ」のB面歌詞の紹介。来生えつこさんの作詞、来生たかおさんの作曲。 最後の「恋ならば少し」は、来生えつこさんが詞を手書きしている。↓ 「恋ならば少し」 来生えつこさんの手書き歌詞。
2022.07.20
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2022年7月18日、テレビ東京の「歌謡史に輝く100曲 3秒聴けば全曲わかる~秘蔵映像SP2022~」で、河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」の映像が紹介されていました。手元のポケットカメラで、記録用に急いで写真に撮りました。テレビで奈保子さんの笑顔と歌う姿を見ると、幸せな気持ちになります。
2022.07.18
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再び前回のブログの続きです。河合奈保子さん、嘉門達夫さん、伊藤秀志さんが、替え歌で笑いを取ってきました。嘉門達夫さんが山口百恵さんの歌「プレイバックPart2」の「緑の中を走り抜けてく深紅(まっか)なポルシェ」の部分を、「緑の中を走り抜けていくバッタがおるで」と替えました。伊藤秀志さんは、武田鉄矢さんと芦川よしみさんの歌「男と女のラブゲーム」にある「飲みすぎたのはあなたのせいよ」の部分を、「上向いたのは鼻血のせいよ」と言って笑いを取っていました。最後に河合奈保子さんが童謡の「さっちゃん」を替え歌で歌います。元歌は「さっちゃんはね、さちこっていうんだほんとはね だけどちっちゃいから自分の事さっちゃんて呼ぶんだよ おかしいな、さっちゃん」です。奈保子さんの替え歌は「さっちゃんはね、みっちゃんていうんだほんとはね、だけどちっちゃいから自分の事よっちゃんて呼ぶんだよ、おかしいなえっちゃん」でした。↓ 河合奈保子さん。↑ 嘉門達夫さんが山口百恵さんの歌「プレイバックPart2」の「緑の中を走り抜けてく深紅(まっか)なポルシェ」の部分を、「緑の中を走り抜けていくバッタがおるで」と替えた。↑ 伊藤秀志さんは、武田鉄矢さんと芦川よしみさんの歌「男と女のラブゲーム」にある「飲みすぎたのはあなたのせいよ」の部分を、「上向いたのは鼻血のせいよ」と言って笑いを取っていた。↑ 河合奈保子さんが童謡の「さっちゃん」を替え歌で歌う。↑ 「さっちゃんはね、みっちゃんていうんだほんとはね、だけどちっちゃいから自分の事よっちゃんて呼ぶんだよ、おかしいなえっちゃん」。
2022.07.16
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前回のブログの続きで、嘉門達夫さんと伊藤秀志さんと一緒に、河合奈保子さんが替え歌に挑戦しました。嘉門達夫さんが欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)さんの歌「ラヴ・イズ・オーヴァー」を歌います。出だしの「ラヴ・イズ・オーヴァー」を「ざるそば」に替えて、笑いを取っていました。伊藤秀志さんが童謡「メリーさんのひつじ」を歌います。「メリーさんのひつじ、ひつじ、ひつじ」という部分を「メリーさんのひつじ、切れ痔、切れ痔」と替えると、嘉門さんが「汚い」と言いました。河合奈保子さんは上田正樹さんの「悲しい色やね」を替えて歌います。「泣いたらあかん泣いたら」という部分を、「沸いたらヤカン沸いたら」と替えましたが、音程を間違えたので歌い直し、「ごめんね、ごめんね」と謝っていました。嘉門達夫さんは中森明菜さんの歌「DESIREー情熱ー」にある「Get up, Get up, Get up, Get up, Burning Love」の部分を、「でかい、でかい、でかい、でかい、ガリバー」とか、「下駄、下駄、下駄、下駄、草履やー」と替えていました。また、同曲の途中の「まっさかさまに落ちてDESIRE」は、「まっさかさまに落ちたら痛い」と歌いました。伊藤秀志さんが、「中森明菜、こっちにもある」と言って、中森明菜さんの歌「飾りじゃないのよ涙は」の「飾りじゃないのよ涙は、HA, HAN」の部分を「眼医者じゃないのよ歯医者は、歯、歯」と替えていました。奈保子さんは童謡「アイアイ」の「アイアイ、アイアイ、お猿さんだよ」の部分を、「相生(あいおい)、相生、兵庫県だよ」と替え歌にしました。すると嘉門さんが「西明石、西明石、兵庫県だよ」と突っ込むと、伊藤さんも「姫路、姫路、兵庫県だよ」と続きました。↓ 河合奈保子さん。↑ 嘉門達夫さんが欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)さんの歌「ラヴ・イズ・オーヴァー」で、出だしの「ラヴ・イズ・オーヴァー」を「ざるそば」に替えた。↑ 思わず笑う奈保子さん。↑ 伊藤秀志さんが童謡「メリーさんのひつじ」の「メリーさんのひつじ、ひつじ、ひつじ」という部分を「メリーさんのひつじ、切れ痔、切れ痔」と歌った。↑ 河合奈保子さんは上田正樹さんの「悲しい色やね」で、「泣いたらあかん泣いたら」という部分を、「沸いたらヤカン沸いたら」と替えた。↑ 音程を間違えたので歌い直し、「ごめんね、ごめんね」と謝る奈保子さん。↑ 嘉門達夫さんは中森明菜さんの歌「DESIREー情熱ー」にある「Get up, Get up, Get up, Get up, Burning Love」の部分を、「でかい、でかい、でかい、でかい、ガリバー」とか、「下駄、下駄、下駄、下駄、草履やー」と替えた。また、同曲の途中の「まっさかさまに落ちてDESIRE」は、「まっさかさまに落ちたら痛い」と歌った。↑ 伊藤秀志さんが中森明菜さんの歌「飾りじゃないのよ涙は」の「飾りじゃないのよ涙は、HA, HAN」の部分を「眼医者じゃないのよ歯医者は、歯、歯」と替えた。奈保子さんは童謡「アイアイ」の「アイアイ、アイアイ、お猿さんだよ」の部分を、「相生(あいおい)、相生、兵庫県だよ」と替え歌にした。嘉門さんが真似て「西明石、西明石、兵庫県だよ」と歌う。伊藤さんも「姫路、姫路、兵庫県だよ」と続いた。
2022.07.15
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河合奈保子さんが番組「寝る前に跳べ」で、嘉門達夫さんと伊藤秀志さんと一緒に、短い替え歌をすることになりました。まず嘉門達夫さんが、トムとジェリーの歌を替え歌にします。「トムとジェリー、仲良く喧嘩しな。トムトムトムニャーゴ、ジェリー、ジェリー、ジェリー、チュウ」というのが正しい歌ですが、最後を「ジェリー藤尾、荒井注」にしていました。伊藤秀志さんは菅原都々子さんの「月がとっても青いから」を歌います。「月がとっても青いから、遠回りして帰ろ」と言うのが正しい歌ですが、最後を「遠回りして襲われた」にしていました。河合奈保子さんは「七夕さま」を歌いました。「笹の葉さらさら、軒端に揺れる お星さまきらきら 金銀砂子」が正しい歌ですが、奈保子さんは最後を「お星さまきらきら 金銀パールプレゼント」に変えていました。これは、1980年頃のライオン・洗剤「ブルーダイヤ」のCMを知っていないと、分からないネタです。当時は「嬉しい白です、ブルーダイヤ。 金銀パールプレゼント」というCMが流れていました。↓ 河合奈保子さん。↑ 嘉門達夫さんが前振りで、「夜のヒットスタジオのマンスリーに出ようかという人(奈保子さん)が、『寝る前に跳べ』には普通出ませんよね」と言い、続けて「某ラジオ局で、この3人含めて番組をやっています。河合奈保子さんです」と紹介した。↑ 伊藤秀志さんが奈保子さんを見て、思わず「綺麗」と言った。↑「どうも皆さん、こんばんは。河合奈保子です。よろしくお願いします」と挨拶した。↑ 嘉門さんが、奈保子さんとはラジオ番組で4年の付き合いになると話した。↑ 嘉門達夫さんが替え歌を歌う。「トムとジェリー、仲良く喧嘩しな。トムトムトムニャーゴ、ジェリー藤尾、荒井注」↑ 笑顔の奈保子さん。↑ 伊藤秀志さんが、「月がとっても青いから、遠回りして襲われた」と替え歌を歌った。↑ 河合奈保子さんは、ピアノを弾きながら「七夕さま」の替え歌を歌い始めた。↑ 「笹の葉さらさら、軒端に揺れる お星さまきらきら 金銀パールプレゼント」という替え歌を歌う奈保子さん。↑ 嘉門さんに「できるじゃないですか!」と褒められる奈保子さん。↑ 会場の皆さんに「面白かったですか?」と聞く奈保子さん。↑ 会場の拍手を聞いて、ほっとする奈保子さん。↑ 会場の風景。
2022.07.14
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以前、私のブログ(2022年9月18日)で、嘉門達夫さんと河合奈保子さんについて紹介しました。週刊現代(2013年3月16日)/講談社に「熱闘スタジアム 河合奈保子を語ろう」という記事で、嘉門達夫さんが河合奈保子さんの思い出を語った部分がとても面白かったです。【嘉門達夫さんの発言】「僕が大阪のラジオで共演していたのが、奈保子ちゃんが20歳から25歳ぐらいの頃ですかね。ちょうど売野さんが作詞した『エスカレーション』が大ヒットしていた時で、絶大な人気がありましたね」「売れっ子アイドルなのに気さくでしたね。大阪弁をしゃべってくれたり、イベントでは二人で漫才もやりました。僕やスタッフたちの宴会にもよく出てくれて、結構お酒も飲む。一回、ちょっと飲みすぎて、食べたカニを振り回していたシーンは今も脳裏に焼き付いていますね(笑)。それを翌週のラジオで『恐怖のカニ女』とか言うてイジッて、彼女がホッペタを膨らませてご立腹みないな。そんなノリで5年間やらせていただきました」ーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんのCDジュエルボックス(JEWEL BOX NAOKO SINGLES COLLECTION, 2001 日本コロムビア)に、嘉門達夫さんのコメントがあるので紹介します。【奈保子さんのこと】奈保子さん、いや、奈保子ちゃんとは5年にわたり『MBSヤングタウン』でご一緒させてもらいました。僕が25歳、奈保子ちゃんが21歳の時からと記憶しています。当時、奈保子ちゃんは人気絶頂のアイドル。僕は「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」でそこそこ世間に名前が知られて来た頃です。いろんな楽しい事が思い出されます。奈保子ちゃんの大阪厚生年金会館でのコンサートを見に行った時、突然ステージに呼び出されて「エスカレーション」を歌う奈保子ちゃんの横でリズムと身を持て余していたこと。千里セルシー広場での「唇のプライバシー」の握手会にテレビのロケで乱入した事。生放送が終わった深夜、スタッフ、出演者みんなで、スタジオからほど近い僕のマンションでの小宴(その為に僕は朝からおでんを仕込み、また、共演の伊藤秀志氏が持って来たカニを少しお酒に酔った奈保子ちゃんが振り回す事件なんてぇのもありましたね・・・)。コンサート・ツアーの都合での、地方の放送局(広島RCC、新潟BSN、米子山陰放送・・・)からの生放送。あっ、みんなで沖縄に行ったこともありましたよね。最初のころは「アイドル」と呼ばれる人とどう接すれば良いのか、はなはだ悩んだりもしておりましたが、週を重ねるごとに奈保子ちゃんの人柄に親近感を覚え、自分で言うのもナンですが、なかなかのイイコンビだったんじゃないかなあ・・・なんて思ったりしています。そうそう、イベントで漫才をやったこともありましたよねえ。今回のアルバムの収録曲のリストを見ていて、数々の曲と共に僕の20代の記憶が蘇っています。「UNバランス」あたりから「十六夜物語」あたりまでが一緒にヤンタンをやらせてもらってた時期でしょうか。当時は僕もコロムビアレコード所属で、毎年売り上げの良かったアーティストがお正月に表彰されるヒット賞の常連である奈保子ちゃんと「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」のヒットで同席できてウレシかったとか、「哀愁の黒乳首」なんていうシングルをリリースした時、番組内でかかってる最中も「ヒンシュク買ってるな・・・」とかね。そうそう、当然と言えば当然だけど、下ネタを紹介するとリアクションに困るどころか完全に拒否反応を起こしていた奈保子ちゃんのはにかんだ顔なんかもリアルに覚えています。スタッフの方々もみんな個性溢れる素敵なキャラクターが揃っていましたね。僕を含めて様々な人たちの記憶に残っている曲の数々が、こうして一同に集まる今回の企画はとても素晴らしく意義のあることだと考えます。そのうち当時の話をしながら一緒にお酒なんていいかもしれませんね。でもその時はカニは振り回さないでね。嘉門達夫ーーーーーーーーーーーーー↓ CDジュエルボックス(JEWEL BOX NAOKO SINGLES COLLECTION, 2001日本コロムビア)ーーーーーーーーーーーーーー↓ かなりや VOL.24 (昭和60年:1985年4月)市場オンエアー「MBSヤンタン」↓ MBS「ヤンタン火曜日」絶好調!大人気のMBS「ヤンタン」は、文句のつけようがないほどおもしろい番組。奈保子と嘉門達夫さんのコンビも抜群で、火曜日の夜をにぎやかーにしてくれておます。全国放送でないのが残念なところ・・・。そこで久しぶりに、紙上でオンエアーしてみましたっ!↑ 2時間45分の生放送の中には、めいっぱいコーナーが分かれております。~ 最近特に評判のいいコーナーは・・・。「シブガキ隊の次の新曲コーナー」。聴衆者がシブガキ隊の新曲にいいんではないかというタイトルと詞を送ってもらって、それを奈保子と嘉門さんが交互にめちゃくちゃな曲を作って歌います。例えば「大化のレボシューション645」なんていう、わけのわからないタイトルなど。このわけわからずがこのコーナーのミソなんです。奈保子も即興で必死に歌ってくれますが、つい高度な音楽的フレーズが出てしまいます。音痴な嘉門さんとの差も歴然、さすがアーティスト奈保子さん。「お電話お電話ピッポッパッ」ものけぞるコーナ。こちら側からリスナーにテーマを与え、それを電話で答えてもらうというもの。例えばテーマ「トイレを開けたら人が用を足していて、そのときその人に何と言い訳するか・・・」あまりにも汚いテーマで、奈保子にはまったく不似合すぎる・・・。こういうとき奈保子は、ただ黙ってニッコリしていてくれます。(みなさん安心していてくださいね)~ さて、この番組は関西の人しか聞けないと思ったら大きな間違い。火曜日の午後11時になったら、ラジオを1179MHzに合わせてみてください。(ニッポン放送の少し手前のところ)東京だったらかなりいい音できけます。特に、カーラジオのほうが、よく聞けるそうです。試してみてね。そして奈保子のかわいらしい笑い声を聞いてみてください!ーーーーーーーーーーーーーーーーー【奈保子しんぶん Vol.26 昭和60年:1985年2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部】【コロンビアゴールデンディスク受賞】1985年1月に、コロンビアレコードで、1984年ゴールデンディスクの表彰が行われました。ベストアルバム賞、シングルはすべてゴールデンディスク賞、ビデオディスク賞と、奈保子は10コ以上の賞に輝き、大感激。「去年はアメリカへレコーディングに行かせていただきました。私はそこで、改めて音楽の素晴らしさを感じてきました。私にとって意味深いアルバム『デイドリームコースト』にベストアルバム賞をいただき、とても嬉しく思っております・・・」と、式の最後の挨拶では感激をかくせない様子。この後開かれたパーティーでは、『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』で賞を取った、お馴じみ嘉門さんと談笑したり、お世話になった作家の先生に御挨拶したりと、忙しかった奈保子。でも今年1年もまたいいレコードを作り、来年も同じように賞をいただきたいと感想をのべていました。
2022.07.13
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1983年12月1日、河合奈保子さんのシングル曲「疑問符 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」が発売されました。奈保子さんがピンク色の服を着て歌う姿です。
2022.07.03
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1983年12月1日に河合奈保子さんの「疑問符 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」が発売されました。1984年2月7日に行われた「オールスター寒中水泳大会」で、奈保子さんが「疑問符」を歌われています。↑ 「疑問符」河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さん。
2022.07.02
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1983年12月1日に河合奈保子さんのシングル「疑問符 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」が発売されました。紺色の着物を着て「疑問符」を歌う奈保子さんです。
2022.07.01
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1983年12月1日、河合奈保子さんのシングル「疑問符 :作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」が発売されました。奈保子さんが白い着物姿で「疑問符」を歌いました。
2022.06.30
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河合奈保子さんのシングル曲「疑問符 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」は、1983年12月1日に発売されました。奈保子さんへの来生さんのシングル提供曲は、1983年3月1日「ストロータッチの恋」に続いて、この「疑問符」が2枚目になります。来生たかおさんは、この「疑問符」を気に入っていたとのことで、ご自身のアルバム「LABYRINTH:ラビリンズ(1984年12月発売)」に入れられています。ーーーーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.19/河合奈保子FC/1983年11月」を見ると、「疑問符」について記事があるので紹介します。「新曲決定! 1983年12月1日発売『疑問符』」11月に入り、前にも増して奈保子は大忙し。なんたって来年のお正月用番組収録が何十本と入るため、好きな映画鑑賞も読書も、今年いっぱいおあづけみたい。私たちからしてみると、来年のことなんてまだピンとこないよね。でも奈保子たちの気分は、もうしっかりお正月なのであります。【ひさびさのバラード調で愛を歌う】まずファンにとって、とっても嬉しいニュース。そうです。12月に新曲が発売になるのです。タイトルは「疑問符」。「エスカレーション」、「UNバランス」と、激しい感情をロックにのせて歌ってきた奈保子にとって、ひさびさのバラード調。作詞は来生えつこさん、作曲は来生たかおさんという、いわゆる”大人の歌”を書かせたら右に出る者はいないといわれるほどの名コンビが、奈保子のために歌を提供してくれました。ここで秋のリサイタルをご覧になった方は、頭の中をプレイバックしてみてください。思い出したかな?第一部の2曲目に歌ってくれた曲、あれば「疑問符」なのです。とても印象に残る曲だから、覚えている方もずいぶんいることでしょうね。ここのところ、出す曲全てがベスト10に入る奈保子。「疑問符」も必ずランクインすることと思います。前作より上位になるよう、みなさんのリクエストのご協力をお願いいたします。河合奈保子さんのシングル曲「疑問符」。(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)ーーーーーーー「奈保子しんぶん Vol.19/河合奈保子FC/1983年11月」
2022.06.29
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1993年3月1日、河合奈保子さんの「ストロータッチの恋 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)」が発売されました。奈保子さんがセーラー服を着て、ストロータッチの恋を歌っています。
2022.06.28
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1983年3月1日、河合奈保子さんが歌う「ストロータッチの恋 作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵」が発売されました。渚と灯台のあるセットで、ストロータッチの恋を歌う奈保子さんです。
2022.06.27
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1983年3月1日、河合奈保子さんの新曲「ストロータッチの恋 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)」が発売されました。奈保子さんが若草色の服を着て、麦わら帽子を被って歌う姿です。この歌はとても奈保子さんに合っており、気に入っています。↑ ストロータッチの恋 (河合奈保子さん)
2022.06.26
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1983年3月に、河合奈保子さんの新曲「ストロータッチの恋 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)」が発売されました。私はこの歌が好きで、奈保子さんにとても似合っていると思っています。夜のヒットスタジオで、ピンクの帽子を被りながら歌う奈保子さんを紹介します。
2022.06.25
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1983年3月にリリースされた「ストロータッチの恋」は、来生えつこさん作曲、来生たかおさん作曲、若草恵さん編曲で、とても聴きやすく、気に入っています。「奈保子しんぶん」に「ストロータッチの恋」に関する記事があるので、少し紹介します。ーーーーーーーーーー↓ ストロータッチの恋 河合奈保子さん。 ーーーーーーーーーーー【奈保子しんぶん Vol.12 1983年2月発行/河合奈保子FC】待望の新曲は3月1日発売! 「ストロータッチの恋」3月に発売の「ストロータッチの恋」は、来生たかおさん作曲によるもの。今までステージで来生さんの曲をしっとり唄い込んできただけあって、奈保子のオリジナルとしての新曲がとても興味深いところ。新曲もベスト10入りを目指して、ファンのみなさんのご協力をお願いいたします!ーーーーーーーーーーーーー【奈保子しんぶん Vol.13 1983年3月発行/河合奈保子FC】『ストロータッチの恋』大好評!1月下旬にバリ島へ行った奈保子。まださめない焼けた肌に、さわやかな「ストロータッチの恋」はぴったり。一年中でいちばんいい季節。初夏を、奈保子の歌でひと足早く感じましょう。↓ 奈保子さんからのメッセージ。ストロータッチの意味 きみはもちろん知ってるよね!誰ですか?あのコーラなんかを飲む時に使用するストローを連想してる人は!奈保子が歌う歌詞をじっくり聞いてごらんなさい!ストロータッチっていうのは、要するにストローハット、つまり麦わら帽子のことなのです。男のコと女のコのさわやかな恋・・・麦わら帽子のような・・・と言った内容なのですね。最近かわいい歌は多いけど、本当に気分のいい歌っていうのは少ないみたい・・・。そんなときに登場した、とってもかわいくて、さわやかな「ストロータッチの恋」。目標ベスト3!ということで、ファンのみなさま、奈保子の新曲をリスエストよろしくお願いしますね!ーーーー【奈保子さんからファンのみなさまへ】「ストロータッチの恋」はとてもかわいくて明るい歌なんです。今まで明るい歌というと「スマイル・フォー・ミー」や「夏のヒロイン」がそうだったんですけど、その明るさとはまた違った明るさだと思います。アップテンポでもないし、スローテンポでもない、ミディアムテンポがとても心地よくて、私自身も歌っていて気持ちいいな。春から初夏にかけて、恋人同士のすがすがしい恋の歌・・・。みなさんも気に入っていただけましたよね!応援よろしくお願い致します。ーーーーーーーーーーーー【奈保子しんぶん Vol.14 1983年4月発行/河合奈保子FC】【続々とある海外のお仕事、また陽に焼けた奈保子を見れるね!】この会報が出る頃は、奈保子は雑誌のお仕事で、グアムに行ってる最中かな?それとも、もう帰って来ていて、小麦色に陽焼けした奈保子がブラウン管で笑ってる頃かな?今年に入って、奈保子は海外取材のお仕事が目じろ押し。こんなに海外取材が殺到しているということは、マスコミからも、そしてファンからも、今年ピカ一に輝く女のコは、奈保子をおいて他にナシ!という期待からのこと。去年よりもうんと美しくなった奈保子は、みんなから今、注目の的なのです。【初めてのヨーロッパ旅行が、今いちばんの楽しみなのです!】5月に入ってから、奈保子はハウスのCF撮りで、オランダ、スイスなどのヨーロッパロケへ行く予定。「ヨーロッパは初めて行くところでしょ。今からとっても楽しみなんです。季節的にも、お花が満開の時期だし、メルヘンチックなかわいいお家もたくさん見てきたいな。ヨーロッパから帰ってきたら、会報でお土産話をしますから、みなさん楽しみにしていてくださいね!」と、出発前からウキウキ奈保子。きっとグアムにしろ、ヨーロッパにしろ、珍道中になることと思いますが、元気いっぱいで行ってきてほしいですね!【新曲は6月発売の予定】「ストロータッチの恋」は只今ヒット中。来生たかおさんの、ロマンティックなメロディーが、奈保子の歌声にぴったりと、とても話題を呼んでいます。新曲は6月発売で、4月中にレコーディングされる予定です。次のシングルがでるまで、「ストロータッチの恋」を大いに盛り上げましょう!奈保子のパワーは私たちファンがふくらましていくものです!リクエストよろしくお願い致します!
2022.06.24
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昔の切り抜き(明星)を見ていると、軽井沢のペンションに泊まった河合奈保子さんが、夜の3時に来生たかおさんのカセットを聴いていたという記事がありました。奈保子さんは来生さんの歌が好きで、よく聴かれていたと思います。記事を紹介します。ーーーーーーーー夜8時すぎに、奈保子が到着。(軽井沢の)ペンションの豪華な料理を堪能する。ラウンジでオセロゲームや、トランプの”大貧民”をやったりして、あっという間に12時を過ぎてしまった。「さー、寝よう。明日は撮影だからなー」とみんなは部屋に戻る。深夜3時、来生たかおのカセットを、ラジカセでかけてる誰かがいる。犯人は奈保子以外ありえない。翌朝、記者は睡眠不足の状態であり、奈保子はすっきり目覚めの顔。前夜、オセロゲームで記者に負けた奈保子の復讐は、かく遂行された。乗馬クラブで撮影する。以前『明星』で、トシ(田原俊彦さん)が一緒に撮影した白馬だ。「トシちゃんはこわくて(?)乗らなかったみたい」とクラブの人に言われて、「私、トシちゃんに勝った!東京に帰ったら自慢しよう!」と大喜びの奈保子だった。ーーーーーーーー↓ 軽井沢の河合奈保子さん。↓ 軽井沢のペンションにて。
2022.06.23
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昔切り取って保管していた、雑誌の記事「来生たかお VS 河合奈保子 スペシャルトーク」ですが、前回のブログでは、来生さんが奈保子さんに提供した「ストロー・タッチの恋」や、「浅い夢」の話を載せました。今回のブログは、後半としてコンサートについて紹介します。来生さんがコンサートするとき、客席から「ター坊!」という声が掛かったり、最初の頃は「来生(きすぎ)」と呼ばれず、違う読み方で呼ばれたりしたなど、面白い話がありました。 ーーーーーーーーーーーーー【奈保子】この間、来生さんのコンサートを見せていただいて、すごく感動したんです。私のコンサートは、年下のお客さんが多いでしょ。だから聴きにくるというより、ただ一緒に歌ったり声援を送って、それがコンサートだって思っている人がほとんどなんですね。でも来生さんのコンサートはとても静か。ひとつの世界ができあがっているなって感じました。私、勉強のためにどんどん他の人たちのコンサートに出かけたいけど、あまり時間がないんです。来生さんは、どうですか?【来生】ボクもあまり行ってない。ボク自身コンサートやってるので、ほかのアーティストのコンサートを見たいとおもってるんだけどなかなか見に行けない。(井上)陽水さんとかユーミン、それにオフコースなんかはとても興味があります。【奈保子】私、いまはまだ来生さんのようにはできないと思うけど、いつかはああやってみんなにじっくり聴いてもらえるようなコンサートをやりたいな。【来生】でも怖いよ。それは。【奈保子】エッ!?【来生】いや、本当に怖い。だって静かだからちょっと間違えちゃうとすぐわかる(笑い)。シラけるのも早い。ミスがとにかく目立つ。【奈保子】そうでしょうね。【来生】まあ、ロックなんかだと多少のことは大丈夫だけど、ボクのコンサートの場合は、バックの演奏でもかなり目立つ。1音間違えても、ものすごく目立つ部分があるから、すごい緊張のしっぱなし。ボクは人前で歌うのがあまり得意じゃない。だから、声が震えちゃったり、歌詞を間違えたり・・・。【奈保子】エーッ。【来生】それはもう練習と精神面の強化しかない。だからテレビもじつは挑戦というか、試練と思って出るんです。そのへん、奈保子ちゃんはテレビの先輩だけど、どうかな?【奈保子】エーッ、フフフ。でも私だってすごく緊張しますよ。デビュー以来ずっとテレビに出てるけど、やっぱり気持ちは全然変わらない。私は本番まえに手のひらが冷たくなるんです。【来生】ボクなんか、もう汗びっしょり。【奈保子】冷たくなって、歌い終わるとマイクに汗がいっぱいなんです。それにコンサートだと余分な力がマイクを持つ手に入って、手のひらにマメができちゃう。【来生】歌詞を忘れることは?【奈保子】あります。やっぱり。でもズルいから、ラララ・・・とか、「あ、間違えちゃった」とかいって通しちゃうんです。【来生】ボクの場合は、その曲終わったあと、はっきりいう。”失敗したからもう一度やります”とか。ただ、一回間違えると少し気が楽になる。まだコンサートならいい。どんなに多くても3000人ぐらいの人を相手に、しかも20曲ぐらい歌うからなんとか取り戻せるけど、テレビは何百万人も見てるでしょう。しかも1曲しか歌えない。プレッシャーも全然違うよネ。奈保子ちゃん、コンサートのおしゃべりはどうしてる?【奈保子】おしゃべり、苦手なんです。ハイ。【来生】ボクもおしゃべりはヘタだし苦手。できれば、なんにもしゃべらずにやりたいと思う。それとステージへの掛け声もちょっときになる。ボクの場合、”ター坊!”なんて(笑い)。思わずピアノを弾く手が止まっちゃったりする(笑い)。【奈保子】アハハハ。でもそんな声がかかるのって素敵ですよ。私なんか”ゴーゴー、レッツゴー”だけど、はやり励まされるものネ。ただ、応援は応援。聴いてほしい所ところはじっくりと聴いてほしいなと思います。~【奈保子】私、こないだデビュー以来初めて、2日連続のお休みがあったんです。はじめは山か、どこか静かなところへ行きたいなと思ってたけど、結局1日めは衣装の仮縫いと美容院(笑い)。2日めも都内のスタッフの家へお邪魔しただけ。ちっともお休みらしいお休みじゃなかったんです。来生さんは息抜きみたいなものあるんですか?【来生】ボクは、家に子どもがいるから・・・。【奈保子】お子さん、いらっしゃるんですか!? ワァ、知らなかった。おいくつですか。【来生】6月でネ、3つになる男の子。もともとボクは出不精だから家にいるのがいちばん好き。姉もそうだけど、必要がないかぎりほとんど表に出ない。そして曲を作る。【奈保子】お子さん、邪魔したりしませんか?【来生】いまは仕事部屋は別。自転車で5~6分くらいのところ。昼間そっちに行って、そして夕食ぐらいまでいる。昔は夜中に仕事して朝刊見てから寝るパターンだったけど、いまは昼間。子どももいるわけだし、ちゃんとご飯を食べて午前中から仕事をするというのはすごくいい。ただ、去年テレビに出てから、ボクでも表に出ると小学生や中学生に見つかる。○○に住んでるでしょう。だからなお目立っちゃう。都心の青山とか赤坂なら、歩いていても「ああ、いるな」みたいな感じだけど、そういうわけにいかないのね。子どもを連れてスーパーなんか行くときもやっぱりジロジロ見られるもんだから、服装まで気を使う。そんなこと、昔はなかった。奈保子ちゃんはひとりで外に出られる?【奈保子】いいえ。もうひとりで歩いていて声かけられてワアーと人が集まってきたらどうしていいか・・・。ひとりだと怖いな、という気持ちが絶対。とてもひとりでは出歩けません。【来生】じゃあ20歳になっても、デートもお酒も無理・・・(笑い)。【奈保子】まあ、私は私で少しずつ。まだ、子どもだ、子どもだといわれることが多いので「あ、少し大人になったネ」と思われるくらいがいいな。【来生】ボクはいま32歳だけど、20歳のころは、悲惨だった(笑い)。17歳のころから曲を作りはじめて、20歳でピアノを習いはじめた。でも、食べるどころじゃなかった。結局、スネをかじるしかない。それとアルバイト。フォーク喫茶にバンド組んで出演したり、それから(井上)陽水さんのバック・バンド。本当に音楽で生活できるようになったのは27~28歳ごろからだな。デビューは25歳のときだけど、コンサートにくる客は2~3人ってこともあった。だれも”キスギ”と読めず、”ライセイ”、”キセイ”、”キショウ”なんて呼ばれていた。でも、そんなコンサートも、勝手にできるっていうか気楽でよかったような気もするな(笑い)。【奈保子】私なんか、もしそうなってしまった場合の事考えると、自分がどうなるのかなって怖い。来生さんは気楽でいいというけど(笑い)、私はやっぱり考えられないですね。【来生】だから3000人以上の会場が埋まるなんで、ホント、信じられない。今年も5月から全国で80回くらいコンサートを開く予定。それまでは、奈保子ちゃんと同じ1983年3月1日に発売された『積木くずし』の主題歌『無口な夜』と作曲で勝負します。去年、作曲家の売り上げで2位だった。1位は筒美京平さん。今年はボクがなんとか1位にいきたいなと思っている(笑い)。【奈保子】私も、あまり先のことはわからないですけど、24~25歳くらいで結婚したいなって気持ちはあるんです。でも、まだ具体的にそういう人もいないし、当分は歌い続けていくつもりです。ーーーーーーーーーーーー↓ 来生たかおさん(32歳)と河合奈保子さん(19歳)。↓ 雑誌の切り抜き。「来生たかお VS 河合奈保子 スペシャルトーク」↓ 来生たかおさんと河合奈保子さん。
2022.06.22
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来生たかおさんと河合奈保子さんの対談記事の切り抜きを持っています。若い頃に残していたものです。「来生たかお VS 河合奈保子 スペシャルトーク」というタイトルです。この時、来生たかおさんは32歳、河合奈保子さんは19歳でした。「『セカンド・ラブ』や『セーラー服と機関銃』の作曲としても有名な売れっ子シンガー・ソングライター(来生たかおさん)と、20歳直前の変化の季節を迎え微妙に揺れ始めたチャーミー・ギャル(河合奈保子さん)の90分」「奈保子が変わった! 最新LP『あるばむ』が評判を呼んでいる。明るく無邪気というイメージ一辺倒だった彼女に、”心の中をしっとりと歌いあげる曲”をプレゼントし、変身の仕掛人となったのが来生たかおである」ーーーーーーー記事の「前半」を一部紹介します。【来生】奈保子ちゃんの今度のLP『あるばむ』、ずいぶん売れ行きがいいみたいだけど、奈保子ちゃん自身は歌ってどんな感じ?【奈保子】いろんな人からすごくいいといわれて、とてもうれしいんです。A面を竹内まりやさん、B面を来生さんにかいていただけたことをすごく光栄に思っています。【来生】奈保子ちゃんはデビュー以来、ずっとポップな明るい感じできてたでしょ。それが昨年あたりからバラードを歌いはじめた。【奈保子)はい。【来生】テレビで見ても非常にうまくなったな、安定しているなと感じていた。それに今年20歳ということでスケールの大きい歌もいいんじゃないかと思ってたんだ。それで一連のポップで軽快な曲じゃなくて、わりとしっとりした曲を書いたんだけど、できあがりを聴いてびっくりした。歌に表情が出てきたよネ。チャーミングな部分とセクシーな部分。やっぱりセクシーな部分というのは、絶対になくてはならないから。最近、色っぽくなったっていわれるでしょ?【奈保子】エーッ(目を丸くして)。【来生】奈保子ちゃんのなかでなにか変わってきたんじゃない?【奈保子】うーん。やっぱりデビュー以来、ただ一生懸命歌ってたというか・・・。歌詞の内容なんかわからずに歌っていたことが多かったんです。このままじゃいけないな、と思いはじめたころにあの事故(NHKホールでの落下事故)があったでしょう。それで一か月ちょっとお休みして、歌えないくやしさなんか味わって・・・。あの事故を契機にして、歌に表情が出てきたといろんな人から言われるようになりました。今回LPの『惑いの風景』という歌のなかに”恋やつれ”という言葉がありましたよね。「アーッ、こんなの歌えるかなァ?」って不安だったんですけど、もうすぐ20歳だし・・・。(とテレる)~【奈保子】来生さんの曲はお姉さんが作詞されることが多いようですけど、作る前にふたりで打ち合わせはなさるんですか?【来生】それはほどんどないですネ。たいていボクのメロディーが先で、詞が先というのは本当にたまにしかない。【奈保子】お姉さんの詞はすごく女の子らしい、パッと気持ちが表れているというのじゃないけど、聴けば聞くほど世界が広がるっていう感じ。私、詩がわかるというんじゃないんですが、一曲一曲、あ、こういう感じなんじゃないかなと考えるようにしています。そして、その曲の主人公になりきれるようにと、レコーディングのときには意識しているつもりなんです。【来生】ボクは最近レコーディングにはほとんど立ち会えない。だから、でき上がって初めて聴くわけだけど、それはそれですごく楽しみでもあるわけ。想像していた以上にうまく歌っていて、こういうのもあったのかと驚いたり・・・。その反面、違うんじゃないかという部分もあったりね。それと曲に対して後悔する部分もある。奈保子ちゃんの今度のシングル(『ストロータッチの恋』1983年3月1日発売)は、これじゃダメだってディレクターにいじめられてずいぶん書き直したから後悔はないけど(笑い)。【奈保子】エーッ、ホントですか。知らなかった。【来生】難しくはない? たとえばLPに入っている『浅い夢』とか、けっこう大変だったんじゃないかな?【奈保子】たしかにいままで歌ったことのない世界だったから・・・。私的な曲だけど、私がちゃんと歌えるのかなっていう不安はありました。【来生】あの『浅い夢』、じつはボクのデビュー曲。デビュー・アルバムのタイトルにも使ったんですよね。いまでもコンサートであの曲を欠かしたことはない。相当思い入れのある曲なんだけど、奈保子ちゃんに歌ってもらうのをすごく楽しみにしていた。【奈保子】私も来生さんの大切な曲を私がもらっちゃっていいのかなって思ってたんです。だからいま、すごくうれしい。私にとっても、これからずっと時間がたっても歌っていたい曲が、ちゃんとできはじめたという気がしているんです。ーーーーーーーーーーー↓ 来生たかおさんと河合奈保子さん。↓ 雑誌の切り抜き。↓ 来生たかおさん。↓ 河合奈保子さん。↓ LP「あるばむ」 (1983年1月21日)ーーーーーーーーーーーーーーー↓ ストロータッチの恋 (1983年3月1日)(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)ーーーーーーーーーーーー2022年6月18日、東京・日本橋三井ホールで来生たかおさんのコンサートに行った。
2022.06.21
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2003年に発売された「ジュエルボックス2 奈保子フェイバリットコレクション/JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION」に、来生たかおさんのメッセージが収録されているので紹介します。ーーーーーーーーーー*芸能界に毒されないキャラクター河合奈保子さんには根強いファンがたくさんいると聞いていますが、それは本人の人柄が大きかったと思います。あたえられたものを一生懸命にこなす姿は、痛々しいほどにまじめな印象を受けました。終始、芸能界に毒されない珍しい人だと思います。河合さんとは、曲を提供する以前にも「夜のヒットスタジオ」などの歌番組でごいっしょしたことがありまして、挨拶をする程度の関係でしたが、とにかく「歌がしっかりした人だな」と思っていました。僕が彼女に曲を書いた当時は、少女から大人へ徐々に脱皮していく時期だったようで、そのためにしっかりした楽曲がほしいという話でした。それをふまえて、「ストロータッチの恋」は春先から初夏にかけてのわりとポップな明るめの曲、「疑問符」は秋から冬にかけてのしっとりした大人っぽい曲といったことをイメージして作ったのを憶えています。とくに「疑問符」は、メジャーなポップス路線の中、大人っぽい哀愁感のある楽曲でしたが、僕が人に書いた曲の中でも自分自身、特に気に入っている1曲で、後に自分のアルバムに収録したほどです。また、コンサートに来ていただいた時に、「浅い夢」という僕のデビュー曲を気に入ってもらったようで、同じ時期の『あるばむ』というLPの中で歌っていただきました。今回、改めて聴き返そうと思ったのですが、実は、レコードプレーヤーがないので聴けなくて(笑)。そういう意味でも、今回のCD化という企画はありがたいです。ファンのみなさんは、きっと歌手・河合奈保子の復活を願っているんでしょうね。そんな僕もイチファンとして同じ気持ちです。主婦業が大変なようなら、レコーディング・アーティストというカタチでもいいんじゃないかな。来生たかおーーーーーーーーーーーーーーー↓「ジュエルボックス2 奈保子フェイバリットコレクション/JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION」↑ 来生たかおさんのメッセージが入っている。ーーーーーーーーーー来生たかおさんのメッセージの中にあった、「ストロータッチの恋」、「疑問符」、LP「あるばむ」。↓ 「ストロータッチの恋」(作詞:来生えつこ、作曲:きすぎたかお、編曲:若草恵、1983年3月1日)↓「疑問符」(作詞:来生えつこ、作曲:きすぎたかお、編曲:大村雅朗、1983年12月1日)↓ LP「あるばむ」(1983年1月21日) このアルバムは、オリコンチャート1位になった。ーーーーーーーーーー2022年6月18日、東京・日本橋三井ホールで、来生たかおさんのコンサートを楽しんだ。
2022.06.20
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2022年6月18日、東京・日本橋三井ホールで開催された来生たかおさんのコンサートに行きました。来生たかおさんの曲は学生の頃から聴いています。来生さんは河合奈保子さんに作曲されていますし、奈保子さんも来生さんの曲をカバーされ、アルバムに収録されています。姉の来生えつこさんが作詞をして、弟の来生たかおさんが作曲をする形です。シングルなら「ストロータッチの恋」、「疑問符」がありますし、アルバムにも多くの良曲が入っています。奈保子さんがカバーしている来生さんの曲ですが、私のベスト3は次になります。①「浅い夢 (アルバム『あるばむ』収録)」②「涼しい影 (アルバム『Summer Delicacy:サマーデリカシー』収録」③「車窓 (カセットテープ『愛・奈保子の若草色の旅』収録」来生さんが歌われる声と同じくらい、奈保子さんが歌われる声が素晴らしく、聴き惚れてしまいます。来生たかおさんが作曲し、河合奈保子さんが歌った曲で、レコードやカセットテープに収録されたものを紹介します。ーーーーーーー【シングルレコード】1)「ストロータッチの恋」 (A面)(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵、1983年3月1日)2)「若草色のこころで」 (B面)(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵、1983年3月1日)ーーーーーーーー3)「疑問符」 (A面)(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗、1983年12月1日)4)「冷たいからヒーロー」 (B面)(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗、1983年12月1日)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【アルバムレコード】【ブリリアント】(1982年11月21日)5)「シルエット・ロマンス」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:服部克久)奈保子さんが1982年カナリーコンサート 東京芝郵便貯金ホールでコンサートをしたとき、「シルエット・ロマンス」を歌った。ーーーーーーーーー【あるばむ】(1983年1月21日)6)「浅い夢」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)7)「ささやかなイマジネーション」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)8)「惑いの風景」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)9)「オレンジ通り5番街(振り向いてアベニュー)」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)10)「恋ならば少し」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーーーーー【ビューティフル・デイ】(1983年7月24日)20th Birthday's Memory.11)「薔薇窓」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:鷲巣詩郎)ーーーーーーーーー【プリズム : PRISM】(1983年12月)12)「若草色のこころで」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)13)「ストロータッチの恋」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)ーーーーーーーーーーーー【カセットテープ】【愛・奈保子の若草色の旅】(1984年3月)14)「春雷の彼方から」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)15)「若草色のこころで」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)16)「浅い夢」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)17)「疑問符」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)18)「車窓」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)ーーーーーーーーーー【アルバムレコード】【Summer Delicacy : サマーデリカシー】(1984年6月1日)19)「メビウスのためいき」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)20)「気を付けて夏」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)21)「潮風の約束」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)22)「疑問符」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)23)「涼しい影」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーー【Naoko 22】(1985年7月)24)「ストロータッチの恋」(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:若草恵)25)「疑問符」 (作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーーーーー次の2曲は、来生たかおさんの作曲ではありませんが、来生たかおさんの姉、来生えつこさんが作詞をして、奈保子さんに提供された歌です。【スカイパーク】(1983年6月1日)26)「ちょっぴりパッショネイト」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)27)「まどろみスケッチ」(作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平、編曲:大村雅朗)ーーーーーーーーーーーー2022年6月18日、東京・日本橋三井ホールで開催された来生たかおさんのコンサートパンフレット。
2022.06.19
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんが司会をされた「おしゃれ30:30」に河合奈保子さんが出演され、奈保子さんが運転免許を取得して、三菱パジェロを運転している話がでました。奈保子さんが「最近は免許を取ってから一人で外に出るようになった」と言うと、阿川さんが「免許を取ると言うのもイメージが(違う)。よく行けましたね」と話し、古館さんが「『よく行けましたね』って、100歳すぎのお婆さんじゃないですよ」と突っ込んでいました。「皆から言われました。危なっかしいとか、止めた方がいいんじゃないかとか」と奈保子さんが言うと、古館さんは「教官は喜びますよ。河合奈保子さんが横に乗っかってくれて」とコメントしました。古館さんが「落っこちる事もなく?」と聞くと、奈保子さんが「ストレートです。17日間の短期集中でやったんです。教室なんかも目新しくて、学科なんかも朝一番に行って、暗くなるまで6時間くらい受けて」と話します。古館さんが「河合奈保子、4輪駆動に乗る」と切り出し、車と奈保子さんの写真パネルを紹介しました。阿川さんが「犬ちゃんなんか似合いそうじゃない?」と言うと、奈保子さんが「よく乗せます。富士山など山の方に行くときなど」と答えました。「何に乗っているんですか」との古館さんの質問に、奈保子さんは「三菱のパジェロです。ロングサイズではなくショートサイズです」と説明します。「曲作りにいいですね。丹沢行って、せせらぎを聞きながら、環境音楽を作るとか、何か連動があるでしょう?」と古館さんが聞くと、「そうですね。割と自然の風景というか、空の移り変わりであるとか、季節によって雲の表情が変わったりとか、ああいうのを見るのも好きですし、そういう写真を撮ったりするのも好きなんです」と奈保子さんが言いました。古館さんは、奈保子さんの撮った写真を紹介します。(CD「Tears of nature, the gentle wind 1989 河合奈保子さん」に掲載されている写真)「写真を彼女が撮っているんですよね。本格的ですよ、これ」と古館さんが言うと、阿川さんが「才能が沢山ありますね」と言いました。古館さんが「才能が多ジャンルにいっぱいあるけど、でもイメージが崩れない。四駆で意外性に行くかなと思うと、ドライブ、丹沢、写真、作曲と。品行方正。」と奈保子さんを評されていました。ーーーーーーーーーーーー昔、ラジオ番組「三菱ドライビングポップス 『奈保子のときめきトワイライト』」を聞いていました。運転の話も出ていました。↑ 奈保子さんが運転免許を取得した時の話をする。↑ 運転免許取得の話に驚く阿川泰子さん。↑ 三菱パジェロと河合奈保子さん。 (「週刊大衆」グラビアより)
2022.06.17
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんが司会をされた「おしゃれ30:30」に河合奈保子さんが出演し、奈保子さんが作成した「空間音楽」の話がでました。古館さんが「彼女(奈保子さん)凄いんですもん。曲を作ったんですよね」と言って、2枚のCDを紹介します。「これはどう見ても、環境音楽、リラクゼーション系のイメージがするんですが、そういう内容ですか?」との古館さんの質問に、奈保子さんが「そうなんです」と答えると、スタジオに奈保子さんの曲が流れました。「まるっきり環境音楽です。まったく歌のない、自然の風景というか、空間音楽って呼んでいるんですけど。言葉じゃなくて、音でそういう映像を」と奈保子さんが説明されると、古館さんは「いいじゃないですか!」と言い、阿川さんも「やっぱりきれい」とコメントされていました。ーーーーーーーーー私は河合奈保子さんの空間音楽系CDを3枚持っているので、紹介します。「Tears of Nature. the Gentle wind」、「Gentle Voice. the Gentle wind 」、「nahoko 音」です。ーーーーーーーーー↑ 古館伊知郎さん、阿川泰子さん、河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さんの空間音楽CD。「Tears of Nature. the Gentle wind」、「Gentle Voice. the Gentle wind 」。↑ スタジオに、奈保子さんの空間音楽が流れた。古館さんは「いいじゃないですか!」と言い、阿川さんも「やっぱりきれい」とコメントされた。↑ 河合奈保子さん。↑ 阿川泰子さん。ーーーーーーーーーーーーー私が持っている、河合奈保子さんの空間音楽系CD 3枚。ーーーーーーーーーーーー「Tears of Nature. the Gentle wind (1989年)」。ーーーーーーーーーーー「Gentle Voice. the Gentle wind(1990年) 」ーーーーーーーーーーーー「nahoko 音 (2006年)」
2022.06.16
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんが司会をされる「おしゃれ30:30」に河合奈保子さんが出演され、奈保子さんが日本作曲家協会の会員であることが紹介されました。「僕が凄いと思うのは、(奈保子さんは)歌を歌うだけでなく作曲もして、日本作曲家協会にもちゃんと入っている」と古館さんが話され、手には「社団法人日本作曲家協会会員名簿」を持ち、「河合奈保子ちゃんが並み居る男性の作曲家先生の中にストーンと入っている」と説明されました。古館さんが「やはり日本作曲家協会の総会があって?」と聞き、奈保子さんが「よく通知は頂くんですけど、なかなか、うまく時間が」と言いました。「行ったら面白いですよ、だって、浮いた存在になれるじゃないですか。遠藤実先生など男性陣が多い作曲家の中に奈保子ちゃんが出席したら」と古館さんが言うと、「やっぱり年配の方が多いので、今はどうかわからないですが、一時期は作曲家協会では最年少と言われました」と奈保子さんが話しました。阿川さんが「作曲と言う作業は、すごく男性的な気がするんですよ。作詞と言う作業がソフトで女性的で」と話し、古館さんが「確かに作詞家の女性は多いですよね。男性的なのかなあ」と言うと、奈保子さんは「うーん、そういうとこもあるかもしれないです」と答えました。そして「作曲家と聞くと、夜中に髪の毛ぼりぼり書いてたり、かき乱して書けないと言ったり、苦悩のアマデウスじゃないけど」と古館さんが言うと、奈保子さんは「ありますよね。今日はよく頑張ろうと思って、でもそういう時ってたいがいよくないんですけど。ヘアーバンドじゃないですけど、バシッと(頭に)して意気込んじゃって、逆に疲れちゃったり」と話していました。ーーーーーーーーーー河合奈保子さんは、少しずつ作曲をしてはコンサート、LPレコードで紹介してきたのですが、1986年10月に発売されたLP「スカーレット(Scarlet)」では、10曲全てを作曲して発表します。これらが評価され、1986年12月に、最年少として、そしてアイドルを経験した歌手として初めて、日本作曲家協会の会員になりました。↑ 河合奈保子さん。↑ 古館さんが、日本作曲家協会の名簿の一部を紹介した。↑ 社団法人日本作曲家協会。↑ 河合奈保子さんの氏名がある。↑ 河合奈保子さんの部分。↑ 河合奈保子さんと阿川泰子さん。ーーーーーー↓ 奈保子さんが全曲作曲したアルバム「スカーレット」。奈保子さんは作曲し続けてきたことが評価され、1986年12月に日本作曲家協会の会員になった。奈保子さんは当時、最年少の会員だった。
2022.06.15
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんが司会をされる「おしゃれ30:30」ですが、河合奈保子さんが出演され、ヒデキの弟・妹コンテストで優勝し、デビューした頃の話がありました。「オーディションは3月16日で、6月1日にデビューが決まっていたので、わずか2~3カ月の間にレコーディングはしなきゃならないし、慌ただしかったです」と奈保子さんが言うと、阿川さんが「ものすごいスケジュールですね」と驚いていました。古館さんも「つまみ菜の栽培に近いです」と言い、阿川さんは「あっという間ですね。逆に考えればあまり色々と考える時間を与えない方が、良かったかもしれない」と話しました。古館さんは「あっ、分かった。一時期、奈保子ちゃんがよく言われたのが、はきはき、ハイ、ハイと元気よく答えるイメージがあったじゃないですか。これもやっぱりハイハイとこなしてないと、慌ただしいのでいちいち立ち止まってられないというのもありますよね」と言いました。奈保子さんは、「(ハイハイと言ったのは)癖なんですよね。ラジオなんかでもよくゲストで言っても、トークよりもハイ!という返事ばかり針が振れる」と言い、阿川さんは「針がビビッ、ビビッ、となっちゃう」と指を振って笑っていました。↑ 河合奈保子さん。↑ 阿川泰子さん。古館さんは「あっ、分かった。一時期、奈保子ちゃんがよく言われたのが、はきはき、ハイ、ハイと元気よく答えるイメージがあったじゃないですか。これもやっぱりハイハイとこなしてないと、慌ただしいのでいちいち立ち止まってられないというのもありますよね」と言った。↑「(ハイハイと言ったのは)癖なんですよね。ラジオなんかでもよくゲストで言っても、トークよりもハイ!という返事ばかり針が振れる」と言って、指を振った。↑ 阿川さんも指を振ってみた。
2022.06.14
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんの番組「おしゃれ30:30」で、河合奈保子さんがオーディションに合格したときの話がありました。古館さんが「これは有名な話ですけど、西城秀樹さんの妹役として、突然オーディションにババババッと受かって行っちゃうでしょ。親御さんは驚いたでしょう」と切り出しました。奈保子さんは「歌は好きだったんですけど、まさか歌手になれるとは思っていなかったので、本当に親にも内緒で、友達にも内緒で受けて。送るデモテープには杏里さんの『オリビアをききながら』を入れて」と言うと、古館さんは「(歌詞にある)『ジャスミンティーは眠り誘う薬』、あれで目が覚めちゃう人が多いんですって」と言って笑いを誘っていました。奈保子さんは「テープはそれを送って、予選会では『春ラ!ラ!ラ!」を歌いました。忘れかけていた頃に予選通過の電話連絡を頂いて、本戦が東京であるのでということで、まだ16歳だったので、親が一緒でないと行けないんです。その時初めて親に言いました」と話すと、「親御さんも心配されたでしょうね」と古館さんが言いました。「最終予選会場は中野サンプラザだったんですけど、2部構成になってて、第1部がオーディションだったんですよ。それが終わると2部が西城秀樹さんのコンサートだったんです。私はオーディションが終わったら西城秀樹さんのコンサートが見られると思ってたんですけど。私は秀樹さんのファンで球場コンサートとかにも行ってたりして。終わったら秀樹さんのコンサートがあるので、それをとても楽しみにしてて。そしたらオーディションに受かっちゃったものだから、うちの父親も何が何だかわからないし、週刊誌の人や新聞紙の人たちが集まり、記者会見が目の前で始まって。だからその頃の写真を見ても、なんだかどこを見ているんだか」と奈保子さんが言うと、阿川さんが「ハトみたいになっているみたい」と言いました。「秀樹さんのコンサートを見ている場合じゃないという事で、父と私は一目散に東京駅に向かって。とにかく帰ろうという事で新幹線に乗って、大阪に戻って。3時間ちょっと、ずっと無言で」と奈保子さんの話が続きます。古館さんは「その時の父の心境、胸中は複雑ですよ。これは大変ですよ、お父さんは」と言うと、阿川さんが「どうして分かるの?お父さんの気持ち」と聞き、古館さんは「お父さんだったんですから」と言って笑いを引き出していました。古館さんは「私はお父さんの化身だったんですから」と言い直し、「でもそうだと思うよ」と言いました。阿川さんも「3時間も無言だったという事で、(父親の)気持ちが分かる」と言うと、奈保子さんも「会話にならないというか、うーんみたいな。言葉が出ないっていう感じで。今でもその空気感というか、思い出します」と話していました。↑ 河合奈保子さん。↑ ヒデキの妹コンテストで優勝した奈保子さん。↑ 阿川泰子さん。↑ 古館伊知郎さんと河合奈保子さん。
2022.06.13
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古館伊知郎さんと阿川泰子さんが司会をされた「おしゃれ30:30」で、河合奈保子さんが出演され、焼き肉の話になり盛り上がりました。古館さんが元アイドルに当時の事を聞くと、「アンパン一つ食べられなかった」という話があったと切り出すと、奈保子さんが「私は結構食べる方だったし、今もよく食べますけど。お肉を沢山食べたり、焼き肉を食べようとか、そんな感じです」と話します。阿川さんが「結びつかないですね。(奈保子さんは)焼き肉って感じじゃないですね」と笑いながらコメントされていました。古館さんが奈保子さんのデビューシングル「大きな森の小さなお家」ジャケットを手にして、「これだけ健康的でピチピチだったら、当時は...」と言って、奈保子さんのデビュー当時の映像(1980年紅白歌のベストテン」の映像を紹介されました。初々しい笑顔で「大きな森の小さなお家」を歌う姿が映し出され、奈保子さんはとても恥ずかしがっていました。古館さんが「16歳?」と聞き、奈保子さんが「16です」と言うと、古館さんは「焼き肉を食べてた頃ですね、ビンビン!」と言って笑いを取っていました。16歳の時の映像を見終ると、奈保子さんは顔にびっしり汗をかいていました。古館さんが「汗かいてらっしゃるんですよ。焼き肉食べた後なんでしょう?」と言うと、奈保子さんは「今日は素麺」と答えました。古館さんはそれを聞いて、「河合奈保子は律儀ですよ、昔から。『焼き肉ですか』と軽いノリで聞いたら、ピシッと訂正するあたりが」と言い、奈保子さんがハンカチで顔の汗を取っていると、「汗ばんでいる姿も色っぽいですね、色白で」と話しました。奈保子さんの肌が白いという話になり、奈保子さんは「夏に肌を焼きたいんですけど、一回肌を焼いて失敗したんですよ。赤くなって」と言うと、古館さんは「焼き肉も肌も、焼きすぎはダメですよね」と、焼き肉の話を持ってきます。古館さんが「なんで焼き肉でからかっているかというと、歌番組の「夜のヒットスタジオ時代」に司会として歌い手さんのネタを拾っていたが、(奈保子さんは)タコ焼きが異常に好きと聞いた」と話し、奈保子さんは「たこ焼きとかお好み焼きが大好きです。家でもよくやります。鉄板焼きも好きです」と答えました。すると阿川さんが「鉄板ですね!(奈保子さんは)基本形が鉄板で!」と話し始め、古館さんが「阿川さんが大真面目で『わかった、彼女はベースが鉄板で』って言って、なんだかよく分からないですよ。熟した女になりつつある奈保子さんに『ベースが鉄板で』とは、『ロボ・コップ』じゃないんですから」と笑いを引き出していました。↑ 阿川泰子さんと河合奈保子さん。↑ 古館伊知郎さんと河合奈保子さん。奈保子さんが焼き肉をよく食べるという話を聞き、阿川さんが「結びつかないですね。(奈保子さんは)焼き肉って感じじゃないですね」と笑いながら話した。↑ 奈保子さん16歳のデビューシングル「大きな森の小さなお家」↑ 古館さんが「16歳?」と聞き、奈保子さんが「16です」と言うと、古館さんは「焼き肉を食べてた頃ですね、ビンビン!」と言って笑いを取った。↑ 古館さんが「汗かいてらっしゃるんですよ。焼き肉食べた後なんでしょう?」と言うと、奈保子さんは「今日は素麺」と答えた。↑ 古館さんが「河合奈保子は律儀ですよ、昔から。『焼き肉ですか』と軽いノリで聞いたら、ピシッと『素麺』と訂正するあたりが」と言った。↑ 奈保子さんが「たこ焼きとかお好み焼きが大好きです。家でもよくやります。鉄板焼きも好きです」と話した。↑ 阿川さんが「鉄板ですね!(奈保子さんは)基本形が鉄板で!」と話した。↑ 古館さんが「阿川さんが大真面目で『わかった、彼女はベースが鉄板で』って言って、なんだかよく分からないですよ。熟した女になりつつある奈保子さんに『ベースが鉄板で』とは、『ロボ・コップ』じゃないんですから」と笑いを引き出していた。
2022.06.12
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