エレファントピア

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大菩薩峠(岡本喜八)


岡本喜八監督 1968年 東宝
主演:仲代達也

英題“Sword of Doom”(運命の剣!)

判定 ★★★☆


ちょっとあげすぎかな~
もちろん原作はかの有名な中里介山の大衆小説。
大正から昭和にかけて連載されて、且つ未完に終わったという
執念燃え尽き系小説でございます。

私は小説も読んでいないし、市川雷蔵バージョンも見ていないので
他のメディアとは比べようもないのですが、この「大菩薩峠」は良かった。
返って他メディアを知らないから良かったのかもしれませんが。

まず役者勝ち。
最近では舞台怪優の大御所として、インパクトが服を着ているような仲代達也ですが、こんな時代もあったのね~~~という男ぶりです。
いい男ぶり、というか、悪い男ぶり。

主人公はこれでもかこれでもかとさくさく悪行を重ねていくのですが、
それがどろどろしないで、非情でありながら、狂っているわけでもなく
ただそこにある悪という成され方が、仲代達也ならでは。

ストーリー自体も(暗いけど)娯楽映画として十分楽しめる内容なのですが、
なんといってもラストが。




最後は、火の手の上がった料亭かなんかで、敵をばったばったと
倒すのですが、これがなんとも切っても切っても沸いて出る。

この時の敵は、主人公を裏切ったばかりの新撰組なのですが、
その数まさに、最盛期の3倍はいるんじゃないの?的様相。

且つ、主人公、結構切られてます。腕も切られた、足の甲もぶっ刺された。
額もやられて、ふらふらしながらそれでも向かってくる敵だけはちゃんと
やっつけます。

おいおい、いくら娯楽映画といっても、そりゃあないんじゃないの?
と思っていたら、






の文字が……!!


いや~、びっくりした。終わっちゃったよ…



どういうことだ、説明しろしろ
と、うるさい夫に

このラストの殺陣シーンは、途中でリアルからイリュージョンに突入したのだ。

今後の主人公の歩む人生のメタファーなのだ。

その証拠に、敵は蟻のごとく切っても切っても沸いてくるし、

主人公はプラナリアのごとく切られても切られても死ねない。

仏教には修羅地獄というものがある。

主人公の生きた人生は修羅であり、死んでも、たとえ生き続けてもそれが続くのだ。

ということなんだよ!
と、テキトーに答えておきました。
(ほんと、テキトー…)




まあ、原作ではこの後主人公は失明して、旅の浪人となり、
物語は大乗仏教の影響を多大に受けたものになるそうです。

映画としては、やや乱暴だけれど、他のありきたりの終わり方より良かったのではないのかなー?




最終更新日 2005.06.19


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