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桜が心を和ませてくれていますね~自宅近くの須磨裏公園に行ってきました。ここは一の谷の合戦があったところです。敦盛塚もあります。今年は、素敵なイラストで表現された敦盛に胸が躍ります平家物語に語り継がれる悲運の若武者「平敦盛」平清盛の甥として、笛の名手として、美男子の誉れの高い敦盛は義経との一の谷の合戦で、わずか16歳で須磨浦の海に散りました。源氏に追われた際、大切な家宝の笛を忘れたことに気づき海上に浮かぶ船に乗り遅れてしまった敦盛は源氏の武将、熊谷直実に、覚悟を決めて勝負を受けます。直実は、そのあまりの若さと、自身の息子も16歳で戦で命を落としていることから首を討ち取るのを躊躇しますが敦盛は、「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。 すみやかに首を取れ。」と答え、潔く最期を全うしました。直実は、その後、世を哀れんでこんな歌を詠みます。 『人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり 一度生を受け、滅せぬもののあるべきか』直実の、悲しみや哀悼だけでなく、命に対する慈しみや武将として生きた日々の中でみつけた、命への畏敬の念を感じます。桜は、そんな私たちの日々の心情を知る由もなく今年も満開を迎えました
2012年04月11日
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ここのところ、朝起きたら目やにが・・・・どうしたんだろう?と気になっていたので昨日、眼科受診なんと涙量チェックの結果、かなりのドライアイでしたパソコン作業は1日中だし自覚はなかったけど、そうなっても仕方ない状況だったな~と反省しばらく目薬を1日6回コンタクトは厳禁になり明日からメガネで外出??とがっかりしていたら、駅にあるお店の開店記念で、かなり安いメガネがあるではないですか・・このお店・・・http://www.jins-jp.com/あの人も・・・かえたみたい・・・のCMのようにイメチェンといこうかな・・・と、さっそく選びました~でも、いつもの定番のやつに落ち着いてしまいました・・仕事柄、あんまりメガネが目立つもの変だしね~しばらくメガネ姿で仕事をしていますが、そんな訳ですので目を労わっていきますね。今日は、午後からFM宝塚の取材を受けますよ~
2012年04月03日
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「異常なし」やっと健康診断の結果が届いて、ほっとしました~2週間前、乳がんの検診に行った際の触診で「しこりがありますね~」といわれて、ずっと気になっていました。これまでとは違った大豆ほどの硬結をしっかり感じるし触れるとズーーンと響くように痛みもある。結果が出るまで、毎夜腕を上げて恐るおそるさわってみる。今日もあるな~グリグリ・・・さわらなくても、「ここにあるよ~」とその場所にかたまりが居場所を主張しているように思える。結果が出るまでは、考えないようにしようと思っても生命保険はどれくらい使えたかな?仕事、セーブしといた方がいいかな?明るい気持ちにはなれず、心が晴れない状態がつづく・・・こうして、”病は気から”を実感しましたそれにしても、あのドクターもうちょっと気持ちが楽になるようないい方をしてくれてもいいのに・・・「小豆ところじゃないですよ、もっと大きいかたまりですよ。」フォローしてくれないと、かなりショックでしたよ~遺伝子の研究者である村上和雄先生は人の遺伝子は97%眠っていて遺伝子のスイッチをONする生き方などを著書にまとめておられます。心に強く反応する遺伝子もあり、心や気持ちの持ち方で遺伝子のはたらきが違ってくることもあるそうです。大きなショックを受けて、一晩で頭髪がまっ白になってしまったとか部分的に髪の毛が抜けてしまったということは、明らかに遺伝子の影響によるものなのだそうです。遺伝子は一秒の休みもなく髪の毛になるタンパク質をつくり続けるよう指令を出しているのですがそれがいっせいに白くなるのは、髪の毛に色素を提供する遺伝子がOFFになったことを意味します。あるいは、高齢になった時に出てきはたらくはずだった老化用の遺伝子がONになったとも考えられます。好ましい遺伝子をONにし、都合の悪い遺伝子をOFFにする秘訣はものごとを良い方に考えること、つまりプラス発想が大切でどちらを選ぶかとしたら、プラス発想でいきたいですねでも、不安やネガティブな思いを消すことは難しいですねもしや・・という捉われの気持ちに支配されていたら乳がんだったらどうしよう、という思いが抜けませんでした。最新のうつの治療法には、脳に直接電磁刺激を与えるという治療もあるそうですが脳を変える言葉の力として、認知行動療法も紹介されていました。仕事上でミスをしたと悩んでいても、ミスはたった1%、他に99%出来ていることに目を向けて気づかせる。HAPPYという文字をみて、好きなこと、幸せだったことを思い出すそんなイメージ法を練習することで、好ましい遺伝子をONにできたらいいですねバイオフィードバックの練習用のソフトを持っているので気球を大きく飛ばして、心を明るくさせるイメージのトレーニングをしようと思います。
2012年02月18日
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神戸にも、珍しく雪が舞い散る午後でしたよ~最近、いつもココロの片隅にあり、幾度も目にするコトバ 『伝えるチカラ・・』今日は、共同通信社の記者さんから取材を受けました。東日本大震災後の、ボランティア活動についての取材でした。アロマセラピストとして、出来ることと言えば疲れたカラダとココロを癒す、アロママッサージ身体に触れることから始まるコミュニケーションの本質とは・・・五感に与えるメッセージの数々は自分は一人ではないんだこれまでもそうだった母がいて、家族がいて、友がいて社会とのつながりの中でも、自分はひとりではなかった。いつも気にかけてくれる仲間がいてそして、いま生きている・・・・いつも一人ではなかったきっとこれからも、誰かとつながり、地域や社会とつながり目的を同じくする仲間とつながりまずは、自分の中の思いや夢や信じるものとの出逢いから始まる・・・自分と社会とのつながりを取り戻すことそのために、アロマセラピーという五感に触れるツールを活用していることそんな事を伝えたかったな~ワタシの思いは、今日もちょっとだけ空回りだったけどきっといつか・・・自分のコトバに出会うんだと思う。伝えるチカラ・・・持ちたいです。
2012年02月02日
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12月、宮城県南三陸町の仮設へ、アロマ・ボランティアに行きましたがその仮設から、年賀状の変わりにでしょうか、龍の絵柄と「お世話になりました」と書かれた葉書が届きました。そこには・・・昨年はたくさんのご支援お心遣いをいただき、ありがとうございました。新しい年が穏やかな年でありますよう心からお祈りいたします。本当にありがとうございました。アロマの皆さんによろしくお伝えください。平成24年 元旦とありました。元旦のご挨拶に、このような葉書をたくさんのボランティアさんに出しておられるのでしょうね読んだだけで、胸が熱くなりました。仮設で暮らす皆さんは、どんなお正月だったのでしょうか。寂しいお正月ですよ~年賀状も誰からも来ないしお祝いっていう気持ちにもならないしね~って話していた皆さんボランティアに行って否、行かせてもらって、受け入れてもらってそれだけでも、たくさんプレゼントを頂いたようなものです。こちらこそ、ありがとうございました!17年前の神戸の震災では、さまざまな形態のボランティアが生まれ、ボランティア元年と呼ばれました。今回の震災では、震災後の支援活動・ボランティアの内容もかなり変化しているのを感じます。被災地へバスで行き、1日だけ災害支援センターでのボランティア活動をした後に、現地近くの温泉に入ったりホテルに泊まり、買い物をするボランティアツアーは、以前は不謹慎との感覚も残りましたがこれは新しいボランティアの形となりました。寄付や支援活動は、人と比べたり評価するものではありませんし省エネなどエコ生活や消費事態をも見直すことにもつながっています。お金の生きた使い方を考えるようになりました。施しとは違う、喜びを分かち合う消費、使う事が誰かの役に立つという実感を伴う、新たな支援について考えました。1月12日、宝塚市のシンポジウムいよいよ、阪神・淡路大震災1.17追悼・防災啓発行事が近づいてきました。 『語りつぐ震災』 ~安全安心なまちをめざして~うーーん本番に強い私ですが、ちゃんと話せるだろうか・・・と心臓バクバクしながら、緊張しています。俳優であり、阪神淡路大震災「1.17希望の灯り」の代表、堀内正美さんの講演を楽しみに、是非いらしてくださいね。
2012年01月08日
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2012年になりました。いろんな大きな変化のあった2011年でしたが年が明けて、今年ほど、穏やかな1年を願ったことはなかったですね。年賀状も「おめでとう」と伝えていいのか迷い、何度も見直し大晦日からの3日間で、指が痛くなるまでたくさん書きました。人々の心に衝撃を与えた大きな震災を乗り越えてたくさんの絆が芽吹いています。新たなアロマとタッチの種を花開かせようと思います。明るい年となるように、未来が輝いていくようにと願って作成しました。皆様との出愛に感謝でいっぱいの気持ちをお伝えしたいと思います。元旦は、須磨浦公園の旗振り山に登り山の上からのご来光に手を合わせました。海を行き交う船と、海を照らす朝陽は神々しかったです。皆様にとって、良い年となりますように。
2012年01月04日
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これまで、依頼されたことは全部お断りしないで引き受けてきました。 ”頼まれごとは、試されごと”見えない糸で引きあげてもらっているように、自分では身の丈に合わないお仕事と思ってもこれまで、全てお断りせずに挑戦と思って取り組んできました。そうして2月25日(土)神戸市男女共同参画センターさん主催の「からだセミナー」の講義の中で、『アロマ&タッチケア~こころとからだに寄り添う香りとコミュニケーション』の講座も決まっていきました。こちらは、12月8日からお申込み受付をしたのですが、もう定員の30名を超えているそうで、40名まで枠を広げました。参加したいと思われていた方は、急いで下さいね。お申し込みはこちらから→ あすてっぷKOBEし・か・し・・・これだけは、まだ、引き受けたくなかったな~という依頼がやってきました。1.17の体験と、今回の東日本大震災を通して 『語りつぐ震災』 ~安全安心なまちをめざして~という宝塚市のシンポジウムに、パネリストとして呼ばれました。。。阪神・淡路大震災1.17追悼・防災啓発行事俳優であり、阪神淡路大震災「1.17希望の灯り」の代表、堀内正美さんが講演された後パネルディスカッションに指名されました。困りました~逃げ出したい心境ではありますが・・・頼まれごとは試されごと!NOは言ったことがないので、やってみるしかありませんがドーンと皆さんの胸をお借りして、取り組んでみようと思います1.17の体験から、こうして3.11の震災後の活動へと衝き動かされていること生かされていることきっと、私の中に”語り継ぎたい震災”があるのだと思います。少し封印していたものを、外してみようかなとおもっています。お正月を前に、被災地では喪中で暗い正月を前にせめてクリスマスだけは楽しみたいクリスマスだけは、大人も子どもも、ボランティアも一緒になって騒ぎたいそういって笑っていた南三陸町の皆さん。悲惨な日々の中でも、どこかに喜びや希望の灯りを見出そうとされる人としての欲求、苦難を超えて来られた人の力強さ前を向こうとするパワーを、たくさんいただきました岩手やあちこちで聞かれた、兵庫県の水を乗せた車が一番早く来たよ。兵庫県の警察が一番最初に助けに来てくれた。大きな震災のあった神戸から、たくさんの人が物資を運んできてくれた。そういって、お互い様の中から生きる希望へとつながっていくこと。私の語り継ぎたいことですこれらの震災が教えてくれたこと。風化させずに伝えていくこと。お時間が合えば、是非いらしてくださいね。
2011年12月22日
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今日は、午前中は、妊娠5か月から、アロマを受けて下さっていた方の出産のお祝いに向かいました。病を抱えておられたので、出産は帝王切開となりますが・・これまでの手術の経験から、痛みには慣れているただ不安なのは、その後の子育てのことどんな風に生まれるかは医療者にお任せしてもそれからの赤ちゃんとの生活をどのようにすればいいのか準備しておくといいものは?新米ママさんとしての不安が一杯です。月に2回予約してアロマルームに通って下さいましたが毎回、新たな疑問質問が持ち込まれます。いつもご自分のことは棚上げして、赤ちゃんのことばかり・・じっくり時間をかけて待ち望まれていた待望のプレゼントだからこそ大切にたいせつに育まれている姿に、こちらも何度も感動させていただきました プーさんを飾った ”おむつケーキ”をプレゼント それから、午後には、「ほっこり庵」さんに、スクール生を連れて実習です水曜日には、『日本初の男性介護者の会』とテレビ「ちちんぷいぷい」で紹介されていましたね。先週のアロマボランティアの様子は残念ながらカットされていましたが私のエプロン姿が少し映っていたとか・・・今日は、5名の方が来られていました。いつもより丁寧に、時間をかけてお話をお聴きしました。アロマのタッチの心地よさと、ほっと打ち解けた話しやすさから皆さんの語りが進んだのは、言うまでもありませんがそれぞれ立場や環境も違い、男性の介護といっても個別性がありそういう意味では、男性だから、女性だからと介護に違いはなく今後、性差ではなく、介護者としての共通の思いや違いを含めて介護の困難さを共有していくことが、出来るのではないかと思ったりしました。ジェンダーの問題は簡単にはいきませんがここに来ると、女性の生きにくさを忘れてしまいます。介護の現場では、男性が生きにくいのです。これまで、フェミニズムを学んだ私にとっては、不思議な場でもあります・・・ スクール生さんも、傾聴がとってもうまくできていてハナマルの仕上がり。さて、ほっこり庵さんを出た後は、明日の実技講習会に備えての会場の準備に向かいます。明日は、また、どんな一日になるでしょうか緩和ケアで活かせる、心に寄り添うタッチを感じてもらおうと思っています。
2011年11月05日
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今年も残すところ少し・・・スケジュール帳もかなりボロボロになりまして来年用の新しいもの探さなきゃ9月から、3か月間のアロマスクールが始まり週に3~4日、6時間の講師をしています。週末には、NPOの活動がありアロマカフェの開催や東日本大震災のボランティアでハンドマッサージブースを提供したり男性介護者の会で、アロマボランティアに伺ったり日本産精油を抽出された、オークヴィレッジの稲本正さんにお会いしたり自然治癒力学校の次世代につなぐセミナーのスタッフをしたりタッチケア支援センターさんから、パネリストでお招きいただいたりホリスティック医学協会関西支部のシンポジウムのスタッフをしたり中山寺のプレママフェスタで、妊婦さんへのタッチケア講習会をさせてもらったり緩和ケアでのアロマ講習会で、関本先生をお招きして講師もしたり医療界のフットケアの第一人者をお呼びして、フットケアセミナーを開催したり大阪のデイサービスで、香りとタッチケアの講習会も3年目に入ったり介護分野でのアロマ導入のための研究の打ち合わせに京都へ行ったり新しいホスピスでのボランティアにうかがったりビューティワールドジャパンウエストで、浅井先生のセッションのアシスタントをしたり休みなくホリスティックとアロマ三昧だった9月、10月ですがこんな忙しい最中に、みごとに風邪をひいてしまい2週間声が出なくて困ったのでした11月に入ったら、緩和ケア講習会もSTEP4、実技講習会となりますし日本アロマセラピー学会総会が東京で開催されますしタッピングタッチの講座もありますホリスティック医学協会関西支部では、生活習慣病予防指導師研究会もありますね~こころの断舎利のやましたひでこさんとおのころ心平さんのセミナーのお手伝いもあるし街の保健師さんの活動として、”香りとタッチのセミナー”の依頼もあったり介護職員100名を対象とした、アロマの講習会もあるし12月に入ったら院内研修でのアロマ講座は2か所入っているし宮城県南三陸町へのボランティアバスにセラピストを乗せて運行するし怒涛の流れに乗って、2011年度に突入しそうですね~来年度も、順調に、淡路島と神戸市で講義依頼2つ決まったしねアロマセラピーの可能性を広げる活動に目一杯取り組みアロマ三昧させて頂いて、在り難いことです!
2011年10月27日
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なんと・・・・華やかな熱い視線があつまる舞台ゆうに300人近くいる・・・”ビューティワールドジャパン ウエスト”の メインステージその華やかなステージに・・・・浅井隆彦先生のアシスタントで、ステージ上に上がりました~ モデルさんは、アニマルアロマセラピスト”ともこ塾”の友子さん10年以上前、浅井先生のアロマトリートメントに出会ったことがきっかけでアロマセラピストになられた、友子先生みずからモデルさんになられました。 浅井先生のセッションは 『日本人のライフスタイルにあったマッサージのすすめ』1時間で、世界のマッサージを旅するような、とっても興味深い内容です。多くのアロマスクールで教えるマッサージは、スゥエディッシュマッサージが基本とされていますがはたしてそれは、日本人が好むマッサージなのか?たとえば、どの向きに流す方が気持ちいいと感じるのか適切な圧力は、どれくらいかどの部位に、どんな手技を行うのかまた、高齢者さんへは、どのような注意が必要か浅井先生は、鍼灸マッサージ師、アロマセラピストとして世界のマッサージを見てこられた経験を活かして、パワフルにお話されます。1時間もあっという間で、終わってからも質問者が絶えません・・・お疲れの中でも、浅井先生は、どのような質問にも熱心にお答えされていたりたくさんのお仲間が、ご挨拶に来られるを、お一人ずつ真剣に向かい合っておられたり人材育成も精力的にこなしておられる先生ですからさすがです 大きなステージでのアシスタントの大役をいただき先生の後ろから見守り、次の動きを読み、手を出していきますがスポットライトが熱くて、汗だくになりながら余計なことをしてはいけないと、緊張してうまく動けませんでしたし、終わってみれば、もっとこうすればよかったと反省点もたくさん・・・浅井先生の熱い想いと息づかいを感じながらステージを創り上げる感覚を教えてもらいました。貴重な経験をさせてもらったことに感謝しています。
2011年10月24日
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『ツレがうつになりまして』映画のモデルのツレ(夫)となった方にお会いしました千葉から宝塚に引っ越して来られたそうで東日大震災の被災者のための”お茶っこカフェ”にふらりと来られました映画のフライヤーをもって、ご自身がモデルだということもニコニコお話されます私たちのアロマのハンドマッサージブースにも来られてこれまでの苦悩を物語る傷ついた手を笑顔で差し出してくれます3年間うつで苦しんでおられて何がきっかけでここまで良くなられたのか? とお聞きすると奥さまの飾らない深ーーいひと言だったそうです「治らなくていい、治らない方がいい・・・」そういって、今の自分を丸ごと受け入れてくれている言葉に治そうと頑張らなくていいと思えて、うつから回復されたそうです今は、3歳のお子さんの育児を楽しんでおられてこうして、誰かの役に立つのならと、映画の告知をされているのです『ツレがうつになりまして』映画ホームページ映画では、「ガンバラなくていいんだよ・・」という言葉に置き換えられていますが「治らない方がいい・・・」そのコトバが、何の気負いもてらいもなく、奥さまの口からごく自然に語られその包み込むようなコトバと彼女の存在の全てそして、今の自分をそのまま、ありのまま認めてくれていることその大きな肯定的な愛に包まれて感じたやすらぎ・・・・奥さまの存在が一番うれしかったそうです。うつで苦しんでおられる方やそのご家族に、是非観ていただきたいと望まれ私たちとも記念撮影うつからどうやって回復され、今を取り戻されたのか、是非御覧になってくださいね~ 次回のお茶っこカフェは、11月12日です素敵なフライヤーができました。
2011年10月19日
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6月にお話を頂いていた滋賀県の介護施設でのアロマですがやっと担当してくれるアロマセラピストさんが見つかりました近くにお住まいで、介護分野でも働いたことのある方で知識、技術、お人柄も申し分ない方です。神戸からでは2時間以上かかりますし、交通費も高過ぎますのでやはりお近くの方にお任せするのが一番だと思います。介護施設では、週に3日1年間の期限付きでの挑戦でアロマセラピーを導入しての結果を出してほしいと言われています。結果を出せなければ撤退、結果が出れば成功報酬もなんて、実験的なお話なので、わくわくしません?介護分野でボランティアではなく、アロマセラピストが雇用されるのもまだまだ珍しいことです。セラピストさんは、個人事業主となって自宅サロンを開業される方が多いのですがこうして、アロマセラピストの雇用の場が広がっていくことが嬉しいですそれに、この施設では、日本産精油を使ったモデル施設にしたいのでその打ち合わせにも余念がありません。担当して下さる方と最終の打ち合わせが来週に迫ってきました。アロマの説明書や、記録用紙、同意書、予約表、報告書セラピストの誓約書、物品の準備と確認、材料の調達などまだまだ、さまざまな資料作りに追われています。施設への説明や、私の準備に対しての報酬はありませんがそれでも、アロマの種まきが実っていることを実感できて本当にうれしいのですご紹介いただいた、NPO法人関西アロマセラピストフォーラムの顧問を引き受けて下さっている先生からも 積極的にアロマセラピーが、 いろいろな施設で、利用されるよう努力していけるように、と温かなメッセージを頂きました9月1日開講の第2期アロマセラピーのスクールも始まります。ここでも、実技や、精油各論をお任せできるセラピストさんが見つかりました。こうして、セラピストが自分の持ち味や特性を発揮できて雇用の場をシェアしていけることが一番の喜びになっています在宅医療を始めた先生からは、訪問アロマセラピーのご紹介もありセラピストの新たな場が広がっていくような気がしています。そのためにも、アロマ以外の勉強も必要になってきますしセラピストが学び続け、表に出ない部分でも努力や新たなものへと取り組む姿勢も求められます。目の前にいるクライアントさんを通して共有し、受容し共に成長を喜びあい、大きな気づきを頂いて学ばせてもらいながらもその先の展開を見つめる眼も必要となってきています。私の種まきも実りが見えてきたような気がしています仕事から手が離れることはありませんが、アロマセラピストさんが、輝いていける場を提供していきたいと願っています
2011年08月25日
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アンマ来日プログラムの最終日梅田スカイビルのステラホールに向かいました~今日は、アンマの傍で瞑想したくて・・・40年近くの間、訪れる人、ひとりひとりを抱きしめるアンマ「休むことなく抱擁を与え続けることで、世界中の苦悩と闘っている」と、ニューヨーク・タイムズ紙にも絶賛されています。2007年には、アメリカCBSテレビで、世界でもっとも影響のある12人のスピリチュアル・リーダーの一人としてローマ法王、ダライ・ラマと共に紹介されています。たくさんの方が『ダルシャン』を受けるために整理券をもらい自分の番が来るまで数時間待ちます。夕方の部では、最終電車の時間を気にしながらになりますがそれでも、誰ひとりも、あきらめて帰らなくてもすむように急ぐ人を優先にする、心配りもされています広い会場には、それぞれの場でボランティアが温かく誘導してくださりとても優雅で整然と、秩序が守られた空間ですボディワークが出来る人は、その技術を提供しお菓子やパン作りが得意な方には、愛情こもったお菓子を提供してもらいアンマに関する本やCDや、アクセサリーや、アンマグッズを販売するショップもあります。多くのボランティアが、販売を手伝ったり、ダルシャンについて、初めての方に丁寧に教えてくれたり参加者の要望を聞き遂げようとしたり愛をこめて奉仕されているのがわかります。こころを洗われる聖なる時間でした朝の瞑想を一緒にできました。アンマの抱擁は、その大きな笑顔からこぼれる情熱とともに胸に中に入ってきました 「明日もよき行いができますように」
2011年07月27日
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マヤ歴のカレンダーでは、 7月24日が 大晦日 7月25日が 神に祈りをささげる日 7月26日が元旦 なのだそうです。 明日からの、新しい1年のテーマは 「白い律動の魔法使い」 潜在意識の力、人類の夢見る力=想像力が開花する という意味があるのだそうです 新しい緩和ケア病棟でのアロマボランティアも、4回目になりました。13名のご予約を受けて、セラピスト3名で、短時間であっても心を込めて行いました。アロマを楽しみに継続して下さる方もいて、回を重ねるごとに家族のこと、職業のこと、戦争中の体験など、それぞれのテーマのお話が広まりその方について、さらに深く知ることができます故郷のお料理のレシピを、セラピストにご準備下さった方もおられました。鍼灸のお仕事をされていた方は、鍼とマッサージは違うけど面で捉えるマッサージは、気持ちいいもんやな~と笑顔で喜ばれ私たちセラピストに、マッサージするときに大切なことは”技術・姿勢・行動力”と教えて下さいましたセラピストとしては、双方向の関わりの中で学びや気づきや、感動をもたらしてくれるこういったひと時が、とても貴重な財産となっています出会って下さる入院患者様といつも温かく迎えて下さる、緩和ケア病棟のスタッフの皆さんにも感謝でいっぱいです。帰り道、友人から、アロマを受けたいと言っている人がいるけど・・というご紹介を受けました。ちょうど、その近くを通って帰るから、途中下車して寄りましょうか?と友人に連絡していたら、約束した時間には着かないくらいに電車が遅れました。19時に駅前でと約束したのに、いつ到着できるやら・・・とハラハラドキドキ・・・・15分後、やっと到着した電車に乗って、待ち合わせ場所に駅に急いでいたらその1駅手前の駅から乗ってきた一団の中に、英語を話す目立つ人がいて もしかして、この声ってP先生??懐かしい声の張本人にバッタリ出会えました思いっきり電車の中でハグしてくれたんですが・・・・恥ずかしいくらいに、騒ぐしかなくて 「えーーー!!こんな事ってあるの?」 「やっぱり会えたでしょう!」って友人もいうし・・・電車が事故で遅れたのも、乗った車両が同じで、私が座っていた座席のすぐ近くのドアから乗り込んできたのも偶然というか・・・ 「これって、シンクロだよね~」 =意味のある偶然の一致が起こっちゃいましたねそれから、P先生のセミナーの受講生さん達に私のアロマトリートメントを体験して頂いてみんな不思議な人だったので、この日起こったことも納得しました神様に祈りを捧げる日ですから明日からの新しい一年に思いを馳せて、これからを楽しんじゃいましょうね~
2011年07月25日
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思い返せば、3月11日の東北地方を襲った、大きな津波被害の映像を見てから16年前の阪神淡路大震災で未消化のままに封印していた気持ちや、さまざまな感情や葛藤を抱えながらどうしても、被災された方の傍に行きたいとの思いも沸き立ちこれまで3回、岩手や福島の被災地へと、ボランティアに入りました。初めは、アロマセラピストのタッチケアにといっても受け入れてもらえるだろうかボランティアに来ましたといっても、所詮よそ者傍に寄り添いたいというのは偽善?ボランティアと言っても自己満足にしか過ぎないのでは何のために?何ができるのか??漠然とした不安な気持ちのままで、岩手花巻空港に降り立ったのです。そこで、見た風景は、16年前と同じだったけど・・・もっと広範囲で規模も大きく、まともに目を開けられないほど、ひどい現状でした。16年前も避難所で行っていた、足湯隊やボランティア活動避難所での言いようのない混乱、不条理感を飲み込みながらいつか誰かが助けに来てくれると思いたい心情持っている人と、持ってない人に分かれる格差を目の当たりにするとき心の中で、怒りが嫉妬に変わるとき悲嘆にくれながらも、差別が生まれていく日々の中で取り残されたものが味わう苦悩絶望と孤独葛藤の中で見つけた、進む道を照らす1筋の光り そうやって、安全な場所を探してまた生まれ変わったように16年間送ってきた。そんな中、また魂を揺るがすような震災を目にし被災地へと心が騒いだんですボランティアとして受け入れてもらってたくさんの方に喜んでもらい、被災されながらも、支援者として活動されている方とも交流したあれから・・・・3回のボランティア活動の報告書をまとめて気づけば、置き去りにしてきた日常が山のようにのしかかってきたように感じた何とか、取り成しながらやってきたけど身体は正直・・・疲れちゃったみたい・・・・身体が眠くて眠くて仕方ないなので、この連休も、宮城県に入る予定だったけど少しだけ、お休みにしました。できるだけ眠って、年末以来念願だった断舎離のパート2を決行。今回は、早くやらなくちゃ・・・と焦っていたけど見ないようにしてきた場所に手を入れました。アロマを学びだしてから11年間の資料やテキストの整理とNPOを始めてから、山のように積みあがった資料の整理です。45Lのごみ袋が10個くらいでしょうか・・・・よくもまぁ、こんなにたくさん家の中にあったものだと感心することしきり・・・大切だと思ったいたもの、いつか返事しようとか、いつかまとめようとか落ち着いたら見直したいと思っていて、5~10年経ち、ほこりを被ったものたち名残惜しいものもあったけど、ちょっと整理します思いのままに受け入れて、行動して16年前の衝撃も体験も、活かされたように感じて一区切りが出来たような気がしています。これからも、被災地へのボランティアは続けていきますがより人として成長していることを実感して新しいものたちとの出会いも広がりますように
2011年07月17日
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明日から、岩手県にボランティアに入ります5月の連休から、2度目の岩手となります。7月の第2週目には、福島から兵庫県に避難されている方の”里帰りボランティア”のバスにも同乗させてもらって福島県の避難所にもアロマセラピスト・ナースとして活動させてもらう予定です明日からの活動には、NPO法人関西アロマセラピストフォーラムから2名とNPO法人タッチケア支援センターの代表理事の3名のセラピストで向かいます。花巻空港に到着後、前回もお世話になった地元の支援団体”ゆいっこ花巻”さんの事務所に行き午後からは、大沢温泉に避難されているご家族に、アロマオイルを使ったタッチケアを行います。夕方からは、”ゆいっこ花巻”の皆さんとの交流会も用意してもらっています。被災地の支援団体としても、これから避難所から仮設へと支援の対象が移行していくことから、今後の支援について模索されていて16年前の神戸での様子を聞きたいとの事でした。避難所となった体育館で過ごし、母子家庭だったことから優先順位が上位だったので地下鉄沿線で便利の良い仮設でしたが、プレハブ住宅に1年暮らしました。あの時の事を思い出すと、本当にさまざまなことがあったな~とジーンと込み上げてきて涙があふれてきますから、きっと辛かったのだと思います。きっと、心の奥底に押し込めてきた感情があるのだと思います。仮設での生活は、あまり思い出したくないので、誰にも語ったことはありませんでした。何かで取材のようなものを受けた時に 「捕虜収容所にいるみたいで・・・・」とお話した事がありました。周囲には、立派なマンションや、素敵な一戸建てが並ぶ地域でした。その中の空き地に建てられた仮設住宅フェンスで覆われ、雨が降ると水たまりがあちこちに出来て玄関となるドアも水たまりの中にあり、雨の日は一苦労でした。劣悪な生活環境と言っても、避難所に暮らす方からみれば天国のような個室空間での生活かもしれないから、何も言えなかった。みじめだな~と思いながら、仮設に帰るときには、周囲に見られたくないと、周りに誰もいないことを見回してからフェンスの中に戻ったし何も悪いことをしてないのに・・・・病院の勤務を始めても、なんだかみじめで孤独だった。。。。。あの頃の生活。5月に岩手の避難所で出会った時には「早く仮設に行きたい」と、皆さん口を揃えて言っておられた東北の人たちですが実際は、入居が決まり手続きをして、仮設のカギをもらっても、今なお、不便な仮設には行きたくないと、避難所に残られる方が多いそうです。その気持ちもわかります。個室で眠れるようになりたい、プライバシーを守って欲しいそう願っているけど、買い物ができるところがいいし病院が近いところがいいし、不便なところは嫌だと思います。命さえあればという混乱期から抜け、安全の欲求も守られてくると将来設計への図面も描ける場所でないと、希望が持てないですものね。そして、16年前もありましたが、仮設での孤独死の問題点もあります。東北の方たちは、これまで自分でお米を作り、野菜を作り自給自足して来られた方が多いのですが、仮設での暮らしでは、野菜1つから購入しないといけない生活が始まりますがそのお店も、歩いていける距離にはないので当然、食料を得る方法から提案していかないといけないし閉じこもりを防ぐためにも、支援の方法を変化していかないといけません。高齢者さん、障がいを持たれている方、それぞれのニーズに合わせた援助を継続していくことが必要になりますね。孤独死を防ぎたい。その思いが強くなります。翌日は、大槌町の避難所へも再び入ります。5月にお会いした方達がおられたら・・・どんな変化があったのか、ゆっくりお話を聞けたらなと願っています。神戸での16年間の時の流れが、被災地でのエールとなりますように
2011年06月26日
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葬祭サービス事業を展開する会社さんの会報誌の取材を受けました年2回発行されていて、8000部が配布されているそうです。7月7日に発行予定の『クオレものがたり』京都生協さんに加入されている方は、お手元に届くと思います~今回のテーマは、心身を調えるアロマの香りについて毎日の暮らしの中に、アロマの香りを取り入れて心を落ち着かせたり、すっきりとクリアな気持ちになったりストレスフルな日々の中で、緊張を緩めるためにもちょっとしたリラックスタイムが重要なポイントとなります。アロマセラピーがもたらす効果や住空間に香らすワンポイント簡単なアロマハンドマッサージ法タッチの効果についてまた、精油を扱う時の注意点についてお話させてもらいました記者さんたちとお話していると子どもたちのタオルの香りで、誰のものかわかるのだそうで・・・洗剤に使われているさまざまな香料で、どの洗剤で洗ったかわかるそうですよ~お子さんのサッカーの練習についていくと 「このタオルは? 誰の??」って聞きながら、クンクン香りを嗅ぎ 「○○ちゃんの家のだね~!」っと先生も、誰のタオルか当てるのだそうですすごいですね~そういえば、コマーシャルでも、衣服からの香りが長持ちするように宣伝されていますね。これからの季節、汗や頭皮のにおいよりはましですが・・・香りも多様化していますね~
2011年06月20日
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友が亡くなりました。51歳でした。通夜の席で、泣きはらして呆然と立つ彼の妻と小さな息子さんたち大切な人を亡くした辛さは、いかばかりかと悲しみが襲ってきます。命を落とす病いなら、どうして知らせてくれなかったのか・・・と最初の手術が成功した後には、病院に呼んでくれたのに今回は、再発したのを聞かされてなかった悔しさと哀しみが込み上げてきます。2か月前、我が家の番犬を務めてくれ15歳の命を全うして旅立った日も仕事に出ました。自宅に帰った時、駆け寄ってこない静けさに 「・・・君はもういないのか・・・・」と寂しさがこみあげてきました。そして、大切な友を失った翌日も、普通に仕事をしている自分がいます。看護学校に行きだしたとき、「 ちゃんはすごいな~。エライな~。」「まだ3時間のナポレオン睡眠してるの? 無理したらあかんで~」16年前に震災の後も、食べ物を運んでくれたりたくさん支えてくれた今は、日々の慌ただしさに紛れていて、哀しむ時間もないのだと思うでも、この心の中にぽっかりと空いた虚しさはなんだろう哀しみに向き合えない、強がっている自分もいる。いつも自分より周囲のみんなのことを一番に考えていてくれた彼のためにたくさんの友人が見送りに来ている。 でも・・・・「そうか・・・君も、もういないのか・・・」もう二度とあのやさしい声も、あの応援歌も聴けないのかと思うと哀しい、かなしい明日は、グリーフケアについての取材の方が来られる。うまく話せるだろうか悲嘆の中にいる私に、何ができるのだろうか・・・・
2011年06月19日
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岩手県の被災地でのボランティアでは、現地の民間有志による復興支援組織『ゆいっこ』さんのご協力で、無事にアロマボランティアを行うことができました。『ゆいっこ』さんの設立趣旨には、震災後に何をするかで真価が問われると書いてあります。そして16年前の阪神淡路の震災後にも、いち早く受け入れをしてくれていたことを知り、神戸との関わりを感じました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉親の名前を叫びながら、瓦礫の山をさまよう人の群れ。着のみ着のままのその体に無情の雪が降り積もる。未曾有の大地震と大津波に追い打ちをかけるようにして発生した原発事故…。辛うじて一命を取りとめた被災者の身に今度は餓死と凍死の危機が迫りつつあります。もう、一刻の猶予も許されません。「なぜ、いつも東北の地が…。」阿鼻叫喚の光景が飢饉の遠い記憶に重なって眼前に広がっています。そして、茫然自失からハッとわれに返った今、私たちは苦難の歴史から学んだ「いのちの尊厳」という言葉を思い出しています。 平泉・中尊寺を建立した藤原清衡(きよひら)は生きとし生ける者すべての極楽往生を願い、岩手が生んだ詩人、宮沢賢治は人間のおごりを戒め、「いのち」の在りようを見続けました。そして、昨年発刊100年を迎えた「遠野物語」は人間も動物も植物も…つまり森羅万象はすべてがつながっていることを教えてくれました。この「結いの精神」(結いっこ)はひと言でいえば「他人の痛み」を自分自身のものとして受け入れるということだと思います。 今こそ、都市と農村、沿岸部と内陸部との関係を結い直し、共に支え合う国造りに立ち上がらなければなりません。16年前の阪神大震災の際、岩手県東和町(現花巻市)は全国で初めて、被災住民を町ぐるみで受け入れる「友好都市等被災住民緊急受け入れ条例」を制定しました。「海外から受け入れの申し出が来ているのに、日本人が素知らぬ顔を決め込んでいいのか」と当時の町長(故人)は語っています。 温泉に一緒につかって背中を流してあげたい。暖かいみそ汁とご飯を口元に運んであげたい…。こんな思いを共有する多くの人たちと私たちは走り出そうと思います。何をやるべきか、何をやらなければならないか―。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。 被災地のひとつ―宮城県石巻出身の作家、辺見庸さんはふるさとの惨状を目の当たりにして、こう激白しています。 「われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。 …つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている」(3月17日付岩手日報)。試されているのは私たち自身の側なのです。★ゆいっこは民間有志による復興支援組織です。被災住民を受け入れる内陸部の後方支援グル―プとして、救援物資やボランティアの受け入れ、身の回りのお世話、被災地との連絡調整、傾聴など精神面のケアなど行政を補完する役割を担っていきたいと考えています。北上市に本部を置き、盛岡、花巻など内陸部の主要都市に順次、支部組織を設置する予定です。私たちはお互いの顔が見える息の長い支援を目指しています。もう、いても立ってもいられない そんな思いを抱く多くの人々の支援参加をお待ちしています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・そんな『ゆいっこ』さんのコーディネートで伺った安渡小学校で出会いアロマで触れさせてもらったご家族の姿をブログで見つけました。http://hanamaki.yuicco.com/?day=20110503妻と娘と母がまだ見つからない、ろうそくと線香を準備しながらも「まだ使えない、これを使う時には自分がどうなってしまうか分からない・・」「どうなってしまうか・・・」そう言って口をギュッと結ばれました。あの日からゆっくり眠ったことがなく、校舎の中で横になっても、すぐに校庭のテントに出て朝までの時間を過ごすのだそうです。2年前に奥様にプレゼントしたブラウスをやっと瓦礫の中から探し出し、兄弟で抱き合って涙したその日の午後に眠れてないからしてあげてと『ゆいっこ』さんのお声かけで、アロマのタッチを受けてもらうことになりましたあれから食事も喉を通らなくなっていて、痩せた身体を「肉が無いからやりにくいだろう・・・」とこちらを気遣ってくれて明るくてケンカしたこともなかった奥さまとの最後となった日の朝の様子を覚えておられてまさか、あれが最期になるとは・・もっと声を掛けておけばよかったあの振り返った顔が忘れられない・・・と嗚咽されたのでした。まだ亡き骸を見つけることはできないけれどやっと見つけた、大切な形見の品に少し安堵されたのか肩や背中や、腕をアロマオイルで優しくマッサージしていくと表情も穏やかになり、「今日は眠れるかもしれないな・・」と。こんなことでもないと、女の人に触ってもらうこともないから今日はよかったな~なんて、ユーモアも出てきていました。翌日も、同じ小学校での活動で、お顔を見ることが出来ました「昨日は、やっと、よく眠れたよ・・・」と笑顔で声を掛けてくれました。アロマを通して、人生に触れつながりを感じた瞬間でしたまた、継続的にこの避難所に伺うことが出来たらな~と願っています
2011年05月09日
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連休中にアロマボランティアで訪れた場所は、岩手県上閉伊郡大槌町の安渡小学校でした。大槌湾の湾内には、故井上ひさしさんの原作『ひょっこりひょうたん島』のモデルとされる蓬莱島がありました 大津波で陸と島とを結ぶ防波堤は流され、島にあった弁財天の鳥居と灯台が崩壊しましたがお社だけは残りました。弁天さん(弁財天)は女の神様。やはり女は強いな~と漁師さんたちも手を合わせるそうです。 「町の復興のためには弁天さんの力を借りなければ…。 今年は無理だけれど、来年からはお祭りも復活したい」とまつり実行委員長さん。 朝日新聞のニュースでも詳しく報道されています。→http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103210285.html懐かしい「ひょっこりひょうたん島」の主題歌は、地元では毎日正午に防災無線を通じて全町内に流されていたそうです。 ”島に次々に襲いかかる難題をみんなで知恵を出し合って解決する” 「ひょっこりひょうたん島」の精神が培われたこの町は大自然の厳しさの中から、先人の知恵を活かして助け合って生活してきたのですね。復興を約束されている町なのかもしれません 丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている 苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけど僕らはくじけない 泣くのは嫌だ 笑っちゃおう 進め~
2011年05月07日
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今朝の神戸新聞に、『心的外傷癒して 神戸の医療関係者ら 自ら行うケア法指導~あす岩手へ』という記事が掲載されました新聞に載ってたね~とメールをくれた友人らもいて記事をよく見つけてくれたね~東日本大震災「被災者と援助者のためのセルフケア講座」としてアメリカから被災された方の支援にと、自律神経機能の簡易モニター150台を調達してPeper先生が緊急来日されました。 『精神生理学的ストレス(トラウマ)ケア』は、自分自身の力で心身のストレス反応を改善するための心身医学的セルフケアの方法です。それらの簡易モニターを使って、ご自身でケア出来る方法を伝えることができたらセラピストが居なくても行える、継続的なケアとなります。私たちも、明日から岩手県の避難所に4日間参ります。関西アロマセラピスト・フォーラムの理事も務めてくださっている竹林先生 が主催された”アイ・プロジェクト”の1員としての参加です東北地方の被災地では先日、四十九日の法要が行われました。この世とのお別れの時期がきたといってもまだまだ、亡き骸もみつかってない方も多くどこかで生きているのでは・・・どこかにいるのなら探してあげたい・・・せめて、亡き骸だけでも見つけてあげたい・・・と願いお別れをせまられることは、どれだけ辛いことでしょう。悲しみと苦悩の涙がたくさん流されたことと思います。そんな中、竹林先生の、アイ・プロジェクトに対する思いや意味や意義を知り言葉にならないくらい感動しました被災された方々の、心身へのストレスへの影響は次第に大きくなってきているのでその対策として「精神生理学的ストレス(トラウマ)ケア」という「セルフケア」を中心とした方法を、被災者や援助者の多くの方に習得していただこうとこの度のボランティア活動を計画されたそうです。これまでの支援方法は、「身体のケア」は医療チームが担当し「こころのケア」は心理専門家が担当してきました。ストレスによる心と身体への影響を、自分自身で減らすことができる方法を、実際に体験していただきながら習得していくという新しい形の支援活動「セルフケア支援活動」を実施していくことが、継続できる方法でありこれからは必要になると考えられたそうです。アイ・プロジェクトの「アイ」は、新しい医療概念である「統合医療」の英語表記である"Integrative Medicine"の頭文字の“I”であり、「愛」でもあります。また、自分自身“I”でセルフケアを行っていくプロジェクトという意味も含まれているそうです竹林先生は、今回のチームに参加し、援助しようとする人に対してもメッセージをくれています。「今、日本だけでなく世界中の人々の意識が大きく変化しつつあります。今回参加される皆様も、ご自身の人生の中での大きな転換期を迎えておられる方も多いかと思います。皆様自身がそれぞれの「思い」を持って、ご自身“I”のプロジェクトとしても今回の活動に参加していただき、成果を得ることができることを祈っております。」と。3月11日の大きな大きな地震と、たくさんの命を飲み込んだ津波の人智を超えた被害連日の映像や報道から、日常が失われていました。何もできないという無力感や、日常の生活を送ることにも罪悪感を感じ何が出来るのか・・・と考え続ける日々でした。悲惨な映像や、溢れる情報に飲み込まれそうになり地震の後の、放射線や放射能について、原発の問題報道の在り方、正義、政府の対応デマメールや、チェーンメールの「拡散してください」に恐怖を感じ何が正しいのか、間違っているのかもわからなく混乱しました。知人と話していても、価値観の違いから、違う方向に進みます。どちらが間違っているとか、どっちが正しいとかでもありませんでした。どんな情報に興味があるか、何に意識を持っているか・・・でした。情報は、自分が見たいもの信じたいものを、無意識のうちに自分が選んでいることを知りました。自分が受け取っている情報にも、責任を取るのは自分ですね被災地に行くのも、なかなか誰にも言えませんでした。誰かにどう思われるのか、非難も批判も嫌だし比較の中で考えていたのに気づきました。自分にしか出来ない事をやっていこう・・・16年前の神戸での震災では、日本中の多くの方に支えられて復興することができました。そうして今、神戸から被災地に行かせてもらうただそれだけで良かったのだと思います。16年前の未消化の感情も出会いました。そうして今、自分の“I”のプロジェクトとしても成果が得られることを承認して下さる先生に感謝です明日から、50人乗りの小さな飛行機で岩手です。また何かご報告できると思います。
2011年05月01日
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16年前の神戸の震災後、いち早く避難所での高齢者を支えようと支援のネットワークを構築されて、がん患者さんのデイサービスという新しい取組にも尽力され日本における看護診断や災害看護の著書も多数の黒田裕子先生。多くの学会の理事も務めておられる看護の大先輩です。今回の震災後も、すぐに現地に入っておられました。神戸市内の、がん患者会の例会の席には、いらっしゃらないのではと思っていましたがこのような災害支援の姿で、気仙沼での避難所の活動について短時間でしたが報告されました。 阪神淡路の大震災時とは違う、津波の被害今後の避難所での感染症が心配されます。薬の不足も考えられます。がん患者さんが、医療機関の不足で、適切な治療を受けられなくなっていたり16年前には経験しなかった、ガソリンの不足での移動方法に困難なことや原発の問題産業が壊滅状態での生活や仕事の場を奪われ毎朝、家族を探しに出て行き見つからないことで落胆のムードが充満する避難所そんな中で、ひとり一人に寄り添ったケアをされています。何ができるのか、何をすればいいのか・・・・・しかし、個人では被災地でのボランティアに入るのは難しい現状です。宮城県の防災担当者は、医療ボランティアのニーズは足りていて新規の受け入れは待ってくれとの返答。黒田さんは、そんなことないよ~、全然足りてないからボランティアに来てねと言われます。明日からは、福島でも災害支援の活動を展開されるそうです。黒田さんのようなリーダーが、魂を込めたケアを推進していかれるように後押しをしていくしかないかな。自由に動けないのがもどかしいです。
2011年04月09日
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仲間のアロマセラピストさんから、”カエルカード”を紹介してもらいましたカエルは、古代インカ文明では"豊かさ"と"幸運"を意味するラッキーな存在ということで、60枚のカードを裏返して「本来の自分にカエリマス」と心の中で唱えて1枚選びます。本来の自分にカエルためのガイド・・・ということで現れたカードは 『自由』でした 「人生はもうあなた次第、自由自在! 古い考え方から解き放たれ 自由でとらわれのない生き方を始めるあなたは 軽やかで確か」この日は、手放したくないものがあって、迷い、躊躇していたのだけどこのカードを見て、すっきりと手放すことができました手放す時期が来て、解き放たれる自由軽やかでいたいものです
2011年04月04日
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どういうわけか、桜が目に入らない・・・ニュースでは、開花情報が入ってくるけどほんと?どこに?どこに咲いているのだろう・・・・電車の中からも見えたのに今年は見えない異変・・・と不安になるこれも、PTSD??と、ちょっと自分のケアにも気をつけようと思った4月、新たな春髪を明るい色に染めてみたでも・・・周りの人も同じことを考えていることを知ってちょっとほっとしたりする。まずは自分から、春を感じに出かけても見ようと思う
2011年04月02日
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今夜、被災者支援のための活動に向けて情報を得ようとNHKクローズアップ現代『”心の危機”被災者を救え』を見た。そこに、災害支援ナースとして活動を始めている仙台に暮らすアロマセラピスト仲間の姿を発見した彼女は、精神科での勤務経験も豊富で避難所で、被災者同士でお互いに心を支えあおうとしている方たちの相談に乗り、アドバイスしていた家族を亡くした方に対して、自分は家族全員が見つかった。 「自分は助かったのに、一緒に頑張ろうとは言えない・・・」そんな悩みを抱えた方に 「泣かないで! 頑張れ! は禁物・・・」 普通に接して、気持ちを話してもらおうと語っていた。苦しみを分かち合い、小さな喜びを分かち合えるようになるには・・・・日常生活を取り戻していくには・・・・・心の傷が、時間の経過と共に小さくなるように、適切な関わりが必要です。安心できる環境の中で、思いを語ってもらうことこの人だったら、辛いことを話してもいいんだと思える関係性と空間つくりが大切になる心が傷つき、立ち直る力を失くしている時にはどれだけ心を休めようとしても、考えないようにしようと思ってもそこから目を背けるのは難しいものですがまずは、身体を休め、緊張をほぐすことで、心も休まっていくのだと思います。身体の緊張を緩めほぐすには、アロマセラピーのタッチが一番のケアになると信じています。温かな優しい人の手で包まれていることを感じることできっと、人とのつながりや、自分自身のこころとからだのつながり感もいつの日か、ゆっくりでも取り戻してくれると思います。長引く避難生活のストレスと親族を亡くした悲しみや不安の中で頭にこびりついた津波への恐怖心阪神淡路大震災以後、発達してきた「災害時の心のケア」。専門家は、地震から半月が過ぎた今こそ、対策が必要だと訴えています。被災時の恐怖や将来への不安地震の後にやってきた巨大な津波かろうじて生き残った人たちに特徴的な心の傷が、自責の言葉なんだそうです。そうした方の、こころとからだのケアになるように1日でも早く、PTSDからの回復となるようにとの目的をもってアロマセラピーを提供させてもらいますね災害支援ナースとして活動する彼女には、いつでも必要なものを送り支援する事を伝えました。彼女からは、被災地の写真が送られてきました。 取り急ぎ、メールします。 言葉をなくしました。 名取市、館腰小学校。 避難所の方々は、名取市でも一番、被害の大きかった、閖上(ゆりあげ)地区です。 仙台空港のそばです。 いつもは、海岸でご老人が釣りをしていたり、朝市があったりと静かな地区です。 昨日は、町の中は遺体の捜索で進入禁止でした。 近隣の写真を送ります。もっと、奥の海岸側は、何も残っていません、 この写真は、その海岸から3~4キロ先に津波で、流されて残骸となっています。 途中、馬が死んでいてシートが被っていました。 町が、一瞬で壊滅しました。 空港も行きました、自衛隊の方々も必死の捜索、瓦礫の撤去を行っています。 まだもうもうと煙のように砂埃が舞っていました。 避難所、300人あまり、全国からの救援物資のおかげで食事はなんとか3食とれています。 が、全員、家を津波で失いました、全員です。。。全員。。。 夜はとても寒いです。 スキーウェアーを来て、靴下、帽子、手袋をして寝ます。 明日から、東松島市にいきます。日本三景の1つの地区です。 だんだん日看協も撤退が始まっていて、海岸沿いは ナースがいません!! もっと、壊滅的なところに向かっていくことになります。
2011年03月31日
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東北地方の未曾有の震災の後いろんなことが大きな余波をもってやって来ているような気がします。多くの事が、善か悪かの二元論で語られなんだか辛く感じています実は、次女の卒業式がありました3人兄弟の末っ子とっても手がかかり、一番振り回されたし人一倍将来を案じた娘でした。人と同じように生きることに抵抗し自分らしく生きたいと、早くから家を飛び出して世間の荒波をひとりで渡り、身体も心も自分で傷つけいっぱい遠回りして親として、泣いたこともたくさんありました。それでも、この日は、親としての倖せを一杯与えてくれた我がまま娘です卒業式では、生徒代表に選ばれて、檀上での挨拶をさせてもらいました。素直に、先生方のアドバイスに従って生徒代表として、素晴らしい心に残る挨拶をしてくれましたこの子の親として、久しぶりに我が子の写真を撮り晴れやかな檀上での7分の挨拶を、ビデオで撮影しました。自分の事を、そこまでさらけ出せるようになったのかと感動し涙が止まりませんでした。涙で震える手で撮影したので、全然ボケてて見れませんが大切な家族の1ページを刻むことができました自分で選んだ黒の華やかな振袖姿です。本当に綺麗でした美しく、今を精一杯咲かせている成長した娘の姿に感動しました卒業式に参加されていた他の親からも、素晴らしい娘さんですね・・・とか挨拶に感動しました・・・と涙で言ってもらったりこれまで大変だったんですね・・・・とねぎらってもらったりみんなでたくさん泣いた式の後のパーティでは清々しい気持ちで、それぞれの卒業生達の姿を見守りました。この子の親になれて良かった親にさせてくれて、こんな素晴らしい日をプレゼントしてくれた大きな計らいに、心から感謝です 私には夢があります。 今まで走って走って何度も壁にぶち当たってきました。 挫折を経験し、自分の中の暗闇に取り込まれ、 この世界で生きることになんの意味があるのか、悩み苦しみ、 自分の存在理由がわからず、無気力、無関心に陥りました。 ですがまた歩き出し、こうして今ここに立っていられるのも、 家族、友人、先生方、周りの人たちの支えがあったからでした。 自分の存在理由の私なりの答えもわかりかけています。 完璧な人間なんていません。 人は皆それぞれの闇を持ちながら生きていくのだと思います。 ですがそんな人の手によって作られた、文学、音楽、芸術を通して、 感動や様々な気付きを与えてくれます。 小さく美しく命を咲かす花や、過酷な環境を生き抜く動物たちからも、 私達はメッセージを受け取れます。 今の現状に嘆いてばかりでなく、世の中の喜びや愛、光に気付いていくこと、 そして日々感謝を忘れずに、この卒業を新たなスタートとして、 一生懸命自分の道を歩いていきます。
2011年03月29日
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仙台の避難所で、ボランティアとして活動している友人に送った救援物資が届いたと連絡がありました。 「こころ暖まる、そして、震災を経験された方の届け物と感激しました。」とありました。避難所で活動する女性として、必要なもの。在るといいもの。私の経験と思いが届いて良かったです看護協会は、4月には各々の病院での新人受け入れなどの関係上、4月上旬にはボランティアは撤退とのことです。それから後の医療ボランティアの必要がありますね。彼女は、一番支援の必要な海岸沿いの方々の今後が心配ですと憂慮されています。明日からは、津波の被害が大きかった仙台空港近辺にボランティアに入られるそうです。私たちは、何をすることが支援になるのか・・・・救援物資、いつでも調達して送りますからね食料もままならない現状で、「頑張ってね」とは言えません。困難な中で、その場を離れず支援活動をされていること、心から尊敬しています。
2011年03月26日
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東京で暮らす長女が、地震の影響で、めまいと吐き気、動機がする何もなくても揺れている感じがする、仕事が出来そうにない・・・・というので、6日間神戸に帰ってきていました。地震で陥没した道路や、崩れ落ちた外壁、大きく長い揺れ電車が止まり、自宅への長く不安な道のりの中で、どんなに怖かった事でしょう。長女が神戸で被災したのは、小学生の時でした。16年前、大きな揺れの後、朝のテレビで、倒れた高速道路や神戸の現状を見て、すぐに大阪から、子どもたちを助けに来たお父さんの車に乗りこみそれからたくさんの瓦礫の中を、飲まず食わずで24時間かけて大阪市内に帰った子どもたち。私は、看護学生だったので、学校からの連絡や壊れた家をそのままほっておけずに避難所での生活を選んだのでした。離婚して別れた夫の家に行くわけにもいかなかった意地もありましたし・・・・3人の子どもたちは、普通の生活をしてもらいたくて、同じ年頃の子どもたちがいる、信頼できる大阪の友人の家から小学校に通うようになりました。そうして、避難所から夏に仮設住宅に移るまで、別々に暮らしたのでした。避難所での一人ものは、辛いものです。家族が居たら、その場を囲んで、居場所を固め、子どものためにと食糧の配給に並び誰かのためにと、なんでも出来た気がします。私は、怪我もなく身体が元気だったので、その中で何かをもらうために列に並ぶことも身を切るように辛かった。避難所に毛布を敷いて、自分の寝る場所を見つけることも出来なかった。4時間自転車に乗り、動き出した阪急電車に乗って、大阪駅に着き子どもたちに会い、お風呂に入れてもらい、買い出しをして帰る。そうして、被災者の生活と普通の生活を目にすることが自分の中のどうしようもない負の感情を生み衝撃と共に、実はどれだけ悲しかったことかと思い出されます。『愛の反対は、憎しみではなく無関心です』といった、マザーの言葉が思い出されました。無関心や、苦しみ嘆く人に傍観者であることが、愛の対極だと教えてくれました16年前、「がんばれ神戸!」ではなく『がんばろう神戸』のメッセージが、神戸の被災者をどれだけ勇気づけてくれたことか思い出しました。哀しいニュースを見るたびに、心が痛みますが『がんばろうね』そう一人ひとりに伝えたいと思っています長女が会社に戻らなくてはならず、朝、新神戸駅まで見送りに行きました。先日は、営業成績がよく、賞を頂いた娘ですがこんな時に営業の仕事など出来そうにない。避難所のボランティアや、必要な事なら喜んでさせてもらうけどと話す娘の言葉は本当にそうだと思います。そんな心境の中でも、会社という組織の一員としてどうあるべきか答えを探すしかありません。診察してもらい、「就労は困難です」と診断書をもらいました。懐中電灯がないというので、大阪と神戸の電気店に走りましたがどこも売り切れで、懐中電灯も、電池1つも買うことが出来ませんでした。ネットでは、懐中電灯も電池も高額で売られています。身内のためでなく、利益を得るために買い占めている人がいるとしたら無関心以上に、あまりにも醜い仕業だと思います。長女を見送りながら、今後放射能汚染もあるかもしれない被災地へ送り出すことに、これでいいのかと胸が痛みました。
2011年03月21日
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16年前の震災後、すぐに復興に向けて歩みだした神戸でも避難所で生活をしながら、近隣の避難所でのボランティアをすることで多くの支援を受けながらも、やることを見つけて乗り越えることができました。東北地方の地震と津波の被害、更には放射能汚染について連日の報道を目にするたび、こうして何もしていないことに心苦しさを感じています。被災者の思い、恐怖と不安と混乱の中でも飛び交うデマ情報や、チェーンメールの類も以前と変わりません。被災者としての体験、避難所のボランティアとしての経験が活かされるのではないかと、ボランティアに志願しました。16年前も行っていた避難所での足湯隊を復活させたいと思っています。兵庫県では、新品か、新古品の防寒着を集めています。私たちがお世話になっている”宝塚NPOセンター”でも防寒着を集めています。防寒着を集めてお届けしようと思います。一過性ではなく、長期的な視点に立った支援の場を目指して話し合われています。16年前の震災後の人々の自主的な支援の輪から始まったボランティア元年と呼ばれた日本その時のリーダー達は、すでに現地に飛んでいます。活動を始めています。先輩たちの後に続いて、支援を継続していきたいと思います。私たちの会でも、何ができるのか考えて支援の輪をつなげたいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボランティアのお問い合わせ【災害支援ボランティア】 現在、救助作業が優先されており、災害支援ボランティアの受付は行っておりません。 今後、救助作業が落ち着いた後に「ひょうごボランタリープラザ」 (兵庫県社会福祉協議会)を窓口として、ご協力をお願いしたいと考えています。◆ひょうごボランタリープラザ 〒650-0044 神戸市中央区東川崎町1-1-3 神戸クリスタルタワー6階 TEL:078-360-8845 (9:00~17:00。土日祝も対応) FAX:078-360-8848 ホームページへのリンク http://www.hyogo-vplaza.jp/【その他のボランティア】 被災地へ円滑に支援物資をお届けするため、 防寒着の仕分けを行っていただくボランティアを募集します。・従事期間 平成23年3月24日(木)~3月26日(土)のいずれか・従事場所 兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場(三木市志染町三津田1708) *地図はこちら (PDF/238KB)・お問い合わせ窓口 東北地方太平洋沖地震兵庫県災害対策支援本部事務局(兵庫県消防課) TEL:078-362-9821 (9:00~18:00。土日祝も対応)救援物資の受付【個人の皆さまへ】 今回の東北地方太平洋沖地震により被災された方々の寒さ対策のため、 県民の皆さまから防寒着のご支援を募集します。・募集している防寒着について コート、ジャンパー等の防寒着(新品・新古品に限ります) *混乱を避けるため、今回の受付は防寒着のみとし、古着の受付は行っていません。・物資受付場所 防寒着を以下までお送りください。当方で取りまとめのうえ、被災地へお届けします。 〒673-0515 三木市志染町三津田1708 兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場 *地図はこちら (PDF/238KB)・募集期間 平成23年3月17日(木)~3月24日(木) *必着でお願いします。 *現地での受付は、9:00~17:00となっています。・お問い合わせ窓口 東北地方太平洋沖地震兵庫県災害対策支援本部事務局(兵庫県消防課) TEL:078-362-9821 (9:00~18:00。土日祝も対応)
2011年03月17日
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東北、関東地方の大きな地震甚大な被害が明るみになることで、たくさんの哀しみが襲ってきます。家や、村、街そのものが津波に呑まれ、そこに日々の営みがあったことを消し去るように無力感もやってきます。阪神淡路の大震災から16年が経ってもあの頃の恐怖が思い出され、胸が騒ぎます。東京に暮らす娘は無事に家に帰れただろうか??メールは、かなり時間が経ってから届くし電話はつながらない混乱の中では、不安が募る一方冷静に事態を見守るのが一番と言っても、胸の痛みは止められない。夜になり、娘はBFが車で迎えに来てくれて、渋滞で進まない中飲まず食わずでも友人の家に帰れたそうで、ほっと安心した。良かった離れた場所で守ってやれないけど、大切に守ってくれる人たちがいる。恐れの中でも、愛と祈りを感じていきたいと思います。
2011年03月11日
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1月から毎週末にセミナーや、発表などがありました。私はいつも、ぎりぎりまで粘って資料を作成しているのでセミナーの前夜には、テキストの印刷と作成に夜中まで追われますもっと早くに準備しておかないと・・・と思ってお正月休みも返上して、資料作成に取りかかっていましたがなかなか、うまくは進みませんでした。このまま、忙しさに突入か・・・と焦って心配していましたが何とかなるもので、やっとその作業も2か月が経ち、ひと段落つきました東京での「介護におけるアロマセラピー」の受講で私たちも、浅井先生の『介護分野でのアロマセラピー実技講習会』にこぎつけましたが関西アロマセラピストフォーラムの、情報交換会”アロマカフェ”を開催したりホリスティック医学協会関西支部で、『緩和ケアでのアロマセラピー』について発表させてもらったりアロマセラピー学会関西地方会で、発表したりIT企業さんへの『ストレスケアのためのアロマセラピー』講座をしたり市立病院の看護師さん対象のアロマ基礎講座を開催したり『明日から使えるワンディ講座』も開催新たな出会いにこちらもわくわくしました『緩和ケアでのアロマセラピー講習会』もいよいよ実践編に入りSTEP3 と STEP4 12名での実技講習会も出来ました初めてのセミナー開催や他協会や、学会発表もあり、その準備とテキスト作りは、想像以上の時間がかかりました。どんなに大変だったかは、朝から夜中までパソコンの前にいた自分と家族が一番よく知っていますがやっと、終わった~という解放感は、何ものにも変えがたい内から湧き起こる快感です気持ちが集中していると、その周りの余計なことに意識がいかないことがわかりました。初めて、バレンタインデーにチョコを1つも買いませんでした。すっかり忘れていたんですそして・・・・また慌てていますが、確定申告が~何も準備してないことに気が付きました。。。。。これは、困ったことです。さ~、後1週間もないので、伝票探して整理しないと・・・・
2011年03月09日
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無心のとき・・・アロマトリートメントで人に触れていると時に、何も考えていないことに気付くあれ・・今何を考えていたのだろう・・・と手のひらの下に肌の感触から、その動きから我に返るそんなときには、きっと相手の呼吸と同調して最高のハーモニーが生まれて、最善のことが起こっているに違いないと思う先日の、ホリスティック医学協会関西支部の講座では未熟者ではありますが、発表するという機会を頂きました。そして、質疑応答の時間もあり、何も答えを準備している訳ではありませんから頂いた質問に自分でも驚くような返答をしているのを我ながら驚いていました。これまでにも、何回かあったのですが皆さんの前でマイクを持って質問を受けるという場面では緊張状態でもあり、頭が真っ白になったりしてそんなときに、ふっと口から出てくる言葉に自分でも、そんなこと考えていたの?と驚かされるのです。その日も、アロマセラピストさんの真剣な眼差しの心地よい緊張感の中でいくつかの質問に応えていたのですがその無心の語りについて、感動したとメールを頂きました。ご紹介することの了承を頂けましたので、ここに残しておきたいなと思いましたアロマセラピーの講師をされている方です。緩和ケアでのアロマでは、生死という重い環境の中で抱えることも多くしんどいことはないですか?どうやってセルフケアしているのですか?という質問だったと思います・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「セラピストというと支えるとか癒すとか しんどいことのように思われることが多いですが、 喜びを一緒に見つけることなんですよ!」 とおっしゃられたときに、そうなんだ! 喜びを一緒に見つけたり共感することがセラピストの醍醐味なんだ! なんて素晴らしいんだろう!と 今までの価値観がひっくり返ったかのように驚嘆しました。 そしてその後に、 「世の中には喜びが満ち溢れているじゃないですか」 と笑顔でおっしゃったときに、 死にゆく人を何人もみているのに そんな言葉が出ることにまた驚き、 と同時に私は今までもっとたくさんの喜びがあるのに 見落として生きているのではないかとも思いました。 その後、私がセルフケアをどうされているのかご質問させていただいた返答の中に 「人が好きだから」 という言葉を聴いたときも目から鱗でした。 (私も人が好き。なら私にもできるのかな?) 緩和ケアとは縁遠いと思っていた私が、 先生のような素晴らしいセラピストにいつかなりたいと思ったのでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ とにかく感動いたしましたのでそれを伝えたくてメールさせていただきました。 とメールをくださったのですその質問の時にも、答えを考えているというよりは焦っていながらも、講義が終わった充実感でゆったりとした気分で質問してくれた事がうれしくてこうして交流させてくれているチャンスが在りがたくてニコニコしていたら、思わず出た言葉でした話しながら一番驚いていたのは、私自身です考えずに出た言葉には、自分も救われています。そこに、大きな気づきがあります以前、訪問アロマセラピーをしているということをインターネットテレビが取材に来られたのですがその際にも、この感覚がありました。初めての取材を受けるという経験で、頭は真っ白でしたがその中で、答えにくい質問があったのです病を持った方への癒しやケアは、アロマセラピーではないといけないのですか?というような質問でした。その返事には、すぐに出来ずに1分くらいカメラが回っているのにずーーと押し黙って考え込んでしまいました。そうして、出た言葉は 「アロマじゃなくてもいいのかもしれないね~」だったのです。それは、とっても大きな衝撃でした。それまで、アロマを学んで4年目くらいでアロマセラピーの複合的な効果を伝えたいと活動をしていた時ですからまさか、自分からアロマじゃなくてもいいなんて言うなんて・・・と驚いていました。しかし、すぐに、でも私はアロマセラピストとして、アロマの効果も重ねて使っていきたいのです。と付け足していました。そのあと、ずーと考えこんでいたんです。そっか、アロマはツールの1つ。大切なのは、アロマを如何に使っていくのかだ大切なのは、それを扱う人なのだと気付いたのですこれは、アロマがいい!アロマを伝えたい!!と思っていた私にとって、大きな事件でした人が好き!喜びに満ちている!なんて、よく言いますよね~一番確認できたのは、自分自身ですね。ありがとうございました~
2011年02月09日
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中島みゆきの『時代』中島みゆき コンサートツアー2010~2011 でアカペラで歌いだした中島みゆきその歌声や、その気迫に満ちたすごさに圧倒された思わず、涙があふれてくる若いころと違って、声量が増し、情念が湧き上がり怖いくらいに心の中に迫ってくる 今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって めぐりあうよ 旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いを繰り返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ まわるまわるよ 時代はまわる 別れと出会いを繰り返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ 喜び、哀しみ繰り返し~ 彼女が二十歳の頃開業医だった父が亡くなり、そんなどん底の気持ちで書いたのだろうこの詩の意味を知ったのは、もっとずっと後だったがもう35年くらい前になるというこの『時代』今も色あせず、人々の心を揺さぶる毎週訪問させてもらっている方は死期を悟りながらも、それを見せようとせず生きる希望を見出しながら暮らしている。これまで、一つの時代を創って来られた、たくさんの業績を残された方 「私のことを症例として発表しなさい!」そういって、凄味のある目で見透かしたように訴える。これまで築き上げたことを、少しでも後世に伝えようといろいろなことを教えてくれる。これからは、メモを持って来なさい。アロマの後はしっかり質問して、知りたいことを聴いていきなさい。時代は、移り変わり、こうしてまた、次の世代に贈る言葉として残っていくのだろうか・・・・アロマセラピストもまた、時代をつなぐ人なのかもしれない
2011年01月29日
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1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒 阪神淡路大震災は、16年前の今日のことでした。毎年、この日を迎えるたびに、心の中が騒ぐけどこうして、元気に過ごせていること幸せであることたくさんのきっかけを与えてくれたことに感謝しようと思うこの年は、ボランティア元年とも呼ばれているけど私にとっても、公園の足湯ボランティアを通してアロマセラピーに触れた最初の体験看護の中に、心のケアも大切なんだと教えてもらった日々日常生活を失い、将来への不安どころか明日の暮らしの事さえ先行きがわからず不安と恐怖を感じながら戦時下のような真っ暗な夜と収容所のような檻に囲まれた生活をしたのだった。たくさんの過酷な犠牲を払って得たことの大きな意味を毎年振り返っていこうと思う
2011年01月17日
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年末に ”JINー仁ー” の総集編が放送されていましたね~現代の脳外科医が、江戸時代にタイムスリップしてしまい苦悩の中で、医者として生活を始めるお話で坂本竜馬や勝海舟が出てきたり緒方洪庵が出てきたりコレラの感染予防対策や水分補給のための点滴の技術を教え梅毒の治療では、ペニシリンを製造し火事場でのトリアージの考え方を指導し緒方洪庵も、人間味溢れる魅力的な人物に描かれていてその勧めで、仁は西洋医学所で医学生に講義をしていきます面白い設定でしたね~当時主流だった漢方医学と、手術など急性期疾患に対応する西洋医学の対立蘭学と呼ばれたり世界で初めて麻酔を用いた手術(乳癌)を成功させた華岡 青洲も異端視されていた時代。仁の人として医者としての葛藤や成長以外にも時代背景の中で育まれてきた医学の流れや進歩に2度目だと、前には気づかなかったことを発見したり改めて確認できることがあったり全体の流れの中で、医療について考えることが出来た。助けられる命と、助けられない命・・・江戸時代の下町の長屋で枝豆や卵を売って生計を立てていた若い母を脳外科手術によって命を救うシーン麻酔の無い中で、血管縫合する痛みを逃すのはまじないのような祈りであったり、誰かを思う心であったりそんな大変な思いをして救った命を辻斬りにあって、あっという間に亡くしてしまう。梅毒末期の遊郭の女性は、熱にうなされていたが大量のペニシリンを投与し、その顔からバラ疹が消えて、呼吸が楽になり穏やかな表情で、「おさらばえー」と仲間に見守られて旅立っていく。緩和ケアの概念ではないのか症状を緩和し、命をまっとうするより良い旅立ちまで最善を尽くす感謝とお別れの言葉を伝えられる看取りの時間 何度も語られるキーワード 「神は乗り越えられる試練しか与えない」 現状を受け入れて精進するだけだと 目的に向かって進むだけだと、肌身に沁みわたりました~アロマセラピーを安全に役立つものとしてケアの1つとして知ってもらうために何かと何かをつなげる触媒の働きになって与えられた日々を全うしようと思います
2011年01月05日
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実は・・・元旦早々に、散々な予感をもたらす波乱の幕開でした12月中旬に父が退院し、年始は3世代で会食をと予約していたら元旦早々に、母の下血で緊急入院となりあれこれ連絡を取っていたら、携帯電話が突然故障ガーン!!これって、最悪・・・メルアド、電話番号・・・・データは・・・・と、目の前真っ暗で・・・ショックで落ち込みましたが何とかメモリーカードに保存していたのでラッキー修理から帰ってくるまでは代替機を貸してもらっています。ほっと胸を撫でおろし、大いなる計らいに感謝せずにおれませんでした。母も、4日間の絶食の後、やっと3分粥から食事が摂れることになり心配していた父と同じ大腸癌でもなく、安心したのでした。それにしても、父と母の入院で、それぞれの病院のシステムというか職員のカラーというか看護のあり方というか医療についてや看護師さんの仕事ぶりに、いろいろ感じるところがありました目も合わせずに冷たく言いたいことだけを言い放つナース4日間も絶食、それもお正月のおせち料理すら1口も食べてないのにねぎらう言葉もないのね病を治すことだけに目がいっている証拠人を見てないというか検査が終わっても、なにも説明しようとしない元旦入院で4日経っても主治医が決まってないとかいつから食事が始まるのかもわからない、何も知らされない不安看護師さん、病棟婦さん、外来ナース、それぞれが分業で誰も母が4日間絶食でここにいることをトータルで知っている人がいないのだそう感じました。そうかと思えば、先日の献血カーでのナースの対応は素晴らしかったです人を尊重した適切な声掛け事前の説明、前後の観察、対処法、コミュニケーション能力もばっちりでしたナースの仕事は、さまざまな場面がありますが相手を尊重した関わりから始まってもらいたいものです波乱の新年の幕開けから、何とかペースも戻しつつこれらの出来事は、大切なことを教えてくれているのだと考えながらより良い年にしていきたいと願っています
2011年01月04日
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いよいよ年の瀬も押し迫ってきました。NPOを立ち上げてからは、お正月やすみはもっぱら資料作りなど日頃やり残したことをまとめて出来るチャンスとばかりに家事はそっちのけでしたが今年も同じく・・・・”断捨離”決行にはいかないようです物を捨てる・・・物との関係を見直す・・・必要のないものを手放して、新しい年を迎えたいな~と思っていたのですが大掃除どころか、普通の掃除もなかなか時間がなくせめて子どもが旅立った1部屋だけでも片づけて子どもたちが帰って来たら、一緒にご飯でも食べたいな~とやっと1部屋の掃除完了やっぱり1部屋片づけると、気持ちも軽くなりもう1部屋やってみようかな~と気持ちがムクムク湧いてきますね~いつかは使うと思って取ってきたのは、洋服や日用品ばかりではなく精油の空き瓶や、ケースや、アロマの基剤たち・・・・これも、やっぱり整理していかないといけませんね~後は年賀状作りにも思いが湧いてきます毎年、年賀状には、これまでの事を振り返り新年度に向かってどうありたいかを書き綴ってきました。今年は、医療でのアロマセラピー、緩和ケアでのアロマセラピーを新聞にも取り上げていただきました。ホスピスで旅立った若いお母さんの絵本『りなちゃんきいて』を創ったことから、夏休みにお昼のTV『ひるおび』でも取り上げてもらいました。テレビの取材を受けるという、日常にはないことを体験させてもらいましたまた、1月にもテレビで紹介されます。医療でアロマセラピーを初めて10年が経ちましたそんな区切りとして、大きなチャンスを頂けたことはとっても大きな成果ですアロマセラピストの夜明けとなりますようにプチ断捨離ではありましたが、まだまだ続けて身も心も軽くのびやかに新年を迎えることにしますね~
2010年12月29日
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入院している父の手術は、当初の説明より時間がかかったものの無事に終わり、翌日から、早期離床ということで点滴台を押しながら歩いている。前回の入院時と同様、看護学生さんがついて、研修医さんがついて執刀医からの説明をみんなで聞いて患者家族の気持ちを味わっている。聞きたいことがあっても、なかなか聞けないものだし点滴の針刺し部分から、輸液が漏れているけど呼んでもなかなか来てもらえない看護師さんは、詰め所にたくさんいるけど、みんなパソコンの前だし 「忙しそうよね~」 であきらめていくのだね看護って、ケアって・・・と考えてしまう。病気になる前からだけど、父は昔話を繰り返すばかりで1時間も話を聞いていられない傾聴ボランティアさんの講習会の話を聞いたばかりだというのに家族の話は、傾聴するのは難しいな~ あのね~ 看護学生さんが来たら、病気のことを勉強に来ているのだから 昔話はいらないからね。 手術をして、傷や症状がどう変化して治っていくのか 病気や手術後の気持ちの変化を知りたいのだから あんまり、昔話ばっかりしないでいいんだからね・・・手術後2日経っても、何も食べられないし、何もすることもなくて話し相手が必要だってことはわかるんだけどね~身内には、うまく関わりをつなぐことはできませんでした・・・修業が足りません。
2010年12月05日
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今日は、76歳の父の手術の日だったのだけど大切な仕事に出かけた。私にしかできない仕事だったのでほかに方に代わってもらえない内容だったので周囲の状況から断れなくてまわりの期待に応えたくて手術に立ち会ってくれる家族がいのたので今しかできないことをしようと思っていろんな理由と言い訳を持って、仕事に出かけた。そこでの一期一会から・・・・父と同じくらいの年齢のご夫婦アロマのブレンドオイルで、少し浮腫んだ動かない足をマッサージしていくと いいお仕事ですね。 ボランティアさんだなんて・・・・本職は?? 産婦人科の看護婦さんだったのに、それもいいお仕事なのに でも、好きなことをみつけたのね 好きなことをすることは、いいことだわ・・・手術が無事に終わったことを知って、ほっとしながら今日の出会いにも意味があることだと感謝をし明日は、お見舞いに行くことを約束しました。明日は任せておいてね
2010年12月03日
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ある日・・・かわいい葉書が秋風に乗って届きました・・・・ 「ようやく暗闇から抜け出しつつあります。 リハビリで陶芸していました。 今度こんなことをするようになりました。 三ノ宮にお越しの機会がありましたら、ぜひのぞいてください。」今日から始まった、『サボテンと多肉植物の寄せ植えたち・・』訪問アロマと新聞社さんのアロマ取材の後三ノ宮で途中下車して寄ってきました~ 初日だから、いるかな??ここからは、彼女のブログから・・・・ 『くまネコのスローライフ』見てるだけで癒される、小さな癒しの世界に感動一杯器も、お地蔵さんも彼女の作品思わず、あの人にも差し上げたい、この人にも・・・・・・とたくさん連れて帰ることにしました。 人生の行く道にはいろんなことがあるけれど決して無駄なことはない・・・と彼女も言っていました。今では、辛く苦しい経験から、それを活かせる道を見つけられたそうですこんなに素敵な作品を作って、人に喜びを与えられる素敵な出会いが待っていたのですね~良かった この癒しのサボテン達は、阪急三宮駅西口から西へ徒歩2分高架下北側の ”Cafe,Bar&Gallery エンタス”で、11月21日までご覧いただけます。お近くにお越しの節には”癒しとパワーの源”達に逢いに行ってみてくださいね~
2010年11月09日
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今から12~13年くらい前・・・ イメージングを使ったセルフイメージトレーニングのセミナーに随分傾倒して3年間受講していました潜在能力開発、成功哲学、自己啓発、催眠療法、イメトレ、カウンセリング・・・・自分の中にある五感に張り付いている”フィルター”があることから他の人とは違う世界観を持っていて、人とは違う価値観がアイデンティティーとなる。 そういった過去に身に着けた価値観”フィルター”は「思い込み」や「決めつけ」という自己催眠ともなり、足かせにもなってしまう。いらない”フィルター”から自由になれるように、セルフイメージの書き換えをするためには真のリラクセーションを体感し、本来持って生まれた能力を最大限に引き出すことそうしてイメージトレーニング、リラクセーションのための瞑想をたくさんの時間をかけて学んだんですその時の joy'S Way Schoolの先生 今では”イメージングカウンセラー ジョイ石井”と名乗っていて昨日、7年ぶりくらいに逢ったんですhttp://imagingmethod.com/top.phphttp://ameblo.jp/joy-ishii/今では、長者番付けの上位10名のうち半数が、ジョイのクライアントだそうで政財界のBigだって、イメージトレーニングを続けているのだと教えてくれました。イメージングメソッドのCDや著書もたくさんありイメージングカウンセラーを養成するアカデミーを創立し全国講演会ツアーでは、公開カウンセリングも行っています。以前の、催眠ショーのジョイという華やかさはなかったけど独自のイメージングメソッドを開発し、カウンセラーであろうとするジョイも理解できた懐かしい joy'S Way 大阪1期生達とも10年ぶりに逢ったjoy'S Way の仲間は、ジョイの声に既にチューニングが合っているので講演会を聴いていても、すぐに催眠への誘いで気持ち良くなってリラクッス状態に指を鳴らしてくれたら、パフォーマンスもしそうだと残念そうでした~卒業して、ビジョンクエストという道に進みこの10年を振り返ってみれば何も苦労は感じず、今が在ることだけが全てでただアロマセラピストですと名乗れることが、幸せな日々で・・・・・10年ぶりに逢ったjoy'S Way の仲間からも、 「あの頃から、患者さんや医療の中で、アロマセラピーをしたい、広めたいと ・・・・・語ってたもんね~」 「ビジョンの通りになっているね~!」 「言ってた通りやれてるって、すごいね~♪」夢中で前しか見てなかったから、10年前に言ってたことなんかすっかり忘れていたけど今夜の講演会でもジョイが語っていた・・・・禁煙をしたいと思ったら、まず禁煙という言葉を使わないことです。煙草を禁じるって言葉を耳にするたびに、自己イメージ(潜在意識)は「本当は、煙草が好きなんだけど、止めないといけないのだ・・・」と常に煙草を意識するだけ。それでは自己イメージ(セルフイメージ)が変わらない分禁煙はつらいだけで、言い訳をしながらなかなか止められない。結果を変えたかったら、まずはセルフイメージを変えること何かを手にしたいと思ったら、それをイメージするのではなく手にして何をしたいのか、どうなりたいのかをイメージすること。成功したいと思ったら、やる気になって猛進するのでもなく成功してどうなっていたいのかをイメージすること。 その気になることただ、アロマセラピストとなって、心のケアを必要とされている方や病に苦しんでいる方の傍に寄り添っていきたいと願っていた私のそれら全てが叶っていることを、仲間からの会話によって確認できたのでしたいつも、何かの折に使っている、その気になる技緊張する場でも、よく使います。そして、普段の自分以上の力を発揮していることがあります。イメージングに感謝ですそして、クライアントさんにもよく活用しています。 「病気が治ったら何がしたい?」 「明日、元気になったら何をしてると思う?」そうね~・・・と笑顔でワクワクしてきたらその気になっている証拠です
2010年11月07日
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今日は、うちの長男の誕生日どういう訳か、今日、婚姻届を出すというお祝いに夕食、どこかでご馳走しようか?と聞くと、二人で決めているから要らない・・・・これまでの紆余曲折を知っているので、よく頑張れたねとわが子ながら純粋に信念を守って、1つずつクリアしてきた道筋を理解できる。もうちょっと踏み込んで頑張りを見せたらいいのに!と叱ったこともあったけど若い二人の緩やかな船出を見守っていこうと思う。慌しく、家から荷物を運び出す手伝いをしスーツを何着も買い電化製品を揃え新婚家庭に必要そうなものを子どもと一緒に買いながら親として、何もしてあげられなかった後悔を詫びている私なのでした。。。。。。派手な結婚式も出来ないし寄せ集めの新婚生活になるけど二人が幸せだと思えるような日々が生まれてくるように祈って、ただ祈っているからね。結婚、やっと手にした喜びはどんなだろうおめでとう20歳の時初めて腕に抱いた赤ちゃんは思っていた以上に大きくて、真っ赤で泣いてばかりでしかし、おっぱいを飲むのが休憩混じりだな・・・と思っていたら心室中隔欠損で、その病名を聞いた途端、心配のあまりそれまで溢れるように出ていた母乳は止まった何度かの精密検査の後、無事に自然に閉じて運動制限もなく小学校を過ごせた食べても食べても太れない痩せた男の子だったのに今、お嫁さんのご両親の前では、頭を下げて挨拶をしている相手のお父さんにビールを何度も何度も注ぎながら自分も酔ってしまう失態のわが子に今日だけは親として精一杯のエールを送るしかないかな
2010年10月08日
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大阪は、天神祭りの夜でした。5000発の花火が上がるというのですが、それを楽しみにも思えないそんな出来事がありました。体の中の力が抜けて、何も考えられないのです。ただ、ただショックで・・・・これまでやってきたことの全てがひっくり返されるような衝撃.私は、自分の名を挙げようなどとは思ったことがなかった。むしろその反対で、人の前に出るのは苦手。このブログだって、医療の中でアロマセラピーがどんなに効果的で病を持たれた人の役に立つのかを伝えようと始めたもの。当初は、女性企業塾の課題だったから、辛かったけど苦労しながら始めたもの。アロマセラピストに光を当てたいアロマセラピーのさまざまな効果を伝えたいそうすることで、アロマセラピーやアロマセラピストとの出会いから心身ともに楽になったり、今より自分らしく主体的に生きる時間が持てるのではないかそう願って、そのために、仕事中毒と呼ばれてもお役目だと思ってやってこれた。今日は、ホリスティック医学協会関西支部の2か月に1度のフォーラム関西支部の仲間でもある清流いつきさんの 『願望実現ヒプノの体験』スタッフとしてお手伝いに行きながらも、この日をとても楽しみにしていたのに哀しみに捕らわれてしまっていた。優しく温かく包み込むような声と言の葉ヒプノ体験中も、これまでのアロマセラピストとしての数々の出会いの中のクライアントさんの顔や出来事が浮かぶ。みんなが応援してくれている。哀しみの中で、熱い涙が流れた。気がつくと、隣に座る方に想いを話していた。その方とお会いするのは3回目。今日は必然のように久しぶりに出会った世界170カ国のうち、既に120カ国を旅しているというその人生の大先輩は視点を変えてみるといいよ。とお話してくれた私に出来ることをしようと思う。ただそれだけなんです。
2010年07月25日
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以前なら出来なかったことが今は出来ていることに気づいた先日、 眠いからだで少しでも 休みたいと、どっしりと座っていた 22時前くらいの帰宅途中の電車の中である駅から乗り込んできた人が ドア付近でそのまますぐに突然エビゾリに倒れた一瞬 、そっくり返ったその姿に、何が起こったのか考えたけどすぐに異常があったことが理解でき座っていた座席に鞄を放り出して駆け寄り目の前の男性を車両の床に寝かせようとした 。しかし体は硬直したように固く重く自分でも驚くぐらいの力をこめて、床に寝かせようとしながらなんと、 ドア近くの人に 「停止を押して 」と声を上げたのです男性の呼吸を確認しようとしたその時突然意識を取り戻し 起き上がった。良かった、意識が戻っている座席に座らせ 、その前に膝をついて脈には不整はなく・・・持病はあるか?倒れたのを覚えているか?息苦しくないか?頭は痛くないか?気分は悪くないか?など 目に異常はないか視ながら、いくつか質問していた。40台くらいの男性は、どこも悪くなく 今は大丈夫でさっきは、 急に意識がなくなったと 話した。ほんの数秒の失神?だった。すぐにでも病院へ行って、医師に倒れたことを説明して心臓や、脳の検査にも行ってくださいね。そうやって、男性に話しながらそういえば、車掌さんも来ないし、電車も停車しなかったな~と思ったらドアの傍にあるボタンは、非常停止ボタンではなくドアの開閉ボタンで、電気が消えている時には、作動しないのだそうだ良かった。電車を停止させなくて・・・・・ふっと周りを見回す。心配してみてくれている人が数名だけど多くは、知らん顔だったな~はっとかばんの中の財布が気になり、席に戻り何事もないような顔をしながら、駅で見送った男性の体がどんな状態だったのか?これで良かったのか考えた。帰宅後は、ネットでいろいろと調べてみた。そして、救急車を呼ばなくて良かったのかな~今は大丈夫だろうか?その駅を通るたびに、振り返って考えてしまう。救急時に身体が自然に動いていたそして、周囲の人に助けを求めていた以前なら考えられないこと。他人事のように思っているのではないが、駆け寄り援助するなんてそうしたいと思っていても、勇気が出せなく出来なかった。でも、とっさに駆け出していたそして、声を上げていた自分が、そうすることが出来るようになっていて、うれしく思った。そんな自分になれていて、ありがとうと思った
2010年07月09日
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娘から親孝行な言葉をもらってからその翌日には、父が入院する大学病院へ、父の娘としてお見舞いに行きました1年半前のお正月に、体が左に傾く、ろれつがまわりにくい・・・と入院し軽い脳梗塞でオペとなったけど、それ以上にまず心臓の血管を広げるステント手術が必要だと分かり、いくつもの手術を受けることになりました。オペ後のICUでの対面では、家族の心が1つになったような感覚があったり入院中の医療者と患者のかかわりについて、客観的に見ることが出来たりその後のリハビリをする家族の気持ちや負担、不安な思いを体験しました。軽い脳梗塞だったことが幸いして、リハビリも順調でしたが心臓の方は思っていたよりも影響が大きく、少しの歩行でも息が切れてしまい、日常生活の範囲がかなり制限されました。この1年半アロマセラピストとしての仕事や学びの場とNPOの理事としての活動や運営についてたくさんの役割をこなしてきたので、とてもハードな日々だったけど更に患者の家族としての時間も必要となり、仲間のセラピストさんに助けてもらったり目の前のクライアントさん以外には集中できないこともあったりで運営などには迷惑かけたこともあったと思います。セラピストとして自身のメンタルヘルスを守ることは最優先課題です。しかし、時には自分の体調以外にも、家族の病状などからも影響を受けます。その中で、いろんな気づきと共に人としても成長し、クライアントさんへのより良いケアに結び付けていけるようにと願っています。先月は、父の大腸がんが発見され、人口肛門をつけることになりました。ゴールデンウィークが明けてすぐの手術でした。がん患者家族として、医師からオペ前のムンテラを聞きそして、現在の状況を説明してもらうために大学病院に行きました。患者家族として、病院にいることで気づかされることも多いです。家族は、さまざまな不安にさらされ、もっと説明してもらいたい。もっと向き合ってもらいたい。一緒に考えてもらいたい。安心できる声掛けをしてもらいたい。そんな願いを持っています。マンウォッチングが趣味の1つだった父は言います。 「ここにおったらな~ 看護婦の声掛け1つで、ほんまに仕事が出来る看護婦か 腰掛程度の看護婦か分かるで。 ○○です。今から担当です、宜しくお願いします。 気持ちが入ってないやつには、話をする気にもならんわ。 ただ、名前を言いにくるだけやからな。」今日は、何故退院時期が延びているのか?オペの後、抗がん剤もあるかもといわれていたが、するのかどうか?転移の可能性はどれくらいか?連日の採血の結果はどうなのか?現在の治療方針は?父も母も、いつまで入院するのか分からないし全然状態を説明してくれないというので娘から、担当医師に説明してもらいたいと願い出ました。患者家族として緊張の中、医師の発する言葉を1つ残らず聞き漏らしたくないと耳も目も凝らして、態度からも察しようと探ってしまいます。当初よりも、状態は良かったこと。感染は起こしたけど、改善してきているし、様子をみてそのうちドレーンも抜ける。こちらから説明しなかったのは、特に問題がないからですよ。・・・という説明で、不満は残るけど、少し安心しました。この大学病院には、ストマの認定ナースがおられるので毎日、父は交換の指導を受けています。その様子も見させてもらいました。看護目標が達せられるよう、私もお手伝いしようと思います
2010年06月02日
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彼は、21歳だった。三兄弟の真ん中で、堅実で努力家の兄と、怖いもの知らずの実力派の弟に挟まれて父の期待に応え、父の夢を叶えて一番になっている兄と弟のように、自分も父を喜ばせたいと、必死だった。兄や弟と違って、絵や音楽の才能があったのにその器用さを良しとせず、活かしきれずにもがき苦しんでいた。2年前から始まった悔恨と再起を誓っての日々の全てをこの日に捧げ、家族への想いを込めて詩を書き勝者となって、歌で伝えたいと決めていた。誰の力も借りれない孤独なリングの上で、努力を重ね、持てる限りの力を使い果たし限界の中で、己に挑戦し続ける姿に、歓声が湧きあがる。そうして、会場が一体感に包まれたあとチャンピオンになった彼の顔からは憑き物が剥がれ落ち闘いきった彼の口からは、 「21年間生きてきて、一番うれしい!」 「あんなことがあって(07年10月の世界戦での反則) 家族には迷惑をかけた。 でも家族、それに大勢の人が俺を支えてくれた。 大勢の人に応援してもらい、愛された俺は幸せです」と感謝の言葉と涙が溢れた。 「俺は全然強くない。まだまだです・・・ でも強いチャンピオンに勝ったのはうれしい。 俺は兄弟の中で一番センスがないと言われてきたし 2回も世界戦で負けてるから、 これで負けたら、もう亀田家にはおられへんと思ってた。 そのプレッシャーに勝つことが出来てうれしい」と素直に喜びを表現した彼のホッとした安堵の表情は間違いなく、弱さを認めた彼の素顔だった マスコミが作り上げた虚像も剥がれ落ちたように感じた。 初めてのボクシング観戦同級生の末弟の息子が亀田三兄弟友だちの子どもが出る試合の応援!のノリで行ったら息子のような年齢の彼の生き様にも魅了されたのです 試合の後のチェックで血尿を指摘され、疲れ果て、筋肉の疲労で震える中自分への約束を果たしに、リングサイドに戻ってきて「この2年間の想いを歌にしたので、みんなに聴いて欲しい」とボクサーのスタイルのまま、ピアノをひきだしたのです。彼のメッセージソングは、こんな感じでした・・・・ いつになっても進めない夢が 俺を孤独に包む 人を人として見れずに一人になろうとした 窓の外はまだ暗く閉ざしたまま 自分の弱さを認めず、今まで歩いてきた あるのは、いくつもの幻と心の涙だけ 何1つない俺に 「手紙をみてください」 ひとつ、ひとつの言葉が悲しみを抱いてくれた この想いみんなに届くように、夜空に願いを掛けた 俺はもう一度立ち上がるよ、みんなにそう誓うよ 俺を思い出してよ。わがままな俺の願いさ。 みんながここにいるから、俺は一人じゃない・・・父親を喜ばせたいと、家族の結束を固め日本一親孝行な兄弟とも呼ばれている彼の再起を、素直に喜んであげたいと思います
2010年02月09日
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日頃休み無く、二人分の仕事をこなすかのように過ごしているので誕生日は、自分のことだけを考える日にしたいと思っています 今年は、誕生日の直前に、仕事で大きなミスをしていたことが分かりそれどころではないと思えたのですが こんな時だからこそ発覚したミスだと思うと乗り越えるための何かを手にしたいと思う気持ちもあって誕生日のラッキーをつかみに出かけました 夢の王国、東京ディズニーランドを満喫し翌日は、シアターソレイユの ”ZED” です。ディズニーランドは、子ども達が小さな頃から、もう何度も行きましたがここで働く人たちの、お客様を楽しませるという在り方からたくさんの事を学べます ”ZED”は、このディズニーランドのある舞浜駅に造られたシアターで観れます。 オリンピックでも活躍した一流のアスリートや、世界各地のパフォーマーたちが、このショーのために集められそれぞれに違った世界観を表現してきた方達が、長い時間をかけて極めてきた技を集結させていきます。人間技とは思えない動きに圧倒させられながら豪華なステージの中で繰り広げられる想像を超える美しさみんなの呼吸が共鳴して、壮大なショーが完成していきます 競技のために、ひたすら成績を上げるために技を磨いていたアスリートが大道芸人にように、魅せる芸を磨いていたパフォーマーたちがアーチストとして 生まれ変わります 自分を活かしきる生きかたを教えてもらいました!!ワンダフルなのかブラボーなのかエクセレントなのか 人間業とは思えない、人の力に やっぱり すごさを感じました。人って素晴らしいの一言です
2010年01月28日
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あの日・・・・阪神淡路大震災から、はや15年あの日といえば、すぐに地震のことを思い出すお正月ムードが終われば、すぐに震災関連のニュースが始まり、壊れた街が目の前によみがえってきて、心が重くなる。どんなに新しく素敵な建物に生まれ変わっていてもそれで心が晴れることはない。1995年は、『ボランティア元年』と呼ばれている全国から157万人のボランティアがやってきて活動しその後の日本のボランティア活動の基礎が出来たといわれている。当時、私は看護学校の卒試の前日だった。徹夜覚悟で、コタツで試験勉強をしていた。家が大きく波打つように揺れ、戸棚が倒れ、ガラスが割れ・・・・子ども達は2段ベッドで守られていて無事だったけどいつ、また大きな揺れが来て家が壊されるのかもしれないと余震の恐怖と信号機も街灯も点かない暗闇の中で、戒厳令下の夜を味わった。子ども達は、大阪の友人の家で預かってもらって私は兵庫駅前の公園を拠点としたボランティアを始めることにした。看護学校では、交通機関が稼動してなかったので学校がいつ再開するのかも分からず、数日後やっとつながった電話で、学校に電話すると・・・・ 「皆さんの安全が守れたら、出来る事をして下さい。 先生方も、病院でのボランティアをしています。」なので、私も、半壊の家の中で何かを待っているだけではいけない何かしなくては・・・とボランティアグループの拠点のなっている公園に行くようになった。そのグループは、後に「被災地NGO協働センター」となった。15年前の神戸各地の公園や体育館で、お湯を沸かしバケツにお湯を張って、足湯をして回った日々が私のボランティア元年足湯をすると、皆さんホッとされ、鎧を外したように見ず知らずの私にも、心の中にそっと隠していた想いを話してくださった避難所のリーダーをしている方家族を亡くし、ひとりぼっちになった方焼け出された高齢者や職場を無くし家を無くし大きな災害の中でも、生き残った事を普通に喜べない状況でそれぞれが、将来の不安を抱えて希望を見失いかけていた頃。私は、子ども達と一緒に、高台の空き地に作られた、収容所のような仮設住宅に移って 1年暮らした当時、足湯のボランティアをしたことで、関東から来られた鍼灸師のボランティアさんから「精油を使うともっといいよ」と教えてもらったことが、アロマセラピーとの出会いだったし足湯という体験を通して、人の心に寄り添うことを実感したし同じ被災者として、ボランティアをする側と、ボランティアを受ける側を体験したしあの日があったから、今の私が在るという事は本当だ あの日から、15年。アロマセラピストになって、10年目を迎える。
2010年01月17日
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ホスピスや、高齢者への訪問アロマセラピーの時には戦争体験をお聴きすることがよくあります満州事変で、親の仕事が無くなり、お金が紙切れ同然になり舞鶴港へ引き上げてきた方戦艦大和の乗組員だった方満州鉄道で働いていた方シベリアで抑留されていた方疎開のこと空襲のこと厳しい体験を踏まえて、生き残って来られた方のお話しを聴くことが大切な大好きな時間です歴史の中で知ったことが、現実味を帯びてきます。日本という国が、戦後このように発展してきたことに驚きと共に敬意を送りたいと思います軍隊経験や、長い抑留生活の中で身につけた慎ましやかで規律的な生活をずっと続けておられる方。部屋は整理整頓され、脱いだ衣服はすぐにきちんとたたみ食べられる野菜を庭で育て無駄はいけないよと教えてくれます。先日、診療所の新年会でのこと80歳を越える産業医として有名な先生がおられます。戦争体験のある方から、記録を残すことが、自分の仕事の1つだと思うと話される60代の医師もいて若かりし日のことを伺っていると・・・戦後は特例のような形で促成栽培のような形で医師が生まれた時代であったこと。女性や子ども達が進駐軍から食べ物を得ようと必死だったこと。思春期に進駐軍に媚びを売る女性たちを目にして辛かったこと。もっともっと辛いことは山ほどあった。彼らが死んで、自分が生き残った現実どうして自分は生き残っているのか・・・どんな意味があるのか・・・生き残った者の務めとは。だから、戦争中のことは、話したくないもんなんだ・・・と静かに語られました。自分に、何かできると良かったけど何もできなかったことに無力感が残り、思い出したくない、語りたくないんだと話される方も多いそうです。大きな戦争という渦の中に飲み込まれてしまった、無力感もうすぐ阪神淡路大震災の日がやってくる。私にとっても、語りつくせない日。思い出せないこともたくさんあるし、無力感に押しつぶされそうになる日。
2010年01月13日
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お正月休みは、たまった仕事を片付けることに忙殺されて・・・・ではなく、たまった仕事を片付けるためのまとまった時間をもらえて助かりました連日、やることリストが減っていくけどまた新たなリストが追加され何度もリストを更新しながら、せっせとパソコンの前で1日の大半が過ぎていきます しばしの休養となり、じっと座っているばかりで、運動量が減ったせいか、おもちもまだ食べてないのに、2キロも増えてしまいました。困ったもんです。。。。。今年も、たくさんの年賀状を頂きました。結婚された方の晴れやかな写真つきのもの出産された方の、赤ちゃんの写真友人からは、孫が生まれたと、自分の子どものように写真の年賀状の方も出てきました。アロマルームを開設したとの嬉しい報告もありました。クライアントさんからは、アロマのスクールに通い、アロマセラピストを目指しているとのお知らせも頂きました。今年からブログを始めたよ~との連絡も増えました。以前勤務していた産婦人科の助産婦さんは、74歳まで住み込みで働いておられました。毎年、私の賀状を見て、「もっと頑張るんよ~」と電話をくれます。「わたくしは、74歳まで働いたんだから、私が見込んだあなたにはそれ以上には、頑張ってもらわないと・・・ハ・ハ・ハ・・・」長年勤務していた産婦人科から、故郷の老人ホームに引っ越されたんです。きっと、老人ホームでも、これまで取り上げたお産での勇姿をお話しされていることでしょうね。訪問看護ステーションからは、私からの郵便にはいつもアロマの香りがするので、思わず笑顔になってしまうと書かれてありました年賀状という、1年に1度のご挨拶の中に盛り込まれたたくさんのエピソードに想いを馳せながら、生きている喜びを感じたりしていますそれぞれの人生のご縁を頂いたことを嬉しく思います。 ・・・ありがとうございます・・・・
2010年01月05日
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