Never be A Hopeless

VAWA 私の場合

エスケープ

****VAWA私の場合*****

私は元亭主から、『自分がグリーンカードのスポンサーを降りたら、ロンロンをアメリカに残したまま、お前は日本に帰らなくてはならない。ロンロンはアメリカ国籍だけど、お前は俺と離婚をしたらこの国にいるステータスはなくなるからな』とか、『お前は最悪の女だ。ロンロンの母親としてふさわしくない。さっさと日本に帰れ』とか、いや、今思い出してもなんでこんなこと言われてずーっと我慢してたんだろう、ってなことをさんざん言われ続けていた。そんなひどいことを言われても、奴の元を去る勇気が出なかったのは、奴のことを愛していたのは確かだけれども、 やはり子供のことを失うのがとても怖かったから。
あの頃はインターネットへの接続も制限されていたし、情報を得ることがとても難しい状況にあった。

だけどある日、元亭主と電話で話していた時に、私が家族のために善かれと思ってしたことを、悪し様にののしられた。奴は奴の友人の家の電話口で私のことを『bitch』『asshole』そして『stupid ass』と立て続けにののしった。その瞬間に、私の頭の中で”ぴきーん”と音がし、私はののしり続ける奴の声を遠くに聞きながら電話を切った。

そしてその次の瞬間には、永住権申請のために雇っていた弁護士に電話をしていた。『旦那のpetitionなしに、永住権を獲得する方法はありませんか』って。(ここら辺の行動は、自分でも驚くほど早かった。やはり、切れた山羊座のA型(neverb)は、敵に回すと恐ろしいというのは本当らしい)

その弁護士さんは、とりあえず何があったのかを聞いた。私は胸がばくばくいっているのを感じながら、私が元亭主に受けている仕打ち(肉体的そして精神的暴力)について説明した。すると彼女は、『私はあなたとあなたのご主人の両方に雇われている身だから、どちらか一方の弁護士として働くことはできないの。だけど、私の知り合いの弁護士事務所を紹介することはできるから、すぐに、私の持っているケースをキャンセルしましょう』と、言った。

私は弁護士の事務所に出向き、彼女と契約していたケースをキャンセルした。彼女は私に、彼女の知り合いの法律事務所を紹介してくれた。しかし、正直なところ、私には新たに弁護士を雇うだけの持ち合わせがなかった。そのことを彼女に告げると、彼女の紹介してくれた事務所はドメスティックバイオレンスの被害を受けている移民の救済目的で設立された非営利の団体が運営しているもので、費用は申請にかかる実費以外はかからない、とのことだった。

これはすごーくすごーく、助かった。元旦那から離れて子供と二人で人生をやり直すには、やっぱりお金がかかる。セーブできるところはセーブしたかった私には、大きな救いになった。

その帰り道、私は早速紹介された事務所に電話をし、アポイントをとった。一日も早く元旦那の下を離れたい。その思いだけが私の休みない行動の原動力だった。

その当時は文字通り夜も眠れず、食事もすすまずで、たったの3週間で10kg以上痩せた。これは正直嬉しかった。怪我の功名やんけ~!!って。フフフ・・・やはり山羊座のA型。転んでもただじゃあ起きんとばい!

・・・・そしてインタビュー当日。私が指定された法律事務所の受付で名前を告げると、奥から細身の理知的な容貌の白人女性が現れ、にっこり握手をしてきた。その時直感で思った。この人はいい人だって。

彼女はへザーという名前の、その事務所で働くパラリーガルだった。この日から約1年半、私は散々彼女のお世話になることになった。

へザーは私を事務所内の一室に案内し、飲み物を勧めながら、”これから私が貴女に尋ねることは、けして貴女にとって楽しい内容ではないわ。正直、思い出したくないことだと思う。だけど、貴女と、貴女のお子さんの権利を守るためにとても大切なことなの。少し時間がかかるけど、ゆっくり話をしましょう。”と優しく言った。

この時の私はまるでVAWAの知識などなかったから、へザーが何について聞こうとしているのか、皆目検討がつかなかった。

へザーはまっすぐに私を見つめて言った。
”貴女がご主人にされたことをこれからひとつづつ、話してもらわなくてはならないの。できるだけ詳しく、教えてちょうだい。”

その時でもまだ、私の心のどこかで、あんなに沢山の友人がいる元旦那が、私にだけ豹変したように暴力を振るうのは、私にも責任があるからだ、と思っていた。そして、元旦那に知られないところで、こんなことをしている自分に後ろめたい感覚があった。(今思うと笑ってしまうけどさ!。あのころは典型的なDV被害者シンドローム的な状態でした)

私はおどおどと、話し始めた。

"私の亭主は悪い人間ではないのです。彼が暴力を振るったり、暴言を吐いたりするのは、きっと私が彼をそうさせているからだと思うんです。だけど、これ以上我慢ができなかった。私の人間性を踏みにじられるのは、もう沢山だから、、、。”

・・・恥ずかしながら、私はすでにこの時点でグスグス言ってました。声もきっと震えていたと思う。

へザーに話した、元亭主のDVの詳しい内容はここでは割愛するけれども、へザーは一つ一つの出来事につき、いつ、どこで、何をされたか(パンチされたか、びんただったか、とか、)相当突っ込んで聞いてきた。
特に、DVがあったとき警察に連絡をしたか、病院に行ってけがの具合を診てもらったかどうかを必ず聞いてきた

(***Neverbは一度も警察に行ったり、病院に行ったりしなかった。なぜならその時は他人に知られるのが怖かったし、恥ずかしかったから、、、、。だけど、今もしこれを読んでいる人の中で、同じ状況に於かれている人がいたら。 必ず警察に連絡してください!もしくは、どんなとこでもいい、病院に行ってください!
あなたが今、於かれている状況は『何でもない』状態なんかじゃないんです!暴力がエスカレートして、どうにもならなくなる前に、、、あなたが相手の男性を愛していても、いや、愛しているからこそ、あなたは行動を起こすべきです、、、。***)

私は元旦那が浮気をしていたことも話した。(この浮気はチョーばればれの浮気でした。お恥ずかしい。)そしたらそれまでうんうん、って聞いていたへザーが、こう言った。

”Neverb。貴女は旦那さんのことを悪い人間ではない、そういっているけどね、妻のみならず子供がいる男性が、家庭の外でほかの女とXXXしているなんて、そんな男が悪い人間でないはずがないじゃない。貴女は悪くないの。ぎりぎりの生活の中で、家庭を守り、子供を守ろうとしている。貴女は悪くない。貴女はもっとすばらしい人生をおくれるはず。それだけの価値が貴女と貴女のお子さんにはあるのよ。”

その言葉を聴いた瞬間、それまでグスグス程度だった涙がぶわああああああっと溢れ出た。嬉しかった。私のことを否定せずに受け入れてくれたへザーのことが、とても嬉しかった。

やがて、私の話を聞き終わったへザーは、私がこれからやるべきことについて話し始めた。これがまた、大変な作業の始まりだった。

ヘザーは私の話しを聞き終わると、VAWA Self Petitionについて説明を始めた。

『この制度は、永住権のpetitioner(申請者)である、米国市民もしくは永住権保持者からDomestic ViolenceもしくはChild Abuseを受けている移民を某お力のない環境に移行させるために、petitoner(私の場合は元旦那)に知られることなく、永住権の申請ができる制度なの。貴女のように、グリーンカードの申請者であることをたてに、子供をアメリカにおいて日本に帰れとか、暴力を振るわれながらも、じっと耐えている移民を救済するシステムなのよ。』

・・・知らなかった。私は全く無知だった。道はあるんだ!!

正直、最悪の場合は子供を連れて、日本行きの飛行機に飛び乗ろうと思っていた(これは誘拐罪にあたる。もしも相手が先手を打っている場合は、空港で捕まって、自分はjailに、そして子供は旦那に奪われることになる。元旦那はこれを警戒していたらしく、しょっちゅう自分の父親は警察官だから、お前を空港で捕まえるなどわけないことだ、とおどしていたっけ、、、)。

だけどもうそんな必要はない。日本に帰るんだったら、正々堂々と帰ってやる!!!

ヘザーはまず私と、彼女達との連絡手段として、 私の友人の住所、電話番号 を尋ねた。自宅の連絡先では、元旦那に私のやっていることに気づかれる恐れがある、とのことだった。私は身近な一番信頼できる友人の連絡先を彼女に伝えた。

そして、次にあげるものをできるだけ速やかに準備するように言った。

1. 私の宣誓書。元旦那から受けた暴力の詳しい内容(いつ、どこで、どういう状態で、なにをされたか)を、古いものから順番に記述する。 自分の姓名、生年月日、米国入国日時、その時のステータスからはじまり、どのように元旦那と出会い、結婚関係に至ったか、そしてDVの詳細へとつづく。

2.私の身分を証明するものとして、
a)私の日本の出生証明書(戸籍謄本)およびその英訳(公証人の証明つき)
b)カリフォルニア州IDおよびビザのコピー
c)移民局発行の就業許可書、ソーシャルセキュリティーカードのコピー


3.元亭主が米国国籍であることの証明として、
a)元亭主の米国出生証明書のコピー
b)元亭主のIDのコピー

4.私たちの結婚が愛情に基づくもの(偽装結婚ではなかった)ことの証明として、
a)結婚証明書のコピー
b)7.息子の出生証明書


5.私と元亭主が一緒に暮らしていたことの証明として
二人の共同のバンクステートメント(連名で送付させれていた)の数か月分のコピー

6.DVの証拠として、
a)DV被害者としてのトラウマを克服するためのカウンセリングを受け、その証明を取得する。 ***カウンセラーの情報など、全く知らなかった私は、ヘザーにもらった電話番号をたよりに、いろいろなところに電話をかけ、ついに日本人のカウンセラーの女性と知り合うに至った。***
b)DVの様子を詳しく知る友人もしくは家族など、3人に彼らの知ることについてくわしいレポートを書いてもらう。 もちろん英語で、だ。私はちょうど、アメリカに住む3人の友人に相談をしていたので、彼女達に書いてもらった。(・・・・今でも彼女達には心から感謝している。ありがとね、Sちゃん、Mちゃん、M1!)

7. Sheriff(郡保安官)の事務所へ行き、Proof of good Cause(だったっけ?ちょっとこれは怪しい)を取得する。 要するに逮捕歴やなんやかんやのない人間であることの証明をもらってこい、とのことだった。

8. 私が米国永住権を保持するべき理由。

9. 息子の写真

そのほか、移民局に提出するフォームは、へザーたちが用意してくれた。

ヘザーとの最初のミーティングの後、電車を待っていると、緊張が解けたんだかなんだか知らないけれども、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
幸いにして、電車の駅には殆ど人がいなかったけれども、いつのまにかホームレス風の男性が横に立っていた。

彼は薄汚れた身なりで、普通だったら完璧に無視してしまうような存在だったが、泣いている私を見て、

『大丈夫。また、笑えるようになるよ』

って言ってくれた。なんだか今思うと、ホームレスのおっさんにそんなことを言われるなんて、かなり哲学的なシチュエーションだが、その時は、ただただ、『ありがと』と言うだけだったっけ・・・・


その後、ヘザーからそろえるように言われた書類( こちら をご覧下さい)を、狂ったような勢いで私は作成&収集した。全部を揃えるまで、3週間くらいだったように思う。日本にいる家族にも協力を頼み、私の戸籍謄本を取得、それを英訳してもらって送付してもらった。

この時はまだ、元旦那と一緒に住んでいたから、奴に見つからないようにするだけでも相当神経をすり減らした。自分の元へ集まりつつある書類は全てコピーをとり、一部は職場、もう一部は友人宅へ保管させてもらった。奴にみつかったら、元の木阿弥だからね。

だけど、その頃の私は、自分の進むべき道が見つかったことから、元旦那の相変わらずの言葉の暴力にもクールに対応し始め、それに伴い肉体への暴力も減っていった。奴も私の態度の変化を感じ取ったらしく、ある日べろべろに酔っぱらって帰ってきて、私を無理矢理叩き起こすと、『お前はロンロンをどこに連れて行くつもりだああああ!!』と血走った目ですごまれた。
これは違った意味で恐ろしかった。

そしてすごむだけすごむと、気を失ったように眠ってしまった、、、。

奴は奴なりに息子を愛しているのはわかる。だけど、その愛し方は、子供がおもちゃを好きな時にだけかわいがるのと同じなのだ、、、。それは、別居後痛感させられたが、これはまた、別のお話、、、。

さて、全ての書類がそろった後、再びヘザーの元へと向かった。

ヘザーは書類を確認すると、私の宣誓書を読みながら、日時や出来事等が今一つはっきりしない箇所や、文章に曖昧さがある部分などを指摘しながら、一緒に訂正をし始めた。(このときのヘザーの対応から感じたのは、移民局や裁判所などに提出する書類には、 感情をはさまないこと が大切だということだ。あくまでも事実に基づき、自分の意見を主張すること。これは、その後の離婚や親権論争で大きく役に立った。)

私の宣誓書の推敲が終了すると、ヘザーはその原稿を彼女がもう一度タイプし直すので、それが終了したらもう一度ミーティングをすると言い、そして次のミーティングの時には、self-petitionの申請にかかる費用(当時$110)を持参するように言った。(申請費用を金銭的理由で払えない人は、waiver formに記入する必要がある。それプラス、払えない根拠となる理由を提出しなくてはならない)。そうして、その日は終わった。

それからしばらく経ってから、(たしか2週間前後だったと思う)ヘザーから連絡が入り、彼女がタイプし直した宣誓書を読ませてもらった。いや~、やっぱり、生粋の教養あるアメリカ人。私のへなちょこ英語の文章が、恐ろしいまでに洗練・ポイントをついたものに変身していた。文章って書き方一つで同じ内容でも説得力が全く違うことを痛感した。

私は内容を確認し、ヘザーに申請費用を渡した。

彼女は、『このpetitionが承認されるかどうかは、私たちにも確実なことは言えないの。だけど、あなたのケースはほぼ間違いなく承認されると思うわ。』と言ってくれた。

そして、『今後の注意事項としては、申請が受理され、グリーンカードが発行されるまでは、アメリカから出ないこと。たとえ緊急事態が発生しても、この国から出ることは得策ではないことを忘れないで。たとえティファナ(メキシコ国境の街。その当時Neverbが住んでいた町からは30分ほどで行ける場所だった)でも外国は外国。国境を越えたら、状況が難しくなることを覚えておいてね。
それから、この申請が受領されたら、離婚の手続きを始めるのに問題はないの。(VAWAの申請時点では、結婚していることが条件だった)私たちは移民専門だから離婚に関しては手助けはできないけれど、これからのことをよく考えて結論を出してね。』と続けた。

私は、もう後戻りをするつもりは全くなかったし、子供を何があっても育てていく決心を既に固めていたので、ヘザーの言葉を心からありがたく聞いていた。

それから数ヶ月後。

すでに元旦那と別居生活をスタートしていた私の元に、ヘザーから弾んだ声で電話があった。

『Neveb!おめでとう!貴女の申請は承認されたよ!移民局とのインタビューまで永住権を獲得したことにはならないけど、これでもう、とりあえずはひと安心して大丈夫よ!』

やった~~!!!!

VAWA Self Petitionは、この申請が承認されるか否かにかかっていた。インタビューまでは約1年かかるとのこと。だけどインタビューまで下手なことをしでかさなければ、永住権はほぼ確実に手に入るらしい。

さあ、これで、準備は整った。もう、子供を置いてアメリカを去らなくてはならない、なんてことを心配する必要はなくなった。

私が次にやるべきこと。それは離婚の手続きを開始することだった。


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