あむりたのしずく

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5・自分を責めるということ



  バースハウスでの入院生活は、快適そのものでした。午前中に一度ベビーを預け、体重測定や沐浴をしてもらった後、しばらくはおねんねタイム。その間に私も診察を受け、色々と相談してアドバイスをいただいたり、ちょっと一息ついてシャワーを浴びたりすることができました。それ以外はお部屋でベビーと二人きりです。

  母親の本能なのか、神経が過敏になり、守りの体勢に入っているようです。世間の喧噪から隔絶され、時が止まっているかのようなこの空間が、何よりありがたく感じました。私は安心して、大仕事を成し遂げた自分の身体をいたわりつつ、娘のことだけに集中することができたのです。静かな静かな日々。こんな心穏やかに、ゆったりとお正月を迎えたのは初めてでした。

  自然のリズムに合わせた無理のないお産だったため、私の身体は傷もなく、子宮も順調に回復しているようで、産後の経過は良好でした。おっぱいも2日目にはガンガンに張ってきて(痛かった!)母乳だけでやって行けそうだとホッとしました。娘はやや黄疸が強く出ましたが、とても元気で泣き声も大きく、私は「おこりんぼちゃん」とあだ名をつけていました。

  平成10年1月4日、退院の日が来ました。「二人の世界」から離れることに寂しさや心もとなさを感じつつ、でも新たな生活の始まりに胸は高鳴っていました。前日に海外から帰国した津留さん親子が母と一緒に、買い替えたばかりの新車の初運転で迎えに来てくれました。旅立つ前「帰ってきたら、生まれていたりして・・・」と言っていた冗談が本当になりました。バースハウスの皆さんに心からお礼を申し上げ、暖かな日本晴れの中、松陰神社で初詣を済ませてから帰宅の途につきました。

  今年の冬は本当に雪の降る日が多く、2週間後に初めて娘を置いて、一人で区役所へ出生届けを提出しに行った時も、一ヶ月後に検診でバースハウスを訪れた時にも、大雪の中をおそるおそる歩いて行ったものでした。娘はバースハウスでのことをよく覚えているらしく、部屋中眺めまわし、スタッフの方の声を聞きつけて目で追ったり、とても懐かしそうに見えました。そういう赤ちゃんが多いのだそうです。

  一ヶ月、二ヶ月、時はまたたく間に過ぎていき、娘は日々スクスクと成長していきます。どんな仕草もかわいくて、いくら見ていてもあきず、親バカ度もエスカレートしていきました。この頃私は、一日中それこそ肌身離さず娘を抱きっぱなしで、母にはあきれられ、友人も「あまり頑張りすぎるとママが大変になるよ」とアドバイスしてくれる程でした。

  娘はエネルギーに敏感な子でした。私が抱いていると安心して眠りますが、ちょっとでもベビーラックに寝かせて私が離れると、途端に起きて泣き叫びます。「だって置くと泣いちゃうし・・・」「抱きぐせついてもいいの」と口では言いながら「この子さえ寝てくれたら、少しは仕事ができるのに」とストレスを感じている自分が確かにいました。私の心の中には、何の役にも立っていないことへの罪悪感があったのです。

  それに気づいた時「あなたにとって『今』一番大切なことは何ですか?」と内側から問いかけがありました。『今』もう二度とは訪れないこの貴重な時。私にとって今、この子と触れ合い、一緒に過ごすこと以上に大切な、心ときめくことがあるのだろうか? 否。私は自分に向かって宣言しました。「私は『今』娘と向き合う時を何より尊重し、楽しむ事を選択します」

  その晩の夢の中で、娘のハイアーセルフさんがメッセージを伝えてくれました。「この子は不慣れな地球の波動や環境にとまどいながらも、一生懸命順応しようとしている所です。今はまだ触覚、臭覚が中心の世界で、あなたの温りだけが頼りなのです。いずれ視覚、聴覚が発達してくれば、あなたと離れていても安心していられるようになります。何の心配もいりません。どうか思う存分、抱きしめてあげて下さい」と。

  実際その通りでした。三ヶ月に入ると昼間ははっきり目覚めている時間が長くなり、目の届く範囲であやしてあげれば、ある程度一人でもいられるようになってきたのです。職場イコール住居なので、特に時間も決めず欲しがるだけおっぱいをあげる事ができ、心もお腹も充分満足しているらしく、夜は10時間位まとめて寝てくれるようになりました。

  このように、赤ちゃんには何段階かシフトアップする時期があります。成長に伴って認識が広がり、急に今まで見えず聞こえなかったものが見えたり聞こえたりして、世界は刺激の洪水となります。神経がとがり、ストレスがたまります。娘の場合、大勢のお客様がいらしたり、見知らぬ場所へ出かけたりしたらもう大変。その場ではガマンして大人しくしていても、夕方必ず爆発し、気を失うまで泣き続けるのです。そんな時、処理しきれなかったエネルギーを解放しているんだと頭ではわかっていても、私は決まって胸がドキドキし、平静ではいられなくなる自分を感じていました。

  そしてある日、ちょっとした事件が起きました。朝、娘ととお風呂に入り、身支度を整えて、さあ下へ降りて仕事をしようと思った矢先、娘が2日ぶりのうんちをしました。意識が今になく、仕事に向いてしまっていた私は「あーあ、こんな時に」という想いから、やや乱暴な手つきで、娘をふとんに寝かせました。そのため、大量のゆるゆるうんちはおむつからもれ、下着も服も背中一面を汚してしまったのです。私は慌てて脱がせにかかりました。

  その時です。ふいに支えを失った娘の頭はゴンッと勢いよく壁に激突してしまったのです。娘は一瞬息を止め、目を見開いて私を見つめた後、火がついたように大声で泣き出しました。私はショックで頭が真っ白になったまま、なんとか娘の身体をきれいにし、驚いてかけつけた母に娘を託しました。「私を信頼しきっている大事なわが子を傷つけてしまった!何てひどい母親だろう。ごめんね。ごめんね」私はあの目が忘れられず、とても娘に顔向けできない気持ちで自分を責めたのです。

  母にあやされ、泣きつかれて眠った娘の寝顔を見つめながら、私は瞑想し、どうか娘の心の傷が癒されますようにとお祈りしていました。すると「人を癒そうとするのではなく、何よりもあなた自身を癒してあげて下さい」とハイヤーセルフの声がします。パアッと今までの人生で、色々な人を傷つけてしまったと感じた場面が甦ってきました。忘れていたはずの事までありありと。傷つけてしまったと思い込むことで、これだけ自分が深く傷つき、しかもそれに全く気づいていなかったことに驚きました。私は人ではなく自分自身を傷つけていたのです。

  過去に何度も人の言動によって傷つけられたと感じる経験をし、そのため「自分も人を傷つけることができる」「人を傷つけるのは良くないことだ」という価値観を握っていたようです。私の中にある傷ついたままの部分が、泣き叫ぶ娘の姿に反応し、くすぶり続ける過去の感情を感じていただけなのだと、やっと分かりました。「泣きたい時には泣かせてあげればいいのよ」おおらかな母の言葉を支えに、泣いている娘もただ愛しく、抱きしめて見守ってあげることができるようになってきました。

 しかし、これは私にとってかなり根の深いブロックで、なかなか真正面から向き合えず、やがて更なる事件を引き起こすはめになるのでした。




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