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明治維新後の1871年、郵便制度が確立しましたが、年賀状は書状で送るところがほとんどで、数は決して多くはありませんでした。1873年に郵便はがきを発行するようになると、年始の挨拶を簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていきました。しかし明治20年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまったのです。郵便事業に携わる人の数は限られているため膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していました。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていました。その対策として1890年に年始の集配度数を減らす対策が講じられ、それでもさらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかったのです。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていました。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26~28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになったのです。
そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まりました。年末の一定時期(具体的には12月20~30日の間)に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていました。翌1900には(必要に応じて)全国の郵便局で実施、私製葉書の使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになったのです。なお年賀状は本来、元日に書いて投函するのでしたがこの特別取扱をきっかけに年末に投函し元日に配達するようになりました。また、当時はある程度の枚数を束ねて札をつけ、郵便局に持ち込むことが原則でありましたが、1907年から葉書の表に「年賀」であることを表記すれば枚数にかかわらず郵便ポストへの投函も可能となりました。
なお、関東大震災や大正天皇崩御(12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止されました(明治天皇・昭和天皇崩御の年は実施されています)。
年々取扱量が増えていくと共に私製葉書の取扱量も増えていったため1935年に私製葉書の貼付用として年賀切手の発行が始まりました。しかし時勢の悪化により1938年に年賀切手の発行が中止、1940年には特別取扱が中止され、太平洋戦争勃発以降はさらに自粛の声が高まりました。
終戦後の1948年特別取扱と年賀切手の発行が再開され、この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになりました。1949年、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒット。そしてこれを機に年賀状の取扱量は大きく伸びていきました。なお、1955年にアメリカ軍占領下に置かれた沖縄でも年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されています。お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたのですが1956年に寄付金無しの葉書もくじが付くようになりました。1961年から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年には郵便番号導入により郵便番号枠が追加されたのです。
1970年代になると年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷がさかんになっていき、1982年から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになり、1989年から年賀切手にも、くじが付くようになりました。
なるほど~で!やっぱり書かなくちゃいけないわけですかぁ?日本人て大変大変・・郵便局も民営化されてから大変そうですよね~・・。
配達の皆さま御苦労さまです。特に尊敬に値するのはライダー配送かなぁ・・さすがプロ氷の道・・吹雪の中を走るなんて、曲芸ですぅ!なにしろこの雪・・・すべります。
くれぐれもお気を付けあそばせ
すごっ!
きのう・・・そして・・・だよねー! Jul 7, 2023 コメント(12)
カチコチ・カチコチ・・かちんこちんだぁ~… Jan 25, 2023 コメント(13)
どようの○○(; ・`д・´)・・・あたるのかな? Aug 26, 2022 コメント(9)