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ひろみちゃん8021 @ Re:スグれナイト気には・・・そんな優れもの?(06/21) New! こんにちは(^^) 今夜は グッスリ快眠で…
どっすん0903 @ Re:スグれナイト気には・・・そんな優れもの?(06/21) New! 寝る前2時間は飲んじゃダメ!? いつも泡…
Saltyfish @ Re:スグれナイト気には・・・そんな優れもの?(06/21) New! 寝る前・・・2時間前・・・昨夜は飲んだか…
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Feb 1, 2010
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カテゴリ: ロック



1974年、シン・リジィのフィル・ライノットに誘われて一時加入。デッカ・レーベルでの最終シングル"Little Darlin/Sitamoia"のレコーディングを残す。同年、コロシアムのドラム奏者ジョン・ハイズマンとともに新たなるバンド、ジャズ・ロック・バンドコロシアム2で活動し、1976年から1977年にかけて三枚のアルバムを残す。
1977年、ブライアン・ロバートソンが参加できなかった為、シン・リジィとクイーンとのアメリカ・ツアーに代役として同行、翌1978年にシン・リジィに正式加入。コロシアム2に在籍のままソロ名義でMCAと契約して初のソロ名義作品 『Back on The Streets』 の製作に着手/発表する。ピーター・グリーンから譲り受けたギブソン・レスポールによる"Parisienne Walkways"は彼のギター・バラーディアの地位を確立された名曲である。・・・・このあたりから、ぐっと来ちゃってますよ~。
1979年、シン・リジィ、グループとしての最高傑作と言われている 『ブラック・ローズ』 をリリース。8月のUSツアー途中で脱走、LAにて元ディープ・パープルのグレン・ヒューズとハング・アウト、マーク・ノーシーフらとともにデモンストレィション・テープの制作にかかる。
同年9月MCAとの契約とは最期になるシングル、 Spanish Guitar をリリース。
グレン・ヒューズとのグループは頓挫したものの元 CBS のディレクター、ドン・アーデンが立ち上げたレーベル、ジェット・レコードと契約。「スーパー・ギターリストの新しいグループ」名目のもとに新たなグループ G-Force を結成。
1980年、UKにてアルバム 『G-Force』 をリリース。UK国内にてデヴィッド・カヴァーディルのホワイトスネイクのサポート・アクトを務める。アルバムではLA風のメタルサウンドを狙った割にUS国内での配給先が見つからず、この一枚でG-Forceは解散。予定していたレディング・フェスティバル出演をキャンセルしたためムーアと JET レコードとの間に違約問題が生じる。顧問弁護士をつけて『Corridors Of Power』の発売にこぎつけるまでの間活動を制限されること余儀なくされる。
1981年、スタジオ作品を制作するも契約は解消できず、マネージメントを結んだ先のタレント、グレッグ・レイクの二枚のアルバム製作に参加。アメリカのFM番組 King Biscuit Flower Hours 録音時のムーアによるEL&Pの『庶民のファンファーレ』やキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』などの楽曲演奏はあまりにも直線的で、プログレッシヴ・ロック特有の幻想的雰囲気を破壊しているあたりに、「キング・クリムゾンへの解答」であり、この時期のムーアの持ち合わせた破天荒さと良い意味での適当さが表れている。
1982年、ハード・ロック・マーケットに興味を持っていたヴァージン・レコードの協力もあり、短期裁判でアーディンとの契約破棄問題を解消。4年越しのレディング・フェスティヴァルに初登場、同年末『Corridors Of Power』をリリース。このアルバムは日本のマーケットでは前代未聞のヒットを記録となる。
1983年、1月に初来日公演。即日チケットは完売し、追加日程も組み込まれた。来日メンバーはイアン・ペイス、ニール・マーレイ、ドン・エイリー、ジョン・スローマンという豪華な顔ぶれで、一部ファンの間ではコロシアム3とも(ギャラの高い)エクスペンシヴ・バンドともよばれていた。同年には日本公演を収めたライヴ・アルバム『Rockin' Everynight』が日本のマーケット東芝EMIのみで発売された。
1984年、前年よりニール・カーターとの共同作業を開始して制作された『Victims Of The Future』はヴァージン・レコードのインプリント・レーベル10 Recordsからリリースされた。2月に来日公演。メンバーはカーターにイアン・ペイスとオーディションで獲得したクレィグ・グルヴァー。(この頃のライブDVDもってます~)夏のアメリカ・ツアー前にイアン・ペイスがディープ・パープル再結成のために契約を解除した。そして同年、プロデューサー、ピーター・コリンズを起用してリミックス・シングルでリリースした『 Empty Room (カーターとの共著)』がUKでヒットする。
1985年、フィル・ライノットとの共作シングルGary Moore/Phil lynott/"OUT IN THE FIELDS"をリリース,二人による競演は評判を呼びUk国内でスマッシュ・ヒット。 9月にはグレン・ヒューズとの共作などによるアルバム 『Run For Cover』 をリリース。メンバーはニール・カーター、ボブ・ディズリーにガリー・ファーグソンGary Fergusonで10月に来日公演。( 同年VIRGINの日本で配給先の東芝EMI契約の歌手浜田麻里が ムーア作の"LOVE LOVE LOVE"( レコーディングのギターは後のB'zの松本孝弘が演奏 している)を録音している。
1986年にも当時アイドルから脱皮をはかろうとしていた本田美奈子に楽曲提供("the Cross -愛の十字架-")(東芝EMI)した。日本ではムーア自身による原曲『クライイング・イン・ザ・シャドウ/ワンス・イン・ア・ライフタイム』EPでリリースされている。 1986年1月フィル・ライノット死去。
1987年には故郷のアイルランドを主題としたアルバム『Wild Frontier』をリリースし、ヨーロッパでヒットする。このアルバムは前年亡くなったフィリップ・ライノットに捧げられた。7月に来日公演。来日時にはフジテレビジョンの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演した。(この時のビデオありますよん♪)
1988年初頭、前作の路線を核としたアルバムのレコーディングを始める。オジー・オズボーン、サイモン・フィリップス、コージー・パウエルらが参加した『After The War』は1989年にリリース。ムーア=パウエルとの共演に古くからのファンは来日公演を望んだが、リハーサル段階で頓挫。5月にドラマーにクリス・スレイドを据えて来日公演。これ以降日本でのライブは行われていない。同月ニール・カーターとのコンビを解消する。 
1990年3月、ブルース・アルバム 『Still Got The Blues』 をリリース。親交のあったジョージ・ハリスンの他、アメリカのブルース・ギターの名手アルバート・キング、アルバート・コリンズらがゲスト参加している。軽い気持ちで企画されたものだったがアメリカで200万枚を超えるヒットを記録。(全世界で300万枚)以後ブルース路線へと切り替える。
1992年、『After Hours』リリース。アルバート・コリンズ、B.B.キングがゲスト参加。同年4月ジョージ・ハリソンのロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール公演のサポートを担当、ジョー・ウォルシュとともにハリソンのステージにも参加、ムーアは『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』のギター・ソロを弾いている。ミッドナイト・ブルース・バンドはUS、EUなどでプロモーション・ツアー。ミック・ジャガーとも共演する。
1993年ジャック・ブルースとの共演後、11月ドイツ、ケルンにてジャック・ブルースのバースデイ・コンサートに参加。元クリームのメンバーであるブルース、ジンジャー・ベイカーと共演をきっかけに1994年、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、ムーアでBBMを結成。アルバム『アラウンド・ネクスト・ドリーム~白日夢 - Around The Next Dream 』をリリース。ライブを数回行った後ベイカーがグループを離れる。その後ゲイリー・ハズバンドを迎え入れ、トリオの演奏は完璧なものとなる。同年、そのトリオで録音した新曲『ワン・デイ - One Day 』を含む初の公認ベスト・アルバム『ベスト・オブ・ゲイリー・ムーア~バラッズ・アンド・ブルーズ~ - Ballads&Blues 1982-1994 』をリリース。
1995年、ピーター・グリーンに捧げた『Blues For Greeny』をリリース。この年ミッドナイト・ブルース・バンドを解散する。
2001年3月、『Back To The Blues』リリース。4月から数ヶ月英国、欧州のコンサートを行う。基本的にこのメンバーがその後の主要のメンバーとなる。
2002年9月、『SCARS』リリース。SCARSとしてトリオ編成のバンド結成。メンバーはドラマーのダーレン・ムーニーDarren Mooneyと元スカンク・アナンシーSkunk Anansieのベーシスト、キャス・ルイスCass Richard Lewis。翌2003年5月、 モンスターズ・オブ・ロック UKツアー2003に参加。(メインアクトはホワイトスネイク)。

演奏スタイルはブルースを母体としているものの、ジャズ・フュージョン・クラシカルのフィーリングもあり、驚異の速さ・正確さを兼ね備えている。影響を受けたギタリスト達のスタイルをそのまま再現できる腕前から"巧すぎるギタリスト"、またマシンガンのようなピッキングによる速弾きから"ギタークレイジー"と形容されていたが、彼のスタイルが遺憾なく発揮されるのはバラードにおける泣きのギターである。

使用機材
・フェンダー ストラトキャスター (60-61年製・シリアルNo50,000番台)
「We want Moore!」の頃にメインで使用されていたサーモンピンクのストラトキャスター。グレッグ・レイクのバンドにいた時にグレッグの為に購入したが、グレッグ本人が傷がついていると気に入らなかった為ゲイリーのものになった。ゲイリー本人はこのギターを買った時から気に入ってしまい内心グレッグが買わないと言ってほっとしたとの噂。「スティル・ガット・ザ・ブルーズ」の時期にギター・テクニシャンをしていたグラハムなる人物によると、このギターはリフィニッシュされている疑いがあるという。
・ギブソン レスポール Standard (59年製・シリアルNo9-2***)
元フリートウッド・マックのギタリストであるピーター・グリーンから譲り受けたもの。「パリの散歩道」での演奏が有名。ピーター・グリーンのトリビュート・アルバムである「ブルース・フォー・グリーニー」はこのレスポールで録音されている。また90年代にネックを破損した(リペア済み)とされる。フロント・ピックアップは入手時に既にマグネットが逆さまに装着されていたので、センター・ポジションではフェイズアウトの出力となる。フロント・ピックアップの向きが上下反転しているのも特徴。リア・ピックアップのエスカッション周辺に塗装の剥落あり。2006年3月、様々な事情が絡んでMaverick Musicに売却された模様。
・ギブソン・レスポール (1959年製)
上記のレスポールのスペアとして89年に手に入れたもの。ピックガードは外されている。ピックアップはオリジナルのPAF。上記のレスポールとはシリアルが19番しか違わず運命的なものを感じたとか。STILL GOT THE BLUESの録音でメインに使用され、"スティル・ゴット・ザ・ブルース・レスポール"と呼び本人はかなり気に入っているとのこと。90年代以降メインで使われている。
いかがでしょうか?やっぱ凄いのです。是非一度♪
ゲーリーゲーリーゲーリー






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Last updated  Feb 1, 2010 11:28:42 PM
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