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ミュンヘンに降り立ってから今日で13日目。ミュンヘンに基地を作り、大きなスーツケースを置いて、オペラ鑑賞の為のドレスコード用の靴と背広をボストンバックに詰めてウィーンとザルツブルグに持って行ったのが余程重かったのか、夫はここプラハにはフランクフルトにスーツケースを置いて、リュックを背負って来た。 ところが自分で予約して驚いたことに、リュックを背負ってでは気恥ずかしくなるような豪華なホテルだった。コンシェルジュもいるし、ロクシタンのアメニティもスリッパもある。ウイーンのジュニアスイーツだってスリッパはなかった。2人とも飛行機に付いていたスリッパを持って歩いているのだ。 オーストリアからミュンヘンに帰り3日滞在して、ホーエンシュバンガウ、ローテンブルグでそれぞれ1泊し、ロマンチック街道を北上してまた、フランクフルト空港のホテルに基地を作り、身軽な荷物で飛行機に乗り、ここプラハにやって来た。 写真はロマンチック街道ディンケンスビュールとローテンブルグの町並み。 ディンケンスビュール posted by (C)灰色ウサギ image posted by (C)灰色ウサギ
June 16, 2015
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ウサギ夫婦はユーレイルパス1等の電車の旅を楽しんでいる。旅先で街中観光では無く交通が不便な郊外の景勝地に行く時は、オプションツアーが便利だ。 ザルツブルグからザルツカンマグート(湖水地方)に行く半日バス&ボートはウイーンからザルツブルグ駅に着いた時、駅のインフォメーションで英語ツアーを予約してもらった。日本から予約の日本語ツアーは高かったからケチったのである。 ミュンヘンからフランクフルトは荷物持っての移動が嫌だったのでヨーロッパバスを利用することにした。ミュンヘン発、ノインシュバインシュタイン城、ホーエンシュバンガウ泊、そしてローテンブルグ泊2泊3日のオプションツアーである。日本の旅行エージェントを通してインターネットで予約した。 これが間違いだったのである。 一見繋がったツアーで楽に見えるが、日帰り観光ツアーバスとヨーロッパバス、2つの違ったバス会社のバスを乗り継がなくてはいけなかった。 そんなわけで最初のノインシュバンシュタイン城1日ツアーのバスにはスーツケースなぞ持った観光客は我々2人だけだったのである。 しょっぱなから不安になる。 おまけに同じバス停に同じ会社の行き先が同じバスが3台。私の予約券を控えているバスはどれ? 聞きまくる。予約は英語バスと書いてあるのにに日本人は1号車に乗れと言われる。 え、乗ってもいいの?結局途中の観光案内だけテープで日本語だったけど。 不安だからガイドが付いているグループがいたので日本人ガイドに聞いてみた。 「うちのお客様以外には教えられないんですよ」 えー、ケチ。 日本人が一番不親切じゃん。 その夜は無事にノインシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウ城を見学して両方の城の間にある場所に用意されていた高級ホテルに泊まれたのだった。 ホテルミュラー posted by (C)灰色ウサギ 毎朝ホテルの食事は豪華なので太る。段々控えめに取るようになった。 写真の窓の上の方にちょこっと見えるのがノインシュバンシュタイン城。チケット買った時点で入場時間が決められる。そこまで歩けば30分の山登り。 馬車も途中までのバスも長〜い列だったので歩いた。
June 13, 2015
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ウィーンでトラム駅のコンビニで水を買った。店員が「あ、日本人」「こんにちは」と言って来た。 ウィーンなどでは観光客や現地在住者がいっぱいいるだろうに。それにどうして日本人と分かったのだろう。顔のよく似た韓国人、中国人も日本人以上に見かけた。 ミュンヘンのインフォメーションで道を聞いた時も「こんにちは」と日本語で親しげに話しかけてきた。そこでウサギ、思わず、どうして日本人と分かったか聞いてみた。彼は言った。「日本人はポライト(礼儀正しい)から」 そういえば最初に私は「グリュスゴット」(こんにちは)とババリア地方の挨拶をしてから、質問を始めた。 今日、英語オプションツアーの中、オーバーアマガウという小さな綺麗な村で40分ほど自由時間があった。 夫と私はアイスクリームを買って、立って食べるのもなんなので、木陰のベンチに座って食べ始めた時、同じベンチにドイツ人男性が座って、「こんにちは」と言ってきた。返礼してから聞いてみた。「どうして日本人と分かりましたか」彼は言った。「目を見れば分かる。それに日本人はとても丁寧でしょ」 ウサギはちょっとばかり嬉しくなったのである。日本人が褒められている。それからは、今まで以上に、「グリュスゴット」「ダンケシェン(ありがとう)」「アウフビダゼン(さようなら)」「ビッテシェン(お願いします)」「エントシュディグング(すみませんが)」と使うのだった。 そうすると相手も「サンキュウマアム」と返してくれる。 写真はザルツブルグで美味しいと評判のレストラン「K&K」のアスパラガスのムース。 アスパラガスのムース posted by (C)灰色ウサギ
June 13, 2015
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ミュンヘン駅は食べ物の宝庫だ。 電車のベルが鳴り、改札やゲートの無い駅舎を行き交う旅行客や勤め帰りの人々の喧騒。 ウィーンのちょっと豪華な五つ星ホテルとザルツブルグのアルトシュタット(古い町並み)のど真ん中の何時か泊まったイギリスのライをお思わせる古い伝統有るホテルに5日程泊まって、またここミュンヘンに帰って来た。 ミュンヘンのホテルはどこに行くのも便利な駅舎直結のホテル。豪華では無いけれど、利便性抜群だ。今日は早起きしてツークスピッツに行って来た。 ウイーンでもザルツブルグでもちょっと豪華な食事を楽しんだので、今日はテイクアウトで夕食を済ませる。 それにしてもいったいこの駅舎の中に何種類の店が有るのだろうか。イタリアン、ベジタリアン用、サンドイッチ、ヌードル、フルーツ専門、ソーセージ専門、どれも美味しそうで迷ってしまう。 今日は今ドイツで流行りだというカレーとケチャップの掛かったソーセージとパンを夕食に食べたのに、人々の行き交う中に懐かしいものを見つけて思わず買って夫と食べてしまった。 まだ日本食が恋しいわけでは無い。 旅人の物珍しさ買いである。 自分が旅人であることを忘れそうに馴染んでしまったこの駅とも明日でお別れである。 何回も電車のシート予約で通ったDB(ドイツ鉄道)のチケットオフィスに今日初めて一等車専用カウンターがあることに気がついた。 番号待ちしなくて良かったのだ。 毎日新しい発見をして、失敗をして、それでも旅は楽しい。 image posted by (C)灰色ウサギ
June 12, 2015
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今夜のテレビで東京の高級ホテルのコンシェルジュをーテーマにした番組を見るともなく見ていたら面白いので引き込まれてしまった。 フロント係はいてもコンシェルジュのいるような高級ホテルに泊まらないからウサギはあまりお世話になったことがない。 アメリカで電車の乗り方聞いて、夜のレストランの予約の電話入れてもらったぐらいしか経験ない。 番組はコンシェルジュのあり様みたいになっていたがそれを見ていた私、逆にコンシェルジュを活用する方法を学んだのである。 カメラはコンシェルジュを追う。私はそのコンシェルジュにいろいろ尋ねに来る外国人客のコンシェルジュの活用法に目が吸いつけられてしまった。 そうだよね。道を聞くだけならフロント係で事足りる。 だけどコンシェルジュにいろいろ聞いて、ものすごく高いレストラン勧められて断れなくなっちゃったらどうしようとか、予約を入れてくれちゃったらどうしようとか考えるから、道ぐらいしか相談できないんだよね。 ラーメン屋を堂々と聞いていたシンガポール人、通り一遍じゃない観光場所を教えて貰おうとしていた外国人客。観劇のチケット取って貰っていたアジア人らしい人。チケットも日本なら手数料かからないだろう。 地元人じゃなければ知らない情報、ガイドブックにない情報をコンシェルジュを利用することで手に入れる。 うん、いいね。 いつそんなチャンスが巡ってくるか分からないのに、次への参考にしているウサギであった。 ウサギ posted by (C)灰色ウサギ あ、そうそう。コンシェルジュって意外と各種割引券持っているのよね。これはお得。
February 16, 2015
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旅行準備の中でホテル選びは一番楽しい仕事だ。費用と立地忘れてはならないのが提供される朝ごはん。その上、私はついついそのホテルだけが持つプラスアルファを求めたくなってしまう。私にとってはグレードや星がプラスアルファではない。人との繋がりが有るホテルがいい。 だから私のホテル選びはかなりの精力が必要になるのだ。 基本日本であれ外国であれ、今までは殆どパック旅行はしないので、自分でホテルを探す。 自分で探したホテルが当たった時の快感はたまらない。 海外で一番最初に探したのはイギリスだっただろうか。次女がロンドン留学していた時なので、もう10年以上前になる。 その頃booking.comだとかエクスペディアなんていう、ホテルを探して値段を表示してくれるサイトなんてなかった。いや、有ったかもしれないが、知らなかった。 一緒に行った長女を含めて3人でハイキングする前日の宿に、ひょっとしたらフランスが見えるんじゃないかと思うような、イギリスの南の果ての保養地の街に小さなB&Bを見つけた。理由はホテルのオーナーが飼っていた犬が死んで、センチメンタルな追悼の詩をそのホームページに載せていたからなんて訳のわからないものだった。 泊まりたい由のemailを送って返事をもらったのである。この返事が来るというのが良いのだ。 少女染みた花柄の壁紙の貼ってある古いが広くてゆったりした4つもベットがある部屋。「上の階の8号室でシャワーを使っていたらボイラーが共有なので、お湯は出ません」なんて書いてあって娘がすかさず、「じゃあ、これからシャワーをする?って聞きに行くのかい」何て突っ込むぐらいだったが、犬の話や日本の漫画の話をオーナーとしたことも忘れられない。 病みつきになった。 そんな何かがあるようなホテル探しがである。 イギリスのライの町のシンボルで街の紹介パンフレットにお化けは出ましたか、なんて書いてある600年の歴史ある、マーメイドインでも、コツウォルズの伝統的プリンパーティをしたプチホテルでも、ブルージュの運河沿いの伝統ホテルオランジュでも、何かが有った。 今、ツイッターでフォローしている、「一度は泊まって見たい世界のホテル」というのに出て来るのである。 そういう時は自分の選択にほくそ笑むのである。 さて、今、ずっとずっと先の旅行のホテル探しをしている。二匹目三匹目のドジョウを狙って郊外の小さな街では小さな部屋数の少ないプチホテルを探す。華やかな町では星の並んだちょっと豪華なホテルを探す。その街でやるテーマに合わせてホテルを選ぶ。夫に拒否されるのでB&Bはもう選べないけれど、それに今はもうbooking.comのお世話になっていいるけれど。 そして今日、ある小さな街のプチホテルからemailが届いた。それが届くとしめたもの。そこから始まるやり取りで、絆を作って旅を面白くするのである。
February 2, 2015
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せっかく買ったものをその都度、深川陶磁や大川内山で送って身軽になったのに、また重くなってしまった鞄を抱えて、伊万里から唐津までJR築肥線に乗った。唐津のお宿はを部屋から180度丸ごと海を楽しめるホテル。ベットルームの他にゆっくりTVの見られる(見なかったけど)サブルーム、海を見ながら入れるお風呂(豪快に海の見える大浴場に行ったから入らなかったけど)、もちろんトイレと別になったパウダールーム。お料理は伊万里で泊まったホテルよりは落ちるけれど、自分で予約しておいて翌朝、清算するときに驚いた。安い。観光ホテルだとしても安い。眺望とゆったり感を楽しむのには十分なホテルだと思う。唐津シーサイドホテル。唐津まで行ったら呼子の烏賊の生き造りと狙っていた夫。ホテルの車で呼子までのバス停まで送ってもらってからも頭の中は烏賊でいっぱいらしい。前日のホテルで夕食の一品に烏賊の生き造りにしますか、お寿司にしますかと言われ、即、「烏賊は明日食べるからお寿司お願いします」と言っていたぐらいだから。楽しみなんだろうな。唐津焼狙いの私としてはこの展開、いかんなあ。例によって、バスは、市街を抜けるとアナウンスで「降りる時はお好きなところでブザーを鳴らしてください」という。長閑な港町と海岸線と丘と抜けて、呼子漁港へ到着。朝市を目指して来たので、ゆっくり見学したいところだが、いかんせん、烏賊に目がくらんだ夫は速足で朝市のおばさん達の間を通り抜けた。途中で江戸時代クジラ漁で財を成したというクジラ組主中尾家を見学。ゆっくりしていたら、「唐津に帰るバスの時間前に烏賊食べなきゃいけないから早くいかなくちゃ」と夫が呼んだ。そして、烏賊の生き造りを食べて満足した夫と、またバスに乗って唐津の街に戻って来たわたし達、唐津の街の陶器やさんと、窯元見学を開始したのだった。しかし、どの陶器やさんに入っても、唐津はすべて、同じ型の無い手びねりだから作家さんの名前が付いた高級なものばかり。高くて手が出ない。大川内山で5,000円のマグにとどめて、余力を残し、伊万里のホテルで出されてた大服茶碗のような大ぶりの茶碗を唐津焼で狙っていた夫も、唐津焼のあまりの高さにすっかり戦意を失っていた。それとも烏賊でお腹いっぱいになってしまったか?唐津焼は伊万里の磁器と違って、陶器なので、裏に名前が書けない。サインか判を掘るぐらいだから、素人には作者や窯元がわからない。陶器やさんによっては、裏の正札に番号を貼ってあって、それと壁にずらりと書いてある窯元と照合するようになっているところも有った。唐津焼の窯元さん、その数ざっと100。すっかり興味を無くした夫を引っ張って、街の中心地を外れ、いくつかの窯元を訪ねて、やっとこ自分の気に入った抹茶茶碗にも使えそうなお茶碗を買った。あや窯。女性の作家さんである。夫が買わないから私が買っちゃった。いいかな。
March 27, 2014
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フォレストイン伊万里に泊まって、ホテルオーナーの器にかける情熱を感じ、器との調和を一番大事にする世界の料理はやっぱり日本かなと再確認した。朝食は個室風にしつらえた食堂で頂いた。自分で好きなものを持ってくる世界共通のブッフェスタイルでもなく、大広間に並べられた御膳でいただく和風旅館の食事でもなく、きちんとメニューが付いて、ホテル特注の唐津焼の両手の平でまあるくほっこり持つほどの大きな大服湯飲みのお茶から始まる料理を少しずつ運んできてくれる。お料理の内容はありふれたものでも、オレンジジュースは生ジュース、地元の野菜、ほとんどがホテルの自家製の調味料を使って入る。唐津焼の器に入った厳選した特選卵を佐賀のお米に掛けて卵ごはんでどうぞと、白い素敵な卵割の鉢を出された。その卵ごはんに使う醤油も自家製。瓶のまま出すのは風情が無いと思うかもしれないが、たぶんお土産にほしいという人が多いのだろう、新しいのを同じ容器で買って帰れる。ドレッシングもしかり、帰りの飛行機を考えなければ買って帰りたいほど、自家製だからおいしい。味付け海苔までホテル自家製なのである。給仕をしてくれた男性に器を誉めたら、ホテルのオーナーが器が好きで日本各地の器を厳選して収集しているのだそうだ。どうりで素敵な器ばかり。中でも特にサラダが入ったエキゾチックな中東アジアの装身具模様の伝統的な赤絵瓔珞文深皿は野菜を全部食べてしまって中にどんな模様が現れるかとわくわくしたほど、私の心をつかんで離さなかった。後ろに写っている大服湯飲みは欲しければ1個5,000円で分けてもらえる特注品の唐津焼。食後のデザートとコーヒーはまたラウンジに移動してゆっくり頂く。その日は、時期的にお客さんが少ないことも有って、駅まで送ってもらうことになっていたのを、特別にその日の目的地である鍋島焼きの里、大川内山まで直接車で送ってもらった。おかげで駅まで出て本数の少ないバスで行くよりもかなりの時間の余裕が出来たのである。
March 15, 2014
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ブロ友さん、前回の記事の忘れた荷物が気になることだろうと思う。JR有田駅と松浦鉄道が同じ場所で良かったという話。気が付いた時点で取って返し、訳を言って改札を出て昼に預けた旅行バック2個をロッカーから取り出した。英坊さん、忘れたのは預けた荷物で買ったものは絶対忘れません。ホームに着くと松浦鉄道の黄色い電車がするすると入ってきた。セーフ。伊万里駅からタクシーで10分、丘の上のリゾートホテル、フォレストイン伊万里がその日のお宿。急遽見つけたホテルであったが、料理に力を入れているというだけ有ってお料理もおいしかった。リゾートホテルだけど、ものすごく大きな吹き抜け天井のゆったりしたロビーやラウンジが旅の疲れをいやしてくれる。なによりもお金を払って何かを注文しなければいられないようなラウンジとは違って、クラブルームのラウンジのような、イギリスのInnやマナーハウス等にあるような共有の大きな空間で自由に過ごせるのがいい。ライブラリーこそないが、ラウンジのゆったりソファーのテーブルやラックのそこかしこに分厚い焼き物や旅行の本などが沢山、さりげなく置かれている。ゆっくりしてくださいねという気持ちが表れていてうれしい。夕食は伊万里牛コースを頼んでいたのでカウンターで。物静かなシェフが目の前で肉やら野菜やらアワビやらを焼いてくれた。カルパッチョ、スープ、サラダのお皿も素敵だった。やはり目の前で調理してくれるのに、失礼な気がして、アワビの写真だけ断って撮った。デザートのコーヒーとパンナコッタは、沢山の陶板をはめ込んだ本物のさくらと同じサイズの桜の木の壁画がどーんと有るゆったりラウンジでいただく。庭の人工池の水面もテーブルのろうそくも淡くゆらゆら揺れて幸せな気分にしてくれる。偶然インターネットで見つけただけなのに、このホテルで良かった。食後に入った温泉は泉質が極端にぬるぬる。嬉野温泉に泊まったBelgische_Pralinesさんが書かれていたのと同じでぬるぬる。大きな浴槽の中もつるつる。良く漫画に描かれるお風呂でつるっと滑って派手に転ぶ絵が頭に何度も浮かんでくる。自然と足に力が入ってロボットのようにゆっくりゆっくり滑り止めが敷いてある洗い場を浴槽まで歩く。窓の外の景色を見たいと大きな浴槽の中をスローモーションのように進む。その夜はホッカホカで幸せな気持ちで焼き物の夢を見る事もなくぐっすり眠ったのだった。
March 14, 2014
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柿右衛門に迎えに来てくれたタクシーの運転手さん、先ほど柿右衛門に来た時の運転手さんだった。有田駅前に並んでいる3台でフル回転しているのかも。ギャラリーで私はブレンドコーヒーを、夫はケーキと紅茶を注文した。「どうぞ、お好きなカップを選んでください」部屋の周り四方全面にカップが並べられている。まるでコーヒーカップの壁であった。皆どれにしようか手に取って戻したり、眺めたり、すごく迷っている。夫は「お任せ」「え?お任せ?選べと言っているのに?」私も席を立たずにクラシカルなものをと、「鍋島でお願いします」2,000個の中から鍋島なぞ探し出すのはごめんだ。もちろん柿右衛門は絶対ないだろうなと踏んだ。ぐうたら老年夫婦なのである。ウェイターさん、自分の後ろを探すが直ぐ諦めて、コーヒーを淹れていた女性に尋ねていた。「鍋島ってどれですか?」さすがに女性は知っていて、直ぐ自分の後ろの棚から取りだして手渡した。先ずこのカップでお水がやって来た。夫のケーキもやって来た。このお皿最近デパートでも良く見るちょっとかっこいいお皿。翌日行った大川内山(鍋島焼きの里)で焼いていた。来た来た、私の手書き鍋島焼きコーヒーカップ。大川内山の畑萬陶苑窯の薔薇である。どんなに安く見積もっても7,000円は下らない。コーヒーを飲んで、そろそろ暗くなるね。本数の少ない松浦鉄道、これを逃すと後が遠い。カフェの階段を降りる。下のエリアに、ショップが有った。「あ、この龍や虎や鶏がユーモラスに描いてあるのドイツのルートのお土産にセバスチャンに持って行ってもらおう。くださいな。時間が無いので包装は良いです」お皿5枚、また買っちゃった。もう歯止めがきかない。「電車行っちゃうよ。急いで」夫が呼ぶ。タクシーには乗車拒否されるほど近い駅まで走るウサギ夫婦であった。急いで伊万里までの切符を買ってJR改札を入る。松浦鉄道のホームまで渡階段を登っていると夫が急に立ち止った。「ねえ、なんか身軽過ぎない?」??? !5回前の焼き物紀行2を見てくださいな。
March 12, 2014
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番外編を書いていたので紀行文が途切れた。マイセンの国からやってきたセバスチャンは東京に帰って行った。15日に離日する。ドイツに留守番しているルートに「楽しかったよ」と言ったら、ルート(実はルースだと思っていたら、ドイツ語ではルートなんだそうだ)が「セバスチャンもメールですごく楽しかったと言っていたよ」と返してきた。良かった。紀行文に戻る。当初の計画では上有田の街を歩いて街はずれの駅から15:41の電車で有田に戻り柿右衛門窯に行く計画だった。しかし、15:00の時点で店には入ったり出たりしていて、いまだ上有田通りの半分しか来ていなかった。急げ!香蘭社先ず道路を隔てた赤絵工房で陶磁器の雛人形のコンテストを見て、自分の好きなものに投票した。道を横切って、香蘭社の2階博物館でショーケースの中のむかしむかしの古伊万里を見る。ショールームで売り物の磁器を見た。深川製磁深川の磁器にはなじみが有る。私が外国の友人を訪ねる時、だいたいお土産に持って行くのはここのサラダボールだったり、お皿だったり、ワイングラスだったりする。その淡いブルーの色が好きなのである。そしてアメリカ人などはなお一層深川が好きなのを知っている。なぜか。深川には白い青磁の上にブルーの淡い霞んだようなブルーが溶け込んだ色合いの富士山の絵柄がたくさんあるのだ。アメリカ人富士山に登るのも、見るのも日本人以上に大好きなのである。深川の陶磁器は東京でも買えるけど地元で買えば安い、もっとおまけしてくれるというので、アメリカのリナの結婚祝いにペアのワイングラス、急須のコレクションしているジョイスに急須、骨董店で買った深川の壺を大事にしているクリスティンに湯飲みを、湯飲みセットがほしいと言っていた娘に湯のみ5個セットを買った。「何も買わないと」、スーツケースを持たない旅行だったのに、初日にして早くも揺らいだ決心。3万円近く買ってしまった。何と心が弱いことか、とほほ・・・。当然持てるわけないよね。送ってくださいな。他にもお客さんがいて暇じゃないと思うんだけど、買った後でも店員さんがずっと世間話や今夜泊まるところの話を聞いてきた。そして「コーヒーが良いですか、お茶が良いですか」と聞かれたので、コーヒーを頼んで店内の椅子で待っていた。なかなか出てこない。もう電車は無理よね。そして出てきたのは日本茶だった。「コーヒーの機械が壊れちゃってすみません」おやおや、でも気持ちはうれしいからありがとう。さて次、もう電車が行っちゃった時間なので、タクシーを有田駅から呼んで、有田駅を通り越して直接次に回った。柿右衛門窯ここは「買わない」という決心以前の問題。とても高くて手が出ないということでしっかり諦めがついて、展示室を見学して、屋敷の様子を見学して、ショールームでため息をついて終わった。その日の宿は有田から松浦鉄道で伊万里。駅からは少しあるので伊万里駅到着時間を知らせてホテルにお迎えを頼んであったのだが、絶対無理だ。ホテルに電話して自分たちでタクシーで行くからとお迎えをキャンセルした。開き直るウサギたち。どうせ遅れついでだからもう一軒行こうよ。柿右衛門にタクシーを呼んで、2,000個のコーヒー茶碗から好きなのを選んで飲めるというカフェ有田ギャラリーへ向かったのだった。予定通りに行かないのがまた旅の楽しさである。
March 11, 2014
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食事が済んで陶器のコーヒースプーンがすっかり気に入った夫、絶対買うんだろうな。いよいよ上有田の街並みに沿って陶器のひな祭りの幟がはためく中を、気に入った店を覗いていくことにした。ひな祭り地図に入店予定マークはしてなかったが、ちょっと覗いてレイアウトが気に入ってしまった小さな陶器店に入った。1店目「こんにちは、見せてください」お店の人のセンスだろうか、それとも有田にはこんな素敵なものしか売っていないんだろうか。どれも結構いい値段はするが素敵なものばかり綺麗に並べられていた。ごちゃごちゃ置いてないのがいい。奥の座敷にはお約束の陶器の雛人形も何点か飾ってあった。ふと手元を見ると、黒いテーブルに布を敷いた上に箸置きが箸と共にディスプレーしてある。5個で2,100円。あ、これ前からこんなのがほしかった。「これ売り物ですよね。これください」・・・・・・・・・・・ 一店目で買っちゃった!スプーン狙いの夫でなく私が!「どうぞ座敷で雛人形でも見ながらお休みください。今お茶入れますから」実は女性店主、私が買うという前からお茶の準備をしていた。お菓子も出してくれていた。「いいのかなあ、お菓子まで食べて」「いいんじゃない。どうぞっていうんだから」ちょっと前にご飯食べたばかりなのに、夫はしっかり布団に座って寛いでお茶とお菓子をおいしそうに頂いていた。買いものをして店を出る時、店主は店の外まで出て、我らが遠くに去るまで見送ってくれたのである。2店目ここもセンスの良い作家さんの作品が並べてある。「こんにちはちょっと見せてください」夫が元気よく挨拶する。「どうぞどうぞ、昆布茶でも飲みながら見てください」渡された昆布茶を両手で持ちながら、ふうふうしてお茶を飲みながら店内を見て回る。知り合いと思われるお客が入ってきて、方言で話し始める。さっぱりわからない。昆布茶が温かい。欲しいものがいっぱいだったけど、高くて手が出ないのでお礼を言って店を出た。その後も同じように温かい出向かえで店に入っったり出たり・・。夫も元気よく「こんにちは、ちょっと見せてください」「どうもありがとう」私以上に楽しそうだなあ。6店目でついに夫がスプーンを買った。買い時を狙っていたな。先に箸置きを買ってしまった私は何も言えない。2人の娘にあげるんだそうだ。スプーンを買ったところの店主さん、戸を閉めるときそっと金柑を2つ手渡してくれた。「食べてね」小さい小さい金柑はすごく甘かった。焼き物見物はすごく楽しい。それ以上に有田の人たちの親切と優しさと、人懐っこさが温かい。
March 6, 2014
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福岡空港から特急で有田に向かった。この頃、歩く旅をしていると、車で廻るという発想が浮かんでこない。ちょうど1か月ぐらい前ほぼ同じコースを廻っていると記事で知ったブロ友のBelgische_Pralinesさんがレンタカーで廻ったと書いてあって、初めて車という発想が浮かんだ。「レンタカー借りようか?」という夫に、電車の旅も楽しいから良いよ、と断ったのだ。しかし、調べて見ると、窯元というのは辺鄙なところが多く、電車の本数も少なく事前に綿密なリサーチをして移動計画を立てたのである。JR佐世保線、途中佐賀で七つ星を見かけた。いつかは乗りたい電車だ。有田駅を11時過ぎに降りてロッカーに荷物を預け、松浦鉄道、伊万里行の出る午後3時41分までに駅に戻るつもりでタクシーに乗って上有田に向かった。焼き物めぐりと言ってもいろいろな廻り方が有る。1.買うことを目的とせず、街中や山奥に点在する窯元を巡る旅。2.展示販売もしている窯元を見学しつつ、気に入ったものを直接窯元で買う旅。3.あらゆる窯元の作品、あるいは契約窯元の作品を販売する陶磁器屋さんめぐりで掘り出し物、素敵なものを 買う目的で巡る旅。上有田は道路の脇に陶磁器屋さんが並びそれに沿って、今右衛門窯や深川製陶、香蘭社などが並ぶ上の2番と3番を併せ持った焼き物の街。その日は3月1日、有田の焼き物で作った雛人形を各店頭や特設会場に飾り、コンテストも行われていて、街がピンク色になっていた。珍しい陶器の雛人形たちも見るのが楽しい、陶磁器も見たい。気持ちが逸るのである。落ち着いて落ち着いて、まずは「腹が減っては戦は出来ぬ」上有田にある本陣という和食レストランに有田駅からタクシーを乗りつけたのであった。有田の何か所かのレストラン、料亭で「有田焼五膳」というテーマに沿った定食を準備しているという情報を見つけていた。御前にはルールが有るそうだ。 有田で焼かれた陶器の四角いお弁当箱のようなふた付き御膳を使うのが必須。その御膳には真田紐が巻かれている。 5つに分けられた御膳の一つ一つに、酢の物、やきもの、揚げ物、生ものなど入れる事を決められ、地産の食材で調理する。 コーヒーとデザートは付ける。 後はそれぞれの料理屋で工夫して鉢物や甘酒を自由に付ける。 そして、料理は一律1,200円!コーヒーにはかわいいい陶器のスプーンが付いていた。夫が「これいいね」ドキ!嫌な予感。
March 5, 2014
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3月までの航空利用券が有ったので、2泊3日で九州に行って来た。ホームステイ犬のベイリーが佐世保に引っ越す予定だったので会いに行くつもりで佐世保にホテルを予約して計画を練ったが、「まだアメリカから荷物が着かないから引越しは4月過ぎてからだよ」だって。それではいつものように目的を一本に絞ってテーマを決めて旅をしようと伊万里と唐津に宿を取った。旅のテーマは「焼き物と窯元めぐり」最も危険な旅である。何が危険かと?お財布にとっては一番危険な旅なのである。イギリス焼き物の街、ストーク・オン・トレントの旅の二の舞にならなければいいが・・・。絶対見るだけ、買わないと心に誓って旅立った。その誓いは守ったかって?明日書きます。機内食、これは帰りに出た分。湯布院の月燈庵のお弁当。次は湯布院にお出でくださいってことかな。また九州に行かなきゃ。
March 4, 2014
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新年おめでとうございます 今年もよろしくお願いします 我が家の犬ではないけど、本日氏神様にお参りに出かけた途中、すり寄ってきたこの子をなでなでして写真を撮らせてもらった。干支の馬でもお獅子でもない。犬だけど、ちょっと姿を拝借。 なんとか暮れの大掃除を済ませて、30日に京丹後に間人(たいざと読む)蟹を食べに行って来た。今回もブロ友のrikizukiさんところの「蟹ちゃんあみちゃん」バスで、京都駅から間人まで運んでもらい、お仕事中「てんき天気」道の駅まで迎えに来てくれた彼女に去年も泊まったお宿の「とト屋」さんまで運んでもらった。そして、そのあたりではブランド力抜群の間人蟹をお腹いっぱい食べたのである。同じズワイガニでも間人が高級な訳は、港からすぐの所で蟹が捕れるので生きたまま持ち帰れるからなのだそうだ。生きているから動く足にはブランドの緑のタグが付いている。料理の前に見せられた、「私と夫の蟹」はこれ。小さいのは解禁期間が短いメスのコッペ蟹。そして、丹後から大晦日は京都に出、京都でお正月を迎えた。暮れに、私のブログにご挨拶頂いた皆様、そんなわけでお返事できなくてすみません。皆様のブログにご挨拶に伺ってから旅行のブログを書きます。
January 2, 2014
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旅で一番楽しいことは、その旅の計画をしている時かもしれない。いざ旅に出てしまうと、あっと言う間にその旅は終わってしまうから。7月の第3週の日曜日夫と青春18切符を使って旅に出た。デビュー戦としてはまず近場で小手調べと、房総半島一周の鈍行の旅に出たのであった。朝、久里浜港からフェリーに乗った。(これは有料、別料金)房総半島、浜金谷の駅で、「ただいま職員居りません、御用の方はお声を掛けてください」と窓口に掛けられたメッセージボードの脇から、奥でイスに座って昼寝を決め込んでいた駅員を強引に起こして、その日の青春18切符スタートスタンプを押してもらってから、鉄道の旅はスタート。鈍行だから、30分も行かないうちに電車は終点の館山に着いた。電車はここで安房鴨川行きに乗り換える。海辺だからきっと海水浴客で込んでいるだろうと、先に半島の先を目指したのだが、それらしき客は誰も乗ってこない。地元客だけ。「なんだかすごく田舎の風景だね」と夫に呼びかけるが、「え!、えええ!」すでに夫は爆睡中。「もう?」40分足らずで安房鴨川に着き、今度は外房線勝浦行きに電車を乗り換える。昼食は勝浦でとるように市内のレストランをwebページで出してきているから次の降車駅は勝浦に設定してあった。しかし、館山の駅でもらった房総半島観光パンフレットに勝浦海中水族館というのを発見したので、「ここに行きたい」と勝浦の一駅手前の鵜原で途中下車に変更。海中水族館はそこから歩いて15分。鵜原駅一駅前の上総興津のホームに電車が滑る込み始めた時、夫が叫んだ「海中水族館はここから7分ってホームの看板に書いてある」私達は予定の駅より1つ手前で電車を降りたのであった。そして看板を良く見ると「 ここから車で7分」!。「おかしいな、まだ寝ぼけているのかな」と嘯く夫に大笑いし、私達は駅前のタクシーに乗る。タクシーは鵜原の駅前を通って海中水族館のある浜に。1,500円。海中水族館を出て、さて時刻を見ると鵜原の駅に勝浦行きの電車が来るまで後、15分。駅までは歩いて15分。多分間に合わないね。ちょうど折り良く目の前に止まったタクシーに乗り、「勝浦までお願いします」と告げた。何故か頭の中には鵜原駅までは間に合わない、電車が出てしまう。という考えが占めていたのだった。そしてタクシーは発車してから5分で鵜原駅の前を通過して勝浦方面に向かった。鵜原駅ホームには電車を待つ人たちが居た。夫と私は顔を見合わせ、「ここで降りたら、まだ電車は来てなかったよね」「変更します。ここで降ろして」と叫べない私達であった。勝浦までタクシー、1650円。まあ、それでも冷房の効いたレストランで予定通り、大盛り天丼と海鮮丼を食べて再び外房線、蘇我行きに乗った。 外の景色はキラキラした海辺の景色から、夏の風に穂がなびく田園地帯へと変わっって行く。「綺麗だね」と夫に話し掛けると、またもや爆睡中。窓の外は緑の風が吹き、夏の日差しが照りつける田舎の風景。その中でがたんとごとんと音楽的に揺られながら船を漕ぐのもまあいいか。「蘇我に着いたよ。乗換えだよ」そしてまた、出発した浜金谷の駅を目指して内房線に乗り換える。ここからは東京湾沿い、線路からは遠い浜辺には化学プラントが立ち並ぶコンビナートが見える。五井、姉ヶ崎、木更津、君津。また乗り換え。ホームには逗子行きの総武線電車が止まっていた。見慣れた色の電車だ。 「これに乗ると東京を回ってわが町に帰れるよ」夫が言った。寝ていた割には頭は冴えてる?しかしね、フェリーの切符は往復で買っちゃってるのよね。そして夕日が落ちる頃、朝来た浜金谷の駅に到着。フェリーに乗って帰宅。青春切符を使って巡ったこの旅、安かったのか高かったのか。青春切符大ベテランの隣のおばさんに報告すると、「勿体無い、何でそんな近いところに行くの。名古屋とか仙台とかにも一日で行かれるのに」そして今週末は、青春18切符第2弾。御殿場線の旅。何を目的として旅に出るか、これからインターネットでそれを探そう。
August 5, 2010
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美しの森ファームのとろけるプリン卵1個の大きさしかないプリンプリンを食べてそして山を下るコースは少し違う森の中を歩くけれど、方角と目的地はまたプリン今度は下る下る 標高差550m途中清里高原ホテルで昼食をと思ったがランチコースはお休み仕方がないのでまた森の中を歩いて清泉寮へ再び。そこでランチを食べる。メインのメニューは夫と私と別れたが最後の「お飲み物は?」のウェイターの質問に2人同時に「ジャージー牛乳を!」野の花をさりげなくテーブルに置いてあるのはいいね??デザートはプリン??これは目的地のプリンではない。これは思わぬ誤算だった。ここでプリンまで7キロ→プリンまで2キロ→そしてプリンまで5キロにタイトルを変更。ご飯を食べて元気が出たから、ひまわりの咲く道も足取り軽やか。キープファーム、清里ジャム工房(重いのにジャムを買う。リュックに入れたが腰が痛い、ちょっと買いすぎたか)聖アンデレ教会を通り、再び清里牧場通り。そして朝車を置いた駐車場にたどり着いた。おっとそれ前に、プリン。清里マチスの黄金プリン母が山小屋で待っているからここで食べずに持って帰ろう。ついでにケーキも。
August 26, 2009
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今回の山の生活、母を一緒に連れて行ったのでいつものように山小屋からの遠出のドライブが出来ない。そこで3日目、晴れた日に母には山小屋で留守番をしていてもらって一日ハイキング。朝9時、車を清里、牧場通りの駐車場に置いて歩き始める。行きはすべて登り坂、目的地はプリン! 観光客が少なくなった観光地はすっかり秋の気配。馬も厩舎の外に出してもらっている。前回の白馬はこの谷口牧場の住人(馬)。道は標高1,000mからどんどん登っている。空気が澄んでいる分太陽の光が熱い。「疲れた」「バスに乗る?」「ハイキングだから乗らない」JR で一番高いところを走っている高原列車の駅清里を過ぎる。ここからは八ヶ岳赤岳を見ながら登る。清泉寮はまだまだ相変わらずの賑わい。人気のジャージー牛乳のソフトクリームを列に並んで買う。外のイスに座って富士山を眺めながら食べた。清泉寮の周りの森の中には牧場、協会、ファーム、ジャムとパンのショップ、自然観察センター、やまねミュージアム、それから森の中を子供達が観察しながら歩けるトレイルが張りめぐされている。その中の一つのコース、映画「西の魔女は死んだ」のロケ地、おばあちゃんの家の近くのルートを歩く。途中から八ヶ岳高原ルートに出る道が分らず森の中を迷った。森が深くトレイルがあちこち分かれるので地図を持っていても迷いやすい道だ。八ヶ岳横断道路を横断してすぐまた森の中に。目的地はとりあえず、美しの森。途中川があったためどおんと一気に50mほど下がって、100mほど登る。これなら道路沿いを歩いたほうが良かった。やっと着いたところは美しの森の駐車場レベル(裏側から登っているので、標高は同じでも駐車場までは距離がある)。そこからはこの階段を登る。息切れして登ると美しの森、富士山、甲斐駒ケ岳、金峰山が見える。プリンはまだ先。この道を8分登る。そして、美しの森ファーム。目的地到着、片道7キロ。標高約1,550m。プリン。ここで一日の写真掲載容量を越えたためプリンの写真は明日。
August 26, 2009
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山の家の朝はすがすがしい。赤ゲラ、山鳩、名前の知らない鳥達が鳴く。 八ヶ岳赤岳山の家で出たごみは分別して管理棟の横にある金網で鍵の掛かる大きなごみ箱に入れることになっている。金網鍵付きは以前熊が出たからだ。熊はジュースの空き缶など甘いものが大好き。 芝生広場とシモツケソウ 生ごみは自分達で処理するルールだ。ごみ処理機かコンポストに埋める。我が家は滞在時間が短いのでそんなに食料カスは出ないからコンポストだ。それでも必ずたぬきがコンポストの横を掘って残飯をあさっていく。大きな石を並べても、いとも簡単に掘り返し、投げ飛ばして穴を掘る。すごい力だ。以前隣村で英語教師をしていたことがあるというアメリカ人に日本語スピーチの場で会った事がある。彼の話によるとごみは猪が掘っていくそうだ。 ハクサンフウロと私の指に留まるアサギマダラ普通別荘地は垣根や敷地の境の塀などは設けない。だから永住している隣の方は白樺の間を縫って我が家の庭伝いに、農家から野菜をもらったからとおすそ分けを持って来て来てくれる。ところが山野草をたくさん丹生こめて植えている道路を隔てた御宅では300坪の敷地を全部網で囲って野生の動物が入れないようにしている。鹿が新芽をすべて食べつくしてしまうのだそうだ。今年、山の家の敷地内を散策していると、道路を夫婦で散歩する人、犬を連れて歩く人から「御宅は今年鹿の被害はないですか?」「夕べ鹿を見ませんでしたか」と鹿の被害を訴える声が多くなった。数年前までは聞かれなかった被害だ。別荘地内の道路を鹿が群れを成して歩いて、クラクションを鳴らしてもじろりとにらむだけでどかないと言う。 サンメディウススキー場で親を呼ぶ迷子の小鳥声をかけてきたある奥さんがつぶやいた。「仕方がないですよね。獣の世界に人間が入り込んだんですから」そうだね。もともとの住人がいる世界に割り込んできたのは人間。こちらが共存させてもらわなければ、小さくなって彼らの土地を借りよう。美味しい空気や身を切るような冷たい水、美しい鳥の声や、満天の星空を貸してもらえるんだから。 最初の写真八ヶ岳主峰の赤岳山頂。よく見ると登山用の山小屋がある。 写真には無いがそこから縦走して横岳に行く尾根にも他に2つの山小屋らしき 建物が・・。 しか~し、スズメバチだけは許せない。ミツバチが居なくなったからだろうか、温暖化で南からやってきたからだろうか。それだけはハチノックでシュッ。
August 22, 2009
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5月5日長野からの帰りと5月6日の日記を書き終わってUPしたつもりがしてなかった。すべて消えてしまった。もう一度書き直すのは面倒なので、本日は写真のみ。想像力テスト。5月5日諏訪5月6日山小屋、朝発ち。
May 8, 2009
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5月5日GW、闘病中の母を置いてはどこにもいけない。そこで医者に恐る恐る山の家に連れて行ってもいいか聞くと、いとも簡単に「ああ、大丈夫ですよ」。母も闘病中とはいえ、薬が効いていて、家にいるときは散歩にも出られるほど良くなって来ている。そこでどうせ長野県まで行くなら、それにひょっとしたらラストチャンスかもしれない(そうでないことを祈るが)と思い、昨年末果たせなくて、私達2人の娘だけで納骨した父のお骨のある善光寺への墓参りと、母のたった一人の姉がいる千曲市の母の実家に急遽母を連れて行くことにした。善光寺へは山小屋からまだ一般道と中央道で2時間半ほど。昨日一日、山で休息出来たおかげで母もそんなに疲れていない。善光寺は7年に一度のご開帳で混んでいると伯母から聞いていたので、高速道路を須坂ICまで行き。大外を回り、善光寺裏手の山の中腹にある雲上殿納骨堂へ。妹と2人で年末に納骨に来たときは母が入院中で、もし母もすぐ後を追ったらなんて心配しながらの日帰りとんぼ返りだった。すっかり緑の風景に変わっていた。亡き父が毎日見ているであろう風景。下界にはご開帳で2時間待ちの行列だと言う善光寺が見える。もちろん混雑には近寄らず、また長野の町の大外を回って、更埴へ。母の実家へ。家の前では納骨のときに会った伯母といとこが待っていてくれた。母は久しぶりに母の姉との涙の再会。母の実家には私も30年ぶり。周りの風景はすっかり様変わりして、家の構造や庭も少しずつ手直しされていたが、昔を思い起こさせるものが残っていて懐かしかった。帰り際、門のそばに中庭から移したと言う井戸が・・。庭の雰囲気作りに置いておくのだそうだ。タイムスリップ。
May 6, 2009
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5月4日3日の夕方、カイルと両親が帰ってから、荷物をまとめて山の家に出発。到着した時、あたりはすっかり暗くなっていた。翌朝、天気は晴れ、山小屋の周りはまだ新緑には早く、白樺もわずかに芽ぶているばかり・・。そんな中、山の桜が満開だった。山の桜は里で咲くそれよりもピンクの色が濃く、花の数は少ないのに、木々の間でしっかり主張していてはっとする美しさと凛とする気品がある。母の調子もよさそうなので信州峠を越えて瑞垣山の見える山梨県側の里でツクシを採って遊んだ。瑞垣山は大好きな山だ、でもまだ一度も登ったことはない。一度は登ってみたい山だ。その後ろの金峰山にはまだ雪が残っていて山頂の五丈岩も良く見えた。里の桜も、山吹も、タンポポも美しい。信州峠から須玉へ降りる道はまだのどかな田舎の雰囲気がすっかり残っていて決して開発の手が入ってほしくない場所だ。でも、それはこちらの勝手な思い込みかもしれない。そこに住む人にとっては便利なほうがいいのかもしれないし・・。ニリンソウ?でも一輪ずつしか花が付いていない。なんだろう?その日は散歩をしたりしてゆっくり過ごした。夫は庭のコンポストと格闘。どんなにコンポストを深くしても、石を積んでも、必ず穴を掘ってごみをあさられてしまう。夜中にそっと来るのは誰?たぬき?猪?娘に言わせると、ファスナーを「シャー」と閉める音に似ている音を出すんだそうだ・・・。その犯人は?
May 6, 2009
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週末また山の家に行った。秋に一回ぐらい行く予定では有るが、何が起こるかわからない世の中。一度冬支度をしておいたほうが良いので行くことにした。山の冬は厳しい。寒さで水道管の中の残っていた水が凍って水道管が破裂してしまうのである。過去にも水道栓の周りのナットが縦に割れたことがあった。でもまだ高原は秋食欲の秋 今回は八ヶ岳高原ロッジのレストランで 秋の収穫 そうですよ。そばは食べられるけど、後の二つは毒ですよ。毒キノコとトリカブト
September 17, 2008
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長野山の家3日目長野、長野と言っているが実は山小屋は長野にあるが清里は山梨県。だから行動は長野県と山梨県を行ったりきたりすることになる。この日は長野県内移動。佐久ICから高速に乗って須坂に、そこから山に入って米子瀑布まで行って来た。雨模様の天気だけれど降ってはいない。滝の駐車場までは車がすれ違うには困難な道を1時間ほど走る。途中で霧が出てきて果たして滝までたどり着いても滝が霧で見えないんじゃないかと心配したが駐車場から40分歩いて滝まで着いたときは2本の滝がしっかり見えてすばらしかった。権現の滝と不動の滝残念ながら私のカメラはこの日バッテリー切れ。そしてライカのフィルムは非常に難しいフィルムの入れ方(夫が言うには)だそうで、撒き出しに失敗。そういうことで写真なし。秋の季節には紅葉を求めて駐車場は1、2時間待ち。混雑の季節は自家用車は通行止めでバスのピストン輸送、途中橋のところは重量制限があるので橋は一度バスを降りて歩いて渡るんだそうだ。往復1時間半の道のり、駐車場に熊注意!と有ったので、不必要に大きな話し声で絶えず話しながら歩いた。秘境であった。
September 3, 2008
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せっかく山に来たのだからゆっくりベランダで本を読んだり、散歩したりして過ごせばいいのにそこはじっとしていられない我が家族。山に行って二日目。あいにくの雨にもめげず朝から活動。まずは雨でハイキングは出来ないので、野辺山のべジタボール・ウィズから。パナボラアンテナの並ぶ国立天文台の横にあるプラネタリウム。プラネタリウムで星を見た後、野辺山上空体験飛行を操縦する、と言ってもベジタボールウィズ室内の機械でだが。そして着陸結果は不合格。ゲーム大好き次女でもなかなか難しい。昼食は30分並んで甲斐大泉にあるアフガンと言うカレーの有名なお店でカレーを食べる。ベーコンエッグカレーが絶品。ご飯はベーコンの下。次は清泉寮でソフトクリーム。ソフトクリームを買ってふと後ろを見ると観光バスが着いたのか、あっという間に50メートルぐらいの列が出来ていた。ここで清泉寮の敷地内に建てられた映画「西の魔女ガ死んだ」のロケに使った「おばあちゃんの家」を見るかどうか迷ったが、雨で道がぬかるんでいるだろうと後日行くことに。そのまま牧場通りを通って清里フォトミュージアムへ。5月に行っているので新しい写真家の展覧会の案内葉書が来ていたのだった。井津建郎氏の「ブータン内なる聖地」ボランティア仲間の若い子が青年海外協力隊でブータンに行っていて時々写真を送ってくれるからこのテーマにはすぐ食いついた。写真展の写真の中には彼女が送ってくれた写真と非常に似ている風景が写っていて面白かった。この写真館は林の中に有ってすごく静かなところで清里の観光地の喧騒からもすこし離れているので好きな場所だ。写真展を出ると全員がにわかカメラマンになって3台のカメラでとうもろこし畑と流れてきた霧を撮る。分かりやすい家族だ。例によってカメラを車のボンネットに置いて自動シャターの写真を撮る。目下のところこれが今我が家の流行。萌木の村によって夕ご飯のドイツソーセージとドイツビールを買う。ここはいつ来ても綺麗でしゃれた場所だ。
September 1, 2008
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海野宿(うんのしゅく)には一度行ってみたかったと言っても東海道五十三次の話ではない。前回山の家に行ったとき別所まで行って帰って来たが、ガイドブックを見ると小諸の近くに昔の宿場を保存した地区があると書いてあった。是非行きたい!街道の旅人としては宿場と聞いて見逃す手は無い。山小屋に夜中について次の日の朝早速海野宿を目指す。「うみのしゅく」かと思っていたら歴史にめっぽう強い長女が「真田氏の祖となったうんの氏と関係有るんじゃない」という。「だってここいらは望月とか真田一族に関係する地だもの」なあるほど、宿場にしか頭が無かったがここいらは戦国武将の活躍した地であった。歴史は縦にも並んでいる。頭を江戸からもっと深く戻さねば。とにかく600メートルにわたって保存されている街並みは中仙道の妻籠のように江戸そのままとはいかないが古い建物や当時の建築様式を受け継いで守っているものがほとんどでタイムスリップしたような気分になる。真ん中の道路の脇を流れる小川と植栽が潤いを与えて綺麗な街だ。ここは北国街道。信濃追分で中仙道から分かれて善光寺を通り佐渡に抜ける。善光寺参りと佐渡銀山のための五街道に次ぐ重要な脇街道だ。 卯建がある家々が目立つ。うだつは隣家に火事の火が広がらないように隣家の屋根との間に張り出して設けた防火壁だったのが自分の財力をアピールするための指標に変わったもの。「うだつがあがらない」の語源になった建築装飾だ。近くの上田紬は有名だがここも養蚕が盛んだった地域だ。古い民家を使った歴史資料館には養蚕の道具なども展示されていた。そしてこんなところにもそれを思わせる繭玉の意匠が・・。 そして宿場お決まりの高札場旅人の心得、名物品は食べてみる。くるみおはぎ。信州と言ったら杏とくるみ。海野宿のあとは十年前に来たけれど混んでいて食べられなった上田の刀屋でそばを食べた。量もタレの種類も聞いてくれるサービスが気持ちよかった。もちろん信州そばは絶品。ここはもう更科そばの由来になったで有名な信州更級近辺。そばは昼食、おはぎはおやつ。別腹。そしてこれもまた春に来たときに寄れなかった塩田平の生島足島神社へ参拝した。太古より日本総鎮守と仰がれる極めて古い由緒を持つ神社だそうだ。この日のとどめは鹿教湯(かけ湯)温泉。これも以前来たときはホテルや旅館ばかりでどこに立ち寄り温泉があるか分からず引き返した温泉街。下調べしてあったので今回は森の中の散策路や文殊堂を巡ってから文殊の湯へ。山の家に帰った時はあたりは真っ暗。全員の携帯電話を使って玄関、鍵穴へ。昼はこんな感じ。
August 29, 2008
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北海道に2泊3日はやっぱりきつかった。3日目。私は以前訪れた積丹半島の積丹ブルーをリナに見せたいと思ったので今回訪れる計画を立てていた。そこはオレゴンでリナの家族に連れて行ってもらったオレゴンコーストにすこし似ている。しかし、いかんせん時間が無い。その上、私達はリナが飛行機の出発時間に対してすごく心配性なのを経験から知っていた。3時間も前に空港に着いていないと不安なのだ。そこで3日目は計画変更、札幌から千歳空港の近くに寄っていく形で目的地を変えた。これなら時間調整が出来るし、いつでもリナが空港に行こうという時間に調整が効く。そのことを告げると彼女も安心したようだった。朝、ホテルでバイキングの食事を摂る。昨夜会ったティユも朝ホテルに来て一緒に食事をした。彼はニュージーランドのマオリ族だという。がっしりして笑顔が素敵な好青年だった。自然の美しい(行ったことはないけれど、この頃の映画はよくニュージーランドでロケしているから知っている)ニュージーランドから来て日本の自然も気に入ってくれたかな。旅の途中でアイヌの人に会ったそうだ。互いの国では少数民族。だけれどそのたどった道はかなり違うだろう。現在の互いの国での認められ方も違うと思う。何せニュージーランド人はマオリを誇りに思っているだろうと思う。オール・ブラックスの「ハカ」の踊りのように。これは私の勝手な思い込みかもしれないけれど・・。食事中だけ彼に合わせて英語会話で・・。そういえば北海道に来てからリナの関西弁は影を潜め私達に合わせて標準語で会話していた。私達に合わせた?うーん。神戸では私達とも関西弁だった。土地にあわせるのかな。勉強したのは標準語だけれど、相手(土地)に合わせ使い分けられるのはえらい。ティユと分かれて、車で支笏湖に向かう。カーナビに支笏湖と入れて途中、またもやカーナビを無視して白扇の滝とオコタンベ湖に寄り道。 オコタンベ湖には降りられない。展望台から望むだけだ。それゆえなおいっそう神秘的。写真を撮るリナ。履物に注目!どこにいてもこのサンダル(ゴムぞうり)だ。次は支笏湖。3人で白鳥ボートに乗る。足でこぐあれ。湖の底が見えて、かなり深いところに沈んでいる流木まではっきり見えた。千歳空港のすぐ近くのキリンビール工場でまたもバイキング昼食。腹八分目にして移動。LeTAOのカフェで北海道スウィーツを食べて締めとした。食べ物リストに有った札幌ラーメンはついに食べなかったが、みんな食べ物には満足。そして、私達はピカチュウに乗って羽田に、リナは神戸に。別れ際、彼女から「お父さんとお母さんで使ってね」とカップを渡された。LeTAOのショップで買っていたのは私達のためだったのね。ありがとう。 二日後、リナは関西空港からオレゴンに帰って行った。空港から「荷物が重くてお金取られそうだったから空港でかばんからブーツ出してサンダル(私にはゴムぞうりにしか見えない)と履き替えた」と電話があった。私達の長女がドイツ留学から帰って来た時、夏なのに冬の服を重ね着して帰って来た。乗り換えのロンドンで怪しまれた話を北海道旅行中リナにしていたから、切り替えが早かったようだ。友達の車で空港まで送ってもらったそうだが「友達がのんびりしていてほんまあせった。やっぱ関西人やとおもった」とも関西弁で言っていた・・。昨日からはもうアメリカで採用された高校で今月末からの数学の先生になる準備に余念が無いことだろう。きっといい先生になるよ。遠く日本から応援しているよ。
August 13, 2008
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朝早く札幌のホテルを出て、高速道路で富良野へ。ホテルを出てすぐからナビを無視。ナビはその都度探索モードに入る、そして次の選択ルートを示してくる。「そのうち考えすぎてナビ壊れるんじゃない?」とリナが言う。しっかーし、高速降りろの指示無視したら、最初の到着時間より30分も速い時間を示してきた。「ほーら」私のナビも捨てたもんじゃない、なんて自慢する。富良野での最初の観光「ファーム富田」ラベンダーは終わってしまって、遅咲きのラベンダーとサルビアなどが咲いていた。それはそれで綺麗だ。 ラベンダーカルピス、色に釣られて。次は富良野の畑の中のなかの道をドライブしながら美瑛へ美瑛絵の途中の畑は色々な作物が植えてありパッチワークのような世界が移動するたび変化して面白かった。富良野のように真ん中が開けて盆地のようにはなっていないで、丘がたくさん有るのでひとつの丘を越えるとまた違った景色が開けて次にどんな景色が来るかとても楽しみだった。四季彩の丘何種類もの花が植えられていて、園内をすこし移動するたび違う種類の花が見つかり3人供写真を撮るのに必死だった。さっき撮ったのより今度のほうが綺麗、その次のほうが綺麗と目移りしてしまった。 昼食は食べたいものリストの中からスープカレー四季彩の丘の近くにこんな素敵な建物が、映画「サーダーハウス・ルールを思い出させる。夕方ホテルに戻って車を置いて、夜の札幌市内へ。赤レンガの旧北海道庁舎、時計台 夏祭り中の大通り公園を観光して夕食車を置いてきたので運転手も入れてはサッポロビールで乾杯 いか刺しがおいしかった。もちろんお寿司も。外が暗くなった頃、JRタワーの展望台に登る。360度の夜景が綺麗だった。さて、ホテルに帰ろうかというところでやっぱりあったハプニング。後ろから大きな声で「リナ」と呼ぶ声。リナの神戸にいる友人ニュージーランド人のティユだった。たまたま彼も旅行中でほんとタイミング良く再会。運転手は疲れていたので、われらはホテルに帰ってリナは彼とお茶(お酒?)してくることに。そして、ホテルへの帰り方教えておかなかったのが間違いだった。案の定電話がかかってきて「どうやって帰るの?迷った」そうだった、シアトルで車を運転中道に迷って地図を見て道を教えたのは初めてシアトルを訪れた私の方だった。やっぱり方向音痴だったのね。
August 12, 2008
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北海道に2泊3日の駆け足旅行に行って来た。夫と2年間の日本での教師生活を終えて帰国するアメリカ人のリナと。彼女は5年前初めて日本の大学に留学して我が家にホームスティした。その後再来日、立教大学で再度勉強。そして今回3回目の来日で2年間の高校での英語教師の仕事を終えてオレゴンに帰る。その間、私がオレゴンに遊びに行ったり、彼女のお母さんと日本を旅行したり、彼女のオレゴンにいる韓国人のおばあさんと韓国語で文通したり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。今回は最後の日本の思い出にと3人で北海道に行くことにした。仕事のある娘達は残念ながら同行できなかったが・・。私達は羽田から、彼女は神戸から、そして千歳空港で久しぶりの再会、といっても5月に神戸で会っているけど・・。彼女の飛行機のほうが10分遅く着いたので、その間にトイレに行っていると、トイレの中で「お母さん!」トイレでハグするわけにもいかず奇妙な再会&旅行開始になった。何しろ時間が無い、食べたいものを全部言ってもらって、行きたいところを出来るだけ回る。それが旅の目的。彼女は「お父さんとお母さんと一緒ならどこでもいいと言ってくれるが・・。」空港でレンタカーを借りて、まずは小樽に出発!着いたらもうすでに時刻は2時半、おなかがすいたのでまずはお寿司から。おなかが膨れたところで古い町並みを散策。東海道の旅で古い日本家屋をたくさん見ているが、ここの建物は石作りの土蔵を大きくしたような建物で雰囲気が木造とはまったく違う。どこか日本ではない異国の港町にいるような、それでいて日本の昔の匂いが漂うような不思議な郷愁を誘う街。明治時代の建物が歴史的建造物としてしっかり保存されていた。 昔のガラス工場の中がランプのシャンデリアで飾られていい雰囲気なので中でコーヒーを飲むことにした。天井が高く、かなり高い位置まで色々なガラス製品が並べてある。ウイーンで見たシェーンブル城の客間の壁の高い位置に中国陶器の壷が飾られていたのを思い出した。地震が心配で高価な食器は出来るだけ下のほうにしまう癖がある私は他人ごとながら気になって仕方が無かった。カフェの室内はランプの光だけなので暗く、雰囲気があってどこの席に座ったら一番いいかリなとうろうろしてしまった。薄暗くなりかけた頃運河通りに出てよく観光写真に載っている運河の夜景を見た。おりしも8月6日、広島の原爆犠牲者追悼と平和を願っての灯篭流しを行っていたので運河を流れる灯篭の火が美しかった。私のカメラは例によってバッテリー切れで役立たず。リナの写真がアメリカから送られて来るのを待つしかない。夜は北海道名物のジンギスカンを食べてビールをのむ。運転手を抜かして。そして高速を飛ばして札幌へ。ホテルは札幌。使ったことの無いカーナビが北海道なまりで「札幌方面左」 というのがどうしても「札幌ほうねん左」と聞こえる。気になる気になる。そして地図に得意な私はいまいちカーナビを信用していないので時々カーナビを無視するとカーナビは再検索モードに入って、黙りこくってしまう。アメリカでこんなに便利なものが安く買えたら絶対ほしいというコンピューター世代のリナと齢の差を感じる。そういえばリナもジェナ(もう1人のオレゴンのホームスティした子)もアメリカ内運転中はインターネットから印刷したコース表をフロントガラスに貼り付けて、「何とか通り左曲がって、その先1キロ・・・。」と見ながら運転していたな。日本の鉄道路線検索みたいで面白いと思ったが、カーナビのほうがもっと便利に違いない。明日は富良野。
August 10, 2008
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ゴールデンウィーク第2弾は長野行き。家族と娘の友人と。例によってうなぎと温泉と遅い桜の花見と・・・。清里の森の桜清里萌木の村の桜馬と水仙と富士山と清里マチスのケーキセット食事をする時、お茶を飲む時、レストランやカフェでついブログのことを考えて写真を撮ってしまう。先日もカイル君と食事をしたとき、私がいちいち料理の写真を撮っているので、「Do you wanna take a picture?」と、自分のデザートのお皿を差し出されてしまった。娘たちには「また~写真。早くしてよね」と言われる。「おいしいうちに召し上がれ」というシェフの声も聞こえそうだ。いけないいけない。これではせっかくの楽しい食事の雰囲気を壊してしまう。何のための写真か。何のためのブログか。本末転倒。食事中の写真はほどほどにしなければ。旅行の一番の収穫は清里で盲導犬PR&募金活動中の盲導犬に触らせてもらったこと。ハーネスを着けているときはお仕事中だから触ってはいけないのだが、その日は特別に飼い主さんが「どうぞどうぞ」と許可してくれた。たくさんの盲導犬や盲導犬候補のパピーが飼い主さんと募金活動。観光客と触れ合った。3年前に逝ってしまった我が愛犬そっくりの犬がいてじゃれてきてくれた。家族全員しばし癒された一瞬。
May 7, 2008
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週末桜を求めて第2弾行って来た。土曜日、朝家を出て中央道。25年前一度行ったことがある長野県高遠城址の小彼岸桜を見る。途中の諏訪あたりではまだ桜は咲いていない。行ってみたはいいけど、咲いていなかったらどうしようとどきどきしながら行く。長野の桜は南とか北とか緯度の他に標高が大きく作用するから、少し違っただけで咲いていなかったり散ってしまっていたりで面白い。高遠の桜はまだ5分咲きだった。5分咲きでも1,500本も揃えば充分美しい。遠いところからではちょうどに満開とはいかないから満足満足。その後は小淵沢で高速を降りて神田のしだれ桜を見る。田んぼの中にぽつんと信じられないようなものすごい桜がある。桜の南に立てばバックに八ヶ岳が、桜の北に建てばバックに甲斐駒ヶ岳など雪を頂いた南アルプスが、タイミングが合えばJR中央線のスーパーあずさなどといっしょの写真を撮ることができる絵葉書のような写真の撮れる場所だ。桜は標高が高いこともあってまだ2分咲き。夕方だったので写真は少し暗い。バックの八ヶ岳は桜と重なってしまった。温泉に入って、小淵沢の井筒屋のうなぎを食べて山の家に泊まる。山の家の周りは桜どころではなく、まだ冬枯れの木々と残り雪!!標高は1,450メートル。日曜日、朝7時に山の家を出る。さあ、今日も桜を求めてドライブ。まずは、長坂の清春芸術村美術館の桜。美術館の建物を囲むように咲く満開の桜。実は昨日の神田のしだれ桜と非常に近いのだが、桜の種類が違うと咲く時期も違うようだ。釜無し川を渡る。ここは日本海側と太平洋を結び日本列島を真っ二つに分ける地溝帯フォッサマグナのあるところ。川を渡ったら、まずは真原の桜並木を目指す。途中で関の一本桜を見る。道が細いので見物客は2組だけ。江戸彼岸桜真原の桜並木600メートル。桜のトンネル。トンネルの外側からの写真。むかわの神代桜はあまりにも人が多くて駐車できないので車から鑑賞。ちょっと休憩して温泉に入る。むかわの湯。昼食は登美の丘サントリーワイナリーでイタリアン。甲府が一望できる丘の上。ワインの畑の向こうにも凛と立つ1本の桜。ちょっと遠い?
April 13, 2008
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娘に今回の旅行で「どこに一番行きたいか」と聞いたら、六道珍皇寺と返ってきた。そんな名前知らない。地図で見たら建仁寺のすぐそばだった、それに冬の特別公開もしているから、建仁寺の後同じく特別公開のある六波羅密寺と合わせて行くことに。いつも娘のハンドバックにはいつも図書館で借りた本が2冊入っている。もし1冊電車の中で読みきってしまったら時間が空いてしまうので、次の本も入れているらしい。そんな本の好きな娘のリクエストだけあって、六道珍皇寺は奇妙なお寺だった。京都に住んでいる人には有名なお寺らしい、生きている人間と死んでしまった人との中間に位置しているお寺だそうだ。昔はその寺から東山の方角は死者の住む世界だった。今は毎年お盆になると皆この寺にご先祖を迎えに来る。だから、鐘も普通に突かなくて、手前に引っ張ってならす。「迎え鐘」。お盆の迎え日には夜11時まで鐘が鳴り続けるそうだ。今回の特別拝観は地獄絵「女性の罪が多く描かれています」との説明には納得できなかったが・・。昔と今じゃ考え方や倫理が変わってきたから仕方ないか。娘が達ての願いでそこに行きたかったのは、そこが百人一首の一人小野篁にゆかりの寺だからだった。篁はここに住んでいて、昼は朝廷で参議としての仕事をし、夜は霊界の閻魔様のところに通って、お裁きの手伝いのアルバイトをしたという。庭には井戸があってその井戸から夜な夜な霊界に通ったそうだ。説明の人が、「霊感の強い人はこの井戸からすごい霊気を感じるそうですよ」と説明する。「井戸の手前の石にぞうりのあとがついているでしょう?そこで脱いだんだそうです。朝帰ってくるときはこの寺じゃなく嵯峨野の清涼寺の井戸から帰ってきたそうですよ」「夜もアルバイトだったらいつ寝たんでしょうね」「ここでぞうりを脱いで違うところから出てきたんじゃ毎日新しいぞうり買ったんでしょうか」など、家族の質問に説明の人も「分かりません、ここでそんな冗談が出るようならかなり霊気強いんじゃ?」いえいえ、われわれは何も、ただ口が悪いだけ。そして六波羅密寺で例の空也上人が念仏を唱えている口から小さい仏像が出てくる有名な像を見た。3日間の京都冬の旅満足、満足。だけど3日間の拝観料4人分しめて36,000円、御朱印料4,100円。そして私のカメラには・・・。蹲競演
January 20, 2008
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京都三日目のテーマは特別拝観まず知恩院へ三門見学!「え!ここも山門じゃなくて三門じゃん!南禅寺と同じじゃん」と娘達に突っ込まれる。「きっとここも大きいから特別なんだよ」と言い逃れる。おかしいな!そんなに三門と書くところがあるのか???三門の特別拝観は上まで登れて、室内まで見学できた。天井や柱の装飾がすごい!特別拝観だけあってひともすごかった。登ったはいいけれど降りるのに20分も待った。夏に来た時は祇園に宿をとったので、朝5時に起きて知恩院に来た。人っ子一人いない静かな境内に読経の声だけが流れていて、心が洗われる気がして、しばし御影堂の前でたたずんでいた。今回は違った。人、人、人。経堂、勢至堂の特別拝観を説明つきで聞いて方丈庭園へ。すっかり庭園見学に飽きちゃった夫を多数決で押し切る。ただ、お寺を見学しているようですが、我が家の人たちは仏閣めぐりにある密かな楽しみがある。なんていうと「不信心」と怒られそうだが・・。それは、どこかで普賢菩薩に出会うこと。普賢菩薩が好きなのではない、普賢菩薩が乗っている白象が皆好きだ。あの目!奈良の岩殿寺で見て以来全員虜になってしまった。是非、どこかで普賢菩薩に出会ったら、良く見て、そしてそっと感想教えほしい。祇園でお昼を食べて、建仁寺。そして「三門」!!ここに至っては「お母さん、三門って書くの特別じゃないじゃない、ここだって三門って書いてあるじゃん」何もいえません。初日の南禅寺で知ったかぶりしなきゃ良かった。○□△の庭石庭を眺める侘び・さびを知り尽くした禅寺のネコ知り尽くしたかどうか知らないが・・・。建仁寺天井の竜はすごい!ド迫力!
January 19, 2008
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京都二日目は嵐山・嵯峨野まず天竜寺から諸堂を回りながら庭園を見る。回廊の周りは自然の田舎の風景をコンパクトに再現した庭園方丈の前は大庭園外の世界を丸ごと屋敷や寺に持ち込んで、毎日見られるようする。そこには現実の自分のみたことのない世界(海やら、滝やら)があったり、極楽浄土があったり(須弥山とか涅槃とか)、ストーリーがあったり(来迎の様子など)どうしてこの日本庭園を造ったのかな、と想像するときちょっとわくわくする。ただ眺めるだけじゃ、みんな同じ庭園に見えてくるよ!京都を観光した後我が家にホームスティする外国人は「鎌倉に行く?」と聞くと、お寺はもういい」という。みんな同じに見えるらしい。そーろそろ、夫も庭に飽きてきたかな。まだまだ野宮~竹林を抜けて常寂光寺、俳人向井去来の庵、落柿舎へこの落柿舎の左側の柱にあるのは粽。去年祇園祭りの時八坂神社で粽を売っていた。父へのお土産に買って食べさせようと思って、「いつまで日持ちしますか」と聞いた。すると巫女さんが「これは食べられませんよ」知らなかった!!厄除けに玄関に飾るものなんだそうだ。恥ずかしかった。これは日本全国でやってるんだろうか?二尊院、祇王寺ぜんざい(食べました)化野念仏寺にしんそば(食べました)清涼寺嵯峨野は市街地から離れているだけあって田舎の雰囲気が素敵だ。小さいお寺画多い中、清涼寺はかなり立派な伽藍だった。庭園も小堀遠州作だという。庭園をゆっくり眺めていると娘達の姿が無い。2人で座敷に座って何かやっている。みると熱心に写経をしているではないか。短い時間で出来るよう短い写経の紙が置いてあって、筆ペンでなぞればいいようになっていた。最後に願い事を書く欄がある。「良縁」と書いてくれと頼む夫を尻目に「家族健康に」と書いていた。そして今回どうしても行きたかったお寺、広隆寺へ。弥勒菩薩会いたかったよ~。私が好きな仏像は「聖林寺 十一面観音」「秋篠の伎芸天」「中宮寺の弥勒菩薩」何回も会いに行った。だけど、広隆寺は行ったことがなかった。どうしても一度来て国宝第一号の弥勒に会ってみたかった。思った通り穏やかなお顔でどうやったら民衆を救えるだろうかと考えているお姿がすばらしい。本当は宝物殿じゃなくて床に座って鑑賞したかったんだけど、今じゃどこも火災で失われるのを恐れて、仏像を頑丈な宝物館に安置している。だから私は東大寺3月堂が好きなんだ、床じゃないけど・・古い建物に古い仏像!なんて、屁理屈言ってしまった。夕食は先斗町で、雰囲気を味わいながら・・・そしてデザートは祇園、都路里の抹茶パフェを。また、歩きすぎてしまった。食べ過ぎてしまった。!!
January 17, 2008
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京都に2泊3日の旅行に行ってきた。家族旅行づいた娘が「そうだ京都に行こう」と宿を取ってくれたのでみんなで出かけた。もちろんツアーガイドは昨年も2回京都に行っているベテランガイドの私。いつも外国人ゲストを案内すると、金閣寺、清水寺、二条城などお決まりの観光コースばかりなので、今回はガイドの特権で私の行きたい場所にも・・・。まずは南禅寺へ。学生時代を京都で過ごした亡き義父がいつも湯豆腐を南禅寺で食べたと言っていたから行きたいという夫の願いで、1日目の昼食は南禅寺境内にある「奥丹」で湯豆腐を食べた。南禅寺金地院の拝観を1時に予約していたのでそれ前に腹ごしらえを・・。「おじいちゃんは貧乏学生じゃなかったから、こんな高い湯豆腐いつも食べられたんだよね」「違うよ、昔は湯豆腐は安かったんだよ」等、みんな勝手なこと言いながら・・。湯豆腐の後、イベント前に必ず風邪を引くという子供のような夫のやっぱり風邪を引いた体の調子を気にしながら寺めぐりスタート。まずは金地院の小堀遠州作の庭園を回ってから、建物の中を案内してもらう。鶴亀の庭こちらは亀こちらは鶴狩野派の襖絵や茶室を見学。案内の人が、「昨日テンが現れたようです」と掛け軸窓(障子を開けると外の風景が掛け軸のように見える)の外の張り出し板の上の足跡を見せてくれた。夫が言う。「ほんとだ、テンテンと足跡がある!」OK、それだけいつもの駄洒落が出るなら、風邪は心配ないようね!!次は南禅寺三門に登る。ガイドの有能さをひけらかし「他の寺は普通山門と呼んでいるが、南禅寺は三門と書くんだ」と説明する。しかしこれが後で命取りに・・・。三門からは京都タワー、平安神宮の鳥居、永観堂など京都が一望できる。天井画が描かれていたり、仏像を安置したり、お寺の置ける門はただの門じゃないことをひしひしと感じる。石川五右衛門の気持ちになって、「絶景かな、絶景かな」前々回来たときは雨上がりで、銀閣寺方向にきれいな虹がかかっていたなあ。その次に南禅寺方丈へ。ここから私はおもむろに御朱印帳を取り出し御朱印集めスタート。はい、「決してスタンプラリーではありませんよ」どこにもそう書いてあるから・・。でも、御朱印集めの楽しさ、もとい・・・すばらしさを教えてくれたのは、実は、ホームスティした外国人だ。それ以来、私はどこに行くのでもこれを持っていく。次は真如堂。御本尊(残念ながら開帳されていなかった)の説明、お寺の由来などを聞く。安部清明ゆかりの桔梗紋もある。その話をすると、若い人に人気があるという。そうそう、我が家のその手の本も残さず読んでいる娘の目が輝いてきた。さっきからちょろちょろ会津藩士の墓を観に行ってくるとか行って時々消えているから、京都には読んだ本の世界がいっぱいあって楽しいに違いない。そういえば私も学生時代は、新撰組にかぶれて、寺田屋跡だとか壬生だとか島原だとかそんなとこばかり回っていたような気がする。庭園も見せてもらう。夕暮れ時涅槃の庭は大文字山の借景もあって厳かだった。平安神宮に駆け込み参拝をしてから、河原町で夕ご飯を食べることにする。花見小路を見たいと言うので連れて行くと。もうもう、全員夕飯どころで無くなってしまった。観光客がカメラを構えて舞子さんに遭遇するのを待っている雰囲気に飲まれてしまった。下の娘が、舞子さんを発見。すぐお茶屋に入ってしまったけど、みられなかった長女が残念がって舞妓さんを求めて花町を歩く。舞妓さんもさるもの、みんながカメラを構えているから、すごい急ぎ足で歩く。「ぽっくりはいてるのにすごい早さだ」と娘達が関心する。5年前にホームスティしたドイツ人は京都旅行のとき2時間張って舞妓さんを見たそうだ。みんな舞妓さんは見たいのね。夏にこの辺にいたときは1時間粘って一人しか見られなかったなあ。そのときは観光客もこれほどいなかった。やっぱり、映画「まいこはあああん」の影響かな。あの映画は面白かった。でも、お仕事している舞子さんにはやっぱり迷惑だよね。と、いいつつ、この日の舞妓さんウォッチング5人。写真は私のカメラにも舞妓さんの美しさに見とれて手が震えた娘のカメラにもきちっと写ってない。惨敗。でもきれいな舞妓さん見て夫の風邪もよくなったみたい。祇園で天丼食べてから宿に。もちろん、全員お風呂に入ってすぐにバタンキュウと眠った。
January 15, 2008
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クリスマスカード書きに終われブログが管理できない!そしてもう間に合わない!!ということで3日前からNew Year card に変更して出している。これならまだ着くかも。今年はどっちでもいいGreeting card買ったからね!後、5枚!!さて、台湾旅行、3日目。毎朝、ホテルの朝食をしっかり摂る。今日も一日しっかり食べるだろう事は分かっているけれど、バイキングに目がくらんで、つい・・・。品数の多さではドイツに行ったとき泊まったジュツッツガルトのマリテムに負けていない。さすが2002年年に世界一のホテルに選ばれただけある。貧乏性な、われら家族は娘達の選んだ食品が気になる。「それちょっとくれない?」朝食ヲ終えてまっているとEmilyがホテルにお父さんの会社の車で迎えに来てた。早速高速に乗って、桃園の近くの古い歴史のある街「大渓」へ。駐車場に車を置いて、急な坂を登る。「大渓老街」と書いてある。そのまま読むとなんだか、おじいさんの街みたいに感じるのは私だけ?丘の上にその街は有った。淡水の町(河口)も老街が有って、日本が統治していた名残の病院があったり、きれいな学校があったりだったが、もっとコンパクトで一度丘の上に上がってしまうと、淡水のようにアップダウンがない。前回来たとき連れて行ってもらった、淡水河流域(中流だったと思うが名前を忘れた)の老街にどこかにている。ほらほらここにも離れ犬が・・。Jyo-fenでも、ここでもたくさんの離れ犬を見た。飼い犬かな?野良犬かな? 犬好きな私達はとても気になるよ。「お母さん、お父さん、この店に入って1回目の昼食にしましょう」Emilyが言った。夫が思わず「1回目と言うことは後何回有るの?」「3回のお昼と甘いものがもう1軒」えええええ!!!!1回目はピラミッドと言う中国名がついたスープ。お雑煮のようなスープに三角のお持ちのようなものが入っていてその中にひき肉が入っている。これも食べた。もち米のご飯が腸詰めになっているもの。写真の加工が出来ないのでこんなになっているけど・・。少し街を歩いて10分後に2回目のお昼。これ。実はこれセットメニュー。中華粽と同じ味がする。すごくおいしい。もうもう3回目は入らないよ~。「3回目は食べられないよ。ちなみに聞いてみるだけだけど、何だったの?」「3回目はおいしい麺屋を知っているんですが・・・。」「それはこの次にしましょうね」と言うことで町並み散策続行!果物屋さんも。Emilyにもらった果物籠に入っていた果物も売っていた。この街は川を使って木材を運んだ時出来た街なので、木材の品物が有名だそうだ。だから仏壇屋さん、家具屋さんがすごく多い。仏壇は日本のよりシンプルでもっと大きいのが特徴。そして、かって街一番のお金持ちの「黄」さんの家だったところで記念撮影。隣もずっと石造りの家が続いている。保存するため表は古いまま残して、その中側に新しい家を建てて有った。街を抜けたところに蒋介石が住んでいたと所が公園と記念館になっていた。蒋介石と婦人の写真が飾ってある。婦人は宗家の3姉妹の一人だったよね。「宗家の3姉妹」映画をみたなあ、前に。そういえば運命に翻弄される3姉妹って、日本の戦国時代にもあったっけ。池に睡蓮と思われる花が咲いていた。そして、3回目のお昼をパスして、おやつ。芋団子が入った甘い飲み物。まあ、街を一巡したからいいか。でも、もう食べられないからねえ~。Emily
December 21, 2007
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台湾の夜の楽しみ。食事の後はちょっと川べりを散歩して士林夜市へ。前回来たときは娘のたくさんの台湾人の友達がその頃皆学生だったので、入れ替わり立ち代り淡水や鶯歌を案内してくれた。士林に行ったときも確か8人ぐらいいたと思う。どこからか現れて一緒に行動しているのだ、挨拶する人もいつの間にか静に参加している人もいて面白かった。その時も来た懐かしい夜市。前のときは、みんなが建物の中の店を渡り歩きながら色々なものを一緒になって食べた。かなり怪しげなものも食べた記憶がある。「おかあさん、食べて」と持ってこられたらいやとはいえない。「蛋」と漢字が付く食べ物が多かった。娘と「どんな虫?大丈夫?」と心配したけれど、出てきたのは卵焼きのようなお好み焼きのようなもの。そうか「蛋」は卵だ!日本でも蛋白質はこの漢字を使うものね、と変に納得。今回は食事を食べてきてしまったし、夫がなかなか食べようとしない。おなかが心配のようだ。前回、娘の友人達と一緒になってバカみたいに食べたことは黙っていよう!私のおなかは大丈夫なんだけどな。夜ホテルまで送ってもらってAngelのだんなさんと挨拶をして別れる。Angelとは翌日また会うから。ホテルの部屋には前日Emilyから届けられた果物籠がある。たくさんの珍しい果物が入っている。日本には持って帰れないから全部食べなきゃ・・・・。無理だ。毎日しっかり食べ歩いているんだもの。長女と「前にも同じ状況が? そうだやっぱり前回Emilyにもらったんだ、そして食べきれないので、バナナを鶯歌に連れて行ってもらうとき途中で食べようと、Stanlyの車のトランクに入れて、結局食べるチャンスが無くて、忘れてトランクにおいたまま帰ってきちゃったんだったね。」2人で笑い転げた。後でStanlyは見つけてビックリしただろうね。Emilyは果物籠に手紙を入れてくれた。
December 18, 2007
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台湾の二日目Jyo fenから台北に戻る。夕食の予約まではまだ時間があるというので、台北駅にある三越でみんなの大好きなパイナップルケーキと卵ロールを買う。お月見の季節にはいつもAngel とEmilyが送ってくれる御菓子ですごくおいしい。色々なパイナップルケーキがあるけれど私達はここのが一番好きだ。その後街中に出る。下の娘は友人に頼まれたCDをCD ショップでAngelのだんなさんに助けてもらって探して買った。そのあたリは若い子がたくさん歩いている。だけど、繁華街の割にはみんなそんなにおしゃれしていないし、大きなかばんを持っている人が多い。そのあたりは塾や予備校が多いので歩いている人はみんな学生だと言う。あたりを見回すと、なるほどそれらしき看板がたくさん見える。今台湾では英語を教える幼稚園がすごい人気で、1年でAngelの大学4年間の月謝と同じくらいの月謝がかかるそうだ。日本も韓国語そして台湾も子供達は大変なんだね。その後レストランでAngelの家族と合流する。Angelのお父さん、お姉さん、お姉さんのだんなさん、Angel、だんなさんそして私達。長女以外は皆さんと初対面だったけれど、楽しい食事だった。小籠包で有名なお店だそうだ、小籠包のひだの数は台北一だと言われた。おいしい。お店の名前はDian Shui Lou
December 17, 2007
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台湾2日目。Angel夫婦に九扮(台湾語変換が楽天で表示できないからこれで)(Jyo fen)に連れて行ってもらうことになっていた。ここで訂正。長女は台湾4回目だったことに気がつく。Angelが結婚する前まだ2人が恋人同士だった時にも長女は九扮に連れて行ってもらっているのだった。そして、娘の台湾にいる友人達は皆イングリッシュネームを持っている。自分でつけたり、英語の先生に付けてもらったり、だから私達は本名より覚えやすいのでそれで呼んでいる。会社から借りた7人乗りバンでホテルに迎えに来てくれた。Angelは日本語が出来ないので今日は全員英語で会話する日。だんなさんは優しそうな人だ~。高速に乗って一路九扮へ。あいにくの雨模様空は暗い。「お母さん、階段大丈夫?」町の入り口でAngelに言われた。大丈夫だと思うけど、街を見上げてちょっとびびった。九扮は昔の金鉱の町だから、トロッコ道の後とか古い石垣、トンネル等が残っている。そして映画「非情城市」の舞台であり「千と千尋の神隠し」のイメージの街でもあるそうだ。街の道はすごく狭いし、坂やら階段やら。小さな土産物屋やレストラン(と言ってもすごく狭い)がびっしり並んでいる。どれも興味深いものを売っている。特に食べ物はものめずらしいからついつい覗き込んで「買っていかない?(たぶんそういっている)」 と言われてしまう。まずはAngelお奨めのおしるこの中に芋の団子が入っているものを食べる。入り口からテーブルのある部屋に行くのにうなぎの寝床のような通路を通っていくと、途中でお汁粉の中身の3種類の芋をむいていた。サトイモとサツマイモとやつ頭を合わせたような・・・。千と千尋に出てくるような建物の間を縫って歩く、どこをどう歩いているやら、怪しげ怪しげ、おいしそうおいしそう、昔懐かしい光景、ずーっと遠い昔に帰ったような。突然街を出る。振り返ると山の斜面にたくさんの建物が・・。でもちょっと待て!上のほうの家はちょっと小さすぎない?そう、Angelに聞いて初めて分かった。小さいのは全部お墓なんだそうだ。私はお墓には何故かすごく興味を持ってしまう。ドイツで教会の地下のお墓に、イギリスではウェストミンスターのC・S・ルイスの墓探しに、韓国ではお饅頭のような芝生のお墓に。何でか分からないけれど・・・。色とりどりの台湾のお墓は暗いイメージは全然無い。昼食は「天空の城」と言う名のレストランで。この街は何故かなぞめいた街。小説でも書ける才覚があったら何か書けそうな所。街から車で10分ほどのところに金鉱のあとがある。山の斜面に金鉱だった時の空気抜きの太いパイプが何本も通っている。まったく木の無い山が連なっている中腹をハイキングする。30分ほどのところに野原にぽつんとトンネルが・・・。どこ~かで見たような。そう「千と千尋の神隠し」の最初と最後に出てくるトンネルだ。トンネルを抜けて映画のように豚になるのはいやだな、でももうすでに街でたくさん食べてきちゃったから、豚のようになってるからかまわないか・・。山の海に出る少し手前の中腹にきれいな滝が有った。そこから海までは車で5分。山から水が流れ出る海のその場所だけは黄色に変色していた。今でも土か何かが流れ出ているんだろうか。
December 14, 2007
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101は高かった。101の周りは新しいけれど町並みは6年前に行った時とそんなに変わらないような気がする。人々の歩みは日本と同じでマナーも良くてみんな親しみ安い。だけどオートバイの多さとタクシーの運転の荒いのは全然変わっていない!いっぺんにああ、台湾に来たんだと自覚。101からホテルにタクシーで戻るのにみんな緊張で足がパンパン。自分が運転しないのにブレーキ踏んでいたからね。3本目の地下鉄を作っているので道が混んでいて、エステの予約に遅れそうだったので携帯電話で連絡する。この時はまだ私の携帯電話で繋がった。娘達がエステにいる2時間、私達はゆっくりお風呂に入ってクリスマスツリーのあるカフェでお茶を飲むことにした。アロエとキューイジュース夫に「台湾ドルいくらいる?」と聞くと「カードがあるからチップのコインだけでいい」と答えた。ああ、韓国旅行の時と同じじゃない。「あなたの後ついていくから、全部あなたが払ってね」ってことよね。迷子になった時知らないよ~。持ってきた観光ガイドブックよく見たら、レストランや食べ物しか載っていない。付録の地図はどうやら日本においてきてしまったらしい。私もみんなと同じだったらしい。黙っていよう!コンシェルジュに地図をもらう。日本語が通じなくて英語のみ。でも不思議だよね、このホテル、フロントやコンシェルジュは英語対応で免税店やベルボーイが日本語上手だった。泊まり客は圧倒的に日本人が多いのに、欧米向いてるのかな。そういえば、韓国ではタクシーにホテル名を告げるとき英語発音でOKだった。ハングルは発音文字。台北ではだめだった。外国系ホテルもちゃんと漢字の名前も持っている、そしてそれを中国語で発音しなければならない。ということは街中ではわれわれ日本人は漢字は読めるから視覚的にはいいけれど、聴覚的には漢字を中国語読みでストレートに変換発音する欧米人のほうがいいのかもしれない?中国発音で教えられても店の名前や地名が覚えられないのは視覚が邪魔するから?夜、空港に着いたEmilyから電話が掛かってきた(このときもまだ私の電話が通じていた)ので、予約してくれているレストランで彼女と彼女のお父さんと落ち合うことに・・・。ホテルのドアボーイにEmilyから聞いていた店の名前と住所のメモを見せてタクシー運転手に告げてもらう。発音分からないからね~。伝統的台湾料理8品も出たけど写真を撮ったのはほとんど食べた後!!はは!
December 12, 2007
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台湾家族旅行一日目。台湾でたくさん遊ぶために朝のフライトを取った。そうしたら集合の7時20分に間に合うような始発電車が無いことに前日になって気がついた。どうするのよ。やっとインターネットで調べ箱崎まで行ってリムジンバスに乗ることにする。台湾での日程は娘の友人が現地で立ててくれるし当日までみんな働いていて全然無計画。誰かが知っていると思っている。みんなだれかについていけばいいと思っている。ガイドブックを買ったのは私だけ。今回3回目の長女も初めての次女も日程は私にまかせっきり。みんなパスポートだけ持って来た。先が思いやられるなあ。今回の旅はとりあえず航空券とホテルがセットのツアーだ。さあ、出発。どうなるか知らないよ。昼、台北桃園空港に到着、お金を替えて待っていてくれるガイドさんを探す。ガイドさんから日程表、帰りの航空券がそれぞれに渡される→そして全員分私の元へ。自分で管理しなさい!子供じゃないんだからみんな!お迎えの車でまずはホテルへ。ホテルのフロントではガイドさんがチェックイン手続きまでしてくれる。自分でなーんにもしなくていい。ツアー旅行なんてしたことが無くどこへ行っても自分自身で手続きして来たわれわれは、かえって居心地が悪い。でも、ホテルと部屋はすばらしい!ガイドさんが帰った後、全員顔を見合わせて「どこへ行く?」無計画!!7時に娘の友人が出張から帰って来て空港から連絡くれるまで4時間ほど時間がある。彼女が予約しておいてくれたレストランに8時半に行けばよいから、それまで時間がたっぷりある、が・・しかーーーし、娘2人はこのホテルのスパ&エステが台北一だと聞いて日本から予約してある。それが中途半端にも5時~2時間。もちろん予約電話させられた私は行かないけど・・・。まあ、いいか。では、台北101へlet's go!!時間節約のためタクシーで。向かう途中、私がタクシー内に貼ってあった子供の写真褒めると、「これが孫」「これは娘」と次から次と運転しながら写真を見せてくれる。娘が中国語で「きれい」と褒めると(その中国語は知ってたらしい)最後に彼曰く「太ってしまった奥さん」の写真までうれしそうに見せてくれた。101で面白い郵便ポスト見つけた。願いまで届くのかな。台湾は2回目だ。いつも香辛料と中華料理のにおいがする。
December 11, 2007
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長女が「1月の旅行を予約するからいつが良い?」と言ってきた。2泊3日の京都旅行。ちょっとちょっと、まって。まだ12月の台湾家族旅行も行ってないのに。もう次の計画?今年の夏の熱海への家族旅行以来ホテルに泊まる家族旅行に目覚めてしまったようだ。我が家の犬がいた10年間と言うもの、家族全員でホテルや旅館に泊まったことがない。それぞれの旅行や私と娘達の海外旅行はあるものの、全員での旅行はいつも同じで山の家に行く時しか無かった。犬がいたから。その間の家族旅行の会話はずっと、犬が来る前にテント持って北海道キャンプ旅行したことの思い出から一歩も進んでなかった。「 北海道の帰りに寄った小岩井農場でYUが滑って転んだよね。」と、必ず最後に話題は結ばれた。次女はその時8歳。そうか、娘も成長した。次の話題も必要か。それでも、旅行はお金が掛かる。目の前に迫った老後の資金を溜めなきゃいけないこの時期に・・。みんな考えてくれ~え冷蔵庫も年取って壊れたので新しいのに買い換えた。冷蔵庫も我が家の経済状態見て壊れる時期を考えておくれ!無理か
November 28, 2007
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