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散歩中夫が言った。「昨日面白い人に会ったよ」と言った。ある会社の会長さんと会談する前、セッティングした人が「会長はすごく無口な人です。あまり話さなくて失礼に思われるといけないので先にお伝えします」と言うのだそうだ。その人曰く、その会長さんは大河ドラマの上杉景勝みたいな人なんだそうだ。夫は毎週私のお付き合いでNHKの「直江兼続」を見ているから楽しみに会談に臨んだそうだ。世の中まだまだ無口な男性は多い。私のPCを以前ハードの中身から組み立ててくれてその後何かあると助けに来てくれた友人のだんなさんもすごく無口。一日中我が家でパソコンと向かい合っていても、家に入るときの「こんにちは」と「では、帰ります」ぐらいしかいわない人だった。そして、フランスブレストに住む去年ホームスティした、ステェベン(21歳)。彼もまた無口な男性だ。ホームスティすると英語が話せないから、日本語が話せないからと無口に成るのは分る。でもそれは、きっとこの子は語学が出来たらやたらとしゃべるんだろうな、本当は無口じゃないんだろうな、と分るものだ。ステェベンは日本人の彼女がいるからと日本語をフランスで独学で勉してからホームスティに来た。だから最初から私とは日本語会話。彼は覚えている限りの日本語を一生懸命話した。でも元来彼は無口のようで、話しかけても3分ぐらいしてからしか返事が返ってこないのである。最初は会話が終わってしまったのかなと思う頃、やっと返事が来たので、こちらもちょっと調子が狂った。そのうち、彼は日本語を探しているんではなくて、質問の意味や答えることを時間をかけて頭の中で租借しているんだと気がついた。それからは、答えを待つ、ずっと待つ。それが私の彼との「日本語で話そう」のスタイルになったのだった。5日前、その彼から携帯電話に電話に入った。「こんにちは、日本に来ました。名古屋のガールフレンドのところにいます。あなた達に会いに行きたい。行ってもいいですか。ホテルを取った方がいいですか?」知ってるよ、日本に来ているのは。日本に来るってメールくれたじゃない。どうしてホテルなんかに泊まるの?我が家に泊まればいいじゃない。ここはあなたの日本の家だよ。というわけで、今夜ディズニーランドに行った後、彼とガールフレンドが我が家に来る。ブルターニュの上杉景勝との1年ぶりの再会。ブルターニュのクイニーアマンの写真を探したが見つからないのでまた、清里マチスのミルフィーユ。
August 9, 2009
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先日ジャンクメールから本物を拾い出す話を書いた。本日もせっせとジャンクメールを消した。禁止ワードを作っても作っても駄目、禁止ワードに出来ないものもあって結局手動で捨てている。その中にまたもや添付ファイルが付いたいやに長たらしい名まえの外国人からのメール。捨てちゃえ!おっとと、これは必要かな?アサナシオスというのが彼の本当の名前。だけど長すぎて誰もきちんといえないからタノスさんと呼んでいる、今はアメリカで働いているギリシャ人の昔の生徒からだった。こんにちはで始まるメール。その後は全部英語。あまりに長く日本語から遠ざかっているのできっと忘れちゃったんだろうな。以前はローマ字で日本語メール送って来たのに。でも、元気で働いているらしい。彼はとっても面白い人だった。京都に行った時の写真を見せてくれたらほとんど鳥居ばかり、鳥居、鳥居、赤い鳥居。「伏見稲荷はすごく面白いところだよ」と。次の時は「日本のトイレは興味深い」と笑い転げながらトイレの写真ばかり。自動で上がる便器の蓋。ウォッシュレット。そして今日送ってきた写真はラスベガスで撮ったと思われる銅像ばかりの写真7枚。でもこれ全部紛いもの。彼らしいな。ギリシャ神話のトリトンだって。はて銅像はいったいなんて数える?一体?犬も食わない駄洒落は置いておいて。日本で留学や研修をした外国人は日本語も勉強して、その後も日本の企業で働きたいといろいろと試みたり入社試験を受けたりする。ところがほとんどの場合日本の会社には入れないで結局アメリカなどで働くことになる。短期間で働くことや契約社員は受け入れているのになかなか正社員にしようとはしない日本企業。もっと能力がある外国人が入れば会社の中も新しい風が入るのに。勿体無い。メールは Dewa mata kondo と結んであった。
August 5, 2009
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マルビンさんを宿舎まで送りその日は娘のマンションに泊まった。マルビンさんは前回のコンサートではコントラバスを演奏したので、てっきり今回もと思っていたら、彼は今回合唱団のマネージャーとして来日したのだった。そのビクトリア合唱団の公演は夜の6時。場所はなんと芝の増上寺。お寺だ。お寺で音の出るものと言えば鐘とか木魚とかお経の声。鎌倉が近いせいもあって読経には慣れているが、この聲明と言うのは初めて聞いた。仏教に音楽があるなんて。グアテマラ、ビクトリア合唱団のプログラムはその増上寺の僧らによる声明(しょうみょう)から始まった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー声明とは「声明」は仏教の儀式・法要で僧侶が唱える、一定のリズムと音律を持った声楽である。その起源は数千年前のインドに始まり、原始祈祷の表現の一つとして用いられていた。特に真言宗では、曼荼羅世界に導く「覚りの声」そのものとして唱え、音に仏の世界を表現するものであり、その響きは、聞く者を安らぎと喜びの世界へ誘ってやまない。 今日では宗教音楽としてだけではなく、日本音楽の原点として注目されているほか、海外でもバラモン讃歌・ユダヤ讃歌・グレゴリオ聖歌とともに、世界最古の伝統音楽としてその芸術性を高く評価されている。 Wikipediaからーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして始まったビクトリア合唱団25人の合唱。すべてアカペラの無伴奏のコンサートだ。グアテマラと日本の曲をゆっくり踊りながら歌い上げていく。特に私の魂を揺さぶったのは2部のグアテマラの民族が経験したスペインの侵略と最近まで行われていた内戦の悲劇を歌ったいくつかの曲だった。陽気なグアテマラ人、陽気なラテン音楽。そんなイメージしかなかった私に、「ああ、この国もまた歴史に大きな悲しみを残してきたのだ」と感じさせた。そしてまた先日の貿易ゲームも思い出した。富める国に吸い上げられ貧しさから中々這い上がれない国。コーヒーぐらいしか輸出するものが無い国。だけれどこうやってグアテマラの心を伝えようと遠く日本までやってきた。彼らは是非平和の地で歌いたいと広島で平和記念館を見学し、その地でも公演してきたのだと言う。私に出来ることは何か。小さなことしか出来ないけれど、彼らが運んできた古代マヤ文明を受け継ぐ先住民が織ったグアテマラレインボーのランチョンマットを2枚買った。プログラムの第3部は陽気なラテン音楽。彼らはナワトル語で「森の国」を意味するグアテマラを貧しくてもこよなく誇りに思っている。今度は奥さんと娘さんを連れてくるという弁護士と交響楽団員の2足のわらじを履くマルビンさんと、再会を約束してハグして別れた後、会場を出ると、増上寺の境内では盆踊りをにぎやかにやっていた。世界平和でどどんとな~。
August 3, 2009
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土曜日、東京駅に早めに着いてスウィーツを駅構内で買いあさっていた私。「少し遅れます」と言う清水先生の電話で油断していて、東京駅北口5時の待ち合わせに3分送れて到着した時、清水先生に連れられたマルビンさんはそこでもう待っていた。「あれ? マルビンさんはこんなに小さかったかな?」しかし、そこにいたのは間違いなく2006年に会ったマルビンさんだった。コントラバス奏者ということと、3年前一緒に来たマルコさんがもっと小さかったので、マルビンさんは大きいと勝手に思い込んでいたようだ。ハグして挨拶をして、送ってくださった清水先生に必ず東十条まで送り届けるからと言って分かれる。「さあ、マルビンさん、予約してある夕食の時間までにはまだ2時間もあるどこに行きますか」マルビンさんはそれほど大きくは無いが決して小さくはないスーツケースを持っていた。ロッカーに入れようと試みたが一番大きいロッカーにしか入らなかった。「ここにはお土産が入っているから、それに軽いから」と言うのでそのまま持って歩くことにした。アメリカ人以外のあまり英語が上手ではない外国人と話す時にいつも思うことがある。その人の記憶の中に習ってない構文が出てきた場合それは相手がまったく理解しないと言うことなのだ。そしてあまり人のことは言えない。こちらもそれに代わるべき構文や変換を知らないのであるから。マルビンさんの場合もそう。2回言って駄目なら聞こえないのでは無くて私の発音が悪いのか、その構文を彼は知らない。そういう状況のとき頭はフル回転する。どうやって攻めたらいいか!マルビンさんは面白かった。私が2回言って、自分が理解できないとき「ごめんね、英語は得意でないから」と言って、彼はその後の会話をスペイン語に言い換えるのである。それこそこちらはお手上げだ。そこで思ったこと。日本人ならどうする?自分が分らなければあきらめて話さないかな。そこは陽気なラテン人。何も話さないよりはと自分の言葉でしゃべる。そうだね。見習おう。自分が逆の立場になったら、相手が分ろうが分るまいが黙っていないで日本語で話そう。私の知っているドイツ人は皆、英語の会話の中にドイツ語をさりげなく混ぜて話す。私にはあまり良くわからないが娘達は言う、「もう、ドイツ語で逃げたな」と。それを彼らは堂々とやるのである。黙っていてはいけない、黙っていては相手に心が通じない。何でもいいから、国の言葉でも良いから話そう。話せば表情が現れる。何を言いたいか心が通じる。私とマルビンさんはそのスーツケースを持ったままタクシーに乗って、夫と次女との新丸ビルでの待ち合わせ時間まで、銀座と皇居で時間つぶした。その後、出張帰りの夫と会社帰りの次女と集合して4人で天ぷらを食べて食事した。別れ際にマルビンさんからのお土産をもらった。それは 割れないようにスーツケースに入れて宿舎から持ってきたラム酒。大事にスーツケースに入れて2時間ずっと歩いたカリブのラム酒。ラム酒と言えばこれしか思い浮かばない夫が言った。「あ、カリブの海賊のラム酒だ」そして食事の後、自宅に帰る夫を見送り、私と次女はタクシーで東十条まで彼を送ってそのタクシーでその日泊まる予定の長女のマンションまで引き返したのだった。東京をぐるっと半周して。土曜日はグアテマラから来たビクトリア合唱団のコンサートに行き、またマルビンさんと再会。
August 2, 2009
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やたらとジャンクメールが多いこの頃。そして4日前のメールボックスに心当たりの無い人からのメールが入っていた。おまけに添付ファイルまで付いている。怪しい、絶対怪しい。捨てちゃおう。いや、待て!件名に見覚えのある名前が・・。「グアテマラのマルビン氏来日」確かにグアテマラのマルビンさんは知り合いだ。2006年、カナダで活躍しているピアニストの宮川久美子さんと一緒に来日しジョイントコンサートをしたグアテマラ国立交響楽団のコントラバス奏者だ。その時は英語の得意なビオラ奏者のマルコさんと一緒にホームスティしたのだった。メールの内容は「マルビンさんがビクトリア合唱団と来日しています。日本にいる間にお会いしたいそうです」と言うものだった。英語があまり上手じゃないマルビンさんに代わって公演の関係者が送ってきたものだった。そしてメールボックスにはもう1通の本人からのメールがスペイン語で入っていた。さっぱり分らないから、スペイン語やアラビア語やらが話せる人がごろごろいるだろう長女の職場に転送しておいた。やっぱり「日本に来ています。お会いしたい」と言う内容だった。そんなわけで明日の夕食は東京で次女と夫とマルビンさんとスパニッシュイングリッシュで・・・。関連写真が無いので今日の母とのおやつ。街の和菓子屋さんで買ったわらび餅だが久々のヒット。とてもわらび餅とは思えない。餡が入っているのだがどこから餡でどこからわらび餅なのか分らない。どこか福島県の玉屋の鶯もちを思い起こさせる滑らかさ。
July 30, 2009
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今年のユースフォーラムはちょっと違っていた。第一部は高校生達の英語による地球温暖化とフェアトレードのスピーチ。アメリカとフランスからの留学生のそれぞれの国の食べ物紹介。 ブレスト(フランス)のガレット。第二部はそのフェアトレードを勉強するための貿易ゲーム。テーブルを6っつの国に見立てて製品を売ってお金をもうけるのである。本来私は見学者だったのだが市のカメラマンをしていた方が写真を撮るから変わってくれと言うので急遽ねずみ国のメンバーとして参加することになった。 最初に封筒が配られその中に入っているものが国によって違うのである。わが国は1ドル紙幣2枚とA4の紙が5枚だけ。これでどうやって製品を作ってマーケットで売れと言うのか? 他を眺めると、なんと鉛筆、はさみ、分度器、定規、コンパスなどを持っているグループがあるではないか。その国はすでにお金もたくさん持っている。はさみを2本も3本も持っている国もある。その時点で気づかされた。我がねずみ国は貧困国なのであると。製品を作る材料(紙)はある。しかし道具は何も無いのだ、それを買うお金はわずかしかない。そこで行ったことは、商社マン(男の子)が道具がたくさん有るけれど材料が無い国に行って紙一枚とはさみを物々交換で代える。次に鉛筆をお金で買う。それでも製品は出来ない。一番安い長方形の製品を作るにしても定規が無いのだ。今度は富んだ国に行って市場で一番高く売れる円の形をした完成品1つを市場に売りに行く前に買ってきた。それを元にしてコピー商品をたくさん作ったのである。商社マンがそれを持ってマーケットに売りに行く。 マーケットで売ってお金に換える。もちろんコピー商品だから精密さに欠ける。コンパス無しで円を作ったのだから。市場では粗悪品ということで買値をたたかれた。それでも得たお金で今度は材料がたくさん有る国に行って材料を買う。またコピー商品を作る。正確をきさないから大量生産できる。そうこうしているうちに市場の評価が変わり長方形の形をしていた製品の価格が大暴落する。定規を使って長方形を正確に作っていた国は製品の価値が下がり、得るお金が少ない。円を選んで売ってきたわが国の読みは当たった。しかし所詮コピー製品だから買い叩かれる。それでも売れればいい。お金が入るのだから。国が富んでくる。ゲームの結果さて、30分のゲーム終わって考えたこと。これでよかったのか。一生懸命正確なものを誠実に作っている国のコピーを作ってお金を得た。でも技術もお金もなければ仕方ないじゃないか。粗悪品と知りながらマーケットで売った。でも先進国に追いつくにはまず外貨を溜めなければ何も出来ない。早く富める国にならなければ外国に相手にされない。仕方ないじゃないか。たったの30分ながら、ちょっぴり心が痛んで、たくさん後を追いかける立場の国の辛さ悲しさをかみ締め、めまぐるしくいろいろなことを学んだ時間だった。さて、当の高校生達ははどんなことを思いながらゲームをしたのだろうか。
July 28, 2009
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朝から一生懸命動いている。働いているとは言いがたいが動いてはいる。洗濯して、ご飯作って。アメリカに誕生日カードを書いて出す。リナごめん、誕生日カードが遅れたよ。カイルに誕生日カードを出す。たぶん間に合うだろう。ブータンに本を送る。アサミちゃんに以前授業が終わった学期の後は暇になるから古い本でいいから送ってくださいと頼まれていたものだ。前回1回目は送った。でも行動的な彼女だからもう、本を読んでいる暇なんて無く教室を飛び出してブータン中を歩き回っているのかもしれない。郵便局から帰ってそそくさと山に行く用意をする。山と言っても登るわけじゃない。「山小屋」と家族が呼んでいる標高1,450メートルのところにある小さな家で週末を娘たちと過ごす。残していく母の見守りは鎌倉の妹が泊まりに来てくれるから安心だ。せっかくの週末だから、明日天気になーれ!準備をしながらPCに吸い寄せらてメールチェックなどする。明日から少しの間ブログも書けない、訪問も出来ない。山小屋にはインターネットもひいてないし携帯電話も入らないから。おや、Hotmailの方にルミちゃんから返信が来ている。1ヵ月も前に私が出したメールの返事だ。ーーーーーーーーこんにちは。ごめんなさい。恥ずかしくなた、全然連絡しない。実は手紙を書きたいでも送り方はわからみせん。今度教えてもらいますか? 日本語の習うために毎日練習しています。時々忘れたことがあるから、復習のは必要です。助詞の使も方もまだ慣れていません。ーーーーーーーーーーーーーーーーああ、ルミちゃんもがんばっている。教育のシステムが違うために日本の大学に編入できなくても、お父さんの許可が下りないためにフリピンの大学に戻れなくても、いい加減なフリピンの高校の先生のために書類が足りなくて希望する日本語学校にいかれなくても、乗っていたパートタイムの通勤バスが事故になって怪我して働けなくなっても、一生懸命生きている。日本人なのに母国語が上手に話せない。母語がタガログ語だから。母国の教育機関がどこも受け入れてくれない。ルミちゃんの未来に向かって明日天気になーれ!ちょっと面白いものを手に入れた。↓山小屋でやってみるつもり。
July 17, 2009
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母の病院付き添いを済ませた後、久しぶりに韓国人のゼリンさんに会った。ゼリンさんは相変わらず夏の太陽の元のひまわりのような明るさで現れた。彼女はかって私の日本語プライベートの生徒だった。今は違う。日本語検定一級まで取ってしまって。日本語教師を目指してがんばっている。韓国人が日本語教師を日本で目指す?それはすごいことなのだ。とんでもなくすごいことなのだ。日本語の先生を目指すほどの日本語に自信のある人たちと一緒に勉強するんだから。今日の私の役目は、日本語を教える先生ではない。日本人に混じっての難しい勉強にくじけそうになり弱音を吐く彼女を励ますこと。彼女は私に外国人といることを感じさせない。私との年齢差を感じさせない。そこが好きなのかもしれない。彼女は言う「日本語教授法の先生は私の韓国語発音をみんなの前に立たせてわざわざ指摘する。自信が無くなった。止めたい」と。私は言う「そんなの誰もが気づいていることだから、それを人前でさらすのはおかしい、気にするな」と。日本で生まれたのでもない外国人にとって日本語は母語でも母国語でも無い。後から覚えた発音が自国なまりになるのは直しようが無いのだ。その発音を彼らは生まれながらに持っていないのだから。日本人だって外国で生まれてそこで育っていなければどんなに外国語がぺらぺらでもお国なまりは出てしまうもの。そんなことは「方言は欠点だ」というようなものだ。自分はそこは出来ないんだ、そこは本当は違う発音なんだと知っていれば、自国に帰ってから日本語を教えることに何の支障も無いと私は思う。ゼリンさんほどの人が出来ない発音だ、たとえ日本語教授法の先生が韓国に行って教えたからと言って成長してから日本語を習う韓国人の生徒が完璧日本語発音になるとは思えない。何のために外国語って習うの?完璧に他の国の人になるため?違うよね。きちんと意思疎通が出来れば良いんでしょ?オレゴンのリナのお母さんは韓国で育って韓国の大学を出てアメリカで結婚してアメリカの小学校でアメリカ人の子供に英語を教えている。彼女だってきっとコリアンイングリッシュが入っているはず。悲しいかな英語が下手な私にはその英語の違いは分らないが。ブリティッシュイングリッシュ、オーストラリアイングリッシュ、インディアンイングリッシュ、アメリカは懐が深いね。ああそうだゼリンさん、昨日アンナさんとオーウェンに会ったんだ。アンナさんからゼリンさんにお土産があるよ。そこでいつものあれを。↓僕はオーウェン。おかあさんのラブコールで日本人のおばさんに会ったよ。久しぶりだなあ、おばさんは僕が大きくなってビックリしていたよ。そうだよ。僕はもう6ヶ月。パパはとうとうサウジアラビアへお仕事で行っちゃった。僕は10月までママと日本で暮らし、10月に僕のおばあちゃんとおじいちゃんがいるオーストラリアに3ヶ月滞在してそれからパパと一緒に暮らすためにサウジに行くんだ。おばさんが「うーん、中国へは行かなくなったの?オーウェンはころころ行く先が変わるね」って言うんだ。仕方が無いよ。今のところサウジ行きのビザを取るのにはそれがベストらしいからね。ママの国に行くのは後回し。ママが話す中国語。おばさんが話す日本語。オーストラリアのおばあちゃん、おじいちゃんが話す英語。へへへへ、全部分っちゃったら僕は天才だ。パパは日本企業で働くオーストラリアなまり日本語ぺらぺらエンジニアだよ。
July 16, 2009
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3年ほど前入院しているとき妹が差し入れてくれた本。「数え方もひとしお」村上春樹の作品ばかりベットの脇に積んでおいた私はその時はそんなに面白いと思わなかったのだが改めて読み返してみるとこれが以外に興味深い。日本語の教科書には必ず早い時期に数え方を教えるように出てくる。一つ、二つ。一個、二個。一匹、二匹。一枚二枚。しかし以前と違って「にほんごひろば子供クラス」に現在来ている子達は、日本語を必ずしも必要とはしないで日本にいるからちょっとかじってみようという子達だ。この子達、数えることは楽しそうだが果たして覚えてくれるだろうか。それならいっそう1かえる、2かえる。4りんご、5りんご。とやってみたら面白いかもしれない。なんて一瞬考えたことがある。いやいやそれはいけない。日本語は美しい。数え方が無数にあるのは日本語が美しい証拠だ。一つ一つのもの、一つ一つの自然に魂を入れて大切にしてきた日本人が作り上げてきた数え方だ。この本を読んで改めて気がついた。覚えようが覚えまいが日本語の美しさはきちんと伝えなければ。二枚の懐紙の上の和菓子の名は「清流」。川は一筋、一条、一本。清流に泳ぐ魚は一匹。一尾。一客の夏茶碗に点てた抹茶を一服飲む。あー、おいしい。一帖の畳もすがすがしい。今日のデザートのこのマンゴー。一個いくらだろう。皮をむいて一切れ二切れ。一口食べたらたまらないおいしさ。人魚は一匹?一人?たい焼き買う時は?一匹ください?一尾ください?一つください?ジュゴンは一匹?それとも一頭?うなぎは一匹?細くて長いから一本?蒲焼になったら一串になっちゃう。土用の丑は絶対うなぎ。一本の桜の木。枝を一枝折ってはいけないよ。一房ならいいの?まだまだつぼみが一個二個あるね。もうすぐ開けば一輪二輪。満開になったら花びらが一片二片ひらひらと。さて桜ともう一方の日本の象徴富士山はあなたならなんて数える?
July 14, 2009
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JICAの青年海外協力隊でブータンに行って日本語教師をしているアサミちゃんからメールが来た。今学期の日本語クラスが終わって区切りが付いたのでいくつかの写真を日本語クラスのホームページに載せてほしいと言ってきたのだ。一応「にほんごひろば」のホームページは私が作成して管理している。ずいぶん長く更新してない。さて、それではと重い腰を上げて久しぶりに更新しようかと少しいじった。この際だからドキュメントの中も綺麗に整理しながらと思ったのが悪かった。各ページのリンクや写真がめちゃくちゃになってしまったのであった。うーん、この頃はブログばかりでホームページいじっていなかったからなあ。アサミちゃんはとてもユニークな子だ。そうでなければブータンという摩訶不思議な国で日本語なんか教えていられないだろう。ちょっと前まで鎖国をしていた国なんだから。国民が皆国王が大好きで、物やお金では幸福になれないと皆が思っている国なんだから。彼女は5年ぐらい前までエッフェル塔がどこにあるかも知らなかったのに現地の人たちにするりと溶け込んでいける不思議な力を持っているらしい。今じゃゾンカ語とやらを操って現地人と時にはブータン人ののんきさに腹を立てたりブータン人の人懐っこさに付き合ってご飯を一緒に食べたりしているらしい。私は時々彼女のブログを覗いてはビックリしたり感心したりしている。そんな訳で此処2、3日ブログを放っておいてせっせと「にほんごひろば」のホームページを再構築している。アサミちゃんに送ってもらったブータンの民族衣装の人形↓
July 11, 2009
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ホームスティの事前説明会ではトイレが水で汚れるかもしれないとか、魚は苦手だとか、お寺や神社には行きたがらないとか、いろいろ説明が有ったが、我が家にホームスティした高校生はいい意味でそれを裏切ってくれた。きっと国際センターの人は自分がインドネシアで経験したことを話したんだろう。我が家に来た高校生の男の子2人はトイレを綺麗に使い、刺身は自国で食べるから寿司にも挑戦したいといい、お寺や神社の日本の文化にも是非触れたいと希望し、使ったベットを綺麗にメイキングして「ありがとう」と言って去って行った。 テーブルクロスは夫がインドネシア出張の折買ってきたもの。インドネシア伝統的な模様。たった3日間の滞在だったけれど、それはそれは多くの知識と私達が知らない国のことを教えてくれた。日曜日の夜、ホテルで行われたフェアウェルパーティ。いつもこういう席で感じてきた通り彼らも引率の先生に再会するなり、急にハイになりうれしそうに動き出す。それは先生に再会してうれしいのではない。自分の日本のお母さんお父さんを皆に紹介したいのだ。「僕のお父さんだよ。お母さんなんだよ。楽しかったんだよ」と親しみを込めて報告したいのだ。分っている。いつものことだから。でもそれはこちらも家族として過ごして一番彼らを身近に感じる一時なのだ。アグスランとガガールは対照的な少年だった。英語が得意で、日本の少年だったらこんなに積極的に話すだろうかと思うほどおしゃべりな社交的な16歳のアグスラン。シャイでほとんど話さないでうなずくだけでいつもニコニコしている17歳のガガール。1人ずつの部屋を用意したのに、自分の部屋にもう一つベットがあるからアグスランと一緒に寝たいと頼みに来た彼。パーティの席でアグスランは私達と引率の先生、25人の同行の生徒を行き来し、ほとんど全員を連れてきて私達に1人ずつ紹介したのだった。どの島から来てどんな民族であるとか。何を勉強しているんだとか。パーティの間中ホームスティの家族の中で私達ほどインドネシアの全員と会話した家族は無かっただろう。それだけアグスランは積極的に会場内を動き回っていた。そして我らは彼がその一団の中心的、リーダー的な存在であることを理解したのだった。彼の掛け声で集り、女の子も皆彼に声をかけていた。ガガールはというと友達のところに行ったきりながら、時々私達のほうを見ながらはにかんだようにほほえんでいた。彼らが私達に踊りを見せようと着替えてきた時、私は初めて理解した。同じ島国であってもインドネシアの民族はなんて多様なんだろうと。こんなにたくさんの民族がいるんだ。方言なんかじゃなくそれぞれが固有の言葉持っている人たちがが一つになっている国。それをこれだけ多様な民族衣装で理解した。アグスランが友達なんだと紹介した一番背が高い子はパプアニューギニアと島を分け合う、ニューギニア島から来た子だった。最後に英語ではなく通訳の人を介してアグスランは聞いてきた。「僕の印象はどうだったか」と。私は素直にあなたの社交性に驚いたと伝え。「ホームスティがあなたの中でどんなに大きな思い出になるかどうかはこれからの交流にかかっている」と通訳を通じて伝えた。何日滞在したかではない。交流がどこまで広がるかが大切なのだ私はいつも思っている。そうだ、まだ最後があったのだ。2人は私達の右手を両手でしっかりとはさみ、彼の額に持っていった。それがいつも国でする彼らの両親に対する感謝の挨拶なんだそうだ。
July 6, 2009
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今日、ヨハンナが三重の滞在先に帰って行った。もう1ヶ月ほど農業研修をしてそれからドイツに帰る。我が家に1週間の予定で来たが結局2週間泊まって、私のコンピューターでドイツの大学の入学申請書を作成提出していった。彼女の滞在予定が延びたため昨夜はホームスティのインドネシアの高校生2人と重なったけれど、大学の申請が終わってすっきりした彼女が私の料理の間高校生たちの話し相手を英語でしていてくれた。私も時々会話に参加するが、何か英語会話に調子が出ない。どうしてだろう。ヨハンナの英語はロンドン仕込みで流暢だ、のはずだ・・・。「・・・・・・・・」←英語会話、そして「これわかる?」←日本語。それじゃあ、分るわけないじゃない。日本語で確認しちゃあ。よく聞いているとヨハンナの英語の中に日本語が混じっていたり、英語の単語が出てこないところを私に聞く。2人きりになったときお互いに顔を見あわせて検討会。「何かおかしい」私:「ブロンドの女の子と毎日毎日一日中、日本語を話していたので外国人に対して英語が出 ないよ」ヨハンナ:「英語は出るだけど、時々英語の簡単な単語が日本語でしか出てこないよ」そういうものなんだ。頭の中で言語モードを変えるのは難しいなあ。あまりにも毎日日本語を考えて暮らした2週間だった。なぜかそんな気持ちになったヨハンナと私だった。そしてヨハンナは「帰りたくない、帰りたくない」を連発して半分泣き顔で帰っていった。
July 4, 2009
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おそらく今、私の日本人との会話は恐ろしく間の抜けたゆっくりした会話になっていることだろう。頭がいつもいつも言葉の使い方を考えながら話しているから。今週は日本語を教えた日が3日。教室とプラーベートレッスン2回。プライベートレッスンは先週キャロルの家を訪問したので臨時に今週に持ってきたもの。おかげで、火曜日、水曜日、木曜日が日本語の日、そしてヨハンナがいるから毎日彼女の気になる日本語会話を直していて、それも日本語教えているようなもの。火曜日のレッスンの時、教科書レッスンが終わった後3人が声をそろえて言った。「先生ゴーヤ食べました」そうだった。先々週宿題を出したんだった。「スーパーにあるきゅうりのような野菜なんですか?どうやって料理するんですか」と言うから、「八百屋でゴーヤを買って日本人に作り方を聞いて作ってみてください」と。テレビで作り方を見たり、自分で考えて作ったり、日本人に聞いて作ったりしたそうだ。まあね、ゴーヤ料理は沖縄料理だから日本人皆が作って食べるわけじゃないけど、日本語の話題作りにはいいし、少なくても作り方の情報は何らかの日本語手段を使って仕入れたはずだから。そこで火曜日のフリートークの時間は私が買っておいたゴーヤを使ってゴーヤチャンプーの実演をした。その後、ゴーヤチャンプーとひじきの煮物とおにぎりで皆一緒に昼食。日本語での会話はゴーヤから韓国料理へ。そして「先生次回は私達が先生の好きな韓国料理を作ってきます」ということに成った。一回目の韓国旅行のときインサドンで食べたチェユクポクムをリクエスト。今日、彼らは私の台所でチャプチェとチェユクポクムを作ってくれ、持参したキムパプで昼食。昨日から3人で下ごしらえしてくれたのだそうだ。ドイツ人のヨハンナ、ダイエット中だと宣言しておきながらしっかりおかわりして食べていた。まあいいか、3人と一緒に1時間半しっかり日本語勉強したんだから。で、来週の宿題は本日それぞれのランチョンマットに使った「東海道五十三次」がなんであるかを調べること。この宿題ちょっと手前味噌的な気がしないでもないが・・・。
July 2, 2009
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この頃はもっぱら近くの綾子ちゃんとの近況報告のようになっているMSNMessenger。久しぶりにフランスのジルダが呼びかけてきた。「How are you?」フランスはもう夏休み。専門学校を卒業した彼は先々月あたりから就活をしていた。フランスも今は不景気。若者の働く職場もなかなか見つからないらしい。やっと見つけた仕事はブルターニュの故郷を遠く離れたニースとカンヌとの間のリゾート施設でのしごと。フランスのリゾート地での仕事なんて私から見ればすごくうらやましいけれど、仕事は遊びじゃない。将来にわたって自分がそこで一生懸命働く希望の職場かどうかが問題なのだ。彼はその仕事あまり乗り気じゃないけれどしばらくはそこでがんばってみるそうだ。私はというとちゃっかり時間が出来たらそこで食べたお菓子の写真とそのコメントを送ってもらう約束を取り付けたのだった。ところで昨日キャロルの家で見つけたもの。これはいったいなんだろう。↓彼女もこれがなんであるか分らないという。左の端には「松とか竹とか梅とか書いてあり、格段にはそれぞれ同じ番号が並んでいる。番号の小さい板は動かすことが出来る。何かカウントするときに使うものらしいが、何をカウントするんだろう。誰か分ったら教えてほしい。
June 27, 2009
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来週の週末インドネシアからの学生をホームスティに引き受ける。内閣府が企画している事業でアジアの学生の交流目的だそうだ。先日その説明会に行ってきた。会場には10組ぐらいの受け入れ家庭と説明者の国際協力センターの方が来ていた。インドネシアの多くの人々はイスラム教を信じている。我が家は今までイスラム教の国からの受け入れはしてこなかった。犬がいたからである。イスラム教は犬を不浄のものと考えると聞いていたから。その日の説明でイスラム教の暮らしについていろいろな説明があった。犬はホームスティの間は外で飼うこと。(我が家にはもういないから大丈夫)豚肉は宗教上食べないこと。一日に5回お祈りがあって出来るだけそれを妨げないこと。お風呂は入らないでシャワーで済ますこと。魚はあまり食べないこと。左手は不浄だから右手で握手をすること。そしてトイレの後水で後始末をするから床がぬれることがあるということ。あれれ、そこまで来てちょっと待ってと思っていたら、他の家族から手が挙がった。「トイレをぬらすってどういうことですか。それは習慣であってもそれを容認しなければならないのはおかしいんじゃないですか」そうそう、私もそう思う。青年たちは文化交流に来るのである。交流ということは訪問国の文化も理解するということなのだ。だから、ステェイ先のルールに従うことも文化の理解の一つだと思う。自分の国と相手の国の習慣は違うんだと学ぶことが大切。受け入れ家庭としては、宗教は尊重する。だからお祈りの時間は妨げない。場所も提供する。宗教上食べない豚肉も使わない料理にする。宗教と信念は尊重するけれどこの国でインドネシアの人々に合わせたスタイルに生活をまげること出来ない。それでは彼らが日本の本当の姿を理解することは出来ないと思う。他人の家を汚してはいけない。それは交流というルールにも反する。私や他の受け入れ家族がおかしいと思ったのはあちらの習慣のほとんどにあわせてあげることが当然のように説明していた交流センターの人たちについてであった。「郷に入っては郷に従え」。多分こちらに来る生徒たちはそんなことはしっかり教えられてくるだろう。私もそう思っている。さて、イスラムの世界を垣間見る初めてのチャンスが今から楽しみではある。しかし、顧みてドイツから来たヨハンナの胃袋はどうなっているのだろうか。納豆でも卵でも、刺身でも、餡子のいっぱい入ったおまんじゅうでも何でも入れてしまうのである。付き合う私の胃袋も考えてよね。横浜みなとみらいで横須賀汐入タイ料理「サワディー」でチリーズでメキシカン豊洲イタリアンレストランのエスプレッソ
June 26, 2009
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以前も書いたけれど、ホームスティルールというのが我が家にある。それは最初は山の家ルールだったものだ。山の家にいる時、主婦である私も毎日の料理当番を休む時間をとる。せっかくのリゾートだから、皆で変わりばんこに料理を作ることにしている。それを山小屋に招待した外国人にも摘要した。最初は単に外国の料理を食べかっただけなのだが、これがステェイする側にとってもリラックス出来る最大の方法だと分ってからは山小屋だけでなく家でも長期滞在の大人の人には一日だけ自国の料理を自分で作ってもらうことにしたのである。ホームスティ受け入れ側とすればともすると日本の文化、日本の料理、日本の観光を押し付けがちになるが、文化交流なんだからあちらの国のことを質問したり、聞いたりするだけじゃなくていながらにして体験することもいいことだと気がついた。それには料理が一番。日本の高校生が外国にホームスティすると必ず1回カレーや肉じゃがを作ってくるあれだ。彼らは私のその提案に嬉々として応じ、目の色を変えて自国の材料かそれに変わる食材を日本のスーパーで探すのだ。それは、こちらにとっても相手の国には何が売っているのかどこで手に入るのか推測するいいチャンスになる。いろいろ悩んだ末、20歳のヨハンナが作ったドイツ料理はこれ。↓ジャガイモはいつでも手に入るが新鮮なホワイトアスパラガスの季節で良かったと胸をなで下ろした一品。ホワイトアスパラのバターソースかけ。ジャガイモ。成城石井で見つけたイタリア製生ハム。もちろんヨーロッパ料理だから手づくりのデザートもついて来る。暖かいアップルパイのアイスクリーム添え。お皿もすべて彼女のチョイス。映画を見て、買い物をして、料理を作った後、リラックスして1人でワインを飲みながら、「今日はほんとうにしあわせな一日だった、この時間をくれてありがとう」と言う彼女に私も「ありがとう」と言うよ。
June 23, 2009
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「ただいま」と昨夜ヨハンナが次女と一緒に帰って来た。今回は来週の日曜日まで滞在する。かって我が家にホームスティした若い子たちは皆、二度、三度と我が家に来るときは「ただいま」と言って入ってくる。別にそう言ってくれといったわけではないけれど、そう言われると何故かうれしい。しかし、ヨハンナは私が受け入れたホームスティの学生ではない。次女が留学中ロンドンで見つけたドイツ人の友人なのである。今ではお互いの家や別荘を訪問しあう無二の親友になっている。彼女が一番最初に娘に会いに日本に来た時は運悪く次女の卒業研究の真っ最中だったので私が娘のアパートに泊まりこんで昼間は彼女を観光に連れまわしたのだった。それ以来彼女は私と出歩くことを楽しみにしていてくれる。以前は私達の会話は英語だった、2回目のときは英語交じりの日本語、そして今回は100パーセント日本語である。彼女は2月に来日して以来日本で農業体験をしているのだ。昨夜は羽田に到着した後、娘と銀座で買い物をしてしゃぶしゃぶを食べてから我が家に帰って来た。銀座で何を買ったの?「そうそう、私の靴死んだ。だから靴買ったね」「死んだ?」「そう、死んだ。分る?」ああ、よーく分りますよ。靴がどんな状態になったか。そうなんだ、コミュニケーションをとるということはそういうこと、単語を知らないからとか文法が間違っているからとか、そんなことよりももっと大事なことは相手になんとしても伝えること。知っている言葉を使って表現力豊かに伝える。彼女の天性の素質かもしれない。そういえば以前彼女とリナと次女と京都に行った時、観光中に私の靴が「死んだ」から、京都駅の伊勢丹で新しい靴を買ったんだった。銀座のABCマートで買ったヨハンナの新しい靴↓彼女の許可なしに公開
June 21, 2009
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毎週水曜日と木曜日の午前中はパソコンの前に座っていられなくなる。水曜日は日本語クラスの日、大人クラスと子供クラスの準備をするのに午前中いっぱいかかってしまうからだ。プリントを準備して、教え方のシュミレーションをする。そして、昼食を母ととる。大人クラスが終わるのが8時。車でボランティア仲間を送りながら帰ってくると9時。だから母の夕食は毎回午後に作り置きしていく。昨日は3時に出発する前に、朝作っておいたグレープフルーツのジェリーを母とおやつに食べた。先日妹が買ってきた鎌倉 レ・ザンジュのレモンジェリーが上品な味でおいしかったので作りたかったけれど、レモンがなかったのでグレープフルーツで・・。夜までの長い時間の栄養補給(いらないかな、この身体だから)。 昨日の朝これもジェリーを作るついでに、にほんごひろばの子供達の為に作っておいたスノーボールを袋につめて出発。子供クラスはまったくの無料ボランティア。大人クラスのように教材のコピー代もとらない。毎回のおやつも自腹。でも、そこは持ち寄りパーティ文化のあるアメリカ人、時々は交代でお母さんたちがおやつを差し入れてくれる。私から見るとどう見ても「毒」としか思えないような色鮮やかな不思議なおやつのときもある。もちろん味見はしっかりするけれど・・。どんな味がするか興味は津津。子供が終わって大人クラス。昨夜は懐かしい顔に出会った。一年前、ちょっとの期間勉強を教えたアメリカ人。とても頭のいい人だと覚えていたがその時は仕事で時々しか来られなかったのであまり日本語は上手にはならなかった。日本勤務になった今また、私達のクラスを覚えていてくれて来てくれた。帰宅後は疲れてパソコンを開く気にはならない。本を読んでいるうちに寝てしまう。そして木曜日。朝、掃除をして我が家にプラーベトレッスンの3人の韓国人を迎える。今日の準備は先週終わってすぐ作っておいたので問題なし。だけどレベルの違う3人を同時間に教えるって大変。パクさんに第5課を20分教え準備しておいたプリントを渡す。次、キムさんに第21課を教え準備しておいたプリントを渡す。次、イーさんとその間に与えておいた課題の2級試験問題を回答しながら教える。ちょっと聖徳太子になったような気になる時間。だけど、同時に質問しちゃ駄目だよ、1人の言葉しか耳に入らない頭だからね。時間差攻撃でお願い。今のところ伊賀忍者(認定されていないけど)の分身の術は成功しているらしい。3人を一周教えたら、課題を集め、用意しておいた宿題を渡す。そうしたら、頭を解放して、お茶の時間。お菓子を食べながら日本語会話の時間。レベルが違っても出来る人が出来ない人の会話を補って、出来ない人が考える時間を思いやって会話する時間。「日本語って楽しい。先生、一週間2回、レッスンできませんか。したいです」とーんでもない。無理無理。ムリムニダ。とにかく忙しくて張りのある水曜日と木曜日。
June 11, 2009
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「海を見るのが好きなんだ。海が僕の知らない遠い国と繋がっているかと思うと遥かな気持ちになれるんだ。この海もブルターニュの海岸と繋がっているんだよね。」なあんて、きざなことを平気で言える青年を私は1人しか知らないが・・。2年前のその時彼はこの同じ景色を見ながらつぶやいた。-----------------------------------------------------2年前のその時と同じこの海の遥か遠くから母親に連れられてきた10歳の少年、ケント君が日本の学校に通いだしたけれど日本語が出来なくて授業についていくのが大変だからとお母さんと「にほんごひろば」にやって来て2週間になる。早く日本語が出来るようにと他の小さなアメリカ人の子たちとは別メニューで日本語を教えている。一緒に日本語をやっていて、間違えると「ごめんね、ごめんね」と言う。「まちがってもいいんだよ」「まちがえるからよくおぼえられるんだよ」と言っても、「ごめんね、ごめんね」と言う。自信がないのかな、知らない国で心細いのかな。彼はまじめだから一生懸命私の教えることを聞き逃さないようにと気をつける。「君は賢いね。すごく良くできるね。えらいね」と褒めると、今度は「ありがとう、ありがとう」という。ブラジルという国は船で行くにはあまりにも遠いけど、君のお父さんもいるその国にはずっと昔、新天地を求めてたくさんの日本人が渡って行ったんだよね。その国も間違いなくこの日本の海と繋がっている。写真は昨日の散歩のときに撮ったもうすぐ日暮れという時間の海岸。
June 8, 2009
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僕はオーウェン。再々登場。土曜日ママに連れられて横浜の高島屋で日本人のおばさんに会った。前の日、ママがおばさんに電話掛けたんだ。「区役所から電話あった、日本語分らないですから、何ですか聞いてください」って。おばさんがママを助けてくれて、その後「土曜日に会いましょう」てなったんだ。きっとママが僕と2人きりの日本の生活に疲れてストレスたまっているだろうとおばさんが思ったから、ママと僕を外に連れ出してくれたんだね。パパは今パパの国オーストラリアに2週間サウジアラビア行きのビザを申請するために帰っている。ママは1人で子育て。土曜日、おばさんは若くて綺麗な日本人のお姉さん、トモちゃんを連れて来たよ。友達の少ないママの友達つくりのためにね。トモちゃんは中国語で自己紹介をして、時々中国語でママと話をしてくれた。ママはすごっくうれしそうだったよ。トモちゃんはおばさんのボランティア仲間なんだって。台湾人のボーイフレンドがいるから中国語を話せるんだって。僕もきっと中国語を話せるようになるからその時は中国語で話そうね。うん?そういえば僕の母語ってなんだろう?中国語かな、オーストラリア英語かな?僕が生まれた国の日本語かな?まあいいや、とりあえず6ヶ月先に暮らすことになるだろうサウジアラビア語も含めて、そのときその時で考えるさ。高島屋でママたちが中華料理を食べたときお店の人が僕に持って来てくれた。親切に有難う。でも僕はまだ4ヶ月だよ。↓
June 1, 2009
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今日はつもり積もった用事が有って街に出かけた。インフルエンザが流行っているから予防の為にマスクをかけて出かけた。闘病中の母の世話をしている身にとってはインフルエンザにかかるわけにはいかないのである。最初の用事の銀行で友人に会った。挨拶をしたが相手は「???だれ?」となかなか気がつかない。そして、ふと自分の姿に気がつく。私は大きなつばの付いた帽子を目深にかぶり、カラスのくちばしのような大きなマスクをしている。多分目だけが挨拶をしていたのだろう。それで判れという方が無理なこと。ごめん。これからは「帽子を取って挨拶」をしましょうじゃなくて「マスクを取って挨拶しましょう」になりそうだ。駅前の花畑。さて、日は戻って昨日。韓国語の先生に頼まれて韓国人の生徒3人にプライベートレッスンをすることになってしまった。そこで教えるに当たって簡単な問題を解いてもらってレベルチェックをした。1人はまったくの初歩。「ここ、そこ、あそこ」から教えなければならない。2人目は初級の真ん中ぐらい。3ヶ月韓国で日本語を勉強したという。3人目は漢字も読め、7月に2級を受けたいという。うーん、この実力の差が有って、どうやって同じ時間に授業を進めるか。3人分身の術でも使おうか。これは教えるための事前教材準備と綿密なタイムスケジュールを組む必要があるなと痛感。案外面白いかもしれない。またまた頭脳が試されている。「先生、今日は楽しかったです」と帰って行った3人。「私は忙しかったです」と心の中でつぶやいた。早速忍者屋敷に入門しなければ・・。
May 22, 2009
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今日は「にほんごひろば」の日。子供クラス前々回、前回と「全部でいくつ?」の延長で日本語による足し算を教えている。かえるやりんごの絵が付いて、1たす3は4 全部でいくつ?しかしこれが、なかなか乗ってこない。足し算は出来る、日本語で数字は数えられる。私の韓国語より早く数えられる(おっと、これは余計だった)ひとつ、ふたつ、いっぴき、にひきも言える。だけど、足し算の授業は乗らない。きっと教え方が面白くないのだろうな。そこで発想の転換。今日は教科書をコピーした紙は使わない。これ↓をいきなり使った。100円ショップで買った4個のさいころ。最初は一個で、次は二個で、そして出た目の足し算。目を輝かせてついて来る。「+たす」も「=は」もすぐに覚えた。こんなに小さな魔法の道具。なんだかだんだん、子供達に頭脳を試されているように感じてきたのは気のせいだろうか。
May 20, 2009
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日曜日、ユエちゃんから相談があるから来たいと電話が有った。土、日と雨で予定していた「東海道五十三次の旅、掛川から」に行かれなかったのでちょうど良かった。相談内容は、「今年入学した大学のコンピューターの授業についていけない、誰か初歩を教えてくれる人がいないか」というものだった。こう書くと彼女は落ちこぼれかなと思われるが決してそうではない。4年前再婚するお母さんとともに中国から日本に来たときはまったく日本語が話せなかった。そして来日たった8ヶ月で普通の日本人の中学生と同じ科目の試験を受け、高校に見事合格。その3年後の今年、東京の一流といわれる大学の理工学部に入学した秀才なのだ。高校受験の前、私は少し手助けをした。日本語の授業だけでは追いつかないので、プライベートで我が家で受験の国語、英語の試験の日本語問題文。次女は私では教えられない数学を担当した。その時つくづく思った。いまの中国の一人っ子にかける教育のすばらしさを。日本語さえ分かれば、理科や数学、英語は日本の同年代の子より遥かに学力が上なのだ。さて、相談の内容のコンピューター授業も理系だから当然コンピューターが当たり前に出来ると思って授業は進む。難しいPC言語もプログラミングも。大学受験のための日本語と苦戦しながら他の科目を勉強してきた彼女は、人の2倍の時間を勉強に割くしかなかった。コンピューターで息抜きとかホームページを作るとか、そんな時間はなったのだ。ただただ机に向かっての勉強。文系中心の高校ではPCの授業もほとんど無かったようだ。私では「C言語」理解の手助けは出来ない。せめて大学の授業以前に知っていなければならないPCについて誰か手助けできる人を探すぐらいだ。しかし、まあ、そんなに心配要らないよ。勉強好きな彼女だから、ハングリー精神さえあれば、とおもっているが・・。人の2倍も勉強に時間を割かなければならない彼女が少しでも時間を作り出そうと第2外国語に中国語を選んだものも先生の「あなた中国人でしょ?あなただけ宿題中国語の新聞訳して」の一言でその授業、あきらめざるを得なくなったそうだ。前途多難だな。血の繋がらないおばさん、叔父さんと暮らし、彼らの援助を受け、養子になった。もうすぐユエちゃんは日本人になるだろう。彼女の元には幸運の女神が付いている。私の知る他の大多数の「にほんごひろば」に来た子供達に比べて。今日は写真がないので、全然関係ないが、日曜日の散歩のとき会った、私の友達(多分あっちはそうは思っていない)↓
May 18, 2009
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昨日は「にほんごひろば」の日。この頃の子供クラスの生徒は低年齢化しているので必ず親が付いてくる。以前は子供を置いて買い物に行って迎えに来るパターンか、どこかで待っていて迎えに来るパターンが多かったが、今は親がべったり付いている。中には授業を見ながら自分もノートをとって時々手を揚げて質問してくることもある。同じ部屋でじっと見られると気になっていやだ、というのがボランティアの共通の意見。そこで、考えた。時々飽きちゃう、時々すねちゃう、授業の途中で親のところに飛んでいく子供達。そうだ、親も一緒に授業に参加させちゃおう。最初の30分ほどは小さい年齢、大きい年齢の子、2グループに分かれて子供だけで授業。飽きてきた頃、親も全員呼んで、ゲームをするのである。これが当たった。親の方が俄然乗ってくるのだ。頭に今日覚える単語の絵を付けて。「フルーツバスケット」をやっても、「かごめかごめ」の歌をやっても、「ロンドン橋」をやっても。そして、新しい言葉はすぐに聴いてくる。「みろり?」いえ、「みどり」ああ、「midori」此処は子供クラス、しかし親だって日本語習いたかったのだ。親が一緒でもかまわない。そのほうがかえって楽に授業が進められることが分かった。最近の新発見。こどもの日のため、新聞で兜を折った連休前の授業↓
May 14, 2009
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時々(いや、発見してから毎日かな)お邪魔するブログ「ガレットのお菓子日記」ガレットさんのページがある。12日の日記にはお菓子ではなくお庭に咲くバラの花の写真が。たくさんの綺麗なバラの写真、一番後にはガレットさんの最も好きなバラの「ピエール」と名付けられた豪華な花の写真が。http://plaza.rakuten.co.jp/gateau2006/そこまで見て思わず笑いがこみ上げてきてしまった。ピエール君ね。私の知っているフランス人のピエール君をつい思い出してしまった。ガレットさんの家のバラのように豪華で、プライドがめちゃめちゃ高い男の子。実は彼のことをこんな風に触れられるようになるには少し時間が要した。考えたくない時期も有ったのだ。彼が始めて我が家に交換学生と来たのは15歳の時、2週間過ごして帰っていった。ハンサムで礼儀正しく、育ちの良さをおもわせ、成長したらどんなジェントルマンになるだろうと空想するのも楽しみな子だった。フランスに帰ってからも5年間せっせとメールや手紙をくれた。そして2年前、また日本に来たい、1ヵ月泊めてと言ってきたのである。もちろん彼は来た。でもね、ある出来事をきっかけに我らは大喧嘩をしてしまったのであった。滞在するうちに次第に彼は自分の主張をすごくはっきり伝えるようになって来た。それは多分フランス流だったのだろうし、彼の国では当たり前のことだったのだろう、2回目と言うこともあったし、彼は私達をすごく身近くに感じたのだろうと思う、何でもわがままを言ってもいいと・・。ある週末、山の家にいるとき、街とは違うから、熊や猪なども出るかもしれない、山に迷い込むと出られないかもしれない、夜は危険だから出てはいけないと言ったのに、その時ちょっとした不満があった彼はわざと私を困らせるために夜中、外に出たのである。気がつかない間に黙って。それから1時間懐中電灯を持って車で彼を夫と捜索。夜の暗闇と彼の友人が2人ちょっと前自殺したからショックを受けたと言う話を聞いていた私、もちろん例によってパニックになった。それに街灯がちらほらと付いている通りはいいが区画外は真っ暗。昼間の釣り人のいる池は夜はもやが立ちこめ沼のように見える。そんなときは悪いほうへ悪いほうへ考えてしまうのが人の心理。ましてや彼が山小屋を出た理由など知らない我らは・・。捜索電話を警察にかけようかと思い始めた頃、のんきに懐中電灯を持って歩いている彼を発見したときは安心感と怒りからその場に崩れ落ちたのであった。プライドが高く、頑固な彼を発見した瞬間であった。5年前とはすっかり逆転した英語の実力で彼はemotion(感情)を現す単語をぶつけてくる。納得できないと何度でも議論を挑んでくる。長いホームスティ受け入れでこんなことは初めてだった。まっすぐな感情と感情のぶつかりあい。私は高度な英語を理解できないことと山小屋ショックで心がすっかり傷ついてしまった。彼が帰った後も何ヶ月か立ち直れない私であった。これで彼とのRelationship(つながり)は終わったなと思っていた、その年のクリスマス。彼はそっとカードを送ってきた。関係修復しようと・・。それからは今まで通り「スキーにアルプスに行ったよ」「日本が懐かしい」と手紙をくれる。今は念願の医学部に通い、青春を謳歌している。もう立派な大人である。そうだった、彼が一番最初に「ガレット」と言うフランスのクッキーを持って来てくれた子だった。ブラターニュの香りがするバターたっぷりのお菓子。そば粉で作ったクレープ(それもガレット)も彼の町(ブレスト)では有名だそうだ。↓は薄いクッキーが入っていた缶。他の分厚いクッキーの方がおいしい。
May 13, 2009
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日曜日(母の日)の日記を今日書く朝、いつものようにE-mailをチェックするとジャンクメールの中に知り合いのメールが埋もれていた。拾い上げる。この頃は差出人が英語名の時はジャンクメールとともに捨ててしまいそうで心配だ。何とかしなければ。送り主は5年ほど前に日本語を教えていたフィリピン人の生徒から。以前日本にいた時は何度か我が家に遊びに来たこともある。フリピンに帰ってからもずっと連絡を取り合っていて、今はまた1年ほど前から日本で働いている。この不況の時代外国人や派遣の人たちが職を失い国へ帰る人たちがたくさんいるこの頃。日頃から多分期間労働者で有ろうコンピューター技師の彼のことが少し心配になっていたが、まだ日本でがんばっていてくれていてうれしい。そして、送られてきたメールたった一行-------sensei,Happy Mothers dayうーーーーーん。日本では母の日は子供が母に対して感謝する日。一瞬、私は彼のお母さんか?彼は元生徒であって、妻も子もいるし・・。なんて考えてしまった。日本的発想。そうだよね。今日は「母の日」と言うお祝いの日。みんなが自分の母に感謝する日だけれど、誰か1人に「有難う」と言うのもだいじだけれど、すべての母に母から生まれたことに感謝する日。そういえば以前アメリカのLenaも「お母さん有難う」じゃなくて「Happy Mothers day」と電話を掛けて来たことがある。その時はLenaにとって私はホストマザーだから何も違和感を抱かなかったけれど・・。ちょっと日本人との違いを新発見した日だった。それとも知らなかったのは私だけ?ついでに日曜日の夫の料理Wiener Schnitzel(ビーフカツ)ウイーンに行った時Ingoの手料理で食べた味が忘れられないのでリクエスト。何のことはない牛肉のとんかつ(?)なんだけどね。スープはアサリのワインスープ盛り付けのセンスにもう少し工夫が要るかな?いやいや作ってもらうだけでありがたい。多くは望むまい。
May 12, 2009
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一昨日、昨日と所属する国際交流協会の収益事業の手伝いをした。両日ともコンピューターの電源を入れメールチェックをしてすぐ切る生活。疲れすぎてブログ更新する元気が無いのであった。ご飯を食べたらバタンキューと寝てしまった。無報酬のボランティア、「適当に帰ればいいじゃん」と娘の声も聞こえてくるような気はするが、みんなが帰らないので1人だけ帰りづらいじゃないか。意志の弱い私としては・・。我が協会のブースでは、協会で扱っているフェアトレードのネパールコーヒーを売ること。なんだ簡単じゃないかと思うだろうが、違う!普段は粉と豆の袋を細々と会員に売る。昨日はフェスティバルの中にブースを借りてその粉でコーヒーを淹れてドリンクにして売るのだ。おまけに暑いだろうから売れるよ、ということでアイスコーヒーまで造って売った。一昨日午後1時から5時までかかって、コーヒーを淹れる→それを冷やす→使った水のペットボトルにコーヒーを詰める。以上を4人でやった。22本のペットボトル。昨日、それをイベントで販売。何のイベントか知らずに行ったのだが、カレーフェステェバルだった。横須賀は日本のカレー発祥の地なのだそうだ。日本海軍が最初にカレーを日本式にご飯と組み合わせて作ったんだそうだ。横須賀の名産のひとつには海軍カレーがある。高いからあまり買わないけどね。三笠公園戦艦三笠が記念館になって係留されている。横須賀はまたペリー上陸の地。そこで、ペリー君と小栗上野介君登場。話は戻って、コーヒー販売。セッティングを終わると同時に、本日の責任者の女性からほかのブースに売り込みに行けと言われる。そんな、みんなまだ忙しいときに行っても迷惑だよ。それにこんなの私得意じゃないしと言いたかったが、しょうがないほかのブースに小さな声で、売り込み。やっぱりね。2人分販売するのがやっとであった。人選間違えていない?ブースが入り口近くと言うこともあって初めはなかなか売れない。そのうち、ワーッと一度にお客さんが来る時がある。ふと気がついた、誰かがテーブル席に座って飲んでいると売れることに。サクラが要る!。タイミングよく電話で呼び出した若い友人の綾子ちゃんがジェームス君と連れ立って買いに来てくれた。2人で座ってゆっくり飲んでくれている。いい感じ。その間、お客がどんどん来る。間に合わないくらい来る。調子がいいね。知らず知らずサクラになってくれたお二人さん有難う。この日暑くなったこともあって、アイスコーヒーが飛ぶように売れた。造り置きした22本は瞬く間に売れ、今度はコーヒーを沸かす→クーラーボックスの中に氷と水を入れ、やかんで冷やすという作業が新たに発生してその担当になった。中腰の作業で腰が痛い。途中でコンビに氷を買い足しに行く。午後4時イベントの終了と同時にコーヒーの粉も終了。終わった。終わった。さあ、帰ろう。その時責任者が一言。明日のアイスコーヒーまで売っちゃったから、これから事務所に帰って明日の分を作ります。えーーー!今、五時なのに。それから延々とやりましたとも。コーヒーを入れる→やかんでコーヒーを冷やす→ペットボトルにコーヒーを詰める。昨日は家に帰ったらまた、バタンキュー。昨日の歩数12,300歩。今日も朝からみんなは売っているんだろうな。今日は出られませんと先に言っておいてよかった。
May 10, 2009
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連休まとめて日記5月3日タイトルを「英語で話そう」に変更して。長浜海岸から荒崎海岸まで2時間散歩。同行者、カイル、夫、ミネソタから日本観光に来ているカイルの両親。海の無いミネソタの両親に日本の海を見せたいと言うカイルのたっての望で、海辺のハイキングをした。以前カイルには3回ほど違う海に連れて行ったことがある。まるでカモシカのようにスリムで身軽なカイルは海が大好きで、「危ないよ!」と言うのに、岩から岩に飛び移って歩き、海岸のきれいな角の丸くなったビンの欠片(彼の場合は貝ではない)を集めていた。カイルは子供っぽいところがあるから、そんなにも海を喜ぶのかと思っていたがそうではないのが分かった。彼のお父さんもお母さんも海辺のハイキングをすごく喜んでくれた。この日の海岸は嵐の後のごみであまりきれいではなかったが・・・。岩場を飛び回るキアヌ・リーブス(カイル)と富士山の写真を撮るブルース・ウィルス(消防士をしているカイルのお父さん)。まったく外見が違うのに性格が似ている親子。この写真うっすらと富士山が見える・・・はず。前日早朝散歩でわが街から富士山を眺めたが見えず、しかし、日本で1回しか富士を見たことが無いカイルに「富士山が見えた」といううそをつく冗談に付き合ってくれた2人だったが、この日は本当に見えた。洞窟のようになっているところで家族写真をという希望で夫が写真を撮っているところ↑。いつも外国人を見ていて気がつくことは、写真の撮られ方がすごく上手なこと。必ずかっこよくポーズを取るのだ。そして自分を美しく見せることがすごく上手なのだ。↓例えば鎌倉での写真夫婦で写真を撮られるときなどは奥さんが前にかがみ、夫は後ろから方ひざを付いてそっと方を抱いてポーズを取るのだ。日本人ではきっと照れてそんなカッコウはなかなか出来ない。でも出来上がった写真はすごく格好いいのである。今度から私もそうしようと決意した・・が、我がナイトはそうしてくれるかな???いつもカイルの英語についていくのが大変な私。それが3人のミネソタ英語に付き合わねばと戦々恐々としていたが、頓珍漢な返事にも寛容でその上話好きな彼らと過ごして、英語で話すことがこんなに楽しいと感じたのは久しぶりだった。英語が下手でも、話そうとする気持ちがいかに大切か改めて分かった3日間だった。
May 6, 2009
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今日はお客様の案内で鎌倉散歩歩数は16,699歩確実に明日の分までクリア。今日のコース鎌倉駅→長谷寺→高台寺(大仏)→鎌倉駅(昼食)→八幡宮&ボタン園→小町通り→鎌倉長谷寺散策コース(私は下で待っていた)今日もやっていた結婚式、巫女さんの踊り・・鶴岡八幡宮で。八幡宮ボタン園の珍しい色のボタン時々聞かれたことに頓珍漢な返事をしながら英語で会話。いったんどつぼにはまってしまうと自分でも文型がめちゃめちゃになって抜けられなくなる。すると横からカイルが助太刀。「英語での助太刀はいいから日本語で話しておくれ」とつぶやく。peony(牡丹)新しく覚えた単語。明日はシーサイドコースを散歩する予定。ミネソタには海は無いからね。カイル君からのリクエスト。両親に海を見せたいらしい。そしてお医者さんの許可が出たので母を連れて夜から長野の山の家に行く。ゴールデンウィーク終わるまで。
May 2, 2009
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最初に昨日の歩数 3,939本日の歩数 23,929歩 昨日の分を補っても尚余りある。朝からニュースで何かとお騒がせの横浜に行った。それもアメリカ人を観光に案内するため。千葉で英語の先生をしているカイル君の両親が観光で日本に来ているから、横浜駅で落ち合った。彼と両親と彼のガールフレンドと。最初に横浜で食事をして、電車でみなとみらいに移動。思ったより人がいない。ゴールデンウィークだと言うのに。仕事のある人もいるからかな?それとも新型インフルエンザのせい?ランドマークタワーにに登る→汽車道を歩く→赤レンガへ(コーヒータイム)→大桟橋の横を歩いて山下公園へ(公園で休憩)→港の見える丘公園へ(期待したバラは咲いていなかった。早すぎた)→中華街へ。(拍子抜けするほど空いていた)こんなのは初めて。中華街で夕食(夫と次女が仕事を終えて合流、強力な英語の助っ人が来た。)→横浜駅へ。(此処でカイルの彼女と別れて皆を連れて電車で我が家へ。その結果が今日の歩数。疲れた。足が棒のようだ。カイルの両親はとてもいい人でよかった。カイルはいまどき珍しくピュアな心を持った男の子。この両親が育てたのだからと理由が分かった。それにしても、うーんカイル全然日本語を話さない。5年前日本で5ヶ月日本語を勉強したのに、日本に来て早一年半になるのに全然進歩していない。来日3ヶ月のヨハナに完全に抜かれた。ホームスティしたときの私の教育間違ったかな。語学は(話したい)と言う気持ちと(まず間違ってもいいから使ってみよう)と言う意欲で上達するかどうか決まるようだ。2人を見ていて思ったこと。
May 1, 2009
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横浜に出かけた。もうすぐサウジアラビアに行くイアンの送別会。そう言っても、私と夫、アンナさんとイアンでのこじんまりとしたもの。ゴールデンウィークだからと事前に予約しておいたがいつも並んでいてなかなか入れないレストランは拍子抜けするほど空いていた。「イアンのことだから絶対遅れた~と電話が来るよ」と話していると早速電話。案の定、「今横浜駅です。遅れます」懲りない2人であった。日本の会社から駐在でサウジに行くのに出張じゃないビザは一度オーストラリア(イアンの母国)に帰ってあちらで取らないといけないのだそうだ。めんどくさいんだなあ。アンナさん、日本語を使う機会は私としかないからあんまり上手にならないけど、一生懸命日本語を使おうとしている。その姿勢は良し。「赤ちゃんの世話は大変です。助けて」と言いながらも、外国で必死に子育てしてがんばっているのはえらい。でも、イアンがいなくなるこれからが試練のとき。この日の食事は日本食。 僕もいるよ~。by オーエン
April 30, 2009
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2年ほど前健康診断で糖尿病の境界線だから気をつけるように言われた。それ以来三月に一回病院でチェックを受けアドバイスをもらっている。先週のこといつものように診察時間を待っていた。そろそろ呼ばれるかかなと診察室のドアをのんびり眺めていると、後ろのほうから急に名前を呼ばれた。見ると白衣を着た女医さんがカルテのようなものを持って呼んでいる。呼ばれるままについていくと「糖尿病相談室」へ招き入れられる。いきなり「足の検査をします」話は遡ってその三日前。友人のお母さんが入院している病院での話を聞いた。お母さんの隣のベットの人が糖尿病で足を切断して夜中に泣いているのよと。此処までくれば話の筋はもうお分かりだろう。部屋に呼び入れられた私、思わず「血液検査の結果そんなに悪いんですか」と泣き声一歩手前で聞く。「いえいえ、誕生日月の検査ですよ」でもまだ誕生月じゃないし、去年もこんなこと無かった。おかしい!そうこうしていると靴下を脱がされ、感覚テストをされる。「薬はちゃんと飲んでいますか?」「いえ、糖尿病といわれてないので飲んでいません」「あれ?糖尿病じゃないんですか?あ、そうですね。境界線ですね。でも気をつけないと、足先を切ったり、目が見えなくなったりすると聞いたことありますか?」「ハイ、でも、あの、まだ、糖尿病じゃないと・・・。栄養相談も受けました。あ、それから、毎日たくさん歩いています。一万歩目標に歩いています。歩くようになって血圧もよくなりました」もうもう必死である。そして落ち着いてよく見ると女医さんと思っていた人の名札は看護士。その看護師さん、検査が終わるとあっさり動揺しているこちらの気も知らず言った。「じゃあ、この後、先生の診察が有りますから」そして通常の診察室から呼ばれる。いつものお医者さん。「初めに血圧を測りましょうね」上が160の下が90。「高いですね」そりゃそうでしょう。あの後なんだから・・。「じゃあ、できるだけ歩いて体重に気をつけて、また三ヵ月後に来て下さいね」そういうものがあるならあると最初に言ってよね。こっちはパニック症候群なんだから。これが、私が毎日必死で歩き始めた理由。昨日の歩数12,503歩
April 28, 2009
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オーエン再び僕はオーエン。お父さんは日本の会社に勤めるオーストラリア人。お母さんは中国人。そして僕は今、オーストラリアの国籍を持っている。もうすぐ生まれて三ヶ月になるよ。首も据わったからって、お母さんが今日は外出に連れて行ってくれた。生まれてから狭いマンションの部屋しか知らなかったから横浜の町は初めての景色ばかりでビックリ。お母さんと一緒に日本人のおばさん(おばあさんって呼んじゃいけないんだって)に会ったよ。いつも僕の世話をしてくれるお母さんがおばさんとしゃぶしゃぶをたべている時は、おかあさんの為におとなしく寝ていたんだ。お母さんの息抜きだからね。お利口にしていたら、レストランのお姉さんが「お子様にはキャラメルを差し上げています」ってキャラメル一箱くれたよ。おばさんが思わず噴出して。お母さんはそれをバッグに入れていた。デパートへ行ってエレベーターに乗った時、「まあなんときれいな子、目が大きくて」と知らない人が言ったので、ぼく、もっと大きく目を開けたんだ。きっと目が大きいのはいいことなんだ。でも本当は日本語分からない。お父さんは僕に英語で話しかけるし。お母さんは中国語だから。もうすぐお父さんが仕事でサウジアラビアへ行っちゃうんだ、そうしたらお母さんと中国へ行くことになっているけど、僕はまだ小さすぎるから飛行機が心配なんだって。だから夏ごろになってから中国に行くことにしたんだ。本当はお父さんとお母さんとサウジアラビアに行たらいいな。日本で生まれた子が中国に行き、中国で生まれた子がアメリカに行き、アメリカで生まれた子がサウジアラビアに行く。そうやって僕達子供達が世界をかき回して未来の地球をひとつにするんだ。おばさんが海流みたいだねって言った。
April 25, 2009
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昨日は日本語ボランティアの日今の子供クラスにはアメリカ人の小さい子ばかりなので教えるのに何とか飽きさせない工夫が必要で、以前より授業の準備が大変だ。絵ビンゴを作っている途中でふと思いついた方法を試してみた。絵はワードで作成、15分。私の担当は6歳~9歳までの7人。動体視力と記憶力とを使ったゲーム感覚の数の覚え方。まず、一枚目。ものの名前は先日覚えた。「かえる」以前一匹、二匹の数え方も覚えた。ゆっくりみんなの前を動かしながら絵を見せそして隠す。「ぜんぶでなんびきですか?」「ごひき」簡単に当てられた。数え方は「ひき」なので間違わない。一つ二つのときはほとんど「ごっつ」と間違える。それはそれで直したくないほど可愛いが・・。次はいちご少し早く隠す「はちこ」「なな」・・・「ななこ」とはいわない。難しいから。乗ってきたようだ。鉛筆「ほん」の数え方も教えてあるけど使えるかな?「はちほん」「なな」今日はなかなか飽きないで必死で絵を見ようとしている。このゲームいけるかも。ジャガイモ調子に乗ったところでちょっとひねる。マンネリは飽きるからね。「よんこ」案の定引っかかってくれた。その中で一番日本語が出来ないジャズミンが「はち!」と叫ぶ。正解!ジャガイモは二つずつ重なっていた。日本語の能力と関係ないから、後から参加の子でもこのゲーム楽しめそうだ。先週はついて来られなくてすねちゃったジャズミンだったが今日は楽しそう。「子供は何人?」「ろくにん」エドワード、写真の数に囚われたね。残念。次、「子供は何人?」「子供だよ!」「きゅうにん」はい、ジニーとマデリン正解。「お父さん」と「お母さん」は大人だからね。ちなみに大人クラスの授業の後でちょっと試してみたが正解率は子供とあまり変わらなかった。引っかかるところは子供と同じに引っかかる。むしろ子供の見る能力と覚える能力の方がよかったよな気がした。たなぼたで出来たゲーム。
April 23, 2009
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毎水曜日の日本語教室、大人クラスの前に子供クラスがある。学期によって習いに来る子たちもいろいろ。以前は親に連れられて日本に来たけれど、日本語が話せなくて日本の小学校や中学校の授業に付いていけない子達がたくさん来ていた。その子達が早く学校に行かれるように、日本人と同じ試験問題で挑む受験にパスするように、日本語を時には英語や数学を教えていた。今、子供クラスは小学校低学年のアメリカ人の子達が大勢来ている。したがって教え方も以前の教科書を使っての授業はあまり通用しない。彼らの生活言語はあくまでも英語、日本語は勉強では無く、コミュニケーションが取れるための趣味みたいなもの。そこで、授業は書くことよりも話すことに、机で勉強することよりも遊びながら楽しく覚えることになる。季節に合わせて日本の文化を取り入れた遊びや、日本の歌でのゲームなど・・。フルーツバスケットは人気のゲームだ。要は椅子とりゲーム。フルーツの名前、色の名前、動物の名前を覚えながらする。子供って面白い。2人で交代しながら同じ椅子ばかり動いている慎重な子。鬼がやりたくて皆が「座れる椅子が空いてるよ」と教えても真ん中で鬼をやりたがる子。さて、今週はこどもの日にちなんで新聞紙で兜つくり。そしてまたフルーツバスケット。
April 20, 2009
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僕はオーウェン。お父さんは中国語と日本語がぺらぺらのオーストラリア人。お母さんは英語が少し話せるけれど日本語がまだまだ心配な中国人。僕は生まれて2ヶ月。まだ首が据わっていないんだ。お父さんはもうすぐ仕事でサウジアラビアへ行っちゃうんだ。3年は日本に帰れないんだって。僕はもうすぐお母さんと一度中国に帰る。僕にはたった2人だけど、友達はいるよ。美人の韓国人のお姉さん(おばさんと呼んじゃあいけないんだって)それから、日本人のおばさん(おばあさんて呼んじゃあいけないんだって)おっぱいいっぱい飲んで、ちょっとはにかみ笑いして、すぐ寝て、なーんにも心配ないような顔しているけれど、本当はとっても心配なんだ。ほんと前途多難だよ。サウジアラビアって国でお父さんとお母さんと暮らしている夢を時々見るよ。おばあさん(おっと)じゃなくておばさんが、ドーナツ枕をプレゼントしてくれたよ。僕の頭少しゆがんじゃってるからね。
April 3, 2009
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結婚式披露宴を終えた娘達はまたウエディングドレスに着替えて披露宴に出なかった友人達との二次会パーティへ。式後3日間忙しい私のために母は妹の家に滞在することになってタクシーでホテルを出た。夜のクルーズには3時間ほど時間がある。Angelはお父さんを連れて横浜観光へ。EmilyとYvonneはお土産を買いにランドマークタワーへ。次女と夫と私はスターバックスでコーヒーを飲んで小休止。やっとゆっくりできる時間が来たがまだまだ夢の中を歩いているような時間。披露宴でまたもや飲めなかった最後のコーヒー。スターバックスの安いコーヒーもまたおいしい。そこへクルーズの会社から電話が・・。「本日は風で船がぷかり桟橋に寄航できません。山下公園まで来て乗船してください」「えええーー」ホテルからすぐそばのぷかりさん橋に船は来ない。6時に集合場所のホテルのロビーにEmilyとYvonneは来た。夫と次女と彼女達は先にタクシーで山下公園に出発した。6時半Angelとお父さんがタクシーで帰って来た。さあ、急いで山下公園に!タクシーの中で「何処に観光に行きましたか?」「山下公園に行きました」!!!!!Angel とお父さんに今からの行き先を告げるのが忍びなくなった一瞬。そして横浜の夜景を見ながら船での2時間のディナータイムが始まった。
March 28, 2009
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ながーい、21日はまだ続く。披露宴はこれから。着席するとサービスプレートにメッセージが乗っている。そっとあけると私の文には一緒にウェディングドレス選んでくれて有難う、お母さんとセンスが一緒でよかったと書いてあった。当然でしょう。私がそのセンス仕込んだんだから。なんて独り言。人のもみたくなるのが人間の心理。そこで同じテーブルに座っている娘の幼馴染に見せてと言ったらあっさり拒否された。仕方がないから夫のを見た。新郎新婦入場。プロフィールの紹介、主賓挨拶、乾杯。母のシャンパンを持つ手が揺れている。すかさず母を挟んだ次女と姪が母を介添えした。今日の母当番。おおせつかったお役目。さっきからせっせと母をトイレなどに連れて見守っている。闘病中の母だが孫の結婚式に出られて本当に良かった。食前酒と一口アミューズが運ばれて来た。オードブルを食べていると、私のお守り役の(いえ、担当者)女性が「ご案内しますからセーフティボックスにご祝儀を入れに行きましょう」と誘導。さっきから足元に置いておいたご祝儀の束とお金が気になっていたのだ。あちらのお母様とともにホテルのフロントに行って帰って来るともう次のオードブルが運ばれていて、夫はすでに完食。ノルウェー産サーモンのカルパッチョ急いで食べなきゃと思っている間に皆のお皿にはポタージュが・・。仕方がないので未練を残しながらフォークとナイフを揃えた。全部食べたかったな。ブロガーの宿命で料理の乗ったお皿を見るとつい写真を撮りたくなるが今日はさすがに控えなきゃ。残念。ウェディングケーキ入刀。一番後ろの席じゃ娘の顔が見えないよと言うことで誰もこちらを見ちゃいないと、椅子から立って娘のうれしそうな姿見ていた花嫁の母であった。花嫁の父はと言うと、私が落としたと言ったハンドバックホルダーを探してみんなの視線がない今がチャンスとばかり一生懸命テーブルの下を覗き込んで探していた。娘達はお色直しに退席。お決まりの写真上映や祝電披露が有って、オマールえびと帆立貝のポワレが運ばれてきた。今までの経過から料理は急いで食べないといけないと悟った。花嫁の母だからね。完食!おいしかった。ふと新郎側の親戚テーブルを見ると空っぽ。そうか挨拶に回らなきゃ。主賓から挨拶に回る。高校・大学の友人はすべて面識があるが会社の友人達は昨夜席次表で覚えたのに名前が出てこない。一度席に戻ってカンニングペーパーを見て再度出発。もちろん席に名前はあるけど見ていられないのよね。戻ると夫はすでに戻って次の牛ロースを食べている。先に出たシャンパーニュのシャーベットはグラスの中でとけかかっていた。急いで食べようとするとみんながそれアルコールが入っているよ。お酒に弱い私はすっと手を引っ込めましたとも。花嫁の母だからね。残念。新郎側を見ると我が陣営の来賓達にビールを注いで回っている。フランス料理だからこれだけはあまりしたくなかったけど、しょうがない。「いいんじゃないの?」と言う夫をせきたて、担当者に「ビールを!」と言うと、「私が付いてまわります」と6本セットのラックを持った担当者が・・。そういう人がいるということはしきたりなんだろうな。相手陣営に遠征しましたとも。自分を貫けない花嫁の母であった。さっきの牛ロースは?もちろん完食してからであったが・・・。戻るとテーブルにはアイスクリームやコンポートの盛り合わせのお皿が・・。溶けないうちにアイスクリームだけでも・・。そしてお色直しが終わった新郎新婦が再入場。新郎のお母さんが描いてくれた友禅の着物を来てまたまたうれしそうな娘であった。歌やピアノ、電報披露の後、いよいよサプライズで私が彼らに頼んでアメリカとドイツの友人達からのメッセージを送ってもらったものをドイツから駆けつけたコウちゃんに読み上げてもらった。英文の中にドイツ語が入っているから。母からのささやかなプレゼント届いたかな。と、気にしているうちに両親に花束贈呈になってしまい、またまたウェディングケーキは逃してしまった。泣くから手紙は読んでくれるなと言う夫の願いで、花嫁と花婿両方のお礼の挨拶になった。大丈夫充分感謝の気持ちは伝わったよ。最後に金屏風の前でお客様にお礼の挨拶。日本の結婚式に出られてうれしかったとYvonneやブリッタが喜んでくれた。そして、私のお守り役に預けておいたスピーチのお礼を受取、袂から出し「袖の下です」とそっと渡す。大学時代落研で鳴らした主賓に!終わった!特別なこともなく奇も衒らわないシンプルな式であったが良かった。着替えをしながらお腹を見ると帯とともにたたまれた脂肪の跡が皺となって残っていた。無理を強いた私のお腹ごめん。そしてもう一つごめん。落としたと夫に言ったハンドバックホルダー、ハンドバックの中にあったわ!披露宴は終わったが21日はまだ終わらず、夜の横浜港クルーズへ!
March 27, 2009
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21日はまだ続く結婚式が済んで外国人の牧師さんに挨拶をしてチャペルを出た後は海の見えるテラスでフラワーシャワーの洗礼、そして二つの鐘を鳴らした。参列者みんなが二つの鐘は同じ音がするものと思っていたので新郎の鐘が低い音で、新婦の鐘が高い音だったことでみんな爆笑。きっと笑顔のいい写真が撮れた事だろう。鐘の後は導かれるままに親族写真撮影所へ。さっき美容室から出てきた時髪を揚げた姿を皆に、「野村サチヨか和泉節子みたい」と言われへたれているから写真は怖い。突然参列者の子供が泣き出した。撮影者がピコピコ鳴るおもちゃを掲げたから全員そちらに気をとられている間に撮影終了。全員カメラの視線は中心から逸れていることだろう。そしてエレベーターでまたまた控え室へ。そこで違うエレベーターから降りてきたAngelと彼女のお父さんに会った、と言うことは彼女は結婚式に遅れたな。そういえば後で聞いたところによると、娘と夫がチャペルのドアのところで入場を待っているとき、何人かの友人がばたばたと遅れて来たから蹴飛ばしておいたそうだ。控え室ではノンアルコールの飲み物をセレクトした。新婦の母親だからね。そして、新郎側の親族席にちゃっかり座って情報集めをしているであろう、娘の小学校の恩師を拉致して我がテーブルへ。披露宴では「知らない人の間では気疲れするから」との希望で彼女の席は親族席に混ぜたが、いえいえあなたは何処でも大丈夫、何処でも溶け込める。披露宴会場にはだらだらと入場。お役目が終わった夫が「え? 入り口でいらっしゃいませって挨拶するんじゃないの?」うーんどうかな?ウン十年前の自分の結婚式忘れちゃった。そんなのあったかな。着席すると同時に夫と私の脇で「本日のお2人のお守り役です。よろしく」と係りがささやいてきた。いえいえ、ちゃんと「担当者です」と言ったけどそう聞こえちゃったのよ。新郎とともに娘がうれしそうな顔で入場して来た。昨夜、着席表と出席者名簿、披露宴のタイムテーブルを暗記したけど、覚えているかな。さて、これからがお仕事。花嫁の母だからね。頂いて来た会場のテーブルに有った花を短くアレンジしてみた。↑あれ!上の鐘突きの写真、Angelから送られてきたものだ。では、彼女は式に遅刻してはいなかった?
March 26, 2009
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20日取り合えず娘の結婚式に出席する海外からのお客様は無事着いた。ドイツからのお客さんも無事到着していることを願って!そしていよいよ21日結婚式のながーい一日の始まり!朝7時みなで食堂(なだ万)に集合して朝食を食べた。新郎方の親戚もたまたま同じレストランのようだ。でも、相手のお母さんがいない!洋食レストランに行ったのかな?もし~かして、親は忙しいから食べてなんていない?急に罪悪感に苛まれ始めた。そうだよねこれから着付けだもの、帯が締まったら苦しいよね。でも、帯を締めたら今度はいつ食べられるか分からないものね、と心の中で言い訳しつつそれでも食べる花嫁の母。7時30分、美容室に駆け込んだ。どうして花嫁より準備が早いの?「私はドレスだもの」と娘が答えた。髪を結ってもらい、着物を着せてもらう。ダイエットに失敗しているからな。昔仲人した時、某有名ホテルの着付けさんに、「この帯短いですね」と言われたトラウマが頭に浮かぶ。あの遠回しな丁寧な言い方がまた再びの恐怖になって襲いかかった。しかし何も言われず、帯に関しては。「腰紐コメに結んでもいいですか」とは言われたが・・。ちょうちょ結びには足りなかったのね。今頃は部屋に置いてきた母を妹がピックアップしていることだろう。ホテルのロビーでうろうろしていると参列者の何人かにあった。ここから挨拶・接待開始。花嫁の母だもの。夫と合流し親族控え室へ行くも誰も居らず、だだっ広い控え室で待つも誰も来ず、横の宴会場を覗く。準備万端綺麗に飾り付けられた宴会場が主役とお客を待っていた。これはパーティスタイルの写真。会場はここ、披露宴スタイルは白いカバーで覆われて。そうこうしている間に親族がそして花嫁と花婿が入って来た。そこで突然母が感極まって泣き出した。手には例の父の写真が・・。この先どうなることか・・。落ち着かせるためにひとまず新郎新婦と母と父(写真)の記念撮影をする。飲み物は桜茶。 写真など撮っている暇はなかった。花嫁の母だもの。これは我が家で撮った写真。そして1Fの海の見えるチャペルに移動。外に取り残された夫と花嫁を置いて着席。何処にみんないたのと思うぐらいたくさんの参列者が座った。一番前の席に私と次女。「どうしよう、泣けそう」と次女が言う。ドアが開き、夫と娘が入ってくる。何か歩きがぎこちないような?泣いてこそいないがいつも自信に満ち溢れている夫がなんだか今日はしょんぼり小さく見える。娘のヒールたけ10センチのハイヒールのせい?バージンロードを歩いて祭壇の前で手袋をした娘の手を新郎にいやいや渡した・・・様に見えた。そして次女より先に感極まって涙ぐむ花嫁の母であった。それにしてもなんとうれしそうにしている娘であったことか。賛美歌までうれしそうに歌っていた。そしてまだまだ花嫁の母の長い一日は続く。
March 25, 2009
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風のように過ぎ去ったのはこの4日間と時間。さてさて忙しい時間であった。20日からその時間は始まった。明日(21日)を娘の結婚式に控えたこの日。昼頃若い友人が訪ねてきた。娘への結婚のお祝いを携えて。友人を見送るとすぐ頼んでおいた夫がいつも利用する知り合いのタクシーが迎えに来た。電車に乗れない母のためにこれで横浜のホテルに行き明日の結婚式のために前泊したのである。一時はとても結婚式に出られないと思った母の病状も少し落ち着いていて一安心。小一時間ほどで海の見えるホテルに到着。桜の花が出迎えてくれた。東京のアパートから来た娘達が合流。部屋は海側。娘の希望でみんなの写真を持って行った。残念ながら昨年11月に亡くなって楽しみにしていた式に出られなかった私の父、人生の最後を私達の家族と過ごした夫の両親。そして娘たちの成長の中にいつも一緒にいた愛犬Carol。みんな一緒に娘の門出を祝おう!なんて写真を撮りあっている時間もあまりなく、夫と下の娘は前日も何かと準備に忙しい娘のために成田に娘の友人達を迎えに。そして私は娘が美容室に出かけた隙にコーディエーターの元に行く。家族ぐるみで付き合っているドイツやアメリカの友人達から私の元に来たメッセージを披露宴のときサプライズで読んでもらうために。そろそろ夕食の時間。ホテルを出てみなとみらい、ランドマークにあるイタリアンレストランで夕食。電車でパンでもかじってる次女とお父さん、ごめん!ダブルブッキングのため上海からの飛行機が早くなって新宿で買い物をしていた娘の友人Emilyから連絡があったので、駅まで迎えに行き一緒に食事をする。1年3ヶ月ぶりの再会。彼女は日本留学経験があるので日本語で会話できる。ラッキー。再び彼女のためにチェックイン。彼女は双子。もう一方はイギリスで勉強しているので、今回は台湾経由でほかの友人たちと一緒の飛行機で夜到着。二人揃ってしまう前に間違わないように今回の特徴をチェックしておかなければ・・・。Emilyは今流行のパーマを掛けて来た。ウン、これで判断しよう。ところが話していると数日前、Yvonneも同じパーマをかけたと言うではないか。なんと紛らわしい。上海とイギリス、ずっと会ってないのに何で?双子とはそういうものなのかな。しょうがない英語で話しかけて日本語で返って来たらEmily 英語ならYvonne?それほど2人はそっくりだ。夜10時近く、夫と次女、Yvonne、Angelとそのお父さんがホテルに到着。長旅お疲れ様、そして遠いところ娘の結婚式に来てくれて有難う。明日の朝食での再会を約束して解散。さてさて明日は朝早くから準備が始まる。花嫁の母だからね。
March 24, 2009
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ブータンから便りが届いた。新国王の写真がついたカレンダー、日本語教室の生徒に習字を教えている写真、小さな人形。青年海外協力隊で日本語を教えている麻美ちゃん。様々な困難を乗り越えて一生懸命日本語を教えている。手紙からは努力と本来の快活さですっかりかの地に溶け込んでいる様子が伝わってくる。ゾンカ語も話せるようになったらしい。最初のうちこそなれない辛い料理でお腹を壊していたようだが、この頃は平気みたいだ。年齢を問わずたくさんの友達も作ったらしい。友達の家でご馳走になることも多々有るようでブータン人は彼女が言うように本当に親切らしい。そして物欲が無いんだそうだ。彼女の友人の叔父さんはお金持ちなのにそのお金をみんなふるさとの村に寄付してしまうらしい。「人間はみんな生まれてきたときには何も持っていない、死ぬときも何も持たずに逝くんだ。死ぬときに一切必要の無いものを買うお金があったら貧しい人にあげればいいじゃないか」と言うんだそうだ。これは麻美ちゃんのブログに書いてあった。さすが幸せ度ナンバーワンの国。私が大乗仏教とか小乗仏教とか質問するのでいつも仏教関係の絵を送ってくれる。それにしてもこの仏様のカラフルなこと。
March 19, 2009
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今日はにほんごの日、何人子供が来るかな?2週間前の授業日は雨が降っていた。そしてチェシーは妖精になった。あまりに可愛いので写真を撮らせてもらったら、チェシーママが「傘の中も可愛いよ」と言うので・・。もちろん前から撮ったのが一番可愛かったけれど・・。
March 18, 2009
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日本の中部地方で農業体験のために何ヶ月間か暮らしている次女のドイツ人の友人がいる。週末東京にいる娘に会いに来た。金曜日有楽町でご飯を食べて娘の狭いアパートに泊まった。そして土曜日は我が家に泊まる予定になっていたが「家に帰る前に、お父さんとお母さんが横浜に出てきて一緒に中華街でお昼ご飯食べない?」と言う電話でのこのこ出かけた。2年ぶりの再会。会うなり抱きついてきた。実は前回の滞在中、娘が卒業実験の真っ最中でなかなか相手が出来ず私が東京や鎌倉を案内してまわった。京都も一緒に行った仲なので気心も知れている。英語で挨拶を済ませさて話し始めると、な、なんと日本語でかなり話してくる。前回はすべて英語での会話だったのに、今回は時々分からなくなると英語でまくし立てるが、かなりの部分がんばって日本語を話す。何処で習ったのか聞くとドイツで少し習って後は自分で本を買って勉強を続けているのだそうだ。間違うことを恐れずに日本語を使い、使い方に不安があると「ちがう?」と聞いてくるから、こちらもついつい普段の教室みたいにいろいろ訂正してしまう。どんどん吸収する。20歳。若いってすごいな。今日本で一番好きな日本食は卵かけご飯と納豆だそうだ。前回大阪のホテルでの朝食バイキングの時、娘が納豆ご飯を食べているのを見て、すぐさまご飯をよそって納豆を持って来たのを思い出した。土曜日の朝食も娘の家で納豆卵掛けご飯をリクエストしたそうだ。そのチャレンジ精神と国際感覚(彼女から見れば日本は外国)に敬服。ついでにみんなで近くの露天風呂付温泉へ。何のためらいも無く服を脱ぎさっさと洗い場に行く彼女はもうほとんど日本人かも。千葉で暮らし、一年半もたつのに日本語を話せないカイル君のような子もいれば、こんなに早く日本語を話す子もいる。使おうとする努力の違いだろうけど・。2人に共通しているところは決してホームシックにならない所。まったく性格が違うのに・・。そしてもう一つ共通しているところは。日本が大好きで大好きでしょうがないところかな。写真は中華街で、前回の来日で私と飲んだタピオカミルクをと言う注文で。私は忘れていたけど彼女は覚えていた。お土産にもらった彼女が作ったというドイツ菓子。そして世界に誇る日本のプリクラ?娘と撮ったらしい。やっぱり女の子だ。
March 16, 2009
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韓国人のゼリンさんと一緒に中国人のアンナさんの家に赤ちゃんを見に行った。生まれてから1ヵ月近くになる赤ちゃんはとても元気でかわいらしい。忙しいお母さんに迷惑を掛けてはいけないと、お弁当を買って行って3人でマンションの狭い部屋で食べた。ゼリンさんはとても勉強熱心な人で、私のプライベートレッスンの生徒でいた間に日本語検定1級まで取って今は日本語教授法の勉強に通っている。そして何にでも疑問がふつふつとわくらしい。「アンナさんのだんなさんは先生のだんなさんの部下なのにどうしてもてなしをしないのですか?」うーん、それは私が何もしなくていいよ。持って行くからと言ったから。→そうか韓国ではそういう忙しい時でももてなしをするんだ、日本も同じかな?本音と建て前?「韓国では電車ではお年寄りに席を譲りますが、日本に来てから席を譲っても、『大丈夫ですと言って』座ってくれないときがあって、譲るのに迷ったり、勇気が要ったりするからこの頃は譲らないことにした」→そうか、先日電車にも書いてあったよね。「譲られたら親切に感謝して座りましょう」「譲ろうかどうか迷っているうちに降りてしまいますよ」と。みんながそう思っているのに実行できない社会は良くないよね。「先生『隙を凝らす』と言う諺が韓国には有りますが日本でも使いますか?狭いけれどこぎれいの意味です」うーん、「隙をうかがうとか」「隙を突く」は有るけど・・。「数寄を凝らす」も有るんだけど、意味が違うな。でも考えてみればそんな言葉あってもおかしくないような。隙間家具があるんだから・・・。私が知らないだけだろうか。そんなこんなで電車の中もあっという間の時間であった。
February 25, 2009
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結婚式の予行演習に行って来た。本当は娘と夫と娘の婚約者だけが行けばいいのだが、「ホテルでご飯一緒に食べない?」という甘い言葉に乗せられてついて行った。模擬式場には15組ほどのカップルと何人かの親が。外国人の牧師さんの説明のあと「やってみたい人?」ということで、2組目に我がチームの3人が練習する。まあ、それは普通に終了。その後、花嫁の父親が来ていないカップルの練習に何故かついてきたうちの娘の婚約者のお父さんが指名される。代役として。男2人の父親だから一生巡ってこない役回り。うれしそうに参加していた。「やってみたかったんだ」そうしたら我が夫がつぶやいた。「上手だから本番で代わってもらいたいよ」それはあなたにしか出来ない役目。本番では泣いてもいいからね。先週イアンとアンナさんについに赤ちゃんが生まれた。そこで病院にお見舞いに行った。アンナさんが抱いている赤ちゃんをほいと渡される。緊張しながら抱いていたが、一向に引き取ろうとはしない。そのうち、赤ちゃん抱きすぎてアンナさんが首が痛くなった話を始めた。益々返せないで抱き続けた。夫とイアンが売店に湿布薬を買いに行っている間も抱き続ける。結局1時間抱き続けて腰が痛くなった。今度は赤ちゃんお風呂に入れるのをやってみたい!
February 7, 2009
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30日の夜来客が有った。長女の韓国人の友人が韓国からそのまた友人と2人で日本に遊びに来たのだった。ホテルの予約をしてないというのでお台場の温泉に一緒に行った娘が連れ帰ってきた。挨拶は何とか韓国語で。それからが大変。娘が「お母さんは韓国語を勉強している」とでも言ったのだろう。相手は韓国語で話しかけてくる。家族みんなは試験中の見回りの試験管のような雰囲気で見守っているではないか。むーりむり。書いたり読んだりの勉強だけだから会話なんてとても無理。頭をフル回転で働かせて、思い出しながらのつたない会話。その単語、なんだっけ、知ってるんだけど何だっけ?質問は分かるのになんて答えたら言いか答えるすべを知らないよ~。どの言葉のカード使うのか忘れちゃったよ。深みに入らないうちに夕食の支度をするふりをして何気なく会話から抜け出す。ご飯の支度をしながらふと娘達の会話を聞いていると、なんと娘は友人とドイツ語で会話しているでは無いか。彼女とはドイツ留学中に出会ったそうだ。そしてその友人がもう1人の友人に韓国語で通訳している。なるほど、我が夫と下の娘の出る幕は無いはずだ。普段饒舌な2人が静だと思った。2人ともその夜は英語が使えないので蚊帳の外。そのおかげで大して話していないのに、私の韓国語に対する評価があがったようだ。月謝が無駄だからやめろと言われなくて良かったとほっと胸をなでおろす。しかしやはり韓国語で意思疎通はきつい。ついに「英語は話せますか?」とやってしまった。そこは若い韓国人。きちんと英語を勉強している。それからは英語で夜遅くまで韓国旅行のこと、日本旅行のことを語り合った。翌朝は夫も下の娘も自分の土俵(英語)で会話している。何語でもいいさ、大切なのは仲良くなること、楽しく過ごすこと。自分の伝えたいことを伝えられること。言葉はそんなに大切じゃない。朝食後娘達と友人達は富士山と海が見えるところまで散歩に行った。とは言うものの、新しい年はもう少し韓国語会話勉強しようと決意した一日であった。
January 1, 2009
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昨夜はオーストラリア人のイアンと中国人のアンナさんの結婚パーティをした。アンナさんが日本に来て1年と半年、赤ちゃんが出来たと聞いたときからイアンに赤ちゃんのためにもアンナさんのためにもきちんと結婚するべきだと説き続けた。イアンにもその意志は充分みられるのに彼女にプロポーズをしない。そのため彼女は正式に結婚してもらえるのか不安で中国のお父さんに赤ちゃんが出来たことを今まで伝えられないで来た。中国の文化から見れば男と一緒に生活して娘が結婚しないのは父としてすごく不安なことなのだ。それが分かるから私はイアンの優柔不断さが理解できないでいた。先週イアンのお父さんがオーストラリアから来日して一気に進展。我が夫とオーストラリアから来日したイアンの父さんが証人になってやっと結婚届を出した。そして夫がセットした小さな結婚パーティ。私達夫婦、次女、アンナさん、イアン、そしてアンナさんの日本における唯一の友人である韓国人のゼリンさんの小さなパーティ。イアンのリクエストで夫がよく利用する北海道料理屋において。事前にイアンには指輪を持ってくるようにメールしたけれど、今までの事があるからもし彼が照れて持ってこなかったら、形だけでもと思って200円のおもちゃの指輪を持参した。彼は用意していた。昨夜のうれしい食事。 このコースの順序は面白い サロマ湖の牡蠣雑炊 そして私が用意したウェディングケーキカット小さな小さなケーキだけれど、2人の門出に。そして若い2人は幸せいっぱい帰って行った。見守った私達の帰りの電車の中、ゼリンさんをふと見ると、もしもイアンが指輪を持ってこなくて座がしらけたらと用意した200円のおもちゃの指輪をちゃっかりはめていた。自分の真珠の指輪の横に。そういう飾らないとこ好きだよ。
December 28, 2008
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ブログの更新が出来ない。何をしているかというと、市と国際交流協会の主催するイベントの準備に忙しくてPCには向かっているがブログは更新できないないでいた。その間、韓国人のゼリンさんに会った。日本語がますます上手になってなんと日本語教授法の勉強に通っていると。指導者の資格を取るんだそうだ・・・。「先生、話したいことが山ほどたまっていました」と会うなり話始めた。がんばっているなあ。中国人のアンナさん。オーストラリアの彼との間に赤ちゃんが出来て二人で遊びに来た。赤ちゃんの服やら何を買っていいやら分からないからというので忙しい彼に代わって私が今度一緒に買いに行くことにした。うん十年も前だからもう赤ちゃんの育て方なんて忘れちゃったけどおばあちゃんになったつもりで手伝うかな。大きなおなかを抱えて日本語の学校にも通っている。小学生のアイビー今月は日光に修学旅行だと社会の宿題を手伝った。将軍の名前だとか世界遺産だとか先生も一緒に頭ひねったよ。雨が降らないといいね。ブータンでJICAの日本語教師している麻美ちゃん。好奇心旺盛すぎて定期的におなかを壊している。それでもあっけらかんと生徒たちと楽しくやっているみたいで頼もしい。こちらは英語で日本語を教えるという難しいことやってるけど、ブータン語も上手になったかな。みんなそれぞれの居場所でがんばっている。忙しいなんていってられないね。
September 30, 2008
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まだまだ暑いこの頃。夏休みももう少しで終わる。2人の女の子と鎌倉に行った。この暑いのにと皆に言われながら・・。「暑いね!早く日が翳らないかな。」長谷寺で!「こんなに暑いのに良くみんな来るね。私のお腹の中に20円で入れるけど、中はどんなに暑いか知らないな」高徳院で!「寝ている時は触らないでね」韓国語、中国語、英語と日本語で!バイリンガルネコ。「こう暑くっちゃ寝るしかないよ」小町通りで!「暑くて泳ぐのも疲れたよ僕は見えにくいでしょうが、蓮の葉の上で休憩中だよ。ど~こだ」八幡宮、源平池で!長谷寺にはたくさんの願い事を書いた絵馬が・・。アラビア語、英語、ロシア語、日本語、中国語、韓国語・・・。タガログ語で書くのかと思ったら「I wish・・・」の絵馬のあまりの多さに2人もつい釣られて英語で書いていたようだ。「シークレット」だそうだから見なかったが・・・。まだ日本語で書く勇気は無いかな。二人が何を願ったかだいたい先生は分かるよ。2人の願いはそれほど切実。日本で生きていく妹とフィリピンに帰ることを選ばざるをえなかった姉と・・。
August 21, 2008
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