なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

Halloween・Cat 前編



 それはハロウィンの夜に訪れた悲劇だった。俺は大規模なプレゼンテイションに臨むべく異国の地に赴き、本社に程近いコンドミニアムに滞在していた。ビジネス街からすぐの場所にあるというのに、大きな森林公園が隣接しているこの宿は、まるで別世界を思わせる景色に包まれていて、十分に俺を楽しませてくれた。

 本番のプレゼンは翌日だ。書類も資料もすべて整っている。俺は日本から持ってきた器具を使ってじっくりと濃いコーヒーを淹れて、仲間と成功を誓い合った楽しい酒の酔いを醒まそうとしていた。
美しい満月が暗い森の上に佇んでいる。そんな月を眺めながら深いコクを楽しんでいると、俺の部屋のドアが小さくノックされた。

 突然やってきた見覚えのない死神は、小さな身体からは想像もできないほどの低く厳かな声で「トリック、オア、トリート」と告げたのだ。

「そうか、今夜はハロウィンだったか。」

だが仕事で出向いた異国でのことだ。ハロウィンのお菓子など用意しているはずもない。俺は仕方なくミントの入った小さなケースを手渡した。だが口臭予防のミントなど子どもの口に合うはずがなく、小さな死神は手にしていた大鎌を振り上げた。

「何をするんだ! あぶないじゃないか!」

 反射的に身体を庇おうと腕を翳したが、なんの手応えもない。緊張したままそっと腕を下ろした時、すでに小さな死神の姿はなかった。部屋の扉が開ききったままで、森からあふれ出る冷たい夜風が入り込んで来るばかりだった。忽然と消えた、そんな感じだった。

 その瞬間から、自分の身体の変調に気づくまで、そんなに時間はかからなかった。まず、ドアを閉めようとして、それがいかにも巨大なドアになっていることに驚いた。いままですごしていた部屋とは到底考えられない。奴はいったい何をしたのだ。作り付けのソファが、クローゼットが、自分のスーツケースが、みな巨大になってしまっていたのだ。

 俺は混乱し、それを直前に飲んだアルコールのせいだと思い込むことにして、早々にベッドに向かうことにしたのだ。翌日にはこの仕事のメインイベントである重要な会議が開催される。自分の資料にはさっき目を通しておいたし、あとはきちんと睡眠をとることだろう。俺は自分にそう言い聞かせてベッドにもぐりこんだ。


 翌朝目が覚めると、俺はいつものようにシャワーを浴びようとバスルームに向かった。巨大になってしまった部屋の中は目覚めても変わりなかったが、外に出てしまえばなんという事もないだろうとタカを括っていたのだ。だがそれはままならなかった。蛇口をひねる事すら、俺にはできなかったのだから。

 蛇口の届く所まで行くと、そっと手を伸ばす。銀色によく磨かれた蛇口の取手に手を掛けるが回らない。いや、回せないのだ。
なんだかいつもと違う。指が動かないのだ。ゴムのような丸いものがはりついている。蛇口に手を乗せると、自然に爪が置くからにゅっと伸びる。

爪が、だ!

 俺は驚いて自分の手の平を観察した。丸い肉球にするどい爪。
なんなんだこれは!
俺はしばらくその丸い肉球を眺めていたが、無性に顔を洗いたい衝動に駆られ、無意識に耳から額、まぶたへと円を書くようにその肉球でマッサージした。それが事のほか心地いい。自然にノドがゴロゴロなった。

 ノドがゴロゴロだって? 

俺はすぐさま洗面台の鏡のまえに飛び移った。そして自分の今現在の姿を目の当たりにすることになったのだ。グレイがかった縞模様のはいったごく普通の猫がそこにはいた。
しばらくは自分のような気がせず、ぼんやりと眺めた。しかし、すぐにゆっくりとしっぽがゆれ始める。参った、ちょっと気を抜くとすぐに猫の習性に負けてしまうらしい。

 これは大変な事だ。ホテルのロビーに連絡して、病院にでも連れて行ってもらおうか、いや、会社にも連絡しなければ。まさか猫のままで会議には出られまい。部屋の電話に跳びついて、受話器を上げボタンを押す。ほどなくフロントが答えてくれた。

「もしもし、にわかに信じてもらえないだろうが、突然身体がおかしくなってしまって……」

 俺は自分に思いつく限りの言葉で説明したが、フロントの声は冷たかった。

「もしもし? 困りますねぇ。ホテル内に猫を連れ込まないで下さい。すぐにそちらに向かいますので、猫を捕まえておいてください。なんなら、ペットホテルを紹介して差し上げます」

 俺はショックを隠せなかった。電話で俺の姿が見えるわけでもないだろうにと。

「どうしてわかったんだ? いや、そんなことはどうだっていい、頼むからどこか病院を紹介してくれ」

 言いながらどこかでさっきからねこが鳴き続いているのに気が付いた。

いや、どこかではない、ここだ。

さっきから聞えていたのは自分の声だったのだ。どうりでフロントがあっさり猫だなんて言ったはずだ。俺はなるほどっと疑問点がとけたことで胸を撫で下ろした。しかし今は感心している場合ではない。フロントの人間が来る前に、なんとかここに部屋を借りている俺、つまり高井忠信がこの猫を隣町にオフィスを構える仕事仲間のサムのところに届けて欲しがっていることを伝えなければならないのだ。

 俺は造り付けのデスクの下に回り込み、引き出しを下からジャンプして押し広げた。幸いにも引き出しは簡単に開き、ペンも昨夜使ったまま置かれていたのを使うことが出来た。
ペンのふたがなかなか開かない。両足の肉球を使い、なんとかふたをもぎとった。今度は文字を書かなければならない。なんとか後足でペンを杖替わりにして立ちあがると、震える文字で送り状と記入した。それから大急ぎで持参していたノートパソコンを開き、サムにメールを送った。

「サム、急な頼みがあるんだ。セントラルホテルから猫と書類の束を送るから、書類は今朝の内に本社のJ.ウイリアムの秘書、マージ―女史に渡してくれないか。それから…」

 猫について記述するのになんだか抵抗があったが、あまり時間がなかった。かすかな躊躇いをのりこえ、続きを打ち込む。肉球はキーボードを打つのに案外適しているのかもしれない。

「それから、猫の方は俺の大切なペットで、君にだけは打ち明けるが、人間の言葉がわかるんだ。彼にはいつもノートパソコンを使えるようにしてやってくれ。それで俺の仕事を仲介してくれることになっている。俺自身がそこに行ければ問題なかったんだが、ちょっとした事故に巻き込まれてしまって動けないんだ。頼む!どうか俺の頼みを聞き入れてほしい」

 サムはいつも陽気な男だ。この本社では警備の仕事を担当している。本社の中には彼らのような仕事をする者をこばかにする奴もいるが、俺は本社に出向く時はいつだって、サムに挨拶をかかさなかった。なにがどうということはなかったが、なにか全てを心得てるというか、器の大きいところが俺を惹き付けた。

 メールを送信し荷物を片付けていると、ホテルの従業員がやってきた。

「失礼いたします… あ、この猫か。ん?送り状?」

 よしっ、どうやら気付いてくれたようだ。俺はやっと気持ちを落ちつけて、その従業員の腕に抱きとめられ、従業員の持ってきたゲージの中に大人しく収まった。


 サムの家は快適だった。猫が来たというのでサムの娘、キャシーには随分猫かわいがりされたが。
幸いにも会議はマージ-女史の采配でうまく事が運んだ。俺の準備しておいたプレゼン用の資料は彼女の聡明な判断でアレンジされ、喝采を浴びたらしい。
 先日、彼女がサムの家に寄った時、その栄光をタディ自身に浴びてほしかったと彼女には珍しく興奮した様子で語って行った。俺を膝に抱いて、頭を撫でながらだ。

俺の失踪について何度か話題にも上がったが、誰もそれを解き明かすことはできなかった。ただ、本社内では、ハロウィンに猫と書類を残して姿をくらました、不思議な東洋人の噂だけがささやかれているようだった。なかには、事故で顔を大やけどしたに違いないなどとまことしやかな噂を流すやつもいたようだ。それでもメールのやりとりが出来ているので、仕事がなくなる事はなかった。日本支社の幹部連中はしばらく問題視していたようだったが、電話や会議に出ない代わり仕事はきちんとこなすヤツとして、今は様子見の状態のようだった。もちろん、それには今回の本社会議の大成功が大きく関わっているからだろう。

 ある夜、サムが自分の部屋にある俺のためのコーナーに歩み寄ってつぶやいた。

「なあ、おまえ。タディはいったいどこにいるんだ? 今までの努力が実って、やっと本社のヤツらもタディを評価しているっていうのに、いま奴が本社に顔を出してくれたら、どんなにかうれしいのに」

 残念そうなサムの表情から、俺の扱いを巡って本社でもいろいろ話題に上っているのがわかった。今のところ、何の通達もないところをみると、マージー女史がうまく取り繕っていてくれるのだろう。だがそれも限界がある。そろそろこちらも動き出さないといけないだろう。俺はノートパソコンを開き、ワードで文章を打ち出した。

「忠信はどうしても顔を出せない事情をかかえてる。でも、メールのやり取りは可能だ。彼になにか提言してもらえるなら、ありがたいよ」
「驚いたなぁ。タディからお前が話せることは聞いていたが、まさか英語がしゃべれるとは知らなかったぜ。じゃあ、1つ頼みがあるんだ。俺はパソコンには弱いんだ。ヤツに元気でいるのかと伝えてくれないか。この平べったいパソコンで送れるんだろう?」
「sure」

 サムはホッとしたように肩の力を抜いた。それを横目で見ながら、おれはノートのoutlookを開いた。肉球でカタカタキーボードを叩くと、サムが興味深げに眺めていた。
 俺は、サムにも分かるように英語を使って俺自身宛てのメールを打ち込んだ。そして、最後に署名として、グレンと記した。送信ボタンを押して振り向くと、サムはひゅーっとかるく口笛を吹いた。

「やるじゃねえか。お前、グレンっていうのか。よろしくな、グレン」
 サムは俺のちいさな右前足を掴んで、握手するようにかるくもてあそんだ。

 サムの家に居候して2週間が経とうとしていた。一時期は人間に戻るすべはないかと随分いろいろ調べてみたが、こんな突拍子もないことに巻き込まれた人間なんて、そうはいない。これといった資料も見つからないまま時間だけが過ぎていった。
それに、もう猫の生活にも随分なれた。決まった時間に出社しなくていい分、精神的には随分楽になったのかもしれない。生まれ変われるなら猫になりたいという人がいると聞くが、あながち間違いではないような気がした。
今はただ、いつか人間に戻れると信じて、高井忠信である自分を見失わないようにすることだけが、俺にできることのようだ。

 朝、7時にサムが朝食を摂る頃を見計らって台所に出向き、キャットフードとミルクを頂く。

「うっ、今朝のミルクは暖めすぎだ!」

クリスティーのくれるミルクはいつもながら要注意だな。サムを見送ると、しばらく朝寝を決め込む。この時間にうろつくと、キャシーに見つかってひげをいじられたり、前足を握り締めてダンスを踊らされたりと大変な目に合うのだ。サムのワイフ、クリスティーがキャシーを学校に送りだし仕事に出かけると、家の中は無人になる。それからが俺の自由な時間だ。

 この2週間の間にサムが作ってくれた俺専用の小さな扉を押し上げて、外に抜け出す。この辺りは本社から車で20分ほどの所になるはずだが、信じられないくらいのどかで自然に満ちたところだ。


 サムの家の前を右に曲がって少し歩くとこの街のメインストリートに出くわす。それを再び右に曲がるとすぐに大きな樹木の生い茂った広い公園の敷地がある。
綺麗な落ち葉を踏み越えて、お気に入りのベンチの上に飛び乗ると、そこだけ日溜りになっていてぽかぽかとあたたかさに溢れている。ゆったりと座って見晴らしのいい公園を眺めていると、すぐに睡魔が被いかぶさってくるのだ。 
仕事のメールはいつも午後からしか送られてこないから、午前中はしっかりと睡眠をとるのだ。11月半ばだというのに、今年は随分暖かい日が続いている。猫にとっては最高の気候だ。
 遠くで時計台の鐘の音が聞えて来ると12時だ。まだまだ眠いがそろそろ仕事にかからないといけない。俺はまだ眠りから覚めきっていない身体を起こしてベンチから降り立った。

「よう! 今日もご出勤かい」

 声をかけてきたのは公園の反対側にある手芸屋の猫、チェックだ。ここに来て最初に知り合った猫だが、チンチラの長い毛が優雅に見えるが、奴は人間でいうところの70すぎのじいさんだ。きれいなチェックのリボンが笑いを誘うほど、奴はオヤジくさい性格をしていた。

「今日もチェックのリボンをつけられたようだな」

 俺が水を向けてやると、大層なため息が帰ってきた。

「まったく、ばばぁの趣味にも困ったもんだ。年寄りのワシにリボンなんぞ似合わないのに。人間ってやつは、猫が年をとらないとでも思っているんだろうかのぅ。おまえさんも気を付けな。最初が肝心だからな。うっかりご機嫌とりなんぞしようもんなら、次々余計なものをつけたがるからな」

 俺は、気をつけるよと頷いてチェックにベンチを譲ると、サムの家に引き返した。猫の世界もいろいろあるもんだ。


 サムの家にもどると、クレアが出勤して来たところだった。クレアは50代の温和な女性で、サムの家の家事やキャシーの下校後の世話をしてくれる家政婦だ。そして本当の猫好きでもある。やたらと抱きついたりせず、ちゃんとこちらの意志を見ぬいてくれる。大した女性だ。

「あら、グレン。おかえりなさい。お仕事前に、ミルクはいかが?」

 クレアは時々ドキッとするようなことを言う。俺はにゃあと鳴きながら、クレアの足にまとわりついてみせた。クレアはそれがとても嬉しいのか、満面の笑みでトレイにミルクと崩したビスケットを入れてくれる。
熱いブラックコーヒーをいただきたいところだが、猫にコーヒーを飲ませる家は少ないだろう。人肌に暖められたミルクは俺の好みにぴったりだ。甘い香りが鼻腔をくすぐる。コーヒーを飲むように俺はいつもクレアの入れてくれたホットミルクを香りから楽しむようにしている。これは人間の時からのくせだ。

 ビスケットとミルクをさっさと平らげると、俺はサムの部屋へと戻って行った。案の定、仕事のメールが届いている。会議のために、自分のもっていた重要なデータは全部CDに焼きつけて持って来ていた。お陰で人目さえしのべれば、ちゃんと仕事も出来るというものだ。

 仕事が一段落した頃、変なメールが届いた。内容は空白でタイトルも「HELLO」のみだ。すぐにウイルスチェックが稼動し、幸い大事には至らなかったが、危ない所だ。日本にいた頃からこういった類のメールはあったが、このアドレスはとても特殊なもので、会社関係者以外にはもらしていない。俺はすぐ、送信者を調べてみた。

 見覚えのあるアドレスではなかったが、念の為検索してみた。今までに名刺交換しているか、なにかで交流のある人物ならすぐに割り出せるはずだ。
 やはりあった。J.ウイリアムの部下でK.マクレガーだ。彼は2年ほど前に他社から転職してきた人物で、大柄で目つきの鋭い赤ら顔がいかにも野心家といううわさに似合っていた。まして、先日の会議でのマージ-の活躍に対して出しぬかれたと回りの人間にもらしていたとも聞いていたところだ。何事もおこらなければいいのだが。いやな予感が過った。
俺は早速マージーにウイルス警報を打診したが、やつのことだ、きっと同時にマージーや俺たちの仲間に一気にウイルスをばら撒いているに違いない。

 しばらくして、マージーから返信が届いた。案の定、ウイルスはばら撒かれていたが、ワクチンのおかげでダメージはほとんどないとのことだった。しかし、今度はそのウイルスがマクレガー自身を陥れるために俺がやったのだとマクレガーが言い出したというのだ。本人が現れないのをいいことに、随分やりたい放題やってくれるじゃないか。転職以来、おとなしくウイリアムに従ってきたやつだったが、そろそろ本性を発揮してきたというわけか。俺はパソコンを閉めると、マクレガーが以前働いていたMM社近くまで足を運ぶことにした。


 いつもの公園通りをわたっていると、猛スピードで車が南向きに駆け抜けていった。もうちょっと気づくのが遅かったら巻き込まれていたかもしれない。まったく油断もすきもないものだ。俺はすでに小さくなってタイヤをきしませながら左折していくエメラルドグリーンの車体をにらみつけた。 

 MM社は俺たちが働くS&U社のライバル会社で、いつも商品開発において凌ぎを削っている間柄だ。そんなところからのこのこ転職してくること自体、わが社内では良からぬうわさの元になっていたのだ。マクレガーはウイリアムの親族にうまく取り入って引き抜かれたようなことを言っているらしいが、ここはきちんと調べたほうがよさそうだ。
MM社はうちの本社より5Km遠くなるが、そんなことを言っている場合ではない。ビルとビルの隙間をひた走り、MM社の通りまで出るのに1時間はかかった。日は傾き、そろそろ気の早いOLたちが化粧直しにとりかかる時間だ。

俺はMM社の裏口に回り、業者の出入り口に陣取って様子を伺った。5時を回り商品の入出庫のトラックが一段落したのか、警備の人間ものんびりコーヒーなど飲んでいた。

「お、珍しいなぁ。こんなところに猫が迷い込んできたぞ」

 初老の警備員が俺を見つけて仲間に声をかけていた。

「かまうなよ。野良猫なんぞに住み着かれちゃかなわない」

 どうやらもう一人の方は猫が嫌いらしい。ここはいったん引き上げてMMビルの周りを視察させてもらうとするか。
俺は何食わぬ顔でビルの周りを走りぬけ、正面玄関へとまわった。ビルの陰で様子を見ていると見知った顔がビルを出てきた。

同じ業界にいるとどうしても顔見知りが増えるものだ。厳しい顔つきで出てきた男はマクレガーと同じ部署にいたスタンリーだ。業界全体での見本市などでは必ず顔を合わす好感のもてる人物だ。そのスタンリーが随分悩んでいる様子だった。
俺は静かに彼の後を追ってみた。

「先輩、元気出してくださいよ。しょうがないじゃないですか。マクレガーさんにはマクレガーさんのやり方があるんだし、僕たちには僕たちのやり方があるんですから。それに、この計画はもう2年も前から動き始めてしまってるんですよ。僕たちに止めることは不可能だ。ボスも承知の上でやってるんでしょ? それよりどうです?これから一杯気晴らしに飲みにいきましょうよ」

 後ろからやってきたスタンリーの後輩らしき若者が彼を励ましてながらさっさとタクシーを止めて落ち込むスタンリーを押し込めて自分も飛び乗っていった。

2年前から始まっている計画? 2年前と言えばマクレガーが転職してきた時期と一致する。いったい何をたくらんでいるんだろう。

 俺はスタンリーを追うのをあきらめて、再び警備員室を訪れた。ちょうどさっきの初老の警備員が一人になっているところだった。

「よう、また来たのかい?」

 初老の警備員は明るく声をかけてきた。俺はにゃーと愛想よく返事するとさっさと切り上げてサムの家に帰ることにした。しばらくはここに通うことになりそうだ。



 サムの家に帰ると、家の中はなんだかどんよりと暗くなっていた。家政婦のクレアが困ったような顔つきで俺を出迎えてくれたが、なんとなく様子がおかしい。俺は急いでサムの部屋に向かった。室内は真っ暗だったがサムはベッドに寝転んでいるようだった。


「にゃー」

 サムに声をかけると、サムはがばっとおきだして俺を捕まえるなり早口でまくし立てた。

「グレン、大変なんだ!誰かがタディをウイルスばら撒き犯に仕立て上げようとしているんだ。あれは絶対にマクレガーの仕業に決まってるんだ。前から信用できない奴だと思っていたけど、ウイリアムがいない間にいったい何をしでかす気なんだろう。今日は俺までマクレガーに攻め立てられて、会社のコンピュータのデータを盗もうとしただろうってえらい剣幕でまくし立ててきた。人事部の連中はそんなこと鵜呑みにしているわけじゃないが、事が事だけにしばらく様子を見たいとさ。おかげでしばらくは自宅謹慎だ。冗談じゃないぜ。早くタディにメールで伝えてくれよ。ウイリアムは週末までオーストラリアに出張中だし、マージーはこんなときに限って交通事故に巻き込まれて入院することになっちまうし」

 正直言って、やつの動きの早さには驚いた。いや、なにもかも計画通りなのかもしれない。下手をしたら今頃人事部にも手を回してるかもしれない。マージーは大丈夫なんだろうか。俺はいそいでパソコンを立ち上げた。そしてサムにマージーの事故状況や病院を教えてもらった。
俺はもどかしい気持ちを抑えて俺宛のメールを打ち、そしてサムにマクレガーの行きそうなクラブへ連れて行ってくれと頼み込んだ。

「なんだよ、いきなり。お前さんが探偵にでもなるつもりか?」

 もちろんだよっと、笑って見せたつもりだったが、サムに通じたかどうかは分からなかった。だが、しばらく俺の目を見ていたサムは、よしっと立ち上がった。

「じゃあ、俺がそのパソコンを持っていこう。グレンは俺の上着の内側にでも隠れてろよ」

 サムはすぐに出かける準備し、俺を上着の中に押し込めて夜の街へと車を走らせた。

 MM社の近くの飲み屋をしらみつぶしに探した。夜の匂いが俺の毛並みを湿らせるが、こういうのも悪くないと思った。
 何軒目かのクラブで、マクレガーと2人の男たちが飲んでいるのに出くわすことができた。一人は人事部長のジーン、もう一人はその部下のケインだ。

「どうする?店内に入ってみるか?」

 サムの質問に、俺はパソコンで答えた。

「サムはこのままこの近くで待機していてくれ。僕はほかの客にまぎれてやつらの足元まで行ってみる」

「おい! 大丈夫なのか?」

 後ろでサムの声が聞こえていたが俺はその上着から飛び出していった。

店の前で毛づくろいをして皮の首輪を整えると、客が流れ込んでいるところにまぎれてそそくさと店内に入った。店に入るとこそこそするのはうまくない。ドロボウ猫と思われてはつまみ出されてしまうのだ。俺は堂々とした態度で尻尾をピンと立て、うまくマクレガーの足元まで潜入することに成功した。


「珍しいね。君が私たちを誘ってくるなんて」

 ジーンがマクレガーに水を向けているところだった。

「いえね、僕はご存知のとおり競合相手のMM社から転職してきたわけだし、どうしても変なうわさを立てられてますけど…、そう、誤解を解いておきたかったのです。
僕はこれでもウイリアムさんの強い要請でこの会社に引き抜かれたのですよ。それに社長のお嬢さんとは同じ大学で学んだ仲間なんだ。S&U社に損害を与えるようなことをするわけがない。
それどころか今まで培ってきたノウハウをこの会社でも存分に発揮して盛り立てていこうと思っているんですよ。
ところが、どうもそれをおもしろくないと思う連中がいるようだ。
この前のプレゼンではこちらの情報がどう盗まれたのかしらんが、まるっきり横取りされたんだ。その次はウイルス騒ぎじゃないか。この会社はいったいどういう管理をしているんです。これじゃ安心して仕事が出来ない。週末にはウイリアムさんも帰社されるし、それまでにそういう不穏な動きをきちんと始末しておきたいのです。」

「随分な言い方ですね、マクレガーさん。まるでわが社にスパイでもいるかのような言い方だ」

 ケインがむっとしたように発言した。ジーンはそれを抑えてマクレガーの意図を探ろうとしていた。

「何が言いたいんだ」
「さすが、話が早いですね。もうスパイの目星はついているんです。その連中を会社から遠ざけてほしいのです。もちろんただとは言いません。こちらもそれなりの報酬を考えています」

 マクレガーは口元をにやりとゆがませた。

「報酬だって? われわれは君からそんなものを受け取る覚えはない。スパイがいるかどうか、そしてそれが誰なのか、それは私たちが調べて決断をくだす。君が指図することじゃないだろう」
「ほう、随分強気ですねジーンさん。でも、僕だってなにもなしに言っているわけじゃないんですよ。ジーンさんの奥さんはもう長いこと病院にいらっしゃるそうですね。入院費だってばかにならないでしょう。そんなお金、どうしてらっしゃるんです? ケイン君、君は先週西海岸までドライブに行ったんだってね。随分派手に遊んだようだね。僕の友人にそちらで警官をやってるのがいてね、いろいろ教えてくれたよ。若いからって無茶してはいけないよ。会社に傷がついてしまう。お二人ともよく考えていただいた方がよさそうですね。まぁ、お答えは今度で結構です。では」

 マクレガーはしたり顔で席を立つと、さっさとクラブを後にした。ジーンとケインは蒼白な顔でうなだれた。マクレガーのやつ、ますます侮れない。何もかも手配済みのご様子だ。ここはひとつ、グレン探偵の出動と行かねばなるまい。

私は、他の客の足元にまとわりついてゆったりとした足取りで店を出ると、すぐさまサムの胸元に飛び込んだ。

「今日はとりあえず家に帰ろう。明日は謹慎で出社しないんだろ?悪いけどこれから言うとおりにうまく動いてほしいんだ。マクレガーはとんでもない奴だよ。俺たちで奴の化けの皮をはいでやろうぜ」
「さすがはタディの猫だ。いい乗りしてるぜ、まったく」

 サムはうれしそうにウインクして見せた。

「その前に、ちょっとマージーを見舞いたいんだ。どうも、今回のウイルス騒ぎとマージーの事故がどこかでつながっているような気がしてしょうがない。サムからうまく事故の時の状況を聞きだしてくれないか?」
「いいねぇ。俺もマージーのことは気になってたんだ。今からならギリギリ間に合うだろう。行ってみよう!」





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