日記

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ライブドアVSフジTV


連載<第16回>
最終更新日:05/2/21
ゲームのルール


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ピムコジャパン社長
高野 真 氏



 ライブドアによるニッポン放送株取得は本格的なM&A(企業の合併・買収)が日本でも始まったことを印象付けるに十分なニュースであった。同時にこれは単なる企業間の争いを越えて、現在日本の経済・金融界が抱えている様々な問題点を改めて考え直す好機となるに違いない。

 今回のライブドアによるニッポン放送株式取得に関して各方面から賛否両論が飛び交っているが、全般的にはライブドアに対して批判的な内容が目立つような気がする。その内容は、株式買占め手法の合法性を問うもの、敵対的手法による経営参画というやり方への疑問、果ては堀江氏の服装や口調に対しての意見など実に多種多様である。

投資家としてのライブドア


 筆者はライブドアの経営がどういうものかをよく知らないし、堀江氏との面識もない。その意味でニッポン放送株買収の真意や今後のライブドア経営とのシナジー効果・戦略の妥当性などを効果的に議論する立場にない。ただ逆にそういったことを全く考慮せず、単なる一投資行動として捉えた場合、今回の株式取得にはそれほど疑問を感じ得ないのが率直な感想である。

 ニッポン放送株が割安株との認識は市場参加者の間ではすでに一般的な事実である。また割安株が割安に放置されている理由が他の同種な株式と同じく株式保有構成にあるということも既知である。ライブドアの発行する転換社債に転換価格の下方修正条項が付いていようが、堀江社長のもつライブドア株がリーマンに貸し出され、それが空売りに使われようが、時間外取引で株式が買われようが、それらは本質ではない。合法的に株式の取得がなされたとの前提に立てば、その本質は借り入れにより調達された資金を用いて割安株と思われる株式を買ったに過ぎない。とすれば投資行動としてみた場合、リスクをとってリターンを得ようとする投資行動以外のなにものでもない。

 その意味では少なくとも今回の件に関して、ライブドアをメディア戦略をもつIT企業とみるより投資家としてみたほうがより妥当なのかもしれない。一方でライブドアの経営に対するシナジー効果についても、ネット広告費がラジオ広告費を越える時代となった今、ネット事業を営む会社がメディアのコンテンツを狙って放送会社にM&Aを仕掛けることは素人目にも極めて自然である。メディアは公共物でありマネーゲームの対象になるべきではないという意見を今回耳にしたが、固定電話でさえネット化の波に飲まれ、過疎切り捨てと言われながら郵政事業の民営化を推進しようとする時代に、上場会社に対する公共物議論はなにか的外れな気がする。リスクをとっている故、この投資が成功するかどうかは別として、少なくとも投資対象としての価値を念頭に置き本業へ貢献の可能性を考えた堀江氏の戦略はむしろ明確すぎるくらい明確である。

上場のリスク


 このライブドアの一件で文化放送社長が「放送業界は市場理論に甘かった」とのコメントを出していた。実際、日本の企業はもう少し上場することのリスクを認識すべきであろう。上場により株式の放出者はオーナーという立場から、株主に経営を委任される経営者になる。これはいうなれば会社を「公有化」することであり、その結果、誰に買収されても経営者が株主にオーナーシップを云々(うんぬん)言う権利を失うことになる。もっと言えば、上場は不特定投資家への買収の容認行為ともいうことができる。

 上場がこのようなリスクを負う一方で、それがいままで表面化しなかった理由は規制と日本的持ち合いの存在であった。しかし、ここ数年の株式の持ち合い解消と規制緩和により、日本はいわゆる米国式キャピタリズム志向を強め、その結果資本市場の論理にしたがった取引を誘引する結果となっているのである。

日本が求めた米国型キャピタリズム


 振り返れば90年代は、80年代に行なわれた日米構造協議で決定された(1)公共投資による貯蓄・投資バランスの改善(2)土地政策の見直し(3)国内流通システムの見直し(4)排他的日本的経営の見直し(5)内外価格差の是正などが実際に実行にされた時代であった。その結果、土地価格の下落、金利の下落、持ち合いの解消が90年代に行なわれた。M&Aの活性化もビッグバンの推進により日本全土上げての大きなテーマとして取り組んできたものである。つまりその間における資本市場のテーマは米国型キャピタリズムというゲームのルール化であった。

 したがって米国型キャピタリズムを目指した政策の中で、そのルールに従ってゲームを行なうプレーヤーを批判するのはやはり筋違いであろう。むしろ関連会社を上場させグループ企業の「公有化」を進める一方で、無借金会社崇拝を推し進め余剰資金を溜め込む日本企業の姿には、現在の日本が進めている方向性とのギャップを感じずにはいられない。資本の論理が変わりつつある中、上場企業が買収されないようにするためには余剰資金で積極的にM&Aを行なうか、自社株買いや増配などの株主還元を行ない財務ギャップを縮小させるなどの施策が必要である。

米国型キャピタリズムの限界


 では今回のニッポン放送の件でも言われるように、米国型キャピタリズムを追求しすぎると健全な企業経営を妨げるという意見は的外れなのであろうか?

 これもまた真である。実際、米国国内でさえ、タイコ、エンロン、ワールドコムなどの企業破たんを契機に米国型キャピタリズムに警告が発せられるようになった。冷戦を経て、資本主義は社会主義に勝利し、その結果米国は米国型キャピタリズムを確立してきた。米国型キャピタリズムとは一言でいうと株価至上主義である。この株価至上主義について米国での批判が相次いでいる。たとえば、欧米で活躍するジャーナリストであるチャールズハンディは"What's a Business For?"の中で「株主価値をあげることは重要だがそれ自体を目的化するのはおかしい。企業価値はよりよい経営活動をすることにより自然と達成されるものである」と述べている。米国型キャピタリズムの限界が見え始めている。

 日本型資本市場に安住した経営がグローバルスタンダードの中で機能しなくなったことは事実だが、だからと言って米国型キャピタリズムをそのまま輸入することのリスクは大きい。プレーヤー批判よりルールそのものの見直しが迫られている気がしてならない。






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