にゃんこ日和

にゃんこ日和

不登校を卒業するとは・・?


不登校は卒業するものなのだろうか。
我が息子は、不登校を卒業したのだろうか?卒業するのだろうか?
もしも、卒業すると仮定するなら、
それはどの時点をもって卒業というのだろうか?

未だによく分からない。
いや、今になったからこそ、分からない、ということが分かった。

現在、息子は不登校をしてはいない。
通学もしてはいない。
通信制の高校の在学生だから、レポートを提出し、
定められたスクーリングに出席し、試験を受けている。
サポート校にも在籍し、主にそちらの学校でスクーリングや試験を受け、
レポート作成や試験勉強に関してのサポートをしてもらっている。

しかし、必要なことはこなしているが、それ以上のこと、
例えば、サポート校主催のバーベキューや遊園地行きには参加しない。

わたしは、サポート校入学当初は、まだまだ、息子は、
いくら「ここなら」と思った学校にせよ、出向いて行きにくいのかな?
と思っていた。そして、はやくもっと元気になって、
ばりばり学校(あるいはバイト先でも)に足を運ぶようになってくれたら、
と密かに願っていたのだった。

しかし、どうも違うようなのだ。
息子本人は、もはや、元気がないから、即ち「いけないから行かない」
のではなく、「いかない」ようなのだ。
「行こう」「行くべき」「行く必要がある」と思ったら「行く」のようだ。

ふーむ、これって、不登校じゃないよね。
彼は彼なりに考えているようだ。
日常の中で、何気なく口にする言葉のはしばしから想像するに、
少しずつ、将来を想像しているみたいだし、
夢や希望を描くようにもなってきたのだと、親としてよろこばしく思う。

しかし、まだまだ、これから、だなぁ~とも思うのだ。
それは、今後、期待してもよい、ということと、
今現在に甘んじてはいない、ということなのだろう。

いままでのわたしなら、
現在に甘んじていない=現実の息子を受け入れていない
を意味するのか?と自問自答していた。
しかし、今は、なぜか、それは、=(イコール)ではないな、
という気がしてきている。
それは、まだまだ言語化するほど熟成していないのだけれど、
ゆっくりあせらずキモチの中で、育んでいきたいと思っている。

夕べ見たテレビの中で、ある女優さんが、
「反省すれども、後悔はせず」という生き方がしたいと語っていた。
わたしは、共感をもって、その言葉を聞いた。
自分を否定することと、自分がよりよくなっていこうという気持ちは、
別物だと感じているし、よりよくなっていこうと願うことは、
自己肯定と相反することではないように、わたしは思うのだ。



© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: