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16話 【Toy Camera!】
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16話 (犬) 【Toy Camera!】
5月9日 不破犬君
ゴールデンウィーク前後は多忙を極めた。
考えるより先に身体を動かした方が得策な気がして、1つの職務を果たしては「ハイ、次!」と捌いていく。
その内に――それこそあっと言う間に――時が過ぎ去っていった。
特に昨日は散々だった。
遅番で出勤すると、ドライ食品のチーフ青柳さんが、滅多に見せない血の気を失せた顔で僕を見やったのだった。
「不破、出勤早々すまないな。問題勃発だ」
「どうしました?」
エプロンの紐を後ろで結びながら尋ねる。
「ハッソ製菓のセールスがさっき訪ねて来たんだが、ウチに商品を並べられないと言ってきた」
業界第4位を誇る大手菓子メーカー、ハッソ製菓。主力製品はチョコ・煎餅・ポテトチップ・飴と多岐に渡る。
「それはまた穏やかではないですね。一体何があったんです?」
「分からない。セールスの人間も不思議がっていた」
青柳さんの説明によれば、以下のようなものだった。
2ヶ月前、ハッソ側から「ゴールデンウィーク翌週にフェアをしませんか?」との打診を受けた。
まだ売場の形が決まっていなかったものの、青柳さんはハッソなら無難に売れるだろうと予測し、商談を成立させた。
折しもハッソは新商品のチョコを発売したばかり。人気アイドルを起用したCMは認知度も高く、売れ行きも好評なようで、黒字間違いナシと踏んでいたという。
ところが、いざ明日から陳列……という土壇場に来て、ハッソ側が「ユナイソンに売る在庫がない」と言い出したのだ。
倉庫の在庫は空だと言い張り、セールスは朝から1店舗ずつ頭を下げて事情の説明をしている、とのことだった。
「事情の説明と言ったって……セールスの人でさえ、在庫ゼロの理由が分からないんですよね?」
「あぁ。途方に暮れていたよ」
途方に暮れていい権利があるのは、青柳さんを始めとしたユナイソン側じゃないのか? と、眉間に皺が寄ってしまう僕である。
「ハッソにとってユナイソンは大手の取引相手だが……。紅鴉が大量に買い占めたという噂もある」
小売店業界第3位の紅鴉はユナイソンを標的に定め、やることなすことユナイソンの真似をしたがる姑息なスーパーと陰で囁かれることもしばしばだった。
「GW明けに、しかも陳列の前の日に『商品がないので無理です、ごめんね』なんて言われてもなぁ……。
チーフ、ハッソの本社は事情を知っていたと思いますよ。知ってて言わなかった可能性大です」
「俺もそう思う。取り敢えずセールスには『話にならない』と厳しく言っておいたが……。
ハッソは見限るとして、さぁ、ポッカリ空いてしまった一番目立つ場所を、明日以降どうするかだ」
「莫大な粗利を稼げる一等地ですものね、あの場所。何もないとなると、店長や食品副店長に殺されますよ」
「殺されたくないな」
「右に同じです」
ハッソに匹敵する会社に連絡を取り、明日までに大量の商品を送ってくれと頼むのも無理がある。
ユナイソンのセンターに在庫があればいいが、いかんせん今日の発注は正午の時点で締め切ってしまっている。
「あの手を使うしかないか……」
「僕もそう思っていたところです」
その名も、『GW中に売れ残った有名メーカーの菓子を、他店舗から掻き集めてこよう』作戦。
近場のユナイソンの支店に電話をしまくり、過剰分の菓子を貰い、移動伝票を切る方法だ。
「恐らくGW中に見境なく商品を発注した店も多いだろう。条件が出て安く仕入れているだろうし、ディスプレイを上手く魅せればよくないか?」
「他に選択肢はありませんし、うまくいけばwin-winですよ」
普段の仕事は山のように蓄積され、未消化のまま。こんなイレギュラーの仕事にこれ以上手間取っていられない。
かくしてドライの社員全員で手分けをし、各店舗に商品を取りに行く手筈になった。
3時間後。菓子のバックヤードにはハッソ商品の代わりに、色んな会社の色んなお菓子が所狭しと置かれたのだった。
圧巻。それでいて、こっちの方が商品が自由に選べることができるし、何だか楽しそうだ。
「これを陳列するのって、面白そうですね」
「でもお前、明日休みだろ?」
「そうなんですよ。青柳チーフがどう並べるか……明後日売り場を見るのが楽しみです」
「別に、手伝いに来てもいいんだぞ?」
「さすがに無理です。連勤で疲れました。あぁ、でも」
「ん?」
「この商品全部値段の入力をしろと言ったら、POSオペレータから石を投げられますね」
「しまった、それを忘れていた」
怒れる八女芙蓉図を想像したのか、青柳さんの目は虚ろになる。その場面に立ち会うのは、さすがに御免だ。
そんな出来事があったため、昨日は残業してしまったのだ。
「そろそろ閉めたいんですけど……」と訴える警備員の声に追い出されるまで店に残っていた。
身体が悲鳴をあげている。何がなんでも明日は骨の髄まで休むことにしよう……。
ビックリした。俄かには信じられなかった。自分の目を――頭を。時計を見れば15時。だが驚くなかれ。日付は9日になっている。
「……どれだけ疲れてたって言うんだ?」
寝たのは3時だった。実に12時間も寝ていたことになる。
冗談じゃない。やりたいことの半分以上もできなくなってしまった。洗濯も掃除もバイクの手入れもしたかったのに。
身体が空腹と排尿を訴える。すぐさま生理的欲求を満たすと、気だるさの残る肢体を再度ベッドに横たえた。
「せっかくの休み……しかも滅多にない日曜休みだってのに……。……最悪だ……」
それだけ疲れていたということか。或いはぶっ倒れなかっただけマシなのかもしれない、と思い直す。
「せめて散歩ぐらいするかな……」
夕方4時。陽は傾きかけ、風は生暖かい。時折揺れる路傍の花に目を奪われる。
――あぁ、いいかもな……こんな風に過ごすのも。
携えていたトイカメラで何気ない風景を撮る。それは町並みだったり、たまたま視界に入った猫だったり。
友達を手招きしている少女の後ろ姿だったり、煙草を燻らせる信号待ちの外国人男性だったり。
――あぁでも……透子さんを撮りたいな。
ぼんやり思う。やっぱり笑顔がいい。そりゃ、どんな表情だって好きだけど。
気付いた時にはネオナゴヤ店にいた。恋煩いは恐ろしい。
従業員出口から、歴さんと五十嵐さんが一緒に出て来た。珍しい組み合わせだ。僕の姿を認めると、会話を中断して声を掛けてくれた。
「不破さん? どうされたんですか?」
「いや、たまたま通り掛かって」
本当にその通りなのだから、我ながら苦笑を禁じ得ない。
「あ……透子センパイなら、すぐ見えるはずですよ」
その一言とお辞儀を残して、歴さんは五十嵐さんと社宅のマンションへ向かって行った。
透子さんに会うつもりはなかった。でも「すぐ来る」という言葉が魅力的な提案に思え、少しだけ待ってみることにした。
実際にすぐ出て来たのは、透子さんの想い人の伊神さんだった。思わず息が詰まりそうになったものの――それなのに、視線は伊神さんに釘付けだった。
執拗な視線に気が付いたのだろう。伊神さんは僕を見ると軽く会釈をし、軽やかに通り過ぎて行った。
伊神さんとは部署も違うし、詰所も異なる。店の中ですれ違う程度の仲だ。そもそも一度も会話したことがない(以前介抱したときも会話はなかった)。
僕が透子さんを好きなことを、伊神さんは知らないはずだ……と思う。
あのお節介な八女先輩は、意外なことに『どちらの肩入れもしない』という中立の立場をとっている。
ソマ先輩は僕の存在などとるに足りない透明人間(=伊神さんの敵ではない)と言わんばかりにスルーしている。
そもそも選ぶのは潮透子だから、というのが2人の意見だった。
そんな恋のライバル、伊神さんの後ろ姿を見送っていると、「何やってるの?」という声がした。振り返れば透子さんがいた。
出てくるタイミングは、伊神さんを見ていた証拠そのもののように思えた。
「お疲れさまです。透子さん、笑って下さい」
トイカメラを構えると、ぶすっと不機嫌な顔になった。
「よくそんな言葉が言えたものね。あれだけの菓子の値段を入力するのにどれだけ時間が掛かったと思ってるの? しかも、忙しい日曜日に」
あ。しまった。
「それは……話せば長くなるというか……」
しどろもどろ答えると、透子さんは溜息を吐き、腕を組んだ。
「知ってるわよ。青柳チーフから聞いたから。全く……無茶するわね」
苦笑する透子さんを見て、あ、今の撮りたかったなと、絶好のシャッターチャンスを逃した自分の愚かさを呪った。
「もう1度笑って下さい」
「気持ち悪いわねー。いやよ」
キッパリ言うと、さっさと歩いて行く透子さん。少しでも近い位置から伊神さんを見ていたい、でも本人に気付かれたくないと言わんばかりの強くて大きな歩幅。
……やれやれ、僕には分が悪いな。
きゅ、と締め付けられる心には気付かなかったフリをして、ユナイソンの中に入る。
目指すは青柳さんが陳列した一等地。あのコーナー。
遠目からでも分かる、原色の素晴らしきコントラスト。お菓子が『食べて! 選んで!』と手招きしているかのよう。
様々なメーカーの商品が、とにかくランダムに並んでいた。チョコだけ、スナック菓子だけ、という固め方ではなく、本当に適当だった。でもそこが絶妙だった。
だって、『何があるんだろう?』と子供たちはわくわくしながら商品を手に取るだろうから。
トイカメラを構えると、僕はシャッターを切った。何枚も何枚も。青柳さんは凄い。改めて上司を誇りに思いながら。
客が胡散臭げに僕を見る。それでも構わなかった。なんだか芸術のような気がして、撮らないわけにはいかなかったのだ。
「……ふ、不破?」
通り掛かったのはチーフその人。「お前、何してるんだ?」と困惑した顔で尋ねる。
「どうなったのか気になって」
「わざわざその為に来たのか?」
「うーん……? たまたまですかね」
曖昧に誤魔化すに限る。
「なんだよ、それ」
青柳さんは苦笑する。
「……凄いですね。奇抜な陳列だ」
声に出して褒め称えると、青柳さんも口元に笑みを浮かべた。
「思い付くままに置いてみた。他にも仕事があったからな。直感で」
「僕も早く青柳チーフみたいになりたいです」
心からの言葉を呟くと、青柳さんは一瞬呆けたような顔になり……不敵な笑顔に切り替えた。
「じゃあ、俺から商談権を奪ってみろ」
商談権を奪う――。つまり、2つ目の昇級試験に合格し、メーカーと商談する権利を取得しろ、と言っているのだ。
1つ目の昇級試験さえやっとの思いで採ったばかりだと言うのに、鬼軍曹か、この人は。
「商談は楽しいぞ。フェアの際、自分の好きな商品を置きたい放題だ」
「……言いましたね? 僕、奪うのはそこそこ得意なんです。商談権だって、近い内に奪ってみせますよ」
仕事。そして恋愛。欲しいものは手に入れる。
今はまだ、透子さんの笑顔すら撮れていないけれど。
でも……。誓ったからには手に入れる。
「――必ず」
2010.05.09
2019.12.14 改稿
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