15話 【Melting Vanilla!】


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15話 (凪) 【Melting Vanilla!】



5月8日 千早凪 



明後日から学校や仕事が始まるとあって、大型連休の終盤をここ、ユナイソン・ネオナゴヤ店で過ごす客は多かった。
かくいう俺もその1人で、今日はGW中に貰えた唯一の休日を満喫している最中だった。
休日に職場へ来るのも妙な感じだが、所用があったので仕方がない。
「きゃっ、やば……っ!」
嫌な予感がしたのは、その言葉を発した相手が比較的近くにいたからだった。
こういう時の予感ほど、的中率はいい。
着ていた黒のポロシャツに、バニラアイスがべったり付いていた。

「あっ、あっ、あぁー……!」
惨事を引き起こした当の本人は既にパニクってしまっていて、声を掛けるのも憚られた。
「ご、ごめんなさい……! ハイヒールがカクンって! で、アイスがベタッて……!」
その慌て方がどことなく妹に似ていたので、思わず吹き出してしまった。年もさほど違わないだろう。
「あのっ、こっちに来て貰えますか!?」
トイレが近くにあった。彼女は革バッグの中からハンカチを取り出す。
「水を含ませて来ますから、すぐそこのソファーで待ってて下さい」
「いや、こんなのは別に……」
「お願いですから、待ってて下さい!」
「……はい」
迫力に気圧され、待つことになった。
通り掛かりの子供に笑われ、素直に待つ自分の鈍さ加減を呪った。すぐ帰ればよかったことに気付いたがもう遅い。
ハイヒールを鳴らしながら、女性は小走りに帰って来た。ハンカチをシャツに充てると、恐々と拭き取り始めた。
「本当にごめんなさい。やっぱりアイスなんて買うんじゃなかった。あたしったら、子供みたいにはしゃいじゃって」
「いえ、ありがとうございます」
「え? どうしてお礼なんて……」
しまった。今日は背広でもなければ出勤日でもないのに。
「ここで働いてる従業員です」
「えっ? そうだったんですか」
「今のお礼は、売り上げに貢献して下さりありがとうございます、という意味です」
「じゃあ、もう少し貢献することになりそうです」
「え?」
「だってこれ、うまく落ちないんです。このラルフローレンの服、すっごくお似合いなのに……」
じわ、と女性の目元に涙が溜まる。いやいや、待ってくれ。泣かせたのは俺か? 俺なのか?
「いや、あの――気にしないで。クリーニングに出せばいいだけの話で……」
「そんな! 私があなたの立場だったらショックだもの。クリーニングに出すと仰るなら、その代金をお支払いしますから――」
相手は気が済むまで解放してくれなさそうだ。本音を言えば、付き合うことに疲れ始めていた。
「そこまでしていただかなくて大丈夫ですよ。それにほら、無事に落ちたみたいですし」
「確かに色は落ちたみたいですけど、水の染みが目立って……」
「これは時間が解決してくれますよ。要するに乾けばいいんです。ありがとうございました」
どこか納得のいかない女性は財布を取り出そうとしていた。やめてくれ、それを受け取るわけにはいかないんだ。
「俺、待ち合わせしてるので。じゃあこれで――」
手の平を彼女に向けてやんわり断るジェスチャーをしてソファーから腰を浮かせると、丁度いいタイミングで通り掛かる神様を発見した。
「ふ、不破!」
しかし、不破の隣りには悪魔もいた。柾という名の悪魔は俺を一瞥すると、嘲るような笑みを浮かべ、無情にも去って行く。
やはりあいつには歴は渡せられない。渡したくない。論外だ。窮地と知りつつ見放すなんて最低だ。
「凪さん……?」
「では、そういうことですので。失礼します」
きょとんとしている不破犬君のもとへ走り、何とか女性から逃れることに成功した。
「助かったよ……!」
「どうしたんです? 誰ですか、あの人? ……ていうか、バニラの香水キツくないですか?」
「香水ではなくアイスだ」
「あぁ、そういうことですか」
鋭い洞察力は健在のようだ。
「きっかけをふいにするなんて勿体ないですよ。僕ならそのままデートに誘いますけどね」
「それ、潮さんの前でも言えるのか?」
「えぇ」
「本当に?」
「それで、透子さんの反応が分かりますし」
「……嫉妬してくれればいいね」
「しますよ。しまくりですよ。それはもうムキになって、『ばっかじゃないの!?』って言うに決まってます」
「……それは嫉妬かな。俺にはただの蔑みだとしか思えないんだが」
「それに、デートまで漕ぎ着けてたとしても、それだけなんですよね。透子さん以上好きにはなれないだろうな」
潮さんへの恋に対して強気な姿勢でいるとばかり思っていたけれど、ふとした瞬間に弱気さが顔を出す。それでも。
「――俺はキミが羨ましいよ」
「は……? なぜですか?」
「そんな女性に出逢ったことがないから」
「妹しか見えませんか?」
「その日本語はおかしいだろう。別に妹を女性として見てるわけじゃない。妹の場合、ただ心配なだけだ。
歴のことを差っ引いても……ときめく女性はいないな」
「それならそれでいいんじゃないですか? 無理に恋する必要なんてないですよ。それに、そんなこと言ってる人に多いんですよね」
「何が?」
「ある日突然、恋に落ちる確率」
そうだろうか。
「まぁ……気楽にいくさ」
そう。焦ったって仕方ない。こればかりはね。


2010.04.22
2019.12.14 改稿


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