G3 (潮) 【Don't Apologize!】


日常編 (潮) 【Don't Apologize!】



「お姉ちゃん、これあげるよ」
たった1つの気紛れから起こった、小さな事件。


*

「それ……」
八女先輩が、目敏く私の小指を捕える。
「見せて」
咄嗟に隠そうとしたのに、逆に引っ張られてしまい、白日のもとに曝されることになってしまった左手の小指。
そこに光る銀の輪を、八女先輩はしげしげと注視する。
「ピンキーリングね。シンプルなデザインで、素敵じゃない」
会社の服装規定では、指輪は『幅が細いもの、石が付いていないもの』ならば1つだけ身につけてもいいことになっていた。
はめる指に関しては特に書かれていないため、小指でも大丈夫だと勝手な解釈をする従業員は少なくない。
かくいう私も、会社では、今日がピンキーリングデビュー。
先日、なんの気紛れか、妹の那漣が私の分も買って来てくれたのだ。普段はそんな片鱗を見せないため、柄にもなく胸を打たれてしまった。
とは言え「まぁ、安かったからね」。その一言は、余分だったわよ。
「でもこれサイズが少し大きくて。気を付けなきゃいつか落としそうで困……」
右手で素っぽ抜いた瞬間、「あっ!?」と叫んでしまった。やばい。咄嗟にそう悟って青ざめる。
飛ばした。私、どこかへ指輪を飛ばしてしまった!
「潮、不用心よ? 全く……」
呆れた八女先輩がきょろきょろと床を見渡す。私もそれに倣う。先輩より腰をかがめ、照明によって輝きを放っていて欲しいと願いながら。
「どこへ行ったのかしら。大丈夫よ。この部屋にあることだけは確かなんだから」
確かにそれは心強かった。POSルームの中にある。それだけは確実で、隈なく探せばいつか見付かる。単に時間の問題だけのはずだった。
「失礼します」
入って来たのは不破犬君だった。
仕事の依頼だったに違いない。でも、私と八女先輩が床下を見ているので、自分で操作した方が早いと判断したようだ。
特に声を掛けることもなく、パソコンを操作し始めた。八女先輩は来訪者にはお構いなしに、プリンタの棚下に潜り始めていた。
「おかしいわね。左から右へ飛ばしたんだから、絶対こっちの方にあるはずよね?」
私の立ち位置から、そう判断したのだろう。
「あの指輪、伊神からの贈り物?」
血の気が引くとはこのことか。不破犬君にバッチリ聴こえてしまった。
指輪、伊神、贈り物。この3つの単語と私たちの体勢が、全てを物語っていると言っても過言ではない。彼には全て把握出来たことだろう。
「違います」の言葉より、不破犬君の退室の方が早かった。結局最初から最後まで何も言わず、素っ気なさを通り越し、無視を決め込む形で。
いいもん。別に私、弁解がしたいわけじゃない。どう誤解されようと、別に。
社内旅行以来、不破犬君は私を避けるようになった。
それは勤務時間に如実となって表れていた。わざとかと思えるぐらい擦れ違う。私が休めば出勤し、私が出勤すれば休む。
1週間の内に2日は休みを確保しなければならないので、そうなると出勤日が重なる日は週に3日なのだが。
私が早朝出勤だと遅出出勤、私が遅出出勤だと早出出勤などと、笑えるぐらい真逆なのだった。
あれは絶対、私の勤務計画表を見てるに違いない。そうでなければここまで重ならないなんておかしいではないか。
誰かに言えば、「気の所為だ」とか「気にし過ぎだ」などと切り返されかねないので黙っているが、心の中ではそんな疑念が燻り続けていた。
そもそもそんな瑣末なことが気に掛かるなんて、私こそどうかしてる。めちゃくちゃ気になってるっぽいじゃない。そんなの絶対ありえない!
「潮?」
八女先輩が不審そうに私を見ていた。あぁ、なんだっけ? 何か問われていたような気がする。えぇと……。
「あぁ……違いますよ! あの指輪は、妹から貰ったんです。一応お揃いってことで」
てっきり薄い反応になるものだと思っていた。なぁんだ、伊神じゃないの、と落胆でもするかのような。
けれど、八女先輩は言ったのだ。「なら、なおさら見付けないと!」と。
「えぇ? でも、妹からですし……」
「だからこそ大切なんじゃない! 私は素直に羨ましいわよ」
八女先輩は一人っ子。兄弟姉妹への憧れは、人一倍強いのかもしれないと合点がいった。
ところが仕事の合間を見付けて探したものの、結局その日は見付からなかった。
帰り際、「明日になれば清掃員が見付けてくれるかもしれないわ」と八女先輩が励ますように言ってくれた。
帰宅の途につき、エントランスに設置されたポストを開けると、空の空間を予想していたのに、小さな包みだけが入っていた。
新手のダイレクトメールだろうかと思いつつ手に取るも、見覚えのある包装紙はユナイソンのもの。
簡素なラッピングを解くと、中から出て来たのはなんと、私が失くしたピンキーリングだった。
指にはめてみると、ややぶかぶかな具合も、デザインも、紛れもない私のものである。
慌てて包装紙を引っ繰り返したりしたけれど、特に何も記されてはいない。
それでも差出人にはピンと来た。不破犬君しかいないではないか!
一体いつの間に見付けたんだろう? そもそもどこに落ちていたのか……。
あの場で教えてくれなかったのは、私を避けていたからだろうかと思うと、微かに心がざわめいた。
このままでは、弁解もさせて貰えない。お礼すら言わせて貰えない。
指輪の送り主が伊神さんからだと誤解されたままだし、借りだけが残ってしまう形になってしまう。
私はその場で考えあぐね――
やがて包装紙を綺麗に広げると、『ありがとう! 妹からのプレゼントだったから、助かりました』と書き記した。
それを不破犬君のポストに投函する。明日になれば気付いて貰えるだろう。
……一体なにをやっているんだろう、私は。
どうしてこんな、まだるっこしいやり取りをしているのか。
とはいえ、自分が蒔いた種なのだから、この事実をきちんと受け止めなければと言い聞かせ、私は天井のライトに指をかざした。
指輪は一切の曇りもなく、光沢を放っている。
それを見たら、なんとなく心が軽くなった気がした。


2014.08.18
2020.02.20 改稿


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