01月04日 ■ 平塚鷲


01月04日 ■ 平塚鷲



「なぁなぁ、不破く~ん」
その甘ったるい声に、不破犬君は背筋を凍らせた。
思わずロッカーを爪で引っ掻いてしまい、この世で最も嫌いな音を立ててしまった犬君は、そのやるせなさを平塚鷲にぶつけた。
「……消え失せろ」
ストレートなセリフに平塚は「うっ」と呻き、「不破、キツ……」と口を尖らせた。
「何だ。さっきから人のことをじろじろと。そんなに僕の着替えが見たいのか、変態」
犬君の言葉は間違っていない。出社時間が同じで、2人が男子ロッカーに入ったのは数分違いだった。
コートを脱ぐだけで準備を終えてしまった平塚は、ネクタイを結ぶ犬君の傍へ行き、声を掛けたそうにしていた。
鬱陶しく思っていた犬君は敢えて無視をしていたのだが、そこに突然の「不破く~ん」である。
平塚には、被害がロッカーだけで済んでよかったと感謝して欲しいぐらいだ。蹴りを入れようかと思ったのを、すんでの所で堪えてやったのだから。
「その冗談は笑えないわー。お前の身体って、俺が目指しているモノとは真逆だしー」
「いちいち癪に障る言い方だな。何なんだ、一体」
姿見に全身を映し、ネクタイの曲がり具合を調整していると、平塚も隣りで同じことをしていた。
犬君としては真似るなと言ってやりたかったが、明らかにネクタイが曲がっていたので今回は目を瞑ることにした。
「今日さー、俺ってば誕生日」
「……。へぇ。あっそう。おめでとー。……で?」
「で、じゃねぇよ」
鏡の中で、平塚は膨れ面をしている。犬君には理由が分からない。誕生日おめでとう。それの何がいけないんだ?
「何かさー、ほら、こう……なんかねぇのかよー。祝ってくれよー。俺、今ロンリーなんだからさー」
「うわ、ツラ。キツ。まさか自分からねだるのか……」
「いーぬーきーくーーーーん」
「やめろよ変態。話し掛けるな。お前なんか知るか」
そこをたまたま杣庄が通りかかる。午後からの遅番である平塚や犬君と違い、杣庄は早番で、昼休憩中だったのだろう。
ピリピリとした空気が漂い、犬君と杣庄の冷やかな目が交差したかと思うと、杣庄は白けた様子で更衣室から出て行った。
(馬鹿にされた……っ)
犬君はこの憤懣やるかたない感情を、やはり平塚にぶつけるしかなかった。


*

「あのー、すいません。そこのジュースの自販機にお金入れたんだけど、商品出てこないんだよねー」
制服を着崩した2人の女子高校生が、奇跡的に担当者である青柳チーフと犬君を捕まえたのは17時のことだった。
こういう苦情はまず手近な従業員に届けられ、そこからPHSを経由してドライの社員に回って来ることが多いため、青柳は感動すら覚えた。
「しかもお誂え向きに自販機の鍵を持っている俺。今日はツイてるな」
女子高校生には聞こえないように、青柳は犬君に小声で告げる。
「チーフ、そのツキを僕に恵んで下さい。昼頃からツイてないんです」
「え、今日のお前、疫病神なのか? ダークフォースお断り。あまり近寄るな」
「『スターウォーズごっこ』ついでに、一緒にダークサイドに落ちましょうよ、ブルーウィロー卿」
「お前それ、単に俺の苗字を英語で言っただけだろう。適当に訳したのはいいが、ブルーウィローっていう立派な皿があるんだよ」
「……恥の上塗りをしてしまった……。今日は三隣亡だ……」
「博識だと思うなら、これからはジェダイ・マスターと呼んでくれ」
「了解です、ジェダイ・マスター」
そんなふざけたやり取りが行われているとも知らずに、件の女子高校生たちは自販機の前に立つなり「これ」と紅茶のパネルを指差す。
「叩くと直るって、よく言うよねー」
「言う言う。まぁそんなお子様チックなこと、うちらはやらないけどねー……って、ん?」
言葉遣いの割に、随分と高尚な心根の持ち主である女子高校生たちをよそに、青柳はどん、と自販機を叩いた。
「……うわ。叩いたし……」
「しかも、出て来たし……」
購入予定だった紅茶のペットボトルが音を立てながら取り出し口へと滑り落ちて来た。
「あはは! イケメンのおにーさん、ありがとー」
「お店の人なのに、荒っぽくて無茶苦茶。でも、ありがとーございましたっ」
「どう致しまして」
彼女たちが去った後、中の様子を調べるために青柳は鍵で解錠し、扉を開けてみた。青柳の顔が曇る。
「あー……」
「どうしました?」
「さっきの彼女たちの前に、買い損ねた客がいたみたいだ。お金を投入したものの、商品が出てこなくて諦めたのか」
そう推理する青柳の手には、在庫過多となったお茶のペットボトル1本。
「僕ならさっきの彼女たちみたいに言いますけどね」
「人それぞれなんだろうな。それにな、面白いとは思わないか?
あと数百歩も歩けば、店の中で更に安く、全く同じモノが買えるんだ。なのに、より高い自動販売機で買い求めてしまう。
つまりここで買い求める客と言うのは、時間と歩く労力が惜しいんだな。そう考えると、苦情を言わずに立ち去る人の心中も分かるというものだ」
「さすがジェダイ・マスター。何かのビジネス書に書かれたような御高説、胸に沁み入ります」
「相変わらず慇懃無礼だな。そんなジェダイ・パダワンのお前にやるよ、ほら」
帳尻合わせの為、青柳はお茶のペットボトルを犬君に渡す。犬君は思いきり不服そうな顔をした。
「パダワンはないでしょ……。せめてジェダイ・ナイトにして下さい」


*

時刻は21時を回り、男子更衣室は帰宅準備をする従業員で溢れていた。
犬君がネクタイを緩めていると、「お疲れー」と、平塚が本当に疲れた顔で自分のロッカーにやって来る。
「忙しかったみたいだな」
「お陰様でね。あー、くたくただー。ケーキ食いたかったのに、買えなかったぜちくしょー」
上着を羽織るだけで平塚の準備は済んでしまう。早々にパタンと閉めると、「じゃあな」と言って出口に向かった。
「平塚」
「あん?」
振り向きざま、犬君はお茶のペットボトルを放り投げる。
あたふたと受け取ろうとするが取り損ねてしまい、床へと落下したペットボトルの角がべこんと凹んでしまった。
「悪ィ」
「いや、いいんだけど、なにこれ」
「何ってプレゼントだよ。誕生日なんだろ? おめでと」
犬君はそっけなく言い、ハンガーにかかっていたコートに手を伸ばす。
「ふ……ふわぁ……。お前ってやつは……何ていいヤツなんだ」
「暑苦しい。やめろよマジで。ちなみにそれ、在庫過多でタダの商品」
「わざわざそんなこと言うなよ。それでも嬉しいから。サンキュ。じゃあな」
くるりと向きを変え、ドアノブに手を掛けた平塚だったが。後ろからダウンジャケットを、しかも首部分を強く引っ張られ、ぐえっと息を詰まらせる。
「て、てめぇ、どういうつもりだ、不破! 死ぬかと思ったぞ!?」
「死んだらこれも食べられないぞ」
着替え終わった犬君の手には小さな紙袋が提げられ、それを平塚の顔面に突き出したのだった。それを怪訝そうに見つめる平塚。
「……なんだ?」
「やるよ。さすがにペットボトル1本、しかも在庫過多による進呈なんてあり得ないだろう」
ハテナマークが飛び交う平塚を置いて、さっさと犬君は歩き出す。
紙袋の中身を確認した平塚は暫く無言だったが、やがてダッシュで犬君を追い、後ろから羽交い締めにした。
「お犬様~! 大好きだワン!」
「うざ……」
紙袋の中にはキッシュと抹茶ケーキ、ミルクレープ、びわタルトが入っていた。
閉店間際に犬君がケーキ屋で買い求めた商品だから、選ぶ余地はなかった。そもそも平塚の好みなど全く知らないのだが。
「よし、これから俺の部屋に行って、一緒に食おうぜ」
「嫌だ。帰って寝る方が、よっぽど有意義だ」
憎まれ口を叩いてはいるものの、なんだかんだと人に甘い犬君である。
結局は平塚に付き合いケーキを分け合ったのだが、そんな過ごし方をしたとは誰にも言えない秘密なのだった。


2012.01.13
2020.02.22 改稿


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