07話


切羽詰まったタームの呼び声で、ライアーは跳ね起きた。
鍵を解錠する音が聞こえるのだが、焦っているのか一向に開く気配はなく、耳障りなことこのうえない。
いっそ内側から扉を蹴破ってしまおうかと迷っていると、解錠に成功したタームが飛び込んで来た。
勢い余って自らのローブの裾を踏み付けてしまったタームはつんのめり、ライアーが条件反射で受け止める。
「そそっかしいぞ」
「ライアー、いないのです……! アシャイアが、どこにも!」
「何だって?」
「えぇと……順番に話しますわね」
まずは自分が落ち着かねばと反省したのだろう。動悸が治まらない胸の上に拳を作ると、息を整えながら懐古に努めた。
「と言っても、起こしに行っただけなのですが……。
鍵でドアを開けようとしたら、既に解錠されていたのですわ。内側からアシャイアが開けたんだと思います。
ベッドはもぬけの殻。シーツから温もりは完全に消えていたので、いつ部屋を後にしたのか分からないのです」
「つまり、アシャイアは自らの意思で部屋を開け、出て行った?」
「そう……なりますわよね? わたくし、てっきり貴方様の元へ向かったのだと思ったのです。
でも、ここに来るまでに彼女の姿はなかった。そして、貴方様もアシャイアの姿を御存知ないと仰る」
「俺がどこに寝泊まりしているか話していないのだから、この古い牢塔に来るわけがない」
黙りこくるタームの目には怯えが浮かんでいる。
「まさかとは思うが、アラバ・モダには危険な場所があるのか?」
ライアーの質問に、タームの肩がぴくりと動いた。その肩をライアーは揺さぶる。
「そうなんだな? ……そうか、あの牢塔か」
「ライアー、いけません! 行ってはなりません!」
ハッと気付いた時には既に遅かった。
制止の声を振り切ったライアーは全速力で駆け出していた。不自然に屹立していた、新しい牢塔へと。
――あぁ、もう……! 
とてもタームの足で追い付ける早さではない。が、追わねばならない。
この城には守らなければならない秘密が多過ぎる。ライアーに知られてはいけないものが少なからずあるのだ。
計画があったとはいえ、いまさら2人を連れて来たことを後悔した。
タームは被っていたローブを床に脱ぎ捨てた。現れた体躯は、淑女という言葉から掛け離れた、活動的な服装。
――何のために目元以外を覆って生活していたと思っているの。
うだるような夏の暑さだろうが、ローブを纏い、仮面を付けてきた。
今までの苦労が一瞬で水の泡になるかと思うと、臆してしまいそうになる。
――でも、止めなければ。知られてしまう前に。
タームは疾走の邪魔になるもの全てを剥ぎ取ると、ライアーの後を追うため、自らもアラバ・モダの敷地を駆け抜けた。


*

一度案内されただけだが、土地勘に優れたライアーはおよその見当をつけ、近道を突破しようとしていた。
自分のいる場所が2階だと分かると、わざわざ1階まで降りる真似はせず、近場の窓枠を開けてひらりと身を投げた。
「きゃあぁぁ! ライアー!」
背後からタームの悲鳴が聞こえたような気もするが、構ってなどいられない。
着地の瞬間、足に痺れを感じたものの、別段無茶をしたとも思わない。
暫く走ると昨日薪割りをした場所が現れた。それを横目に左へ曲がり、井戸と、聳え立つ牢塔を視界に入れる。
本来からならここから出入りするだろうと思われる正面入り口には閂で固定されており、アシャイアが出入りした形跡は見当たらない。
彼女はここにいないのだろうか。
――だが、他に進入路があったとしたら?
ライアーは見上げる。昇り始めた太陽の光が眩しい。
目を僅かに細め、それらしき入り口がないか順繰りに見やっていると、来賓塔と新牢塔を繋ぐ唯一の渡り廊下を見付けた。
ライアーはその道を試してみることにした。
走り続けている内、この道順ならば、タームが持ち歩いている鍵束を一切必要としないことに気付いた。
だが、こうもあっさりと外部からの侵入を許してしまっても良いのだろうか?
常日頃から鍵の束をちらつかせているタームだからこそ、この無用心さは矛盾しているように思えた。
とはいえ、そこへ辿り着くには恐ろしいほど長く続く螺旋階段を上がらなければならなかった。
ライアーでも辟易してしまうほどの階段を、果たしてアシャイアが利用したりするだろうか?
――途中で諦めたかもな……。
内心で推測を繰り広げつつ、それでも終わりは見えてくる。最上階まで登り切ると、そこにはアシャイアがいた。
寝間着姿ではなく、タームが与えていた私服に着替えていた。
「ライアー!」
「アシャイア、無事なのか!?」
アシャイアは顔を綻ばせ、ライアーに駆け寄る。ライアーは片膝を折り、覗き込むようにアシャイアを見上げた。
陽の光に晒されたアシャイアの身体に傷は見当たらない。危害を加えられた形跡は見当たらず、ライアーは胸を撫で下ろす。
「無事です。ごめんなさい、心配をかけてしまって」
「無事なら良いんだ。それより、どうしてこんなところへ」
「ライアーが気にしていた場所に何があるのか、調べていました」
「そうだったのか……」
軽はずみに牢塔の話をしたことを後悔するライアーだったが。
ちらと視線を動かした先に、白い陶器に瑠璃色の幾何学模様が書きこまれた仮面を付け、白色のケープを纏った人間が居たので身構える。
胡散臭いことこの上ない。何者だと不審に思い、ライアーは眉をひそめた。
「……アシャイア、後ろに」
アシャイアを己の背後に隠すように移動させつつ、ライアーは牢屋の中の人物と対峙した。
「何者だ?」
誰何したところで、仮面の人物は何も言わない。
その緊迫したやり取りに、アシャイアは首を傾げる。
自分が尋ねた時は「シャム」だと名乗ったのに、どうしてライアーとは喋ろうとしないのだろう。
いまシャムは、アシャイアが会った時と同様、壁に寄り掛かるように座していた。
仮面がこちらを向いている。双眸はライアーを捕らえているはずで、だとしたらシャムはライアーを無視していることになる。
アシャイアの存在を知らされていなかったシャムは、同様にライアーの存在も知らないはずだ。
――お話しする気がないんだわ。でもシャムさんは、ライアーのこと、気にならないのかしら……?
「お前は一体何者だ」
もう一度応答を試みるも、無駄だった。仮面は横を向き、会話どころか接触すら放棄したというのが丸分かりだ。
その時、「ライアー!」。カンカンと甲高い靴音がし、背後から声がした。現れた姿を見て、アシャイアとライアーは目を瞬かせた。
ローブを脱ぎ、仮面を外したタームが、女性らしい出で立ちかつ素顔を晒していたのだから、驚くのも無理はない。
深い緑色の目、ソプラノの声という特徴がなければ、彼女がタームだと気付けなかったかもしれない。
うなじまで緩く流れる、艶めいた光沢の黒髪。優しい弓形に整えられた眉。ピンクダイヤモンドに彩られた、口角の上がった唇。
白のシャツに白のパンツ、白のブーツという格好は、彼女を『清潔感溢れる魅力的な女性』に見せていた。
そのタームは塔屋の中に目をやると、城内の秘密の一部が暴かれてしまったのだと気付いて頭を振った。
深い溜息を吐き、唇を噛む。
――せめて、ここで食い止めなければ。
「お二方、戻りましょう」
タームはこれ以上の接触は許さないとばかりにライアーとアシャイアの背中を軽く押すと、階段を下るように促した。
「え……、あの……タームさん」
「これ以上ここに留まるのは無意味です。あなた方は何も見なかった。何も聞かなかった。宜しいですわね?」
厳しい口調で念を押すタームに軽口を叩いたのはライアーだ。鼻で笑う。
「『何も聞かなかった』? まぁ確かに。ヤツは何も喋らなかったよ」
タームはライアーを睨むが、「行きますわよ」と再度促す。ところが、今度はアシャイアが黙っていなかった。
タームの手を取り、その場から動こうとしない。牢屋を指差し、タームに嘆願する。
「か、可哀想ですっ。『何も見なかった』だなんて、そんなのシャムさんが可哀想……っ!
シャムさんは亡霊なんかじゃない。血の通った、歴とした人間なんです。私にはシャムさんがちゃんと見えてますっ」
瞬時にタームの顔が強張った。
「なぜアシャイアがその名前を……っ」
初めて聞く単語に、ライアーが牢屋の中を見る。シャム。それが囚人の名前なのか?
「私、お話したんです。シャムさんと」
「シャム!?」
アシャイアの手を握ったまま、タームは柵に近付く。まるで説明を求めるように。
「貴方は何を考えているのです! なぜ存在を……」
くっと顔を歪め、口を閉ざす。
“なぜ存在を”。先を続けるなら、こうだろうか。“なぜ存在を知られるような真似を、いとも簡単に、貴方は”。
タームの怒りを受けて、牢塔の亡霊はゆらりと立ち上がる。歩くたびにローブの下で重厚な金属音がした。「鎧か」とライアーが呟く。
「ごめん、ターム。どうやら私は想像以上に人恋しかったようだ」
「そんな理由で……! よりによって、そんな言い訳で……! 卑怯ですわよ、シャム!」
「タームとしか話せないなんて、寂しくて寂しくて、気が狂ってしまうよ。
いや、既に気が狂っていたんだな。アシャイアと喋っていたのも、神経がどうかしていたからだ。違いない」
「そんなことを言われたら、もう怒れないわ」
タームとシャムはやり取りを重ねているが、ライアーには分からない。どちらだ? どちらなのだ。
この者は、男か。女か。
姿が見えない所為で、判別もままならない。
そして、いや違うなと気付く。
性別を知られないようにしているのだ。
そこまで念を入れて隠さねばならない理由が、牢塔の囚人にはあるのだろう。
そもそもタームでさえ、過剰な用心を重ねていたではないか。
彼女がローブを脱いだのはライアーに追い付くためだった。シャムとの接触を防ぎたい一心で。
言わば、タームの“身バレ”は事故のようなもの。
そしてタームにとっては、シャムがアシャイアに名乗ってしまったことも事故に相当するのだろう。
「……良いでしょう。シャムが御自身でお決めになったことです。わたくしはこれ以上何も申しません」
「いや、そう言うタームこそ、一般人がいるなんて私に教えてくれなかったじゃん?」
「それは……折りを見てお伝えしようと……」
「民間人はこの少女とこの男性の2人だけ?」
「そうですわ。この子はアシャイア。あちらがアシャイアと旅をしている、傭兵を生業としておいでのライアーですわ」
「……傭兵」
反芻するシャムの声がワントーンほど低くなる。
運命が動きそうだ。
直感的にライアーは悟ったのだった。

[8話に続く]
2015.03.06


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: