お金を使わぬ遊び方 0
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ゴールデンウィークの間に図書館で借りていたチェーホフ全集の1冊。今日、返却日だったが、結局読みきることができなかった(泣)。それから、松浦武四郎の本も読めなかった。それらをいったん返し、再び借りた。他にもチェーホフ、松浦武四郎関連の本を見つけ、本棚から取ったら元に戻すことができず…それらも借りた。それで、今日の図書館は、5 - 5 + 2 + 3 = 5今日も、全部で5冊借りた。2週間後、すべて読み終えているのだろうか???“チェーホフ”という名前。いかにもオジンくさい名前だとずっと思っていたのだが・・・アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフは1860年に生まれ、1904年に亡くなっている。かりに、生まれた年に100年を足して、1960年生まれだとしたら・・・チェーホフは今頃40歳代で私たちとほぼ同年代だった。厳密というと、2004年には44歳で亡くなっていることになるのだが・・・。ほぼ100年前の同じ世代。彼はどんなふうに生きていたのだろう?そう思うと、急に親しみがわいてきた。チェーホフもきちんと読みたいねぇ。できればロシア語の原語で・・・。夢のまた夢か。とほほ。
2006/05/14
なにかが、なにかが、よんでいる。。。読み聞かせ活動で保育所と幼稚園に行き、時間があまったのでこの絵本を読んだ。全体的にオレンジやピンクなどのクレヨンタッチの配色で、とてもかわいらしいイメージ。そういえば、最近の朝焼けの空みたいな感じだ。うさぎの体は茶色。暗い穴の中で暮らしていたのだが、どこかからいいにおい、どこかからふしぎな声が聞こえてきたため、外の世界に飛び出し、それを探しに出かける。途中できれいに咲いた花、かえったばかりのひな、飛ぶ練習をするちょうちょに会ったりして、うさちゃんはやっとやっとわかった。。。。あわてて仲間のところに戻り、伝えたニュースは・・・「はるがきてるよ!」『プライド』に出ていたような“ハル”という人が来たわけではない(ちなみに、私の父方の祖母は“ハル”だった)。この絵本は、ただ「はるがきてるよ!」といううれしさをストレートにあらわしているのだ。春なんだ、春が来たべさ、春だなや、春だなも、春や、春が来たけん。。。。ああきりがない。春が来たんだ! うれしい! そういうメッセージをたずさえた絵本だ。この作品の翻訳は“くすたえりこ”となっていた。まさか、あの?と思っていたら、やはり、日テレ系『世界まるみえ~』の楠田枝里子さん。こういうかわいい絵本にもかかわっているのだなぁとちょっと意外な感じがした。春というのはなかなか来ない。オホーツクでは1年の半分、つまり6か月ほどは“冬”だから、雪が降り積もり、気温が下がり、あぁ、いつまでこんな凍える季節なんだろう?もう、何年でも冬でいいや、マイナス何十度の冷凍庫でもなんでもいいや、とあきらめていたら、いきなり、気温が上昇。雪のかたまりからどんどん水が流れ始め、家の前には水たまりができてしまう。てなわけで、冬の間、家の前の道路の雪が踏み固められ、氷に変化していたので、すとこん、すとこん、と道路の氷割りをしました。2時間やっていたら、歩道のコンクリートがだいたい見えてきました。でも、氷に変わってしまった雪はたくさんあるべさぁ~。明日かあさって、またあちこちの氷割らなきゃなぁ。『オホーツク氷割り唄』など歌いながら。。。(なんじゃそりゃ)左のてのひらはおかげさまで、大事には至りませんでした。たぶん。はれは、ほぼひけたようです。。。みなさんありがとうございました♪
2005/03/16
読み聞かせで保育所と幼稚園に。2月22日がネコの日ということで、今月はネコの本を読むことになり、私は『100万回生きたねこ』を読んだのだが・・・この本、保育所や幼稚園のような年齢の子どもには難しかっただろうなぁ。100万回も生きて、100万回も死んだというねこ。その後、白ねこを愛し、産まれた子どもたちを愛し、年老いて、白ねこが死んだ時に初めて泣いて、やがて自分も死んでゆくのだが・・・小さい子たちは、生きること、死ぬことが理解できるのかどうか。。。自宅でペットを飼っていて、それが死んでしまったという経験はまだあまり無いだろう。『禁じられた遊び』という映画の中の子どもたちは、“死ぬ”ということが理解できず、十字架集めばかりをやっていたし。私はこの絵本を読んでいると、終わりの方は、「自分が死ぬ時って、こんな感じなんだろうかねぇ・・・」と思い、涙ぼろぼろなのだが、子どもたちは、この絵本で何かを得ることができたのか?最後の、ねこは二度と生き返らなかったという喪失感?何か、失ってしまうと悲しい・・・ということはわかってもらえたのか?そういえば、2000年1~3月にやっていた木村佳乃といしだ一成が出演していたTBS『恋の神様』で、『100万回生きたねこ』を取り上げていた時があった。あのドラマの中で、あの絵本の暗示していたものは何だったんだろう?恋人同士のふたりが共通で「いいなぁ」と思った絵本、という感じだったのか?ちょうど『100万回生きたねこ』がブームだったから使われたのか?たかが絵本。されど絵本。難しいものもたくさんあるようで。。。大人が「面白い」と思うものは子どもも面白いのだ、とどなたかがおっしゃっていましたが、はたして、そうかなぁ。。。子どもにうまく説明できない概念のものもあるでよぉ。----------------------------------私がちょこっとお手伝いするシンポジウムが近づいております。いちおう宣伝。NHKの女子アナも、ピンキーもいらっしゃるでよぉ~私は会場のどこかにいるのかな?一般の皆さんも聞きに行けますでよ。http://www.ohotuku26.or.jp/monbetu/20_sympo/20sympo.top.htm----------------------------------11月~12月頃、私は続けざまに公募してましたが、その結果が少しずつ出ているようです。ボツ記録更新中だな、こりゃ。おっほっほ。
2005/02/16
めずらしく活字の話を・・・ヘタクソなのだが、私は町の読み聞かせサークルに入っていて、小学校や幼稚園、保育所、そしてリハビリセンターをまわり、読み聞かせ活動をしている。今日は幼稚園、保育所に行って、節分の絵本を読んだ。私が読んだのは『節分だ豆まきだ』という本。できるだけ鬼らしく。でも、泣く子はいねぇなぁ。午後、リハビリセンターに行く予定で、私はそこで読む本を選んだ。そこは大人の方々ばかりなので、主にエッセイなどを読む。それで私は、先日ダンナが借りてきていたあるシンガーのエッセイ集を読もうと思った。全国各地のコンサート会場を回りながら、その土地ごとに感じたことを書いているものである。たまたま、4年前にこの町を訪れていて、その時のことも書いていらっしゃる。その部分を読もう、と私はずっと決めていたのだ。今朝、“練習”のつもりで読んでみた。しかし・・・すごく読みにくい。私の感じた通りの言い方だと、「ことばがノッテこない」のだ。なんていうか、さらさらさらとことばが出てこないというか。。。朗読っていうのは文節ごとに感情込めてゆくものだと思うのだが、自分が読んでいる文章と感情がうまくかみ合わないというか・・・。なんだか、そんな感じなのだ。何度も何度もつっかかる。なんとなく、その理由がわかった。その土地の人との触れ合い、温かみを書き、それで同じ文脈で社会情勢にまで触れているのだ。小さなことを書いていて、いきなり大きな内容に飛躍。硬軟さまざまな文章が混在するからかもしれない。コンサートやテレビのトークはすごく面白い人なんだけどなぁ。。。その中で、けっこうかたい話が出てきても聞かせてくれる人なのに。活字であらわすと違ってくるのかな。私が敬愛するまっさんのエッセイだと、もう少し朗読しやすい感じがするのだが。。。人それぞれ、朗読しやすい文章が得意な方もいるし、黙読しやすいものを書く人もいるのだろう。表現する技術はそれぞれの個性だ。そんなこと言ってる私は・・・きっとどう読んでも読みにくい文章ばっかり書いてんだろうなぁ。。。反省。てなことを悩んでいたら・・・最近カゼが流行っているとのことでリハビリセンターでの読み聞かせは本日中止になった。次回、何を読もう?
2005/01/19
いわゆる“暴露本”の一種なのでしょうか・・・・普通のことなのかもしれない。世間で名をあげた人に愛人がいるというのは・・・。私が住んでいる田舎でもそんな話をチラホラ聞くし、どこどこの奥さんが亡くなった後、二号さんが後妻に入った・・・という話もある。古くから、日本のあちこちでそういう習慣があったのだろうが・・・・。でもやっぱり私は、こういった“愛人話”はあまり聞く気になれない。私の中に何か保守的な部分があるのか、潔癖症なのか・・・。「1人の人間に2つの家庭」というのはどうもしっくりこないのだ。長年“公然の秘密”だった関係をまとめた本が出版されるらしい。「年々記憶も薄れ、思い出を公にしておきたい心境になった」とおっしゃるご本人。いろいろな確執もあり、長年言いたかったことも山ほどおありなのだろうが、ここでぐっと抑えて語らずの姿勢でいらした方が、美しい思い出のままで過ぎていったのに。“本”になってしまったことで、世間からとやかく言われてしまうのは避けられないだろう。元首相の家族も黙ってないかもしれない。あっ、“出版差し止め”もあるだろうか?
2004/09/02
私はナガサキ わたしは、すべてをうけいれてきましたごく普通の夏の朝。今日も暑い1日になりそうな予感。戦争は続いているけれど、とても穏やかな朝。子どもたちが遊び、赤ちゃんが母親にあやされ、若者たちは学徒動員で工場で働き、そして医学生が学校で学ぶ。そんな日。午前11時2分、1機の飛行機があらわれて・・・・。これは絵本です。前半はごく普通の夏の日のようす。しかし、原子爆弾が投下された後には一転し、地獄絵のような恐ろしい状況が続きます。人々が助けを求め、水を求め、死んでゆく姿が描かれています。6月の終わり、この本をある小学校の読み聞かせで読んだ時、子どもたちが悲惨さを強く感じたのか、全員、ずどーんと静まり返ってしまいました・・・・。わぁ、迫力入れて朗読やりすぎちゃったかな、と私は反省しましたが、いずれはこういった真実をそのまま受け入れなければいけないのでしょう。学校の先生のお話によると、「小学生は原子爆弾について何かしら興味はあるけれども、まだそれほど深く知ろうという段階ではない」ということでした。それでも、読み聞かせが終了したあと、この本の所に寄っていって、手にとって見ていた6年生もいたなぁ。。。絵・文は葉祥明(よう・しょうめい)さんという方が数多くの取材の後に完成させたそうです。そして、これには全面、英訳が入っているのです。『英訳/長崎市』です。長崎市から全世界に向けて発信した絵本なのでしょう。わたしは、ナガサキ。わたしは、すべてを受け入れ、ほほえみと祈りでつつみこみます。私の願いは、核兵器のない平和な世界です。私は、原子爆弾の苦しみと悲しみを愛に変えました・・・・これまで、このような原子爆弾が投下された経験は長崎、そして広島の2か所しかありません。多くの人々が殺され、街が破壊されたというのに、それらをすべて愛に変えたというのでしょうか。それはあまりにも強すぎる。開き直りです。しかし、ここまで強くならなければ、全世界に核廃絶は訴えられないのでしょう。絵本の後ろに「長崎市民平和憲章」があります。ナガサキはよみがえって、あんなに美しい街となりました。だからこそ、平和憲章のひとことひとことがとても美しく響きます。参考までに。『あの夏の日』を読んだ後、まっさんの『長崎小夜曲』(『長崎小夜曲'90』でも可)を聴いてみましょう。美しいナガサキが心に浮かび、ますます泣けてきます。♪疲れた時には帰っておいで~ この包容力がどこから来るのか、なんだかわかってくるような気がします。
2004/08/09
はっきり言って、私は運転が下手くそだ。軽自動車でえっちらおっちら、雪や氷の道をどうにか運転できるようになり、用足しに出かけるようになった。電車などの公共機関が充実していれば、私はおそらく自家用車には乗らず、電車に乗るだろう。自分で運転するのが実はこわいのだ。大型トラックやトレーラーに乗る運転手の方々は、免許取得までに時間がかかるだろうが、運転の経験を重ねるうちに自分の運転に誇りを持つようになり、「オレがやらなきゃだれがやる!」みたいな気持ちで、日々の仕事に果敢に取り組まれているのだろう。そんな方々なのに、これまでのいくつかの事故で「運転手の運転ミスですね」などと片付けられたものがあった。しかし、それらはけっきょく、自動車の車体に欠陥があり、欠陥が製造会社の社内で隠ぺいされていたという。製造会社の信用はガタ落ちだ。トレーラーがいきなり炎上する事故が多発している。これって何か、ちょうど同じ時期に製造された部品がそろそろ破損する頃になったということ? 早くどうにかしてほしいよ。昨日の事故が起こったのは、登別市富浦(のぼりべつし・とみうら)の国道36号線。このあたりは私が札幌から私の実家へ向かう高速バスで必ず通る道であり、この近くには兄の家がある。大工と土木作業員の兄夫婦は、仕事で毎日、自家用車でこの国道を通るから、隣を走っていたトレーラーがいきなり火を吹いた・・・なんてことが起こるのはまっぴらごめんだ。このたびの事故ではトレーラーは全焼したが、幸いケガ人はなかったそうだ。トレーラーはクラッチハウジングの異常でリコールの対象となっていて、その交換部品が到着するのを待っていたらしい。仕事で毎日使われているトレーラーが部品交換なんていうのは、運送会社にとって困る事態なのだ。全国各地で、多くの人々に頼られて走っているのだから。お願いだから、早く、車をどうにかしてくださいよ。安全に、安心して乗れる車にしてくださいよ!
2004/07/22
数年前に史上最年少で芥川賞を受賞された方だが、文章がとても難解に思えてしまい、私などは近づきにくい感じをずっと持っていた。今回の『滴り落ちる時計たちの波紋』という短編集で、そういった読者にも向こうから近づいてくださったのだろうか。「余りに多様な現代」を映し出しているというこの新刊。短編集の中に、ネットで発表した形式の小説『最後の変身』というのがある。それに関して平野さんが「ネットの空間は、社会性を取り払う。かつては現実の社会の中で自己実現していたが、ネットの中で自己実現しようとするグロテスクな人格が肥大化してくる」とおっしゃっている。ネットの世界は匿名性があるから、安心して何でもかんでも気軽に書いちゃおうって気持ちになる。私もそのように感じ、これまでいろいろなサイトにいろんなことを書いてきたが、これは、見る人が見ると「あ!○○の△△さんだ!」とわかることが多いと思う。わざと、わかるように書く場合もあるかもしれないが。人間はただ1人では生きられず、毎日誰かとかかわっているのがごく普通だから、ネットの匿名性は100パーセント完璧ではない。やっぱり、書いた当人が認識された場合にその発言に責任が持てるよう、書きたいことは最小限度にとどめておいた方が良いのではないか? 自分のあれこれをむやみやたらに出してしまうと、思いもよらぬことに発展して、自分が悲しむことがあるかもしれない。平野さんの短編集、読んでみようかな・・・・私でも読破できるだろうか。
2004/07/16
あ、この裁判、続いてるんだ。だからこそ、先日の選挙が注目されていたのだ。選挙の時に、ご本人がここをまわったのはどうかは知らないが、いきなり事務所の看板を揚げる所があったり、青いクマのシンボルマークを掲げる会社などがあった。この地域はやはり、この方の支持母体らしい。だから、北海道地方区の投票数で、この地域はこの方がトップだった。あらためて、この方の強さを思い知った。しかし・・・やっぱりなぁ。。。。「私が使い込みをしたわけでもないし、私がポケットしたわけでもない。何がいけないんだ!」とおっしゃっているようだが・・・。やっぱおかしいと思うんだよなぁ。あらかじめ言っておくが。私の父や兄は建設の仕事の従事者だ。そして、関西に実家がある私のダンナの祖父、そしてダンナの叔父も偶然、建設業だ。それから、私の母は北方領土の出身者で、戦後、家族とともに引き上げて来た人間である。そんな私・・・通常であれば、この方の支持をするだろうと思われるんでしょうが・・・。政治にうとい人間として、素朴に感じたことを言う。国会議員っていうのは、国の利益になることのために身を粉にして働く人、なんでしょ? そんな人間が、ただ一つの地方の利益のために働くっていうのは、どうかと思うんだよなぁ。いろんな人に働きかけ、公共事業をある一定の地方に持ってきて、「仕事、とってきたぞ!」と誇らしげに語り、ごく一部の人間たちだけを喜ばすっていうのはなぁ。。。建設業として、おそらく我が家もいくらか利益をこうむったんだろうが・・・。う~ん、どうなんだべ。私の母親が10代後半~20代初めの頃。太平洋戦争が終わり、あの土地に兵隊がぞくぞく上陸してきたらしい。妙に背が高く、見慣れない風貌で、島民たちに近寄ってくる彼ら。衣類の洗濯など、兵隊たちのために島民たちを働かせ、結局、島民たちを追い払う結果となった。母は特に、「日本は負けたのだから、女はどうされるかわからない」という恐怖におびえていたようだ。ある兵士にラブレターのようなものをもらったこともあるらしい。でも、怖くてたまらなかった。年老いた母は現在、娘に対して、島のことをあまり話したがらない。島が戻ってきても帰りたくない、と口では言っている。母とは違い、母の弟である叔父は島民のビザなし訪問に参加したりしており、私は叔父から島の話を聞くことが多い。戦後60年近く経っているが、「できれば、島が戻ってきてほしいなあ」と思っている人々はつつましく運動を続けている。そんな人々に、あの『ムネオハウス』はショックを与えただろう。しかし・・・まだまだ「あの人がいなきゃ」と頼っている人々がいるのは残念に思う。とくにお年寄り。どうしても“実績ある人”をあてにしたがるのだ。やっぱり国会議員は、すべての国民に公平であらねばならないと思う。北海道経済は厳しく、みんな、苦しいところから抜け出したい、と思っているが、えこひいきみたいなことで得をするのはどうだろう。そして、もう一政治家に頼る時代は終わったと思う。これからは市民レベルで話し合い、協力し合い、社会を良くし、願いを実現させなければ。
2004/07/15
「先生のお手紙ってこわいよねぇ~~」塾に来ているA君が私に言った。“お手紙”というのは、私の出しているフリーペーパーのことだ。A君は小学校の低学年。昨年、本州から一家で北海道に移住してきたのだが、学年のわりにいろいろなことを知っており、すごく機転が利くので、私はびっくりさせられている。外来語のようなカタカナをそのまま話しても、A君には通じてしまう。小学校高学年、あるいは中学生くらいの話をしても「○○って何?」という言葉はほとんど出ず、スラスラと会話が成立するのだ。私のフリーペーパーは、小学校高学年くらいを目安に、できるだけ優しいことばで書いているつもりだ。しかし、漢字はけっこう多く含まれている。これを毎回、A君はおかあさんに読んでもらっているらしい。内容の説明も受けながらなのだろうか。でも、まずいなぁ。「世の中のことをもっと知って、みんなに考えてほしい」と思って書いているが、低学年に対しては、もっともっと楽しく夢のあることを伝えるべきではなかっただろうか。内容がシリアスなことが多いのだ。「これまででいちばんこわいのはどんな話だった?」と、私はA君に聞いてみた。すると、「おかあさんとむすめがどこかにつれていかれる話」と答えた。これは、夏の夕方、買い物に出かけた母と娘が何者かに連れ去られてしまい、24年経って、娘が日本に戻って来たという話。曽我さんのことだ。6月中旬の日朝首脳会談後、曽我さんだけが家族に会えない結果となり、直後にご本人が手記を発表した。私はその手記を読み、「自分と同じ日本人なのに、こんなに生き方が違っていいのだろうか。早く曽我さんの願いがかないますように」と書いたのだった。しかし、A君は“何者かが連れ去った”という事実が、特にこわかったようだった。「ねぇ、むすめのおかあさんはどうしたの?」「おかあさんは、どこにいったのかわからないみたいなんだよ」「えぇ~~そんなのありえな~い!」うん。私たち大人だって、そんなこと「ありえな~い!」って思うけど、事実、本当にあったんだ。もしかすると、これまでに何百人もこんなふうに連れていかれて、日本に帰って来れないのかもしれないんだ。イヤだな。こんなことを子どもたちに知らせなきゃいけないなんて。でも、私が知らせなくたって、他の人、あるいはメディアから自然に知ることになるのだろう。願いがかない、曽我さんが家族と再会できた。今後はどうなるのか、と日本国民はずっとハラハラしているが、ジェンキンスさんのご病気というのは、言い方がおかしいけれど“ラッキー”かもしれない。そうそう、日本の最高水準の医学で早く早く早急に治療しないといけないのですよ。そして、付き添う家族ももちろん必要なので、ジェンキンスさんと一緒に家族も日本へ向かうのですよ。ね。今の日本では、韓国の文化や韓国のスターにみんなキャーキャー言って、フィーバーしているよ。韓国語とはちょっと(ニュアンスが)違うかもしれないけれど、日本国内で言葉が通じる場面はこれからもどんどん増えてゆくと思うよ。だから、安心して日本へいらっしゃ~い。そして、他のみなさんも、早く日本に帰ってこれますよう~~~~~~~~~~~~~!
2004/07/14
1992年、阪神が優勝しそうになった頃から私は阪神ファンとなり、それまで「時間延長ばかりでメイワク」と思っていたプロ野球中継をよく観るようになった。当時はすでに2リーグであわせて12球団。日ハムが北海道に来てくれたのでセ・パ共にますます面白くなってきた、と思っていたのに。“合併”という事態で球団が減るのはやはり残念だ。これまで幹部の人ばかりがクローズアップされていて、当の選手たちやファンはどうなんだろうとずっと思っていた。不景気だからしかたない、という人が大多数なのかな、と思ったら・・・。ようやく選手会が立ち上がった。近鉄ファンの人たちも9,000人もの署名を会社に提出したという。合併した場合、新しいチームで活躍できる選手はどうなるのか。首切りの選手はまちがいなく出てしまうだろう。そして、チームが減るということは、「野球選手になりたい!」という少年たちのチャンスを減らしてしまう。こんなこと言ってても、どっちみち私は、はたから見ているだけなのだ。企業がスポーツチームを運営していくのがどんなに大変か、よく知らないものなあ。他の球団でも合併話がちらほら出てきたようだし。感情でものを言ってはいけないけれど・・・。やっぱり減ってしまうのはさびしい。ライブドアの社長さん、無責任に言っているわけではないと思う。なぜ幹部は「一度お話を聞きましょう」という気にならないのか。そういえば、どこかの過疎の市町村が、新参者の意見を聞こうとせず、これまでのやりかたをずっと守り続け、自滅の道をたどっている??? そんなことに似ているのかも。
2004/07/06
フランチャイズの学習塾を週2回、会場を借りておこなっている。学習する教材を毎回、子どもたちに配るが、その他に、会社から送られてくる書類、資料を配るよう、会社から指示を受けている。それも、いっぺんに人数分送られてくるわけではなく、たいてい『コピーしてご使用下さい』と記されている。「コピー機どうしようか。」塾を始める時に考えた。同時期に他の地域で始めた知り合いは、規模の大きな塾を引き継ぎ、最初から生徒が30~40人いた。それだけいるならコピー機は必需品、ということで、中古の事務用コピー機を購入していた。しかし、私の所はこの地域で初めての塾で、どのくらいの生徒数になるのかまったくわからない。最初に集まったのは10人にも満たなかった。資料のコピー枚数はたかがしれているだろう。それで、コピー機は購入もリースもせず、コピーのたびにこの町に1軒だけのコンビニに行くことにした。乗用車で5分くらいのところだ。だが、会社から送られてくる資料の量は半端じゃない。いっぺんに4、5枚きて「コピーして~」ということもあって、1枚10円のコピーを何度も取り、全部で500円をかるく超えることもよくあった。これもけっこう積み重なると年間で10万円以上になってしまうのだ。生徒数は一時、20人ちょっとになったことがあったが・・・・。けっきょく、進学などすると、部活が忙しいとか、大都市のレベルの高い学校に行きたい子は都市の学習塾に変えるとか、逆に、地域の学校で満足な子は、もともと定員割れしているのでそんなに勉強する必要はなく、塾はやめてしまい・・・そんなこんなで減少続き。今では、最初の頃の人数に近づいている。そして、塾の月謝はもともと高く設定されているため、小さい子の親たちからは「そんなに高くては通えません。しまじろうやっている方がいい」と言われ、新しく入ってくる子もいない。すでに、塾からの補助はない。逆に、会社に一定の割合のお金を持っていかれてしまう。塾を手伝ってくださる方々への賃金をお支払いし、雑費などもろもろのお金を支払うと、もう、マイナスになっているんだよな、これが。コピーやプリンター、余っている所には余っているようだ。社保庁の機械は届出用紙をプリントアウトするための機械の特注品をわざわざ作ったようだが、届出用紙なんか、コピーでじゅうぶんだったそうだ。ああ、ここでも年金のムダ遣いが発覚・・・。コピー機でもプリンター機でもなんでも、使っていないものはどんどん、庶民に還元してほしいよなぁ。めぐまれないフランチャイジーに愛の手を・・・・。
2004/06/21
この町では、図書館の蔵書の高い割合を占めるのが童話である。かなり前から、読み聞かせ活動や絵本に関する講座が盛んにおこなわれているようだ。今回の絵本の講座は、前にこの町に住んでいらした女性が講演した。この方は大人になってから童話にはまり、その後、子育てをしながら数多くの本に触れていった。そして、児童文学の専門資格を取得し、絵本のエキスパートとしてみんなから尊敬されていた。絵本は子どものもの、というイメージがあるが、大人にとっても絵本は心の糧になるという。平凡社『人生ではじめて出会う絵本100』などにも示されているように、年齢ごとにこの本が良いのでは、という本はあるが、あきらかに「このニュアンスは子どもにはわからないだろう」という“おとなのための”絵本が存在するのだ。『ほら いしころが おっこちたよ ね、わすれようよ』は「おとうさん、あんまり動かないでいてください。私の仕事が増えてしまいますっ!」と言いたくなるような、家庭の1シーンを思い浮かべる。ボケツッコミのコントにもなりそうだ。上天気、いい気分の1日の始まり。おじいさんは外に出て、にわとりの世話をしようとしたり、畑を耕そうとしたりする。しかし、そのたびに、たまごを割ったり、干してある洗濯物を汚したり、おばあさんが困る事態が次々と起こる。そんな時、おじいさんがいしころを地面にひとつ落とす。「ほら、いしころがおっこちたよ。ね、わすれようよ。」いしころが落ちたことをきっかけに、その直前に起こっていた“悲劇”は忘れなければならない、というルールが、ふたりの間にはできあがっていた。おばあさんはなぜかそのルールに素直に従う。おそらく、涙目になりながら。いしころは徐々に大きさが変わり、ほうき、ながぐつなどになってゆく。そして最後には、失敗ばかりでしょんぼりしてしまったおじいさんに、おばあさんが「いしころがおっこちたよ~」をやるのである。いしころおとしたくらいじゃ、なぁんにもかわんないじゃん。そうおもっているみなさま。てもとのそのいし、ひとつ、おとしてみてはいかが。
2004/06/18
やすきよ黄金期の漫才が大好きだった私は、きよしさんが参議院に立候補した時には「漫才やめるの?」とビックリした。しかし、きよしさんは一生懸命に庶民の声を聞きながら、「小さなことからこつこつと」ひとつひとつ法案を実現させ、おおぜいの支援者に支えられてここまでやっていらした。芸能活動を続けながらである。ポリオワクチン2次感染者に救済の道を開いたり、有料道路の障害者割引制度の拡充など、ほんとうに必要な人のための役立つ法案作りに専念なさった。庶民のお笑いが土台にある人は、庶民の思うこと、困っていることも手に取るようにわかるのだろうか。国会に出かける時には、黒塗りの高級車ではなく、議員専用バスに揺られたそうだ。ほんとうに、地に足がついた活動をされていた。3期で終えるのは非常に残念だが、精一杯の18年間。これ以上頑張っていただくと体が壊れてしまうのかも。阪神の星野前監督の時のようだ。「わしはいつも好きなことばっかりやっとるから、キーボーもやりたいことやってええで。」きよしさんが決意した時、相方の横山やすしさんが応援してくれたそうだ。しかし、世間がヤイノヤイノ言い始めると、やすしさんは急に寂しくなったのか、「キーボーに裏切られた」みたいな発言をしたことがあったらしい。けっきょく、やすしさんは病気になり、この世とさよならしてしまったので、やすきよのコンビが復活ならず・・・と思ったが、さすがは芸人。“新生やすきよ”となってやすしさんの遺産も引き継いでくれるのか? とにかく、今後の芸能活動に私はすごく期待してしまう。でも、やっぱりあの“強行採決”はひどい。こうやって、まともに政治活動に取り組んでいる方をないがしろにして、さっさと決定するような問題じゃないでしょ。「最終日に西川議員に発言してもらっては」という提案もあったようだが、「特別に発言の場を設けるなんて、前例がない」ということで、きよしさんの発言のチャンスはとうとう消えてしまった。きっとこの“心残り”を、今後の活動に生かしてくださるだろう。まずは、トーク番組でネタにされるのでは?ところで・・・私は、しょうもないことにこだわっているのですが・・・・。“強行採決”がなければ、福島瑞穂さんやきよしさんなど、計3名が質問するはずだったのです。“強行採決”直後、驚いた様子できよしさんが語っていたことですが、「質問の前に、ふんどしを締めなおそうと、ちょっと福島さんとおトイレに行っていたんです。帰ってくると、ワーッとなっていて・・・。」福島さんって、女性ですよね。これって、国会の男子トイレ、女子トイレが隣接している、という、それだけの意味ですよね?失礼しました・・・。
2004/06/17
お役所って、庶民のことが見えていない(よくわかっていない)。そんなふうに感じることはこれまでも何度かあったが、今回の人名漢字にはビックリし、私の小さい目の玉が、飛び出そうになった。手元に、その578文字が出ている新聞記事があるが、何度見直しても・・・・これって日本人の名まえだよね? 外国人とか、ゲームソフトのキャラじゃないよね? と思う。なんだかなぁ、なぜ、癌、糞、屍などを、人名に使っていいのかね。淫、怨、怯、厭、妾、垢、廓、骸・・・しっかり読める漢字ばかりだけど、こんな文字を人間につけては、もう子どもに恨まれるのは必至。成人になったらすぐさま、役所で『改名の届出』をされてしまうよ。新しく入省された、20歳代の“若手ホープ”という方々が、アイディアを出したのかな?「必死」「癌克服」というように、「他の漢字との組み合わせで意味が変わることもある」という見解らしいが、どこの世界に「癌克服」なんていう名前をつける親がいる?法務省で今、意見を募集しているそうだ。おそらく、意見が多すぎてパンク状態なのではないか?
2004/06/14
「報道に携わる人間は、真実を追求するべき。」メディアのこういった姿勢が私はとても好きで、私がフリーライターを目指したひとつの理由になっている。しかし…自分自身に、こんな大事件が降りかかったらどうしたらよいのだろう。小6生が同級生に殺されてしまった事件。被害女児の父親はある報道メディアの支局長さんだった。事件直後の会見で、「本当はこの場に出てきたくなかったけれど、自分が取材する立場だったらきっとお願いしただろう」と語っていらっしゃった。すばらしい職人魂。しかし、人間はいつまでもそんなに気丈ではいられない。連日、報道されている加害女児に関する詳細。ご自身の会社のメディアからも次々と情報が伝えられる。同僚の方々、本当はイヤだろうな。事細かに取材してゆきたいけれど、取材しているうちに、支局長さんに伝えたくない事実も出てくるのだろうな。お医者さんの立場だったら、家族の病の重さが次々とあきらかになってきて、絶望的になるような状況だろうか…。支局長さんの手紙に触れ、全国各地で涙を流す大勢の人々の存在。今後、この方の人生で大きな支えになってゆくだろう。
2004/06/08
首相もやっぱり、という非難轟々なのだが、首相が未加入期間を示してくれたため、年金制度の変遷がわかり、結局私にも未加入期間があることが判明。浪人期間って、強制加入なんだ・・・・。大学に入った時は既に二十歳だったから、7か月間は未加入だ。「大学生と同じ考えをして、未加入だった」という首相と同様。それから、二十歳以上の学生が強制加入になったのは1991年からということなので、大学の4年間は免除期間。ほっ。未払いの政治家さんが口をそろえて言っているが、やっぱり、「あなたは入っていませんよ」と教えてくれる仕組みがないと、国民年金を意識することなんてなかった。しかし、今のように『未払い』『未加入』という問題が大きくクローズアップされてきたのは、「年金を払うための財源がなくなった」からなのだろう。あ~あ、年金のムダづかい。何やってんだか。ちなみに、社会保険庁のサイトで『自分で出来る年金額簡易試算』というのがあって、私もこれまでの国民年金期間、厚生年金期間、そして免除期間など計算して数値を入れ、エンターしてみたが、「入力された期間の合計が、現在試算している月までに年金制度に加入できる範囲を超えているため、簡易試算を行うことが出来ません」なんていうメッセージが出て、計算してくれない。なんじゃこりゃ。しっかりしてよ。
2004/05/17
全国の負け犬たちの熱い共感を呼ぶベストセラー。大論争に発展した本ではあるが、酒井さんの人間分析の細かさに脱帽。そうそう、そういう人いるんだ。あぁ、わかるわかる、そんな気持ちになることあるもんね。私がこれまで言いたかった、表現したかった物事や人物に関して、適切な言葉で綴られている。泣けてきた。あまりにもズバッと言ってくれていて。なかでも「この服(もしくは靴、もしくは指輪・・・)を買えば、私はきっと素敵に見える。そうしたら、何かが変わってすべてがうまくいくかもしれない」という希望をほんの少しいだいて、洋服など選んでいる姿はなぜかぼろぼろ。物ばっかりじゃ生きてゆけないんだけど、他人の感情に振り回されっぱなしで生きてゆくのもどうか・・・・。それだったら物に頼った方がいいかな、なんて。ちなみに、私は独身じゃないけど(子どもはいないけどね)、負け犬の気持ちはわかる。勝ち犬は・・・・ちょっと苦手?????
2004/05/14
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