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2018年 5月 8日(火) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★左京区・吉田神社境内の山蔭神社で五月八日、包丁刀とまなばしだけでタイとコイを切り分ける「式包丁」が料理店関係者や国内外の観光客が見守る中、厳かな儀式が奉納された。式包丁は、山蔭神社が創建され五十余年前から始まった儀式。吉田神社の創建者藤原山蔭は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています料理に携われる事に感謝し、料理、飲食、包丁の神である藤原山陰に奉納される。笙や篳篥の音色が鳴り響いた後、平安時代から続く料理の流派、生間流式包丁は包丁の技に優れ、料理の始祖として敬われています。手を触れずに包丁だけで魚をさばく古式ゆかしいものです生間流の料理人たちが、舞のようなゆったりした動作で、包丁刀とまなばしで、優雅さと勢いを表すというタイとコイを、順に切り分け最後に豪快に包丁刀を振り下ろした。
2018.05.08
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2018年 5月 3日(木・祝) 【葵 祭 シリーズ】★左京区・下鴨神社で、葵祭の道中の安全を願う疾駆する馬の上から的を射る「流鏑馬(ヤブサメ)神事」が葵祭の露払いとして五月三日営まれる。 新緑の糺の森のトンネルを駆け抜ける馬上から射手が矢を放ち的を射抜く。 「カーン」という的が割れ飛ぶ音と共に、観衆の拍手と歓声で盛り上がる。この流鏑馬は、飛鳥時代の伝統を受け継ぐとされる。 平安装束や江戸時代の平騎射(ひらきしゃ)の装束を身につけた射手が、全力疾走の馬上から、「インヨウイ」(陰陽射)、「ヤーオ」(矢追う)の矢声(やごえ)を発し、一〇〇㍍ごとに置かれた三つの的に矢を放った。木製の的に当たると「カーン」と甲高い音を響かせ、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。 明治時代から途絶えていたのが一九七三年(昭和四十八)年の式年遷宮を記念して復興した。 葵祭の道中の安全を願う神事で、古式ゆかしい公家装束姿の弓馬術礼法小笠原流一門が全長約四百㍍の馬場を疾走し、途中百㍍間隔に三ヶ所設けられた五十㌢四方の杉板の的をめがけて馬上から次々と矢を放ち、射終わるまでわずか二十秒足らずの、一瞬の業に集中する迫力いっぱいの神事。本殿で社頭(しゃとう)の儀があり、葵祭の道中の無事と天下太平を祈った後、神職が射手に弓矢を手渡した。 下鴨神社が宮内庁から譲り受けた馬車が登場する。 神事の後、射手が馬に乗り、南から北へ約四〇〇メートルの馬場をさっそうと駆け抜けながら、三つの的に向けて次々と弓を引いていった。放たれた矢が大きな音を響かせて杉板の的に当たると、観覧席から大きな拍手と歓声が上がっていた。 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★左京区・狸谷山不動院で五月三日、無病息災などを祈願する「狸谷山大般若祈願会」が行われた。 赤々と燃えさかる本堂で、春の新緑の時期に毎年行っている法要。 本堂内にたかれた火に願い事を記した護摩木をくべ、護摩導師と読経僧二人が、六百卷からなる大般若経を、左右の手の間で流れ落とすように開いて転読し、朗々とした声が響く中、参拝者は本尊に向けてこうべを垂れて合掌し、お経を唱和した。 転読は、蛇腹状の経本を扇のように広げて大般若経を読み進める法要。転読の際に起きる風「梵風」を浴びると無病息災の御利益があるとされる。体から邪気を払う「たたき加持」も行われ、参拝者一人一人の肩を経本でたたいた。★中京区・二条城清流園で五月三日から各流派による「市民煎茶の会」が始まった。 煎茶の会は毎春実施され、今年で六十四回目。 新緑の美しい庭園を眺めながら、煎茶各流派の御茶席を楽しめる。 煎茶六流派が五日まで三日間、普段は公開していない香雲亭と和楽庵で点前を披露する。茶席券 一枚 二〇〇〇円 一席につき約二十人の参加者に、家元と弟子が流派のいわれや軸、花を説明した。 観光客や市民が初夏のさわやかな風を感じながら煎茶の香りを楽しみ、若葉がまぶしい庭園を眺めながら、優雅なひとときを過ごした。 当日は国宝の二の丸御殿、狩野派の襖絵、二の丸庭園も公開中です。 拝観料 大人 五百円。 別途 一食 五百円が必要。 2018年 5月 4日(金・祝) [葵 祭シリーズ]★葵祭のヒロイン、斎王代が祭りを前に身を清める行事「御禊(みそぎ)の儀」が四日、上賀茂神社であった。 見物客たちは、みやびに儀式を行う十二単(ひとえ)姿の斎王代に見入っていた。フタバアオイを髪に挿した斎王代が朱色の楼門をくぐり、御手洗(みたらし)川をまたぐように建てられた橋殿(はしどの)(国の重要文化財)に入った。おはらいを受け、橋殿の北端に進んですっと両手を伸ばし、神職から川でくんだ水を手にかけてもらって身を清めた。 御禊の儀は、葵祭の前儀として一九五六年に創設され、下鴨、上賀茂両神社で隔年交代で行われる。上賀茂神社では、通常は御手洗川に手を差し入れる。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★宮本武蔵が一乗寺下り松で決闘する直前にお参りした神社が、ここ八大神社です。 宵宮祭では六色の大風流花笠が氏子地域を巡行。 夜八時時頃には、神社から下がり松にかけてかがり火が焚かれます。 神幸祭では、御輿、重要文化財の剣鉾などが巡行。 車などが一乗寺一帯の各町から出発し、十五時頃から八大神社に集まります。 氏子域が広いため、午前中は白川通りより西側、午後は東側を巡行します。 .
2018.05.05
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2018年 5月 1日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★右京区高雄・神護寺では、恒例の「宝物虫払い」行事が五月一日~五日まで行われる。 弘法大師(空海)直筆の古文書や源頼朝や平重盛を描いたと伝わる国宝の肖像画など、普段は見ることのできない寺宝を参拝者が間近に鑑賞した。 虫払い行事が行われていたことを示す一六三七(寛永十四)年の文書が見つかったのを契機に、寺が一九五四年に復興させた。今年で六十一年目となる。 会場の書院には、国宝や重文を含む計七〇点の寺宝が展示されている。真言宗を開いた空海(弘法大師)が行った密教の重要儀式の記録「灌頂暦名(かんじょうれきみょう)」(国宝)には、天台宗を開いた最澄(伝教大師)の名前も記されている。平安時代に描かれ、衣の色から「赤釈迦(しゃか)」の別名がある釈迦如来像(国宝)や、後白河法皇の手形が押された「文覚四十五箇条起請文」(国宝)や平安後期の「釈迦如来(しゃかにょらい)像」(同)なども並んだ。 虫払いは博物館などに寄託している宝物を寺で見てもらおうと毎年五月に開催している。五日まで。有料。京都の初夏も川面の涼風はや夏情緒!一日から鴨川納涼床の「床開き」 ★京都も風薫る素晴らしい季節となってきました。 京都の夏の風物詩として数えられ広く親しまれている「鴨川の床」が今年も早々と、みそそぎ川(鴨川の右畔に沿って流ている人工の浅瀬の川)の上に立ち並び、木屋町の二条→五条間の九十八店の料理屋・各種飲食店・喫茶店や三条→四条間の先斗町お茶屋さんの川床が五月一日より開床!!!。みそそぎ川のせせらぎの音も優しく、四季折々の自然を映して、京都の町中を流れる鴨川。いにしえの都人は、加茂の河原に桟敷や几を配し、遠来の客を遇しました。こうした風情を現代伝えたのが「鴨川の床」です。ずっと以前は六月一日~八月三十一日まの期間を本床「鴨川の納涼床」と呼び賑っておりましたが、近年「皐月の床」五月一日~五月三十一日:「後涼み」九月一日~九月三十日となり、五ヶ月の長期間にわる京の風物詩となりました。 爽やかな五月に催している「皐月の床」この時節は新緑の東山を眺め、川面をわたる爽風に吹かれながらのお昼のひとときを、又夕食の京料理をと古都ならではの贅沢を堪能されては如何ですか…… (但し、雨の日は床は楽しめません)。 木屋町御池の料理旅館「幾松」では、島原の太夫や宮川町の芸舞妓が舞を披露。客は太夫や芸舞妓のもてなしを受けながら、旬の食材を使った料理や酒を楽しんだ。 長刀鉾祇園囃子保存会が今夏初めて「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)を奏で、舞妓が来客をもてなした。※ 「鴨川納涼床」は特許庁により地域ブンド商標(登録商標)として認定され、全国的にもますます知名度が向上しているようです。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★石清水八幡宮は国宝の本殿や、参道などをライトアップする特別拝観「石清水灯燎華(とうりょうか)」を催す。灯籠で照らされた境内が幻想的な雰囲気に包まれた。 二〇〇〇年から毎年開催している。本殿では、憤怒した八幡大菩薩ら神様を描いた掛け軸「篝火御影(かがりびのみえい)」を特別公開。清峯殿には、石清水祭の復興援助を申し出る「岩倉具視書状」(重要文化財)と「神祇官(じんぎかん)達書」(同)の初公開二点を含む二十一点の文化財を並べる。笛や和楽器の奉納、茶席(有料)もある。 午後九時まで。拝観料千円(小中学生五〇〇円、境内参拝は無料)。当日限定で月夜に浮かぶ社殿をデザインした「石清水灯燎華本蒔絵(まきえ)朱印帳」(三〇〇〇千円)を授与する。 清峯殿では三~六日午前九時から午後四時まで「神仏霊場会発足一〇周年記念特別展」も開催する。五〇〇円。★北区上賀茂の大田神社で、国の天然記念物に指定されているカキツバタが見頃を迎えている。新緑の境内に上品な紫が映え、訪れる人たちの目を楽しませている。 境内に広がる約二〇〇〇千平方メートルの大田ノ沢に、約二万五千株が群生している。平安時代の歌人、藤原俊成が一面のカキツバタをいちずな恋心に例えて詠むなど、古くから名所として親しまれてきた。 今年は例年より一週間ほど早く開花したといい、今月十七日ごろまで楽しめる見込み。境内は、季節の風物詩を堪能しようと訪れた観光客で賑わっている。★「ナンジャモンジャ」の別名があるヒトツバタゴの花が、左京区の真如堂(真正極楽寺)で見頃になった。雪のようにふわふわと咲く花に、訪れた人が見入っている。モクセイ科の落葉樹で中国原産。名前のよくわからない珍しい木として「何じゃもんじゃ」との名で呼ばれる。同寺では「涅槃(ねはん)の庭」に植えられ、高さ二〇メートル近くに育った木が先週末に一気に開いた。雪をかぶったように見える大木を参拝者が見上げている。 今週末ごろまで楽しめそうだという。午前九時時~午後四時。五日は正午まで。六日休み。拝観料五〇〇円。.
2018.05.05
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2018年 4月 29日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★長年使ってきた畳に感謝しようと、全国畳産業振興会が二十八日、日本唯一の「畳供養」がおこなわれる『畳寺の畳まつり』が、「浄土宗大本山 清浄華院で開催された。 畳職人や山伏が見守る中、古畳を組んだ護摩壇で、市民が畳の思い出をつづった手紙やござが焚(た)き上げられた。 畳の需要が年々減っている中で、「畳と暮らす心」を思い出してもらおうと、二〇一五年から初企画した。畳替えによる新たな需要も喚起したいとする。この日は、僧侶らによる読経の後、十年以上使用した畳で組まれた護摩壇に、全国から寄せられた約一六〇〇通の思い出の手紙や、畳職人が願いを記した「護摩ござ」が燃やされた。参加した人たちはそれぞれの畳との生活に思いをはせていた。 会場の「浄土宗大本山 清浄華院」は、境内の真ん中に約二〇〇畳の畳が敷かれた「大殿」があることから「畳寺」とも呼ばれ、畳職人が多く訪れる場所である。実際の供養は、浄土宗の伝統的な儀式にのっとり、全国より集められた願いの書かれた古ゴザの「畳の護摩ゴザ」を、古畳で作られた「畳の菰」に入れて幽玄な炎で供養する。開催日の四月二十九日は、原材料のイグサが緑いっぱいに育つとして「畳の日」に制定されている。今年から「畳供養」以外に、畳の歴史や伝統を体感できるイベントを増やし、『畳寺の畳まつり』へと進化。畳職人による「手縫い製作」の披露のほか、カラフルな畳などの「畳珍百景」コーナーも登場する。また、まつりの日限定で「大殿」の畳のイメージと、「畳寺」の文字を合わせた特別なデザインの御朱印もいただける。入場は無料。★「壬生さんのカンデンデン」の愛称で知られる国の重要無形民俗文化財「壬生狂言」の春の公開が二十九日、中京区の壬生寺で始まった。 『ガンデンガン』の囃子に合わせて演じられる軽妙な無言劇・壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされる。 七百年の伝統を伝え、重要無形文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いでいる。 素焼きの皿を豪快に割る「炮烙割(ほうらくわり)」など五演目が上演され、集まった大勢の観客を沸かせた。 「壬生大念仏会」に上演される最初の演目は、太鼓屋が炮烙売りとけんかし、厄除けの炮烙を割るという「炮烙割」。 炮烙割は、市場の出店順を巡る太鼓売りと炮烙売りとの争いを描いて因果応報を伝える演目。鉦(かね)と太鼓、笛の音に合わせ、仮面を付けた演者がユーモラスな所作で笑いを誘った。太鼓売りが高さ約三メートルの舞台から約一一〇〇枚の炮烙を落とすと、大きな拍手が湧き起こった。 最後に、節分の日に家族の年齢や性別を墨書きして奉納された千枚以上の炮烙が舞台の上から落とされる これが見事に割れると、災いから逃れ福を招くといわれている。 壬生狂言は鎌倉時代の一三〇〇年、壬生寺の中興の租・円覚上人が、声が届かないほど大勢集まった群衆に身ぶり手ぶりで仏の教えを説くために始まったと伝わる。 五月五日まで。炮烙割は連日午後一時からの初番。有料。 大人 一〇〇〇円 ※ 二月、十月にも催される。★ゴールデンウイークがスタートし、京都の社寺は大勢の人でにぎわった。伏見区の城南宮では、平安貴族の歌遊びを再現する「曲水の宴」が催された。 曲水の宴は、古代中国に始まり、日本では奈良時代から平安中期にかけて宮中の年中行事として催された。城南宮は毎年春と秋に行っている。 今春の歌題は、見頃を迎えた城南宮のフジにちなんで「藤花久匂(ふぢのはな ひさしくにほふ)」。公卿や女官の装束をまとった六人の歌人に歌題が示された後にあいにくの雨となり、小川がある庭園から神楽殿に会場を移した。 神楽殿の表舞台で、白拍子の舞が披露された後、歌人が短冊にしたためた和歌を神職が詠み上げ、参拝者は静かに聞き入っていた。
2018.04.29
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2018年 4月 28日(土) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★宇治の“花の寺”三室戸寺で、花の園の開園です!つつじ二万万株、しゃくなげ一千株が紫・ピンク・白の花を見事に咲かせます。つつじには多くの品種がありますが、三室戸寺のものはほとんど平戸ツツジです。 その数なんと二万株!関西の寺社ではナンバーワン。 霧島つつじ、久留米つつじ等も咲き誇る四月末から五月初め頃が見頃と思います。 京都のつつじの名所「つつじ寺」とも呼ばれる三室戸寺へ是非鑑賞に行かれてはいかがですか。しゃくなげ四月下旬より五月中旬にかけて一千株の石楠花(しゃくなげ)が、三重塔を望む山の北斜面に、 赤ピンク 白の中に紫色の斑入りの西洋シャクナゲが咲きます。
2018.04.28
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2018年 4月22日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京の春を彩る例祭として、古くは松尾の国祭と称せられており、西の葵祭りとも呼ばれる勇壮な船渡御で知られる神輿が船に乗ってレンゲ咲く桂川の清流を渡ることで有名な「松尾の祭り」の神幸祭で六基のみこしが「ホイット、ホイット」の威勢のいい掛け声と春風に乗って順番に桂川を渡った。 平安時代前期の貞観年間から始まったとされ、一千年以上の歴史を持ち、氏子の安全を祈願する神幸祭(おいで)は松尾大社を出発し、桂離宮の辺りで川を渡り、祭典を行い、六基のみこしは各御旅所に納まる。 神事を終えた神輿六基が拝殿廻しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、榊御面、大榊行列等を前列として上桂一帯の氏子地域を巡行。やがて桂大橋西岸上流で一基ずつ神輿船に載せられ、ゆっくりと川を下ります。 桜が散り、若葉が萌え出で、菜の花が岸を染める春の香気の中、桂大橋東岸での神輿の陸揚げがまた見事。(陸揚げは桂離宮東側から見学するのが一番) 還幸祭(おかえり)は五月十日に松尾大社に還幸する。 昔は三月中卯日に出御、四月上酉日に祭礼となっていましたが、明治以後四月下卯日に出御、五月上酉日に還御となり、さらに昭和三十六年からは、四月二十日以後の第一日曜日に出御、それから二十一目の日曜日に還御となっています。 出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回まわった(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し、松尾・桂の里を通って桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦されます。 ★稲荷大神が年に一度、氏子地域を巡行する広くご神徳を垂れたまう大社最重要の祭儀です。 神幸祭神事の後、神輿・神官・楽人を乗せたトラックが本社を出発。 東寺付近の御旅所まで向かい、練り廻しや差し上げを行います。 「お還り」の五月三日還幸祭まで東寺東門に神輿が駐興し東寺での神饌を受けます。.
2018.04.22
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2018年 4月 20日(金) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★宇治市宇治の平等院鳳凰堂前にある藤棚のフジが見頃を迎えた。 近年、開花不良が続いていたが世話を続け、「美しく見える数」とされる二万に迫る花房が七年ぶりに付いた。二十日は今年の最高気温を記録し、青空の下で多くの参拝者が風情を楽しんだ。フジがほのかな甘い香りを漂わせ、幾筋も垂れ下がる薄紫色の房花を参拝者が撮影していた。 鳳凰堂前には樹齢約三〇〇年の四株が植わる。土壌のバランスが崩れ、二〇一二年に突然、全く花が付かなくなった。同寺は剪定(せんてい)や土壌改良で少しずつ再生を図って徐々に開花数を増やし、今年は一万八千房を見込む。 住職は「平等院とフジの姿は長年変わらない。今年はとても良い花を見ていただけると思う」と話す。見頃は来週末までという。 2018年 4月 21日(土) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★京都市上下水道局は二十一、二十二両日、ツツジの名所として知られる東山区の蹴上浄水場で見学会を開く。暖かい日が続き開花時期が早まったため、五月二~六日の一般公開に先駆けて企画した。 蹴上浄水場は斜面の崩壊を防ぐために数多くのツツジが植えられ、大正時代から名所として市民の目を楽しませてきた。オオムラサキツツジなど約四八〇〇本が植えられている。 例年は大型連休中に満開となるが、今年は今週末にも満開になる見通しとなった。満開を迎えてから一週間ほどが見頃という。 見学会は無料。申し込み不要。午前九時~午後四時。入場は午後三時半まで。 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★南区・東寺では四月二十一日、正御影供(しょうみえいく)が営まれる。そびえ立つ五重塔(国宝)は、木造建築の美が際立っています。 高さ五十七㍍の日本最高の塔で、寛永二十(一六四三)年に、徳川家光が再建奉納したものです。 四月二十一日は空海の入寂の日に当たり、御影堂を開扉します。 遺徳を偲び、五穀を供え、盛大な勤行式が行われます。この日灌頂院の閼伽井(あかい)に掲げる三十㌢×四十五㌢ほどの絵馬三枚は、中央が今年、左が昨年、右が一昨年のもの。この中央の絵のできばえで農家の人々はその年の作柄や天候を占うと言われています。※ 同時に例月の弘法市も開催される。
2018.04.21
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2018年 4月 19日(木) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★建仁寺は建仁二年(一二〇二年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(一二五八年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。 建仁寺で四頭式という珍しい伝統技法で茶会が開かれます。もともと栄西禅師は中国から茶の種を持ち帰り、喫茶を広めたことで知られ、その生誕日に茶会で遺徳を偲ぶものです。★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月十九日、本尊・釈迦如来立像(国宝)のほこりを払う「御身拭式」が営まれた。 平安中期の僧・ちょう然が宋から請来した像で、インド・中国・日本と渡った「三国伝来の生身のお釈迦さま」と言われている。 約八百年前、後堀河上皇のきさきの母の生まれ変わりの牛が死んだ時、釈迦の体を拭ったとされる白い布で、きさきが経帷子を作り、牛に着せて火葬すると、往生したという言い伝えにちなみ、牛が死んだといわれる四月十九日に法要を営んでいる。式は双盤念仏の読経の最中に太鼓と鉦の音がなり、導師が厨子に上がって釈迦如来立像に一年間たまったほこりを丁寧に払った。 続いて毎年この日には身を清めた住職が西芳寺(苔寺)の水に香を溶いた香水に浸した白い木綿の反物で、立像の頭から足までふき取った。拭ったあとの白布を往生浄土を望む参拝者に授与するようになったものです。※ 式で使った反物は死出の旅路にもたせる経帷子(きょうかたびら)の起源であるともされています。事前に申し込んだ人が経帷子に仕立てるという。
2018.04.20
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2018年 4月 17日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★浄土真宗中興の祖・蓮如(一四一五~九九年)の肖像画「御影」とともに、真宗大谷派本山・東本願寺から福井県あわら市・吉崎別院まで往復五百二十㌔ある全行程を歩いて往復する恒例行事「蓮如上人御影道中」の一行が四月十七日、東本願寺を出発した。 蓮如(一四一五~九九)が他宗から迫害され、一四七一年、京都を追われ越前・吉崎を拠点に教化した苦労をしのぶとともに、その遺徳を伝えるため、吉崎別院で毎年二十三日から営まれる法要に合わせて一七五二(宝暦二)年(約二百五十余年前)から続く伝統行事。 今回で三百四十一回目を数える。 今年は引率役の僧侶一人と供奉人(ぐぶにん)と呼ばれる門信徒の八人計九人が、東本願寺の大寝殿で「御下向(ごげこう)式」が営まれ、御影が輿に納められた後、リヤカーに載せて「蓮如上人さま、東本願寺をおたーちー」のかけ声を合図に一般参加者も随行、約三十人が台車を引き始め、福井県に向けてお寺を出発した。 滋賀県湖西地域を経て二十三日に吉崎別院に到着。往路は琵琶湖西岸など約二百四十㌔を一週間かけて歩き、蓮如上人御忌法要の後、別の僧侶や門信徒たちが五月二日に吉崎を発ち、復路は琵琶湖東岸沿い湖北、湖東地域を通って五月九日に御影が東本願寺に戻る。 2018年 4月 18日(水) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★木津川市山城町綺田(かばた)の「蟹の恩返し」の物語で知られる蟹満寺で四月十八日、カニに一年間の感謝をし、商売繁盛や豊漁を祈願する「蟹供養放生会」が営まれた。 平安時代後期の今昔物語などに記される「蟹満寺縁起」は、カエルを飲み込もうとしていたヘビに、父が「放したら娘を嫁にやる」と言ったためヘビに迫られた娘が、自分がかって助けたカニによって救われた、という話。 国宝の釈迦如来坐像を安置する本堂前で琴と尺八が演奏された後、観音堂で山伏や僧侶計九人が護摩を焚いた。 祭壇にはタラバカニ二匹を供え、読経が響くなか、全国のカニを扱う関係者や水産業者らが約三百匹のサワガニを次々と放した。★東山区・浄土宗総本山:知恩院で四月十八日から開祖法然の遺徳を偲ぶ忌日法要「御忌大会」(ぎょきだいえ)が始まった。 御忌は、法然が八十歳で死去して約三百年後の一五二四(大永四)年に始まったとされる。 戦国時代から続く「法然忌」とも呼ばれる知恩院最大の法要で、命日の二十五日まで連日、ご詠歌の奉納や音楽法要などが続く。 法然は一月二十五日に亡くなったが、本来は一月に営む法要が一八七七年から四月になった。 全国から集まった僧侶や壇信徒たちの唱える念仏が、国宝・御影堂に響き、法然の遺徳を偲んだ。 十八日の逮夜法要では、約百人の僧侶が内陣を歩き回りながら念仏を唱える「笏念仏行道」が営まれ、堂内を埋めた約千人の参拝者が手を合わせていた。★浄土宗総本山の知恩院で十八日夜から、三門上層の仏堂で夜通し念仏を唱える法要「ミッドナイト念仏in御忌(ぎょき)」が営まれる。 僧侶らは仏像の前にろうそくをともし、朝まで厳かな雰囲気の中で念仏を唱える。 極彩色に彩られた国宝・三門の二層内部で、ろうそくとあんどんの明かりを頼りに、僧侶や檀信徒たちが「南無阿弥陀仏」の声と木魚の音が厳かに響いた。 同日始まった宗祖法然の遺徳をしのぶ年間最大の行事「御忌大会(だいえ)」の関連法要で、一九九七年に始まった。午後八時、極彩色の天井絵が施された二階の仏堂に知恩院の儀式を担う式衆約三十人が入り宝冠釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)(重要文化財)や、尼(むに)仏と十六羅漢像を前に、お経に節をつけた声明(しょうみょう)を響かせた。続いて、大勢の檀信徒たちも一緒に木魚たたいて唱和を繰り返した。十九日午前七時まで唱え続ける。 御忌の始まりを告げる開白(かいびゃく)法要は午後二時から、集会(しゅうえ)堂(御堂)で営まれた。法要は二十五日まで続く。
2018.04.19
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2018年 4月 15日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]宇治・平等院:特別展「不動明王」 ★平等院の観音堂や不動信仰にまつわる特別展「不動明王-激動の時代を見守った仏」十三日、境内のミュージアム鳳翔館で始まった。修理を終えた不動三尊像をはじめ計二十点を展示している。鎌倉前期に建てられた観音堂(重要文化財)は、老朽化で二〇一四年に一般公開をやめ、翌年に宇治市指定文化財の不動三尊像を修繕した。その過程で、脇侍(きょうじ)である二童子像の足ほぞから墨書が見つかり、正保三(一六四六)年に当代屈指の京仏師・吉野右京が制作したと判明した。右京は相国寺(上京区)や龍安寺(右京区)などにも作品を残した仏師。このほか、持国天と多聞天が極彩色で立体的に描かれた観音堂厨子(ずし)扉絵や最勝院不動堂所在の不動三尊像、最勝院と浄土院伝来の大判古図なども並ぶ。鳳翔館には一九九九年に修理された観音堂本尊の十一面観音立像(重文)が常設展示されている。六月二十九日まで。拝観料が必要。五月十六日から一部、展示内容が替わる。
2018.04.17
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2018年 4月 15日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]茶道:「藪内穆室前家元との別れ惜しむ」 ★三月十九日に八十一歳で亡くなった古儀茶道藪内流の藪内穆室(ぼくしつ)前家元の葬儀・告別式が十四日、北区の大徳寺三玄院で営まれた。薄曇りの下、約千人が会葬に訪れ、「正直・清浄・礼和・質朴」の茶道精神を守り伝えた藪内前家元との別れを惜しんだ。式は午後1時、長谷川大真住職が導師を務めて始まり、交流のあった政財界人や文化人が参列した。読経の後、葬儀委員長の冷泉為人さんが藪内前家元の足跡や同流の茶風に触れ「茶道の教えを通じ、人間の生き方としても極めて大事なことを門弟に説いてこられた」と弔辞を述べ、和歌を贈った。喪主の十四代藪内紹智家元が「茶人として、父は常に稽古の人でした。
2018.04.15
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2018年 4月 13日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺で十三日、「春の法要」が始まり、宗祖親鸞の妻・恵信尼七百五十回忌が営まれた。 僧侶や門信徒たち約二千人が御影堂内で「南無阿弥陀仏」の声を響かせた。普段は非公開の書院(国宝)などの特別公開も行われ、多くの参拝者が訪れた。 西本願寺の恵信尼の法要は、一九七〇年に営まれた七百回忌以来。この日は大谷光真前門主が座り、女性僧侶二人が初めて法要の始まりに唱える声明を先導する「散華頭」を務めた。この後、僧侶を含めた参拝者たちが、親鸞の書き残した「正信偈(しょうしんげ)」を一斉に唱和し、宗祖の伝道を支えた恵信尼の生涯を語る法話もあった。 安土桃山時代に発達した書院造の代表とされ、現存最古の能舞台を備えた書院や回転する八角形の棚が特徴的な経蔵(重要文化財)、時を知らせる太鼓を収納した太鼓楼・御成門(同)と旧仏飯所も特別公開する。 十六日まで。同日は書院は非公開にする。 2018年 4月 14日(土) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★球技の神様として知られ、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の別邸があったところで、守護神である精大明神を境内末社の地主神に祀っている上京区の白峯神宮で四月十四日、春の例祭「淳仁天皇祭」が催され、神事と舞楽奉納の後、桜の花びらが舞い散る境内 烏帽子姿と着物姿の蹴鞠保存会のメンバーにより、威勢の良いかけ声を出しながら、右足で白いまりを蹴り蹴鞠を披露する。 同宮に祀られている淳仁天皇(七三三~七六五)の命日に毎年開催されている。 §蹴鞠について§ 日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(1903)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百十四年目)。雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。 蹴鞠の歴史は、約千四百年ほど前に中国から仏教とともに日本に伝わった。鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。 公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。 蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。蹴鞠を行う庭は約十五㍍四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。 ※「逸 話」 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。
2018.04.14
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お詫び申し上げますまたまた3月28日より4月10日まで入院しておりましたので"おいない"の京都最新情報のブログが書けずになりました。 2018年 4月 1日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★下京区の東本願寺(真宗大谷派本山)で一日、「春の法要」が始まった。宗祖親鸞の誕生を祝う法要が営まれ、荘厳な音楽に乗せて「南無阿弥陀仏」と唱える声が堂内に響き渡った。親鸞は一一七三(承安三)年四月一日に生まれたため、同派は毎年四月に法要を営む。二七〇〇人の参拝者が集まった御影(ごえい)堂では電子オルガンの音色に乗せて僧侶が入室。さらに参拝者たちが僧侶の声に合わせて親鸞著の「正信偈(しょうしんげ)」を唱和した。春の法要は三日まで。同派によると期間中、約八千人が参拝に訪れる。 2018年 4月 3日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★京都府木津川市にある寺院の秘仏や寺宝、春らんまんの境内を公開する「春の特別開扉 国宝めぐり花めぐり」が市内で開催されている。同市は府内で京都市に次ぐ数の国宝・重要文化財がある。春と秋に市観光協会が特別開扉をしており、今回は六寺院が参加する。浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来坐像は夏から約一〇〇年ぶりの修繕が順次施され、五年後まで九体そろった姿では拝めなくなる。また、蟹満寺(同市山城町)の十二天屏風(びょうぶ)、海住山寺(同市加茂町)の飯縄(いづな)大権現、岩船寺(同)の弁財天像、西念寺(同市鹿背山)の薬師如来坐像など、普段は非公開の文化財も公開される。神童寺(同市山城町)では、桜やミツバツツジの競演も楽しむことができる。キャンペーンは五月三十一日までだが、寺院によって公開期間が異なる。 2018年 4月 5日(木) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★宇治市宇治の平等院で五~九日、桜の時期で初めてとなる夜間特別拝観が行われる。鳳凰堂や満開のしだれ桜が闇夜に浮かび上がった。極楽浄土を表現する鳳凰堂はLED(発光ダイオード)照明五基に照らされ、正面のしだれ桜との共演が彩りを添えている。境内などではボケの花が満開を迎え、フジも咲き始めている。夜間特別拝観は午後六時半~九時拝観料が必要。 2018年 4月 7日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★数え年で十三歳を迎える少年少女の健やかな成長を祈る「十三まいり」が七日、西京区の法輪寺で営まれ、晴れ着姿の子どもたちが学業成就を願った。平安初期から続くといわれる十三まいりは成人になるための通過儀礼で、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)から知恵を授かるために参拝する。帰りに渡月橋を渡る際は振り返ってはいけないとされている。 2018年 4月 10日(火) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★西京区の松尾大社で、ヤマブキが見頃を迎えている。同神社が「こんなに早い開花は初めて」と驚くほど咲きそろい、緑の葉に映える愛らしい黄色の花が、多くの参拝者を楽しませている。同神社によると、平安時代から周辺はヤマブキが自生する地域だった。昭和三十年代から境内に植え始めた。現在は約三千株のヤマブキがあり、境内を流れる一の井川沿いを彩っている。一〇日から五月五日まで「山吹まつり」を開催し、神事や行事が行われる。 2018年 4月 11日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★松尾大社『中酉祭』は酒造りの祭で、社務所の裏を御手洗川という渓流が流れておりこの近くに霊泉があります。酒造家はこの水を酒の水として造り水に混ぜて使います。一般には延命長寿、よみがえりの水として有名です(松風苑内)。酒造りの神にちなみ楼門前南側にお酒の資料館もあります。古来より、卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしがあり、お酒造りにかかわる祭りの日取りもこうした昔からの慣習によるものであるとされています。年明けて、春を迎え、四月の中の「酉の日」には、醸造完了を感謝する『中酉祭』(ちゅうゆうさい)が執り行われます
2018.04.11
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2018年 3月 24日(土) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]★上京区の京都御苑で、早咲きのシダレザクラ(糸桜)が見頃を迎えている。春本番を思わせる陽気となった二十四日は、多くの市民や観光客が訪れ、淡いピンクの花びらに待ちわびた季節の到来を感じ取っていた。シダレザクラは、今出川御門近くの近衛邸跡の広場に数十本が植えられている。御苑内の桜の中でも特に早く開花するのが特徴で、一部は満開となっている。訪れた人たちは、地面近くまで伸びた枝に顔を近づけてかれんな花を眺めたり、写真に収めたりして楽しんでいた。★春の風情を味わってもらおうと、山科区の大石神社で二十四日から神木のシダレザクラ「大石桜」のライトアップが始まる。 照らされた薄桃色の花が宵闇に浮かび上がった。 大石桜は同神社が創建された一九三五年から植えられていたと伝わり、高さは約一〇メートル、樹齢は九〇年を超えるとみられる。 同神社によると、暖かい日差しの影響で例年より1週間ほど早く花が咲き始め、現在は七分咲きとなった。満開を迎える見込みの四月一日には、野だてやてづくり市の並ぶさくらまつりも開かれる。ライトアップは三月二十六日までの午後六時~八時。無料。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★小野・随心院は正暦二年(九九一)に創建された真言宗の門跡寺院。 宮仕えを終えた小野小町がこのあたりで余生を送ったことから小野小町ゆかりの寺としても知られている。 毎年三月最終日曜日(今年は二十五日)、春の恒例行事、平安時代の小野小町をしのんで、深草少将の恋の伝説にちなむ「はねず踊り」が、薄紅色を意味する「はねず」色の小袖をまとった子どもたちが愛らしい舞を披露した。はねずとは、昔の言葉で梅花の薄紅色(白色を帯びた紅色の古色名)を意味し、院内に咲く梅の花も同名で呼ばれ、古くから親しまれている はねず踊りは、平安期、小町を慕う深草少将が百夜通いの誓いを立て、はねずの咲く小野の里に毎晩通い続け、百夜を前に残り一夜というところで疲労に加え大雪に見舞われたことから病に倒れて亡くなった、との伝承に基づいて始まったという。 梅の花にちなむ薄紅(ハネズ)色の小袖をまとい、編み笠に紅梅の枝を飾った地元の女児十六人が小町と少将に別れて「少将さまがござる、深草からでござる」と百夜通いの悲恋の伝説を、わらべ歌を唄いながら雅楽に合わせ、あでやかに優雅な舞いを披露し、観客を魅了する。 公 演 午前十一時 : 午後十二時半: 午後一時半 : 午後三時(四回) 拝観料・梅園入場料 千円、 中学生 八百円 ★京の花街で春の舞踊公演の先頭を切る「第六十六回北野をどり」(二十五日~四月七日)が上京区の上七軒歌舞練場であった。芸舞妓が華やかに踊りを披露し、会場は春らんまんの雰囲気に包まれた。 第一部は、十三年ぶりの新作舞踊劇「北野の杜(もり)の物語」。動物や梅の精霊たちの前に、あでやかな吉野太夫が2人現れて「自分こそ本物だ」と華麗な踊り比べを展開。コミカルなせりふや所作を織り交ぜ、観客を沸かせた。 第二部は純舞踊「色暦俗曲集」で、お座敷情緒あふれる三味線音楽やはやり歌の踊りを次々と披露した。フィナーレは、恒例の総踊り「上七軒夜曲」で締めくくった。 連日二回公演。四三〇〇円、茶席券付き四八〇〇円。
2018.03.25
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2018.03.24 16:55"おいない"の京都最新情報 2018年 3月 23日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★江戸後期の松江藩主で大名茶人の松平不昧(ふまい)が最晩年に建てた茶室を復元した「新生大圓庵席披(だいえんあんせきびら)き茶会」が二十三日、北区の大徳寺孤篷庵(こほうあん)で開かれた。僧侶や寄進者らが、不昧が趣向を凝らした空間を思い、一碗を楽しんだ。不昧は江戸前期の大名茶人小堀遠州を崇敬し、遠州ゆかりの孤篷庵を再建。その際、自らの菩提所(ぼだいしょ)として同庵西側に大圓庵を構えた。一八一七年に席披きの茶会を開いたが翌年亡くなり、大圓庵はその後失火で焼失した。節目の年に合わせ、孤篷庵の小堀亮敬住職が茶室の復元を計画。有志に呼び掛け、古図をもとに遠州が植えたと伝わるヒノキなども建材にして昨春再建したが、前住職が亡くなり、披露を1年延期していた。この日は、不昧と同庵中興開祖の寰海(かんかい)和尚の二百年忌の法要の後、茶会を催した。中柱があったり、点前座の天井に鏡板を張るなど独特の工夫が凝らされた明るい広間には、不昧が愛蔵した雪舟の円相の掛け軸が掛けられ、ゆかりの茶道具で濃茶が供された。茶会は二十四日も行われ、二日間で約一六〇人が列席する。 2018 年 3 月 24日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★京の春、桜の季節から新緑にかけての観光名物。琵琶湖疎水で明治時代に物資や旅客の輸送に活躍していた木造和舟の再現で運航する「岡崎さくら・わかば回廊十石舟めぐり」が、咲き始めたサクラの下、琵琶湖疏水をゆらりと三月二十四日から五月六日まで毎日、琵琶湖疎水記念館前から動物園畔を夷川ダムまでの一.五㌔を往復、約三十分間の船旅を、船上で両岸に並ぶ約四百本のソメイヨシノを見上げ、ピンクに色づく三分咲きのサクラに見とれながら、当時の面影が残る疎水べりの景色をゆったりと楽しみながら、京の春の風情が満喫できます。午前九時半から午後四時半まで十五分ごとに約二十九便運航。定員は一回につき十二人と二十四人乗りの舟が巡行する。(予約や時間指定は出来ず、当日乗船場で先着順に乗船券が発売される)。大人(高校生以上)千円:小人(小・中学生)五百円※この辺り一帯は、この時季桜花爛漫・春色満開と京都でも屈指のサクラの名所で、ソメイヨシノ約一千本が咲き誇り、疎水畔の散策では水路からも陸路からも壮観で、素晴らしい光景です。 ★舟の上から夜桜をめでる「岡崎桜回廊ライトアップ&十石舟めぐり」夜桜運航が左京区の琵琶湖疏水で始まった。かすかに咲き始めた四〇〇本以上の桜が夜桜に浮かび上がった並木が水面(みなも)に映え、観光客らが一足早く春の風情を楽しんだ。場所によっては手が届く近さまでせり出して、情緒ある光景を楽しめる。京都府旅行業協同組合や市などでつくる実行委員会が毎年実施。琵琶湖疏水記念館前から夷川ダムまでの桜約四〇〇本を照らし、二十五分かけて往復する。十石舟の夜桜運航は今年で八回目。三月二十四日~五月六日の午後六時~八時半。夜間運航は四月七日まで、昼間は五月六日まで。
2018.03.24
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2018年 3月 21日(水) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★京一番の繁華街・新京極のど真ん中にある誠心院(和泉式部寺)で、平安時代の代表的女流歌人の和泉式部を偲ぶ「和泉式部忌」と「春のお彼岸法要」が毎年、命日にあたる三月二十一日に合わせて営まれる。 誠心院は、藤原道長の娘・彰子に仕えた和泉式部に対して、道長が自身の建てた法成寺の庵を与えた事に始まり、初代の住職を務めたと伝えられる。 本堂では、法要に先立ち、和泉式部ゆかりの謡曲で時宗開祖の一遍上人の前に和泉式部の霊が現れる「誓願寺」と、式部がめでた梅にまつわる「東北」の二曲が奉納され、境内に響く中、「情熱の歌人」と呼ばれる和泉式部に思いをはせた。 寺では、式部の尼僧姿の掛け軸や、晩年に仏法を求めて旅した様子を描いた絵巻物「和泉式部縁起」などの寺宝が展示され、参拝者が熱心に見入っていた。 2018年 3月 22日(木) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★上京区・大報恩寺(千本釈迦堂)で二十二日、恒例の「千本釈迦念仏(遺教経会)ゆいきょうぎょうえ」が営まれ、釈迦の遺徳を偲んだ。二代目住職の如輪が七百数十年前、室町期に始められたという念仏は、「大原声明千本式」と呼ばれる独特の念仏で、十三世紀半ばに吉田兼好の「徒然草」にも記される伝統行事。 本堂では智積院から五十人の僧が出仕し、釈迦の最後の教えをまとめた「遺教経」をわかりやすく訓読みし、独特の節回しで念仏を唱え、参拝者が声を合わせて「ナムシャカムニブツ」と唱和して、釈迦の遺徳を偲び、先祖に感謝し家内安全を祈った。 本堂内には僧侶が歌唱する声明が流れ、その中で鎌倉期の本尊釈迦如来像(重文)と、同時に年に一度の涅槃図の特別公開もある。 2018年 3 月 23 日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★「二条城桜まつり2018」で春のライトアップの点灯があり、ライトアップは二十三日から四月十五日まで催す。 今年で十七回目。清流園などの優美な景色が浮かび上がった。庭園などではヤマザクラやサトザクラなど二〇〇本を超える桜の木を照らした。四月上旬にかけて見頃を迎える見通し。プロジェクション・マッピングは、左右の築地塀を含めて幅約三〇メートル、高さ約一〇メートルにわたって二条城のふすま絵や石庭、桜などを迫力のある音楽とともに映し出し、幻想的な世界を演出した。本丸の石垣にもニシキゴイや桜などを投影した。 二条城が舞台となった大政奉還から今年で一五〇年を迎えたのを記念し、従来の桜のライトアップを充実させようと企画した。 唐門では、門に描かれている二匹のツルが飛んだ場所に桜が咲くCG映像を投影。茶室香雲亭の障子には能の舞が映し出された。足元を照らすあんどんで、庭園に並ぶ五〇品種約三〇〇本の桜を闇夜に浮かび上がらせる。期間中、重要文化財の二の丸御殿台所を公開し、琴の演奏に合わせていけばなの大型作品を展示する。プロジェクションマッピングの上映とライトアップは午後六時~九時。午後五時までの通常観覧とは別途、入城料が必要。和装の場合は無料となる。京都の名産品の販売もある。
2018.03.23
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2018年 3月18 日(日) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★深草・瑞光寺の開祖は元政上人です。元政上人忌と法華懺法会詩文が巧みな文人であった開山の元政上人の命日です。江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧といわれ、京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚とよばれています。日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺していますが、当代一流の詩人・文人としても著名です。上人を偲んで、法要と遺品展が催され、宝物展観 遺墨、遺品、書画、宝物などその数は数百点に及びます。詩文に興味を持つ人には是非足を運んでみては如何ですか。かやぶきの本堂は草庵が結ばれた当時の名残です。 2018年 3月 19日(月) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★東山区泉涌寺塔頭・即成院で三月十九日、春の彼岸法要が行われる。ぽっくり寺とも言われ、長患いしないという御利益で知られ、壇の浦の戦いで弓の名手といわれた那須与一公のお墓があります。源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております即成院とは即、成就するの略なのです。
2018.03.20
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2018年 3月 11日(日) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]イメージ 1★中京区の下御霊神社で十一日、梅の花をめでる「梅和祭(うめなごみのまつり)」が開かれた。参拝者らが境内にひときわ映える紅梅に見入っていた。 同神社が紀元二六〇〇年を記念して、一九四〇年に二本の紅梅を植樹した。見頃の時季により多くの人に観賞してもらい、心和んでほしいと、今年初めて催しを企画した。 本殿横で樹高一〇メートル近くに育った紅梅は今、八重の花が咲き誇っている。満開で見応えがあり、近づくと優しい香りで気持ちが落ち着きます。同神社によると、見頃は今月中旬ごろまでという。 2018年 3 月 14 日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] イメージ 2★仏教を開いた釈迦の遺徳をしのぶ涅槃会(ねはんえ)が十四日、東山区の泉涌寺で始まった。 同寺の仏殿には、釈迦入滅の様子を描いた国内最大級の「大涅槃図」が掲げられ、多くの参拝者が見入っていた。 泉涌寺の大涅槃図は、江戸中期の享保二(一七一七)年に浄土宗の僧侶によって奉納されたと伝わる。縦一五.一メートル、横七.六メートル悲嘆にくれる様子が描かれている。あまりの大きさのため天井から柱、床にかけて「コ」の字型に掛けられている。 近くの東福寺でも同日、涅槃会が始まり、猫が描かれた独特の涅槃図が掛けられた。両寺とも十六日まで。 2018 年 3 月 16 日(金) [京 の 季 節 の 花 だ よ り]イメージ 3★北区の平野神社で早咲きの「モモザクラ」が見頃を迎えている。 青空の下、春の訪れを告げるかのように白い花が咲き誇り、参拝客の目を楽しませている。モモザクラは、中国原産で「唐実桜」の別名。同神社の境内には、花が咲くと京都の花見の始まりを告げるという「サキガケザクラ」や八重咲きの「ヒラノナデシコ」、五月初旬に見頃の「ツクバネザクラ」など六〇種四〇〇本のサクラが植えられている。ここ数日の好天で一気に開花した。十八日ごろまで楽しめるという。イメージ 4★春の訪れを告げる「お松明(たいまつ)式」が十五日夜、右京区の嵯峨釈迦堂(清凉寺)であった。 大松明に点火されると大きな火柱が立ったり火の粉が舞い上がったりして夜空を焦がした。 釈迦が亡くなった日とされる涅槃会(ねはんえ)の行事の一環。釈迦が荼毘(だび)に付される様子を表すという伝承がある。松明の燃え方でその年の農作物の豊凶を占うという。 大松明は三基あり、地元の保存会が松の木を組んで藤づるで固定し、松の葉を当てるなどして三角すいの形に整えて作られる。早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)に見立てられ、長さが少しずつ異なる。 午後八時半ごろ、僧侶による読経と拍子木、鈴(りん)が響く中、長さ約六・四メートル~約五・八メートルの三基の大松明が、護摩壇の火で点火された。燃え盛ると、取り囲んでいた見物客たちは熱さで後ずさったり歓声を上げたりしていた。
2018.03.19
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2018年 3月 11日(日) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★中京区の下御霊神社で十一日、梅の花をめでる「梅和祭(うめなごみのまつり)」が開かれた。参拝者らが境内にひときわ映える紅梅に見入っていた。 同神社が紀元二六〇〇年を記念して、一九四〇年に二本の紅梅を植樹した。見頃の時季により多くの人に観賞してもらい、心和んでほしいと、今年初めて催しを企画した。 本殿横で樹高一〇メートル近くに育った紅梅は今、八重の花が咲き誇っている。満開で見応えがあり、近づくと優しい香りで気持ちが落ち着きます。同神社によると、見頃は今月中旬ごろまでという。 2018年 3 月 14 日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★仏教を開いた釈迦の遺徳をしのぶ涅槃会(ねはんえ)が十四日、東山区の泉涌寺で始まった。 同寺の仏殿には、釈迦入滅の様子を描いた国内最大級の「大涅槃図」が掲げられ、多くの参拝者が見入っていた。 泉涌寺の大涅槃図は、江戸中期の享保二(一七一七)年に浄土宗の僧侶によって奉納されたと伝わる。縦一五.一メートル、横七.六メートル悲嘆にくれる様子が描かれている。あまりの大きさのため天井から柱、床にかけて「コ」の字型に掛けられている。 近くの東福寺でも同日、涅槃会が始まり、猫が描かれた独特の涅槃図が掛けられた。両寺とも十六日まで。 2018 年 3 月 16 日(金) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★北区の平野神社で早咲きの「モモザクラ」が見頃を迎えている。 青空の下、春の訪れを告げるかのように白い花が咲き誇り、参拝客の目を楽しませている。モモザクラは、中国原産で「唐実桜」の別名。同神社の境内には、花が咲くと京都の花見の始まりを告げるという「サキガケザクラ」や八重咲きの「ヒラノナデシコ」、五月初旬に見頃の「ツクバネザクラ」など六〇種四〇〇本のサクラが植えられている。ここ数日の好天で一気に開花した。十八日ごろまで楽しめるという。 ★春の訪れを告げる「お松明(たいまつ)式」が十五日夜、右京区の嵯峨釈迦堂(清凉寺)であった。 大松明に点火されると大きな火柱が立ったり火の粉が舞い上がったりして夜空を焦がした。 釈迦が亡くなった日とされる涅槃会(ねはんえ)の行事の一環。釈迦が荼毘(だび)に付される様子を表すという伝承がある。松明の燃え方でその年の農作物の豊凶を占うという。 大松明は三基あり、地元の保存会が松の木を組んで藤づるで固定し、松の葉を当てるなどして三角すいの形に整えて作られる。早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)に見立てられ、長さが少しずつ異なる。午後八時半ごろ、僧侶による読経と拍子木、鈴(りん)が響く中、長さ約六・四メートル~約五・八メートルの三基の大松明が、護摩壇の火で点火された。燃え盛ると、取り囲んでいた見物客たちは熱さで後ずさったり歓声を上げたりしていた。
2018.03.17
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2018年 3月 9日(金) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区・貴船神社で三月九日、雨水を司るタカオ神を祀り、「雨乞祭」が営まれる。 農事の始まりを前に、降雨の水の恵みと豊作で五穀豊穣を祈願します。ご神水と神饌を献上して榊の葉をご神水に浸し、「雨たもれ、雨たもれ、雲にかかれ、鳴神じゃ」と唱えて天地に振りかけます。この神社が鎮座するここは、鴨川の水源地にあたり、平安に都がおかれた時から水を司る神として崇敬を集めています。 「水を司る」とは、雨を降らせたり止ませたり、それだけではなく、一旦降った雨を地中にしっかりと蓄えて、少しずつ少しずつ適量を地表に湧き出させていく、そういう働き全体を指すことで、そこに神霊の働きを知り、その神様を高おかみの神という。 降った雨を地中に蓄えるのは、大地にしっかりと根を張った樹木の役割で、樹木の生い茂る水源の地こそ、水を司る高おかみの神が鎮まるに最もふさわしい場所であった。 貴船神社はまさにそういう場所に鎮座しており、貴船の語源は、「木生嶺」「木生根」だともいわれている。★文化審議会は九日、三十三間堂(東山区)の一〇〇一体に及ぶ木造千手観音立像を重要文化財から国宝に格上げするよう、林芳正文部科学相に答申した。 千手観音立像は、平安時代後期の創建時(一一六四年)の一二四体と、鎌倉時代の焼失後の再興で慶派や円派といった仏師集団が手掛けた観音像などからなる大群像。 一九七三年度に始まった全観音像の保存修理は、重文の彫刻一件の修理として過去最長を記録。四十五年間に及ぶ作業が昨年末に終了したのを機に、王朝文化の華やかさと壮大な規模を伝える記念碑的な作例として、国宝にするよう求めた。 三十三間堂の本坊妙法院の門主は「今回の指定で堂内の仏像全てが国宝となり、次世代に伝える責任の重さをあらためて感じる」と話し、記念誌の発行など情報発信に力を入れるという。 2018年 3月 10日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・虚空蔵法輪寺で「芸能上達祈願祭」が三月十日に行われる。 空海の弟子にあたる道昌が虚空蔵菩薩を安置し、知恵と技芸を授けてくれる守護仏として古くから人々の信仰を集めている。 芸の上達を願う祈願法要が行われ、茂山忠三郎社中による奉納狂言も行われる。本尊の虚空蔵菩薩が「種々の芸道に長じ、技芸に上達せんと欲するものは、わが名をとなえよ」と語ったとされることにちなみ、毎年この日に営まれる。★京都の春の観光シーズンのトップを、保津峡に早春の訪れを告げる嵐山から亀岡へと走る名物「嵯峨野トロッコ列車」が三月一日に再開し、春のオープン船営業を迎えた。名勝「保津川下り」の川開きが三月十日、出発地の亀岡市保津川遊船乗船場で開かれた。 この日からビニールシートなどで覆っていた座敷暖房船から、通常のベンチシートの船に変わる。例年は「川開き」と呼んでいたが冬場に運休していたとの誤解を避けるため、昨年から「保津舟の日」と改称した。この保津川下りは古く、慶長十一年(一六〇六)角倉了以が、木材・薪炭など丹波地方の産物を京へ送るための産業水路として開いたもので、今では日本一の川下りとして、国内はもちろん世界的にも有名です。保津峡を開削して今年で四百一〇年目に当たる。 華やかに、色鮮やかに飾り付けられた遊船や、米俵や酒樽を積んだ当時を再現した「荷舟」が仕立てられ、穏やかな春の陽光を浴びながら、水ぬるむ川面を保津峡へと漕ぎ出し、古くから伝わる「旭太鼓」を披露する地元の男性を先頭に乗せた遊船が、勇壮な音を響かせ出航する。 吹き流しや花で彩られた花飾り船を先頭に十隻が連なるように終着嵯峨嵐山までの険しく美しい峡谷景観を楽しみながらの十六㌔の急流を約二時間かけて下る川下りを、豪快な船頭の竿裁きを頼りにスタートする。 乗船料金は大人 四千百円:小人 二千七百円。 貸切船 一隻 定員十七名まで 八万二千円 午前九時~午後三時半まで、十一月三十日まで毎日七便運航。★平安貴族の歌遊びを再現する「春の曲水の宴」が一〇日、上京区の北野天満宮であった。梅の花が咲く中、詠み人が「恋」「賀」を題材にした和歌や漢詩を披露した。 天皇の宴に度々招かれたという祭神・菅原道真を顕彰し、同天満宮が企画。一昨年から秋のみ実施しており、春は初めての開催となった。 平安装束をまとった男女は、庭園内の小川に流れる杯を受けて酒を口に含み、題材に沿った歌や詩を短冊にしたためた。訪れた人は、詩の朗詠などに聞き入り、みやびな雰囲気を堪能していた。
2018.03.11
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2018年 3月 6日(火) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山区の高台寺で六日夜、春の夜間特別拝観の試験点灯が行われた。宗教や文化の違いを越えて平和の尊さを訴える映像が、方丈前庭の白砂上や勅使門に映し出された。 試験点灯では、プロジェクションマッピングを駆使した約四分間の映像が投影された。重厚なクラシック音楽にのせて、同寺所蔵の壁掛けに描かれたキリストの母マリアや、百鬼夜行絵巻に登場する妖怪、えんま像が次々と現れる。一つの映像にキリスト教や仏教の象徴が共存することで、融和や平和の大切さを説く。 執事長は「高台寺には約四〇〇年前からキリスト教に由来する壁掛けが大事に保存されてきた。投影を通じ平和を発信したい」と話した。 夜間特別拝観は九日~五月六日までの午後五時~九9時半(受け付け終了)。拝観料が必要。
2018.03.07
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2018年 3月 3日(土) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★今日は桃の節句の雛祭り。 §古来、三月三日は「上巳の節句」で中国の風習を受け、けがれを祓う日だった。 雛祭りの原型といわれる「流しびな」は平安時代ごろには貴族社会で和紙の人形(ひとがた)を作り、息を吹きかけて川や海に流して厄を払う風習からきている。 ★京都では左京区・下鴨神社で三月三日に「流し雛」が行われる。 桃の節句の三日、和紙でできた人形を小川に浮かべ、女の子の健やかな成長を願う行事「京の流しびな」が左京区の下鴨神社で営まれた。平安装束に身を包んだ夫婦らが、人形を乗せたわらの小舟を境内の御手洗川にそっと放した。 男女ペアーが平安時代そのままの、女性は十二単衣姿、男性は衣冠束帯姿で、境内を流れる御手洗川に直径十五㌢の桟俵(さんだわら)(わらで編んだ丸い小舟)に災いやけがれを身代わりの和紙の人形を乗せて流し、子供たちの無事を祈るながしびなの風習は、現代のひな祭りのルーツとされており、その歴史は平安時代にまでさかのぼる。 ひな祭りは、子どもの身代わりとして人形を川や海に流し、成長を祈った風習が起源とされる。そうした伝統文化を今に伝えようと、京人形商工業協同組合が毎年催している。 今年で二十八回目。大勢の参拝者が見守る中、束帯と十二単(ひとえ)をまとった夫妻や幼稚園児らが人形を川面に浮かべた。 ★下京区・市比賣神社の「ひいな祭」が三月三日、近くの「ひと・まち交流館京都」で行われる。 平安時代、女性が春の到来を喜び厄をはらった祭事を再現している。 五人囃子の演奏に合わせ、三人官女の舞や、十二単の着付けの実演、大きなひな段に人がお雛様やお内裏様などに扮する「人びな」、平安時代貴族の間で行われていた投扇興や貝合わせなど優雅な催しが開かれる。ひな茶の接待も受けられる。 市比賣神社は、平安京の東西の市場の守護神として勧請されたのが起こりだそうです。 ★上賀茂神社で桃花神事桃花神事(とうかしんじ)とは五節句の重要な行事の一つで、神前に桃の花やこぶしの花、よもぎ餅などの神饌(しんせん)をそなえ、無病息災を祈ります。 儀式は本殿側の川の前で参拝することに始まり、宮司たちの行列が古来の方法にのっとって神前に神饌をそなえます。この行事には一般の観光客も参列することが出来るので、儀式を間近で見ることができます。おごそかにとりおこなわれる神事は、今も昔も変わりません。 ★三月三日は、陽数の「三」が重なっておめでたいとされる祝節“重陽”のひとつです。 東山区・三十三間堂(国宝)では「三」が重なることから、祝節に因んで恒例の「春桃会」があり、本堂が無料公開される。 平成十七年から、名前にちなみ「三」の並ぶ三月三日、無料拝観日を実施している。 午前九時~午後四時まで。限定の女性専用「桃のお守り」が授与されます。 本堂の東南角の一隅に高さ一.五㍍の壇を特設し、参拝者は階段状に並ぶ千一体の観音像や二十八部衆、風神像などを高い位置から広く見渡せる珍しい拝観となる。 南北約一二五㍍の長い本堂には、中尊観音座像をはさんで左右に各五百体の千手観音立像が整然と並んでいる。 三十三間堂は平安時代末期に平清盛が建立されたが焼失後、鎌倉中期の一二六六年に再建された。
2018.03.04
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2018年 2月 18日(日) [京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★ しだれ梅と椿まつり城南宮の神苑・楽水苑では、源氏物語に登場する一〇〇余種の草木があり、「春の山エリア」に植栽された一五〇本余りの紅白のしだれ梅は、二月下旬から咲きそろい始め、追って三〇〇本もの様々な椿が開花します。巫女が「梅が神楽」を舞う。美容健康と招福を祈願した梅の花守りの特別授与。神職による案内もあります。 二月十八日 ~三月二十二日 (今日現在の梅だより) つぼみふくらむ・・・京都御苑、二条城、、随心院、青谷梅林、城南宮ちらほら咲き・・・北野天満宮、梅宮大社、 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★東山区・高台寺で開催中の冬の夜の茶会「夜咄」は、夜に楽しむ茶会。雨戸が閉ざされた薄暗い茶室の中で、ろうそくに灯がともり、ほんのりと浮かび上がるセピア色の世界。炎の明かりに照らされた釜の湯気がゆらりと映える。冬に行われる茶事で、寒気を和らげる手あぶりなどが置かれるのも特徴。観光客向けに午後五時ごろから催し、雰囲気のある茶室で京菓子や薄茶を楽しむことができる。 茶会の経験の無い人でも気軽に呈茶・点心(軽いお食事)を充分に味わえる企画です。湯葉料理や庭園の観賞も付き、冷え込む京都で冬の夜をゆったり過ごすのも心地よいでしょう。三月五日まで金、土、日曜に開かれる。
2018.02.19
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2018年 2月 17日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 世界遺産・清水寺は、境内の慈心院(随求(ずいぐ)堂)の本尊・大随求菩薩坐(ぼさつざ)像をこの春と秋に開帳する。 安置されている随求堂内で公開する「居開帳」は二二二年ぶりという。 同寺は観音霊場の「西国三十三所」の第十六番札所。西国霊場は今年草創一三〇〇年を迎えることから、特別拝観の一環として実施する。 同寺によると、坐像は江戸時代中期の享保十三(一七二八)年に造られた木彫像で像高一一〇センチ。頭上に宝冠を頂き、八本の腕に五鈷杵(こしょ)や剣、蛇といった法具などを持つ。円形の光背には金泥の梵字(ぼんじ)が施されている。 随求堂は盛松権律師(せいしょうごんりっし)が享保二〇(一七三五)年に再興した。現在では暗い空間を歩いてお参りする「胎内巡り」で知られる。これまでに大随求菩薩坐像が随求堂で開帳されたのは宝暦四(一七五四)年と寛政八(一七九六)年の二回。このお堂以外で本尊を公開する「出開帳」は、一九八九~二〇一三年に、展覧会や清水寺境内の別の施設など計二十九カ所で実施されたことがあるという。 居開帳は三月二日~十八日と、一〇月五日~十五日。拝観料は一〇〇円。
2018.02.17
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2018年 2月 17日(土) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] 世界遺産・清水寺は、境内の慈心院(随求(ずいぐ)堂)の本尊・大随求菩薩坐(ぼさつざ)像をこの春と秋に開帳する。 安置されている随求堂内で公開する「居開帳」は二二二年ぶりという。 同寺は観音霊場の「西国三十三所」の第十六番札所。西国霊場は今年草創一三〇〇年を迎えることから、特別拝観の一環として実施する。 同寺によると、坐像は江戸時代中期の享保十三(一七二八)年に造られた木彫像で像高一一〇センチ。頭上に宝冠を頂き、八本の腕に五鈷杵(こしょ)や剣、蛇といった法具などを持つ。円形の光背には金泥の梵字(ぼんじ)が施されている。 随求堂は盛松権律師(せいしょうごんりっし)が享保二〇(一七三五)年に再興した。現在では暗い空間を歩いてお参りする「胎内巡り」で知られる。これまでに大随求菩薩坐像が随求堂で開帳されたのは宝暦四(一七五四)年と寛政八(一七九六)年の二回。このお堂以外で本尊を公開する「出開帳」は、一九八九~二〇一三年に、展覧会や清水寺境内の別の施設など計二十九カ所で実施されたことがあるという。 居開帳は三月二日~十八日と、一〇月五日~十五日。拝観料は一〇〇円。
2018.02.17
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お詫び申し上げます私儀、昨年10月14日、自宅にて倒れて意識不明のまま、救急車で病院に搬送され緊急入院しました。72日間の入院生活を終え12月25日に無事退院致しましたが、今でもまだ一人での歩行は困難で介護付きです。"おいない"の京都最新情報も長期にわたり休刊致しまして申し訳なく存じます。 年賀状 今年も京都を愛する京都人より”おいないの京都最新情報”のタイトルで、私の拙い文章で京都情報をお知らせいたしますので、京都に興味・関心のある方はご笑読下さい。
2018.01.30
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神無月の名を欺いて、京都の十月はお祭り月。春とは一味違う別の華やかさが街に満たされます。 【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事】 ★花街・祇園甲部歌舞会の秋恒例の「温習会」が祇園甲部歌舞練場で十月一日から始まった。温習会は、芸舞妓が精進を重ね、日頃の稽古の成果を披露する舞台。 今年は芸舞妓八十五人が出演する。温習会は六日まで。連日午後四時開演。 指定席 八五〇〇円、自由席 四〇〇〇円。 ★秋恒例の「宇治茶まつり」が十月一日、宇治市の府立宇治公園(中の島)一帯で催される。 茶の発展に尽くした栄西・明恵・千利休の供養祭です。宇治茶祭奉賛会の主催。 宇治橋三の間での「名水汲み上げの儀」でスタート。 名水が運ばれた興聖寺では茶つぼの口切り式や献茶式と、茶せんの供養も行われる。 茶席は興聖寺と宇治神社、点心席は市観光センターに設けられる。宇治公園では、茶香服を簡略にした「お茶のみコンクール」や、茶器や茶葉などが当たる抽選会もある。 ★学業の神・菅原道真公が祀られる上京区・北野天満宮で、秋の大祭「ずいき祭り」が十月一日から五日まで行われる。 祭の由来になったずいき(里芋の茎)など食物で飾った御輿のお祭りで、一年の五穀豊穣を感謝し、神前に新穀、野菜、果実などを供えたのが始まりで、室町時代から続くとされています。 毎年九月初旬から地元の人々によって手作りされ、屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った鳳輦(ほうれん)というずいき神輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が北野天満宮の本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四キロ離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。 着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。 鳳輦は還幸祭の四日までずいき神輿とともにお旅所に駐輦され、その間お旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑わいます。 ★二日 ずいき祭・献茶祭 御旅所で表千家宗匠による献茶祭。人に振舞うお点前ではなく、神に捧げる作法の違いに注目です。 ★ 三日 ずいき祭・甲御供奉鐉 西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。 一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。 ★ 四日 ずいき祭・還幸祭 御旅所で出御祭が執り行われ、後に出御、牛に曳かれた御羽車も加わり祭礼の行列が氏子区内を巡行して夕方本社に還御、還幸祭が行われます。 ★ 五日 ずいき祭・后宴祭 拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.10.01
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★京都の花街、祇園甲部の秋の公演「温習会」(一〇月一~六日)を前に、稽古の総仕上げ「大ざらえ」が二十九日、会場となる左京区の京都造形芸術大の劇場「春秋座」であった。温習会は、祇園甲部の芸舞妓が京舞の精進の成果を披露する恒例の舞台。京舞井上流五世家元の井上八千代さんに指導を受ける芸舞妓八十八人が、精進の成果を披露する。今年は、祇園甲部歌舞練場が耐震化に向けて休館中のため、春秋座で公演する。この日、華やかな舞台衣装の芸舞妓たちが、井上八千代さんが見守る中、所作や立ち位置を入念に確かめていた。井上流の歴代家元が振り付けた一〇演目を上演する。初代による女心をあでやかに表現した地唄「黒髪」や、二世が手掛けた上方唄「近江八景」などを日替わりで披露する。連日午後四時開演。全席指定八五〇〇円。 ★伏見区・御香宮神社で九月三十日から十月八日まで、神幸祭が行われる。伏見九郷の総鎮守の祭りで、室町時代の風流傘の伝統を今に伝え、「伏見祭」とも「花傘祭」とも呼ばれる洛南の大祭。花傘は伏見九郷の氏子らが競って風流傘を飾り立てたのが始まりとされています。氏子町内の花傘や神輿がお祓いを受ける「花傘総参宮」が行われ,約二〇の町内の氏子たちが直径約三メートルもの色鮮やかな花傘や神輿を揺らしながら大手筋商店街などを練り歩きます。神幸祭では、獅子若行列、猿田彦行列、神輿の巡行に、稚児・武者行列を見ることができます.★京都府内に約六〇〇ある浄土宗の寺院で普段は公開していない仏像や宝物などが拝観できる「京都浄土宗寺院特別大公開」が十月一日から、十五日まで京都府内と大津市の計四十四カ寺ではじまる。今年が没後千年にあたる、浄土教の祖、恵心僧都源信が開いた寺や、皇女ゆかりの門跡寺院などが拝観できる。心僧都源信が開いた蔵林寺(宇治市) が初参加し、源信自ら刻んだとされる阿弥陀如来像のほか平安後期の薬師如来像などを公開する。尼門跡寺院とて知られる三時知恩寺(上京区)では江戸期の妖怪絵巻が並び、「狸寺」の別名もある西運寺(伏見区)では数百点のタヌキの置物コレクションを見学できる。特別大公開は、寺院ごとに公開日や拝観料の有無が異なる。詳しくはホームページ http://www.jodo-kyoto.jp/ をご覧ください。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.30
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★上京区の相国寺が重要文化財の法堂(はっとう)などを特別公開している。真下で手を打つと堂内に独特の響きが生まれることから「鳴き龍(りゅう)」と呼ばれる巨大な龍の天井画を見ることができ、参拝者が音の響きを確認したり、龍の目を眺めたりしながら堂内を歩いていた。法堂は一六〇五(慶長一〇)年に豊臣秀頼が寄進して再建された。狩野光信筆の天井画「蟠龍(ばんりゅう)図」は高さ約十一メートルにあり、直径約九メートルの円に龍がとぐろをまく姿が描かれている。春と秋の年二回、公開している。方丈の中央にある「室中の間」で、細かなお経の文字を並べて観音菩薩(ぼさつ)を描いた、江戸時代中期の「法華観音図」の掛け軸を掲げているほか、「御所移しの間」で、京都御所の清涼殿から譲り受けたふすま絵を見ることができる。同寺を開いた夢窓疎石をまつる開山堂も公開している。秋だけ公開される開山堂の前庭は、本来は表と裏で分かれる禅宗の庭が一つになった珍しい庭で、かつて御所に水を供給していた水路の跡も残っている。観光客らは白砂が敷き詰められた静かな空間を眺め、ひとときを過ごしていた。十二月十五日まで。一〇月十八~二十一日は拝観中止。一般八〇〇円、六十五歳以上と中高生は七〇〇円。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.29
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★長く愛用したはんこに感謝する「印章祈願祭」が二十四日、左京区の下鴨神社であった。全国から寄せられた段ボール八箱分の印鑑が、境内の印納社に納められた。 全国の印章製造・販売業者でつくる「印璽(じ)社・印納社奉賛会」などが、はんこの大切さを知ってもらうとともに、伝統工芸品としての魅力をPRするため、十月一日の「印章の日」にちなんで毎年行っている。 本殿で営まれた神事では、参列者約六〇人が見守る中、神職がはんこをおはらいした。はんこの彫刻体験や茶席もあり、多くの人でにぎわった。★女性のいのちともいうべき髪に彩りと華やぎを与えてくれる日ごろ用いる櫛に感謝する「櫛まつり」が九月二十五日、第五十七回目を東山区の安井金比羅宮で境内の久志塚に使い古した櫛を納めて供養する。 使い古した櫛やかんざしに、感謝を込めてお清めし供養するお祭りです。 昭和十六年九月に境内北側に久志塚(櫛塚)が建立されてより、女性の命である髪の美しさを引き立てる櫛をお祀りし、女性の美容美顔美髪にご利益があります。 櫛供養のあと舞が奉納され、「元禄島田」や「耳かくし」など古墳時代から現代までの四十五の髪型に結い上げた女性ら四十人余が、各時代の髪型とあでやかな衣装の女人風俗行列で神社境内を出発して、祇園界隈・四條通、川端通、新橋通、から花見小路を練り歩く。以前は「くし」の語呂合わせで九月四日にあったが、現在は美容師の休日の九月第四月曜日に行われるようになった。
2017.09.25
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★江戸期に角倉了以による開削の歴史をしのんで、高瀬川の二条-御池間で「第二十八回高瀬川舟まつり」が二十三日に催される。 地元住民による銅駝(どうだ)高瀬川保勝会が幅広い団体の協力を得て、毎年秋分の日に合わせて催している。 水運の主役だった平底形状の高瀬舟に乗船できるほか、芸舞妓との船上撮影会、茶の接待(有料)を催す。ステージイベントとして音楽や落語、バルーンアートなどが披露され、チャンバラ教室などを開く。 角倉了以と子の素庵によって慶長年間に開削された高瀬川は、京の市中と伏見を結び、各藩が屋敷を構えた。舟荷の積み下ろしなどに利用された「舟入」は、現在でも「一之舟入」が二条橋付近で国史跡に指定されている。舟まつり会場の南にはかつて角倉邸があった。 舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、一九九一年から毎年行っています。 見物客は先斗町の舞妓が乗り込んだ高瀬舟に移ってお茶の接待や川面の風情を楽しんだり、舟を舞台に落語やささ舟に願い事を書いて流す催しが披露され、昔の水運の様子を描いて満喫。なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。 ★伏見区・御香宮神社では、ろうそくの明かりの下で伝統芸能を鑑賞する「御香宮神能」が九月二十三日夜上演され、観客を幽玄の世界へといざなう。 御香宮神能は豊臣秀吉が伏見城の守り神とした神社、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮の能舞台での能と仕舞、狂言で、室町時代から神事として続いており、毎年秋に境内の能舞台で、ろうそくの柔らかな光りが舞台を包み、虫の音が響く中、開かれている。 能楽が猿楽と呼ばれていた六百年以上前から催されている。神能は、日没になると本殿と向かい合う形で設けられている御香宮能舞台で、舞台の回りのろうそくに灯が灯され、奉書紙を通して漏れる柔らかな光が舞台を照らし、ろうそくの明かりで演じる「蝋燭能」として親しまれている。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.24
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★江戸期に角倉了以による開削の歴史をしのんで、高瀬川の二条-御池間で「第二十八回高瀬川舟まつり」が二十三日に催される。地元住民による銅駝(どうだ)高瀬川保勝会が幅広い団体の協力を得て、毎年秋分の日に合わせて催している。水運の主役だった平底形状の高瀬舟に乗船できるほか、芸舞妓との船上撮影会、茶の接待(有料)を催す。ステージイベントとして音楽や落語、バルーンアートなどが披露され、チャンバラ教室などを開く。角倉了以と子の素庵によって慶長年間に開削された高瀬川は、京の市中と伏見を結び、各藩が屋敷を構えた。舟荷の積み下ろしなどに利用された「舟入」は、現在でも「一之舟入」が二条橋付近で国史跡に指定されている。舟まつり会場の南にはかつて角倉邸があった。舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、一九九一年から毎年行っています。見物客は先斗町の舞妓が乗り込んだ高瀬舟に移ってお茶の接待や川面の風情を楽しんだり、舟を舞台に落語やささ舟に願い事を書いて流す催しが披露され、昔の水運の様子を描いて満喫。なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。★伏見区・御香宮神社では、ろうそくの明かりの下で伝統芸能を鑑賞する「御香宮神能」が九月二十三日夜上演され、観客を幽玄の世界へといざなう。 御香宮神能は豊臣秀吉が伏見城の守り神とした神社、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮の能舞台での能と仕舞、狂言で、室町時代から神事として続いており、毎年秋に境内の能舞台で、ろうそくの柔らかな光りが舞台を包み、虫の音が響く中、開かれている。能楽が猿楽と呼ばれていた六百年以上前から催されている。神能は、日没になると本殿と向かい合う形で設けられている御香宮能舞台で、舞台の回りのろうそくに灯が灯され、奉書紙を通して漏れる柔らかな光が舞台を照らし、ろうそくの明かりで演じる「蝋燭能」として親しまれている。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.23
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★東山区・泉涌寺塔頭の今熊野観音寺で毎年、九月二十一日~二十三日に四国霊場「八十八カ所お砂踏法要」が行われている。 毎年春に住職らが四国八十八ヶ所各霊場を代参し、持ち帰った砂を布袋に詰め、各霊場の本尊を描いた掛け軸と一緒に八十八ヶ所全てのお砂を道場に集め敷き並べられ、その砂を踏みながら、参拝して無病息災・家内安全を祈願する。 寺で用意された四国霊場ご法印のオイズルを着て、その上を踏んで巡りながら納札を各霊場に納め、一気に巡ってしまおうというもの。期間中は頭痛封じ・ぼけ封じ・厄除けで有名なご本尊・秘仏十一面観世音菩薩が特別公開され、多くの人でにぎわいます。この行事に参加すると、お遍路の行程を一日で巡ることができるとされる。二十三日まで。観音寺は西国三十三所観音霊場の第十五番札所 。 ★東山区・養源院は商売繁盛の御利益があるとされる大聖歓喜天を祀る。「大般若経会」は一月、五月、九月の二十一日に行われる恒例行事です。一切は空であるとの思想を説く仏教の諸経典を集成した大般若経全六〇〇巻を御宝前で導師と出仕の僧四人で転読します。豊臣秀吉が浅井長政(NHK大河ドラマ「江」で一躍有名になった)追福のために創建した寺院で、秀吉は、養源院にある大聖歓喜天を厚く信仰したとか。他にも、無病息災、家内安全にも御利益がる。参拝者に御札が授与されます。 ★球技の神様として知られる白峯神宮で二十一日、秋季例大祭「崇徳天皇祭」が営まれた。秋晴れの下、訪れた市民や観光客が優雅な舞を堪能した。祭神の崇徳天皇の鎮魂と五穀豊穣を願う例祭で、宮内庁京都事務所職員や崇敬者らが参列した。本殿では宮司の祝詞奏上に続き、京都府神社庁雅楽部の会員が神楽「浦安の舞」を披露した。篳篥(ひちりき)や太鼓の伝統音楽が響く中、巫女装束の女性が鈴を鳴らしながら上品な舞を奉納した。午後四時からは、境内で秋の恒例行事「上京薪能」の奉納がある。 ★東山区・ 泉涌寺即成院で彼岸法要が行われる。 泉涌寺ゆかりの塔頭。寺名から「ぽっくり信仰」の寺、極楽往生祈願の寺として、また那須与一ゆかりの寺としても知られています。源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。「長わずらいをしない」ことから信者も多く、法要は地方信者のため泊まり込みの法要として行われるものです。御詠歌に始まり法要、法話が続きます。二十二日には中風除けの竹皮御仏飯が授与されます。 ★上京区・晴明神社で「晴明祭」が行われる。二十二日の宵宮祭では迎え提灯のお練りや湯立神楽の奉納があり、巫女さんがぐらぐら煮立ったお湯の中に笹を入れて、その笹を振り回しお祓いしてくれます。二十三日の本宮では、本殿祭りの後、鼓笛隊列約五〇〇人が西陣界隈を巡行する神幸祭が行われます。紅白の旗のもと進行する維新少年鼓笛隊の隊列を先頭に、菊鉾、扇鉾、獅子、御神宝、飾馬等に晴風稚児、八 乙女、四神稚児等が独特の美しい装いで供奉します。御輿も巡幸し、途中で御旅所祭を行い、西陣の町家を通り抜ける道中はなかなかの風情。神社に戻るのは夕暮れ頃。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.22
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【京 の 季 節 の 花 便 り】 ★左京区の平安神宮は十九日、国の名勝に指定されている神苑を一日限定で無料公開。ハギも咲いており、秋の気配が漂ってきた神苑で都会のオアシスを感じる。神苑は、総面積約三万三千平方メートルの池泉回遊式庭園。東・中・西・南の四つの神苑から構成されています。.南神苑の「平安の苑」にはハギや淡い紫色の花で古今和歌集に詠まれているシオンなど、約二〇〇種の植物を植栽している。西神苑の池ではスイレン、中神苑には赤紫色のサルスベリの花が咲いている。毎年春と秋に無料公開しており、秋は平安の苑が開設された一九八一年から続けている。入場は午前八時半から午後四時半まで。 [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★左京区の本山修験宗総本山・聖護院が、秋の特別公開を行っている。 江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽が描いた「釈迦(しゃか)三尊像」を初公開し、修験道の道場や皇室ゆかりの門跡寺院として伝承してきた建物や寺宝を展覧している。釈迦三尊像は、狩野探幽(一六〇二~七四年)筆と伝わる寺宝の一つ。真贋(しんがん)は不明だったが、専門機関に鑑定を依頼し、昨年に真筆と判明したという。探幽の名前や年齢が記され、一六六三(寛文三)年ごろに描かれたとみられる。三つの掛け軸からなり、中央の釈迦如来像は、愁いを帯びた表情の上半身のみが描かれる。左右に配置する普賢・文殊の両菩薩(ぼさつ)像を含めて装身具が少なく水墨画の仙人のようにも見え、独特の柔和な空気を醸し出している。ほかに、天明の大火による御所焼失後、光格天皇が仮御所にした建物「宸殿」や、これらの襖(ふすま)の絵に使われる狩野派の障壁画約一〇〇面、宗祖・役行者の木像などが間近で見られる。特別公開は、通常必要な事前予約なしで拝観できる。十二月一〇日までの午前一〇時~午後四時(受け付け終了)。一〇月十三~十五日、十一月二十八8日は休止し、十一月二十九日は行事のため一部公開にする。拝観有料。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.19
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★京都御苑の東南(寺町御門)の北側に位置する「萩の宮」として知られ、京の三名水で現存する唯一の「染井の水」で親しまれている梨木神社では、九月十八日と二十二日・二十三日、恒例の「萩まつり」が催される。参道には数百株におよぶ萩が植えられ、今年は猛暑で開花が遅れ気味だが、ようやくここえきて可憐な紅紫色や白色の花が咲きはじめ、風に揺れる細かな蝶型の花が愛らしく、境内を散策しながら秋の足音が感じられる。期間中献花や献句された短冊、紅白の萩の花を青竹に入れ、鈴虫の虫かごを神前に供える神事が行われ、弓術の披露、弓馬術礼法の奉納などがあり、観萩茶会が開かれる。舞楽・大蔵流狂言・上方舞などの奉納行事奉納が行われる。また、萩まつりに合わせて毎年恒例の「俳句大会」も開かれており、一般の参拝者がつづった俳句の短冊が赤紫色の花が咲いたハギの木の枝に飾り付けられ、萩まつりに風情を添えている。 ★秋の七草「ハギ」が、左京区の真如堂(真正極楽寺)で見ごろを迎えている。 参拝客が涼風にたなびくかれんな花をめでている。境内のハギは、いつごろからあるか不明だが、本堂や三重塔の周辺を中心に、一〇〇株ほどを確認している。白色や薄紫色のほか、白地に紫色の模様が入った花を咲かせており、今月末ごろまで見ごろが続くという。 ∽∽ 萩は秋の七草の一つで古くから日本人に親しまれ、万葉集で花を詠んだ歌のうち最も多いのが萩である∽∽ 〔京都の萩の花の名所〕 寺 名 所在地 見 頃 備 考上賀茂神社 北区・上賀茂 九月下旬 境内の「ならの小川」に沿って珍しいピンク色光悦寺 北区・鷹峯 九月中旬 夏萩が一足先に咲く常照寺 北区・鷹峯 九月中旬 吉野太夫が偲ばれる龍安寺 右京区・龍安寺 十月下旬 他の社寺よりも遅くまで見られる天龍寺 右京区・嵯峨 九月中旬 百花苑に紅白の萩が可憐に咲く二尊院 右京区・嵯峨 九月上旬~中旬 竹垣が龍がうねるように萩の花道となる詩仙堂 左京区・一乗寺 九月中旬 回遊式の庭の白砂に美しい花姿が見られる法然院 左京区・鹿ヶ谷 九月上旬~中旬 白萩の花が可憐に咲く真如堂 左京区・浄土寺 九月中旬 境内の萩は隠れた名所迎称寺 左京区・浄土寺 九月下旬 土塀に沿って見事な萩の花の列下鴨神社 左京区・下鴨 九月中旬 境内の「糺の森」は平安の面影がいっぱい常林寺 左京区・出町柳 九月中旬 「萩の寺」として有名南禅寺 左京区・南禅寺 九月中旬 法堂の前に咲き誇る平安神宮 左京区・岡崎 九月上旬~中旬 夏萩が早めに咲く梨木神社 上京区・寺町広小路 九月中旬 十七日~十九日「萩まつり」青蓮院 東山区・粟田口 九月中旬 西行ゆかりの萩の花霊山観音 東山区・高台寺 九月中旬 九月十八日 「萩まつり」城南宮 伏見区・中島 九月中旬 秋の七草が十月上旬まで見られる三室戸寺 宇治・三室戸 九月中旬~末頃 境内に赤紫白いシラハギの萩が約千株植えられている。 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★東山区・豊国神社では例大祭が行われる。前関白太政大臣正一位豊臣秀吉公が祭神。旧八月十八日が命日に当たることから、新暦の十八日から二日間に渡り営まれます。祭典は招待者のみ参加ですが、初日の舞楽や巫女の神楽舞の奉納等は国宝である唐門下賽銭箱前から見ることができます。墓所豊國廟では「豊國さんのおもしろ市」フリーマーケットが開催され(毎月十八日)にぎわいます。また十九日は藪内流家元による献茶祭もある。出世開運の神様として全国より崇敬を集めている。慶長三(一五九三)年八月十八日、天下統一を果たした英傑豊臣秀吉公は伏見城においてその波乱に満ちた生涯を終えられた。御遺骸は遺命により東山阿弥陀ヶ峯の頂に葬られ、翌慶長四年、中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建された。朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、社領一万石、境内域三十万坪を誇る壮麗かつ壮大な神社であった。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.18
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り]★東山区・霊山観音の境内には、沢山の萩が植わっております。毎年お彼岸前後の日曜日には、(今年は十七日)萩鑑賞会・萩まつりが行われています。霊山観音とは、高台寺境内南側の白衣観音坐像のことです。ここに眠るかつての幕末志士たちも、この萩の花を愛でたことでしょう。飲食の屋台も出て、さまざまな催しがある。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.16
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★洛北・鞍馬寺で源義経をしのぶ「義経祭」が毎年九月十五日に行われる。平安時代末期の武将・源義経(幼名牛若丸)を偲ぶ法要。義経が七歳の頃から約十年間を過ごした鞍馬山中には義経が天狗僧正坊に剣術を習ったと言われる僧正ヶ谷や、道場であった木の根道、牛若丸背比べ石などゆかりの地がある。法要の後、本殿前にて鞍馬流居合術の演舞が行われる。義経の御魂は鞍馬山に戻って遮那王尊となり、護法魔王尊の脇侍として、奥の院の義経堂に祀られている。 ★本能寺の変で知られる同寺で生きた川魚を本堂に供え供養法要を営んだ後、三条大橋 付近まで行き、鴨川に放流します。生き物に感謝し、生き物の霊を弔う伝統の行事です。 ★府下・八幡市八幡の石清水八幡宮で九月十五日未明から、かつて賀茂祭り(葵祭)、春日祭と共に日本三大勅祭に数えられた「石清水祭」の大祭が営まれた。石清水祭は、八幡大神が年に一度、下山して生き物の霊を慰めるとされ、清和天皇の貞観五(八六三)年に始まったと伝わる。神事は真夜中の二時にスタート。午前三時すぎに男山山頂の本殿から祭神を鳳輦(ほうれん)に移す神幸の儀では、提灯と御前払い(みさきはらい)の先導で弓、鉾、神宝と童子童女、神職総勢五百人が出発し、暗闇の中、松明の明かりを頼りに練り歩き、山中にこだまする笛や太鼓の音とともに、約一時間かけて下山し、山麓の頓宮で里神楽や勅使奉納。午前八時からは、放生川の安居橋で鳥と魚を放つ放生会(ほうじょうえ)が行われます。夕方還幸の儀が行われ、山上へと上がっていきます。みこしの原型とされる鳳輦と平安装束の行列が、王朝絵巻をほうふつさせる光景に沿道の見物客は古代にタイムスリップ。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.15
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ☆清水の舞台を龍が練り歩く青龍会が、清水寺で九月十四日・十五日と行われる。 平成十二年の本尊御開帳記念の関連行事として新たに始まった、秘仏の本尊・十一面千手観音ゆかりの「青龍会・観音加持」。 清水の音羽の滝に、観音の化身である龍が飛来し、水を飲むという言い伝えにまつわる故事にちなむ催し。ホラ貝の音色が響きわたる奥之院を出発し、「転法秀」を先頭に「四天王」・「夜叉神」・・「会奉行」と青龍「十六善神」の神々が京都の伝統工芸の技を集めた体長十八メートルの青龍が迫力いっぱいダイナミックに境内や門前を練り歩く。 青龍を京都の東の守り神とする「四神相応」の考えに基づき、二〇〇〇年から行われている。龍は長さ十八メートルで、頭と約八千枚のうろこの裏に、経文が貼り付けてある。本堂や音羽の滝を通り、門前を練り歩いた。青龍が門の石段で止まり、担ぎ手が「法」と雄たけびをあげると、歓声がわいた。 ★上京区・西陣界隈にある首途八幡宮で十三日は宵宮、十四日に例大祭が行われる。同社は内野八幡宮とも呼ばれ、源義経が奥州に立つ際に道中の安全祈願をした、或は平家追討の際、宇佐八幡宮を勧請したとも言われている。今から八三〇余年前、承安四年(一一七四)三月三日源義経が吉次に従い、鞍馬山を抜け出し、奥州平泉を目指し旅立った由緒に因み、首途(かどで)八幡宮にて道中の安全を祈願したことから、旅行の神様として親しまれている。NHK大河ドラマ「義経」放映以来、観光名所となり、その後、参拝客で賑わっている。 ★左京区・三宅八幡宮放生会は、五穀豊穣を感謝する三宅八幡宮の秋季大祭。十三日は宵宮で、十四日に生きとし生けるものの霊を慰めることで、国家安泰や五穀豊穣を祈る神事が営まれます。元来は仏教の殺生戒にもとづいて、生きものを池川、山野に放って供養し五穀豊穣を祈願する儀式でしたが、古くから子どもの守り神として信仰を集めていた三宅八幡宮の祭では、小児の夜泣き、癇の虫封じなどの祈祷が有名となっています。三宅八幡は虫八幡とも呼ばれ、子供の癇(かん)の虫封じで有名。京都人はたいがい子供の小さい頃には一度はお詣りに行きます。子供の守り神として、「かん虫封じ」「子供の病気平癒」「夜なき」「学業成就」のご利益で知られています。他にも、虫退治の神様 として「害虫駆除」 などの御利益で知られ、通称 「虫八幡さん」(むしはちまん)とも呼ばれて親しまれています。「三宅八幡宮」の鳥居前には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれ、境内にも鳩がたくさんいて神様の使い-「鳩」として、又、拝殿の幕にも「鳩」が描かれ、石燈籠や瓦にも「鳩」の模様があり、絵馬にも「鳩」が描かれています。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.14
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★上京区の北野天満宮にこのほど、子どもたちの学力向上や健やかな成長を願い、天空を飛ぶ一対の竜を描いた、巨大な絵馬が奉納された。絵馬は縦二メートル三〇センチ、横四メートル三〇センチ。竜の胴体やうろこを墨で精緻に描き、目の部分には金箔(きんぱく)を用いて眼光の鋭さを表現した。 境内の絵馬所で展示されている。
2017.09.11
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・大原野神社で毎年九月の第二日曜日に斎行される御田刈祭。秋の豊かな収穫に感謝するお祭りです。九月十日、本殿で秋の実りに感謝する「御田刈祭」の神事の後、境内で神相撲の奉納が行われた。 奈良・春日大社を勧請した古社の祭で五穀豊穣を祝い、江戸中期、一七一七(享保二)年頃から二百九十六年も続く伝統の祭。 奉納相撲は、本殿での神事に続き、氏子代表の力士がお祓いを受け、清めの紙と呼ばれる半紙をくわえ、四本柱を塩で清めて相撲を取ります。藤原氏の氏神である奈良県・春日大社の文例として大原野神社が移された際、一緒に移り住んだ藤原氏と従来大原野に住んでいた秦氏が協同してこの地を発展させるように願って行われている。 藤原氏の流れをくむ人が多く住む代表と、秦氏の系列が多い南春日町の代表が相撲を取り、習わし通り一勝一敗になると「心」「技」「体」の化粧まわしを着けた少年横綱らの土俵入りに続いて、地域の小学校の児童による個人戦や団体戦、また赤ちゃんの健やかな成長を祈る赤ちゃん相撲などが行われた。
2017.09.10
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★中国では陽の数字である九が重なる九月九日に、菊酒を飲むと災厄を逃れると伝えられてきた「重陽の節句」。 九月九日の重陽の節句では菊花を供えて延命長寿を祈るなど、種々の行事が市内各所で催される。重陽は、正月や七夕とともに五節句のひとつで、宮中では秘中の儀式が行われていました。 ★上賀茂神社の神事もそれに由来するもの。北区・上賀茂神社では、恒例の「烏相撲」という珍しい重陽神事が営まれる。上賀茂神社の鳥相撲は、祭神の先祖が烏に姿を変えたという伝承と、悪霊退治の相撲が結びついて始まったという。禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れ、児童による相撲が取られます。烏が鳴く姿を模した独特の神事に続いて、小学生たちが真っ白なまわし姿で元気いっぱいに取り組みを披露する。神前に菊花を供えた後、弓矢を手にした烏の役を演じる烏帽子、白張姿の刀禰(とね)が、烏が踊るように小刻みに三度横飛びしながら、「カーカーカー」「コーコーコー」などと烏鳴きのまねをして、独特の烏飛びの所作を披露。続いて、二の鳥居内の細殿前庭において氏子の子供たちが、がっぷりと組み合って相撲を取る。祭神の祖父賀茂建角身命がもともと神武天皇東征の際、八咫(やた)烏に変身し、天皇の弓先に止まって先導したという故事に基づく。その功で同地一帯を与えられ、子孫が同社を創祀した創建伝説に由来する。 厳粛ながらもユニークな伝統行事として京都市登録無形文化財に指定されている。 ★菊酒を飲むと災厄を逃れると伝えられてきた重陽の節句。右京区嵐山・虚空蔵法輪寺では、その菊の花のしずくから霊薬を得て長寿を保ったと伝わる菊慈童像があり、何と七百歳も延命したそうです。参拝者は菊の花に綿をかぶせた「菊の被綿(きせわた)」を菊慈童像に供え供養し(夜露にさらし、翌日その濡れた綿で身体を拭くと、無病息災がかなうと言われている)菊酒を杯に汲み無病息災を祈ります。謡と舞の奉納もあり、邪気を払うとされる茱萸袋(しゅゆふくろ)が授与されます。 ★右京区嵯峨・車折神社では、平成九年に百三十余年ぶりに再興された「重陽祭」が催される。 菊の挿頭(かざし)をつけて舞う舞楽は初秋の洛西の神社に趣を添える。菊酒が参拝者に振る舞われる。
2017.09.09
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★「花の天井」で知られる右京区高雄・梅ヶ畑の平岡八幡宮で九月八日、恒例秋の本殿天井画「花の天井」の特別拝観が始まった。 平岡八幡宮の本殿は、江戸末期の一八二六(文政九)年の再建で、神殿の天井板に描かれた鮮やかな四十四枚の花の絵も、文政十年の作。一辺約七十センチの正方形の格子の中にモミジやキク、キキョウ、ボタンやブドウ、ハス、オミナエシなど異なる四十四種、四季折々の花や果実が極彩色に彩られた天井を心ゆくまで鑑賞できる。(毎年春と秋に公開) 花の天井のなぞ、しめ縄の秘密、正しい神社のお詣り方法、弘法大師、足利義満の不思議な話、神社の楽しみ方などを神職が説明してくれる。拝観期間十二月三日まで。午前十時から午後四時まで。拝観料 八百円 ★初秋の週末は夜の高台寺へ。名刹でのお茶会でひときわ心に残る体験はいかがですか ここ高台寺は豊臣秀吉の菩提を弔うため北政所(ねね)が創建したといわれるお寺です。 秀吉は戦場での士気高揚のために、武将らによく茶を振る舞ったと言われています。 お茶会未経験者や、お一人様でも参加でき、服装も自由です。 ■期 間:二〇一七年九月八日(金)~二十四(日)の金・土・日曜 ■時 間: 所要時間:約二時間半 受付十七~十八時 ■料 金: 六千円(拝観料込・点心・喫茶付) 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さい http://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.08
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[京 の 季 節 の 花 だ よ り] ★山科区北花山・大乗寺の境内で一日のうちに色を変えるスイフヨウ(酔芙蓉)が、見頃を迎えている。 参拝者らは八重咲きのかれんな花を楽しんでいた。スイフヨウはアオイ科で、背丈ほどに育った茎に直径十センチ~十五センチ前後の大輪の立派な白い花をつけ、朝の開花時には純白色で、昼頃から赤みを帯び始め、夕方にかけて全体がピンク色になった後しぼむ「一日花」。朝に白い花を咲かせ、夕方にピンクや紅に色を変える様子を、酒に酔った時の顔色の変化に例えてこの名が付いた。 大乗寺には約一五〇〇本がある。寺によると、スイフヨウは気温が高いほど色の変化が早く、例年より一週間以上早い開花が楽しめる。 見頃は九月末ごろまで。拝観無料。
2017.09.05
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【今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★西京区・酒の神として信仰を集める松尾大社では,毎年九月第一日曜日(今年は三日)に[八朔祭]が催される。八朔は旧暦八月一日のことで二百十日前後のこの頃、農作物特に稲作にはとても大事な季節。台風を控えて、風雨安穏,五穀豊穣、家内安全を祈願する祭礼で、境内一円に数千の提灯がともる。二日の前夜祭には、群太鼓奉納や江州音頭盆踊り大会、献灯された子どもたちが描いた絵提灯に、明かりがともった。三日の八朔祭を控え、盆踊りや夜店でにぎわう境内は、淡いだいだい色の光に包まれた。子ども絵提灯は、地域の子どもたちが描いた絵を張り紙にし、拝殿横に二百基あまりがつり下げられた。花火や送り火など夏の行事のほか金魚やイヌ、ネコなど生き物を描いた作品が多く、家族連れらが風に揺れる絵提灯を見て回っていた。四十回目の今年は地域の園児や小学生が出品した。松尾大社の中門を写実的に描いた絵や、手形をたくさん押した作品もあり、浴衣姿の子どもたちは自分や友達の絵を見つけては喜んでいた。 ☆京都で初の「女神輿」を担ぐ女性たち“やまぶき会”の約百五十人が,背中に山吹色の紋が入った揃いの法衣にねじり鉢巻きの粋な姿で,嵐山周辺を練り歩く。松尾大社を出発し、阪急嵐山駅や櫟谷宗像神社、野宮神社で折り返す約四キロの行程を,重さ約四百五十キロのみこしを「ホイット、ホイット」と威勢のいい掛け声を上げ、渡月橋上流で船にみこしを乗せて川を渡す船渡御では、女性和太鼓サークルが勇壮な太鼓の音で応援、船は無事に対岸に着いた。このほか、上賀茂の神にお目にかけるための大八朔奉納相撲や万灯祭があり、嵯峨野六斎念仏踊りや上桂御霊太鼓が奉納される。 ★上賀茂神社で九月三日、江戸初期から中期にかけて上賀茂一帯に流行した伝統ある踊り「紅葉音頭大踊り」が行われる。盆踊りの一種です。 京都市の無形民俗文化財に指定されています。はやり歌や歌舞伎の台詞等を引用し、節を付けて伝承されてきました。上賀茂神社の一の鳥居付近で紺絣の浴衣に三幅前掛け、頭にかんざし、姉さんかぶりのたすき姿で、赤鼻緒の草履をはき、音頭取りが歌う「紅葉のにしき」「近江八景」「草紙洗小町」など四条八景他数曲などの音頭に合わせて踊ります。もとは御所の庭で踊られていたという由緒あるものですが、一般の参加も可能です。音頭取りが歌う四条八景他数曲。※雨天時は上賀茂会館にて行われる。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.09.03
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★宇治市・宇治田原町湯屋谷の大滝大明神で酒を飲ませて酔わせたウナギを放ち、五穀豊穣の願いを込めて、雨を願う伝統神事「大滝祭」が九月一日営まれた。 神事は、かって日照りが続いた時、酒を飲ませたウナギを滝へ放流したところ、竜に変身し天に昇って雲を呼び雨を降らせた、という伝承にちなんで江戸時代から毎年営まれている。 滝の中腹にあるほこらの前で神職が祝詞を上げ、玉櫛を奉納。その後、ウナギ三尾の口にそれぞれ酒を注ぎ入れ、順番に滝つぼへ酔わせ放流した。投げ放たれたウナギは身をくねらせて滝つぼへと落ち、集まった住民らは五穀豊穣を願い静かに見守っていた。
2017.09.02
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★南区・蔵王堂光福寺で三十一日、八朔祭法楽会に久世六斎念仏が奉納される。 六斎念仏は国の重要無形民族文化財で、その起源は平安時代にまでさかのぼります。 明治頃までは六斎を上演する組織として六斎組が市内各所にありましたが、現在はいくつかの保存会にかわり受け継がれています。★京の花街の一つ、祇園東の舞踊公演「祇園をどり十一月一日~十日)の衣装合わせが、公演会場となる東山区の祇園会館であった。かつて祇園で営まれていた伝統行事「ねりもの」を題材にした舞台で、プログラム用の写真撮影に臨んだ芸舞妓たちが、あでやかな衣装を披露した。六十回目の節目の舞台は、芸妓が鼓や笛の演奏後に舞を披露する祝舞「三番叟(さんばそう)」で開幕。全六景の演目「雪月花東山風情」に続く。雪景色の中、白サギが華麗に舞う「白川の鷺(さぎ)」や、川床と五山送り火を題材にした「夏の月」、春の花と秋の紅葉の情景を描く「東山春秋」など、東山の風景で雪月花を表現する。「八坂の桜」では、映像作品を組み合わせた演出も試みる。総踊り「祇園東小唄」でフィナーレを飾る。期間中、芸舞妓十七人が出演する。午後一時半と四時の二回公演。観覧料四千円(茶席券付四五〇〇円)。
2017.09.01
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 ★殺生を戒め、命あるすべてのものに感謝する「放生会」が二十八日、左京区・大原の三千院で営まれ、参拝者たちが、コイの稚魚を池に放った。三千院の恒例行事。約千匹のコイを用意し、午前八時半の開門から午後五時の閉門まで、初めて終日行った。僧侶が、一四〇〇年前の中国の故事にちなむ行事であることを説明。参拝者たちは、宸殿にお参りした後、庭園の小道を進み、手おけに入れたコイを池に放った。 ★旧暦の七夕にあたる二十八日、歌道宗家冷泉家に伝わる星祭り「乞巧奠(きっこうてん)」が、上京区の冷泉家住宅で行われた。灯火のほのかな明かりに包まれた祭壇「星の座」を前に、狩衣(かりぎぬ)と袿袴(けいこ)姿の男女が七夕を詠んだ和歌を手向けた。牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の二星に和歌や雅楽をささげ、技芸上達を願う行事。王朝文化をしのばせる年中行事の一つで門人ら一五〇人が集った。星の座を設けた庭に薄闇が漂い始めると「披講の座」が始まり、あらかじめ出された今年の兼題「七夕月」について詠んだ冷泉為人当主の和歌「秋風にたなひく雲の晴れゆきて月の御舟はいさこき出てむ」など九首が節をつけて歌われた。即興の「流れの座」では、男女が天の川に見立てた布をはさんで恋の歌を贈り合った。 画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.08.29
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事] ★右京区・梅宮大社では八月二十七日、「嵯峨天皇祭」が行われる。平安京を完成させた嵯峨天皇は現在の大覚寺に離宮を営まれ、雅楽の制を国風化され、現行の制に近く改革された皇后(橘嘉智子)と共に梅宮相殿に鎮まる。その徳を偲ぶ、神社に縁のある嵯峨天皇の例祭での奉納六斎として行われます。「嵯峨天皇祭」の祭典の後、相撲好きだったといわれる嵯峨天皇の命日に合わせて「子供相撲大会」の奉納に続き「梅津六斎奉納」があった。笛や鉦、太鼓に合わせて、数々の演目が踊られます。最後に盆踊りもある。毎年八月最終日曜日に行われる。 ★ 左京区・修学院離宮前で二十七日夜、修学院大目踊・紅葉音頭が行われる。近世に庶民の間で流行した踊りや音頭に起源をもち,江戸時代の始め、修学院離宮に後水尾天皇を迎えて始められたそうです。江戸時代のはやり歌や歌舞伎のセリフなどから逐次作詞され,節をつけたものとされる。楽器を用いず音頭取の音頭にあわせて女性が輪になって踊る静かで素朴なもので,現在,上賀茂と修学院で伝承されています。 踊りの前に松明をつけ,提灯の前に列座し,三方に盃をのせ,給仕から酒を受けて乾盃するといった儀礼が行われ,「近江八景」「四条八景」「菊流し」など伝承されている音頭にあわせて踊りが行われます。京都市登録無形民俗文化財。 ★右京区北西部の愛宕山麓(さんろく)に位置し、樒原(しきみがはら)と越畑(こしはた)の二つの地区を称する 晩夏の山里、山々に囲まれた集落に広がる棚田を灯籠の明かりで幻想的に映し出すが二十七日夜、嵯峨の宕陰地区で開かれる。たいまつを持って田畑を練り歩き豊作を祈願する「虫送り」の風習を別の形で次世代に継承二〇〇八年から取り組む。虫おくり火は、稲に付く害虫を追い払うための「虫送り」と盂蘭盆(うらぼん)に霊を送る「送り火」が合体したものと言われる。当日は、午後五時から近くの樒原児童公園で飲食コーナーなどが設けられる。点灯は午後七時で、約三〇〇本の竹灯籠が棚田にともる。 無料。雨天中止。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.08.28
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[今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★下京区の東本願寺(真宗大谷派本山)の御影堂門が二十五日、初めてライトアップされた。高さ日本一を誇る巨大な門の威容が闇夜に浮かび上がり、多くの人が見入っていた。 御影堂門は一九一一(明治四十四)年の建造で木造重層入り母屋造り。高さが二十七メートルある。二十六日に同寺や西本願寺、JR京都駅一帯で開かれる「下京・京都駅前サマーフェスタ2017」の前夜祭の一環として、大谷派が実施した。 夕日の明るさが残る午後6時半、LED照明が点灯すると、門が照らし出された。暗くなるにつれ夜空に門の輪郭がくっきりと浮かび上がり、取り付けられた金色の金具が輝きを見せた。この日は、門東側の緑地帯にある建築家武田五一設計の噴水も青や緑色の光に照らされた。通りがかった国内外の観光客らが門と噴水の「共演」をカメラに収めていた。
2017.08.27
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2017年 8 月 23 日(水) [今日の情報・歳時記・催し・話題・出来事]★境内の無縁仏にろうそくを供える「千灯供養」が二十三日夜、右京区嵯峨鳥居本化野町の化野念仏寺で始まった。参拝者はろうそくに火をともし、静かに石仏へ手を合わせた。千灯供養の始まりは明治四十年代にさかのぼり、同寺には約八千体の石仏がまつられている。千灯供養は明治時代に始まったもの。一体一体ていねいに集められた石仏に供えられたろうそくの火が風に揺れると、 永劫の安息を得た石仏の安らぎに接する思いで、心落ち着きます。千灯供養は二十四日も営まれる。中学生以上千円。愛宕古道街道灯しは二十五日まで行われる。★化野念仏寺の千灯供養に合わせて、門前の旧愛宕街道では、境内に続く参道は伝統的建物群保存地区に指定されている嵯峨鳥居本地区で、「愛宕古道街道灯し」を愛宕神社一の鳥居から嵯峨・祇王寺に至る一.五キロの旧愛宕街道沿いに、お地蔵様に見立てた手作りのジャンボ提灯や灯ろうが灯され、古い家並みが残る奥嵯峨地域一帯は幻想的な雰囲気で、柔らかな光に包まれた空間で、癒しのひと時を過ごされては……。瀬戸内寂聴さんの点火で八月二十三日・二十四日:午後七時~九時まで。 2017年 8月 25日(金) 【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】★吉祥院天満宮の「六斎念仏踊り」 学問の神様・菅原道真を祀る天満宮は全国で一万以上数えられるが、この吉祥院天満宮は道真誕生の地で、境内には道真のへその緒を埋めたと伝えられる胞衣塚(えなずか)がある。少年時代をこの地で過ごしたが、やがて政争に巻き込まれて遠く大宰府に左遷され、死してのち天神となり、天神信仰は全国へと広がった。 八月二十五日の夏期大祭に奉納される六斎念仏は、平安時代に空也が念仏を広めるために始めた踊り念仏が起源とされる。その後、長唄、歌舞伎などを取り入れて現在の形となる。 京都では祖先供養と結び付き、お盆前後に各所で行われる。 鉦や太鼓をたたいて踊る民俗芸能「六斎念仏踊り」は「発願」に始まり、締めくくりの「回向」まで、曲目が移りながら演じられます。国の重要無形民俗文化財に指定されている。画像の多いヤフーブログ 【おいないの京都最新情報】からもご覧下さいhttp://blogs.yahoo.co.jp/oinaijp/folder/279901.html
2017.08.25
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