フリードリヒ・「月の出を見る3人の人」



私は海辺に立っている。海岸の船は白い帆を朝の潮風に広げ、紺碧の海へと向かってゆく。船は美しく強い。私は立ったままで眺める。海と空が接するところで、船が白雲の点となりさまようのを。

 そのとき海辺の誰かが言う。「向こうへ行ってしまった!」。「どこへ?」。

 私の見えないところへ。それだけなのだ。船のマストも、船体も、海辺を出たときと同じ大きさのままだ。そして、船は今までと同様に船荷を目指す港へと運ぶことができるのだ。

 船が小さく見えなくなったのは私の中でのことであり、船が小さくなったのではない。そして、海辺の誰かが「向こうへ行ってしまった!」と言ったとき、向こうの岸の誰かが船を見て喜びの叫びをあげる。
「こちらに船がきたぞ!」。


  そして、それが死ぬということなのだ。


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ヘンリー・ヴァン・ダイク

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ヘンリー・ヴァン・ダイク

1852‐1933 アメリカの牧師であり作家

もとプリンストン大学・英文学教授












オラトリオ『贖い主の墓前の悔悟者』






「自己」とは常に「他者」に認められることにおいて構成される存在様式です。すなわち、「自己」は常に「他者」の視線を欲望しているのであり、その欲望が満たされれば、深い満足と安心が得られるでしょう。

 ところが、同時に、「認められることにおいて構成される」ということは、常に「他者」に「自己」であることを強制され、その意味において、支配されることです。したがって、そこには深い不安と、ときには憎悪さえ生じるでしょう。

 となると、「自己」は「他者」に対して、恍惚と不安という感情的な矛盾を、単に感情の問題ではなく、存在構造として抱え込むことになります。

 この矛盾を受容するのか拒絶するのか、受容するとすればいかに受容するのか。けだし、矛盾の受容は困難です。それは決して快楽ではありません。他方、矛盾の拒絶は、たとえ困難でも欲望されるでしょう。

「善」が我々にとっての負荷であり、「悪」が我々を魅惑するものである所以です。


恐山あれこれ日記


100


60.その人の思い

あなたが泣いても、泣かなくても、その人は、もう、いません。
あなたが悲しんでも、悲しまなくても、その人は、もう、いません。
人生には逃れようのない現実というものがあります。どんなに否定しても、否定しても、その人は生き返らないのです。でも、もし、その人が生きていたら、いまの自分に何と声を掛けるかを想像してみてください。「そんなに泣かないで」と言っていませんか?そのひとにとって、あなたのそんなに悲しむ姿を見るのはつらいことではないでしょうか?
だから、泣かないでください。悲しまないでください。そのひとがあなたの心の中で生きているのなら、あなたにはそういう声が聞こえるはずです。
そのひとの思いが伝わらなくなったら、本当にそのひとはあなた心の中からも死んでしまいます。

心の中に生きている、そのひとのメッセージに耳を傾けてください。


89.絆

もし、逆に、あなたがその時に死んでいたら、その人はあなたと同じくらい悲しんだのではないでしょうか。




100.秘密のこと

もし、神様がいたとして、死後の世界があったとして、自分も死んだらその人に再会できるのだとします。もし、それが本当だとして、皆がそのことを知っていたら、誰もが進んで死んでしまうのではないでしょうか。もし、あなたが神様だったら、そのことを秘密にして誰もそんなことはしないようにしておかないと、せっかく人の世を創ったのに意味がなくなってしまう、と考えないでしょうか。
(とっておきの秘密ですが)きっと、また逢えます。その人に。きっと。純粋な愛は永遠に不滅です。

----ただし、あなたがこの悲しみをちゃんと乗り越えて、しっかりとこの世を生きたら、ですが。


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2012 11・11

自分以外のものを一番広くとらえる言葉が「万物」であるため、
この言葉を使った祈りを紹介する。

【万物の祈り】
万物が平和でありますように
万物が調和でありますように
万物が幸福でありますように
万物が愛でありますように


「気功」





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6.27  恐山菩提寺の院代・南直哉さんインタビュー  悲しみ、逃れずに耐える

弔いとは、人の死を自分自身に納得させること


「真正面から見つめて耐えることです。私自身も含め、多くの人は、悲しみや切なさから早く逃れようとします。他人に助言を求めたり、安易な言葉で自分を納得させたりするのではなく、何が自分にとって大切なのか、答えは自分で見つけなければなりません」

 「だからこそ、急がず待つことです。時間はかかるでしょう。10年、20年、あるいは人生の最期まで答えは出ないかもしれません。神仏への信仰というよりも、生きて持ちこたえることで必ず見えてくると、そう信じることです」

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88.その人は永遠を手に入れました

宇宙(そら)を巡る地球のように、地球を満たす海のように、海を亘る風のように----その人は永遠の自然の一部となりました。その人は、ひとの世を先に卒業して、そんなふうに世の中に遍在する存在となったのではないでしょうか。そこは、ひとの世の憂いも、哀しみも、欲望もない、透明な魂の世界です。

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60.その人の思い



あなたが泣いても、泣かなくても、その人は、もう、いません。
あなたが悲しんでも、悲しまなくても、その人は、もう、いません。
人生には逃れようのない現実というものがあります。どんなに否定しても、否定しても、その人は生き返らないのです。でも、もし、その人が生きていたら、いまの自分に何と声を掛けるかを想像してみてください。「そんなに泣かないで」と言っていませんか?そのひとにとって、あなたのそんなに悲しむ姿を見るのはつらいことではないでしょうか?
だから、泣かないでください。悲しまないでください。そのひとがあなたの心の中で生きているのなら、あなたにはそういう声が聞こえるはずです。
そのひとの思いが伝わらなくなったら、本当にそのひとはあなた心の中からも死んでしまいます。

心の中に生きている、そのひとのメッセージに耳を傾けてください。


61.見つめ合い



涙が枯れた後には、その人のことを静かに思ってください。
思慮分別を持ち込まずに、何がいけなかったと判断をせずに、そして、その人の顔と姿だけを思い浮かべてみてください。
そのとき、何も言葉をかけないで、その人を見つめてください。
その人は静かに見つめ返してくれるでしょう。
沈黙の内にその人の存在を感じてください。

そのとき、言葉によらず、その人の思いはあなたに伝わるはずです。


64.天国と地獄



すでにこの世にいないその人は何処に行ったのでしょうか。きっと天国でしょう。もちろんその人は地獄なんかに行っていません。そんな心配をする必要はありませんよ。だって、あなたにこんなに愛された素晴らしい人が地獄になんか墜ちる訳がないじゃないですか!


77.人に優しく、穏やかに



誰に対してでも、優しく、穏やかでいたいと思いませんか。
もう、誰も傷つけないでいたいと思いませんか。

そう思うのだったら、自分も傷つけてはいけません。
自分を傷つける権利は、あなた自身にもありません。



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