お気楽者でいこう!

お気楽者でいこう!

あなたの考えはあなたのものではない



 でも、忙しいという感じがしないのです。
 なぜかと考えてみると、自分がとても静かな状態で過ごしてるからだと気がつきました。子供からなにか話し掛けられて鬱陶しいなあと感じたりするのは、自分がなにか考え事をしてるときが多かったことにも気づきました。つまり、インドから帰って以来、考え事に没頭している時間がとても短いのです。

 例えば、「30秒間何も考えないぞ!」と決めて目をつぶって、何も考えないでいられますか?今すぐやってみてください。
もし自分で考えているのなら考えないでいることもできるはずなのに、できないでしょ? 必ず何らかのコメントが頭に浮かんだはずです。

 悟りのプロセスがある程度進むと、これが誰でもできるようになります。
 こうなってみると体験的によくわかりますが、自分が考えてるというのは錯覚で、自分で考えているのではなく、考えは外部から飛び込んでくるものなんです。テレビやラジオとおんなじです。その人ごとに、同調しやすいチャンネルと同調しにくいチャンネルがあるだけです。
 空間に蓄えられてる想念(マインド)が、額のチャクラから入って後頭部のチャクラに抜けていくのを見ることができる人もいます。

 僕は、インドコースの途中で、ふとバスから外を眺めてるときに、全くコメントが浮かんでこないことに気づきました。それまでだったら、僕はコメントの鬼みたいなものでしたから、常になにか考えてて、この赤茶けた大地の成分はラテライトだっけとか、日本に帰ってからかみさんにこの風景をどういう風に説明しようかとか、それこそいつも頭を動かしてる人間でした。
 ところが、そのとき以降実に頭の中が静かなんです。 その気になれば、ずーっとコメントが浮かばない状態を続けられるし、たまーに「これでいいのかな?」とか浮かんだりしても、それがテロップのようにすーっと流れていきます。
 そのうちもっと詳しく書きますが、これが マインドからの解放 というやつです。

 マインドから解放されるとこんなに素敵なことがあります。

 ・流れてくる考えに惑わされて、苦しむことがなくなる
 ・その体験を丸ごと味わえる
  (コメントが浮かんでるうちは「解釈」という処理が入るので、体験が限定される)
 ・どんな体験でも味わい尽くせば喜びに変わる、ということを体験できる
  (マインドから解放されてないと注意力が続かなくて困難)
 ・自分の考えは自分のものではないことが、深く実感できる。
 ・自分のものではないとわかれば、それをコントロールしようとしなくなるので、
  そこで葛藤や苦しみが生じない。

 お釈迦様がある人から「あなたは見たところ普通の人と変わりないようですが、どこが違うんですか?」と聞かれて、おもむろにそこにあったミカンを手にとって美味しそうに食べたそうです。そして曰く「あなたがたは白昼夢を見ている。私は目覚めている」。
 飛び込んでくるさまざまな想念に翻弄され、今その瞬間の体験を味わうことができないのが、現在の人間の姿です。

 では、マインドから解放されるにはどうしたらいいかというと、これは 物理的に脳の配線をつなぎかえるしかありません 。しかし世界中の脳外科の先生に聞いても、どこをどういじればいいか知ってる人はいません。いくら心理学や哲学を勉強しても瞑想や座禅をやり続けても、決してこの状態にはなりません。その方法を知ってるのは、カルキ・バガヴァンただ一人で、そのためのエネルギーを注入する手段がディクシャです。
 なぜなら、彼は悟りのアバター(神の化身)だからです。

 この物理的な脳の変化が起こらないうちは、どんなに趣味と仕事が一致しようが、自己実現できていようが、家族関係がうまくいってようが、不安や心配、恐怖から解放されることはありません。必ずマインドが介入してきて、耳元でいろんなことをささやくからです。「今はよくてもきっと失敗するよ」「どうせまたいつものパターンさ」「世の中どんどんひどくなるね~」「本当にそれでいいと思ってんの?」「プラス思考でいかなくっちゃ!」・・・
 それらのささやきが自分のものではないと、距離感を持って見られるようになると、ものすごく楽ですよ~。単にそういう放送を流してるテレビ局があるというだけの話です。

#アバターとは、宇宙全体を統括するような巨大な意識が、ある目的のために肉体を持って生まれてきた存在です。バガヴァンの話によれば、数学のアバターや物理のアバター、そしてもちろんスピリチュアルな世界でも、多くのアバターが今地球上に来ているそうです。バガヴァンは、悟りのアバターなので、ディクシャのエネルギーはすべて彼を通して流れるようになってます。バガヴァンが発電所で、僕らディクシャ講師が変電所です(そのままだと強すぎるので)。

 バガヴァンはディクシャによりそうした脳の状態を与えると言い、そしてこちらは実際にそうなってるんですから、これは信じるなという方が無理でしょう(笑)。  「悟りは与えられるものである」というのはそういう意味です。努力により達成するものではありません。



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