真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2012年08月21日
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この8月初旬の日記「萩の散策」(1)~(2)にて、宇佐(九州)の「御許山」と、萩(山口)の「指月山」を結ぶ南北軸を紹介した。

この「萩」と「宇佐」を結ぶ南北軸については、既に今から10年以上前に観えていたわけだが、ある時その延長線・・・つまり九州南端の「都井岬」(といみさき・宮崎県串間市大納)までを貫く南北軸が心中に浮かんできた。

これは面白いということで、その「山口と九州を貫く南北軸」を主軸として、その南北軸に沿うポイント地点を含めて、上述した南端の「都井岬」まで車で練り歩くようにして訪ねたことがある。

ここで、その「山口と九州を貫く南北軸」に沿う、九州における主要地域を「北」から「南」に向かって挙げるとすれば、「宇佐」・「湯布院」・「高千穂」・「日南海岸」・「都井岬」となろう。



ところで・・・なぜ、そもそも「南北軸」なのか・・・ということがあるのだが、正直言ってそれは自分でも良く分からない。

考えてみると、実際に地図上に「南北軸」を定規で引き、これを初めて強く意識したのは、東京に住んでいた時だったと記憶している。

当時の私の中では、関東地方の津々浦々を行脚する過程で、その「関東における南北軸」、つまり「日光の男体山」を〔北〕、そして「鎌倉の江ノ島」を〔南〕とする南北軸が見出せたことが、自分としては大きな発見であり、それが今でも大学時代を含む東京の生活約12年の集大成だったという実感がある。

◎関連記事・・・​ 2005年07月26日の日記「関東の南北軸」

この「南北軸」を引くという行為は、例えばこれを鉛筆で地図上に引いたと同時に、「東西」を分ける軸線にもなるわけで、そのように考えてみると、大学時代に東京は渋谷の下宿で感受した、私なりの「真理探究」における出発点ともなった啓示を思い出すのである。

その啓示とは、忘れもしない昭和57年5月17日の未明に受けた、「3と7」という数に纏わるものだったが、いわゆる「氣学」で言うところの「3」とは方位の「東」であり、同様に「7」とは「西」となるわけだ。

おそらくこの「東西を分ける南北軸」という感覚は、今から約30年前の「日光男体山」の麓に鎮座する「日光東照宮」の春季例大祭の初日(毎年5月17日)の未明に、関東で受けた啓示から始まったのであろうと、そのように感じ始めた今日この頃である。



さて今日の画像は、昨年の秋頃に、今日のタイトル「山口と九州を貫く南北軸」の最南端、上述の「都井岬」を再訪した際に、岬の岩肌に群生する「蘇鉄(ソテツ)」を撮影したものだ。

今から10年以上前に、やっとの思いでここに辿り着いた時は、その都井岬は最南端の岩上に座して・・・ここと山口が南北軸で繋がっているんだ・・・と、強く実感したことを思い出す。





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最終更新日  2018年05月28日 14時08分51秒


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