虚ならず、実ならず【後編】


ただ、誰か強者が通ったのだろう。残骸と打ち捨てられた
金品が一筋の流れとなって最上階へと向かっている。
ヘルロッドマンの退治依頼もなかったし、ここは止そう。
私も、見知らぬ誰かを追うように最上階へと向かった。

最上階の小部屋の一つは、敵の数はさほど多くない。
私でも薬液さえあれば、戦い抜くことができるだろう。
最上階の大部屋も空にするほどの実力者がいるのならば、
小部屋にたどり着くのは楽になるはずだ。
私は愚かにもそう考えていた。

細い通路が集まり交差する地点で、私は立ち止まった。
流れは、そこで途絶えていた。
最終地点はもう少し先なのだが、それどころではない。

流れの最後には、随分と重たそうな財布が落ちている。
魔物が持つはずもない大量の金貨。
向こう見ずなまでの、勇者の遺品……
その奥には、色とりどりの光を放つ影が五体。

まだ、引き返せる。
そう思った時に背後に鋭い刃物の音がした。
しまった、クローカーだ。
鬼気迫る光こそないものの、厄介な敵に雷を落とす。
気づかれませんように。
そう願ったが、魔物の倒れ伏した時に僅かな額の金貨が、
暗がりの影へと転がっていった。
途端に、静まっていた気配が蠕きだす。
こちらに気づいて寄ってくるのは時間の問題だ。

杖を握り締める。巻物を空中に投げようとしたが、慌てた
ため放り出してしまった。
途端に、鋭い爪。甲高い叫び声。
今度はネフィティ。女のような猫のような魔物の後ろから
闇の司祭スクゥプスが近づいてくる。
私は、財布の主と同じ運命を覚悟した。

ふと、視界が暗さを増した。
まだ血を流してもいないのに?と周囲を見回そうとしたが
何故か体が動かない。
毒による麻痺?いや、それでもない。

何かが、私の背後にいた。
魔の気配を放ちつつ、迫りくる魔物どもとは違う気配が。
半ば眠るような気配は、もぞもぞと呟いていた。
他に一指とて動かせないが、耳だけは鋭敏に呟きを拾う。
いや、それは音として届いたのではない。
私の心に扉があるのなら、それはそこを叩いたのだ。


『契約?契約?……契約?』

朧げな赤い気配が、私の周囲を探る。
このままでは私は半端な状態で死ぬだろう。
紫、白、赤、幾つかの光の蠕きを見つつ呪文を唱える。


我が心に枷なく、我が力に柵なく
呼ばうは虚空、求むるは闇
限られた身体に、不滅の魂に
ただひとたびの契印を、ふたたび違えぬ約定を
血の流れに消さず、骨に刻む如く記すなり


私はお前を呼びいだせるのだろうか、魔物よ。
そう思いながらも、杖を振る。

「出でよ、プル=ラヴァス!」
其れは魔物、蝙蝠の翼と牙を備えた。
氷柱が、間近に迫っていた三体を一気に凍りつかせる。

「雷使うにゃ~」

私は引っくりかえりかかった。 何だ、その語尾は。

「早くするにゃ、全体攻撃だと倒れるまで大変にゃ」
再び氷柱が、今度は二体を足止めする。
「紫がいいにゃ、できるだけボクを近づけるにゃ!」

走り回り、魔物たちの間隔をできるだけ狭める。
プル=ラヴァスの氷は二度、三度放たれて足止めを行い、
その間にどうにか紫は消えた。
次は赤。攻撃力を増したそれも、どうにか沈む。
まだ不気味な光を持つ魔物は三体残っている。
「時間が近いにゃ。逃げるにゃよ」

そうだった、この魔物が実世界に来られるのは僅かの間。
私の魔力も尽きそうだ。

「お、も~らいっ!にゃ」

財布を引っ掛けたそいつは私に向かってそれを放り投げ、
もう一回だけと雷撃に耐えうる魔物に氷を放った。
「帰るにゃ、ボクも疲れたにゃり」

慌てて足元の巻物を拾い、宙に投げ上げる。
シティスの町並みを思いながら。

「これからよろしくにゃ~」

その声は、私の内側とも外側ともつかぬ場所から響いた。
『虚ならず、実ならず』
私の傍にありながら、私から最も遠い場所に。
契約の印は骨に、喪われた転生の秘法でも使わない限り、
二度と解除は叶わない。


「か~わいいっ」
何度見ても飽きないのか、戦乙女は顎の下に両拳を揃えて
私と魔物を交互に見入る。
「すごいね、ちっちゃいね、いいなあ可愛いなあ」
いや、私はあなたのかがんだ胸元の方が……っとと。
「きゃーん、顔つっこんじゃいやー!」
勢いあまったらしく、彼女の胸元に……柔らかいか?
「もう、この子真っ赤になって可愛いったら!」

びたんっ。

怒ってはいないものの、彼女の平手はとても痛かった。
しかし、何故、私がぶたれないとならないんだろうか。
プル=ラヴァスってもともと赤いんだが。

地面に沈んだまま、私はどうも寄ってたかって嵌められた
気分から抜け出せずにいるのだった。


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