遠雷は季節を告げ


人はより良き方向を目指し、それでも世界が悪しき方向に向かう、と嘆く。
それは、避けがたい世の運命だ。

紙を束ねる。これまでの些細なメモだ。
無駄な紙くずとは思わない、思わないが、それをもって外に出る。
幸い、この辺りのモンスターは一時、なりを潜めたようだ。

魔法は一言だけ。

炎の舌は貪欲なり

杖を用いる必要もなく、紙くずは炎に舐められてゆく。

「あら、思い切って」

背後から、面白がっている声がした。
振り向く気は起きず、私はそのまま炎を眺める。

「良いのかしら?折角の経験なのに」

背後に生じた気配に、足音は伴っていなかった。
だから、律儀に振り向いて答えてやる必要なんかないのだが。

「昔、ある将軍が、前任者の戦場の日記を部下から受けとった」
「ふぅん」
「将軍は、それを全て焼き捨てたそうだ」
「どうして?」
「戦況はその時々で変わるのに、古い記録にこだわれないからだよ」

全てに成功する人間など存在しない。
前任者は老いたのか、戦死したのか、いずれにせよ戦地を去った。
古い言葉を重んじる余りに、新しい目標を腐らせてはなるまい。
勇気ある将軍は、そこでは成功した。

しかし彼もまた、己の策に固執して戦場を去り、不遇に死んだと聞く。
世界は、歩みを止めない。
また歩みを止めたものにも、寛容ではないのだ。

「また、一から作り上げるの?新しい将軍のように?」
「まさか」

一から、というのは余りにも馬鹿げている。
今までに身体に刻んだ戦いの記憶を、活かせないわけではない。
将軍となった男も、その前に兵士として訓練を積み、戦ったのだ。
その経験なくしては、新しいことも始められなかっただろう。

私はただ、気持ちを切り替える儀式をしていただけだ。
様々の理由で戦場を去る戦友たち。新しく入る後生恐るべきものたち。
私はそのどちらでもなく、留まる道を択んだ。
ただ古い記憶を、将軍に差し出すだけの部下に終わりたくない。

勇者でもない、知者でもない。
豪腕でもないし、俊敏でもない。

けれど、考えることはできる。
前に踏み出す足はあり、杖を握る両手がある。
足跡をこの世界に記してゆける。

いつか、何かの形でここを去る日がくるまでは、前に進む。
それが強くなるための基礎だ。

天を仰ぎ、怒号したところで唾が降りかかるだけ。
不利?不遇?
最初から天分の才能を授けられたものでない限り、人は皆同じだ。
努力を投げ出して、菓子をねだる子供ではない。
私たちは、冒険者だ。

独りで立ってはいる。独りで力はつけてゆく。
その道に、肩を並べる戦友がいて、それを誇れればいい。
最期には、笑って去ってゆけるように。

やむを得ずに戦列を離れるものたちに、真っ直ぐな背を見せたい。
失敗を笑い、粗忽を笑われ、それでも目は彼方を見ていたい。

「しかつめらしいこと、考えてるのね」

炎が消え、白い灰だけがそこには残る。
文字は消える、けれど、記したものは紙の上だけではない。

遠雷が聞こえる。
季節の移ろいとやらが起きてから暫くして、雷は威力を落とした。
それでも、まだ、あるいはまた、私にやれることはある筈だ。
それを見つければいい。

「つまらないわ、泣き喚きも怒りもしないなんて」

ふい、と気配が消える。
人ならぬ存在は、喜怒哀楽を見て嘲笑いでもしたかったのだろうか。
或いは憑りついて、暫しそれを味わいたかっただけか。

「焦ることはないさ」

じたばたするのは、まだこれからだ。
爪を立てて崖をよじのぼり、徒手空拳で強大な相手に立ち向かう。
その時こそ、気持ちを昂ぶらせよう。
叫び、笑い、泣き、怒り、全てを世界に叩きつけよう。
言葉だけではない、己の力の放出によって。

灰は、何処からか吹いてきた風に散らされていった。

こうして消えるまでに、どのくらい新しい文字を残せるだろう。
どんな戦い方を確立できるだろう。
誰と出会い、何を得るだろうか?

呪うより、世界を笑い飛ばせるような、そんな強さを持つために。
見知らぬ土地で戦う準備を整えるべく、私はまず倉庫へと向かっていった。


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