尾瀬の麓、片品村でのむらづくり記録

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2005年03月01日
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カテゴリ: 東田代村
15ー流産ー

 期待は叶えられなかった。

 順調だったら、翌年五月半ばには初産となるところだったが、新年を迎える直前に流産してしまった。妊娠が安定期に入ったことを良いことにちょっと無理し過ぎたのか、それとも胎盤が成長する胎児を受け止め切れなかったのか、当人はもとより、周囲の人には分からなかった。

「残念だが、致し方ない。気を落とすでないぞ」
 と大塚与惣右衛門は意気消沈のたえを励ました。

「すまないねえ」
「要らぬ心配はするなよ。それより体を労わり、しばらく(男氏のように)無理するなよ」

 子供が生まれたのは、入植して12年目の元和6年(1620年)のことだった。

 村中が喜んだ。待ちに待ったことからだ。

 次郎兵衛と名づけた。たえが三〇歳、与惣右衛門が三七歳にしてはじめて授かった子供、しかも跡継ぎとなる男子であったことは、この上のない喜びであった。

 その間、時代も大きく変わった。五年前に豊臣家が滅び、四年前には徳川家康が七五歳で死去した。また身近には、同年、真田河内守信吉が第二代沼田城主となった。

 信吉の藩政は、租税の重圧に苦しむ周囲の村々の手前大きな声ではいえないが、東田代村を引き続き特別扱いするものであった。

 信吉は不思議な(ところに意識のゆく)殿様だった。





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Last updated  2005年03月12日 21時56分47秒
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横坂です@ Re:「東田代村」を議員が視察(07/09) はじめまして。 片品出身の者です。 こち…
乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…
もじゃもじゃ君@ 短小ち○こに興奮しすぎ(ワラ 優子ちゃんたら急に人気無い所で車を停め…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…

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