読書の部屋からこんにちは!

読書の部屋からこんにちは!

2010.03.27
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カテゴリ: 小説
えーーーーーと。
んーーーーーーー
この本はねえ・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・


口数多いおばちゃんのばぐらも、この本の感想は、簡単に口から出てきません。
なんて思えばいいのかわからない。
というのが、正直なところで。

それじゃ、無理に感想文を書かなくてもいいじゃない?義務じゃないんだし。
と言われそうですが、確かにそのとおりなんだけど、このままスルーしていくのもなんだかもったいないような気がするんですよね。

だいいち、「悼む人」なんて言っても、それ何?何をするって?って感じでしょ?
「私今日、悼んで来ました。」って話も聞いたこともないし。
人の死を嘆き悲しむこと?
ではないらしい。
死者のことを偲び、冥福を祈ること?
でもないらしい。

でも、この本の主人公の若い男性は、「悼む」ことを自分の命題とし、生涯を捧げようとしています。
彼は新聞や雑誌から知った、さまざまな事故や事件で亡くなった人をノートに書きとめていて、リュックサック一つで野宿しながら、日本中の現場を訪ね歩きます。そして、ひざまずき独特の仕草で悼むのです。そして、そこに人が亡くなったということを忘れないために、ときどき過去のノートを読み返します。
彼の純粋な精神をめで、涙した人は、それはそれで実に純な方なんだろうなと思います。
しかし、現実派の私は、やっぱりどうしても、感情移入できない。彼のことがわからない。もっと率直に言えば、気持ち悪いのです。
本の中でも、死者の遺族たちは、気味悪がって追い返したりする人も多いのです。

しかし、本の半分以上読み進んだ頃から、突然、彼に理解を示し感謝さえする人が増えてきます。「覚えていてくださいね。」って。中には、忘れてないってことを証明するために電話の連絡まで要求する人も。
突然彼の行為を崇高なものとして扱い始めたような感じがして、私はなおさら警戒してしまったんですけど、あまりにうがった見方かしら。
だいいち、私自身は、死んだ後他人からずうっと覚えていてほしいとは思いません。
もちろん、家族はみんな私のことを覚えていてくれるでしょう。私はそれだけで十分です。
そして時がすぎ、だんだん私を覚えている人もいなくなり、みなから忘れ去られていく。それが当たり前のことでしょう。
それは私が今、とりあえず幸せに家族に囲まれて暮らしているからそう思うだけのことでしょうか。事件に巻き込まれて亡くなった人の遺族は、やっぱり他人からも覚えていてほしいと思うのでしょうか。


ところで、彼の家では、お母さんはがんで、在宅で末期医療を受けています。
最後まで明るく潔く生きようとする、とても強いお母さんです。
お母さんは彼のことをとても愛していて、彼の行動を理解しようとし彼を引き止めるようなことはしません。でも、ほんとうは彼にとても会いたがっています。
彼女の命が尽きるまでに、どうしてもひとめ会いたいと、切望しています。
でも彼はそんなことは夢にも知らず、日本中を放浪し、赤の他人の死の現場で一生懸命悼んでいるのです。
そこのところ、考えようによってはちょっと滑稽な感じもするんですが、天童荒太さんはそこに何かの意味を表していらっしゃるんでしょうか。
いえ、意味があるからこそ、お母さんが死の床にあり、お姉さんには赤ちゃんが生まれるという背景があると思うのですが・・・


いずれにせよ、この本は私にはよくわからない。
けど、よく分からないからと言って、黙って通り過ぎることはできない。
そんな気持ちになった本でした。


悼む人





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Last updated  2010.03.27 10:33:10
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