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著者・編者 | 西村博之=著 |
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出版情報 | 朝日新聞出版 |
出版年月 | 2018年10月発行 |
西村博之さんは、最近、「論破王」と呼ばれているそうだが、私から見ると「相手を怒らせるのが上手なタイプ」に見える。たしかに、相手を論破してはいるのだが、そこでお終い。成果は何もない。
おそらく本人はそれでいいと納得しているので(それが間違いだと言うつもりはない)、それを前提にして読むと、自分との相違が見えてくる――。
本書を読んで、「自分の知らない事実や、想像もできない考え方を知ることができる。それが議論をすることの楽しさ」(48 ページ)ということは、私も感じる。ただ、本書は論破のためのノウハウ本ではなく、検証を行うことの有用性を説いた本であるように感じる。タイトル『論破力』は、西村ひろゆき流の“煽り文句”であろう――。
「もっともらしい意見よりも事実のほうがだんぜん強い」(22 ページ)というのは、まったくその通りで、多くの議論、とくにテレビの討論会は、事実の提示だけで終わってしまうだろう。だが、それでは朝まで番組が続かないので、延々と感想を述べ合う。「理系の人たちが集まると、そもそも『あーでもない、こうでもない』という『非建設的』な議論にはならないのですよ」(23 ページ)も、その通りなのだが、これを面と向かっていったら、理系に引け目を感じている文系を怒らせるだろう。「たとえばその人が言った間違いを強調して繰り返し指摘すると、だいたいの人は怒り出しますね」(35 ページ)等々。だから、西村さんは「相手を怒らせるのが上手なタイプ」なのである。
また、「クレイマーと同じように自分の会社や商品に対して怒ってみせて、クレイマーの味方になってしまったほうが格段に早くおさまる」(38 ページ)など、ビジネスマンとして首肯できない。西村さんは働くのが嫌な人で、役員になっている企業でも決定権は行使しないということなので、おそらく、2 ちゃんねるの管理人であった時のように、社会を睥睨して見る人生を送りたいのだろう。ここが、私の生き方との分岐点になる。私は、社会の中で汗みどろになっているのが本体で、睥睨して見ているのは観測気球(ドローン)という考え方をしている。西村さんは、その逆だろう。どちらが正しいということではなく、人生に対する捉え方の違いがあるということを認識した上で、彼の主張をさらに読んでゆく。
「自分の知らない事実や、想像もできない考え方を知ることができる。それが議論をすることの楽しさ」(48 ページ)、「成功するか失敗するかを判断するとき、あまり主観で考えないようにしています」(51 ページ)、「ジャッジの前で議論するようにする」(68 ペページ)などには同意するが、「責められている、怒られている「かわいそうな人」というのをずっと演じ続けると、「大変そうだね」みたいな同情が集まって、味方が増えて、最終的に勝てるわけですよ」(57 ページ)というのは邪道だろう。「困ったことに、世の中には『意見の否定』と『人格の否定』をごっちゃに受け取るタイプの人が少なくないのですよ」(92 ページ)はその通りだが、それを逆手にとって議論を展開しようとするやり方には賛同できない。
ナイチンゲールはなぜ偉かったのか――「日本でナイチンゲールというと、単に『やさしい看護師さん』で終わっています。でもざっくり言うと、あの人はじつは統計学の先駆者」(130 ページ)ということは知っている。私も「人を説得するうえでは、じつは『数字に勝るものはなかなかない』ということ」(131 ページ)は承知している。
「たとえば会議のとき、たまにウソをつくという人がメンバーの中にいると、その人が言ったことが本当かウソかの確認を毎回しなければいけなくなります。それがすごくコストになるので、ウソをつく人には会議に出てほしくありません」(140 ページ)は、まったく同感である。「おいら、わりと人間を全般的に見下しています」(177 ページ)というのは、人を食ったかのような物言いだが、一方で、「おいらには『尊敬する人』というのがいません」(177 ページ)には同意する。
西村博之さんに胡散臭さを感じるのはなぜか――同族嫌悪か、それとも、私も周囲から胡散臭いとみられているのだろうか(苦笑)。
第5章「ああ論破したい!――こんなときどうする? ひろゆきのお悩み相談室」では、具体的ケースを挙げて、論破の手順をアドバイスする。ここまで読んで気づいたのだが、西村博之さんは、論破する方法を説明していない。そもそも、議論になっていない。つまり、23 ページで書いている「『非建設的』な議論」を回避する方法を紹介しているのである。
「仕事に役立つかどうかは何を深掘りするかによるでしょうが、何が役に立つかわからないのも今日のビジネスシーンの特徴」(214 ページ)というのは、その通りで、常に情報をインプットし続け、記憶をアップデートし続ける必要がある。そして、「どちらか判断がつかなかった場合、自分で試したり調べたりするか、わからないまま『保留』にするか」(215 ページ)するのが現実解だろう。
終盤で西村さんは「論破というものは話し方の技の問題というよりも、単に事実ベースの材料、つまり根拠を持っているかどうかの問題という気もする」(234 ページ)と述べているが、要するに、本書は論破のためのノウハウ本ではなく、検証を行うことの有用性を説いた本であるように感じた。タイトル『論破力』は、西村ひろゆき流の“煽り文句”であろう――。
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