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著者・編者 | 酒井 邦嘉=著 |
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出版情報 | 集英社インターナショナル |
出版年月 | 2019年4月発行 |
私は、人工知能の研究をしていた 1980 年代初頭、チョムスキーの「生成文法理論」に惹かれた。いまも「知能」の定義は確定していないが、はたして人類は自身の「知能」を定義できるか。科学的に比較対象となる異星人の存在が必要ではないか――そうした哲学的な思索の道標となったのが、生成文法理論だった。
著者は、言語脳科学者の酒井邦嘉さん。同い年の酒井さんの目から見たチョムスキー理論を読み、当時の思索を再び思い出した。この間、私は子育てを通じて、生成文法理論の確からしさに納得感を得た。
生成文法理論によれば、あらゆる言語が再帰的な木構造をもち、有限状態オートマトンでは扱えないという。情報理論や人工知能を学んだ者として、これも確からしいという実感がある。
人間の脳に対して fMRI を使った酒井さんらの研究によると、文法装置がブローカ野を含む左下前頭回にあることが分かってきた。さらに、人間の脳は初めから多言語を獲得できるようにデザインされており、同じフレーズを繰り返し聞けば、マルチリンガルも夢ではないという。
最後に酒井さんは、「科学の進歩に求められるのは、相手を負かすための論争(ディベート)やポジショントーク(自分の立場を利用して自分に有利になるように発言すること)では決してない。真理のためにお互いの考えを深めていく議論(ディスカッション)こそが、科学の推進力だ」と締めくくる。まったく同感である。
酒井さんがチョムスキー理論に魅力を感じたのは、従来の言語学とは全く異なり、物理学をモデルにして作られたものだったからという。チョムスキーは、人間の脳には「言葉の秩序そのもの」があらかじめ組み込まれているとする。これが「普遍文法 Universal Grammar,UG」または「生成文法理論」と呼ばれるものだ。
チョムスキーによれば、ヒトは白紙の状態で産まれてくるものではなく、普遍文法が組み込まれているという。だから、まわりの言葉が乏しくても言語の獲得が可能になり、そればかりか見聞きしたことのない「文」まで自在に生み出せるようになるという。一方、学校で教わる「文法」は、人為的に集められた規則にすぎず、脳に組み込まれた普遍文法とは似て非なるものだ。したがって、学校での経験をもとに言葉について考えると誤解を招きやすい(46 ページ)。
ディープラーニングの学習フェーズとは比較にならないほど少ない情報量で子どもが成長して行くのを目の当たりにして、私は、生成文法理論が正しいことを確信した。
第2章では、チョムスキーの主著『統辞構造論』について、酒井さんが解説を加える。
酒井さんは、チョムスキーが理論を変えるという反論に対し、「徹底的に理論を突き詰めてゆき、それが通用しないと分かればあっさりと別の道を探す」(138 ページ)だけで、理論の骨子は変わっていないと主張する。。チョムスキーは最初から究極の言語理論を作ろうとしたのではなく、その出発点と方向性をまず明示して、その上で自ら理論の開拓を行ってきた(153 ページ)。また、有限オートマトンを扱える動物が進化して、より強力な文脈依存文法を扱える人類に至ったという仮説も否定する。両者には超えられない断絶があるからだ。
また、チョムスキーは、意味論(言語の意味について論じる言語学の分野)が科学にはどうしてもなりにくいということを繰り返し述べている。意味論が人間の認知能力を反映していることは疑いないが、人間はきわめて高度に意味を扱えるため、逆に何でもありということになりがちなのだ。それでは自然法則になじまないことになる(169 ページ)。
第3章では、「チョムスキーの企てを証明する一つの方法は、人間の脳に存在する『文法装置』を実際 に見つけて、その働きを解明することだ。私はこの可能性を目指している」(182 ページ)として、酒井さんの研究成果が報告される。
ブローカー失語やウェルニッケ失語は高校の教科書にも出てくるが、人間の脳に対して fMRI を使った酒井さんらの研究によると、文法装置がブローカ野を含む左下前頭回にあることが分かってきた。この文法中枢は脳に対する入力と出力の間を結びつけており、読解中枢とは別の領域にある。
さらに、人間の脳は初めから多言語を獲得できるようにデザインされているという。自然な発話に現れる同じフレーズを繰り返し聞けば、バイリンガルやトライリンガルも実現可能だという。
最終章で、酒井さんは自身の科学に対する姿勢を紹介する。
科学の進歩に求められるのは、相手を負かすための論争(ディベート)やポジショントーク(自分の立場を利用して自分に有利になるように発言すること)では決してない。真理のためにお互いの考えを深めていく議論(ディスカッション)こそが、科学の推進力だという(234 ページ)。
そして、「自分が生きている間にどこまで真理に近づけるかは分からない。しかし、最も魅力的な仮説を信じて、一つ一つ石を積んでいくこと。そこに科学に携わる喜びがある」(247 ページ)と締めくくる。至言である。
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