全15件 (15件中 1-15件目)
1
人と人との距離感はコミュニケーションで決まる。 両親や家族とは感情のコミュニケーション。 そりの合わない押し売り営業に対しては論理的コミュニケーション。 会社の人やお客さん(ドクター)とは、その中間的なコミュニケーション。 感情と論理の狭間に立って距離感を測っている。 時には感情的に寄り添い、時には突き放して論理で攻撃し... 変幻自在に感情と論理をくりだせれば、コミュニケーションの達人となるに違いない。 達人への道のりは、まだまだ遠い。 けれど、いつかなれる気がする。 もしかして、NLPが鍵なんだろうか?
2009年10月27日
コメント(2)
私の会社もご多聞に漏れず「顧客第一主義」を標榜している。 しかし、なかなか思うように売り上げは伸びないのである。 世の中のほとんどの会社は「顧客第一主義」だといっているが、 世の中は未曾有の不況である。 つまり、お客さんはちっとも喜んでないのではないか。 だから、自分のところから買ってくれないのではないか。 そこで「顧客第一主義」を深く掘ってみる。 「顧客一目ぼれ主義」。 お客さんの趣味嗜好を探り出して、一目見て「これください」 というものを作り出してor見つけ出して売る。 究極のデータマイニングを使ってお客さんを分析するか、 アマゾンがやっているような「協調フィルタリング」を使ってみる。 次に「顧客第一主義」を疑ってみる。 「自分第一主義」。 自分が作りたいモノを作って、売りたいモノを売る。 付き合いたい会社や付き合いたいお客さんだけを相手にする。 最後に「顧客第一主義」で儲けることをやめてみる。 「みんな第一主義」。 もう、お客さんと自分の境目をなくして、皆で楽しんでしまう。 快楽を追求して社会的ムーブメントをつくり、世界平和を実現する。 食いっぱぐれないなら、「みんな第一主義」がいいなぁ
2009年10月26日
コメント(2)
今日は中学生の息子のバスケットボールの新人戦決勝の日。 1年生の息子は補欠なので、まだ試合には出ない。 だから、応援には行かなかった。 夜7時半、食事が終わってくつろいでいると、その息子が帰ってきた。 いつもは帰ってくるなり今日の結果を話してくれるのに、今日は まったく口をきかない息子。 なんだか黒いオーラが出ていて、話しかけるのもはばかられた。 真っ黒なブラックホールのようだった。 彼が食事をして落ち着いたところで、「お疲れさま」というと、 ぽつりぽつりと話し始めた。 「きょうは、第2ピリオドまでは20点差で勝っていたのに、 チームがばらばらになって逆転負けしちゃったんだ。」 吐き出すように言った後は、胸の使えが取れたようで、 機嫌もよくなり、どんどん白く浄化されていった。 中学生は、なんかあってもご飯をたくさん食べれば、落ち着くものだ。 そういえば、自分も中学のころ弱いチームで野球をしていて、 しょっちゅう負けては黒くなっていた。 でも、帰り道で駄菓子屋さんに寄ってお菓子を食べると、 すっかり負けたことなど忘れてしまっていたなぁ。 ・・・だから強くならなかったのだろうか? 息子よ、一生懸命がんばっても、思い通りにならないことも あるんだよ。 それでも、めげずにがんばるんだよ。きっと優勝できることを夢見て。
2009年10月25日
コメント(4)
履き始めて4ヶ月のロックポート・シューズがいよいよ不調になってきた。左足が地面につくたびに、ペコンペコンと音がする。足の裏にも、インソウルが剥がれかけたような違和感。定価1万7千円位なのに、半年もたないのかぁ...と不満である。靴を買った百貨店にでも相談してみようか。でも...直しようがないだろうな。みんな泣き寝入りしているのだろうか。悔しい。しかし、手間を考えるとばかばかしいので、あきらめて次の靴を探すことにしよう。やはり、SASシューズか。それとも、足に合わせて作ってもらうか。確か、新宿御苑にいい靴屋さんがあったな。インナーだけ特注で作ってくれる靴屋さん。
2009年10月24日
コメント(2)
この夏、外国人の友人と共に多くの日本人バイヤーに会った。 そこで分かったことは、日本人は総じて合理的でないということ。 お会いした多くの担当者はとても親切なのですが、なかなかウンとは言わない。 つまり、こちらの論理的な意見を肯定はしてくれるけれども、同意(取引)はしてくれない。 アメリカでは、分かったといってくれれば取引成立だそうです。 そのような訳で、友人には、日本人が全く理解できませんでした。 その場で決めないという日本人的なメンタリティも加わって、ほとんど「ふしぎの国、日本」状態です。 ビジネスのプロ同士の話し合いなのですから、合理性を追求した会話がなされるべきですが、そうはならなかった。 混乱したまま、友人は帰国していきました。 日本人は合理的には生きられないのでしょうか。 日本人は、まずは感情的に好きか嫌いかで判断してしまう。 しかし、それは日本人だけでなく万国共通のような気がします。 正しくは、日本人は論理に弱く合理性が苦手な民族といえるかもしれません。
2009年10月24日
コメント(0)
私の職場では頻繁に組織替えがある。 今は、営業企画で販促ツールを作る仕事をしている。 しかし、来月からは営業管理になる。 人の売り上げた数字の管理や営業マンの事務手続きのサポートが主な仕事だと思う。 もともとは、新しい製品の種を探して飛び回るのが仕事だったが、これでまたしばらくはデスクワークが続く。 今のところは、お客さんに近い仕事にもどりたい気持ちでいっぱいだ。 そうは言っても・・・まあ身体も壊したことだし、リハビリのつもりで来年の春まではがんばってみよう。 管理の仕事の面白いところでも探そう。 自分は管理は苦手だと思っているが、管理の好きな別の一面もあるかもしれない。 これが案外、天職だったりして。
2009年10月22日
コメント(0)
古本で買った神田昌典さんの「非常識な成功法則」を読み始めた。最初に出てくるワークを家内と二人でやってみた。「やりたくないこと」を書き出す。30分ほどで、30個ほど出てきた。その中でも本当にしたくないことに丸印をつけて反芻してみた。・人をだます・電話営業・おべっかを使うこと・ただ働き・クレーム処理・押し売り・理不尽な仕事・人の言いなり・残業・ストレスな人間関係・飛び込み営業自分のキャラクターがよく理解できた気がする。やりたくないことを書き出したら、なんだかすっきりした。これからは、いやなことはもうやらないことにしようと思う。この本は数十万部売れたそうだが、このワークをやった人は何人いるのだろう。この本を読んで成功した人が何人いるか知らないけれど、ワークをするだけで気持ちが軽くなるのは確かだ。なんだか、懺悔して許された気分だ。この本を読んでいない人も実践してみるといい。この次は、「やりたいこと」を書き出してみよう。そうすれば、自分が生きていくためのミッションが見えてくるかもしれない。
2009年10月12日
コメント(8)
今日築地を歩いた。日曜日の午後、お店の半分程度はシャッターを下ろしていて、開いているのは珈琲ショップとコンビニとファミレスばかり。静かな裏路地を小一時間歩いた。いつもは、聖路加病院を訪れる人たちで混雑するであろう通りをのんびりと散策した。どれほど多くの病気や怪我の人がここを通って来たことか。その人たちは、果たして助かったのか。それともあえなく、ここで一生を終えたのか。これまでの医療業界での人生を振り返って、自分に何ができただろうかと考えてしまいます。・・・本当に病気で苦しむ人たちの役に立てているだろうか。あまりにもすがすがしい風が吹いていた聖路加通り。・・・案外よくやってきたよなと褒めてみた。心が軽くなったので、遠回りをして帰ったが、6月に買ったロックポートの靴が悲鳴を上げ始めた。歩くたびに左足から「ぐしゅしゅ」と音がする。中敷がはがれて浮きかかっているのかも知れない。耳障りでならない。履き心地も、左側だけ違和感がある。半年持たなかったなあ。評判倒れであった。次はSASシューズに切り替えよう。来月?
2009年10月11日
コメント(0)
久しぶりで、中一の長男を連れて行きつけのスターバックスを訪れた。 彼とスタバで過ごすのは2回目だろうか。 私はラテ、彼はキャラメルマキアートのキャラメルソース多め。 私は、スタバの紙ナプキンを広げて、今から販売を考えている商品のマインドマップ(もどき)を描いていた。 しばらく彼は私の描いているのを見ていたが、おもむろに手帳を取り出してオセロの駒のような模様と数字を書き出した。 私のほうが一段落して彼の手元を見ていると、なんだかよく分からない数理モデルの説明を10分ほど丁寧にしてくれた。 そして、「手で計算するのはこれくらいが限界だから、これをコンピュータでプログラミングして大規模なシミュレーションしたいんだよね。」という。 はじめて数学のおもしろさを感じたころの記憶がふと蘇えった。 (そのあと、お父さんは数学が苦手になったのだけれど...) 「お父さんもずいぶんたくさん描いたね。」 「ああ、お前もずいぶん熱心に考えていたね。」 こうして、息子との楽しいスタバタイムを過ごせるのも今のうちだろうか。
2009年10月10日
コメント(0)
アイコンとしてブランド品を身につけない人が増えている。 そういう生き方が...自分らしさをさりげなく表現しているのか。 わたしは、平日少しだけブランド品を身につけている。 戦闘モードへの切り替えスイッチでもある。 仕事柄、高価なものは身につけない。 初めて会う人に信頼してもらうのが狙いである。 アイコンとしてのブランド品は、人の印象を単純化することができる。 そして、自分の奥底にある心を隠すことができる。 ブランドを身にまとうのは、ある種の防衛本能かもしれない。 わたしも、もう少し大人になれば、ブランド品に頼らなくてよくなるのだろうか。 それとも、もっとブランド品が好きになるのだろうか。
2009年10月09日
コメント(2)
今日、会社での雑談でBSEの話になった。 BSEとは、牛海綿状脳症のことである。 この原因となっているのが異状プリオンと呼ばれる熱や圧力に強いたんぱく質である。 しかし、正常なプリオンもあるわけで何かのはずみでたんぱく質の高次構造の変化した異状プリオンができて、こいつが悪さをする。 勉強不足でお恥ずかしいが、正常プリオンと異状プリオンのアミノ酸配列は同じであることを知らなかった。 このような、同じアミノ酸配列であるにもかかわらず、高次構造が異なるたんぱく質を「カメレオンペプチド」「カメレオン配列」と呼ぶらしい。 論文を検索したら、本当に"Cameleon sequence"(カメレオン配列)と書いてあった。 ちょっとおもしろいでしょ。 ・・・そうでもない?
2009年10月07日
コメント(2)
わたしは体が弱い。 大学時代に栄養が足りずに倒れて以来、風邪をひきやすい体質になった。 花粉症などのアレルギーもあるので、年間3ヶ月は使いものにならない。 そして極めつきは、2006年のメンタル面での不調。 もうだめだと思っていた2008年に、偶然にも神田昌典さんの全脳思考に出会った。 そして、彼に諭された一言が忘れられない。 「私たちはヒーロー世代ではない。私たちは、20~30代前半の人たちの中から出てくるヒーローをサポートする世代だ。」(ちょっと表現が違ったかも知れませんが) これが自分の使命ではないかと最近強く思うようになった。 伝えるべきものはたくさんある。 がんばれ!若者たち。応援しているよ。
2009年10月06日
コメント(2)
今は、一大産業としてエコロジーが叫ばれている時代。 地球環境ををできるだけ今のままで維持し、化石燃料を使わないという生き方が望まれている。 人類が繁栄し続けるためのキーワード。 しかし、金儲けのためのキーワードに成り果てている感がある。 人類の起源とされる猿人が出現して700万年が経ち、そろそろ現代人にも生存の危機が来てもふしぎではない。 本来エコロジーとは生態学のことである。 自然環境の中で生物が如何に適応して生きているかということを観察する学問だ。 もし人類が自然環境に適応できない生物であるならば、その繁栄は停止し、数を減らすのが当たり前のように思う。 国家のエゴとエゴがぶつかり合っている状況、つまりエコよりもエゴが優先する世界は、当分続きそうな気配であるから、人類の未来は暗い。 さて、死に絶える生物としての人類を救う手立てはないものか。 救う手立てがあるとすれば、それは教育だろう。 今こそ、世界の知恵を結集して、その集団知でもって真のエコロジストを育てる必要があると思う。 知識社会のリーダーを生み出すことで活路が見出せるのではないだろうか。 エコロジスト・・・それはもちろん、研究者としての生態学者を指すものではない。
2009年10月04日
コメント(2)
私は全く営業経験がありません。 それでも、販売部門で企画の仕事をしていたりするわけですが。 この夏に、何人かの百貨店のバイヤーさんに会うチャンスがありました。 彼らは百戦錬磨です。 さまざまな売り込みの中から、ごくわずかな本物を見抜く目が要求されます。 客商売なので、断り方も丁寧です。 交渉も巧みで、ビジネスコミュニケーションのアスリートともいえるでしょう。気が付いたのは、バイヤーも人の子ですから、コミュニケーションスタイルが皆違うのです。 もちろん業界の色というのはあって、ある種の乗りの良さは感じます。 でも、距離感が違うのです。 お年を召されて守りに入っている人はなんだか遠くて、バリバリとチャレンジしている人は近くて熱いのです。 つまり、人というのはエネルギーが十分にないと、距離の近いコミュニケーションはとれないものだということのようです。 わたしも、いつまでも熱く語れるおじさんでいたいなあと思った次第です。
2009年10月03日
コメント(3)
超がつく高齢化社会を迎えた日本。 自分の年齢を考えると、あと10年もすれば体力の衰えは隠しきれない。 どの様に年をとっていけばよいのか? 私の大好きな作家に「老人力」で有名な赤瀬川原平氏がいる。 彼の本を読んでいると、年をとることが楽しくなる。 どんどん年をとって、達観したくそじじいになることが私の夢だ。 anti-agingより、good agingの方が素敵だと思いませんか。
2009年10月02日
コメント(2)
全15件 (15件中 1-15件目)
1