パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

詩編124編



【はじめに】 ジョン・ウエスレーはその人生の最後に「もっとも良きことは主われらと共にいますことなり」と語りました。さまざまな危機、悲しみ、不安、恐れの多い人生のただ中で、造り主なるお方、天のお父様を知ることは最善です。そこで人は本当の愛を知り、守りを確信して、大胆に人生にチャレンジできます。

【テキストの解説】 詩篇124篇は都もうでの歌の5つ目の歌。120篇が神の救いを切望する巡礼の「志望の歌」、121篇は「出発の祈りの歌」。122篇は「救いの門への入場の歌」、123篇は「御座の主を仰ぐ礼拝の歌」、そして124篇は「神の守りを感謝する回顧の歌」です。

【メッセージのポイント】
1)イスラエルよ、言え(1節)。
⇒ 今、イスラエルは言え
 この詩は短い詩ですが、非常に生々しい。敵の大軍の大虐殺をのがれて、逃げてきた激しい呼吸と息づかいが感じられるような詩です。
 彼は言います。「今イスラエルは言え!」。彼は恐ろしい魔の手から危うく逃れてきたのだ。これは主の守りによるのです。この詩人は同胞に向かって今、叫んでいます。「同胞よ、神の民イスラエルよ。今、この救いのなかに入れられた者よ、このように言え!」。神に向かって叫ぶ。人々に向かって語りかける。全世界に向かって信仰の告白をするのです。   
2)1「主がわたしたちの味方でなかったなら 2 主がわたしたちの味方でなかったなら/わたしたちに逆らう者が立ったとき 3 そのとき、わたしたちは生きながら/敵意の炎に呑み込まれていたであろう。4 そのとき、大水がわたしたちを押し流し/激流がわたしたちを越えて行ったであろう。5 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう/驕り高ぶる大水が。」(1ー5節)
⇒主共にいまさずば、激流われらを呑んだであろう
 何を語るのでしょうか?「主がもしわれらの方におられなかったら・・」「主、われらと共にいまさずば・・」が2回繰り返されている。「主がもしわたしたちの方におられなかったならば、彼らの怒りが燃え立ったとき、彼らはわれらを生きたまま呑んだであろう」。大水は押し流し、激流はわれらの上を越え、さか巻く水はわれらを呑んだと言うのです。神の守りなくしてわたしどもの存在はなかったのです、と彼は神への満腔の感謝を捧げています。
3)6主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。
7 仕掛けられた網から逃れる鳥のように/わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。
⇒ハレルヤ、わなは破れてわれらは逃れた(7節)
 「われらは野鳥をとらえるわなを逃れる鳥のように逃れた」といいます。敵は網を張り、神の民を一網打尽に捕らえ、殺害する計画だったのでしょう。どのような罠で、どのようにその罠が破れたのかは分かりませんがが、主が不思議なわざをなし、彼らは助かったのでした。
 第二次世界大戦の時にナチスに捕らえられ強制収容所において、家畜以下の生活を余儀なくされ、虚しくこの世を去っていったユダヤ人のように、火のような苦難と試練のただ中にあった民の苦難脱出を連想させられます。
4)、8 わたしたちの助けは/天地を造られた主の御名にある。 ⇒われらの助けは天地を造られた主の御名にある。 (8節)
 詩人は今歌います。「今、イスラエルは言え、主がわれらの方におられなかったならば、われらはとくに滅びたであろう。悪魔のわなを逃れ、今あるはただ主のあわれみによるのだ。天地を造られた主、われらの救い主なる神にこそ救いはあると!」。

【結論】 われらの生涯もまた主のみ前に出るとき、いかに多くの危険と誘惑とから守られて来たことかを覚えて感謝することでしょう。主イエスは今、われらの味方にいます。罪と死をあがないしのみか永遠に伴いたもうお方として! ハレルヤ


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