キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

★モノサシ


 青やピンクの地、色々な模様。虫眼鏡や出っぱりが付いているのもあるね。
 でも、そこに刻んであるメモリ(Cm)は同じです。もし違っていたら、測れない、線を引くだけなら役に立つけど・・・・・

 「人生モノサシ」
 みんなみんな、自分の人生を、別々のモノサシを持って生きているようなものなんだ。ある人は、これが正しい、ある人はあれが正しい。みんな自分が正しいと思い、自分を基準にしているから、たくさんの悲しい行き違いが起こってしまう。

 「聖書」(バイブル)という世界のベストセラーである本には、驚くことに、
ボクたちが生きる人生の基本が、はっきりと書かれている。
 それは2つあって、第1に
 「神さまを愛しなさい」
 第2は、「自分を愛するように、あなたの隣の人を愛しなさい」
 これが、神さまがお付けになったメモリだと、言われているように。

 みんなは、どう思う?

 イエス様は、ボクたちが生きる目標は、この2つに要約されていると言われた。自分を基準にするのではなく、神さまの言葉を基準に生きれば、安らかな毎日を送れる、って書いてある。

 ボクは、自分が一番大切で、自分の人生は自分が決める、とずっと考えてきた。人から意見されるのが一番嫌い。でも、ぼくの人生は行けば行くほど、羅針盤のない航海だったんだ。とんでもない所に行き着きそうで、「マズイ」と思ったときは、もう遅かったと思った。

 でも教会に飛び込んだ。なぜか教会と言うところに行ってみたいと思っていたんだ。

 「神さまから離れていたキミはね、じつはみなし子なんだよ。だからキミの心はさびしいンだと思うよ」

 そうかなあ。でもボクはイエス様がキミを待っているって言われたから、イエス様の方に歩いていったんだ。イエス様はボクを抱きしめてくれた。
「よく来たね、待っていたよ、これからはずっと一緒ね!」って言って下さった。

 それからは例の2つの基準は、ボクの人生号の羅針盤になった。心が迷ったときには、そこに帰れるんだ。安心、安心。もう「人は何で生きるの?」なんて、根本問題で悩むことはなくなったんだよ。


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