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この世で報われない、苦渋の人生を送ったから、死んで天国で報われるということは、ないだろう。この世で、たとえ苦渋に満ちた生涯だったとしても心には天国を持って生きた人の行き先が、天国なのだ。
2005年05月31日
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昨日は「教団デー礼拝」と銘打って、普段はお出でになれないような牧師さんをお迎えしました。礼拝でのお話を聞いていて、ご自分の弱さと向き合っておられる、ウチの皆さんきっと共感的に聞いてくださっただろうと感じました。お昼が終わって、皆さんが片づけをしてくださいます。「ちょっとクレマチスの丘にお連れしてきます」ボクたち夫婦と、その牧師さんと3人で、近所の「クレマチスの丘」に行きました。可憐に咲いているクレマチスの花々を見ました。それから絵や彫刻作品を鑑賞しました。帰ろうとすると、お片づけをしてくださっているはずの信者さんのひと群と合いました。
2005年05月30日
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イエスは言われた。 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。 『隣人を自分のように愛しなさい。』マタイ福音書22:34ー宛てなきそぞろ歩きではなくて、人生は目的に向かう旅だ。神のみ教えが太陽ならばボクは太陽に向かう向日葵でありたい。神を愛するなら、安らかに生きることができる。神から人を愛し、受容する力をたまわる。
2005年05月28日
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「役に立たなくなるまで私を生かさないで下さい」(ジョン・ウェスレーの祈り)ボクのお務めする教会の信者さんも、こう祈っていた。たしかに彼女は、ウェスレーならずともがんばり屋さんだった。それから晩年は寝たきりになった。初めは、そのような自分を受けいれがたく、自力で歩こうとし、何度も転倒した。転倒し怪我をしても、また立ち上がり歩こうとした。やがて、ベッドの上で、笑顔と感謝を表すようになった。すべてを受け入れた人の笑顔のように、周囲には映った。寝たきりでも神様の栄光を現している。老いには老いの、弱さには弱さの中の、神からの輝きを人は現せる。
2005年05月27日
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だれかさんみたいに(?)携帯の機種変更に行ってきました。折り込み広告「機種変更0円」に惹かれたのです。使わなくても電池が3日位しか持たなくなったので、この際と。くだんのお店は、閉店間際なのに何人かお客さんが待っていました。それで、気後れしてくびすを返してしまった。県道にバイクを走らせていると、小さな携帯ショップを見つけたので、入店してみる。もうどこでもいいや!だれもいなかった。声をかけると、娘さんが出てきた。用件を伝えると、ボクのポイント得点を引いても、1万円ぐらいは払うのだと。そんなには払えないことを伝えた。するとまた奥へ入っていき、型遅れでよければ2千円ぐらいであると言う。だいだい色とシルバーと。ボクはシルバーだからシルバーだというと、笑をこらえているようだった。来週まで待ってと言われて、帰ってきた。今度は折りたたみ式だぞ。
2005年05月26日
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妻と二人で駅まで迎えに出て一人の女性をお迎えした3人でお話をした。やがてこのかたはご主人のことを話した。ご主人のことを、こんなにステキに紹介する。うれしく、そしてご主人にもお会いしたくなった。
2005年05月26日
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Even if I go through the deepest darkness, I will not be afraid, Lord, for you are with me. Ps23高校時代、英語は赤点だったのでというか、国語以外は殆ど赤点だったが牧師養成学校に入ってから、英語の新約聖書に挑戦した。昼も夜も、食事中でも、英語の聖書と辞書を持参していた。一節を訳すのに、辞書を3~4回ぐらい引く。訳は欄外に記入福音書、使徒言行録などは、書き込みで真っ黒後半になると、だんだん書き込みが少なくなる。やがて、言葉を味わえるようにもなる。最後は、あまり辞書を引かなくても良くなった。こんなステキな思い出も、たまにはある。
2005年05月25日
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「ヨハネの黙示録」は解釈がむずかしく、新約聖書を注解したカルバンも、黙示録には手を付けていないほどだ。信徒には慰めに満ちた書であると同時に、超難解な箇所がたくさんある。「ハルマゲドン」という言葉も、拡大解釈されてきた所の一つだろう。「ハル」=丘「メギド」=地名イスラエルの北方「メギドの丘」(ハルマゲドン)は、古戦場として知られている。世の終わりの直前に、そこで世界最終戦争が起こるというわけだ。しかし聖書の文脈では前後がとぎれていて、解釈がむずかしい。聖書の中に一度だけしか出てこないこの言葉に、スポットライトが当てられ、想像力がかき立てられる。果ては、一つの地名が「人格」を持ったもののように扱われる。人の不安をかき立てるような説教は、あやしいものだ。
2005年05月24日
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開祖ウェスレーは、イギリスの国教会(聖公会)の牧師でした。彼自身は生涯、国教会の牧師だったのですが、彼の大学教師時代、学校内で、聖書の言葉にそって規則正しい生活をすることを志す仲間と、グループを作りました。彼らは「メソジスト」とあだ名されます。「メソジスト」は「メソッド」という言葉から出ていて、訓練とか規則とかの意味です。規律正しい生活を目指していたので、そう呼ばれたのです。ボクは「メソジスト」という人々の端に生きている者ですが「規律」とは正反対の人間です。三日坊主という言葉がありますが、1日もできません。つまり、計画を作っただけで、次には別のことに取りかかりたくなってしまうのです。真のメソジストを目指して、今日も新しく願いました。しかしたどり着くことは、ボクにとっては、海岸に立ち水平線の向こう側に届けと、石を投るようなもの。主よ、それでもボクがメソジストのやからでいることは、あなたがお許しになることでしょうか?
2005年05月23日
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老夫婦をお訪ねしたお二人とも、どちらかといえば自己主張が強いタイプかも?葛藤や忍耐が繰り返され、ここまで来られたのだろう今は静謐がお二人を覆っている二人が向き合う時互いへの思いやりがにじみ出る若い時は、互いの体を触れあい今は、心をふれあう
2005年05月22日
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ソナタや交響曲の第2楽章などの緩徐楽章を聞いていてベートーヴェンは透明に澄み切っていてモーツアルトには淡い色が付いていると思った芸術に対する真摯な態度は驚くほど共通している人に対して真摯でなければならぬと気づかされる
2005年05月21日
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「職」が身を守るのは「職」が相撲の土俵のようなものだからだろうボクにとって職はそういう恵みをもたらしたそれにしても朝青龍は強い彼だって、土俵があるから強いのだ
2005年05月20日
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キリストは祈られた「父よ彼らをゆるしたまえ、そのなすところ知らざればなり」キリストはゆるすためにこの世に来られゆるすために生きゆるすために十字架上で死なれたゆるすために死からよみがえりゆるすために天に昇られ・・・・・憎しみは生きる糧にはならずゆるすことによって人は成長する神が限りなく成長なさるのはゆるすことが、その資質だからだから神は無限から無限まで成長を続けられるゆるすことに目が開かれるとボクたちも成長できるそれが神の子供としての資質だと思うひとたび ゆるすことに心を決めればすべての川が海に注ぐように怒りも憎しみも痛みもゆるしの大海に向かって流れはじめる安らぎの海にはだれでも海にたどり着けるのだ
2005年05月19日
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「それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた」 詩編73:2今日読む聖書の箇所↑に書き込み↓を見つけた~ボクのこれまでの生涯、2004/5/17~ちょうど一年前だな。あっという間に過ぎていったようだけど振り返れば色々あった山登りのように、コルをやっと越えるとすぐ向こうにコルが見えるそんな一年だった足の弱い者が越えてこられたのは神様が一緒にいて下さったから
2005年05月18日
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信徒さんの帰りがけに「バイカウツギは咲いた?」と訊いたこのかたの家の低い塀の上から純白のバイカウツギ(梅花卯木)が咲き誇る頃だ「今年はダメです。父がやたらに剪定してしまったので」前の日曜日、近所の山林に入ったらホトトギスは鳴いていたっけ
2005年05月17日
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「毒」と書いたビンが書斎机の上にその中には「疑い」と書いた紙片が一枚
2005年05月16日
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今日は「聖霊降臨日」という記念日です。「三社祭」ならぬ「三大祭」というのがキリスト教にはあるんです。クリスマス=12月25日(またはその日から始まる3日間)イースター(復活祭)=3月末から4月のある日曜日聖霊降臨祭=5月のある日曜日聖霊降臨日というのは、弟子たちの上に、聖霊が降った日です。この日がキリスト教会の誕生日とされています。みんなで相談の上、教会が始まったのではなく、みんなが集まり待っている所に、上からの力が着せられて、教会が始まったのですね。その時からです。教会がいつも上を向いているようになったのは。「上を向いて歩こう、涙がこぼれないよう~に」大好きな九ちゃんも、とうに上に
2005年05月15日
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午後は、沼津にある教会で「ライフライン視聴者の集い」があり、行ってまいりました。講師の関根先生の歌とメッセージが楽しかったです。関根先生は、気負った所がなく、ギターを手に、自分が楽しんでおられるように歌います。「ライフライン」はキリスト教系テレビ放送番組で、朝5時からなのですが、静岡県は全国でも視聴率が高いのだそうです。(こうやって、一日に複数回 日記がアップロードできるようになって楽しいな)
2005年05月14日
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ボクのとこの向かいが神社です。今日明日はお祭りです。毎年5月15日が祭の日でしたが、この所、土日に変更しているようです。神社の神様も、住民本位に変わっているんです。今年は、伝統的日程と土日が重なったせいか、子供の御輿、大人の御輿とも、いつもより元気なかけ声が聞こえてきます。
2005年05月14日
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生きることを選び続けることは、時に厳粛なことだ。幸福な時に、生を歌うことはたやすいが。死んだ方が楽になるとは、しばしば正しいことだろう。その正しいことより、さらに正しいことをボクは知る。感情に逆らっても、選ばねばならない道があること・・・ボクはキリスト信者だ。生き恥をさらしてさえ、求め続けたい願いがある。「ボクが生きることが、あなた(神)のご意志なら いつまでも、どこまでも、あなたのご意志通りに・・・・」そのように歩めるなら、野に屍をさらしてもいい。
2005年05月13日
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数年に一度だった青年が、毎年のように訪ねてくるようになった。彼が昨日、訪れてきた。彼は家まで帰るお金の無心に来る。家人とケンカして出てきてしまったと言うことだ。来て下さって、困った気持とうれしい気持と半々になる。前の時は、お金の都合をしてあげなかったので、もう来ないだろうと思っていた。冷たいモノが飲みたいというので冷蔵庫から冷たいものを出してあげた。それから手ぶらで帰した。あげない方が正解なのだろうが自分の心の貧しさに責められ、気が滅入ってしまった。
2005年05月12日
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朝の祈りは、だれも来られなくて、妻と2人祈りが終わると、妻は犬の散歩に出る。ボクは牧師室に入り聖書の通読。今日は「ヨハネの黙示録」を読了し、新約聖書通読を完了。明日からは、どの聖書で読もうかな?聖書を読んだ後は、ゴミ出し。水曜日は「不燃ゴミの日」電化製品をばらして、燃えるモノと燃えないモノを出来るだけ分ける。そのうちに妻は朝食の支度食後、NHKの朝ドラを見るのも、日課。ゆうちゃんが清楚でかわいい、大好き!9時頃、長女がチャペルに入りピアノを弾き出す。シューベルトの「即興曲」、「楽興の時第3番」などが聞こえてきた。掃除をしながら、妻がピアノに合わせて口ずさむ。午前10時半からの祈り会、だれも来られない。と思ったら、途中から長女が顔を出し祈りに加わった。昼過ぎ、長女が出発。今日からアフリカへ。バックパッカーである。ボツワナでボランティアをするそうな。夫婦で三島駅まで見送る。過去ジンバブエ1回、中米のベリーズ2回、これで4回目の渡航。この資金を作るために夢中で働いたのだという。行ってしまったボクは3時の電車で熱海へ、信徒の女性のお見舞い。いつも一緒にお見舞い下さる人と、熱海駅で落ち合う。90歳を過ぎてはいるが、最近御元気で話が弾むのがうれし。夜の祈りの集いまただれも来られずに、妻と2人で聖書を読み、信徒の皆さんやその御家族のために、名前をあげて祈る。それでもいつもより早く終えてしまった。
2005年05月11日
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妻の信仰は一直線だ深山の瀬を走るハヤのように神学の本を取り出して「一緒に読みましょう」と誘っても2,3ページで逃げ出す
2005年05月10日
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HPでベートーベンを調べていたら、ピアノソナタに比べて、弦楽四重奏曲は「ねとねとした感じで好まなかった」という意味の書き込みを見つけた。ボクもそう言う感じを抱いていた。弦楽四重奏曲って、線が絡み合う、時に高まり合う、そんなイメージですね。ベートーベンが最後まで書きつづったのは「弦楽四重奏曲」なので、これを聴かないでは、ベートーベンの真の姿は解りませんよね。絶筆は第13番の最終楽章だと言われています。弦楽四重奏曲を聴いた後で、ピアノソナタを聴くと、何とシンプルな音楽なんだろう、と思ってしまいます。ピアノソナタはいいです。
2005年05月09日
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みなさんおはようございます。今朝は「朝の祈り」を忘れ、6時半過ぎに起きました。廊下に出ると、北側の部屋がひどく明るいのです。あれ~ 蛍光灯点け放しで寝たね~朝の柔らかい光が北の窓から入って、輝いていたのです。そうです、光の季節が、頂点に達しているのです。牧師室に入ると、窓外では光の信じがたい大乱舞。光の一日がとうに始まっている。
2005年05月08日
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一生けんめいに生きている姿強い人でも弱い人でも変わりなく美しいと思う今日もその道を歩きたい
2005年05月08日
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どうしてそんなに袋だたきにするの?同じ時代に生かされている同士として一緒に痛み、一緒に泣くことその方が、万事に近道だと思う。つらくても、それが人間のしるし
2005年05月07日
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昇段試験を受ける前、ボクたちは部活の先輩から、訓辞を受けた。「勝ち負けは気にするなよ。キレイに仕合をせよ」剣道の昇段試験は、「型」と「仕合」の審査があった。ボクたちは先輩の訓辞を守って「初段」を授かった。舞い上がったボクたちに「2段までは、型が出来ていればだれでもくれる」先輩は、高校生ですでに3段堂々としていて、本当にキレイに仕合をした。バザーの売れ残りで、竹刀を見つけボクはそれを手にした。よく手を合わせた田中や佐藤の防具の中の顔が浮かんだ。手のひらを見ると40年前に作った剣道ダコがまだうっすらと残っていた。
2005年05月07日
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毎朝の聖書通読で、ヨハネの黙示録を読み始めています。1章の12節「人の子のようなかた」このお方がキリスト様であることが解ります。そのお姿がスゴイのです。「目はまるで燃えさかる炎」「足は炉で精錬されたしんちゅうのように・・・・」「声は大水のとどろき・・・・」「右の手に7つの星を持ち」「口からは鋭い諸刃の剣が出」「顔は強く照り輝く太陽のよう・・・・」キリスト様が最後のお仕事のためにご準備なさるお姿なのか!ちょっとイラストにしてみたらとんでもないお姿になってしまった。「わが主よ!」と言って、懐には飛んでいけない近寄りがたいお姿です。
2005年05月06日
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ゴールデンウィークの最終日、行ってきました。昼食の後、妻と2人で近所の美術館へ。「ベルナール・ビュフェ美術館」妻は、30年ここに住んでいて、初めて見るようです。相棒として失格だなぁ。ビュフェは、年代を追って変わる作風が興味深かったです。若い頃のは世の中に背を向けているような、暗い画風でした。結婚を機に明るい絵をたくさん描きます。晩年は自信と確信にみなぎる王様のような力強い作風です。絵の方ではなく、目を輝かせて絵の説明をするボクに、妻は感動したそうです。(苦笑)藤田嗣治の「猫展」がくっついていました。こちらは常設ではなく、5月一杯です。藤田の絵は淡いものですが、たくさんの猫の絵があり、チャーミングでしたよ!興味のあるかたは、お出かけ下さい。ご案内しましょう。水曜日が休館日です。と言うわけで、ボクも人並みにゴールデンウィークを楽しみました。レスを下さった皆さん、ありがとうございました。
2005年05月05日
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ゴールデンウィークなんていらないボクの友人の日給で頑張っている人たちは、困っているだからゴールデンウィークなんていらないそれでも今日はゴールデンウィークの最終日晴れがずっと続いてよかったね妻を連れてどこかを散歩するか
2005年05月05日
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「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」 ヨハネによる福音書14章16-17節水曜の祈り会の準備で聖書を開いたら、走り書きが目に止まった。「Sさんに読んであげたい 04/10/30」病める時も、御元気な時と同じようにイエスが共におられるという。実際にここをSさんに読み聞かせたか、忘れてしまった。Sさんはそれから半月後に、キリストさまの元に旅立っていった。御元気な頃は、いつも体を動かして、かいがいしくお助け下さった。長いベッドでの生活、どんなにつらかっただろう。
2005年05月04日
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日本国憲法を変えると言うことは、「開かずの扉を押し開こうとするような」雰囲気の時代がありました。今はどうも、憲法の変更を口にする方が「未来志向」のようです。時代の変化というものでしょう。はるか後の人々が日本の歴史をひもとくと、「私たちの国に、戦争を放棄し軍隊を持たないと憲法で決められていた、ユートピアのような時代が、約半世紀あった」と記されるに違いありません。その尊い半世紀の時代に、ぴったりと生きられたことは、幸運なことでした。憲法が変わる時はやがて来るでしょう。その時が来たらボクは憲法のご葬儀を執り行うかもしれません。
2005年05月03日
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ボクの母方は、神経が弱い家系だと思います。こんなこと書くのもナンですが、母も「多動」的な気質です。80近いのですが、衰えません。ボクも精神のバランスがすぐに崩れます。良くここまで牧師をやってこられたな、と自分で感心します。教会という狭い世界に閉じこもって生きてきたから、やって来られたのかも知れません。教会も人数が多くなれば、ストレスが高まります。そうかぁ少人数の教会にお世話下さった先輩の先生方の「先見の明」だったんだ。
2005年05月02日
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礼拝説教が作れなくなった、と嘆く友人たち加齢は、メッセージを作りやすく、語りやすくするかな?と思っていたが、そうでもないらしい。昨日も12時半まで起きていたが、メッセージを書き上げる力はなかった。それで、テキスト(聖書)から離れて、湯船につかりながら信徒さんたちのお顔を思い浮かべてメッセージの構想を頭で練っていた。今朝は、せっかく5時に起きたが、何となく楽天広場を徘徊してしまった。いよいよタイムリミットが近づく。
2005年05月01日
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