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2003年6/7 今日から毎日夕方に病院へ連れて行きます。 皮下点滴になりました。 朝便はなし、 夕便は1回グレード3.5と言いましと非常に 湿澗しているがある程度の形状は保たれている便です。 朝食は、ご飯10g、生肉35g、卵黄1個半、R/d 缶詰24g 夕食は、g/d缶詰100g、RCFドライ10g、g/dドライ15g, R/d缶28g、卵黄1個半、生肉20g 体重は10.4kgです。 6/8 朝便はなし、夕便は1回でグレード3.5ぐらい 朝食は、卵黄2個、ヨーグルトミルク(アカデ)100cc 夕食は、生肉60g、ご飯25g、RCF15g,g/d缶56g 卵黄1個 ドックフードは病院で買っている処方食です。 一日の量は442.26Kcal食べました。 今日から鉄剤を投与します。 貧血の予防の為に 6/9 朝便はなし、夕便は1回グレード3.5 朝食は、ヨーグルトミルク 50cc、 夕食は、g/d缶84g 今日はあまり食べませんでした。一日量は、120.74Kcal BUN 67.1 CRE 3.3 6/10 朝便も夕便もなしです。昨日は食べている量が少なかったので、 病院で預かってもらいました 朝食は、卵黄1個、 病院では、k/d缶詰200g 夕食は、ウオルサムドライ60g,ウオルサム缶詰28g 一日量は、395.52Kcal 6/11 朝便は2回した。1回目は、グレード2.5~3 2回目は、グレード3ぐらいです。 グレード2.5は、拾い上げると痕跡が残り、表面がわずかに 湿澗するが形はある(触れると粘膜性がある) グレード3は、湿澗し形状が失われつつあり、拾い上げると 痕跡が明確に残る。 朝食、夕食は自宅でウオルサムドライ60g, ウオルサム缶を1缶、卵黄1個 一日量は265,6Kcal 6/12 朝便も夕便もなし、病院では卵黄1個、牛肉33g, g/d缶165g,ウオルサムドライ25g, シーザ缶1/3缶、 自宅では、卵黄1個、g/d缶 20g 6/13 朝便はなし、夕便は、1回グレード2.5~3.5の間 朝食は、卵黄1個、 g/d缶、牛肉ほんの少々 昼食は、卵黄2/3,g/d缶 50g 夕食は、牛肉30g、生牛肉19g 一日量は204.75Kcal 6/14 朝便も夕便もなし 朝食は、卵黄1個、スキムミルク80cc 昼食は、牛肉20g、g/dドライ 17g,g/d缶124g ウオルサムドライ10g、 夕食は、卵黄1個 一日量は、410Kcal 6/15 朝便はなし、夕便は1回グレード3~3.5 朝食は、卵黄1個、スキムミルク39g, 昼食は、K/Fllドライ40g,g/d缶39g,牛肉17g 夕食は、K/Fllドライ12g,RCFドライ14g ウオルサムドライ6g 一日量は453Kcal BUN 59.3 CRE 3.2 6/16 朝便はなし、夕便は1回グレード3~3.5 朝食は、卵黄1個、スキムミルク80cc 昼食は、K/Fll40g,g/d缶39g,牛肉17g 夕食は、K/Fll12g,RCF14g,ウオルサム6g 一日量は、453.5Kcal BUN 59.3 CRE 2.9 喜多郎ママのつぶやき 喜多郎は入院を18日間して退院後は食事もまばらでよく食べる時も あればあんまり食べなくて心配しましたが少しづつ安定してきたなあと 思いました。一度は危ないと言われた命ですが、喜多郎自身まだまだ 私達と一緒に居たいと、そう願っているみたいに思えました。 喜多郎パパのつぶやき 喜多郎の闘病記も喜多郎が無事に退院できて これからは、病気と闘うのではなく、うまく付き合っ いかなくてはならないので闘病記はこれでお終いです。 次からは喜多郎の食事(介護)日記に変わります。
2004年11月19日
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ー喜多郎、入院18日間、そして退院しました。ー2003年5/26 夕方見舞いに行ったら、今日の血液検査の結果 BUN 106 CRE 2.4でCREはそんなに 高くはないがBUNが高くなっているのは前庭炎の 治療をしているのでどうしても腎臓の値が上がるのは 仕方がありません。前庭炎が治まれば腎臓の数値は 安定してくるそうですと言われましたが心配で心配で どうしょうもありませんでした。 朝は嘔吐をしたそうです。それを聞いたのも心配しました。 生牛肉70g かしわのささみ80g 卵1個を持って行き 卵の卵黄と生牛肉はすべて食べてかしわのささみは少し 食べました。 明日の分として卵3個持参しました。 5/27 今日は久々に朝うんちを1回水分が多い目だったそうです。 今日の血液の結果は BUN 134 CRE 2.6 昨日よりも数値は上がっているので少ししんどそうでしたが 卵黄は特に喜んで食べましたあとはかしわ、ご飯、生牛肉を 少しづつは食べてくれました。 5/28 今日はBUN 122 CRE 2.6 です。 CREは昨日と同じですがBUNが少し下がったので良かった 食事は卵黄3個とあとドックフードを少々食べました。 体重は10.2Kgで今の所は横ばいです。 ここ数日間立つ事が出来なかったのでおしっこも横になった 状態でしたいたので、立っておしっこをしていたし約5分ぐらい 立っていたそうです。喜多郎自身立っておしっこをしたいと 思っていたはずです。 それに点滴の針を変えてもらう時少し痛かったと見えて 足をバタバタとして、先生の体をけったりしてとても元気でした。 あとはご飯をもっと食べてくれたら嬉しいのに 5/29 今日は長い間立っていましたがまだ足に踏ん張りがないので すべってはいますが尻尾も振っていたし、ケージの中から あたりを見ていましたこれを見た時はまるで家にいる時と ほとんど変わらないなあ・・・と思いました。 体重は10.1Kgで0.1Kg減りました。 BUN 80 CRE 2.7 今日はBUNの数値は42下がり、 CREは0.1昨日より上がりました。 今日一日の食事は卵黄3個、ハム3枚、生牛肉40g 食べました。 5/30 今日は立っている事がいつもより多いと言われた時はすごく 嬉しくて、嬉しくて涙が出そうになりました。 喜多郎は頑張って生きようとしている。 喜多郎に生卵はやってません。 朝は卵2個とアカデ牛乳を少し食べ、夕方は生牛肉約50g ハム1枚、卵黄1個食べました。 BUN 87 CRE 3.5 昨日より上がっていました。 5/31 今日は、BUNの数値は昨日より少し上がっていますが 食事は昨日より沢山食べました。 朝食はハム、卵黄1個と2/3、生牛肉53g、 ヨーグルト約86g玄米スープ少々、砂ずり、かしわのミンチ 缶詰少々食べた。 夕食は生牛肉53g、さつまいも、納豆、ヨーグルト、 玄米スープ少々、卵黄約半分食べました。 6/1 今日の夕方に体重を計ったのを院長先生から聞くと なんと増えているではないか10.4Kgになっていました。 昨日沢山食べたからだと思います。 喜多郎は卵と生牛肉で生き長らえていました。 BUN、 CREも少し下がったそうです。数値を聞くのを 忘れました。 私が病院に持っていったフードです。 朝食はヨーグルト、犬用グラタン少々、卵1個生肉50g 夕食は生肉約30g、卵黄1個、ヨーグルト少々食べました。 今日は体重は10.1Kgです。昨日より300g減りました。 6/2 喜多郎は毎日少しづつ元気になってきました。 腎臓の数値も少し下がってきたし、ご飯も以前と比べたら 食べるようにもなりました。 今日一日の食事は生肉70g,小さい缶詰1缶半、卵1個 6/3 喜多郎はケージの外に出たいなあ・・・そんな顔をしていましたし また私達と一緒に帰りたいそうにも見えました。あんなに反応が なかったのに治療の甲斐があってだんだん良くなっていくのが 嬉しいです。 腎臓の数値の BUNが70代に下がりました あと少し下がれば血管点滴から皮下点滴にしていきますと 院長先生から言われました。 6/4 今日の数値はBUN 50代、CRE 2.8 だんだん良くなってきているので、皮下点滴に なるのが待ち遠しいです。 6/5 今日の数値は、 BUN 57ですがよく食べて、よく歩いて 元気になってきました。 私が持参した分ご飯50g,生肉93g,卵の卵黄1個 食べました。 明日退院ですと言ってもらい喜多郎が我が家に戻ってくると 思うと嬉しくて、嬉しくて眠れませんでした。 入院した時は心配でどうしょうもないくらい寂しさで 眠れなかったのが今度は嬉しくてたまりませんでした。 6/6 BUN 67 CRE 2.9 の数値ではありますが 今日の夕方退院しました。 家に戻って車から降ろしてやると右に右に曲がって 歩いていますが一生懸命歩いている姿を見ていると とてもいじらしく思いました。 喜多郎の退院祝いをしました。 明日からは、通院をして血液検査と皮下点滴 300ccを病院でしてもらうので私はもう点滴をしません 私は喜多郎が泣くのを聞くのがとてもつらかった。 いつも喜多郎に点滴をする時はゴメンネと言ってから してました。 -ママ- 喜多郎ママのつぶやき 私は、喜多郎が前庭性症候群になって入院を2003年5/20~6/6迄の 18日間、入院をしてその後は通院を、しなければならないのですが喜多郎を ひとりで留守番をさせておくと私が会社に行ってる間に何があるかわからないので 毎日私が、会社に行く前に車に乗せてAM7:30頃家を出てAM7:40~50頃に 病院に着きます。 時間はまだ早いので、AM8:15頃まで喜多郎とあちこち歩いて散歩をしたり、 朝、自宅で食事を食べるのが少ない時はビニール袋に入れて持ってきた ドライフードを外で食べたりしていました。 病院の処方食を食べているので持って行かなくても、フードは出して もらえるのですが、その日その日いろいろ食べるものが変わったりするので、 私がビニール袋に2~3種類のドライフードと卵1個を持参してました。 持参したフードを食べない時は病院で違うものを出してもらっていたみたいです。 それに缶詰は病院で」もらっていたようです。 病院では昼の休憩時間の時には、ケージから出してもらっていましたので ひとりで自由に歩き廻っていたそうです。 喜多郎を病院に預けて、私は車をガレージに置いて服を着替えて 会社に行ってました。 また夕方はPM5:00近くになると喜多郎は病院のケージ中でそわそわして まだかまだかと私が迎えに来るのを首を長くして待っていました。 私が少し迎えに行くのが遅くなると院長先生が喜多郎に今日はお母ちゃん 来るのが遅いなあ・・・と今言ってたところですよと私に話してくれます。 喜多郎は私が迎えに行くと、すごく喜んで一目散に飛んで出てきてくれるので 私は喜多郎の顔を見ると一日の疲れも吹っ飛びます。 ーママー
2004年11月18日
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ー喜多郎、入院二日目ー体重が1kg減りました2003年5/21 昨日から喜多郎が入院しているので 私は病院の昼の休憩時間に見舞いに行きました。 昨日よりは落ち着いていましたが 目のけいれんは、まだありました。 夕方午後6時30分頃主人と一緒に見舞いに行った時も 少しよだれは出ていたし顔は右に曲がっていてまだ 目はけいれんしていました。 早く目のけいれんが治まれば食事も食べれるのに・・・ 私に出来る事は喜多郎が早く良くなりますようにと 神様にお祈りをすることしかないので毎日お祈りを しました。 5/22 喜多郎の体重は10.3Kgにまで減りました。 目のけいれんがあるので食事が出来ないから 体重が減るのは仕方がないまた食べれる ようになればもとの体重に近づくと思います。 今日は午後12:15~14:00過ぎまで病院で 喜多郎を見てました。 喜多郎が入っているクレートの中をのぞいて見ると すごくよく眠っていたのでしばらく喜多郎のそばで じっと見ていたら私の気配がわかったと見えて 起きてきてくれました。 目のけいれんは昨日よりは、少しましにはなって いましたが、まだぐるぐる動いていたので 私が水とドックフードをやりましたが目が廻っているせいで 飲まないし食べませんでした。 夕方の午後6:40頃主人と見舞いに行った時は 昼間よりも目の動きが落ち着いていましたが 何も食べません。 昼も夜も私が見舞いに行った時には、私の顔を 見るとおしっこをしました。 喜多郎は私の顔の方をむいてくれました。 喜多郎も早く帰りたいと思っていたにちがいありません。 そんな顔をしてました。 一日でも早くよくなってほしいなあ・・・ 5/23 昼間見舞いに行った時は今日もよく寝ていましたが 昨日よりはまだ少し反応があったように思いましたし よだれはきのうみたいにに出てなくて目のけいれんも 少しましにはなってました。 夕方見舞いに行った時は寝ていましたが起きてきて こちらを向いたりしてくれた。 まだ表情はないです。 食事も食べず、カステラを無理に口に入れてやったら 美味しそうに口にしました。 体重も10.2Kgに減りました。 主人がデジカメを持って行くぞと私に言いました。 私がまるで喜多郎はもう死んでしまうかのように 思いました。写真を撮って残すやなんて・・・ でもあの時デジカメで喜多郎の回復する様子を 撮っておいて良かったと今になれば思いました。 5/24 今日はとてもよく反応しました。 私が卵黄1個やったら全部食べてg/dドライを 少々湯もどしした分と缶詰の一番やわらかい所 ほんの少し食べました。 よく動き廻ってもいました。 昼に食べたのは g/dドライを粉にした分を 約10gは、36.3Kcal 卵黄1個は、55Kcal 夕方はg/dドライの粉にした分を 約10gは、 36.3Kcal 卵黄は少々とりんごとご飯も少々食べました。 5/25 朝は卵を持って病院へ行きました。 朝は卵黄1個食べました。 血液検査をしたら BUNが100に上がっていたので これから処置の仕方を変えましたと院長先生が私に 言いました。 夕方は卵黄1個と生肉25gと病院から出してもらった 缶詰は少ししか食べませんでした。 でも一日一日元気になっていましたが今ひとつ BUNの数値は少し上がっていました。 ーママー 喜多郎パパのつぶやき 喜多郎が入院した翌日から私は仕事帰りに家内と二人で 毎日デジカメを持つて喜多郎を撮りました。 それは入院アルバムとして残っています。 今となっては、よい記念になっています。 (入院中の写真を撮っているのは私達だけみたいでした。) 入院中の食事の量がすくないので毎日、家内は卵黄と 生肉を持っていきました。 (喜多郎が生き長らえたのは、卵と牛肉のおかげでした。) 院長先生からは喜多郎の好きな物を作って来るように 言われましたが、ドックフードいがいの物は 食べさせていなかったので大変困りました。 慌てて、本屋に犬の手作り料理の本を探しにいきましたが、 あいにくそんな本はありませんでした。 HPに犬の手作り料理のことが載っていたのでそれを 参考にして作りましたが、食べなれていないのか喜多郎は あまり食べてはくれませんでした。 家内は毎日、ミートシヨップで新鮮な生食用の 和牛肉を買い求めていました。 (少しでも栄養をつけさせてやりたいと言う気持ちで一杯でした。) PS、いま、思うに、若い時からドックフードいがいの物も与えて馴らして おいた方が良かったかも知れません。 -パパ-
2004年11月17日
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(喜多郎の病名は前庭性症候群と言われれました。)喜多郎(甲斐犬)18歳の闘病記(8)2003年5/20 朝、いつもどおり午前5時20分頃喜多郎を散歩に 連れて行き、散歩から戻ったら朝のドックフードを やって喜多郎をご飯を食べ終えたら目薬をさしてやってから 私は仕事行くしたくをしていつもと同じように、喜多郎を ひとり残して行きました。 仕事を終えて私が帰宅したのは午後4時30頃です。 さあ喜多郎に散歩に連れて行く前に白内障の進行を 遅らす目薬を毎日1日4回さしてやっているので喜多郎 目薬をするよ。と言いながら喜多郎が座っている あんまきの所まで私目薬を持って行ってさしてやったら 首を何回も何回も振って様子がおかしいので、椅子から 降ろしてやると立てないし喜多郎はへんな声を出して泣くし 私もなにがなんやらで気が動転してしまいかかりつけの病院へ 電話をして幾多郎が朝まで普通に歩けてたのに急に歩けなく なりました。電話をしました私は気が動転していたので、 何回も病院へ電話をしてしまい、病院ではいっこくもはやく 連れて来るようにと言われました。 今日は点滴をしなくてもいいと、きのう言われたので家のガレージに 車を置いてなくて、少し離れた所に置いていたのでそこまで 喜多郎を抱いて行く道のりがすごく長く感じました。 病院に着くと院長先生をはじめ他の先生や看護士さんが待って 居てくれてすぐ診察を開始して私に院長先生が喜多郎の目が 振動してるでしょうと言われましたがその時はわかりませんでした。 喜多郎の病名は前庭性症候群と言われれました。 その病気は若い犬にもあらわれますが5歳~6歳以上の 犬、猫にとつぜんあらわれるそうです。 頭をかしげ、まっすぐに歩けなくなってぐるぐるまわります。 重症になると横に倒れます。目の周辺的細かい動き(眼球震とう)を 見せる事もあります。 (原因は、耳の奥にある内耳神経の一部をなす前庭神経が何らかの 異常をおこします。外耳の炎症が前庭まで広がる場合や、耳の 腫瘍がひきおこす場合などが考えられますが原因がはっきりしない ものも少なくありません。 天候や気圧などの外部の環境が 影響している説もあります。) 喜多郎は即入院して、前庭の治療をする為今日から血管点滴が 始まります。入院するにあたり同意書にサインをしたり一部入金などの 手続きをして私達は喜多郎を残して帰りました。 また明日病院に来ますのでよろしくお願いしますと 院長先生に言いました。 ーママー 喜多郎ママのつぶやき 私が会社から帰ってきたら、喜多郎はあんま機の椅子の上に居たので 目薬をさしてやると顔を振ってしまい、あんま機の椅子から降ろすと立て ないんです。それにおしっこもしていてすごく不安そうに私の帰りを待って いたと思います。 私は気が動転してしまい、病院に電話を2回も掛けて いました。 早く連れて来るようにと言われ喜多郎を抱いてガレージまで無我夢中で 走って行き、病院に着いて喜多郎を車から降ろそうとするとうんちも していました。 病院では院長先生をはじめスタッフの方も待機していてくれてすぐ診察を 受けて、そく入院となりました。 その日は私達はとても喜多郎の事が心配で心配で眠れませんでしたし 私は会社を3日ほど休みました。 私が休んでいてもどうすることも出来ないのはわかっていますが、仕事に 行く気分にはなれなkったので・・・ 院長先生も危ないかも知れないと思っていたそうです。 私は翌日病院に電話して昨日、お騒がせをした事について言いました。 院長先生に出来る限りの治療をして下さい、 お金はいくらかかっても いいですから宜しくお願いします。という事をお話しました。 なんとしても、喜多郎には頑張ってほしかったので出来る限りの事は やってやりたいと思った。 喜多郎パパのつぶやき この日の夕方、家内から会社に電話があり 「喜多郎が倒れた」 「病院に入院した」と言われた。 すぐに病院に駆けつけると 喜多郎は大さな治療用のケージの中にいました。 今夜は院長先生が付き添って治療に 当たっていただけるので安心して帰宅しましたが、 私達夫婦にとっては、初めての喜多郎のいない夜を すごしました。 我が家に喜多郎がやって来てから16年間 一日も離れて暮らしたとが、ありませんでした。 年二回の旅行も、どこに行くのもいつも一所でした。 いつもは、私のマッサージーチェアの上で 私の帰りを待ってくれていましたのに 今日は尻尾ふって私を迎えてくれません・・・。 「明日はどうなるのかな・・・」と不安そうに家内が言いました。 「大丈夫、絶対に大丈夫・・・」と自分に言い聞かせて私は答えました。 なぜか、涙が出て止まりませんでした。 -パパ-
2004年11月16日
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(2003年5/1) 病院で院長先生に点滴を300ccしてもらいました。 今日の血液検査結果は CRE 2.7 BUN 35.9(2003年5/2~5) 2日、今日はすごく泣きました。 針は3本そのうち2本は私の手に触れたので 使えませんでした。体重は10.8Kg 3日、体重はうんちの前で10.9Kg 今日はワンワンと泣きました。 点滴は左肩のあたりに針を1本使ってしました。 4日、体重はうんち前で11Kg 針は2本ではじめに 刺したとき液の出が悪いので、針を差し替えて もう一度しました。 今日はすごくワンワンと泣きました。 5日、今日もすごく泣きました。針は4本のうち針が 手に触れたり,少し液が漏れたりしていて針を抜くと 使えなくなり最の1本でやっとうまくいきました。 体重はうんち前で11Kg(2003年5/6) 病院で院長先生にしてもらいました。 泣きません。喜多郎はいつも病院では 泣きたいのを我慢しています。 すごくいじらしくてかわいいいい子です。(2003年5/7~8) 7日、体重はうんち前で11Kgです。 針は3本のうち1本は毛に触れたので もう一本新しい針を使ったのですが点滴の液が 落ちなくて針をまわしても何をしてもだめだったので もう1本使いました。私が下手なのでとても かわいそうです。 今日も泣きました。 左腰のあたりに点滴をした。 8日、体重はうんち前で11Kg です。 今日もワンワンと泣きました。 針は1本 右背中のあたりに点滴をした。 (2003年5/9) 病院で今日は私が点滴の液の中にビタミン2種類を 入れてするのを院長先生から教えてもらい喜多郎に してやりましたが病院だと泣くのを我慢していました。 今日の点滴の液は腎臓用と肝臓用の分です。 (2003年5/10~12) 10日、今日からビタミン2種類を液の中に入れる事なので 私自身もすごく緊張してなかなか前に進まず、 ビタミン剤の容器で手を切ったりして大変でした。 でも今日は点滴をしても泣きませんでした。 針は1本 体重は10.8Kgです。 背中の真ん中あたりに点滴をした。 11日、今日は点滴を入れている途中喜多郎が動いたので 針は抜けるし点滴の液は外に漏れるし針を変えてもう一度 やらなければならないはで大変、私も疲れるけど喜多郎も 痛い目をさせてかわいそうです。 1回目は右肩のあたりに、2回目は腰のあたりに点滴をした。 体重は10.8Kg 今の所は体重も横ばいです。 12日、今日はすごく泣きそして動き廻り大変やりにくかった。 右おなかの上あたりに点滴をした。 体重は10.8Kg (2003年5/13~14) 13日、今日は病院で私がビタミン剤も入れた 点滴をしましたが喜多郎は泣きたいのを 我慢して泣きませんでした。 14日、今日血液検査があるので、病院で 私がしてやりましたが泣きませんでした。 血液検査の結果は CRE 1.4 BUN 29 数値は少し下がったみたいでしたが点滴の分量を 減らすことは出来ないので今までどおりの250cc 体重はうんち前で11Kgです。腰のあたりに点滴した。(2003年5/15~18) 15日、今日はすごく泣くしそれに動くのでとても 大変でした。体重はうんち前で11Kg 点滴は背中の真ん中にしました。 16日、今日はは泣きませんでした。 点滴を左脇のあたりにしました。 シャンプーを私がしてやるのが最後になるとは 夢にも思いませんでした。 私は喜多郎が小さい頃からずっとシャンプーを してきました。その話のつづきは5/20でお話します。 体重は10.9Kg 17日、今日はすごく泣きました。点滴の針は2本使い そのうち1本目の時液が漏れていたので針をいったん 抜いて新しい針と変えて背中の真ん中あたりにしました。 体重は10.9Kgです。 18日、今日は1回ワンと泣いただけでした。 点滴は首の少し下のあたりに、針は1本使った 体重はうんち前で11Kgです。 (2003年5/19) 今日は、病院で私が腰のあたりに点滴をしてやりましたが 泣きもせず、とても良い子にしてくれました。針は2本使い そのうち1本が喜多郎に刺す前に私の手に触れたので 新しい針でやり直しました。 今日の血液検査の結果は今まで以上に数値が良くなって いたので、点滴を1日おきにしてみましょね。 と院長先生から言われたのでとてもうれしくて 私は電話で主人に話したら主人もすごく喜んでいました。 -ママ-喜多郎パパのつぶやき この頃の夫婦の会話は、喜多郎の健康状態の話ばかりでした。 夕方喜多郎の治療の終わった時間を見計らって私が家内の 携帯電話に電話掛けて喜多郎の容態を聞くのが日課になっていました。 この日は血液検査の結果が良かったので夫婦で喜んでいましたが・・・。 翌日あんな電話が掛かって来るとは夢にも思いませんでした・・・。 -パパ-
2004年11月15日
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(2003年4/19~20) 19日、今日は喜多郎に針を刺そうとしたら、 私自身の人差し指に針を刺してしまい 私の指からは血がすごく流れ出てそれを 止めるのに時間がかかったので喜多郎に 点滴をするのが随分遅くいなりました。 私は針が突き刺さった時はすごく痛かった です、喜多郎が泣いたりするのはわかり ました。 喜多郎ゴメンネ、痛い目をさせて、と思いました。 左背中あたりに、 うんちの前で体重は11Kg 今日はおどかすように、泣きました。 針は3本のうち使ったのは1本 自宅でシャンプーをしてやった。 20日、今日は今までとは違いとてもいい子でした。 針は1本、体重は10.9Kg 点滴は右肩のあたりに (2003年4/21) 病院で院長先生に点滴をしてもらった。(2003年4/22~25) 22日、今日は泣きませんでした。 体重はうんち前で11.1Kg 点滴は背中の真ん中にしました。 23日、今日はは泣く前に針を刺しました。 右の脇のあたりに体重はうんち前で11.1Kg 針は1本が毛に触れたのでもう1本使った。 24日、体重はうんちの前で11Kg 今日は点滴の液がはじめ150ccしか入れれ なかったので時間をおいてから残りの液を入れました。 針は2本使った。 25日、今日は泣きましたがあとはフセをした 状態でおとなしくしていました。 体重はうんちの前で11.1Kg、点滴は 左前足近くにした。(2003年4/26) 病院で副院長先生に腰のあたりにしてもらいました。 体重は10.9Kg(2003年4/27~30) 27日、今日は泣きませんでした。 フセの状態で点滴を背中の真ん中にしました。 針は2本のうち1本が手の触れたのでもう1本 使いました。 体重はうんち前で11Kgです。 28日、今日は針を2本使いました。 1本目のとき点滴の液が漏れていたので やり直しすることになりました。 2回目の時は泣きませんでした。 なるべく針を刺すのも1回にしてやらないと 喜多郎に負担がかかるし、痛い目をさせたくは ないのですが私が下手くそなので喜多郎に いつも、ゴメンネと言ってあやまっています。 体重は11.1Kg 左うでのちかくに点滴した。 29日、今日も泣きました。左よりの背中に点滴した。 体重は11Kg 朝フィラリアの薬を投与した。 30日、今日はキャント一回針を刺す時に泣きました。 左脇原のあたりに点滴をしました。 体重は10.9Kgです。 ーママー喜多郎パパのつぶやき 本当に辛かったのは家内だと思います。 少しでも喜多郎の病気が良くなれば良いと それだけを願って治療を続けていたと言っていました。 喜多郎の泣き声を聞くのが辛かった ただそれだけです。 泣き声は今も耳に残っています。 -パパ-
2004年11月14日
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(2003年4/1~2) 1日、 自宅で右肩のあたりに点滴した。 体重は10・9Kg 針は1本使った。 今日もすごく泣きました。 2日、左肩あたりに点滴をした。 体重は11Kg 今日もなきました。 針は1本使った。(2003年4/3) 病院で院長先生にしてもらった。 体重は10.9Kg 血液検査の結果は フィラリアは異常なし、 BUN 30 CRE 2.6(2003年4/4~7) 4日、自宅で体重は10.9kg 左脇のあたりにした。 喜多郎が体を 振った時針が抜けたのでもう一度 新しい針を刺そうとした時血が流れてきたので しばらく押さえていました。 針は2本 5日、体重は10.9Kg うんちはまだしてません。 左腰あたりに点滴をした。 今日は泣きました。 6日、体重は10.7Kg 今日はワンワンと泣きました。 右腰のあたりに点滴をした。 7日、はじめ午後6時前に点滴をした時針が抜けてから 喜多郎が動いてなかなか出来ませんでしたので 2回目は午後6:18分頃からはじめました。 1回目は泣かなかったのに、2回目は泣きました。 右背中のあたりにした針は、3本でそのうち1本は 喜多郎の毛に触れたので新しい針に変えてした。 点滴の液がはじめ少し漏れていた。(2003年4/8) 病院で私が点滴をしてやりましたが泣きませんでした。 体重は10.9Kg 針は1本 狂犬病の予防注射をしてもらう時新しい分を開けて 一番最初のしてくれました。(2003年4/9~12) 9日、体重は10.9Kg 針は2本、今日はワンワン 泣きました。 喜多郎が体を振った時に針がぬけてもう一度した。 左背中あたりに点滴をした。 10日、針は1本 体重は」10.9Kg 今日もワンワンと泣きました。 点滴を背中の中央に刺しましたが点滴の 途中動いたりするので針が抜けそうでした。 11日、体重は10.9Kg 今日も泣きましたし じっとっしてるのがいやみたいで~す。 針は1本 これからもずうっと泣いたり動いたり するのならやりにくいなあ 左肩あたりに点滴した。 12日、体重は11Kg うんちをする前 今日は針を3本使った。 この頃動くので針が毛に触れたり、抜けたり 喜多郎が泣いたりしててこずるので私自身 自信がなくなりつつあります。 左腰のあたりに点滴した。(2003年4/13) 病院で副院長先生に右腰のあたりに してもらいました。 体重は10.9kg 泣きませんでした。(2003年4/14~17) 14日、体重は10.9Kg 今日はワンワンと泣きそして動こうと したので、待て、待て、と言って なだめて左肩のあたりに点滴をしました。 針は1本使った。 15日、体重はうんち前で11Kg 今日もワンと泣きましたが動かずじっと していました。針を刺す時に毛に触れて しまいまた新しい針で腰の真ん中刺したら はじめ血が出てきたのでクレメンいったん ストップしてみるともう血が止まったのでまた 続きをしました。 16日、体重はうんち前で11kg 今日は泣く前に左肩下あたりに刺しましたので 泣きませんでした。 針は1本使った。 17日、体重はうんち前で11kg 今日はすごく泣きました。 2回目に刺した時、液が少し漏れてきてたので クレメンを止めて見ましたがどこから漏れているのか わからなかったので、そのまま続けてしました。 どれだけ漏れていたのかはわかりません。 私が思うには約10cc~20ccぐらいだと思います。 針2本使った。(2003年4/18) 病院で院長先生に右腰のあたりにしてもらった。 体重は11Kg 針は1本 血液検査の結果は CRE 2.4 BUN 35 以前と比べて数値は横ばいです。
2004年11月13日
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18年間撮り貯めた、2000枚の喜多郎の写真を HPにアルバムとしてアップするために PCに入力を始めた。 一枚一枚思い出の写真なので見とれてしまい 入力するのに思わぬ時間が懸かってしまい いつ完了するかわからない。 喜多郎との思い出を大切に残して置きたい。 -パパ-喜多郎(甲斐犬)18歳の闘病記(4)(2003年3/20~23) 20日自宅で、体重は11Kgありました。 うんちもまだしていないし、 朝食の残りの g/d缶100gを食べたので、その分体重が増えていた。 点滴は250cc入れることになっているのに あと50ccの所で喜多郎が動いたので針が 抜けました今日は針を差し替えて残りを入れないで 明日300cc入れる事にしました。 21日、点滴前の体重は10.8Kg今日はきのう分を プラスして300ccを入れるので私自身も点滴を してる間 いつもより時間がながいので早く早く 終わってよ。と心のなかでつぶやきながらしていました。 針は喜多郎の毛に触れたので 新しい針に変えてしたので喜多郎に刺したのは、 針1本です。今日も泣きました。 22日、今日はシャンプーをしてから、点滴をしました。 今日はすごく泣きました。泣くのは私に甘えていて 泣いたりすると辞めてもらえると思うので、泣いたり します。私も泣かれると喜多郎の為はこれで いいのかなあと思う時もありました。 治療をしないと苦しむ事になるので、 苦しむ姿を見る方がもっと辛いです。 今日の体重は11Kgです。 23日、今日もすごく泣きました。 体重は10・8Kgです。 (2003年3/24) 病院で今日は血液検査をしてもらいました。 体重は10.9Kg 今日は泣きませんでした。(2003年3/25~28) 25日、自宅で針は2本はじめに刺したら突き抜けた のでもう1度新しい針でしました。 今日は泣きませんでした。体重を量るのを忘れました。 26日、体重は10・8Kg 今日はすごく泣きました。 針を刺した所から液が流れてきたので、喜多郎を 立たせると流れなくなりました。 点滴が終わり針を抜くといつもより血が出てきたので 3分ほどじっと押さえてやると血は止まりました。 針は1本 27日、体重は10.8Kg 今日もすごく泣きました。 針を刺す時、毛についたので新しい針を使いもう一度 しました。 針1本 28日、 体重は10・8Kg 今日は泣きませんでした。 針を抜いた時は血が出ていなったのに拭いていると血が 血が出てきたのでアルコール綿をしぼったりして、 押さえたり化粧用のコットンでしばらく押さえていると 血はとまりました。 (2003年3/29) 病院で副院長先生にしてもらいました。 今日は泣きませんでした。(2003年3/30~31) 30日、 体重は10.8Kg 点滴の途中液の出が悪くなったので 時間がかかりました。 31日、体重は10.8Kg 針1本使った。 今日はアウンって言って泣きました。 -ママ-
2004年11月12日
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家内の書いている喜多郎の闘病記にコメントを頂いた。 同じ介護の体験を持つ人達からでした。 そのコメントを家内に見せるとたいへん喜んでいた。 同じ悩み、悲しみを、分かち合える人達がいることが、 どんなに励みになるか、計り知れませんでした。 やる気がでてきたと、家内は言います。 この世界に同じ悲しみ、苦しみ、楽しみを共有できる 人達がいると思うと人生も満更でもないと思えてきた。 -パパ-喜多郎(甲斐犬)18歳の闘病記(3)2003年3月1日) 自宅で点滴前の体重は11Kgです。 今日は点滴の液があと少しの所で針が抜けたので 250ccの所10cc少なくなりました。(2003年3/2) 病院で副院長先生がしてくれました。病院では 喜多郎は絶対に泣きません。(2003年3/3~8) 3日の日は、自宅で 点滴前の体重は10.7Kg 今日も泣きました 針を刺す前に毛に触れたので もう1本針を使いました。 4日の日は、今日は泣なかったが喜多郎の顔は 私の方を向いていた 点滴を入れている最中に喜多郎が体を振ったので 針が抜けてしまい点滴の液が1cmぐらい残りりましたが あとの分もう入れませんでした。 5日の日は、点滴の前の体重は10.8Kg 今日は針を刺したと思ったら刺してなくて 又新しい針を持ってきて刺そうとしたら動いて 刺せなくて3本目でやっと刺せました。 今日も泣きました。 6日の日は、点滴前の体重は10.8Kg 今日も針を刺す時少し泣きました. 針は1本です。 7日の日は、点滴前の体重は10,9Kg 今日も針を刺す時泣きました。 針は1本使った。 今日血液検査をしたらクレアチニンが 0,5upしていましたので 前回が2,5だったのに今回は3になり、 それに肝機能も少し高かったんです。 ここしばらく食事をあまり食べなかったので クレアチニンがupしていたから、 食べなかったのかなあ~~ まだまだ長生きしてほしいです。 喜多郎 頑張れ 8日の日は、針1本今日も泣きました。 点滴をする前に朝食の残りのg/d缶を 85g食べたので体重は10.8Kgです。 (2003年3/9) 病院で副院長先生に点滴と診察をして 頂きました。今日は泣きませんでした。 体重は10.8Kgです。(2003年3/10~13) 自宅で10日、今日は泣かなかったです。 体重は10.8Kg 点滴の最中そわそわして 落ち着きがありませんでした。 針は1本 11日、今日は少しだけ泣きました この頃声を大にして泣かなくなりました。針は1本 体重はうんちをまだしてないので、10.9Kgです。 12日、点滴の最中喜多郎が動いたので針が抜けて また新しい針でやり直しをしました。針は2本使った。 今日はキュンという声を出しました。 体重はうんちをしていないので10.9Kgでした。 13日、今日は泣きませんでした。 針は1本使った。 体重は10.8Kg(2003年3/14) 病院で背中と頭にイボのような物が出来ていたので 病理検査に出して調べてもらいました。 病院で点滴をする時は泣きません。(2003年3/15~18) 15日、今日は泣きました。針は1本 体重10.8Kg 16日、今日も泣きました。針は1本 体重10.8Kg 17日、今日も泣きました。 針は1本 体重10.8Kg 18日、今日は泣きませんでした。針は1本 体重は10.8Kg(2003年3/19) 病院で院長先生にしてもらいました。 今日は泣きませんでした。 体重はうんちをまだしてないので、10.9Kg -ママ-
2004年11月10日
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喜多郎の法事を土曜日にすませ、 今年の行事はすべて終わった。 後は年末に仔犬が生まれるのを待つのみ。 今日は朝から気が抜けた状態である。 ホームページの書き込みと 昨日、デジカメで撮った写真のプリントアウトをしている。 (新しいホームページを楽天に立ち上げたのでメンテナンスで 気分を紛らせている) -パパ- 毎日自宅と病院との往復の一年九ヶ月の家内と喜多郎の闘病記(2)(2003年1月4日) 今日から病院の診察時間が平常どおりになっているので、 診察も兼ねて病院で点滴をしてもらいます。 今日は、まだ院長先生がお休みなので、副院長先生が 診察してくれました。(2003年1月5日) 私が自宅で午後4:50頃から約7分ぐらいで点滴が スムーズに出来ました。(2003年1月6日) 今日は病院で点滴を午後7:00頃終わりました。 自宅で失敗したので病院へ連れて行って点滴を して貰いました。(2003年1月7日) 自宅で私が午後6:15頃で約8分ぐらいで スムーズに出来ました。(2003年1月8日) 午後6:00頃終わったがあと100ccの所で針が 抜けそうになっていて外に少々液が漏れたので あと少し入れた。(2003年1月9日~12日) 自宅でした時12日に点滴をした時は 途中でぽたぽた30~40ccぐらいは外に 漏れていたと思います。(1月13日) 午後3:40頃に病院で点滴」をしてもらいました。(1月14日) 自宅でうまくいかなかったので病院へ 連れて行ってしてもらいました。(1月15日~16日) 自宅で16日は最初針を射したら血が流れてきたので 針をかえて別の場所にしました。 (1月17日) 病院で点滴してもらった。(1月18日~19日) 自宅で私がしてやりました。(1月20日) 自宅でシャンプーを午後4:00過ぎにして病院で 今日は点滴をしてもらいました(2003年1月21日) 自宅でで午後6:30頃100cc入れたが失敗したので 連病院へれて行き残りの150cc入れてもらいました。(2003年1月22日) 自宅でしたところ少し漏れました。(2003年1月23日) 病院でしてもらった。(2003年1月24日) 自宅でしましたがあと50ccの所で針が抜けたので またあやり直しになりました。可哀想なことしました.2003ねん1月25日) 自宅でした (2003ねん1月26日) 病院でしてもらった。(2003ねん1月27~30日) 27日自宅で点滴をしたらはじめ液が入った所が硬く こんもりしてきた左ウエストの所にしたあので残りが 50ccのところまで来るとキュキュと泣き出してた あとで病院に電話をして聞いたら、院長先生が出て 来られてそのままにしていたら自然と他に流れいくと 言われたらホットしました。 28日はスムーズに出来た。 29日は27日と同じように少し硬くなりました。 針は1本。 30日はあと100ccぐらいの所から落ち着きがなく そわそわしだした。 針は1本(2003年1月31日) 病院で血液検査をしてもらってから点滴してもらいました。(2003年2月1~2日) 1日は針刺す前に泣いて私におどかしました。針は1本 2日は針を刺したら漏れてきたので針を抜いて 少したってから別の場所にしました 針は3本(2003年2月3日) 病院では泣かなかった(2003年2月4~5日) 自宅で4日の日は針を刺す時泣きました。(2003年2月6日) 病院では泣かない(2003年2月7~10日) 7日は最初針を刺したら液が漏れていて 少し血が混ざっていましたがそのままにして 漏れていた分だけ少し多く入れました、針を抜いたあとも血が出ていました。 針は1本。 8日は針を刺したところからほんの少し漏れていましたが 針を抜かずそのままで漏れていた量も少なかったようなので、 今日は泣きませんでした。 針1本 9日は針を刺したのは1本で、もう1本は刺す時に毛に ついたので新しい針に変えた。 針を刺す時てこづりました今日は泣きました 10日針1本 今日はとてもいい子で泣かなかった(2003年2月11~12日) 病院でしてもらいました。 副院長先生に針はそれぞれ1本. (2003年2月13~16日) 13日は泣きませんでした。 14日、15日、16日は針を刺す時に泣きました。(2003年2月17日) 病院で院長先生に、今日は泣きませんでした。(2003年2月18~21日) 18日は針2本使ったはじめ針を刺したら抜けたので もう一度やり直したその時少し液が漏れていましたがそのまま続けた.。 19日は針1本 今日は泣きました.. 20日は針5本 最初液が漏れていたが そのまま続けていたが針が抜けたので やり直しをするたび毛にふれたりして。 だめになったり抜けたりして可哀想な事しました。 21日はいい子でした。泣かなかった。 (2003年2月22日) 病院でしてもらいました。(2003年2月23~24日) 23日は 自宅でシャンプーをしてから針を抜いたら よいつもり血が多く出たのでびっくりしましたが 聞院長先生からいていたので 化粧用のコットンで3分ほど押さえていたら しばらくすると血は止まりました。 24日今日は泣きませんでした。(2003年2月25日) 病院でしてもらいました。(2003年2月26~28日) 26日は今日は泣きました。 27日も泣きました。 27日は針を抜いた時少し血がでました。 28日も泣きました。 出血はしませんでした。 ーママー
2004年11月08日
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昨日は、喜多郎の百カ日の法事の日でした。 先日予約した川田屋で昼食を五人で取り、 12時半には宝昌寺に到着。 今日の導師は何時もの御住職だったので一安心。 この御住職には喜多郎の葬式からお世話になっていて 気心もわかっているので、安心してお任せした。 30分でお経が終わり、お話を少し聞いて法事は無事終了 人間の法事のお経の時間より永く詠んでいただいて、 初めて法事に参加した両親は感心していた。 喜多郎に心の中で問い掛けました。 喜多郎・・・ 元気でいるかい。 寂しくないかい。 パパは寂しいよ。 一度で良いから夢に出ておいで。 今日も返事は聞けませんでした。 ーパパー毎日自宅と病院との往復の一年九ヶ月の家内と喜多郎の闘病記(1) 喜多郎が腎臓を悪くして点滴治療を2002年11月2日から2004年7月30日迄の1年8ヶ月28日間の闘病生活 11月1日に血液検査をしたら (BUNが58.7 CRE2.4 )数値が高いので、そろそろ皮下点滴をはじめて いったほうが良いですと院長から進められましたがその日はしないで翌日から病院で毎日、250CCの皮下点滴 が始まりました。点滴をしながら血液検査も2週間ごとにして数値が下がってきているかなどを見ていきました。 点滴をしているので数値も少し筒ですが落ち着いてきましたし、喜多郎自身しんどくないようなので、ドックフードも よく食べていました。 私は会社からいちもくさんに戻ってきては、喜多郎を病院へ連れて行く日々を送っていま した。 毎日毎日病院へ通院していると喜多郎と同じ病気の犬ちゃん、猫ちゃんが私が行く時間帯は必ず居て 同じ病気をもつ者としてお互いに励まし励まされて治療に専念してきました。 それと私が喜多郎の世話をするにあたり主人にも随分不自由をかけた面もありました。 病院へ毎日毎日通院をしていると副院長から点滴を家に持って帰って自分でやっておられる人もいますので 点滴セットを持って帰ってするほうが病院にくる時間と費用を随分おさえられますよ。と言われましたが私には 出来ないですよ。と始めは断っていましたが、12月8日から病院で点滴を自分で打てるように14日間練習を したら、これなら私にも出来はと思ったので12月22日から2日分を持って帰って家でしました。 12月22日は持って帰った上手に出来かったので病院へ点滴を持って行って打ってもらいました。 初日は失敗で12月30日は自分で 、31日はPM4:30 終わり 約10分液を少し多く入れてしまった。 院長先生に点滴の打ち方を教えてもらった時に、私に針を射すのに躊躇せず、おもいきりがいいですね。と言われました。なかなか針を射すとなるとおもいきって出来ない人が多いですが針を射すのにはとてもいいとほめて頂いたらうれしくて頑張ろうと思いました。病院で点滴を打つ時は、もし何かあっても院長先生が横についてくれてると思うのでおもいきりできました. ーママー 2003年1月1日、今日は元旦です。去年から喜多郎は点滴治療が始まり、お正月は朝の1時間だけ緊急の為に病院はやっていますが私は1月1日、2日、3日はこの3日間は自宅で喜多郎に点滴をしてやりました。点滴をやってる最中は汗はかくし、気ははっているし点滴の液が途中で流れなくなって止まったら、もう悲惨ですよ。 毎日スムーズに出来る事を祈りながらしてます。 明日は病院でしてもらえると思ったら、ホットします ーママー
2004年11月07日
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