Pすけ☆の気まま日記

Pすけ☆の気まま日記

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      ケンジントン公園での“運命”
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図3(註24)

小説家を目指し、ロンドンに移り住んだバリは、記者として活躍する傍ら執筆を始めた。劇作家としても活躍し1894年7月9日、女優のメアリ・アンセル(Mary Ansell,生没年月日不明)と結婚。 1895年、ケンジントン公園の近くに居を構えた。?
ある日、バリの前に運命の少年達が現れた。バリがデイヴィズ家の子ども達に初めて出会ったのは、バリがセントバーナード犬のボーソスを連れて散歩していた時で、子供達は乳母ナンシー(Nancy, 生年月日不明)と一緒だった。その時会ったのはジョージ(George Llewelyn Davies, 1893-1915)(当時5歳)、ジャック(Jack Llewelyn Davies, 1894-1959)(当時4歳)、そして乳母車に乗せられたピーター(Peter Llewelyn Davies, 1897-1960)(当時1歳)の3人である。4男のマイケル(Michael Llewelyn Davies, 1900-1921)と映画には登場しない5男のニコ(Nickolas Llewelyn Davies,1903-1980)が生まれたのはその後のことだ。

バリには公園で会う友人がたくさんいた。子供達を常に笑わせたり、驚かせたりするために、バリは手品をしたり、耳や眉毛を動かしたりボーソスにコスチュームを着せたりしていた。
バリは、魔法の島、インディアン、海賊、妖精などが搭乗するとても空想的な物語を考え始めていたところだったが、その物語は少年達を夢中にさせ、最終的にはこれまで書いたことの無いような物語を書いてみようと思うようになる。

バリが大晦日のパーティーでシルヴィア(Sylvia Llewelyn Davies, 1866-1910)に出会ったのは、デイヴィズ家の少年達と仲良くなった後のことだったが、バリはすぐに夢中になった。息を飲むほど美しくチャーミングだったと言われているシルヴィアは、有名な芸術家であり、小説家のジョルジュ・デュ・モーリエ(George du Mourier, 1834-1896)と貴族の出のエマ・デュ・モーリエ(Emma du Mourier, 1841-1915)の娘である。シルヴィアの家族は、ロンドンの社交界で最も顔が広く、芸術界で魔最も成功している一家であった。ディナーパーティーでシルヴィアに会った直後に、バリはシルヴィアのことを

「今まで見た中で最も美しい創造物」
(3?56)(註25)

と書いている。

当時、シルヴィアは弁護士のアーサー・ルウェリン・デイヴィス(Arthur Llewelyn Davies)と結婚していた。慣習を大胆に破って、シルヴィアは自宅にバリを迎えた。バリは頻繁にデイヴィス家を訪れるようになり、人目も気にせず、休日に一家と共に出かけるようになった。バリは、少年達の生活にも大きく関与し、私立の学校の学費まで支払っていたという。ブラックレイクにバリが持っていた別荘で夏を一緒に過ごしたときには、バリと子供達は海賊ごっこと大いに楽しんだが、後にバリはこのころが人生で一番とのしかったと回想している。

交流が始まった当初から、バリは、特にジョージと様々なことを語った。「子供はみんな、鳥だった」と話して聞かせるバリ。そこから物語は発展した。もし、赤ん坊が鳥で空を飛べるのなら、どうして弟のピーターは乳母車の中にいるのか。この矛盾を解消するために、もう一人のピーターが創造された。名前はピーター・パン。彼は1902年に出版された『小さな白い鳥』The little white bard)に登場する。
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             図4(註26)

妖精の国と関わりを持ったために、成長が抑えられて大人になれなくなった子供の物語。ピーター・パンは生後まもなく、母親たちが自分の大人になった時のことを想像して語っているのを聞いて失望し、その場から逃げ出してケンジントン公園のサーペンタイン池にあるネバーランドで妖精たちと暮らし始める。この『小さな白い鳥』で、ピーター・パンの名前はこの世に知られるようになった。

バリが、デイヴィス家の少年達の中で最もすばらしいと考えていた性格、のびのびと楽しむこと、終わりのない遊び心、茶目っ気といった性質が、ピーター・パンにも与えられていた。

一方、バリが別の女性の子ども達に信じられないような愛情を持っていることで裏切られた思いを感じていたバリの妻、メアリーは、友人の作家ギルバート・キャナン(Gilbert Canan, 生没年月日不明)と不倫関係に陥り、最終的にキャナンと結婚するため、1909年にバリと離婚している。この間ずっと、デイヴィス家の子どもたちの世話をしていたのが厳格だが献身的な乳母のナンシーだった。バリはナンシーからも着想を得て、「ピーター・パン」の中に犬のナナという役柄を誕生させている。

バリの「ピーター・パン」が最初に上演されたのが1904年。その後、さまざまな悲劇がルウェリン・デイヴィス一家を襲うことになる。まず、1907年に、子供達の父親アーサーが癌の発症で苦しみながら亡くなった。知り合った当初、アーサーはバリに疑いの目を向けていたが、最終的に二人の男性は非常に親しくなり、バリは毎朝アーサーのベッドサイドで子供たちとシルヴィアを慰めながら過ごしている。バリは、経済的にも家族を大きく支援していた。

アーサーの死去後、今度はシルヴィアが癌に侵されるが、子供達にはこれ以上つらい思いをさせまいと秘密にしていた。シルヴィアは「ピーター・パン」初演の6年後、1910年に亡くなった。バリはシルヴィアがなくなったとき、ベッドサイドで芝居の小説版「ピーターと・ウェンディー」に取り組んでいたといわれている。この小説で、ウェンディーは現世の時間と時のない世界のどちらを選ぶかという悲痛な選択を迫られる。バリにとっては、自分の代理家族がバラバラになっていくのを見るほどのショックはなかっただろう。シルヴィアが、亡くなった後、バリは当時7歳から17歳のデイヴィス一家の5人の子供達の非公式な後見人になっている。また、1913年、准男爵に叙されたこの頃、『ピーター・パン』はクリスマスを飾る伝統となっていた。再演の度にバリはリハーサルに立ち会い、子供達の言葉などを記したノートを片手に、台詞や台本に手を加えた。

バリは子供達には惜しみない支援と配慮を提供していたが、大人になった彼らの人生には様々な悲劇が待ち受けていた。ジョージは(1915年)第一次世界大戦中、塹壕で殺され、作家志望だったマイケルはオックスフォード在学中、20歳(1921年)のときに溺死。リューリン・デイヴィズ家の五人兄弟の中でも、特に愛を注いだ二人を失い、バリは深い哀しみに包まれた。ピーターはバリの死去後かなり経った63歳の時に自殺してしまった。

今回の作品に、バリの名付け子で、デイヴィス一家の最年少ニコの本当の娘、ローラ・ドゥグッド(Lora Dugud, 1928-)が出演している。「ピーター・パン」の初演後のパーティーのシーンで、ピーターが本当のピーター・パンではないかと示唆する芝居好きの女性という端役だが、重要な役どころだ。ここで、ピーターはバリを指してこう言う。

「僕はピーター・パンじゃないよ。ピーター・パンはあの人だ。」
(註27)
ローラはバリが亡くなった時にはまだ9歳だったが、バリとすごした子供時代は忘れがたい思い出だという。
☆現在のケンジントン公園 Kensington Gardens

隠れたロンドンの名所ピーター・パンの銅像を見つけた!!
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図5(註28)            図6(註29)

小説家を目指した原作者のバリはロンドンに移り、ケンジントン公園の近くに住んでいた。

故ダイアナ元妃が住んでいた宮殿もあるケンジントン公園の片隅にあるのがピーター・パンの銅像。可愛い銅像の向かいには湖があって、しばし時間を忘れてしまう。銅像の場所はあまり知られていない。散策の折に偶然出会えると、感動もひとしおだろう。ピーター・パンの銅像は、妖精が一晩で建てたことになっているため、真夜中にこっそりと建てられた。プレートには1912年の5月1日に設置されたと書いてある。



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