Pすけ☆の気まま日記

Pすけ☆の気まま日記

5


第5章
 『ピーター・パン』に登場する不思議な生物達<妖精・人魚>

妖精とは?
小学校にあがる前だったので、どこで聞いたかは忘れたけれど、とても素敵な表現があった。
【赤ん坊が生まれて初めて笑顔をみせると、その
'笑い'がくだけて妖精になる。】いかにも妖精の   
イメージは愛らしく、繊細なものという感じだ。
図9(註33)
妖精というと、私たちが真っ先に思い浮かべるのが、『ピーター・パン』のティンカー・ベル、『眠り姫』の誕生の祝いの席に出てくる魔法使いの妖精などだろう。しかし実は『白雪姫』の七人のこびと、ホビットやノーム、トトロだって妖精だ。ここにファンタジーの伝説で、よく知られているものを紹介したい。
【木や動物の守護妖精】 
樹木の果実を熟させたりする守護妖精オードゴッギーは毛虫の姿をしている。野生の動物を守る女の妖精《ギシオン》や《ミューア家の赤毛男》と呼ばれる妖精などがいる。
【ノーム】
ヒゲを生やし、年寄りの姿をした土の精霊。地や丘の精ともいわれている。ノームを描いたオランダの画家ボールトフリートの絵は良く知られているようだ。地中に住み、秘宝を守るとも信じられている。?【ゴブリン】
人間に敵意のある意地の悪い妖精。西洋では子どものしつけに「ゴブリンが食べに来る」と、脅すのだ(なんだか日本の“なまはげ”みたいですが・・・)。ホブ・ゴブリンとなると少し好意的らしい。??【ブラウニー】
 多くスコットランドにいる身長1メートル程のこびと。毛深くて茶色のボロを着て、夜密かに家事や雑用をしてくれる善良な性格の妖精。こんな妖精が家にもいたらお母さんは大喜びだろう! (2?27)(註34)
一方でおとぎ話に出てくる想像上のものではなく、異次元の世界(霊界も含めて)に住むひとびと、または先史古代に現存した種族などとして、その存在をほんとうに信じ研究をしている人々の説もある。

中世よりキリスト教信仰が行き渡ると、人々の伝説のなかで生きていた妖精は異教の神々となり、正統な世界のものではない、悪魔や邪教的な存在としてひとびとの心から閉め出されるように追い払われていった。キリスト教の天使が明るい光りの世界に対し、妖精が見ためは愛らしくても小悪魔的な振る舞いをするとイメージされるのはこのためではないか。



*多くの土地で出会える妖精は、土地によって呼び方が微妙に違う*
その1:妖精は、さまざまな解釈や説があり一般的に西洋の伝説や物語に出てくる水、土、火など宇宙生命の基本に宿るものとされている。それらから誕生する樹木、花、作物、川、月などあらゆる自然物の精霊で、その古代信仰が変化した自然伝説(昔話)は特にケルトやブリテン、北欧に豊富だった。
その2:コーンウォールなどでは、「小さい人々(small people, little people)」とも呼ばれ、先史時代に棲んでいた人々の精霊だと信じられており、キリスト教徒でなかったために、天国へも行けず地獄へも堕ちずに中間のあたりをさまよっているのだと言い伝えられている。また、そうした妖精たちは、変身するたびに小さくなって、最後に「ムリアン」と呼ばれる蟻の姿になるのだとも言われている。
その3:容姿は人間に似て、超自然の力で自在に姿を変え、地下や水中に住み森林や荒野、水辺などに出没して、人間に良いことや悪いことをする、想像上の生き物とされている。デヴォンシャー(イギリス)の百姓たちによれば、ピクシーは
“洗礼を受けないうちに死んでしまった子供の魂”
だと信じられている。そして彼らはダンスが大好きでカエルの音楽に合わせて躍るのだが、朝になるとその場所には周りより草の色が濃くなった「妖精の輪」が残されるのだという。
その4:イングランド南西部の各地に出没するピクシーは場所によって姿が異なっている。例えば、サマーセットのピクシーは赤毛で鼻が反り返り、眼はやぶにらみで口は大きく、緑の服を着ているが、デヴォンのピクシーは小さく色白でほっそりとしていて洋服は身に着けない。そしてコーンウォールのピクシーは小男の老人で緑のぼろを着ているという。ちなみにデヴォンとコーンウォールのピクシーは新しい衣服を贈られると大変喜んで仲間の妖精に見せびらかせるために人間界から姿を消してしまうといわれている(別の説に、報酬をもらったのでもう働かなくていいのだと思い、姿を消すのだとも言われている)?     
そうした地方によって異なる姿とは違って、彼らの性質はいずれも似通っている。鉱山に住みついたピクシーは、鉱夫を豊かな鉱脈のある所まで案内することがあるが、反対に一番悪い鉱石のところへ連れていって、がっかりする様子を楽しむこともあるし、子供を盗んだり、旅人を迷子にさせるなど彼らは実に悪戯好きなのである。
コーンウォール地方では、旅人が道に迷って同じ場所をぐるぐると歩き回ることを「pixy-led=ピクシー・レッド(妖精に引き回されるの意)」という。ピクシー・レッドから逃れるには外套を裏返しに着るとよいと言われている。







*さて、そもそも妖精を世間に広めたのは誰なのか?*
どうやら妖精の話を広めたのはその土地、その土地の人々らしい。
つまり、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんなどが、自分の子どもや、孫たちに口頭で妖精の話は広まったのだ。民間信仰ともいうべき妖精伝説は地下水脈のように子から孫へと伝わって、特にイギリスにおいてその関心は伝統的に高く、文学では中世にはシェークスピアの『真夏の夜の夢』や、近代には英国の国民詩人ともいわれるイエーツが編纂した『ケルト伝説』など高い文学性をもって表現されている。また19世紀になってフェアリーテールは児童文学で花開いた。
『砂の妖精のネズビット』、『風の妖精のド・モーガン』、そして『リリス』のG・マグドナルドなどがそれにあたる。?       
美術の分野では、19世紀半ばヴィクトリア朝時代に、 HYPERLINK "http://www.emileart.com/whatisfairy.htm" ?l "コナン・ドイル#コナン・ドイル" 妖精画が爆発的に流行した。保守的な王室アカデミーに対抗して起こった アーティストたちの美術運動“ラファエル前派”の画家たちも、 歴史をロマンチックかつ劇的に描く好題材として妖精の傑作を数多く残している。?      
 このように、妖精は民間口承(言い伝え)から文学、美術、バレエなどの題材に表現され、心をとらえて離さない魅力と不思議をもって伝えられてきた。

*妖精は本当にいるのか?*
個人的には「いたらいいな」と考えている。妖精の実在を唱える根拠として、目には見えない小さな生き物の伝説や現在にも続く不思議な出来事が世界各地にあった。これには日本の座敷童子(わらし)、アメリカインディアンのこびと伝説などもこれら妖精伝説の一種に含んでいる。もちろんケルトやイギリス、北欧など数えれば膨大な数になってしまう。またヒーリングパワーを持つといわれる、木々が一晩でなぎ倒されるスウェーデンの“妖精の踊り場”、そこの場ではであらゆる病気が癒されるという現象などもあった。?最も有名なものでは、“妖精は実在するか?”という 大論争のきっかけとなったイギリス「コティングリーの妖精事件」がある。これは映画の原案ともなった話しだ。? Story?  事件は第一次大戦も末期の1917年、当時16才と10才の少女が?  家の近くの小川で撮影した妖精の写真から始まる。
当時シャーロックホームズの作家として著名だったコナン・ドイル(註35)が写真は真実として発表。この問題は以後、多方面に普及し66年間「ほんものか拵えものか」で神学者、心霊学者、伝承研究者、マスコミ、一般の人々を含め賛否両論の大論争を起こした。決着は1983年、既に老婆となっていたかつての少女の告白によるもの だった。   ??それは「一枚を除いて他は作りものだった・・・」というものだ。?決着はつきながら、「一枚はほんものの妖精が写っている」という?言葉を信ずるなら、なおも謎は残ったままとなっている・・・。
(註36)
*天使と妖精の違い*
両者とも空を飛べる羽をもっているから、何となく似ている気もする。西洋の天使の絵でよく知られているものに、マリア様に懐妊したことを知らせる天使の図がある。そのように天使は神様の傍で奉仕して、神意を人間に告げる使者とされているから、神様の使いか?もっと広く人間の、生と死に関わり守護したり自然をコントロールすることもあるようだ。
前記にあるように、天使はキリスト教のなかで“光りあふれる喜びの存在”妖精は、古代信仰の名残りの自然霊とみていいのだろう。“天国から追い出された堕天使が妖精”という説も紹介した。?      キリスト教から見ると、やはり妖精=邪悪=悪魔という図式になるようだ。けれど、「いい人にならなければいけない」的な天使に比べて、妖精たちはごく自然で善良なものもいるし悪いものもいる、人間に近い性格のように思える。  
絵画では、天使は鳥のような白い羽、妖精は虫のような透き通った羽で描かれることが多いようだ。こんなところからも天に住む天使と自然界に住む妖精の違いが表現されているのだろう。





最後に、ピクシー妖精の民話を紹介したい。
■イングランド民話『ピクシーの仕返し HYPERLINK "http://island.site.ne.jp/fairy/litera/keightley.html" 』トマス・カイトリー編 (註37)
タヴィストックのある屋敷の2人の女中の話によると、ピクシーたちは彼女たちにとても親切で、毎晩彼らのために綺麗な水を入れたバケツを炉の側に置いておくと、いつもバケツの中にお礼の銀貨を一枚入れてくれるのだということだった。?      ところがある日のこと2人がうっかり水の用意を忘れると、ピクシーはさっそく少女たちの部屋まで上がってきて、声高に2人の怠惰をなじった。少女のうち1人はすぐに下りていってバケツに水を汲んだが、もう1人は面倒がって動かなかった。そこでピクシーたちはもう1人の少女に与える罰の相談をした。それから7年間その少女の片足は動かなくなってしまったが、罰の期間が終了すると彼女の足はすっかり治り、まもなく町一番の踊り上手になった。
■イングランド民話『ピクシーの感謝 HYPERLINK "http://island.site.ne.jp/fairy/litera/keightley.html" 』トマス・カイトリー編
タヴィストックの近くに住むある老婦人は、庭の中に素晴らしいチューリップの花壇を作っていた。老婦人はチューリップをこよなく愛し誰にも摘み取らせないようにしていたので、近くに住むピクシーたちの夜の集会所になっていた。ところが、とうとうこの老婦人がなくなると、チューリップは引き抜かれ花壇はパセリ畑に変えられてしまった。怒ったピクシーたちは魔力でパセリを全て枯れさせ、庭に何を植えても育たないようにしてしまった。一方、ピクシーたちは老婦人のお墓を大切にし、毎年春になると色とりどりの花で飾った。




人魚とは?
*人魚(Marmaid)はコーンウォールの女の人魚(男の人魚はマーマン Merman)
アイルランドでは「メロー(Merrows)」、マン島では「ベドォン・ヴァーラ(Ben-Varrey)」と呼ばれている。腰から上は美しい乙女の姿をしているが、腰から下は魚の形をし、尾がある。人魚(マーメイド)はしばしば海辺の岩に腰かけて、魅惑的な甘い声で歌い、通りがかった人間の男を海の中へ誘い込む。また、淡水の湖などにも姿を見せるが、マーメイドが姿を現すのは、嵐や災難の前触れと言われている。民間信仰では善良な存在とされることもあれば、反対に邪悪で人を騙すものとされることもある。人魚に関する最古の記録は『アイルランド王国年代記』の記述で、
「上半身は乙女の姿、下半身は魚の尾、手に水掻きがあった」
(註38)
と書かれている。





最後に人魚伝説を紹介したい。
■伝説『ローンティーの領主』 (註39)
スコットランド東部フォーファーシャーにあるローンティーの若い領主が、 ある日暮れのこと、召使いを連れての狩りの帰り、湖水のそばを通りかかった。すると突然、溺れかけているらしい女の叫び声が聞こえたので、近づいてみると、美しい女の人が今にも沈みかけているようだった。そこで 若い領主は可哀想に思い助けようとしたが、召使いに止められた。する とマーメイドは水の上に身を起こして叫んだ。「ローンティーよ、ローンティーよ。もしも召使いがいなかったら。私はお前の心臓の血を、鍋でジュウジュウいわせたろうに。」
■アイルランド(西海岸)伝説『人魚の涙』 (註40)
修道士に恋をした人魚が、彼に自分にも人間と同じ魂を授けて欲しいと訴えるが、修道士はかたくなに断り、海から離れるように告げる。人魚が最後に流した涙は小石に変わり、今でもアイオナ島の岸辺の小石は「人魚の涙」と呼ばれている。
■童話『人魚姫』アンデルセン作 (註41)
海の王には6人の娘がいた。いちばん美しい末娘にはたったひとつの願いがあった。人間と一緒に暮らし、永遠の命を授かって王子と結婚する ことだ。彼女は、魔女に助けを求め、自分の声と引き替えに2本の足を 手に入れて、王子の側にいくことができる。しかし、何も知らない王子は 別の娘と結婚し、人魚姫は海に身を投げ、泡となって空に昇っていく。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: