奇   知   外   記

奇  知  外  記

PR

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

2019.02.24
XML
カテゴリ: 独生女考
​​これまでの1977年のみ言はとうごま氏記事からでもあったことをもう一度確認しておく。

私の過去記事:
「創立以前の内的教会史」(1977)に見る(内的)エバ復帰
f:id:touituseiden:20190210231121j:plain

お父様の42年前の預言と「康お母様」

​ 『み旨と世界』、「創立以前の内的教会史」(1977)の「秘められた真の統一教会史」(593p)部分には、 「きょう、統一教会の創立24周年を迎えましたが、この24年間は教会の外的な歴史であり、協会設立の基台をつくろうとした創立以前の歴史こそ本当の統一教会の歴史です。そしてそれはわずかな人々のみが知っています。そして先生が真に信頼できるのは、そういう時代を共にしたこの人々だけです」 とあります。​
​  1954年の協会創立以前に伝道され、お父様と歩みを共にされた方は、康賢實お母様と、李ヨハネ先生のおふたりだけ でした。李先生が聖和された今、この時代にお父様に侍り歩まれた方は、康お母様おひとりになられました。​
​1954年以前の「内的教会史」についてお父様が語っておられたものであり、『御旨と世界』に記載されていたもの、そして、その数日後にお母さま自身が涙ながらに初めて証をされたみ言とそのあとのお父様の解説説教を紹介した。

​なおも 「六マリヤ説の銃」を(自己防衛とかで)降ろそうとはされず 、H4の正当性を信じたいと願う方々もおられると思うが、​ 私が『御旨と世界』で紹介していなかった冒頭部分からの一文を以下に掲載するので、それに続く紹介済みのそれとつなげて読んでいただけたらと思う。
今一度、とうごま氏の主張するところの「堕落エバ」(六マリヤ)とは全く関係しないものであることを再確認願いたい。

​​​​​​​ 創立以前の内的教会史

1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア


◆はじめに

 縦的な摂理歴史を横的に蕩減復帰することによって、み旨を成し遂げようとして、歴史の中に働いてこられた神は、韓国においても、教会を創立した一九五四年よりはるかに前から働いてこられて、「新時代が来たり、大いなるみ業が成されん」と韓民族に約束された預言を成就してこられました。これは私たちの教会の創立に関連しての、最も重要かつ偉大なる、神のみ業についての証です。


◆復帰路程の三段階

 原理的観点から見て、神の摂理路程は三段階に分けられます。神自身を中心とした摂理、天使界を中心とした摂理、そして人間を中心とした摂理です。

 まず旧約時代は、神が直接働き給うた期間であり、未来の摂理基台を造成する準備をするために、神御自身自ら先頭に立って、自ら模範を示しながら導いてこられました。次の新約時代は、天使を中心とした摂理時代であり、天使界の働きに相当する霊的摂理として、霊的救いのみを成就する時です。そして最後の成約再臨時代は、実体人間の摂理です。そして人類歴史の終末期において、これらの神の摂理全体を代表する国、すなわち歴史の主要なる局面のすべてを縦的に取り戻す、一なる実体国家が現れなければなりません。

 ここでアブラハムの供え物について見てみますと、彼は、祭壇上に鳩と羊と雌牛の三種の供え物を捧げました。ところがその時、鳩と羊は一対でしたが、雌牛だけは単独で捧げられたのです。それは摂理歴史において、一対の鳩で象徴される蘇生期と、一対の羊で象徴される長成期は成就しましたが、一頭の雌牛で象徴される完成期だけは、まだ成就しないことを意味するというわけです。そしてそのいまだ成らざる人類史の最後の章を成就するために、韓国が神によって備えられました。ですからこの国において、アブラハムの供え物のすべてが、横的に、実体的に現れなければなりません。

 またこの国において、旧約時代を代表する神のみ業と、新約時代を代表するイエス様と聖霊の役事と、成約時代を代表する再臨の主のみ業が現されなければならないのです。それらのすべての摂理の基台が、この地上のどこかに実体的に立てられなければならないからです。


◆女性の道

 神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバが見いだされずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物ではありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。

 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生まれ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破滅させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。

​ 二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。 同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。 しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。​

 復帰摂理は、神の王座という最高の立場から出発するのではなく、人間としてのあらゆる面で、最低の立場から出発しなければなりません。なぜなら、アダムにこそ全人類の復帰に対する全面的な責任があるのですから、 アダムは、その路程を地獄の最低の所から出発して、あらゆる人間の立場をすべて体験しながら、神の王座に至るまで上がっていかなければならないのです。そしてそこでエバに会い、初めはそのエバに仕えて、自らをアダムとして完成させていかなければなりません。

 女性のもち得る最も尊い名称は、「母」でありますが、アダムは、その尊い自分の母に仕えるごとく、エバに侍らなければならない期間があるのです。また女性のもう一つの名称は妻あるいは花嫁であり、第三には、母、妻という家庭内にとどまる存在に対して、外的にはすべての女性の立場と栄光のうち最も高いものである女王です。そしてもちろん、これらのすべてを総合した神の国の女王が、女性だというわけです。女性は最終的には、このように三つの局面をもっているのです。

 女性なら誰でも、もし、「あなたは良き母になれると思いますか」と問われたら、女性なら当然のこととして普遍的に、「はい」と答えることでしょう。それは「良き妻になれると思いますか」と問われたときも同様で、普遍的に「はい」と答えるでしょう。事実、女性である限り誰でも普遍的に、母と妻の役割はうまく果たせますし、これらの名を得る資格があります。

 しかし、「あなたは女王になれると思いますか」と問われた場合、現実には社会においてすべての女性が一国の女王になれるわけではありません。誰が女性に女王の名を与え、その資格を認めるのでしょうか、神様でしょうか、それともイエス様でしょうか。

 原理的にも、エバは、アダムに会うまではその名を与えられないというのです。しかし歴史を通して、この地上に数知れない多くの男性がいましたが、そのすべてが堕落したアダムの立場でしたので、実際は神の側の女性にとって、一人も真の男性がいなかったというわけです。ですから女性は長い間その名を受けることができず、歴史を通して常に誤った扱いを受け、虐げられてきたのです。そして歴史を通して、悪なる人、悪なる家庭、悪なる社会、悪なる国家、そしてサタンから悪なる方向に利用されてきました。


◆女性解放史の原理的背景

 それではいつ女性は解放の時を迎えるのでしょうか。キリスト教はこれを明らかに示しているのですが、すべての女性は一人の完成した男性を待ち望んでいて、その男性に会うまでは命によみがえることができないのです。ですから過去の全歴史を通じて、惨めな女性の歴史が続いてきました。

 このように常に縛られてきた惨めな女性の立場に対して、一九一八年から一九八八年までの約七十年間は、多くの女性上位運動が起こり、女性の位置が向上してくる時で、男性を支配しようとする女性たちすら出てきます。最も典型的なウーマン・リブ運動の国はもちろんアメリカですが、今日のアメリカ社会でなら、ある意味ですべての女性が普遍的に、女王の役割を果たしているともいえます。この国では、女性たちが主人のごとく振る舞い、男性たちは小さくなってビクビクしていることが多いのです。

 しかし本来の女性の立場はこういうものではなく、歴史的にも、聖書に書かれたヘブライ史を見てみると、女性の権利などというものはほとんど与えられていなかったことが分かります。そして神の摂理の中心的役割を果たしてきたのもすべて男性であるというように、聖書的概念によると、現代のかかる主管性転倒的状況は、正に異常な事態であるといえます。また聖書には女性は「ベールを被るべし」とありますが、それは女性は謙遜であるべしという意味であって、謙遜な立場で夫に会おうとする、ヘブライの女性の立場を表しています。

 しかし、現代においてはどうかというと、ベールを被るどころか、自分の身に着けた衣服まで取ってしまう者まで現れてきました。先日先生は、ニューヨークの街で信じられないような光景を見ました。何人かの貧しそうなみすぼらしい男たちが、集まってピケを張り、デモンストレーションをしているのですが、そのプラカードには何と、「女性たちよ、我々を解放せよ」とあるのです。それは実にほかでもない、「男性解放運動」だったのです。

 それにしても先生は、彼らが、原理を知らないがゆえにこういうことで時間を無駄にしていることを、残念に思わずにはいられませんでした 。このようにこの世界に起こっている一時的、時代的な現象ですら、ただ漠然と起こっているのではなく、すべて背後には原理的な背景があるのです。


◆神様の女性観

 では、女性が権利を主張して、女性上位運動を続けていく期間は、どうして七十年間なのでしょうか。それにこの八八年までの期間はどういう時かというと、人類史上でも最も危機的な時代であり、神の全復帰歴史を終結せんとしている終末期に当たります。七十年は完成を意味しますが、今や女性は、女性本来の立場を回復しつつあります。それは真の男性に会う準備をする七十年間であるともいえます。ですからアメリカにおいて、女性が能動的、主導的になることにも理由があるわけです。しかし、時が来れば女性は、本来の相対的、受動的立場に戻るべきであり、その時が既に来たのです。それにそうしなければ女性はすべての男性を失ってしまうことでしょう。女性は、女性らしいしとやかな人と思われたいでしょうか、それとも、勇敢で男のような性質の人と思われたいでしょうか。

 また男性の方も、男らしい奥さんが欲しいものでしょうか。先生がアメリカで祝福をした時、ある驚くべき事実を発見しました。先生が西洋の男性たちに、どんな女性、どの国の女性と祝福されたいか、と尋ねたところ、何と九九パーセントの男性が、「東洋の女性がいい」と答えたのです。西洋の男性と東洋の女性の組み合わせはよいでしょうが、西洋の女性が東洋の男性を夫にもつ場合には、不利な条件があるかもしれません。第一に女性のほうが背が高いということです。一般的に女性の中には、背の高い男性を夫にもちたがる人が多いし、男性のほうは、自分より少し低めの背丈の人を妻にしたい人が多いといえるのです。

 女性のほうがより低く見えるほうが、より自然であり、正常であるといえるでしょう。神は、女性が常に男性を見上げ、尊敬するように、概して女性を男性より低くつくられたのです。それは女性のためにそうされたのであり、もし女性のほうがより高かったら、歴史を通して女性は、もっとトラブルの多い悲惨な道を歩んだに違いありません。神はまた、子供を生むために強い土台が必要であり、ほとんど家の中に座っている立場にある女性に、安定した下半身を与えられましたし、男性は、常に立っていて、女性のために働き、走り回っているので、やせてたくましくつくられています。

 神は、神御自身の概念、構想理想に従って創造されましたが、それによると、男性は主導的、能動的であり、常に働いて実績を得てくるべく造られているし、女性は常に消極的、受動的で、夫を待っているというように本来造られているというわけです。

 神が本来女性に与えた立場に帰る時が来ました。ことにアメリカの女性はそうしなければなりません。アメリカ社会では、女性があまりに強すぎるので、本来女性にあまり主管されたくないようにできている男性は、女性と一緒にいたいと思わないものですから、結婚してもなかなか一体化しにくいのです。男性は結婚しても、ホテルかアパートの個室に住みたいという人もいます。それに女性は結婚すると、金や楽しみやすべてのものを男性から奪い、いざ離婚するとなると、男性に何百万ドルもの莫大な慰謝料を請求します。ですからアメリカの社会通念によると、男性は一回以上、二回も離婚すると、惨めにも貧しくなり、女性からすべてを奪い去られてしまう。しかし女性のほうは逆に、二回も離婚すれば、ますます金持ちになるということです。そしてそのことにも意外な原理的理由があるのです。

 神は男性に、サタン世界のすべての富にあずかることを許されました。そして歴史上にサタンは、女性を利用してその男性のもつすべての富を奪い取ってきましたので、今日終末時代に、神がすべてのものをサタンから奪い返そうとする時にも、女性を用いるというわけです。そういう摂理的理由があるのです。

 では、どこに真の母、妻、女王を見いだすことができるでしょうか。今のアメリカ社会のホームにおいては到底見いだせません。女性たちを真の妻、母たるべく再教育しなければここにはいないというわけです。​​


​​​​​
過去記事の下部 「◆摂理の中の女性(一)神の花嫁」 (​ こちら ​)に続く。
ここで、「 二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。 」は、私がこれまで書いてきたように、イエス様をメシヤとならしめるのは洗礼ヨハネ(再臨エリヤ)だが、同様に再臨の時には、「エバ(女性の代表者)」との聖婚式が黙示録で預言されたところの「小羊の婚宴」をもって「彼が再臨主だ」と判別されるようになっていた。

聖婚式を前にして、イエス様が「独生子」であるならばその相対は「独生女」という造語(命名)で語り始められた。1960年の聖婚式は「子羊の婚宴」?

「独生子」×「独生女」=「小羊の婚宴」であったか、なかったか?

H3,H4ともにお母様は「独生女」ではないと否定している。
お母さまが独生女でなければ、上記からお父様も「独生子」でないとの結論になる。
その息子のH3、H4の「精子神学説」が何? 嘘っぱちもこれまでにしていただきたい。
再臨主でもない文何某の三男、四男が何者?
再臨主でもない文何某というのであれば、サンクは「六マリヤ」でも「六十マリヤ」とでも好きにされたらよいだろう???
また、そのH3、H4に(幽霊のように)憑いて行かれる先は?

しかし、心ある方はここで悟るであろう。
お父様は「独生子」再臨主であり、お母様もまたメシヤ「独生女」であることを、だ。

1977年のみ言葉だが、1988年以降のことをすでに語っておられた。お母様を世界の舞台に立たせる摂理がこの時すでに準備されていた。
1988年以降、女性連合の創設、成約元年(1993年)の宣布がなされてお母さまが世界に登壇されていった。そして、真のお母様へ「感謝碑」。


原理講論には「成約時代」の預言がそれ以前にされていたことにも、改めて驚かされる事実である(過去記事は以下)。
​イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、 新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。 多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。​



今日はここまで。
明日はアンシイル。






一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村 ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.02.24 16:55:32
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: