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文化庁が(旧)統一教会に対して散々質問をした挙句、やっぱり解散を請求することにしました、ということになった。行政権に自由に宗教団体を解散させる権限を与えてしまうとろくなことにならないから、行政からの請求があった場合に限り、司法がその可否を判断することになっている。
今回の場合、宗教団体側は必ずその解散請求は、憲法20条の信教の自由を侵害するものなので不当な行政行為である、と主張するはずだから、これは最高裁にまで行き、そうなると有斐閣が発行する「憲法判例百選」に記載される事案であろうと思う。
おそらくそのタイトルは、「信教の自由と解散請求権」というようなものになり、最高裁の判断が記載され、法律を学ぶ学生は誰しもそれを学ぶようなことになるだろう。
その判断をする前提として、我々は、そもそも宗教とは何か、を知る必要がある。宗教についての自分の理解はこうだ。人はそもそも本来の自分の中に様々な(108個かそれ以上の)煩悩を抱えている。それは水中に油分が小さなしずくとして混入している、コロイド溶液状態であると言えよう。
宗教は、このコロイド溶液状態から、「本来の自分」と煩悩という本来自分のものではない油分とを、はっきり分離するシステムであろう。そうして水と油を分離できれば、人は本来の自分という方を動機として行動することによって、行動を変容させることができる。コロイド溶液だった自分とは別人格の自分になれるのだ。かくして油分の方は行動が伴わなくなってくるので、自然に除去されることになる。
これまでの宗教においては、そのプロセスはたいがいつらく、厳しく、痛くて、葛藤を伴うものだった。それでもその結果は貴重なので、人はそのつらい道を行く。その過程の中には、カネを捨てろ、というものもある。イエスは富める者が天国にはいることはらくだが針の穴を通るよりむずかしいのだ、と主張している。幸せになりたければ、まずカネを捨てろ、とのきびしいお達しだ。そして、家族を平和にさせるために来たのではなく、剣を投げ込むために来た、とも語っている。
(旧)統一教会がかつてしていたことがカネを捨てさせ、家族を離反させることであると言うなら、それはまさに宗教の王道であったものだ、とも言える。
そんな王道の宗教団体がメディアの目の敵にされていることの思い当たる理由としては、半世紀くらい昔にさかのぼる話だが、学生運動が華やかだったころ、共産党下部組織の民主青年同盟や全共闘などの反体制運動に対して正面切って立ちはだかった勢力が、(旧)統一教会傘下の原理研究会だったから、ではないかと思う。
原理研究会のメンバーはその後、統一教会に入り、それはさらに家庭連合というものに進化した。民青だったメンバーは今でも日本共産党の中高年者として党を支えている。組織力が弱かった全共闘は大方が「挫折」し、その後大手メディアに入ったり、弁護士になったり、政治家になったりした。彼らは自分たちの青春時代に原理研究会にひどい目に会った仕返しをしないと、挫折した心の平安が得られないために、今(旧)統一教会つぶしに燃えているという、これは長い時間をかけた奇妙な復讐譚なのではないかと思う。
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