奇   知   外   記

奇  知  外  記

PR

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

2024.06.29
XML
カテゴリ: 宗教/天地創造
ムッソリーニ🌼適切な住まいがなく放浪🍓
霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰



2024/06/27
#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界


五 ムッソリーニ

 人が生きていくには衣食住を中心とした様々な必需品が要求されるものです。しかし、ムッソリーニは、人間が生きていくのに最も貴重なものは武器だと考えました。彼は武器をたくさん蓄えれば、どのような国ものみ込むことができ、どこに行っても勝利する、という考えにあふれていました。ムッソリーニの思想の中で最も不届きなのは、人を殺したとしても罪にならないというものであり、彼は人間が生きていくのに不要なものを処理するように、不要な人間を殺しても罪にならないと考えました。私は、そのような生き方と思想をもった人の霊界での生活は、どうなのだろうかと考えました。

 スターリンの生活が隠遁生活の連続とするならば、ムッソリーニの生活は隠遁生活以上であるはずです。簡単に言えば、きょうはここで、あすはあそこでと流浪しながら、とどまる所のないジプシーのように放浪する身の上なのです。皆さんは私がムッソリーニにどのようにして会ったのかと思うでしょう。ムッソリーニはとどまる所がなくて、他人の所で世話になっているので、私は他人の住みかでその人物に出会いました。周囲の人たちは、「あの方には家がないので、あちこち放浪している」、「私たちと共にいればいいのに、しばらくいて、また去ってしまう」と言っていました。私はその理由は何だろうかと思いました。

 ある日、私はその人物の正体を調べるために、彼が移っていく所へついていってみました。本当にそれはひそかな尾行でした。彼はいくつか場所を変えながら回って行きましたが、誰とも深い対話をせずに通り過ぎていきました。そうした中で、ある日、私は彼をしっかりと捕まえました。「兄さん! 私としばらくお話ししましょう」と私が言うと、彼は「誰だ」と言いながら驚きました。それで私が「定まった住まいがなければ、私の家に行きましょう。私がいる所は静かです。清らかな音楽だけが響いて、とてもすてきで、静かに対話することのできる秘密の場所がたくさんあります」と言うと、彼は「私はこのように歩き回るのが自分の性に合っているので、一つの所にいるのは嫌いだ」と言いました。私が彼に、「では私と友達になれますか」と尋ねると、「あなたは誰ですか」と言いました。私が「私もやはり一定の住まいはないが、時々とどまる所はとても不便なので、一緒に友達になって回りましょう。一人で行き来するよりは二人で行き来するほうが良くはありませんか」と言うと、彼は首をかしげました。そこで私は彼の正体が明らかになる時まで、彼について回ろうという作戦を立てました。

 そのような生活が何日過ぎたでしょうか。彼が私に「先生は何をしていた人なのか」と尋ねるので、「私はもともと内科の医者でした」と自分のことを紹介しました。そして私は彼に「ところで、先生は何をしていましたか」と尋ねました。そうして対話の門が開け始めました。彼は次のように言いました。「私はもともと国の大きな責任者でした。国際情勢に多くの関心をもって暮らしているうち、いつの間にか欲が出て、国の仕事を少しやるようになりました。ある日、私は世界的な人物として登場したいという気持ちになるや、全国のすべての経済を使って、ひたすら武器の倉庫を造るのに忙しくなりました。地上の欲望の暮らしが、私を今日このようにさせました。私の名前はムッソリーニと言います。私はとてつもない法を犯した者です。私はどこに行っても罪人なので、誰かが私を覚えていそうで、身を隠して生活しています。今、あなたに会って私の心の内を吐き出してみると、心が非常に安らかです。先生はなぜ私を訪ね回っていますか」。

 それで私が「私はあなたを探していました。その理由はこれから話すことによって分かるようになるでしょう。私の講義を聞いてみるつもりはないですか」と言うと、彼は「聞きたい思いはありますが、一つの所に長くとどまれば、私の正体が周囲に知られるようになるでしょう。そうすれば、私はまた逃げそこなって、呪われるでしょう」と言いました。彼は、本来人間は罪を犯せば罰を受けるのは当然であり、その罪の深さを悟って二度と罪を犯さずに生きていくのが人間の道理だと考えていました。私は彼に「過ちは当然、罰を受けなければなりませんが、先生はいつまでこのように避けて回りますか」と言いながら、もう一度、彼が悟るように話をしました。

 ムッソリーニには暴徒のような気質よりも、善なる面がもっとたくさんあるような感じを受けました。彼は「過った点を指摘してくれて有り難く思う」と言いながら、丁重に私の講義を要請しました。ところが講義をするにふさわしい場所がなくて、私が「どこでしますか」と言うと、彼は「先生の言うようにします」と言いました。それで私は、美しい私の住まいを開放しました。ところが、この方の寝室の生活、すなわち女性関係はとても複雑だったようです。彼は私に、「このように見事な美しい寝室で、女性は一人だけなのか」と言いました。私はどこから話を始めるべきか、よく分かりませんでした。しかし私たちはひとまず、私の住まいで荷を解きました。

 私は彼に、まず最初に、人間の堕落の動機を説明してあげました。すると彼は、そのような教育をどこで受けたのか、それを何によって信じるのかなど、様々な質問をしました。最初からきちんと、原理講義、「勝共理論」、「統一思想」、メシヤ論などについて詳細に説明すると、彼はその内容にとても感服しました。彼は私に「誰から学んだのか。誰が立てた理論なのか。また、どのようにして知ったのか」など、たくさんの質問をしました。彼に答えるには余りにも心情的に遠かったのですが、「地上にいるときに、真の御父母様であられる文鮮明先生から学びました」と言いました。彼は「その方の学説はとても体系的だが、そのように生きるのは簡単だろうか」と言いました。

 最後に、この方の住まいが問題です。私が「先生はいつまで放浪するのですか」と尋ねると、彼は「まだ決める気持ちはないが、適切な住まいがあれば決めよう」と言いました。彼は蕩減条件や罪の根が何か、まだ悟れずにいます。そのことを悟るまで相当時間がかかりそうです。神様が彼を導いてくださって、彼が真の御父母様をたたえるように、私は一生懸命に祈るばかりです。

 リポーターの質問:地上生活で孔子は中国語を使ったし、釈迦牟尼はインド語を、イエスはアラム語を、カール・マルクスとヒトラーはドイツ語を、そしてムッソリーニはイタリア語をそれぞれ使いましたが、院長はこのすべての人と霊界で出会うとき、どんな言語を使われましたか。
答え:霊界では、話そうとする意志が相手に伝われば、相手の意志も私に伝わるので言語は必要ありません。見つめれば自分の意志が相手側に伝わり、相手の意志が私に伝わります。
(一九九八年五月二十日)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
にほんブログ村 ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓​

にほんブログ村 にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.06.29 01:43:25
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: