PR
逮捕前にも次のような論文を発表しています。「戦争に敗れあるいは疲弊した側からはじめて多くの社会主義国家を産む」(1942年2月14日尋問)(p34)
「中国共産党が完全なヘゲモニーを握って」いく(1942年3月5日尋問)
「1935年」頃に確信を持った。(1942年2月14日尋問)
(日本について)
「南方への進撃においては必ず英米の軍事勢力を一応打破しうるでありませうが、その後の持久戦においては日本の本来的経済の弱さと、支那事変による消耗がやがて致命的なものとなつて現はれてくるであらう」(1942年3月5日陳述)
「6ヶ月以後には却って日本にとっての不利なる諸情勢が発展し始める」(1942年4月14日訊問)
(終戦について)
「ソ連と提携し、之が援助を・・・必要とする」そのためにも「 社会主義国家としての日本を確固として築き上げること 」(1942年4月14日訊問)
引用元: 大東亜戦争と「開戦責任」
※「改造」とは治安維持法を逃れるための「共産革命」の当時の代用語です。「(日支事変について)日本に本質的な 根本的な改造 をもたらすこと」
「支那における統一は非資本主義(=共産主義)的は発展の方向と結びつく」
(『改造』1937年11月号)
引用元: 大東亜戦争と「開戦責任」
「(国民党政府は)反植民地主義的・半封建的支那の支配層、国民ブルジョア政権」
「(国民党政府は)官僚(郷紳)階級、地主階級、および新興資本家階級、軍閥の代表者によつて構成されてゐる」
「国民政党は労働者農民の政党的勢力を根絶すべくあらゆる精根を傾け尽くした」
引用元: 大東亜戦争と「開戦責任」
田母神氏論文のコピペ その2 2008.11.13
田母神氏論文のコピペ その1 2008.11.12
エセ反論が酷いエセ左翼 2008.08.23 コメント(2)