ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Dec 28, 2007
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 この時期、第九やメサイアにどっぷり浸かってる方は多いでしょうが、僕はと言うとバッハの「 ロ短調ミサ 」に最近ハマってます。理由は単純で、所属してるオケで来月に本番を控えてるから。今回はビオラで出演します。

 バッハという作曲家は、身近なようでいて遠い存在。各種協奏曲あるいはオケ組曲、あとは無伴奏とかクラビーア(ピアノ)向けの何曲かは僕もゴ幼少の頃から好んでましたが、それらは彼の作品のほんの一部にすぎない。ほんとはカンタータとかの声楽曲、宗教曲が無数に存在するのであります。
 宗教のことを全然理解してないでバッハ様を語ることに軽い罪悪感をおぼえることもありますが、 それ言ったらキリないしー 、と割り切っております(←こら)。

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 で、彼の多声音楽(ポリフォニー)がまたクセモノなわけであります。

 自分が今までに弾いてきたバッハ作品の大半はポリフォニーの要素があまり強くなく、他パートとの共同作業を楽しみながら弾けば良かったのですけど、ロ短調ミサとかの多声モノだと各パートは他の声部と絡まずに独立して動くことが多い。
 自分だけが頼り。つまり、早い話「演奏中にいったん落ちてしまったらサイゴ、なかなか復帰できない」という怖さがあるのです。休みの小節もいっぱいあって、一瞬の数え間違いも命とり。指揮者がいちいちキューを出してくれるわけぢゃなし。今回「ロミサ」に取り組んで、改めてバッハの偉大さと怖さを痛感してる次第。

 正直言って、パート譜だけでなくスコアごと譜面台に置いて他パートの動きを確認しながら弾きたい。現実的ぢゃないでしょうか。

 裏ワザとしては、ビオラは合唱のテノールと一緒のことをやってることが多いだろうし、いざとなったら彼らを頼りに復帰すればいいのかも。彼らはスコアを見ながら歌ってるんだし。
 でも、ロミサの合唱って、単純な混声四部SATBではなく、いちいち曲によって複雑に分かれるのです。ビオラとテノールとが常に同一というわけぢゃない。
 背水の陣。

*****

 ところで、何年か前に聴きに行った演奏会で、超有名な奏者たちが弦楽三声でバッハを演奏したことがありました。オルガン曲トリオ・ソナタBWV529だか530だかの編曲。
 三声がそれぞれに進行していくコテコテのポリフォニーものだったのですが、某パートの奏者が途中で「落ちる」という事故がありました。休みを数え間違えてエントランスを失ったみたい。
 ま、それはそれで仕方のないことではあったけれど、その後もしばらく彼は復帰できず、真っ青になってオロオロしてたのでありました……。

 他人ごとながら、あの夜のことがトラウマになってしまい、以来バッハの多声ものにはどうもビビってしまい。
 ほかの作曲家たちのフーガ部分も同様と言えば同様だけど、やっぱりバッハ大先生は特別だと思うのであります。

追記 : その反動かどうかはわかりませんが、ときどき無性に、 Viva!! ビバルディ とか叫びながら、ビバルディの合奏協奏曲をジャカジャカ弾きたくなることがあります(笑)。





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最終更新日  Dec 29, 2007 07:57:34 AM
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