PR
Calendar
Comments
Freepage List
Keyword Search
毎週欠かさず見ているジョナサン・ケイナーのサイトに「祈りのパワー」という文章があった。「人はどうしようもない状況になると祈ります。でも祈りには効果があるのでしょうか?」今まさにワシは毎日ミルチンのために祈っている。
ミルチン、目の周りの皮膚が崩れて、肉が露出してしまっている。生きているものの皮膚がこんなになるのかというくらい酷い状態だ。決して放っておいたわけではないけれど、それでも涙目を甘く見ていた気もして、後悔もある。そして3日前の夜からとうとうご飯を食べなくなってしまった。。
日本にいるワシがミルチンにしてあげられるのは、誰か---妹であったり、ドタバタおばちゃんさんだったり、獣医さんだったりに委ねること、そして祈ることしかない。昨日の夜、ワシと妹は「ミルチン、もう頑張らなくてもいい」といった話をした。腎臓病もガンも抱えた高齢のミルチンが回復すると心の底から信じられないから(こんなこと書いて、ゴメンね、ミルチン・・・)。
だからせめて、ワシはみんなが寝静まってからミルチンに交信を試みる。妹の部屋で寝ているミルチン。窓からもれ入ってくる月明かりの中で眠っているミルチンが見える。ワシはいつもやっていたように、両腕でミルチンの体を包み込み、頭に頬をあてる。そして「ミルチン、愛しているよ」とささやく。キモイと思われるかもしれないけれど、不思議と暖かいものを感じるのだ。この暖かいものが、せめて夢の中でもミルチンを包み込み、ミルチンが楽でいられればいいと思う・・・。と、ミルチンはお腹がすいていると伝えてきた。私の中にそんなイメージが浮かんだというのが正しいかもしれない。
そして今日、ドタバタおばちゃんさんがササミをクリーム状にしてもってきてくれ、ミルチンは小さなスプーンで5杯くらい食べたという。ドタバタおばちゃんさんはピッピの時も日本の猫缶を持ってきてくれた。ほんといつもお世話になっていて、心から感謝している。彼女のポジティブなエネルギーがミルやピッピに伝わるんだろう。
今夜中の3時半近く。まだ交信はしていないけれど、ミルチンから「私はまだ死なない」そんなメッセージがずっと送られてきている。ワシがミルチンにしてあげられることは何でもしてあげる。でもそれは、ワシが今プーケットへ行くことではないのだという気がしてきた。妹一人でミルの看病、犬のウシコとガンコの世話、家事、仕事と相当な重荷になっている。だから妹のためにもプーケットへ明日にでも行こうと思っていたのだけど、ミルチンのことを考えると、今ワシは日本にいたほうがいい、そんな気がしてきた。日本にいるからできることがあるのでは、そんな気がする。
ミルチンが「生きる」なら、ワシは何でもしてあげる。
<<仕事中のワシの横で眠るミルチン>>