赤ちゃんとの別れ

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赤ちゃんとのお別れ
-初めての妊娠から流産まで-

今日は流産してから初めての生理の日。
いろいろあったこの夏を書き留めておこうと思います・・・




7/29(土)5w0d(周期34日目 高温期21日目)

体温は高温が続き、妊娠検査薬も陽性となり、旦那サマが一緒に行ける日に病院に行こうと話していたので、
土曜日に予約を取って通いなれた不妊専門院へ行った。
そこで初めて出会う我が子は、なんと双子☆
嬉しいやらビックりやら・・嬉しさ半分戸惑い半分だった。
この時先生から”バニッシングツイン”ということも起こり得るから覚悟しておくようにと言われる。


後日、旦那サマと海へ行き・・・お腹をさすりながら・・・
二人いっぺんに授かったけれど、大丈夫かな?
大丈夫だよね?
たくさん愛してあげよう・・・と、そう二人で誓った。


ポンチ1号2号
5w0dの超音波写真
下のほうに胎嚢が二つある
(右:5.8mm、左:5.1mm)





8/7(月)6w2d

心拍確認のため、病院へ行く。
前回の倍近くなった我が子の心臓がチカチカと輝いて見えた。
しかし、恐れていたバニッシングツインが起こり・・・
ツインズはシングルになっていた。

旦那サマや家族に報告しなければ・・・と思うが、口と開いたとたん涙があふれて止まらなかった。
道端で子どものように泣いた。

でも心拍が確認できたこは消えてしまう子の分も元気をもらったに違いないと信じ、
この子を守らねば!!と新たに誓う。


心拍確認
6w2dの写真
心拍の確認ができた
(9.5mm)




8/15(火)7w3d

茶色いオリモノが出始めた。
安静にしていれば止まると思い、横になっている時間を多くした。
食事の支度は短時間ではあるがしていた。

まさか流産に繋がるなんて思ってもいなかった。

安静にしている間、初たまを読んではのん気に胸を膨らませていた。
胸はバンバンに張っているけれど、まったくつわりがなかったことに疑問もいだかず・・・。

妊娠が当然のように継続できると信じきっていた。


ところが夜になってトイレに行って大をしたら出血が!
パニックになりそうな自分をなんとか静めて近くの産婦人科へ電話する。(不妊専門院は夏休み中)

当直の先生に明日朝一で来るように言われた。

祈るような気持ちで床に着く。

「大丈夫大丈夫・・・」
何度も唱えた。






8/16(水)7w4d

出血は止まらない。
産婦人科へ旦那サマに朝一でつれて行ってもらう。

診断は切迫流産だった。
胎嚢が少し下に降りかかっていると言われ、血の気がひいた。

お腹の張り止めと止血剤をもらうが、先生に「気休め程度にしかならない」と言われる。
すがるものが何もなくなったような気がして、誰でもいいから助けてほしかった。


時々お腹が痛むようになる。

そして夜・・・更に出血が増えた。
生理の3日目のような量の血がトイレットペーパーに付く。

正直パニック寸前だった。

「どうしよう!!赤ちゃん出ちゃうよ!!!落ち着け私・・・落ち着け・・・」
独り言を言いながら腰が抜ける・・・・。
気を取り直し、病院へ電話すると流産が進行している場合はもうどうにも止められないと言われる。
そんなばかな・・・
本でも点滴とか入院とかみんなしてもらって乗り越えてるし・・
と思い、別の病院へ電話してみたが、カルテのある今の病院の指示が一番だろうと断られた。

誰か・・誰か助けて・・・

本当に目の前が真っ暗になった。
旦那サマが「まだわからないから、明日もう一回病院へ行こう!」と、翌日も午前休をとってくれた。

涙はあとからあとから流れた・・・。

1分1秒がこんなに長く感じられたことはなかった。

流産前1
7w4dの写真
丸いのは卵黄嚢
前回と縮尺が違うので小さく見えるがサイズは19mm






8/17(木)7w5d

相変わらず出血は止まらない。
病院へ行き、心拍を確認してもらったが、確認できず。
赤ちゃんは死んでしまっているだろうと言われた。
流産の処置は早い方が良いが、今日今ココで決めるのは心が追いつかないだろうと配慮してくれ、よく考えてくるようにと言われた。

何を考えろと?

そう今になると思うが、その時は「少しでもこのこと一緒にいられる・・」と思った。

廊下で待っていてくれた旦那サマが診察室から出てきた私を見上げた。
赤ちゃんがもう死んでしまっていると伝えたとたん、その場に崩れるように泣いてしまった・・


流産前2
7w5dの写真
もう心拍は確認できず
胎嚢14.6mm
胎芽 3.4mm




帰宅後・・・
突然波のように激痛が押し寄せる。
だんだんとその波は強くなり、声も出せなかった。

そんな時、こんな時だというのに便意をもよおす・・・・
お腹に一番力を入れたくないのに、入れたくなる。

仕方なくなんとかトイレに行き、座るとゴロンゴロンと塊が出て行く。
あれは便意ではなかったのだ・・・
陣痛と一緒で、私の体が赤ちゃんや内膜を外へ出そう出そうとする衝動だったみたいだった。

出て行く感覚が良く分かったが・・もう止めることはできなかった。
悔しくて仕方がなかったけど、そのまま出て行くのをただ待った。
無力だ。

トイレの中には血の塊。
トイレブラシでなんとか我が子を見つけようと思ったが、できなかった。

何やってんだ私・・・。

ごめんね・・・ごめんね・・・泣きながら流してしまった。
どうにかなりそうだった。

不思議でもなんでもないが、お腹の中のものが出て行くとさっきまでの下腹部痛がうそのように軽くなった。
旦那サマに抱きしめられ、からっぽのぺしゃんこのお腹をさわりながら、
赤ちゃんに・・・そしてパパになりそこねた旦那サマに「ごめんね、ごめんね・・」と謝ることしかできなかった。


でも旦那サマは「明日病院で確かめるまでは赤ちゃんが本当に出て行ってしまったのかは分らない」
と希望を持っていてくれた。






8/18(金)7w6d

かすかな希望をもちつつ・・この日も午前休をとってくれた旦那サマと朝一で病院へ行く。

診断は完全流産。

お腹の中の赤ちゃんはもういなかった。
やはり昨日の塊の中に赤ちゃんはいたのだ。

おりこうな我が子は自分と、そのまわりのものを一緒に連れて外へ出て行ってくれたので、手術はしなくても良い状態だった。
不幸中の幸いってこういう時に使うものなのだろうか。

廊下で待つ旦那サマに報告する言葉が出る前に、私は首を横に振った。
そして「もういなかった」とポツリ。

子宮収縮剤と抗生剤をもらって帰宅する。

部屋に入り、立ったまま私たちは抱き合って泣いた。
汗と涙と蒸し暑さと・・・顔中びっしょりになって泣いた。





8/25(金)

流産から1週間たったので内診してもらう。
お腹の中はきれいになっており、流産中のHCGが9000mlU/ml だったのが11.5mlU/mlにまで下がっているので、
今後も手術の必要はないと言われた。

2回生理がきたら子作りを開始しても良いと言われた・・・・・・・

出血はこの日にはもう止まりかけていた。
11日間出血していたということになる。
長いか短いか・・・人それぞれだと思うけど、私にはとても長く感じられた。
こんな思いは二度としたくない。





あれからしばらくたった今日9/12(火)、とうとう最初の生理が始まった!!
流産後、お乳が出てしまったので生理が来なかったらどうしようと思ったが、来てくれて良かった。

あともう一回生理がきたらまた頑張れる。
そう思うと今まで大嫌いだった生理もそうじゃなくなる・・・(笑)
なんだか滑稽だ。


妊娠、そして流産・・・人生最大の喜びと人生最大の悲しみを味わったが、
これを乗り越えられたのは旦那サマがいたからに他ならなかった。
赤ちゃんはいなくなってしまったけど、私たちはさらに深い愛を得た。

悲しいけど、そんな気持ちに気付かせてくれた赤ちゃんに感謝しないといけないと思う。

私のお腹に2ヶ月いてくれた赤ちゃん。
とってもとっても愛しかったよ。
そして少しの間私たちをお父さんとお母さんにしてくれてありがとう。
少しだけお休みしたらまたあなたを迎えに行くからね。
またおいで☆


母子手帳
交付された母子手帳(右)と写真用のノート(左)






一喜一憂した夏が終わり、そろそろ秋になる。
また冬が来て春がきたら・・・赤ちゃんに来てくれるよね?
そう信じてまた一から頑張ろうと、3度目の誓いをたてた。




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