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陽炎の向こう側 浅井 キラリ
この空の下で 25
『やっぱり大丈夫。私たちさえしっかりしていれば。よかった。翔さんの声が聞けて。』
彩子は、家族のいるリビングには戻らず、ベッドに横になった。
『今頃、あの部屋で、仕事頑張っているんだ。ずっと遅いみたいだけど、体大丈夫なのかな。』
起きて、デスクに座り、日記を広げる。
『もっと近づきたい。もっと知りたい。もっと話したい。もっと一緒にいたい。もっともっとが強くなる私。』
「ふーっ。」
『またため息をついてしまった。祐子の言うとおり、大丈夫。心配ない。』
お風呂から出て、ラベンダー・ティーを飲みながら、ホイットニー・ヒューストンのアルバムを聴いていた。
“How will All I Know”(恋は手さぐり)~教えてこの愛は本当なの?どうしたら分かるの?自分の気持ちを信じるのよ。・・・胸がときめく度に祈っている。彼に会う度に好きだと思う。・・・愛は深いのなぜ弱気になるのかしら。教えて、不安なの~
彩子は、ベッドに入って明日を楽しみに寝ることにした。
スタンドの電気を消して、ベッド脇の窓のカーテンを少しだけ開けた。
丁度、細い月が空高く昇っていた。
「お休みなさい。翔さん。」
横やり
一週間は、あっという間に過ぎていった。
彩子の気持ちがそう思わせるのだろう。
金曜日、仕事を終え、帰ろうとする彩子に一樹が声を掛けてきた。
「森川さん、今日、予定何かある?」
「はい?」
「一緒に食事でもどう?いつも仕事手伝ってもらっているお礼。」
「お礼だなんて。お給料もらっていますから。」
「翔君も青木さんも一緒にどう?佐藤さんも一緒に行こうよ。」
彩子は、思わず翔の方を見た。
翔も彩子の方を見ていた。
「ねえ、行こうよ。いいでしょ?たまには。毅君も呼ぼうか。いいだろう、翔君。」
明日、翔と映画に行くことで頭の中が一杯だった彩子の気持ちが一樹の一言で、重たくなった。
「あの、田中さん・・・」
彩子が言いかけた時、翔が割って入った。
「たまにはいいんじゃない。行こうよ。森川さんも、青木さんも、佐藤さんもどうですか?毅に電話入れようか?」
翔のきっぱりとした言葉に一樹は少し驚いたようだった。
彩子も翔の言葉に驚いた。
翔は、笑顔でそしてじっと彩子を見つめていた。
冬の訪れ
「佐藤さんも、青木さんも毅も大丈夫。森川さんもね。さっさと後片付けをして出ようか。どこに行くつもり何だ?」
「ああ、今、心当たりのところに席が空いているか電話して聞いてみるよ。玄関ホールで待ってて。」
佐藤さんと、由美子と彩子は、ロッカー室へ言って着替えた。
「全く、田中さんたら、突然言い出すんだから。おごってもらわなくちゃ。」
佐藤さんは少しムッとした感じ。
「私は楽しみですよ。」
由美子は、含みのある言い方。
彩子はこれからどうなるのか心配でたまらなかった。
『一体、田中さんは何を考えているのかしら。』
玄関ホールへ行くと、翔と毅が待っていた。
一樹はまだ来ていなかった。
5分ほどたって、一樹がエレベーターから降りてきた。
「赤坂のスペイン料理のレストランに席を取ったよ。行こうか。」
6人は、玄関を出た。
外は、冷たい風が吹いていた。
いよいよ冬の訪れ。
地下鉄の中で
霞ヶ関から千代田線で赤坂まで行った。
駅までの道でも電車の中でも、彩子は、不安な面持ちだった。
翔はそれを察してか、いつも彩子の側にいてくれた。
その前に、一樹が立っている。
彩子は、みんなの話の中に入ることもできなかった。
『どうしてこんなことするんだろう。翔さんも断ればいいのに。』
「ねえ、森川さん、イギリスの大学に出す書類、チェックしてくれない?英文科だったよね。」
「ええ。」
一樹の問いかけに一言でしか返事ができない彩子だった。
「じゃあ、お願いね。来週の月曜日に持ってくるから。また、お礼は、別にさせてもらうから。」
「結構です。大丈夫です。書類のチェックくらいで、お礼なんて。」
「だって、悪いじゃない?」
「ねえ、よしなさいってば、田中さん。見苦しいわよ。」
姉御肌の佐藤さんが割って入ってきた。
「そんなんじゃ、帰るわよ。森川さんが困ってるじゃないの。諦めるのよ。しつこい男は嫌われるの。」
はっきり言われた一樹は、口を閉ざした。
彩子は、このまま帰りたい気分だった。
サングリアに酔って
赤坂駅から5分程のところにある老舗のスペイン料理のお店だった。
彩子は、翔の隣に座った。その前に、毅と一樹と佐藤さん。
由美子は、翔の向こう側に座った。
由美子は、テニスの時のことがあるので少しすねた感じだった。
「じゃあ、まず、サングリアをたのんで、適当に、前菜をたのもうか。パエリアと。そうそう、生ハムは絶対ね。」
一樹は、こういう時、馴れた口調で次から次へと注文するのだった。
みんなにサングリアが配られた。
「あんまり飲み過ぎないようにね。」
翔が彩子に少し近づいて言った。
彩子は、頬が赤くなるのを感じた。
料理が次々と運ばれてきた。
スペイン風オムレツ、生ハム、魚介類のマリネ、色とりどりのサラダ。キャベツとアンチョビの炒めた物。
彩子は、翔に言われたのにサングリアの甘さに誘われてついつい飲んでしまった。
みんな、電車での険悪な雰囲気はなくなって、仕事の話や、たわいもない話で盛り上がっていた。
彩子だけは口も開かず、うつむき加減だった。
「これ美味しいよ。取ってあげよう。」
翔が彩子のお皿に色々と前菜を取ってくれた。
そこに大きなお鍋で焼かれたパエリアが運ばれてきた。
「わー美味しそう。」
食べ物に目のない由美子が声を上げた。
「パエリアも食べるでしょ?」
彩子の目に涙が滲んできた。
翔は、気が付いていたけれど、気が付かない振りをしていた。
翔の取ってくれた料理をフォークで取って、口に運ぼうとした手が震えていた。
食べている途中、手をヒザの上に置いた時、翔が、そっと彩子の手の上に手を載せてきた。
彩子は、思わず、その手を包み込んだ。
一樹は、苦々しい面持ちで、そんな二人を見つめていた。
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