陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

この空の下で 47




「わあ、待って、危ない!黎ちゃん。」

「全く足が速いヤツだよね。女の子なのに。」

「目が離せないわね。」

「誰に似たんだ?僕に似たんだ。言われる前に言っておくよ。」

「分かっているんじゃない。」

彩子と隆は、出会って3年後に結婚した。

それから5年が経ち、二人の間には、2才になる黎(れい)という女の子がいた。

休日になると、いつも近くの公園にお弁当を持って、出掛けた。

黎は女の子にしては活発で、目を離すと直ぐにどこかへ走っていってしまう。

平日は、保育園へ行っている。

彩子は、出産後も仕事を続けていた。

外資の証券会社で翻訳の仕事をしている。

朝、7時には出社し、外人上司向けの日本語資料の英訳や、関連新聞記事の翻訳、レターや資料の作成など秘書的な仕事もこなしていた。

朝、早い分、帰りも、3時には退社していた。

それだけは、契約できっちりと約束してもらった。

朝、隆が黎を保育園へ送っていていた。

そして、帰りは、彩子が迎えに行った。

黎と過ごす時間を少しでも多く取りたいと、この職場に決めた。

3人は、両親の家の近くのマンションに部屋を借りて住んでいた。

何かあった時、両親を頼りにしていた。

それに、たまに、二人きりで食事に出掛けたりする時も、両親に預けていた。

「そろそろ留学したいと思っているんだけど。」

「そう。あなたの前からの希望だったもんね。賛成よ。」

「でも、君の仕事もあるだろう。君が一生懸命勉強して手に入れた仕事だってこと見てたから。ここで、中断させるのが。」

「あら、また帰ってからだって出来る仕事よ。あなたの留学は、もうタイムリミットに近いはずよ。30になる前に行った方がいいわ。黎ももうすぐ3才だし。向こうで、2年過ごして、帰国して小学校に入学で丁度いいじゃない?私も、向こうで勉強するし。楽しみよ。それより、入れるの?」

「頑張るさ。でも、君のご両親にも寂しい思いさせることになるよね。」

「そろそろ根をあげているんじゃない?黎のお守りから解放されて喜ぶわ。」

「ずっと、仕事と育児で、私も、黎と一緒の時間が増えて嬉しいわ。」

隆は、会社の帰りにMBA入試向けの学校に通い出していた。

来年の夏の入学を目指すことにした。

厳しい職場と勉強の両立は大変だった。

でも、大学に出す書類や、論文の添削は、彩子がやった。

「ちょっとは役に立つでしょう?」

「感謝、感謝。」

何校かの大学院に願書を提出した。

アメリカの大学院は、留学生にとって授業料が高かった。

授業料に、2年間の生活費、黎の幼稚園代。

「いままで貯めたお金で何とかなるかな?」

「奨学金にも応募したから。」

アメリカは、物価が安いって言うけれど、どうなんだろう。

「家族向け寮とかあるといいね。」

「そうね。」


合格通知


会社から帰ると、郵便ポストに大きめの横文字が書かれた封筒がつっこんであった。

「もしかしたら、合格?」

彩子は、急いで、マンションの1階にある郵便ポストから封筒を取り出した。

「Northwestern University。わっ、スゴイ!やった。電話しなくちゃ。黎ちゃん、パパやったよ。」

「何?何やっちゃったの?パパ。」

「合格よ!」

「ご・う・か・く?」

「隆、Northwesternから合格通知来たよ。やったね!スゴイ!お祝いしなくちゃ!」

彩子は、一気にしゃべった。

「そんなに大きな声でしゃべらないでよ。耳が痛いよ。ありがとう。今日、早く帰るよ。」

彩子は、早速、インターネットでNorthwestern大学があるアメリカ、イリノイ州のエバンストンという街を調べてみた。

「きれいな街だわ。でも、授業料が高いんだよね。どうにかなるかな~。」

「お母さん?隆、受かった。そう。シカゴの近くにある大学。Northwestern大学。きれいな街よ。今度の休みに行くから。」

電話の向こうで、彩子の母親が「お祝いしましょう。」という声が聞こえてきた。

隆は、いつもより早く帰ってきた。

「パパ~。」

「おう、黎、パパやったよ。一緒にみんなで行くんだよ。」

「どこに?」

「アメリカ。」

「アメリカ?」

「そう、パパ、お勉強するんだよ。」

「ふう~ん。」

「早速、用意しなくちゃね。もう原さんには言ってあるんでしょう?」

「うん。まあ、ぎりぎりまで、仕事してだな。8月には、行っていなくちゃならないから、7月の中旬までかな。忙しくなるな~。」

「私もなるべくぎりぎりまで仕事して、お金貯めなくちゃ。」

「行くまでに、歯も治しておかなくちゃな~。向こうは医療費が高いから。」

隆は、シンクタンクを辞め、自費留学をするのだ。

バブルが弾けて、会社派遣の制度が凍結されてしまったのだ。

元々、シンクタンクの職員は、留学すると辞めていくのが常であった。

「行く前に、健康診断もしておこう。あと、どこか、家族旅行しようか。京都とか。日本に浸るっていうのはどう?」

「いいかも~。京都か。夏の京都は、暑そうだけど、人がいなくて、返っていいかもね。黎、楽しみだね~。あなたも、実家に電話した?」

「ああ、会社から連絡したよ。」

「行く前に、あなたの実家にもご挨拶に行かなくちゃね。」

「あ~、夕飯が遅くなちゃった。直ぐに用意するわ。隆、その間に黎とお風呂に入っちゃってね。」

「わかった。」



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