陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 17



「ワイパックスは、不安や緊張やイライラを和らげる薬だからね。他にも、何か、薬、出されたの?」

「パキシルとメイラックス。」 

「パキシルは、SSRIだね。第一選択として使われる、副作用の少ないといわれている薬だね。メイラックスも不安を抑える薬だね。普通にパニック障害の患者さんに出される薬だよ。今日も、電車に乗れなかったんじゃない?」

「そうなの。ホームに下りて行こうとしたら、急に、具合が悪くなってきて。行けなかったの。」

「発作を起こした時、ものすごい恐怖感があったでしょう?」

「死ぬと思ったわ。」

「その体験が強い恐怖体験として、体に記憶されちゃうのよ。だから、発作を起こした所に行くことができなくなっちゃうのよ。それに、そこに行って、同じような症状が起きたらどうしようって、不安が先に出て来ちゃったりするのよ。」

「私、どうなるのかしら。」

「まずは、薬をちゃんと飲むことね。あと、原因は、ストレスかな?」

「医師は、仕事の疲れと、ストレスだろうって言っていたわ。」

「自分でもそう思う?」

「確かにここんところ、毎日、遅くまで残業だったから。でも、次に大きなプロジェクトに参加できることになって、これからの仕事を楽しみにしていたのよ。なのに。どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」

「まずは、疲れをとることね。あんたは、ちょっと、一直線な所があるから。疲れていても、頑張っちゃう方だからね。」

「私って、弱い人間じゃないと思っていたのに。ストレスに負けるなんて。それだけでもショックよ。自分がそんな情けない人間だったなんて。」

「情けない人間なんかじゃないわよ。今まで、広く知られていなかった病気だったけれど、最近では、比較的知られてきている病気よ。100人に1人から3人が罹るって言われているのよ。自分がパニックだって分からずに心臓が悪いんじゃないかとか、脳に異常があるんじゃないかって、病院のあちらこちらの科にかかる人も沢山いるのよ。だから、あんたは、直ぐにパニックだって分かっただけでもよかったのよ。」

「そうなんだ。でも、どうして、こんな病気になっちゃったのかって考えるだけでも、おかしくなりそう。」

「大丈夫だって。3ヶ月くらいで薬の効果が出て来て、あと、1年から2年くらい薬を続けば、徐々に、薬の量も減ってくるし、よくなる病気だから。不安をなくしていけば、よくなるのよ。」

「不安をなくす。」

「薬をしっかり飲んで、まずは、疲れを取って、あんまり考えないことだよ。」

「仕事はできるのかな?」

「できるよ。できるよ。でも、今は、疲れを取って、ゆっくりした方がいいかも。余り無理しないで。今週くらいは、休んでみて。電車は、しばらくキツイかもね。様子を見て、頓服を上手く使いながら、電車に乗られるようになるといいんだけど。」

「やっぱり、休んだ方がいいのね。今、最終報告書を書き上げて、今、室長に見てもらっているの。この仕事のあと、大きなプロジェクトに入れてくれるって。楽しみにしているのに。どうしたらいいの?」

「心配しないことが一番だよ。大変なことだとは思うけれど。今は、休息第一で考えて。それからは、ゆっくり、ゆっくり。それから、体調に合わせて仕事をしていけば、心配ないよ。」

美奈の目には、涙が滲んできた。

「どうしてなの?」

「美奈に悪いところはないんだよ。誰でもなり得るんだよ。」

「私が何、悪いことをしたって言うの?」

「悪いこと何てしてないって。ちょっと、頑張り過ぎちゃったんだよ。悪いことなんかじゃないって。」

「人の会社のコンサルしているのに、自分の体をコンサルできなかったなんて。」

「そう言うものだよ。これからのことを考えようよ。治していくことを。どこの病院だっけ?」

「S大学病院。仕事があるから、来週からは土曜日に行くことになっているの。」

「大丈夫。S大学病院は、いいって聞くから。」

「麻紀だから、言えるけれど、こんな自分の病気のこと、人には、言えないわ。精神科だなんて。自分の精神が弱ってことでしょう?」

「美奈、今は、精神科に通うことは、恥でもなんでもないのよ。沢山の人が、治療を受けているのよ。そんな、偏見を持っていちゃだめだよ。それに、美奈は、精神的に弱くない。精神力が弱い人がこういう病気になるって訳じゃないよ。医師だってそう言っていたでしょう?」

「情けないだけ。」

「美奈。」

「薬で、自分の気持ちをコントロールするなんて。薬にコントロールされるなんて。」

「違うよ。美奈が、薬を利用するだけ。薬の力をちょっと借りて、普通の生活をするだけなんだよ。悪いことでも、情けないなんて思う必要もないんだよ。」

「麻紀。ゴメン。言いたい放題。」

「何、言っているのよ。言いたい放題は、お互い様。」

美奈は、また涙をこぼした。

麻紀は、いつもハツラツとしていて、元気な美奈しか見たことがなかっただけに、美奈の姿が痛々しく思えてならなかった。

「ドーナッツももらおうかな。美奈は?どっか、ご飯食べに行こう。」

二人は、カフェを出て近くの自然食レストランへ行った。

「今日はありがとう。麻紀から話が聞けてよかったわ。色々と分かったし。何となく、この病気のことが分かってきた。」

「焦っちゃダメだよ。きっと治るから。まずは、疲れをとることと、薬をちゃんと飲んでね。いつでも連絡して。病院で出される薬が変わったりしたら電話してね。薬のことなら分かるから。今度の医師が美奈が信頼できる人だといいんだけど。くれぐれも、無理しちゃだめだよ。」

「わかった。ありがとう。また教えてね。」

「うん。じゃあね。」

二人は、駅で別れた。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: