陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 21



美奈は、毎食後、パキシルとメイラックスを飲んでいた。

部屋に戻ると、やはり、緊張感が増してきて、胸が痛み始める。

人目に触れないように、頓服をバックから出して、口の中に含む。

報告書の修正が終わり、川原OKが出て、最終チェックのためにクライアントへいかなければならなかった。

クライアントは、赤坂にあるので地下鉄で行かなければならなければならないが、美奈は、会社のビルを出ると、タクシーを拾った。

クライアントから、いくつかの修正を求められたが、直ぐに修正は終わった。

水、木、金曜日とタクシーで通勤した。

金曜日の就業終了時間前に誠二が美奈の所に来た。

「今週、大丈夫だったか?この仕事が終わったらおごってやるって約束だったろう?飲みに行けるか?」

「そうだったわね。田中君のおごりだったよね~。」

美奈は、内心、不安だった。飲みに行って、発作が起きたらと思うと、不安になるのだった。それに、アルコールを飲むと薬は飲めない。

「来週から、新しいプロジェクトが始まるから、ちょっとだけおごってもらっちゃおうかな~。田中君は仕事、もういいの?」

「俺は、もう、プレゼンも終わって、今、端境期だからな。お前と同じで、来週から、新しい仕事が始まるんだ。」

「そうなんだ。じゃ、行こう~。」

「人のおごりだと思うと、張り切るよな。」

「誰だってそうでしょう~。」

二人は、会社を出て、ブラブラ歩いた。

誠二は、美奈を日比谷通り沿いのホテルの最上階のラウンジへ連れて行った。

「へ~、こんなにステキな所に連れてきてくれるつもりだったんだ~。」

「たまにはな。いつも、居酒屋だからな。たまには、イメージを覆してみるっていうのもいいもんだろ?」

「そうね。どう考えてみても田中君のイメージは居酒屋だもんね。」

「今日は、お前も、ここにふさわしい、会話をしろよな。」

「それ、どういう意味よ?私は、いつもちゃんとしているわよ。」

「大人の会話ってことだよ。」

「何、それ。」

二人は、窓際の先に通された。

入社して、5年になるが、二人きりでこういう所に来たことはなかった。

二人は、だまったまま外を見ていた。

美奈も、何となく、いつもの調子が出ない。

誠二も美奈が黙ってしまったので、何となく、気まずい感じがした。

「やっぱ、セレクションミスだな。俺たちには、ちょっと似合わなかったわ。」

「俺たちじゃなくて、俺でしょ。でも、ありがとう。たまには、こういう落ち着いたところもいいね。何だか、心が落ち着くわ。遠くに新宿の夜景が綺麗に見えるわ。」

美奈が窓の外を見ている横顔を誠二はじっと見つめていた。

こんな美奈の表情を見るのは初めてだった。

誠二はドライマティーニを美奈はスカーレット・オハラをたのんだ。

スカーレット・オハラは、サザン・カンフォートという果実酒とクランベリージュースとフレッシュレモンからできている色鮮やかなカクテルだった。

「スカーレット・オハラか。」

「どう、似合っているでしょう?」

やはり、二人の会話は弾まなかった。

美奈も、いつもと感じの違う誠二に戸惑っていた。

「田中君がこんな所に連れてくるから、何か、調子狂っちゃった。」

周りは、カップルや会社帰りのサラリーマンで一杯だった。

二人は、カクテルを飲み終わると、ラウンジを後にした。

「ありがとう。ここで、帰る。」

「何か、飯食っていこう。近くに美味しい、台湾料理屋があるから。」

「今日は、ここで帰る。」

「そうか?じゃあ、駅まで一緒に行こう。」

「そうね。」

二人は、黙ったまま、駅に向かった。

地下鉄の乗り場に通じる階段を下りていった。そして、二人は、そこで別れた。

美奈は、誠二が行ってしまったのを見届けると、また、階段を上り、タクシーを拾った。

タクシーに乗り、行き先を告げると、背もたれに頭を乗せ、ため息をついた。

『どうにか今週が終わった。』


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