陽炎の向こう側             浅井 キラリ

陽炎の向こう側   浅井 キラリ

優しく抱きしめて 50



「あ、あなたは。先日も駅で助けて下さった方ですよね。」

「あれから、電車でお見かけしなかったから。どうしたかなって思っていたんです。」

「あれから、電車で会社に通っていないので。」

「体調、大丈夫ですか?」

「少しずつ、よくなっています。この間も、お礼も言わずに、お名前もお聞きしなくて、気になっていたんです。」

「僕も、あなたの名前を聞いていませんでしたね。何となくいつ通勤の時、あなたのことが、気になっていたんです。僕、江口裕です。」

「私、村沢美奈です。本当に、2度も助けていただいてありがとうございました。お礼がちゃんと言えてよかったです。」

「あ、電車が来た。」

その時、電車がホームに減速しながら入って来た。

少し、美奈の体が硬直した。

江口は、それに気が付いた。

「大丈夫ですか?」

「ええ。」

電車が止まり、ドアが開いた。

「大丈夫ですか?タクシーにしますか?」

「いいえ、大丈夫です。いつも、すみません。ご迷惑ばかり、お掛けして。」

「いいんですよ。気にしないで。」

2人は、並んで席に座った。

腕と腕が触れ合う。

でも、美奈は、平気だった。

以前、会社のエレベータで誠二の体に触れただけで、硬直してしまったのに。

『江口さんは、平気なんだ。』

「お買い物してきたんですか?」

「えっ?あ、これですか。ちょっと。」

美奈は、言葉を濁した。

「江口さんは?お出かけ?」

「ああ、僕ですか、本屋へ行ってきたんです。仕事に必要な本を買ってきました。」

「お仕事熱心なんですね。」

「そうでもないけれど。やることないし。」

「そうなんですか?重たそうな本ですね。」

「はは。そうですね。値段も、重たかったですよ。」

「まあ。」

電車が走り始めた。

『平気だわ。よかった。』

電車の窓の外の景色を見ていた。

『こんな景色が見えていたんだわ。忘れていた。』

「大丈夫ですか?」

「ええ、久しぶりに電車に乗って、こんな景色が見えていたんだなって思ったりして。朝って、ものすごく込んでいて、景色を見ている余裕ないでしょう?」

「そうですね。眠いし。」

「そうですね。江口さんも、お仕事で、夜遅いんですか?」

「そうですね。終電に乗れるかどうか。乗れない方が多いかもしれない。」

「私も、そうでした。最近は、早く帰らせてもらっていますけれど。」

「体調がよくないから?」

「ええ、プロジェクトから外されて。」

「プロジェクト?」

「あ、私、シンクタンクに勤めているんです。」

「そうだったんですか。僕もコンサルです。」

「え、そうだったんですか。」

「へえ、奇遇だね。」

「二度も助けてもらった人が同業者だったなんて。」

電車は、江口が降りる駅に着いた。

「あ、どこの駅ですか?」

「急行だと、次の駅です。」

「そう、ちょっと、お茶でもどう?」

江口がそう言っている間に電車のドアが閉まった。

「あ、閉まっちゃった。」

「仕方ないですね。」

「え、仕方ない?」

「冗談です~。何だか、親近感沸いてきました。」

2人は、次の駅で降りた。


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