フロリダ州立病院のひとつに、Rehabilitation Therapistとしての職を得た
音楽療法だけでは無く、他のプログラムも患者さんに提供する。私の場合は、病院のプログラムのほかに、認知行動療法のトリートメント・プランをたてるつもり
アメリカに留学しに来て4年半。1ヶ月の語学学校での英語の準備の後、院で入学した。しかし音楽療法の学位を持っていなかったので、40単位ほど学部のクラスを院のクラスのほかにとった。修士論文の実験部分ができずにもたつき、その分卒業が遅れた。
そしてインターン・シップが終了後、4つの州立病院の面接を受けたが、州立病院のプロセスの遅さに半年、それで全部で4年半だ。
音楽療法のために勉強を始めたのが、1997年だった。私の母校、女子大(私のときは短大)で、音楽療法のクラスの聴講を始め、ある私立大学の通信教育学部で哲学、心理学を学び始めた。とにかく音楽療法を始めるために、働きながら、一人暮らしをしながらできるものを選んだ。
そのうち、大学の通信教育過程での勉強にはまりだした。面白い。短大のお嬢さん学校を遊んで卒業した私は、人生初の学問の面白さに目覚めた。
通信教育で学ぶ大学の講義は大変だった。留学よりも大変なのではないかと思う。何が大変か。それは、誰も教えてくれず、2次元のテキスト内容を3次元にして頭の中に詰め込まなければならないことだった。
私は最初の短大で音楽科だったので、大学のテキストの内容は、たいていは知らないことばかり。なので、ひとつのテキストに対し、文献を5冊ほど読み、4000字ほどのレポートを書いて提出する。そのレポートがC以上であれば試験を受け、C以上で合格となり2単位なり4単位なりを取得する。
毎月ひとつテストが受けられることを目標とした。弾く仕事は週末、教えの仕事は平日の午後からだったので、平日の午前中と、週末の弾く仕事の空き時間に、喫茶店等で勉強した。
そうして卒業最終年度を通学して、通学過程の学生と共に学び、卒業論文を書くというプログラムの試験にパスして1年間、大学に通った。学生はとても頭が切れて、でも情操教育もしっかりできており、とても良い環境の中で勉強ができた。
その1年間で得た重要な宝物がふたつ。ひとつはそこで出会った心理学と精神科医の教授たち、もうひとつはそこで知り合った女子学生さんだ。今でも交流があることは、私にとって大きな財産だ。
それから、リズムがどうしても追求したかった私はそれがキー・コンセプトのコロラドの大学院へ留学しに来た。リズムを勉強する前に、英語の理解が大変で、生活の95%は勉強していたと思う。
そしてカリフォルニアの州立病院へインターン・シップに行く。違う人種構成、人々の雰囲気だった。州立病院のプログラムの面白さはそこで学んだ。音楽療法だけでは無い、患者さんたちに対するいろいろなトリートメントは、私の性に合っていると思った。
それから5ヶ月たって、フロリダ州立病院へ雇用決定。音楽療法と認知行動療法のコンビを患者さんに提供予定である。
音楽療法を仕事にしたいと思って、13年目。これでやっと独り立ちだ
35歳を過ぎてからの留学もやってしまえばできるものであるそれは一歩一歩、夢の位置を確かめながら来たからできたのであり、完全燃焼してきたからだ、と私は信じている
2011年 充実した年でありますように 2011.01.01
「マザー・テレサ 祈り」展 2010.08.26
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